【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「アガツマ……ヨシロウ……」
レナが呟くのが聞こえる。目の前に座る六歳のはずの子どもは、静かに答えた。私やレナ、娘のリコッタが知る彼の声色とはがらりと変わっている。
「発音しづらいでしょう。私がアオとしての意識を得たときにはもう、意識しないとこの名前を言えなくなっていました。……アオとしての人生のほうが、肌に馴染むぐらいには紗の掛かった記憶になっています」
さらさらとそんなことを言うアオ・ポーレット、いや、アガツマという方が正しいか。時折見せるあまりに大人びた表情が、今彼の顔に張り付いている。
「わが国が所在した世界には、魔導術は存在しませんでしたし、当然私も魔導師ではなくただの人間でした。ニホンという島国は、公爵領のおおよそ五倍の面積に、一億二〇〇〇万人が暮らしています」
「馬鹿な!」
思わず話を遮った。
「そんな人数をその面積の農地でまかなえるはずがない!」
「もちろんそうです。私のいた世界は魔法が存在しなかった代わりに科学技術が大いに発展しました。肥料や農薬の使用、品種改良の果てに農産物の作付面積当たりの収量は大きく増加しています。今の王国の五倍から一〇倍程度の効率で作物が収穫できますし、それでも不足するものは、外国から輸入して確保していました」
つまり、かの国はそれだけの人口を食わせることに成功しているということだ。文字通りの生命線である食料の調達を輸入を前提にできるほど外交上成功している。どれだけの船が必要だろう。それらを安全に運行させ続けるだけの国力を思うとぞっとする。
「私の仕事はその国を守るために必要な組織の基盤を整えること。そして海外の脅威の情報を整理し、国のトップが決断できる状況まで持っていくことでした」
「つまり、前世の君は……戦死したのか」
脅威の情報を整理するという仕事はすなわち、相手の情報に精通するということであり、それは極度に危険性の高い行為だ。それも、国のトップに奏上することを許されるほどのポジションだ。敵国へ通じる情報網に接触し続ける以上、戦死という結末は当然のものと思える。
「あ、いえ。毒を盛られた記憶もないので、おそらく過労死……働き過ぎで心臓かどこかを悪くしたのかと」
「……前科一犯でその不養生ってわけ? 懲りなさいよそれは」
ハリエットの呆れたような声がする。一瞬だけ、アオの顔が戻ったが、すぐにアガツマの顔つきになる。
「……話を戻します。少なくともわが国は八十年来戦争らしい戦争を経験していませんでした。……ただ、それは剣を交えていないというだけあり、脅威無く平和な世界だったというわけではありません。少なくともわが国は王国を遙かに超える血塗られた歴史を歩んできました」
「王国を越える、だと?」
「はい。……閣下に話した総力戦の果てを、既にわが国は経験しています。それがわが国の暦で八十年前、わが国最後の戦争でした」
「その果てに何があった」
「焼け焦げた国土と遺体の山です」
アガツマは即答する。
「正確な統計は存在しないのですが、わが国における軍人・軍属の死者はおおよそ二三〇万人、戦争に直接参加していない民間人も約九〇万人が死亡しています。同時期に全世界規模で展開した戦争の死者数は累計で七〇〇〇万人を超えるものと推定されています」
「なんという、ことだ……そんな規模の戦争が……できてしまうのか、人間は……」
アオが警告した『総力戦』という戦争を、まるで見てきたように語る彼の説得力はここにあったのだ。彼はすでにそれを歴史として知っている。
「……恐ろしくなるな。本当に」
「もちろん戦争だけがあったわけではありませんし、それ以上の発展を繰り返してきたからこその人口増です。素晴らしいものも沢山ありました」
千人以上を乗せて王都と公爵領をおおよそ二時間で結んでしまうほどの俊足な馬車が日に四〇〇本近く走り続ける交通網。世界の果てまで一瞬のうちに会話を届ける通信システム。星の世界まで機械を飛ばしているというのだ。空や星は神の領域だとされていた。それすらアオの世界の者達は飲み込もうとしている。
驚くいたのはかの国の識字率……つまり字を読める人口が九九パーセントを超え、それに立脚した教育と娯楽があふれているということだ。アオが文章主義に走ったのもうなずける。それだけ文字が力を持つのであれば、言葉と書類で世界を変えることができよう。
――――――アオはきっと言葉で世界ができていると思っている。……そして、アオは言葉を振るうことで世界を変えられると思っている。
リコッタ経由で聞いたハリエットの嘆きは的を射ていた。彼はそう考え、それを成そうとしている。
「……その果てを知り、それでもなお戦争に備える君は何を成すつもりだ」
「私を助けた方達がいるこの国を存続させ、繁栄を守るための手段を確保します。戦争なんてくだらない。それでも、武器や技術がなければ戦争がなくなるわけではありません」
さらさらとアガツマの言葉が滑り出す。
「官僚の仕事とは、誰もが理想を語ることができる世界を守ることです。期間限定のお菓子にチャレンジして口に合わないと文句を言ったり、耳にしたことがあるかどうかという会社の横領や着服のニュースを聞いて憤ったり、忠告たっぷりの武勇伝を開陳して後輩にうざがられたりする。顔も名前も知らない国民の日頃感じる不満がそんなものであるように、死に物狂いで戦うのが日本の官僚です。そのために法があり、予算があり、権限がある。それが虚像であり自惚れであると知ってなお、理想に形を与えんと現実に抗うのが官僚だ」
アガツマは饒舌だ。レナやリコッタはもちろん、私にも口を挟むことを許さない。
「防衛官僚はそんな平和を守ることを使命とし、徹底して国民と戦争を切り離せるようにあがいてきた。平和とは虚像だと知ってなお、その理想を手放すわけにはいかなかった」
「……そのために、戦争に備えると?」
「はい。備えなければ守れない物がある以上、無策でいる訳にはいきません。それらが使われずに廃棄されるよう祈りながら、祈りよりも有効な手段を用意するのです」
そのためにアガツマはアオとして、農業の基盤を整え、硝石の採取ルートを確立させ、飛空魔導騎士団の設立の筋道を示した。いつか必ず起る戦争を見て、そのために必要な備えを急ピッチで整えている。
「それを愚かだと断罪することは簡単だが、この王国や帝国との戦争を見ていると笑い飛ばせない……」
「私が見てきた限り、こちらとあちらの人間に、大きな違いはありません」
「つまり、この世界も同じようにその破滅への綱渡りを続けるということか」
「おそらくは」
アオが語るニホンという国、それがある世界。アオの言う『科学技術』の発展と同じ系譜をこの世界がたどるのであれば、確かにニホンは数百年先を進んでいる。アオはすでに歴史としてこの国の行く末を案じている。だからこその視点。だからこその性急さが出ている。
……セドリックもよく焦っていた。おそらく彼もアオと同じ未来を見ていたに違いない。その焦りは、この国を憂いたからかもしれないし、私やレナの行く末を案じたからかもしれない。
「セディからとんでもない世界があることこそ聞いていたが、これほどとは……」
「あなたの知識の源泉はそこにあったのね」
レナの問いに彼は頷いて返している。
「……そうですね、ずっと他の世界の知識の借用でなんとかしてきた。単純なカラクリです」
「アオ様……」
リコッタが彼の名前を呼ぶ。
「アオ様は……その世界に、戻りたいのですか?」
「……未練はいつだってあります。ですが戻ったとして、戻れたとしても、こちらに未練を残すでしょう」
悔いがある事を、彼は否定しなかった。
「アガツマ・ヨシロウとしての人生には『誰か』しかなかった。自分がなくて、誰かに尽くすことでしか自らの価値を認めることができなかった。リコ様に会うまでのアオの人生には、余裕がなさ過ぎて『僕』しかいなかった。ハリエットすら顧みず、生き残ることに精一杯だった」
どちらもきっと悪い人生では無かったと、彼は笑う。
「どれも、僕にとっては灰色な世界でした。どちらも僕にとっては現実的過ぎました」
アオの一人称が、『僕』に戻る。
リコッタが『アオ』をここに繋ぎ止めた。
リコッタでなければ、アオをここに繋ぎ止められなかった。
「手放したものを懐かしんで、この先を思えば重荷に思うことも、つらいこともあります。それでも僕はリコ様やみんなと会わなければよかったとか、そんなことを思ったことは一度もありません……これはリコ様には話したことがあったかもしれませんね」
「『思うべきではない』ではなく、ですか?」
文節を切るように、何かを恐れるように、リコッタが斬り返す。アオは首を横に振った。
「嘘偽り無く。……ハリエットに繋いでもらった命、ポーレットさんにもらった目標、閣下から任された責任、コリンから預かった未来とミネットに寄せてもらった信頼……リコ様にもらった、意味」
「意味……」
「はい。意味です。僕が生きるに足る意味、無為に生き残るのでは無く、前へ進むために必要な証明。生きていていいのだと思えるような何か……そうですね、やはり意味という言葉がしっくりきます」
リコッタが泣きそうな顔をしている。
「僕はもうそれを捨てられない。捨てたくない」
アオの目が初めて揺れたように見えた。
「……
ぽつりと落ちる言葉。
「――――――――ばかっ!」
私が声を掛ける前に、リコッタが珍しく声を荒げた。……娘がこんな真っ直ぐに怒っているのを、私は初めて見たかもしれない。
「そんなことを恐れていたのですか! あなたの秘密を知った
「……それは」
「アオ様は過去を見ています。同じように未来もまた見えてしまうのでしょう。ですがアオ様は『いま』を見ておられません! だから、そんな起こりもしない心配をしているのです」
「起こりもしないって……」
「よいですか。はっきりさせておくのです」
リコッタがアオの方にずんずんと歩み寄りつつ、アオの反論をたたき切る。その横顔は確かに我が伴侶エリザベートの血を感じさせた。
「わたくしはアオ様が大好きです。どうしようもなく好きで、仕方がないんです。だからアオ様を何があっても手放すつもりはありません。わたくしがいる限り、あなたが真の意味で孤独になることはありません。――――――そんなこと、わたくしが許してなるものですか」
アオの義腕にリコッタが手を添える。
「だから、そんな寂しいことを言わないでくださいまし。ここにいるアオ様は、アオ様ではありませんか。過去や未来がどうであれ、いまここにいるアオ様をわたくしはお慕いしております」
アオの双眸が揺れる。その目元をリコッタがそっと拭った。
「だから怖がらなくて良いのです。あなたが誰であれ、リコッタは他でもないあなたを愛しているのです」
そう言って、リコッタがアオの唇に口を寄せた。レナやミネットが顔を赤くしている。コリンが肩をすくめた。
「やれやれ、怒るのはお姉ちゃんの仕事だったのに、これもリコッタ閣下のお仕事になっちゃいましたか」
ハリエットはそんなことを言っている。口を離しアオの首に腕を回して抱きつくような姿勢になったリコッタが振り返る。
「ごめんあそばせ。いくらお師匠様でお姉様でもこればかりは譲れないのです」
「……作戦会議済でしたか」
「当然。アンタが誰であったとしても、言い訳並べて防衛線を張るのは目に見えてたからね。この面子でアンタの防御をかち割れなかったら諦めもつくでしょ」
そのために集めた面々で、そのためのタイミングだ。
公爵領の運営ということだけを考えても、今アオに抜けられるわけにはいかない。国王陛下に無理を言い、フィッツロイ男爵位を子爵位に上げ、格をつけさせた。アオは名誉に興味がなくとも、職責には忠実であらんとした子だ。最悪でもその職責で縛り付けられるタイミングを待っていた。
それにアオは、レナが一人になることもまたよしとしないだろう。ハリエットやミネットが寄せる信頼もまた、きっと彼は軽んじない。
そんな思惑をどこか冷静に聞いていたのはコリンだった。
「だから言ったんですよ。『リコッタ閣下がいればわざわざ僕を詭弁担当で呼ぶ必要なんてない』って」
「君を呼んだのは万が一の備えとしてだ。懐刀を抜かずに済んだ」
それを聴いた皆が苦笑いだ。
「とはいえ、エルジック卿に抜けられるとこちらの商いに差し障るのも事実です。いくらかサービスはしておきますので」
「すれたやっちゃのー」
ハリエットに言われ、営業用の笑みを浮かべるコリン。ハリエットと彼はほとんど接点がなかっただろうから、不気味がられるのも仕方が無いだろう。
「ともかくだ。こうなった以上はこちらもそれなりの備えをしなければならない。……セドリックのように
あの日のことは忘れられない。忘れてなどなるものか。
きっとセドリックは気づいていた。いまでこそもういないが、時の第二王子の義勇のために捨て駒として配置されたことも、戻る見込みが無いことも、気づいていた。それでも彼は笑って進んだのだ。……レナを守るために、笑って。
――――――レナを頼む。あの子が笑って暮らすための平和をお前なら、トマスなら創れる。
そう言い残した彼を止めることができなかった。止めるべきだった。その後悔を忘れたことなどない。だからあんな惨めな思いをするのは、あれきりにすると決めたのだ。
「アオ、君がどういう出自であれどもどのような思想を抱いていようとも、公爵領は君を歓迎する。セドリックが我々に託した理想を、君がリコッタに示した希望を、こんなところで潰えさせるわけにはいかない」
「……それは、公爵としてですか」
「トマス・バリナードとしてだ。子の不幸を願う親は親ではない。私はリコッタの親として、レナは君の親として、君たちの幸せを願っている。どんな背景があろうとも、君が我々の息子である以上見捨てるという選択肢はそもそも存在しないのだ」
アオに届くと信じる。お前もお前の中にいるアガツマも、言葉で戦う事を選んできた人間だ。ならば、届くはずだ。
だから、言葉にする。
届け。
お前は、ここにいて良いんだ。
私たちから、アオ・ポーレットを取り上げてくれるな。
「君が夢見て生み出す未来がどのようなものであれ、それを呑む覚悟はできている。ここにいる面々は皆そうだ」
セドリック・ポーレットが拓いた未来は、確かにレナや私の未来を照らした。アオが見せた希望はいま芽吹こうとしている。それを、こんなところで失うわけにはいかない。
「君の言うとおり、きっと戦争は起る。それは私も君も、レナやリコッタをも否応なく飲み込むだろう。だからこそ我々は抗わねばならない。それがどれだけ血と恥辱にまみれた道行きを示すとしても、その果てのさらに向こうまで、行き着かねばならない!」
それがエゴであるとは百も承知。それでも付いてきてくれる者がいると信じ、理想を掲げて歩み出した以上は、その理想を現実に落とし込まねばならない。
その覚悟を、いい加減私も学ばなければならない。
「我々は夜明けとともに焼け落ちると知ってなお、朝日を目指して飛ぶ鳥だ! 我々を絡め取るこの理想がいつか我々の希望となり、未来を作ると信じて、それを抱えて飛ぶ鳥だ。その理想をきっと君と共有できると信じている。そして現実というファンタジーに打ち勝ち、前へ進めると信じている。我々の理想には君が必要だ。アオ・ポーレット!」
理想に形を与えるのが官僚の仕事だと、アガツマ・ヨシロウは語った。
ならば、形を与えるに足る理想を掲げ、彼らが作る未来の足がかりを作るのは、為政者たるトマス・バリナードの仕事だ。
「……後は君が腹をくくるかどうかだ」
リコッタに抱きつかれたままの姿勢だが、アオと視線が合った。揺れていた視線は、もうなりを潜めている。
「……僕で良ければ、喜んで」
感想などはお気軽にどうぞ
次回 朝ご飯