【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「おわりだ……もう、俺はおわりだ……」
とぼとぼと歩く男が呟く。焦点の合わない虚ろな視線がふらふらと揺れる。今日は聖節祭だというのに晴れやかとはほど遠い。
「なにが悪いってんだ……金持ちのガキをおちょくっただけなのに、なにが悪いってんだ」
ぶつぶつと呟いたところで、こんな祭りの日に路地裏を彷徨うものの嘆きを聞くものはいない……はずだった。
「もし、そこのお方」
「あん?」
黒いフードから女の声がした。
「あなた、酷い顔ね。今日は祭日だというのに」
「生憎話す気分じゃ無いんだ。他をあたりな。生憎今日から無一文でね」
「あらら。かわいそうに」
フードの女がすっと男の方に寄る。
「女神様は酷いことをなさるのね」
「俺の話を聞いてなかったのか……むっ」
女に顎をそっと撫でられる。氷のように冷たい指先だった。
「今日は祭日。そんな日にそんな暗い顔をなさるものではありませんわ。……せめてもの慰めぐらい、神はお認めになるはずです」
男の首筋を撫ぜると、そこに赤い結晶体が下がるネックレスが現れる。
「……あんた、なんだ」
「なにものでも良いではありませんか。せめて気がすくようなことをしようではありませんか」
口元を指で隠し、コロコロと笑う彼女。その指に填まる指輪をみて、男は虚ろに口にする。
「その紋章……帝国の」
その先が紡がれる前に彼の唇に指を当てる。そっと男の頭を抱き、明るい通りの方に顔を向けさせる。
そこを、子どもが二人横切る。
一人は白いマント。グレイフォート学院の
一人は黒いマント。白いマントの男子を慕うような仕草を見せる気弱そうな女子。
「なぜだ」
なぜこんな目に遭わねばならなかった。
そんな引き金を引いた二人が、なぜ楽しそうに日向を歩いている。
「ああ、ああ、そうだな。気がすくようなことを、しようじゃあないか」
あのガキ共の女の方がいなければ。いまからでも
男がふらりと歩き出す。ローブの女の言葉が漏れる。男の知らない言語だが、そんなことを気にはしていなかった。
―― The weird sisters, hand in hand,
―― Posters of the sea and land,
―― Thus do go about, about:
ふらふらと揺れる頭。その耳朶に言葉が滑り込む。
―― Thrice to thine and thrice to mine
―― And thrice again, to make up nine.
女が笑う。
「
†
「くそっ! アイリス! アイリス! 目を覚ませ! おいっ!」
手を引いて飛び退いたが、より爆心地から近い位置にいたアイリスはもろに余波を喰らってしまった。じんわりと服に血が滲んでいる。風の魔導で裂かれたのだろうか。だがあの反応はまともな魔法じゃなかった。
「……いい気味だ。いい気味だよ」
「魔導師……じゃないな。その魔力は封魔結晶由来、それも特級か」
爆心地に立っている男の目は虚ろだ。先ほどアイリスが宝石のまがい物だと見抜いて大恥を掻かされた商人、確か名前は、アストン。
「ほー。そうなのか」
「生憎、そういうのに詳しい友人が多いんだ。――――死ぬぞ、お前」
「それがどうした。どっちにしろ俺は仕舞いだ。……お前らも一緒に地獄に落ちてくれよ。ガキ二人」
「っ!
ほぼ反射で魔導を発動。飛んできた攻撃をなんとか反らす。
(重たい……! これは魔力
魔力に晒された皮膚、とくに手のひらがチリチリと痛い。火傷のような感覚。
「……なるほど、高濃度の魔力で皮膚が溶けるって寸法か」
高出力の魔導を無茶に使うと人間の方が耐えられない。そしてその影響範囲は術者に限らない。実際アオ・ポーレットは無茶な魔法で片腕を吹き飛ばしたという。魔力に触れた皮膚がやられてしまうとこんなことになるのだ。
つまり、アイリスはそれを真正面から喰らってしまった。
「あん? 今ので潰せたと思ったんだけどな。まあいいか」
アストンは頭をゆらゆらと振りながら笑う。傷みを感じている様子はない。恐らく彼は身体に魔力をとおしていない。首元の封魔結晶から直接正面に魔力を放射している。
「どうした? 命乞いなら聞いてやらんでもないぞ」
「聞く気のない奴に乞うてどうする」
「聞くかもしれないぞ」
ヘラヘラとアストンが笑う。直後にもう一度攻撃が飛んでくる。もう一度魔法で防ぐ。ごっそりと魔力を持って行かれた。次は受けきれない。今回もギリギリだ。氷で腕をくるんで受け止めようとしたが、それでも手が焼けたように痛い。
(アイリスを抱えて逃げるのが正解だ。周囲の被害を無視すれば、逃げるだけなら、多分できる)
いまこのオーストレスにはバードン教官も滞在していて、これだけの騒動で魔力をこれほどまき散らせば飛んできてくれるだろう。なによりここは親友アオ・ポーレットの母親であり王国第八位の魔導師、『鉄血』のレナ・ポーレットの領地だ。時間さえ稼げればきっとなんとななる。
封魔結晶、特に大量の魔力が詰め込まれた結晶は、魔力の底上げが可能だし、原始的に魔力を放出するだけでこれだけの被害を巻き起こせる。これから距離を取ったところで、誰も責めないだろう。
「だが」
拳を固める。その痛みで顔を上げた。
(……それに甘えて逃げ出したと知られたら、父上にブチ殺されるな)
そっちの方がよっぽど恐ろしい未来だ。
「命乞いをするのは貴様だ。デリス・アストン」
それに、正直癪だった。おいしいところはずっとアオがさらっていく。彼は友として頼れる奴だし愉快な奴だが、そればっかりだと面白くない。
俺は、お前の添え物じゃねぇんだぞ。アオ・ポーレット。
「俺はホランド伯爵ストラングウェイズ家が長男! イルチェスター男爵アーノルド・ストラングウェイズ! そんな借り物の攻撃で、ホランドの血の盾が破れると思うなっ!」
「そうか。……では、死ね」
魔力の壁が迫ってくる。それでも条件は有利だ。
ストラングウェイズの一族は代々水属性の魔法を得意としている。水属性は人体にも広く作用するものであり、実際それは人間に多量の水分が含まれていることからも自明である。その『水分』とは何か――――――――当然、血である。
「
自らの血を媒介に、氷の盾を生成する。地面の土や草の根も氷に混じり、汚れた盾が立ち上がる。だが、その
「ちぇえええええい!」
ドッ! と重たい音がする。それでも見かけ上はそれだけだった。なんとかその場で耐える。
「ほう?」
そこからは立て続けに攻撃が入る。皮膚が削られるような、溶けるような痛みはない。それでも魔力が一気に削られていく。
リコッタ閣下のような魔力量もなければ、アオのような突飛な技術もない。アイリスのような努力の累積もない。同期の三人に比べると才能が劣ることぐらいわかっている。そして、その三人がさらに上へ狙いを定めていることも。
限界はこのあたりなのかもしれない。同期たちはその遙か高くまで飛ぶだろう。そう感じてしまうことがある。それでも、三人は対等に接してくれた。
そこに同情や憐憫が入ることを、許すわけにはいかない。そこに上下はあってほしくない。それを許すような事象を許す訳にはいかない。
これは、意地だ。誰よりもわかっている。痩せ我慢でしかない。矮小な、そして、それでも捨てることを許せなかった小さな矜恃。
「――――――――負けて、たまるかっ! 俺は! アーノルド・ストラングウェイズだ!」
叫ぶ。魔力が回復するわけではない。それでも少しだけ耐えられる時間が延びる気がする。
魔力の奔流で血の盾が割れる。即座に再生成。二枚目。失血量と魔力量からして、出せるのは後二枚だろう。一枚かもしれない。それでも、ここで引いたらこの射線に気絶したアイリスが取り残される。
それだけは、駄目だ。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
三枚目。一瞬足下が揺らいだ。たたらを踏むほどじゃない。それでも限界が近い。
それでも。
「死なせて――――――――」
四枚目。強度がもう出ない。すぐにひびが入る。
「――――――――たまるかぁあああああああ!」
盾が、砕ける。あとはこの身体一つ。どこまで、保つか。この奔流に身体を晒せばどうなるか、わからないほど馬鹿ではない。生身の肉体が削りきられるまでにどれだけの時間がかかるだろう。それでも、ここで倒れるわけには。
覚悟を決める。あとはそれに殉じるだけだ。
「
凜とした声が滑り込む。
砕けた盾のすぐ後ろに光の膜が張られている。淡い赤色に光る半透明の膜。この光の盾は、授業で何度も見た。
「バードン教官……っ!」
「アーノルド君、アイリスさんをよくここまで守りました。仕上げは先生達にお任せください」
シャルロット・バードン教官が飛び込んできていた。ここに立てるということは、この魔力の帯を飛び込んでいる。それなのに怪我はおろか、着衣の一つも乱れていない。
「気持ちの悪い魔力もこれだけあると厄介ですが……先生達なら大丈夫です。それに
光の膜が展開して、箱のような形になる。空気が圧縮されるような強烈な風の音がして、魔力が一気に吸われる。
「さっき使っていた盾の魔法、後でアーノルド君向けにきちんとアレンジしましょうね。……それよりもまずは、あの方に謝ってもらいましょう」
教官が魔力が詰まった結界を握りつぶすように消す。
「……へぇ」
「さて、あなたが犯人ですね。その明らかに危ない封魔結晶が魔導の出力元ですか」
「だったら?」
「こんな危ないことをしたんですから、せめてごめんなさいぐらいは言いましょうよ。ほら、きちんと頭を下げなさい」
教官が真面目にそう言う。まるで子どもに言い聞かせるような静かな言葉だった。
「誰が」
「私は頭を下げなさいと言ったんですよ?」
ドン! と強烈な音と共に、男の身体が地面に崩れ落ちる。
「な……あん?」
「教官、なにを……というより、いつ詠唱を……?」
「発動用詠唱は別に『それがそれとわかるようにしなきゃいけない』なんてルールはない。これだって立派な難読化です。
教官は静かに前へ踏み出す。
「ほら、きちんと口を開けておかないと、減圧したときに大変ですよ」
「ふざ、けんな」
「ふざけるなはこちらの台詞です。どんな事情があるのかは知りませんけど、私の教え子にこんな無茶をさせておいてお咎めなしで済むわけないじゃないですか」
「何なんだ、お前は……」
「ただの先生ですよ。ほんの少しだけ魔導術が得意なだけの先生です」
教官が手袋をはめるのが見える。
「あまり戦闘向きの適正じゃないし、戦場に出るような度胸のないから先生になったし、王立学院にいてもあんまり陛下への忠誠とかそういうのはないんですけどね。それでも、教え子が殺されかけて黙っているほど腐っちゃいないんです」
そう言いきって教官はアストンを見下ろす。
「覚悟無く魔導術に手を出したなら引き返しなさい。その封魔結晶は臨界が近い。今度こそあなたがその魔力に喰われますよ。封魔結晶を放しなさい」
「どいつもこいつも……俺を、見下すなぁああああああ!」
封魔結晶からの出力が跳ね上がる。それでも教官は顔色一つ変えなかった。
「見下されたくないのであれば、それ相応の応対を覚えましょうね」
手袋に描画された魔導陣が光る。直後、その男の周りに土埃が立った。
「ぐあああああああああああ!」
「今度は口を閉じた方がいいですよ。土で口の中切っちゃいます。あ、でも事情を聞くためにも喉と口と肺はきっちり治してあげますから、安心してくださいね」
教官はいつも通りの口調、いつも通りのトーンだ。だがそれが彼女の怒りを何より如実に表していた。
「くそっ……」
「そう簡単に死ねると思わないことです。その封魔結晶がどこから来たのか、魔導師とも呼べないあなたがなぜ持っているのか。どんな理由でこの子達に手を出したのか。話してもらいます」
「亜人風情……がっ!?」
「もう一度言います。封魔結晶を放しなさい。これ以上は本当に命の保証ができませんよ」
教官はそう淡々と告げる。それでも、そこにはどこか諦めに近い感情が滲む。
「ふざける――――――な?」
パキン、という小さな音がして、男の頸が吹き飛ぶ。教官が飛び退く。
「……やはりこうなっちゃいますか」
頸から上がなくなった死体がゆらりと立ち上がる。魔力の塊がその傷口を塞ぎ、そのまま異形の姿へと無理やり変えていく。
「あんな危ないクマさんがいきなり飛びだす訳です。……『だれ』なのか『なに』なのかはわかりませんが、この魔力を無理やり喰わせましたね」
グロテスクに形が変わっていく。肉が内側から引き延ばされるように膨れ、四つ足へ。
「ラピィさん、来てますか? アイリスさんをつれて下がってください。リコッタさんの治癒魔法ならアイリスさんの対処ができます」
「命令権はないはずぴょん」
路地裏から出てくる首狩りウサギのラピィがそうぼやく。
「リコッタさんに泣かれたらハリエットさんから半殺しにされちゃいますよ」
「おっと」
「アーノルド君、もう少し頑張れる? アイリスさんの護衛を頼みます」
「もちろんです」
「お願いね。こっちの後始末はやっとくから」
指示を出していく教官。ラピィがアイリスを担ぐ。
「臨界ぎりっぎりの封魔結晶の再封印なんて初めてだし、明らかに神話時代からの意志持ちなんだけど。なんとかしないとね」
明らかに危ない封魔結晶。それをなんとか落ち着かせなければいけない。
「……早く来てくださいよ。ホックリー先輩」
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