朝っぱらから怒られている愛がいた。怒られているというか注意されているというか、呆れられているというか、よくわからない状況だった。
「愛様、何度言ったらご理解なさるのですか」
「理解はしているが、納得はいかんぞシマエナガ」
シマエナガと呼ばれた黒スーツに身を包んだ女性は主人である愛に説教をしていた。
そんなエナがなぜ主人たる愛に苦しくも説教をしているのかというと愛が正体を隠してそこら辺の住宅地やカフェ、質屋など歩き回っているからである。
「愛様が合図を出せばいつでもお車の準備が出来ます」
「歩いたほうが健康に良いだろ」
「愛様が合図を出せばお会計も我々がいたします」
「正体バレるから却下で」
「万が一誘拐などされたらどうなさるおつもりですか?」
「その時は合図出すからいいや」
聞く耳すら持たない主がここにいた。それとは逆に、弦巻家の歴史や財閥として契約している会社などを挙げながら愛の父親の名前まで出して、弦巻家での男子がどれだけ大事か語り尽くす従者。
「分かった、分かった」
「分かってないでしょう!?」
「そこまでしつこく言われれば俺も適当になってくる。シマエナガ、いっそのこと勝負しないか?」
「弦巻家の長男が賭け事など言語道断です」
「それは学生でもそうだろ……」
そう言って、咳を一つ払うと愛は勝負の内容を伝えた。
──俺とデートしろ
勿論また口論になったのは言うまでもなかった。
☆
「そんなわけで今大事な試合中なのだ」
「とりあえず愛さんにはお仕置きかな?」
「小娘、愛様に手出しはさせんぞ」
「お願いだから静かにしてくれ」
勝負の内容としては愛がよく行くお店にエナを招待して、どれだけ自分のしている事に価値があるかを見てもらう事であった。最初に来たのは勿論羽沢珈琲店。
自分の想い人が入り口から女性を連れて来た挙句デートという言葉を口にしたせいで一瞬ヤンデレ化しかけたつぐみは相変わらず無茶苦茶な案を出した愛に恋という名の怒りを露わにした。
「ほら、シマエナガ飲んで見てくれ」
エナは愛が贔屓にしているコーヒーの説明を彼から聞きながら渋々カップに口をつける。正直美味しい。ただの喫茶店で出しているコーヒーではないと分かった。
だが、それを言うのも先ほど敵対していた物として恥ずかしいので、そこそこだと付けておいた。
「美味いってさ、良かったなつぐみさん」
「愛様、私はその様なことは……」
「お前さん不味い時は全力でキレるじゃん」
事実である。弦巻家を追い出されたシェフがいたのだが、その時シェフの料理に対してブチ切れた挙句不味いと一喝して全力で追い返した話があった。若気の至りだと彼女は言うが、こう見えて愛と5歳ほどしか違わないのである。
「ま、まぁ、悪くはないと思いますよ」
「ありがとう……ございます」
「つぐみさんパンケーキ食べたい」
正直エナとつぐみはコーヒーのくだりより、そこで堂々とくつろいでコーヒーを飲みながらパンケーキを待っている坊ちゃんをどうにかするのが先ではと改めて思ったのだった。
☆
「そういえば、何故羽沢様だけ愛様の事を知っていられるのですか?」
「お忍びでコーヒーとパンケーキ食べて会計したら、ブラックカード財布から落ちてバレた」
バカじゃないのかと言う言葉をどうにか飲み込み、左様ですかと言い切った。愛曰く、Afterglowにはバレそうだが何故かバレてないらしい。
高校は違ってもガールズバンド経由でバレるのかと思ったが、つぐみを筆頭に花音や美咲辺りが誤魔化してくれていると聞いた。高校でこころが兄いますよ発言をしたことはあるが、花咲川の異次元と呼ばれている破天荒の言う言葉を信じる人は正直少ない。
「ポピパは分からないけど、なんとか誤魔化してくれてるんだよな……有咲さん」
「ああ……たまに香澄が危ないけどな……って言うか」
──なんでまた私の家でお茶を飲んでいるんだ!
そう大声で叫んだ少女こそ、Poppin'partyのキーボード兼愛の正体を知っても誤魔化している人。市ヶ谷有咲その人である。
「いや、伝えた事情通りだが」
「だからって黒服さん連れてくるなよ!? びっくりするだろ!」
「市ヶ谷様ご安心を、愛様に手を出さなければ殺しはしません」
「何も安心できねぇ!」
乱暴な言葉を使いながらまともな事を言う有咲を見つめると愛は彼女が出してくれたお茶を啜っていた。饅頭を手に取って一口食べながら美味しいと頬を緩める。
因みに愛が有咲に渡したお土産は有名な煎餅だったのだが有咲が食べるのには勿体のと愛のリクエストで甘い物である饅頭を出す事にしたのだ。
「というかえっと……嶋長さん?」
「なんでしょう市ヶ谷様」
「なんで愛さんとくつろいでるん……ですか?」
「ツッコミを放棄したからです」
「いや、従者仕事しろよ」
「饅頭美味いな」
「お前はもう少し自分の立場を気にしろよ!?」
弦巻家次期当主である愛本人だけでもツッコミが追いつかないのにその従者も一緒となると色々カオスだった。それでもお互いに正座して両手でお茶を飲む光景を見ると、本当に財閥の人間だろうかと疑う有咲である。
「そういえば羽沢様から伺ったのですが、中学の時からあの珈琲店に入り浸っていた様ですね」
「え? 羽沢さんと知り合いなのか?」
「中学の時つぐみさんの店で彼女のコーヒーとパンケーキを飲んでからAfterglowのファンだ」
「Afterglow関係ないだろそれ……」
有咲のツッコミに対して笑いながらお茶を啜り、Afterglow達との関係を少しばかり語る愛。いざこざとか仲の良さとか1から10まで楽しそうに語る姿を見ると相当肩入れをしているなと有咲やエナは思った。
こころのバンドは良いのかと聞くと、あいつには沢山友達がいるから寂しくないだろと愛は伝えた。
「今度ポピパの曲も聞かせてくれ、Afterglowとはまた違う音が聞こえるのだろう?」
「まぁ、お前がライブハウスごときに来られたら演奏してやるよ」
「知り合いや友達のためなら何処へでも忍んで行ってやるさ」
「私の前でそれを言いますか……」
絶対という言葉を付け足してはっきりとお忍びで行くと堂々宣言をした愛に対して、呆れる有咲とエナ。それでも有咲は嬉しかったし、エナも少しだけだが、愛がここまでガールズバンドの少女達と仲良く楽しく過ごしている事に対して微笑ましくなってしまった。
その後、愛のお忍びをたまにならという条件付きで許す事になったのは、エナと愛が真剣に話し合った証拠である。
「つぐみさん、お前さんが作ってくれるいつものコーヒーとパンケーキ頼みたい」
「お願いですからじょうけんつきでも一週間連続でこんな所にわざわざ来ないでください!!」
結局つぐみが作ってくれるコーヒーとパンケーキが食べたくなった愛がいつもの様にほぼ毎日羽沢珈琲店に通い妻ならぬ通い夫をするのは3日も経たないお話。