「よっと」
硬い足場の上へと着地しつつ引きずり込んだユウキを解放する。横の床の上でユウキが顔面衝突し、恨めし気な視線を向けているが、師匠は何事においても偉大なので許されると勝手に判断する。それはともかく、感覚を最大にしつつ視線を周りへと向ける。
目に映るのは近代的なオフィスの様な空間だった。いや、少し違う。近未来的な、流線形のデザインが多い白いオフィス空間、と言った方が正しいかもしれない。ただ生活感は一切ない。デスクらしき場所も、テーブルらしき場所にも人の触った痕跡と言うものが一目で存在しないのが解る。それに気配を探知しても、そこに一切の人の気配を感じられない。故にここは完全な無人である。そう判断しようとした次の瞬間、
何かが動き出す様に感じる。
「ユウキ」
「―――」
指示を出した瞬間にユウキが滑るように動く。滑るような出だしからそのまま跳躍し、逆さまに四つん這いになる様に天井に張り付く。そのまま逆さまに天井を疾走し、部屋の隅へと到達する。そこで部屋の天井、その隅から飛び出してくるギミック―――セントリーガンの様なものを出現と同時に既に取り出しているスペアの剣で切り裂き、根元から跳ね飛ばす。その隙に部屋の残りの三隅でセントリーガンが姿を見せる。その銃口がユウキへとではなく、俺へと向けられているのを認識しつつも対処の為に体は動かさず、そのまま口だけ開く。
「お前の力だけで成せ」
返答する事もなく、ユウキが動く。既に左手の中にはナイフが二本が握られており、それが投擲動作に入っていた。そしてそれと同時に刃を握る右手は後ろへ、斬撃を放つ為の体勢に入っている。このまま動き出しても普通はそのまま下へと、天井から床へと落ちてしまう。だから実に簡単な話で、
下へと向かう力よりも横へ進む力が強ければいいのだ。
それを成すのが歩法、縮地となる。
故にユウキの動きは始まった瞬間には完了している。投擲はありえない速度で加速し、セントリーガンに届いている。そしてユウキの体もまた、セントリーガンに届いている。そこでやることは実にシンプルに敵を、物体を斬るだけの事。ナイフの着弾と同時に剣を振るったユウキが四隅のセントリーガン全てを破壊し終わりながら床の上へと回転し、着地する。その姿を見て、
「及第点だな」
「えー」
「えーじゃありません。練習が足りない。お前にはもう俺がいつ死んでも良い様に座学で必要な知識は全部教え終わったし、実戦で俺が出来る事とやり方だけは教えた。後はそれを延々と繰り返すだけなんだからもっと頑張れよ」
「も、もっと時間をください」
「おう、八年は待ってやる」
「凄い具体的な数字でたなぁ」
大体それぐらいだろうしなぁ、と呟きながらポケットからダイスを取り出し、それを背後の≪穴≫へと向けて放り投げる。ダイスが≪穴≫の向こう側へと消えた数秒後、ニンジャを先頭にほかの面子がこの中へと入ってくる。入ってきた全員が部屋へと侵入すると辺りを見回し、そしてシノンが最初に呟く。
「……なんか研究室みたいね」
「実際そうなのかもしれないな。稼働している端末は……一台だけか。出来る限りサルベージしてみよう」
ヒースクリフが唯一稼働しているらしきコンピューターの前に座る―――正直な話、どれが稼働していてどれが稼働していない、という区別は自分にはつかない。ただヒースクリフがそれを見てわかる辺り、さすが天下の茅場晶彦、と言った所なのだろう。その間にほかにできる事がないのか、部屋の中に視線を回し、そしてセントリーガンへと視線を向ける。パーツを回収して此方で再利用できるかもしれないし、今のうちに回収しておくのも悪くはない。
そう思って視線を向けるが、
そこにはもう、セントリーガンの姿はなかった。残るのはそれとは別の、散るポリゴンの姿だ。障害物を避けながら素早くポリゴンの地点へと移動し、その空間に到着し、片膝をつきながら床に触れる。
そこには何かが落下し、衝突したような形跡は存在しなかった。そういう落下の衝撃で発生する様な傷跡がないのだ。しかしユウキはセントリーガンをその根元から切り裂いた。だとしたら重力の法則に従い床に落ち、それでそこにセントリーガンが残る筈だが、この状況で推察できる事はそもそも”セントリーガンが床に届かずにポリゴンになった”という結果になる。
初期のソードアート・オンラインならばともかく、今の進化したソードアート・オンラインはカーディナルによる修正とアップデート、つまり進化作業が行われている。その進化作業はソードアート・オンラインを、アインクラッドをよりリアルな異世界へと近づける為の自動進化プログラムというべきものだ。そのおかげで殺したプレイヤーもエネミーも、死体や破壊したパーツが残る様になっている。未だに流体描写や流血、破損の描写に関しては電子的な部分が多く残る。
が、それでも死体は残る様になっているのだ。
それが発生していない。
「どうなってんだこれ」
「―――”カーディナルの法則外”という事だ」
声は後ろ、作業を続けるヒースクリフの方から来る。一定の成果を出したらしく、ヒースクリフは素早くタイピングしていたホロボードから離れ、ウィンドウを複数展開してからコンピューターから離れる。それに近づき、展開されている情報を懐から取り出したメモ帳にペンで書き込み始める。
「簡単に言えばここは開発室の一つにしか過ぎず、それも”末端の末端”だ。期待している様なスキルやアイテムはここにはない―――しかしソードアート・オンライン全体に関する情報に関しては眠っていた。それもカーディナルがアップデートで少しずつ世界を進化させている事に関して、だ」
ヒースクリフの言葉にシノンが質問する。
「えーと確かソードアート・オンラインは”茅場晶彦とラース”という二つのチームによって作成されたゲームなのよね」
シノンの言葉にヒースクリフが頷く。
「アーガスのSAO開発チームは大きく分けて二つ存在していた。世界観やシステムを担当する茅場晶彦チーム、そしてアーガスが抱えるスタッフとは別の外から呼び込んで協力してもらったチームであり、AIに関する技術に関しては世界一、と業界の中で言われている会社で、これがラースチームだ。ちなみに言えばSAOを管理、そして運営しているカーディナルは”茅場晶彦とラースの合作ではあるが、その全ては把握できていない”となっている」
「待てよ、それはどういう事だ」
Pohの声が割り込み、ヒースクリフがホロウィンドウを操作しながら、参考資料をサルベージしたのか、それを見せる。そこにはカーディナルの仕様に関して書かれた報告書、あるいはレポートが書かれている。
「つまり茅場晶彦も、ラースも、あえてカーディナルに不確定要素を作った。一つ目、それはカーディナルの自己診断自己進化プログラム。自動的に自分の使命に沿った最適化を自分に施し、それによって世界そのものをアップデートするシステムだ。そして二つ目、”フラクトライト”のカーディナルへの投入だった」
聞きなれない単語だった。ユウキが首を傾げるが、それを見てヒースクリフが知らなくてもしょうがない話だという。資料を確認していたPohが言葉を零す。
「フラクトライト―――人間の魂、ってやつか」
「らしいな。眉唾物ではあるがそれをカーディナルへと搭載し、カーディナルに運用させているらしい……まぁ、フラクトライトに関してはこれ以上ここにはないから諦める他ないが、最後に面白いシステムに関して書かれていたぞ」
勿体ぶる様に時間をかけてヒースクリフは言った、
「―――心意システム」
◆
「結局SAOに関する設定やらシステムやらに関する話はサルベージ出来ても根本的に問題の解決につながる様な情報は一切なしか、そりゃあ割と悲しくなる話だな。割と使い潰してるんだけどな。今回は」
「まぁ、この部屋に関しては大本から隔離されている小部屋の類らしいからね。それはそれで仕方がないだろう。寧ろ情報としてこれだけ入手できたのだから成果としては良い方なんではないか? 少なくとも意味不明な仕様について悩む必要はなくなったわけだし」
「良く言うぜ……しかし、≪ホロウ・エリア≫か」
「あぁ、管理室はここではなかったからアクセスは出来ないが、アクセスできれば間違いなく元々想定していたようなスキルやアイテムの習得は得られるだろう」
部屋の隅、他の集団から離れ、尚且つ唇を見られない様にヒースクリフと話す。視線をヒースクリフへと向けたまま、口を開く。
「お前、それで本当に良いのか?」
その言葉にヒースクリフが小さく笑みを零し、肩に手を置いてから横を抜ける様に≪穴≫へと向かって歩いて行く。
「君らしくもない言葉だな。私はヒースクリフ―――≪血盟騎士団≫のリーダーであり、そしてこの世界からプレイヤー達の解放を望む男だ。その為であれば私は最善を尽くす。まぁ、その間に個人的に未知を求める欲求を満たせればそれで充分すぎるのだがね。それよりも君は少々自分の発言を振り返るべきじゃないのかね?」
ヒースクリフが歩き去りながら言う。
「最近の君は少々死亡フラグを立てすぎだ」
「言う様になったなぁ……」
笑いながら去って行くヒースクリフの背中を見送る。最初の頃はもうちょっと堅物、というか融通の利かない男だったが、それも大分人間らしくなってきている。まぁ、それだけ今のアインクラッドに茅場晶彦ではなくヒースクリフとして馴染んできているという事なのだろう。
何より心意システムやフラクトライトを利用したカーディナルの進化は茅場晶彦の予想を超えているらしい。
彼は今、この瞬間の未知を全力で楽しんでいるのだろう。実に羨ましい事だ。
まあ、死亡フラグを立てる、と言うよりも、
―――死に対して備えるのは習性の様なものだ。
常にいつ死んでも良い状態であっても良い様に意識する事で、死ぬその時に後悔を生まないというだけの話だ。
「ま、くだらない考えだな。さっさと帰るか」
≪穴≫のそばでユウキが手を振っている。そうだ、さっさと帰ってまたユウキをいじめて遊ぶか、なんてことを考えた瞬間、
開発室が変質する。
「―――!?」
誰が一番最初に反応したのか何てことは関係なく、全員がほぼ同時に反応し、陣形を作る。ニンジャが姿をけし、ヒースクリフがシノンを守る様に立ち、そしてユウキとPohが警戒する様に背中を合わせ、死角を潰す。それに合わせる様に此方も刀を抜き、警戒心を最大に立つ。
そんな状況の中で、周りの風景は変化して行く。
白いオフィス風の風景は黒い宝石のような足場と壁に。もっと広く、そしてもっと暗い空間へと変貌して行く。そこに電気も炎の光もなく、まるで深海の底の暗さへと空間が沈んで行っていた。そこに光を点ける訳でもなく、じっと備える様に不動のまま、動かずに変化に耐える。
あの部屋はカーディナルの干渉外の部屋であった。
故に、この変化は正規のものではない。
―――カーディナルと茅場晶彦以外の存在からの干渉だ。
「―――」
変化が完了し、空間が完全に暗闇に閉ざされる。しかし光を点ける為にはまだ動けない。この変化が攻撃行為である事は理解していた。そして変化する最中に視線を向けられている事にも理解はしていた。故に隙を見せる事は出来ない。闇である事よりも光源を確保する為に動く方が遥かに危険だからだ。
……気配が探れねぇな……。
ニンジャ以外の味方の気配は感じ取れる。だが肝心の敵の気配が感じ取れない。この空間に、確かに存在しているとは理解できる。しかし、まるでニンジャの様に完全に気配を消失させていた。故に掴めない。どこにいるのかもわからない。厄介な相手が出てきたものだ、と一切油断も慢心する事もなく構え、
―――そしてニンジャの気配を感じた。
「!?」
それも出現した、のではなく無理やり引きずり出されたという類の出現の仕方だ―――衝撃によって。音が空間に満ちる。打撃、そして衝撃の音だ。高速で物体が空を切り、そして飛んで行く聞きなれた音だが、その対象がニンジャであるという事は気配と音、そしてその空気の揺れの重量からしてまず間違いがない。しかしそれは同時に隠形中のニンジャをその隠形から剥がし、なぐりとばすか何かの攻撃を加えたという事実に間違いがない。
「総員撤退―――」
「―――駄目、ここも≪結晶無効化空間≫になってる!」
「っち」
闇に隠れている事のアドバンテージが相手の方に有利になっている為、潜む理由がなくなった。コートの内側からオイルボトルを取り出し、それを投げ上げながら素早く片手をコートのポケットに手を戻し、右手で握る刀でオイルボトルを両断しつつ左手でマッチを取り出し、片手で着火してオイルに引火させる。
爆発する様な衝撃と閃光と共に炎が発生し、暗い部屋を一瞬で満たす。
そこに、闇に紛れ込んでいた存在がシノンの背後に浮かび上がる。
「フゥ―――」
全身を闇に包み、男か女かさえも判別の出来ない両手剣を握った人型の存在はシノンの背後から一撃で殺す様に刃を振り下ろしてくる。その行動に割り込む様にヒースクリフが一瞬で自身とシノンの居場所を入れ替える。その動作で同時に盾を前にだし、相手の奇襲を盾で受け流そうとする。
その瞬間、相手の動きが変わる。
ヒースクリフの呼吸に合わせ、行動に割り込み、握る両手剣の軌道を引きもどして修正した。
「―――なんと!?」
ヒースクリフの呼吸に合わせての割り込み―――カリキュレイトを行ったのだ、この存在は。そしてヒースクリフが発生させるであろう完璧なタイミングを意図的に外し、衝撃を完全に受け止めさせる形で叩き込み、ヒースクリフをひるませる。
その瞬間、Pohとユウキが動きに到達する。一瞬で到達する二人が背後から首、そして心臓をめがけて刃を振るい、突き刺す。
それが首に食い込み、心臓を貫く。
だが相手はまるでダメージが無いかのように振る舞う。
動けないヒースクリフ、攻撃した瞬間のPohとユウキ、その硬直の瞬間を自分から合わせ、そして纏めて薙ぎ払う様に攻撃する。その攻撃を三人が体で受け、三方向へと吹き飛ぶ。その瞬間、相手が硬直したのに合わせて一息で踏み込む。刃を滑らせ、一撃で必殺せずに横へ抜けながらシノンを蹴り飛ばし、逃げる為の距離を与えながら斬りかかる。
「―――!」
「……」
視線を向けられる。瞳を覗き込まれる。動きが早い。まるでマリオネットの人形かの様に人体構造の硬直を無視し、動く。故に刹那に叩きこむ五連続の刃は空振りつつも、体の闇を削ぐ結果にしか至らず、その正体を明かす程度に効果を弱められる。
それは、紫色の髪をした、女の姿だった。
ただ目には一切の光が存在せず、明らかに正気を持っていない、と言うのが解る。
「てめ―――」
避けられるのは想定外ではあったが未経験ではない。故にそのまま刃を連続で繋げて行く。回避された動作から繋げる様に刃を返し、払い、そして袈裟切りへとつなげるのを相手は正面から受け止める様にぶつかって行く。刃が相手の体を抉り、切り裂き、そして、
食い込む。
刃が女のその豊満な胸に、そして体に食い込み、そしてまるで手で押さえられているかの余殃に動かなくなる。おそらく筋肉を使って抑え込んでいるのだろう。ただでさえ胸は厚く、斬りにくいのだから。しかし、それも仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。この相手は、
自分から胸に刃が食い込む様に動いたのだから。
こいつは、伝送世界、電脳空間、ソードアート・オンラインの法則での戦いを熟知している。
リアルであれば絶対死ぬ様な方法だが、この世界であればダメージ程度で済む戦い方。
骨の髄まで一撃必殺の戦い方を現実つぃて教え込まれている俺には、絶対取ることが出来ない戦い方。
一秒にも満たない奇襲から刀を封じられるまでの攻防、一番最初に叩き飛ばされたニンジャが復帰するまでおそらくかかる時間はコンマ三秒。それまで凌ぐためにも刀から手を放そうとし、相手の片手が此方の左手を掴んでいるのを理解する。その右手は両手剣を片手で持ち上げており、既に振るう動作に入っていた。
呼吸を掻い潜る動き。正確に相手を見つけ出し把握する能力。相手の次の動きを予測して崩す動き。そして確実に殺す為に斬る能力。
それはまるでここにいる超越者プレイヤー達の、長所や特技を寄せ集めた様な動きだった。
そして今、振るわれる両手剣も間違いなく自分の技術が―――呼吸を斬る斬撃を持って放たれていた。
そのタイミングも何もかもが完璧であり、完成されていると言って良い動き。
一切の躊躇もなく、死が振りぬかれた。
真・守護者参上。しかし紫髪巨乳とか一体どこのナントカレアちゃんなんだろうか……。
というわけで全ての元凶はラースさんでした。全部ラースが悪い。アリシの関連の実験こっそりSAOでやったら超捗るんじゃね? とか言った馬鹿が戦犯という事で。あぁ、それもラースってやつの仕業なんだ。
なおウキウキ気分でスキップしつつカーディナルにブラックボックス乗せまくった戦犯が茅場くんです。
キチガイに負けず、アインクラッドもウルトラハードになって行くよ!