──世界が変わってから、3年。
その間、彼女を始めとして、切り替わった世界に順応し、新しい世界で生きていく事を受け入れた者たちの中で、これまでになかった……というより、ついにとも言うべき変化が表れ始めていた。
たとえば、ストアにて『家』を購入する者が現れ始めた……ということ。
これまで、住居に関しては後回しにしている者が多かった。
理由は、以前の世界とは違い、今の世界では家賃等は存在せず、土地の持ち主といった法律も無効になっているからだ。
それでもなお、『家』を購入しようとする者が現れ始めたのは……ひとえに、嫌がらせをする者が増えていたから。
それは、種族変更を終えて、生活にゆとりが出て来てる者たち全般に対するやつ当たりであった。
そう、実は世界が変わってからの3年間の間に、人々の間には有る種の明暗というか、違いが生じるようになっていた。
『明』の方は、言うまでもなく彼女含む、積極的にダンジョン攻略に勤しんでは『ストア』にて自らを、あるいは日々の生活を向上させていっている者たちだ。
彼ら彼女らにとって、従来の通貨による買い物はもう、ある種のボランティア……施しの意味合い以上のモノではなくなっていた。
以前からその傾向にはあったが、3年の月日が経った現在では、以前よりも明らかに通貨を使用する者が減っていた。
なんでかって、『ストア』に比べてとにかく不便であり質が悪いからだ。
『ストア』で購入できる商品などは、常に品質が良い。
人の手が入っておらず、嫌がらせなどで異物等が混入する心配も、いわゆるハズレを引く可能性を考慮しなくてもいい。
対して、人の手を介する必要があるこれまでの販売では、どうしても不特定多数の手が入ったり、温度管理によるロスが発生する分、質が落ちやすい。
人間……いや、今はもう人間ではなくなった者は多いけど、とにかく、人間というのは良くも悪くも慣れてしまう生き物だ。
最初の頃は『ストア』に対してどこか拭えない警戒心と不信感を抱いていた人たちも、周りの反応や、使用回数が増えるに連れて、徐々に薄れてゆく。
──あれ? 『ストア』って、思っていたよりも……。
と、いった具合で、曖昧だった嫌悪感も、『ストア』の使用に慣れてゆけば……後はもう、坂を転がり落ちるかのように早かった。
最初は両方を使って生活していた者も、種族変更を行って以前よりもダンジョン攻略がはかどるようになり、コインを得る量が増えれば……そうなってしまうのは、必然である。
……。
……。
…………対して、『暗』の方は……有り体に言えば、悲惨である。
『暗』になってしまった者の理由は、様々だ。
世界が変わる前は絶対的な権力を持ち、人ひとりなんぞ何時でも社会的に容易く殺せる事が可能だった……そういう立場だった者ほど、耐えきれなかった。
なにせ、昨日まであごで使っていた者たちと同じ立場になったのだ。
学歴も、資産も、社会的地位も、人脈も、『世界』という絶対的な存在の前では等しく無力であり……自分たちが心の底では見下していた者たちと、同じ立場になった。
それに加えて、通貨の価値が、資産の価値が、新しくなった世界では、どんどん暴落の一途を辿った。
言うなれば、預金通帳の額が毎月、それはもう目を逸らせない勢いで減り続けるようなもので……年齢が高い者ほど、その事実を受け入れられず、心を病んで……1人、また1人、排除されていった。
その結果、世界が変わる前に富裕層だった者の中で……存命している割合は既に10%を切っていて、その内70%の者たちは精神を患い、カルマ値が危険な領域に入ろうとしていた。
──そう、これが、たった3年の出来事である。
3年……人類の歴史を考えたらあまりに微々たる時間だが、それでもこの3年という月日によって、人々の暮らしは様変わりしていた。
当初は数十年は掛かるだろうと思われていたが、想定をはるかに上回る速度で変化は進んでいた。
まず、食料品関係の値上がりはなんとか止まったが、とてもではないが富裕層でなければ生活できないぐらいの水準になっていた。
まあ、その富裕層も、排水溝に捨てて行くかのように減り続ける資産を見て、続々と精神を病んでいく者が……話を戻そう。
たとえば、食パン一袋。
世界が変わる前なら、メーカー品や品質の差があるけど、150円もあればどれか一つは買う事ができた。
しかし、それが今や一袋3000円近くもする。
当然、質は世界が変わる前に比べたらクレームが起こるぐらいに酷く、また、商店に並ぶのも不定期で……が、それでも、今では貴重である。
保存が利く缶詰食品は、需要は今もなお根強いけど、けして安くはない。むしろ、使っている道具や製造工程の問題から、これも食パンよりも値が張る。
しかし、それも時間の問題だ。
安全性が確保されている『ストア』のモノを買う者が増えているので、いずれは作れば作るほど赤字に陥ってしまう状況に……そうなれば、ただの希少品でしかなくなるだろう。
同様に、菓子(つまり、砂糖も)に関する食品の値段も値段が跳ね上がっている。
特に高いのが、チョコレートやミルク系の菓子食品だ。
なんでかって、カカオ豆はほぼ輸入でしか得られないうえに、牛などを育てるための餌や燃料費が跳ね上がっているからだ。
生鮮食品にいたっては、ほとんどの場合4桁円では買えないと思っていい。
問題なく食える程度に鮮度を維持したまま輸送するコストは、桁違いに跳ね上がっているからで……加えて、望めばすぐに手に入るモノでもなくなっていた。
しかし、日本は周囲を海に囲まれた島国……ならば、魚食品に関しては比較的安く買えるのでは……と、思えるかもしれないが、現実はそうではない。
理由は、国民に支給する武器防具……すなわち、『ダンジョン攻略』を行う者への支援費に消えるからだ。
この国では、余分な食料資源は全て外貨にして、武器防具を輸入したり、あるいは、武器防具を製造するための原材料を購入している。
当然ながら、反対する者はいない。いや、正確には、居なくなったから。
他には、様々な医療品だが……とにかく、加速度的に上昇し続けていた物価に落ち着きが見られたが、とはいえ、それは高止まりしただけの話であった。
ちなみに、酒やたばこといった嗜好品の値段も上がっているが……これに関しては、質がピンキリだったため、『暗』の者たちでも比較的購入することができた。
ただし、当然ながら人体への悪影響は世界が変わる前に流通していた者とは比べ物にならないぐらいに悪く……中には失明したり、酷い中毒症状を患って……という者が後を絶たなかった。
……。
……。
…………さて、話を今に戻そう。
あれから3年が経ち、種族変更を果たした者の割合は、以前により増していた。
もはや種族変更していないのは年齢的にまだダンジョン攻略が難しい者か、『
『自然主義』とは、その名の通り、種族変更を行わない、生まれたまま、『人のまま生きるのが本当の神が定めたことであり、それに従うのが人として正しい』という思想である。
実は、『暗』の者たちの中には、けっこうその思想に共感して種族変更を行わない者が多く、人間のままであることに強い誇りを抱いている者は多い。
当たり前だが、『世界』に対して全力で喧嘩を売っている思想である……が、今のところ、『世界』は見逃している。
何故ならば、『自然主義』の者たちは、役目は最低限果たしているからだ。
役目さえ果たしているなら、いちいち人間のやる事になんぞそこまで構うことはしない……という判断がなされているのだろう。
もちろん、それはあくまでも、今だけの話だ。
結局のところ、数の問題である。
全体的に見たら、『これら全部を切り捨てるの、ちょっともったいない?』という程度の話。
割合が変わってこれから先、『自然主義』が少数派になれば……その後は、言うまでもないだろう。
……で、だ。
これまで、色々と『暗』の部分を語ったけれども。
種族変更を拒否し続ける者たちが『自然主義』と自称するようになったのと同じく、『明』の者たちにも、『家』を買う以外の変化が表面化し始めていた。
──その看板を見た時、おやっと彼女は目を瞬かせた。
「こんなところにも、サキュバス屋が出来たのか」
それは、今どき珍しい……いや、違う。
珍しいというよりは、前の世界ではひっそりと目立たないようにしていた建物が、つい先日まで空き地だった場所にできていた。
いったい、なんの建物なのか……一言で述べるなら、『性風俗店』である。
建物の外観は、なんと言い表せば良いのか、赤いレンガの建物……といったぐらいで、それ以外にそこまで奇抜な特徴はない。
強いて挙げるなら、出入り口の上部に『サキュバス屋』というデザイン重視の文字が書かれた看板が取り付けられているぐらいだろうか。
「──いらっしゃい! どう? サービスするわよ?」
「こんにちは、そこのお姉さん。どう、一晩楽しんでいかない?」
「お食事も付いてますよ~! 今なら初回割引もありますよ~」
出入り口の傍には、様々な方向性を感じられる扇情的な恰好をした……種族変更を行った女性たちが立ち並び、道行く人々に対して明るく声を掛けている。
女性たちの顔ぶれに、共通点は薄い。
動物の特徴が出ている獣人系の女も居れば、人外の特徴はないけど身長が2m後半ぐらいある女も居るし、逆に身長が1m40有るか無いかの女も居た。
……いったい、この女たちは何者なのか?
彼女たちの恰好や客引きからして、だいたいの者は想像できると思うが……彼女たちは娼婦である。
ただし、ただの娼婦ではない。
彼女たちはカスタマイズを行うことで『サキュバス』の能力を後天的に得た、娼婦としてのスキルを重点的に習得した者たちである。
なんでそうしたのか……それはひとえに、ダンジョン攻略を恐れ、半ばドロップアウトしたからだ。
いちおう、完全に辞めているわけではない。
定期的に店の者たち全員と協力して攻略を行い、前線を走る者たちに比べたら微々たるものだが、貢献している。
でも、それが限界である。
限界に達してしまったからこそ、ならばと彼女たちが頭を捻らせて考えたのが、『サキュバス屋』である。
『サキュバス屋』は、その名前のとおり、性的サービスを行う店である。
なんで、そんな店が生まれたのか……それは、世界が変わった際の騒動が原因だ。
と、いうのも、だ。
現在の男女の関係は、取り返しがつかない溝が生じているといっても過言ではない。
積極的に嫌悪している者、消極的に嫌悪している者、当時の女性たちの心情も理解出来ると思っている者……色々とあるが、共通している認識が一つある。
それは──『いざという時、こいつらは俺たちを見捨てるだけでなく、後ろ足で砂を掛けていく』──という認識だ。
これはもう、どうしようもない事であった。所詮は、結果が全てである。
そして、その結果の果てに……女たちは、男たちからの信頼を失った。助けたところで、どうせこっちが困った時はまた見捨てる……そういう共通認識が芽生えてしまった。
それは、単純な話である。
世界が変わる前からも、弱い男は淘汰されていた。有事の際には、よほどの技能がなければ真っ先に切り捨てられてきた。
それは、歴史が証明していた。
しかし、世界が変わったことで……『ストア』によって、番である自分だけの愛妻を手に入れられることが可能になったことで致命的になった。
──つまり、男は女を助けなくなった。
もちろん、全ての男たちがそうなったわけではない。しかし、助けないのが主流派となってしまったのは事実であり。
女が男に襲われ──残念ながら、それを行った者はとっくに『排除』されてこの世界から消滅しているし、見捨てられた男たちの大半は同情すらしなかった。
何故ならば、彼らは実際にその身で味わったからだ。
ある者は大怪我を負い、ある者は命を落とした。そうでなくとも、ある者は父を、ある者は兄弟を、ある者は友人を目の前で失った。
それに対して、ならば女たちは何をするのか……その問いに、女たちは目を逸らし、無かったことにしただけでなく、声を上げた者を社会的に攻撃すらした。
その時の絶望、憤怒、憤り……とてもではないが、言葉では言い表せられないだろう。
……で、あるならば、当の女たちはどうしたか?
まず、女たちは三つのグループに分かれた。
一つは、男たちと同じく自らダンジョン攻略に向かう者。
二つ目は、モンスターとの戦いに怯えてしまい、違う方法を模索する者。
三つ目は、現実を受け入れられず、何時までも何時までも社会が、政府が、世界が悪いと、逃避した者。
この三つである。
この中で三つ目の者たちは、3年はおろか、その前の段階でこの世界から『排除』された。
なので、実質的には二つのグループだが……このうち、一つ目のグループが優勢だったのは、比較的初期の頃だけであった。
命を賭けた戦いなんて、男女関係なく経験した事がない者がほとんどで……男に比べて相対的に力が無い女たちは、モンスターとの戦いで負傷する者が多かった。
モンスターは、女だからと加減などしない。容赦なく首を捉えて噛みちぎり、突進で骨ごと臓腑を潰し殺す。
負傷したから戦えないとなれば、『排除』されるだけ。
なんとか購入した『ストア』の痛み止めなどを使ったりもしたが……それでも、精神的な限界を迎える者が続出した。
その結果……生き残りを模索した女たちの一部、その中のさらに一部は、自らの肉体をダンジョン攻略ではなく、攻略に勤しむ者たちに使う道を選んだ。
その者たちは、本当に分かっていたのだ。
もはや、泣いて訴えれば周りが動いてくれる世界ではない、と。これまで無視されてきた者たちと同じく、それが容赦なく自分の番になる世界なのだと。
──だから、動いた。ちなみに、ただ流されて娼婦になったわけではない。
動いた者たちは、現在の『女』がどのような立場に置かれているのかをちゃんと理解していた。
──自分は賛同していない。
──私なりに反対していた。
──声を上げたけれども。
そんな、あまりにも眠たい戯言なんぞ言える時期はとっくに過ぎ去っていることを、理解していた。
それゆえに、その者たちは……本気で、全力で、生き残るために娼婦となり、仲間を募って共同体となり、仲間内でのネットワークを維持するために相互扶助の組織を作った。
動いた者たちは、本気である。本気で生き残るために、自分たちが取れる手段を最大限に利用した。
それが、『サキュバス屋』の始まりであり、おおよそ1,2年の間に瞬く間に最大手といっても過言ではない、巨大売春組織となったわけである。
「──あ、そこのお姉さん! どう、ちょっと楽しんでく?」
「……所用があるので」
「そっか、それじゃあ気が向いたらよろしくね! はい、これ名刺!」
スッと、素早くかつ丁寧に差し出された名刺を反射的に受け取ってしまう。その時にはもう、女は手を振って……別の者へ呼び込みを行っていた。
……改めて言うが、『サキュバス屋』に所属する女たちは前述したとおり、ただの娼婦ではない。
『ストア』にて性関係のカスタマイズを集中的に行っているので、『自然主義』の女たちは当然のこと、ダンジョン攻略に全力を注いでいる女たちとは違う。
文字通り娼婦として、女体の格が違うのである。
そして、男たちが……いくら、『ストア』があるにしても、だ。
やはり、命の奪い合いによる精神的なストレス……負担は相当なもので……それが、子を残そうとする生存本能を暴走させてしまうのは、仕方がないことで。
『凹』に『凸』。
『陰』と『陽』。
最初の頃は敵対心と不信感の目で見ていた男たちも、内より湧き出る本能に抗えず……1人、また1人、利用する者が現れた。
そうなれば、後はもう早かった。
何事も、口だけの者は信用されない。
行動や結果を伴わなければ、100万の言葉を重ねたところで本当の意味では届かない。例外は、己にとって都合が良い場合だろうか……とにかく、だ。
セックスというのは、子供を作るための行為でもある。
だが、同時に、人間にとってセックスというのは、肌と肌を擦り合わせる濃密なコミュニケーションでもある。
当人が色ボケさえしていなければ、どれだけ取り繕ったところでバレる時はバレる。まあ、分かっていても色ボケしてしまうのが、セックスという行為なのだけれども。
……だからこそ、『サキュバス屋』はそこに目を付けたのである。
夢中にさせるわけではない。誰かの1番になるわけでもない。ただ、利用者たちに情を抱かせたら勝ち……そういう戦略を取った。
その結果、『サキュバス屋』は立場を得て、信用を得て、情を得た。
何か問題が起こった時、手を貸してやろう……そんな立ち位置になったのである。
(……すごいよな。ちょっと前は、女は敵だって豪語していた人も、『サキュバス屋』に対してはけっこう態度を軟化させているし……ここまでやりきる逞しさは、見習うべきだよなあ……)
これを、身体を売るしかない不幸な者たちだと捉えるか、それとも、生きるために躊躇なく己の身体を使って居場所を得た強者だと捉えるか……人によって、判断に迷うところだろうが。
(……とりあえず、見て見ぬふりをしておくか)
チラッと、知り合いの1人がちょっとデレデレした顔で腕を引かれている姿を、気付かないフリして通り過ぎるのも、マナーである。
まあ、うん、少なくとも、彼女の感覚では後者であった。
実際、嘆いたところで現実は変わらないし、ここでしくじれば、もう二度と関係が修復されない……そんな綱渡りをやり遂げたのだ。
彼女以外にも、『あそこまで徹底的だと、もう呆れる。あいつらは他とは違う』と認識している者は少しずつ増えてきていて……中には、無償で手を貸す者が現れており。
(……真似しようと思ったって、できないよなあ)
本当に、覚悟した女は強い。
『サキュバス屋』を見かけるたび、彼女はそう思わずにはいられなかった。
……。
……。
…………ちなみに。
『ストア』にして使用するコインの譲渡は出来ないので、『サキュバス屋』の料金は基本的に物品での支払いとなっている。
まあ、正確には物品はオマケみたいなもので、『カルマ値』の上昇を抑え、悪化させないのが本命なのだが。
それもまあ、情を移した客たちによる自発的なプレゼントという形で、上手く回っているのであった。
なお、サキュバス屋では常に情報収集と共有が成されているので、どの店に行っても『〇〇ちゃんのお客さんね、とても良い人だって話していたわ』というリップサービスが付きます