見た目だけで勘違いです(信じてくれない)   作:葛城

9 / 19
第8話: けして、特別ではないのだ

 

 ──1年も経つと、いや、1年しか経っていないと言うべきか、どうにも判断に迷うところである。

 

 

 彼女としては、たった1年か……という意識が強く、特に街中を歩いていると、それを強く認識させられる。

 

 たとえば、街中を歩く人々(と、呼ぶかは疑問だが)の格好だ。

 

 人型の者は、基本的に恰好は世界が変わる前と変わらない。

 

 彼女のように上半身裸とか、違和感が強く出過ぎるあまりそういった恰好を取っている者はいるが、基本的には同じだ。

 

 ただ、違うのは人形であっても、体毛が非常に多い獣人や、そもそも下着を身に付けられないタイプの異形の者だ。

 

 異形はまあ異形ゆえに合う服がない場合が多いけど、獣人の場合は言葉通りそれぞれで違いがあるようで。

 

 犬の顔に首から下が人(ただし、体毛で覆われている)も居れば、獣の耳が生えて要所が体毛で覆われているだけで、下着を着る必要がある獣人も居る。

 

 要は、体毛の有無で下着を着るかどうか、である。

 

 犬や猫に服を着せるのは、犬種によっては体毛が薄く日本の気候に適さない場合があるので、風邪を引かせない意味がある……らしい。

 

 言い換えたら、長毛種の犬猫に服を着させると、体温がこもって汗疹になったり皮膚病を患ったりする場合があるので、着させない方が良いらしい。

 

 そして、それは獣人とて変わらないのだろう。

 

 人間のような素肌、あるいは短毛の獣人は以前と同じく下着や服を着ているが、もっこりと全身が体毛で覆われている獣人は、締め付けの緩いズボンだけ。

 

 男女問わず、人間に例えたらトップレスで生活しているようなもので……今でこそ誰も気にしなくなったが、当初は彼女でもけっこう面食らうことが多かった。

 

 

 他には……買い物だろうか。

 

 

 以前とは違い、今では食品を取り扱う店の出入り口には、雇われた警備員が常時見張っている。何故なら、窃盗犯の数が以前の倍以上に増えているからだ。

 

 世界が変わってから、この国に限らず、弱者への救済は少しずつ絞られるようになった。

 

 『ダンジョン』などで怪我をしてしまい、治るまでは……という者に対しては問題ないのだが、そうでない者に施しを与え続けるのは良くないのだ。

 

 なんでかって、『世界』が無駄だと判断してしまい、排除してしまうからだ。

 

 様々な理由からモンスターと戦うのを嫌がり、さりとて、今の世界の常識に上手く適応できず、半ばホームレス(あるいは、乞食)になっている者。

 

 そういった者は、どんどん困窮してゆく。

 

 何故なら、国はもう以前のようには動けない。そういった者たちの受け皿となる仕事が、月日を経るごとに減少していき、席も埋まっていってしまうから。

 

 だから、必然的に食べ物を売っているところには、そういった者が集まり……御世辞にも、治安はあまり良い場所ではなくなっていた。

 

 

『お恵みを──』

『子供がいるんです──』

『お願いします──』

 

 

 そして、そんな状況で、値上がりし続けている食料品を買える者は、彼ら彼女らに比べたら、さぞ裕福に見えることだろう。

 

 しかし……彼女を始めとして、店に入って行く者たちは誰一人として、物乞いを行う彼ら彼女らに手を差し伸べない。

 

 いや、正確には、彼女もそうだが、誰も彼もが一度や二度は手を差し伸べているのだ。

 

 しかし、彼ら彼女らはそこから動かなかった。

 

 動けなかったのか、それは定かではないが……どちらにせよ、与えた瞬間にカルマ値が既定に達して灰になる……なんてのは見たくないから、今では誰も助けようとはしなくなった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………正直、買い物は憂鬱な気分になることが多い。

 

 

 仕方がない事とはいえ、助けてくれ、助けてくれ、と縋ってくる相手を振り払い続けるのは、気が滅入る。

 

 でも、彼女はあえて店で買い物をする。『ストア』だけで生活できるようにはなっているが、それでも彼女は店を利用する。

 

 理由は、カルマ値に関する抜け道……なのかは分からないが、回りくどいけどカルマ値の変動がないうえに、『通貨』の価値の減少を少しでも食い止めるため。

 

 『通貨』というのは、利用されれば利用されるほど、その価値は上がる。というのも、『通貨』というのは根本的に、『信用』が全てなのだ。

 

 紙幣も硬貨も、結局のところは丈夫な紙切れと金属片でしかない。そこにお金としての価値を持たせるのが、『信用』である。

 

 言い換えれば、信用を失った『通貨』など、コレクター用品を除けばトイレットペーパーよりも価値が無くなる。

 

 そして現在、世界中で少しずつ『通貨』の価値が失われようとしている。

 

 同じ人類の手では一切手出しができない『世界』が用意した、複製不可能の絶対不変な『コイン』……その信用度は、もはや言葉で語れるものではない。

 

 実際、既に小規模な個人間では既存の『通貨』を使わず、『ストア』を利用した取引、あるいは物々交換などが行われ始めている……らしい。

 

 ゆえに、焼け石に水でしかないが、しないよりはマシだ。

 

 幸いにも、今はまだこの方法で他者のカルマ値が上がる事はなく……それを分かっている者は、彼女のようにあえて店に買い物に行く者が現れるようになっていた。

 

 まあ、もっとも。

 

 そんな彼女たちの内心など知った事ではないと言わんばかりに、恨み妬みのこもった眼差しを向けられたり、なんなら刃物を突きつけられた事もあったけど。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そんなこんなで、世界が変わってから1年。

 

 

 当初は怒涛の変化に誰も彼もが対応するのに精いっぱい。彼女とて、とにかくまずは自分の生活を安定させねばという意識が強かった。

 

 なにせ、己の肉体だけが生命線である。

 

 万が一どこかでトラブルが生じて動けなくなるほどを大怪我してしまえば、彼女とて『排除』の対象になる。

 

 何故ならば──人類は未だ、『世界』に対して有用性を示せていないのだ。

 

 伊達に、最初から数えた方が早いぐらいにチュートリアルに参加したわけではない。『世界』の思考は読めないが、人類に対する評価というのは、薄々ながら察していた。

 

 さて、そんな中での買い物の帰り道。

 

 6本も腕があるしパワーも桁違い、足こそ遅いが体力もあるおかげで、以前に比べて買い物はとても楽である。

 

 2本の腕でダンボールに入れられた飲み物を、2本の腕で買い物を、残った2本の腕には、何時でもハンマーを取り出せるようにと手ぶら……え、ハンマーとな? 

 

 なんでかって、治安が悪くなっているから。

 

 『世界』による監視によって、この地上からは銃器が消えた。同様に犯罪も激減し、強盗なんぞしようものなら……よほどの例外を除いて灰になってしまう。

 

 

 それでもなお治安が悪いのは、死なば諸共な道連れ自殺が増えてしまったから。

 

 

 全生命体の内心まで読むのは面倒なのか、それとも生物の感情など理解できないのかは定かではないが、実行に移すまではカルマ値の変動はないようで。

 

 それゆえに、このまま排除されるぐらいなら、1人でも幸せなやつを道連れに──なんて凶行に走る者が後を絶たなかった。

 

 とはいえ、道連れにするのもされるのも、種族変更を行っていない者が多く……だいたい、種族変更をした者に返り討ちにあったり、そうなる前に灰になったりするけど。

 

 

「……あっ」

 

 

 そうして何時もの帰り道……近道の公園を通った時、ベンチに見慣れた男……というわけではないが、見知っている男が居て、彼女は思わず足を止めた。

 

 力無くベンチに座っているその男は……彼女が以前働いていた、上司をぶん殴って強制退職した、あの会社の同僚である。

 

 同僚とは言っても、仲はけして良くはない。

 

 あくまでも仕事上の雑談をするぐらいで、むしろ、あの上司に目を付けられたくない者が多かったから距離を置かれていた……その程度の関係でしかなかった

 

 

(……なにが、あったんだろうか?)

 

 

 けれども、そんな間柄とはいえ、だ。

 

 記憶にあるその顔よりも目つきは荒み、顔色は悪く、なにかしらを切っ掛けにして道連れ自殺を図りそうな……そんな雰囲気を放っている元同僚を前に、思うところがないわけではない。

 

 恰好自体は、世界が変わってからは見慣れた……支給された装備を見に纏っていて、『ストア』で購入したと思われる盾みたいなのが横に立て掛けられている。

 

 パッと見た感じ、『ダンジョン』から戻って、自宅に帰る途中で休憩している……と、いうように見えなくもない。

 

 見えなくもないけど、それにしたって、気配が剣呑過ぎでは……と、思いながら、どうしたものかと考えていると。

 

 

「──なに見てんだよ」

 

 

 目が、合ってしまった。

 

 気配からして察していたが、やはり彼は機嫌も剣呑なようで、無言のままに立ち上がると、腰に下げている剣を鞘から抜いた──のを、見て。

 

 

「後一歩、近付いて来たらこちらも応戦します」

 

 

 彼女も、ハンマーを構え──荷物を全て手放し──迎撃の体勢に──っと。

 

 

「……チッ!」

 

 

 そこまでする気はなかったのか、彼は舌打ちと共にベンチへ腰を下ろすと……それっきり、彼は動く気配がなかった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………う~ん。

 

 

 なんだろう、あまりにも失礼過ぎる態度だけれども、少なくとも、彼女のが記憶している同僚の姿は、こんな触れたモノ全て傷付ける刃のような雰囲気ではなかった。

 

 『ダンジョン』で気が高ぶってしまうのとは、少し違う。

 

 彼女種族変更をする前、チュートリアルとはいえ、人間だった時は幾度となく怪我をしたし、痛みのあまり涙を流して失禁した事もあるから、よく分かる。

 

 アレは……そう、かつて、彼女が上司を殴って会社を飛び出した時と同じ……今ならどうなってもいいやってやけっぱちになっている時と同じだ。

 

 ……その時の己と、同じような顔をしていると彼女は思った。

 

 

「なにがあったのかは知らないけど、これでも飲んで元気を出せ」

 

 

 あの時は、やけっぱちのままチュートリアルに参加したおかげで、アレコレ考える暇もなく気付けば時間がうっ憤を解決してくれたが……彼の場合は、そうではないのだろう。

 

 飲みたくなった時用にと買っておいた缶コーヒー(150ml:398円)を投げてやる。

 

 世界が変わる前なら1缶100円少々で買えたのだが、今ではコレだ。そりゃあ、『ダンジョン』に行けなければ困窮する者が現れても不思議ではないだろう。

 

 

「……なんのつもりだ?」

「関係性は薄いけど、同じ職場で働いていた同期だったからね」

「はぁ? おまえみたいな化け物、俺の知り合いにはいねえぞ」

「種族変更しましたし、知らなくて当然。だいたい、上司の顔面殴ってパイプ椅子で滅多打ちにしてから、それっきりだし」

「上司、パイプ椅子……って、えぇ!?」

 

 

 ガバッ、と。

 

 眼前の女性……つまり、彼女を見て、その正体に気付いた彼は、それはもう驚きに目を見開いて立ち上がり。

 

 

「お、お、女じゃないですか!」

「運否天賦に任せたら、どうやら性別が女固定の種族だったっぽくて、強制的に性転換でしたね」

「き、気にならないんですか?」

「う~ん、私は気にならないかな。なんというか、始めから慣れ親しんだ身体みたいな感覚だったし」

「そ、そうなんですか……」

 

 

 それから、へなへなと腰が抜けたのか、ドスンと再び音を立てて腰を下ろした。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そのまま、たっぷり1分程。

 

 反応がそれだけなので、面倒臭いからも帰ろうかなと思っていると、「……あの、蓮さん」久しぶりに苗字を呼ばれた。

 

 

「蓮さんは、種族変更をする時……悩んだりしました?」

「どれを選べば良いのかは悩んだけど、人を辞める事には悩まなかったね」

「それは、どうして?」

「私には──俺には、大切な人なんて誰もいなかったから」

 

 

 それは嫌味でも何でもなく、事実であった。

 

 親しい友人もいない、恋人なんて当然、家族はとっくに墓の下、親戚付き合いも皆無で、実質的に天涯孤独。

 

 そう、『蓮廉太郎』という男には、己が人間であることに拘る理由など一つも無かったし、脳裏に思い浮かぶような人も1人としていなかった。

 

 ヤケクソだったのは否定しないが、それだけではない。

 

 なるようになってしまえ……そんな自暴自棄な意識があったからこそ、種族変更という重要な選択の場面でも、運否天賦(うんぷてんぷ)に任せて選べたのだ。

 

 

「なにも失う物がないからね。俺にとって大切なのはもう、自分の頭の中にある思い出と、写真ぐらいだから」

 

 

 結局のところ、ソレなのだ。

 

 彼女は、蓮廉太郎という男は、勇気があったわけではない。

 

 ただただ孤独で、誰からも愛されない、魅力がない男で、死んだところで誰の目にも留まらない……それを自覚していたからこそ躊躇なくやれた、それだけの事であった。

 

 

「悩んでいるの? 種族変更することに?」

「…………」

「家族とか恋人とか、色々と思うところはあるだろうけど、いずれは通らないとダメな道だよ。残念だけど、変更せずやれるのは今の内だけ……あと何年もすれば、種族変更が最低ラインになるから」

「…………」

 

 

 彼は、すぐには返事をしなかった。

 

 ただ、ちゃんと彼女の言葉は届いているようで、とても考え込んでいるのは、横顔から確認出来た。

 

 

「……彼女とかは、居ません。蓮さんがぶん殴ったアイツと浮気していたから、あの後からずっと独り身ですよ」

 

 

 そうして、たっぷりと間を置いてから……いや、中々に聞き捨てならない話が飛び出したが……まあ、そんな話は置いといて、だ。

 

 

「……どうして、こうなっちゃったんですかね」

 

 

 彼は、こみ上げてくるナニカを堪えるかのように、強く唇を噛み締めたから……ポツポツと、語り始めた。

 

 

「最初は、祖父母が死にました」

「祖父は足が悪く、祖母は物忘れが多くなっていて……だからなんですかね、世界がこうなっちゃってけっこう早めに処分されたんですよ」

「こう、俺は直接見たわけじゃないんですけど……いきなり火達磨になったかと思ったら、すぐに灰になって……それっきりです」

 

「次に死んだのが、母です」

「母は、いわゆる昭和の専業主婦ってやつでしてね。家の事とかはしっかりやっていたのですけど、『ダンジョン』で殺し合いをしなければならないって話にはもう、子供みたいに駄々を捏ねて拒否し続けて……そのまま、ある日突然……です」

 

「次に、父が死にました」

「父はもう、絵に描いたような昭和の頑固おやじって感じで。そんな話じゃないのに、『国は何をしとるんだ!』、『文句の一つも言ってやらねば!』って怒鳴るばかりで、結局現実を受け入れられなくて……あっという間でした」

 

「次に死んだのが、兄貴です」

「兄貴は『ダンジョン』でモンスターに殺されました。あまり身体が強くない人で……頭は本当に良かったんですけど、不意を突かれて即死したそうです」

 

「弟も、ダンジョンで死にました」

「あいつ、お調子者で……大学に入ったばかりで、これからって時に徴兵みたいに動員されて……ほら、最初は何もかも手探りだったでしょ、それで……」

 

「家族で、生き残っているのは俺だけなんです」

 

「ねえ、これって夢ですよね?」

「俺ね、世界がこうなっちゃう前は、祖父母が居て、両親が居て、兄弟が居る……そういう普通の御家庭ってやつだったんですよ」

「ねえ、俺ってここまでされるような悪い事、しましたか?」

「俺が、何をしたっていうんですか?」

「俺たち、そんなに悪い事をしたんですか?」

「家畜みたいに、ここまで蔑ろにされるような事をされるぐらい、俺たちって悪者だったんですか?」

「俺たちは……これだけのためだけに生かされていたって事なんですか?」

 

 

 そう、尋ねられた……いや、それは尋ねられたなんて言葉で言い表せられるモノではなかった。

 

 あえて言葉にはしていなかったが、今の彼は酷い有様だ。

 

 目は血走り、唇は震え、無精ひげはそのままに。

 

 まともにシャワーも浴びていないのか、その身体は汗の臭いと血の臭いが入り混じり、御世辞にも清潔とは言い難い。

 

 精神の半ばぐらいまで、狂気に浸してしまった……あるいは、楽になりたいがために今にも狂うフリをしようとしている……そんな顔をしている。

 

 返答次第で、腰の剣で切りかかってきそうな雰囲気だ。

 

 安全に考えるなら『そんなの分かるわけがない』とか、誤魔化した方が良いのだろう……けれども、だ。

 

 

「何時から、人間だけが特別扱いされる生き物だなんて勘違いしていたんだ?」

 

 

 それでも、彼女は……キッパリと告げた。

 

 

「俺も……いや、私も、あんたも、この地球の生き物全部が敗北して家畜にされただけでしょうね」

「……は?」

「え? なんで驚いているんですか? 人間はこれまで散々ほかの生き物を食うために育て、太らせ、食べてきたでしょ。それがいざ自分たちもそうなった……ただ、それだけでしょ?」

「……は、はは、そう、ですね」

 

 

 まさか、真正面から『とっくの昔に俺たち家畜みたいなものでしょ』といった感じに肯定されるとは思っていなかったのか、狂気は薄れ、引きつった笑みが代わりに現れた。

 

 でもまあ、実際のところ、今の人類の立場なんて、人間が他の生物に行ってきた家畜の扱いよりも、よほど自由で快適である。

 

 家畜に例えるなら、定期的に卵やミルクを提供する代わりに、衣食住を用意して、どころか何処へ行って自由気ままに過ごしても構わないし、望んだ分だけ繁殖用の♂に♀も用意……ね? 

 

 

「……なんで」

「ん?」

「なんで、そんな平気な顔が出来るんですか?」

「なんでって、そりゃあ嘆いたって状況は変わらないでしょ。生きるために肉を食べてきた、『世界』だって生きるためにそうした……それだけでしょ」

 

 

 尋ねられたので、素直に思っている事を伝えたら……しばし、何も言わず彼女を凝視していた彼は……フフッ、と何かを諦めたかのように笑うと。

 

 

「──蓮さんたちのような人は、気楽でいいですよね。始めから何も持っていなかったんですから」

 

 

 ポツリと、吐き捨てるように言い切った。

 

 なんともまあ、どう見ても喧嘩を売っているとしか思えないやつ当たりであり、悪意が無ければ思いもしない中傷であった。

 

 

 ……けれども、彼女は何も言わなかった。

 

 

 見え透いた挑発を見抜いた……とは、少し違う。

 

 単純に、事実であったからだ。

 

 そのとおり、彼女は、蓮廉太郎という男は、何も持っていなかった。何も持っていないことを、自覚していた。

 

 死んだ家族の事とか、そういうのは関係ない。何者でもなかったということを最初から自覚していた。

 

 何も持っていなかったからこそ初動が早かっただけで、別に彼女に天才的な才能があったわけでもないのだ。

 

 それゆえに、『本当に、ごもっとも』という感想しか彼女にはなかったし、怒る気持ちにもなれなかった。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………それに、だ。

 

 挑発であったとしても彼は、けして触れてほしくない彼女のデリケートな部分にはけして触れないようにしているからこそ。

 

 

「そんな目で、見ないでくれよ……!!! 俺の責任だって、言ってくれよ……!!!」

 

 

 余計に、怒る気持ちにはなれず。

 

 

「ちくしょう……!!!」

 

 

 何もされない事を察した彼が絞り出すように呟いたその5文字には、5文字以上の気持ちが込められていて。

 

 

「俺が何をしたっていうんだよ……なんで、俺だけが生き残っているんだよ……なんで、俺だけが……」

 

 

 とてもではないが、元々からして口下手である彼女は、上手い慰めの言葉なんぞ思いつくわけもなく。

 

 

 ……黙って、苦悩する彼を見守るしかなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。