薄暗い店内に流れる音楽は、どこか眠気を誘うようなメロディだった。
だが、まもなく日が変わるにも関わらず店内は賑やかで、特にどこか高揚したティーンエイジャーたちの数は増える一方だ。
カウンター席の端では紺色の髪をした偏光サングラスの男が、店員が置いた琥珀色の液体に手を付けずに座っている。
──隊長って、もしかして私狙いなんじゃ?
隣の席に腰を下ろした赤髪の少女──メイリン・ホークは目の前のカクテルよりも、その男の横顔が気になって仕方なかった。
現在メイリンが所属する部隊の上司であり、ヤキン・ドゥーエで消息を絶ったラウ・ル・クルーゼ捜索任務の責任者──アスラン・ザラ。
駐屯軍本部で滞在申請の更新に付き添っただけ、だと思っていた。
しかし帰り道に彼が選んだのは、本部から少し離れたところにあるヘリオポリスの繁栄を示したようなホテルのバーだった。
いつも冷静沈着で、才色兼備。
前議長の父親から受け継いだ巨額の財産。
そして史上最年少で特務隊員に抜擢され、ミネルバを与えられるほどの戦績を残した英雄。
正規の軍服ではなく着崩した私服風の軍装が、この場には妙に馴染んでいた。
「えーっと、……前から気になってた店なんですか?」
「まぁな。アフリカ産のコーヒーが美味いそうだ」
返ってきたのは、ぶっきらぼうな一言だった。
どうやらこのバーは、ヘリオポリス駐屯軍の最高司令官アンドリュー・バルトフェルド御用達の店らしい。
確かに、その蒼い視線は一度もメイリンに向けられていない。
なんだ。1人で来るのが恥ずかしかっただけか。ちょっと期待してたけど損した。
「メイリン」
その呼び掛けに、メイリンは無意識に背筋が伸びた。
「ミネルバの通信記録に、妙な履歴が残っていた」
ピクリと手が止まる。
グラスを置いたアスランが、真っ直ぐにメイリンを見ていた。
「どうしてギャンブルに手を出している?」
不意に声色が変わった。
その詰問するような声に背筋を冷やす中、溶けた氷がグラスの中でからんと鳴った。
「……調査のためですよ?」
冗談めかして言うが、アスランの表情は微動だにしない。
「軍人の過度な賭け事は、処分の対象になりかねない。……せめて履歴くらいは復元出来ないよう消去しておくんだな」
「随分とお詳しいんですね?」
「ああ、熱中し過ぎて“緑”に降格した同期がいてな。もっともここの運営にはバルトフェルド隊長も一枚噛んでいるから、たぶん問題にはならないだろうが」
「じゃあ、別にいいじゃないですか」
正論だ。あまりにも正論過ぎて、腹が立つ。
「──隊長こそ」
マヴを見殺しにしたって噂は本当なんですか。
「!?」
そう言い返そうとした瞬間だった。
店内の照明がふっと落ちると、巨大な壁面スクリーンが天井から降りてきた。
すると店内の空気が熱狂に変わる。
バーの客たちが騒ぎ始め、いくつかの席では手拍子が聞こえてきた。
奥のブース席では、際どい格好をした男女が興奮して身を乗り出している。
「これは……」
メイリンは戸惑いながら、スクリーンに無言で視線を向ける。
店内の照明がさらに暗くなり、スピーカーから独特の電子音と声が鳴り響く。
大画面の中央に、見覚えのある映像が浮かび上がった。
そこに映っていたのは、隠れて見ていたクラン・バトルのオープニング画面だった。
クラン・バトルのゲリラ配信が始まったのだ。
巨大なスクリーンに、これから戦うモビルスーツたちの姿が広がっている。
その中でひときわ輝いている、赤い閃光。
燃えるような真紅の装甲を纏うモビルスーツだった。
戦闘開始のゴングが鳴ると同時に、歴戦のマヴたちは動き出す。
無数の廃棄された連合艦の残骸が漂う灰色の迷宮を、前後に分かれて静かに駆ける。
ヒルダは先行して周囲を索敵。
その支援役を担当するのは、ゲイツ乗りの
前大戦で遊撃手だったマーズは、運営が用意したスペースで呑気に観戦中らしい。
昔のツテで入手したザクウォーリアのコクピットで、ヒルダはデブリ帯の構造マップをなぞるように機体を加速させる。
──ドッペルゲンガー現象。
世の中には、自分とそっくりな人間が3人いるらしい。
もちろんこれは超常現象の一種だが、統計学的にはそうした人物が存在する可能性は否定出来ないらしい。
特に自分たちコーディネイターにとって、それは決して偶然ではない。
世間一般において、他人に好ましいと思われる容姿。
それを親が自分の子に求めるのであれば、必然的に出力されるのは“似たようなプロダクト”による
どこかに似たような人間がいても、何の不思議もないだろう。
──だが、あの娘は亡きラクス様にあまりにも似ている。
あの目の動き、声のトーン、首を傾げる角度。
たとえ誰が否定しようと、このヒルダ・ハーケンの目だけは誤魔化せない。
「そろそろ始めるよ、ヘルベルト」
近距離通信を繋ぐと、即座にスモーキーな声が返ってきた。
「了解。早く終わらせて一杯やりましょうぜ」
戦場に展開されたニュートロンジャマーの影響で、レーダーは意味をなさない。
だが、ヒルダの視線は既に敵影を捉えていた。
前方に存在するデブリの切れ間から迫る、小さな光点の存在を。
「たった1機で──」
言葉を発した瞬間、それは咆哮とともに加速した。
猛禽類のような大型可変翼を広げ、漆黒の襲撃者が正面から突っ込んで来る。
一瞬反応が遅れたヒルダを狙い、両肩部に取り付けられた機関砲を連射しながら。
「姐さんッ!」
警告とともに、ヘルベルトは迎撃態勢に入る。
ビームライフルを立て続けに発射するが、まるで“残像”を撃ったようだった。
至近弾が周囲の空間を貫くが、機体の速度は全く変わらない。
「速い!」
ヒルダも機影の進行方向を狙い、ビームライフルを偏差射撃する。
しかし見てから回避したとしか思えないような反応で切り返すと、漆黒の襲撃者は一気に迫ってくる。
やばい。
ヒルダは咄嗟にスラスターを吹かして軌道を変えると、構えていたビームトマホークを振り上げた。
すれ違った瞬間、ザクの頭部を狙って放たれた強烈な爪撃を弾き返す。
「……ッ!」
それでも衝撃は凄まじく、右肩の装甲が削り取られる。
姿勢を崩しながらも反転して距離を取ろうとするヒルダの隙を突くように、背後で熱源センサーが反応する。
迫り来る短距離ミサイルを対空防御機関砲で迎撃しながらヒルダは唇を釣り上げた。
超人的な空間認識能力で先を読むムウ・ラ・フラガとは対称的に、身体能力と反射神経で強引に後出しするような変幻自在の高速機動。
これは可変型MS“レイダー・制式”の性能というよりも、ドミニオンの誇る突撃手“黒犬”の本領発揮ということだろう。
赤いストライクと連携するよりも、初撃の優位性を取ろうとしたらしい。
だが、それはマヴとの連携が出来ないと宣言したようなものだ。
「一気に片付けるよ! ジェットストリームアタックだ!」
「了解!」
するとその瞬間、視界からザクの姿が消えた。
前方に浮かぶデブリの隙間から、3つの影が猛然と飛び出してきた。
──速い。
あまりの速度に、目が追い付かない。
ゲイツの影から姿を現したザクがビームトマホークを振るい、寸前で軌道をずらしたレイダーの側面を切り裂いた。
ムウとの一騎討ちとは全てが違う。
警戒するのは1機だけではないし、敵がM.A.V.の優位性を生かして戦うのであれば、総合的な難易度は飛躍的に上昇する。
近距離通信なら可能な位置だが、クロトからの指示は一切ない。
フレイなど戦力に数えていないのか、下手な連携は危険だと判断したのか。
どちらにせよ、最初から1人で戦うつもりだったのだろう。
──お前なんていなくても同じ。
そうはっきりと言われたような気がして、思わず口の中が苦くなる。
機体を動かそうとしても、手が震えて上手く操作出来ない。
頭の中で鼓動が鳴り響いて、思考が纏まらない。
すると、センサーが警告音を発した。
ストライクを狙って放たれた光弾が脇を掠め、装甲の一部が千切れ飛ぶ。
「邪魔なんだよ!!」
回避した先に飛び込もうとするゲイツに、怒り混じりの鉄球が振り下ろされる。
だが、それがヒルダの狙いだったらしい。
再びゲイツの背後から飛び出したザクが炸裂弾を発射し、爆風を浴びたレイダーは大きく体勢を崩す。
役立たずのマヴが馬鹿みたいに飛び出して行って、返り討ちに遭って、それでも馬鹿みたいに突撃を繰り返している。
「邪魔なのはアンタでしょ!!」
分かっている。
本当に役立たずなのは、黙って見ていることしか出来ない自分だと。
どこかで爆風が起こった瞬間、全く別の方向で破片が舞う。
警告音が鳴ったかと思うと、視覚の外で閃光が走る。
あの3人は別の世界にいるみたいだ。
無数の情報を同時に処理しながら、互いに最適解を出し合っている。
まるで、全てが最初から決まっていたかのように。
そういう運命だったかのように。
あの3人だけが、正しく“ここ”に存在している。
「……だけど」
自分でも驚くほど激しい熱とともに、ストライクを加速させる。
──“ジェットストリームアタック”。
2機1組で行うM.A.V.戦術が全盛期の中、どうしてハーケン隊は3機の連携を前提とした戦術を考案したのか?
ここまでの戦闘を見ていても、2機では成立しない戦術とは思えない。
先頭の機体で後続機を隠し、波状攻撃を仕掛ける高等戦術。
それが完璧な戦術だったと仮定するなら、M.A.V.戦術と同様に流行したはずだ。
「わからないけど──」
世界が応えるのを待つだけではなく。
ここに存在する世界に、自らを重ね合わせる感覚。
「合わせなさい!」
万華鏡のように反射した思考が、1つの答えに収束する。
レイダーとゲイツが交差する刹那の瞬間を狙って、フレイはビームライフルを発射した。
「──ッ!?」
死角に回り込んで攻撃しようとした一瞬の隙を捉えられ、レイダーとゲイツを結んだ一直線に位置していたザクは呆気なく頭部を破壊される。
浮かんでいた疑問が氷解した。
この不完全な“ジェットストリームアタック”に存在する、基本戦術として成立しなかった致命的な欠陥。
それは後続機の軌道は、必ず敵と前衛を結んだ直線の延長上を目指さなければならないということだ。
そうでなければ、この敵を瞬間的に包囲することで成立する連続攻撃は成立しない。
「姐さん!」
「どこ見てんだコラァ!」
背後の憂いが消えた漆黒の人面鳥が咆哮する。
全砲門を解放し、射出されたロケットアンカーを紙一重で回避すると同時に変型──胴体に強烈な蹴撃を放つ。
文字通り80tに迫る質量兵器の直撃に、不意を突かれたゲイツは大きく体勢を崩した。
──今なら。
思考よりも先に、身体が動いていた。
背部の蒼いウィングユニットが展開し、ゲイツを挟む込むように加速する。
振り抜く準備は出来ていた。
右手のビームサーベルを一直線に抜き放つ。
その刹那、敵のモノアイが確かにストライクの存在を捉えた。
だが、既に手遅れだった。
刺突のような斬撃が、その視線を正確に断ち切っていた。
次の瞬間、完全に破壊されたゲイツの頭部が火花を散らして沈黙する。
敵機、ともに戦闘継続不能──勝利。
「今のは良かったんじゃない?」
短くぶっきらぼうだが、砕けた声。
だが、今のフレイにはそれだけで十分だった。
正しく“ここ”を認識出来た感覚に満たされながら、全身を脱力させた。
その薄暗いバーは、ざわめきに包まれていた。
巨大なスクリーンに投影される戦闘映像が店内の空気を高揚させ、観客たちはグラス片手に騒ぎ立てている。
メイリンは呆然とスクリーンを見つめていた。
「勝ったみたいですね」
モビルスーツ同士の戦闘だが、通常の軍事訓練や模擬戦とは明らかに違う。
入り組んだ地形を生かした派手な機動に、今まで見たこともない奇抜な連携攻撃。
そしてそれらを引き立てるカメラワーク技術。
まるで娯楽ショーのようだった。
こうした大画面──それも生中継なら、ここまで印象が変わるものか。
メイリンは興奮冷めやらない声で問い掛けた。
「くだらないな」
アスランはスクリーンを見据えたまま、小さな声で呟いた。
「そうですか? 他の人たちはそう思ってないみたいですけど」
「そういうことが言いたいんじゃない」
琥珀色の液体を軽く揺らし、僅かに口を付ける。
端末に表示されたリプレイ画面の中では、ザクとゲイツが高速で交互に攻撃を仕掛け、対するレイダーがそれを回避し、赤いストライクが不器用に追い掛けている。
「センスは悪くない。が、訓練された軍人の動きじゃない」
アスランはその機体に何かを重ねるように、グラスを弄びながら目を細めた。
「クルーゼ隊長の可能性は完全になくなった、と?」
「あぁ。どれだけブランクがあろうと、隊長が前衛を譲るわけがない」
レーダーに頼らず“直感”で位置を捕捉し、敵を
「ああいうM.A.V.もアリだと思いますか?」
互いをフォローするというよりも、互いの潜在能力を引き出し合うような。
無意識に尋ねると、アスランは小さく首を振った。
「俺は好きじゃない。ただ……」
「ただ?」
「隊長なら、面白いと言っただろうな」
意外な返答に、戸惑いを隠せない。
店内の熱狂が加速する中、メイリンはグラスを手に取った。
ちらりと見たアスランの横顔は、どこか少しだけ曇っているような気がした。
これまでのクラン・バトルで稼いだ賞金でクロト、シャニは制式レイダー、フォビドゥンブルーに乗り換えました。
なおフォビドゥンブルーは初期不良です。これがザフト水泳部を震撼させた禁断の棺桶の力かよ……。
原作との相違点
【レイダー、フォビドゥン】
ブーステッドマン専用機が存在しない以外は正史通り。
なお、カラミティは開発中止です。……何やってんだよ団長!