たかが七年   作:モラハラ

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理屈と暴力

 

 

 

トムは人気の少ない廊下でピタッと足を止めた。

 

「君、俺になんか用?」

「別に。最近話してなかったと思って」

 

要件はなかった。

なんとなく。要件もなく勢いだけで連れてきて、彼と友人の会話を中断させて、不機嫌にさせてないかとヒヤヒヤしながらトムは問いかける。

 

「この後は何もないよね。何するの?」

「西塔に」

「なんで?」

「ニケの顔を見に行く」

 

トムは眉をくの字にして、ニケって名前の人いたっけ…と一瞬思ったが、すぐに彼が彼の飼っているワシミミズクのことであると思い出した。

トムはハッ!と、吹き出すように笑った。

そうだった。彼はこんなことで不機嫌になるような精神のやつじゃなかった。

 

「やっぱりかわいがってるんじゃないか!」

「うるさいよ」

「僕も一緒に行っていいかい?」

「好きにすれば」

 

というわけで二人は西塔のフクロウ小屋に来ていた。

高い場所なのでかなり風が強い。風が二人の髪をブワッと根本からかき上げた。

ウィルはいつかのように、風の音に負けない音量でピーッと、指笛を吹いて自分のフクロウを呼んだ。巨大なワシミミズクはスーッと音もなく遠くから飛んできた。

 

「よし、いい子だ」

 

ウィルは地面に着地したニケを腕に乗せた。ニケは、ガッシリとウィルの細い腕を足で掴んでいた。猛禽類の足の握る力は強く、爪は恐ろしく鋭利だった。

 

「うわ、すごい爪。痛くないの?」

「それが爪立てないんだよ。頭がいいんだろうね」

「えらいね」

「うん」

 

ウィルはそのまま外に出ると、ニケを柵の上に下ろした。

ニケは一、二回バサバサと羽ばたくとそのまま体勢を低くして「ホッホ」と鳴いた。ウィルは持っていた鳥の肉塊を丸々与えた。フクロウは数が多いので、言えば普通に管理人から貰えるのである。

ニケは肉塊をそのまま丸呑みにして「ホホホホ」と連続して鳴いた。ウィルは慣れた手つきでニケの首のあたりをクシクシ撫でてやっていた。

 

「やっぱりかわいがってるんじゃないか」

「何を。自分の動物をちゃんと世話するのは当たり前のことだろう」

「別に本人が世話しなくても管理人がまとめてやってくれるよ。知ってるだろ?」

「この数のフクロウを一羽一羽ちゃんと見られるわけないし、ニケが他のフクロウにエサを取られて食べられなかったらどうするんだよ」

「この大きさのフクロウが争奪戦に負けるわけがないだろ…」

「よしよし、健康だな」

 

羽を軽く触って健康状態を見たウィルは満足気に笑った。何気にこの男が笑うところはあまり見ない。

 

「ふうん、よし。僕も撫でてやろ」

 

トムは怖がる様子もなく、ニケに手を伸ばした。

ニケは嘴でトムの指を噛むと「ギッ」と短く鳴いた。

 

「あ」

「いたっ」

 

トムは瞬間的に腕を引いた。

血こそ出ていないが、彼の指は少しばかり赤くなっていた。

 

「…おい、躾がなってないんだけど」

「君が不審なんだろ」

「どの辺がだよ」

「何もかも」

「おい」

 

トムはフン、と折角少し上を向いた機嫌を損ねて、そっぽを向いてしまった。ウィルはやれやれ、と言ってまたニケを撫で始めた。ニケはジッと大人しくしている。

賢いフクロウである。この大きさの猛禽類が本気になったら細い子供の指など、簡単に引きちぎってしまう。赤くなる程度なら相当に手加減している。

 

「よしよし、犬より賢いな」

「蛇の方が賢い」

「ニケ、無視しろ。戯言だ」

 

と、このようにウィルはトムと時々会話もしたしそれなりに時間を共有したが、別にそこまで仲良くはならなかった。

しかし別にお互い悪く思っているわけではない。

たまに話す分には彼はいい相手だった。きっとトムもそう思っているからこうして時々、話しかけに来るのだろう。

こういう関係で卒業までいられたらいい、とウィルは思うのだった。ホーホー、とニケが鳴いた。季節は10月。顔に当たる風がだいぶ冷たかった。

 

 

 

 

 

 

「マグル生まれのクセに」

 

ウィルは生まれてから初めて、聖書が欲しいな、と思った。

神頼みなど馬鹿がすることだと思って生きてきたが、そんなことは無いのかもしれない。世界で最も読まれている本には、この最悪の状況を打開する方法も書いてあるのかもしれなかった。

完全に現実逃避だ。

普段なら無神論者のこの男がするはずもない発想だったが、それほど彼は切羽詰まっていた。

 

何が起こっているのかと言えば。

 

「一体、何のご用ですか。僕も暇ではないんですが」

「決まってるよね。出自もわからない家のやつにのデカい顔されちゃさ、困るんだよ。それぐらい一年生でも分かるよね」

「ハァ、身に覚えがありませんね。言いがかりはよしてください」

「自覚もないのか、困った子だね」

「おっしゃる通り、そちらの事情に疎いもので」

「やれやれ…別に難しいことは言ってない。ただ、輪を乱すな、と言っているんだよ、一年。」

「ならせめて分かるように言えよ三年。」

 

このような状況だった。

 

説明。

マグル生まれ、とは。魔法族ではない人間から生まれた魔法使いのことを指す。だが、そこにはもっと根深い陰湿な意味がある。

殆どの魔法使いは、そもそもマグルにそんなにいい感情を持っていない。従って、マグルという言葉自体があまりいい意味を持っていない。

そして魔法使いはひどく狭いコミュニティなので、その内部はごく少数の純血主義の家を中心とする圧倒的な階級社会である。

今の魔法界で、その数少ない一族以外は大体マグル生まれかマグルの血が入っているの混血である。そういう者たちが差別に遭うことは、まあ流石に3ヶ月もこの城にいれば分かった。

とはいえ、マグル生まれの方が圧倒的に多いため、表立った差別はない。だが裏ではかなり細かい牽制や序列がある。

例えば。本当に名家出身の同級生の前は上級生でも基本的には横切らない。止まって道を譲る。それは暗黙の了解で、揉め合いにもならないため表面化しないのだ。

 

ウィルはその辺はそりゃあるだろうな、と思っていたので特に抵抗はなく素直に従った。揉める方が面倒だし馬鹿なので。

彼はそんな気質なので、ここまで直接的な面倒ごとが起こったことはない。この瞬間までは。

つまり、今回めんどうな絡み方をされているのはウィルではなかった。

 

トムだ。

 

ウィルとトムは授業後、一緒に歩いていた。そうしたら急に見知らぬ男に「ちょっとこっち来てくれる?」と言われて人の来ない部屋に、半強制的に連れて行かれた。トムと一緒にいたウィルも同じく連れて行かれた。

そこには知らない男が二人いた。そしてこのようないざこざが始まった。

つまりウィルからすれば全然知らない三人に、全く身に覚えがないイチャモンをトムのついでに付けられている状況である。まあ、漏れなく目の前の三人とも魔法族の名門の出なので、彼らからすればトムもウィルも同じであるのだろう。

 

いつかはこうなるだろうな、と思っていた。

トムは表向き、非常に優秀な生徒だ。人当たりもよく絵に描いたような品行方正な少年を演じていた。その本質に、野心と本質があってもそれは揺るがない。それにトムはそうした本性をほぼ完全に隠していた。

今、この学園でトム・リドルは、ただの優秀な生徒でしかなかった。

ただ出る杭は打たれるというか、彼をよく思わない人間は意外といた。

そもそも魔法界は階級社会で、ホグワーツはその縮図みたいなものだ。どこから来たのか分からない人間は軽視されやすい。

簡単に言えば、トムは目立ちすぎたのである。

三人のうち、二人は彼より明らかに年上だ。当然、トムより背丈も恰幅もいい。残る一人が、ウィルとトムの同級生の少年である。おそらくこの少年が一番、家柄がいいのだろう。だからわざわざ年上の二人が出張ってきたのだ。

そしてトムもプライドの高い男だから、こんな風に正面から喧嘩を売られて買わないはずはない。

しかし、どう考えても相手が悪い。

馬鹿だな、と思った。

どう考えても不利だし、最悪リンチにされる場面だ。いくらトムが優秀な少年でも、数と経験をひっくり返せるほどの実力はまだない。こんな普通に正面から喧嘩を買って、いいことなど一つもない。

どういうつもりなんだ、とトムの顔をチラッと横目に伺うと。

 

(ぜ、全然気にしてない…ッ!)

 

ウィルは驚愕の表情をした。

てっきりとても困っているかと思いきや、トムは目の前の男たちを全く相手にしていなかった。

複数人の男たちに詰めらえているのにも関わらず、トムは怯えも怒りも見せずに、ちょうど話の回りくどい教師の話を聞く生徒がそうするように眠そうな目で爪を眺めていた。

喧しいので、とりあえず話を聞いてやっていると言った感じ。流石すぎた。その辺の木っ端など視界にも入っていない。だが、その態度は当然、彼らに火をつける。

 

と、状況としてはこんな感じ。

最悪中の最悪だし、ウィルはただの巻き込まれだし、トムは少しも引く気がない。このままではマズイ事になるのは明らかであるが、どうすることもできない。

神頼みの一つもしたくなる状況だった。

 

「聞いてんの?」

「アー、はいはい、聞いてますよ」

「…はぁ。こっちもさ、年下の子たちにこんなこと言いたくないよ。でもね。君の態度がちょっとあんまりにも良くなくてさ。一応言っとかなきゃな、と思うわけ。どう思う?」

「関心してます」

「は?」

「え?」

「よくもまあ、そんな生き恥晒して生きてられるな、と」

 

トムはそう言うと、フッと軽蔑の視線を真ん中の少年に投げた。これはどう考えても無視のできない一言だった。

 

「き、君…彼は聖28一族の生まれで、」

「えっ!生まれた時から魔法の教育をちゃんと受けといて僕に成績で勝ててないんですか?…アハハ、それで年上のお兄さんを頼って僕にお話ししてるんですか?すごいな。僕なら恥ずかしくて学校に来れないでしょうね」

「…」

「僕なら死んだ方がマシだ」

「…」

「これ以上、なにか?」

 

当然何も言えない。まあ言えるはずもない。彼の言うことは全て正論だった。

トム・リドル、あまりに強い。

彼はこの頃から、すでに強烈すぎる自我を持っていた。自分が悪いとは微塵も思っていないし、なぜ自分がこんなバカの相手をしなくてはならないのだ、と本気で思っている。それは驕りではなく、自分が目の前の男たちに劣るところなど一つもないと思っているからだった。

数的有利があるのにも関わらず、トムに絡んでいる少年たちがイマイチ強く出られないのはこの辺があった。

今まで大体の相手は、少し詰めたら、はいすいません、と言って言うことを聞いたのだろう。魔法界ではそれほどの家柄の子供達である。

しかしトムは死んでもそんなことをする少年ではないい。彼はプライドを捨てるなら死んだ方が千倍マシだと思っているし、こんなバカに頭を下げるくらいなら、爪を剥がされた方がいいと思っている。

その思想が全面に態度に出ていた。

それに、絶対的な美しさを持つ少年に相手にされず全面否定されると言うのは、おそろしく心に響く。トムは人を軽んじている時が一番輝いていた。彼はやはり、見惚れるほど美しい少年だった。

 

トムは彼らが言い返さないことに、なんだこんなものか、と思っていた。

わざわざ話しかけてきたのだから、もっと根性があるものと思っていたが。こんなに早く折れられては、いじめ甲斐もない。

これでは、隣の男の方が幾分マシである。彼は打てば響くし、こちらが何を言ってもああ言えばこう言うし、そもそも理屈に合ってないことは絶対に言わない。

こんな奴らに何を言われても何も響くものはない。ノートの落書きの方がまだ高尚だった。

時間の無駄ってこういうことを言うんだな…と思った。

 

「よ、よくも、マグル生まれが、舐めた口を…」

「ハイ。そりゃもう、心の底から舐めてます」

「ッ、」

「逆に成績で勝てないからと、わざわざ人気のない場所に呼びつけて人を使って怒鳴りつけさせる人間を下に見ないわけがないでしょう」

「彼は君と口を聞く立場にないだけだよ」

「それはそれは。大変ご苦労なことですね、あなた方は」

「は?」

「能もない年下の手駒とは。お気の毒に!」

 

この言葉がトリガーとなった。

 

「いい加減にしろよ、穢れた血が…っ」

 

ガッと、一年生の男はトムに掴み掛かった。

ああ、やっと喋ったか、とトムは横目で彼を見た。それはゾッとするほど鋭利で冷たい目線だった。

彼は真っ赤な顔ををしてトムの胸の辺りを掴んでいたが、それだけで腕の力が少し緩んだ。

コイツは確か、エドマンド・ブルストロードだったか。しかし跡取りではなく、分家か何かだったはずだ。

トムはもう笑ってしまった。

トムにとってエドマンドは取るに足らない小物未満の男である。

言うことに事欠くと人間こうなるんだなぁ、と、文献のつまらない粗を発見した時と同じ目をしてトムは彼を見下ろした。

 

「なに笑ってんだよ…」

 

トムはもう何も言わなかった。

これ以上語ることも何もなかった。

 

トムの胸ぐらを掴んだ少年が手を振り上げた。トムは直前で、その方向に首を傾けて衝撃を流す。バンッ!と頬に衝撃が来る。軽い拳だった。

殴り返してやってもいいが、彼らの言う通り、自分は魔法界では立場がない。殴り返すと後が面倒だ。

トムは案外とても冷静に、自分の立場をよく分かっていた。

だから変わらない目でジッと見てやる。一度も逸らさずに。それだけで男は怯む。本当に小物だった。

エドマンドがまた手を振り上げた。二発目が来る。

まあ何発か殴らせてやれば気も済むだろう。絶対いつか倍にして返すけど。今はいい。

と、しかしその直前。とんでもない衝撃と共に、その少年が吹っ飛んだ。

 

「…え?」

 

何が起こったのか、誰もすぐ理解できなかった。

だが、トムは何もしていない。となるとやったのは消去法でたった一人だった。

 

「…ウィル!?」

 

ウィルだ。

ウィルは真っ直ぐ杖を構えている。混乱の中でも、それの意味は全員に伝わった。これはマグルで言うのなら、銃やナイフを向けられている状況である。

残った二人は即座に杖を抜いた。この辺りの判断速度はさすが年上、と言ったところだった。トムも一拍遅れて杖を抜いた。

 

これは本当に予想外の事態だった。

一番、何もしそうもない、ここまで一言も何も言わなかった男がいきなり暴力に訴えてきた。

しかし、その理由はとてもハッキリしている。

 

ウィルはずっと、黙って話を聞いていた。最初は関係ないからそうしていたが、しかし、あまりにも言葉に内容がない。

理屈がもはや無いし、言いがかりだし、そもそもトムに非はないし、文句を言っていた当人はほぼ話さないし。やっと話したと思ったら殴るし。

まったくスジの通っていない発言の積み重ねで、もともと長くはない彼の導火線はついに燃え尽きたのである。特に手を挙げたのがマズかった。

ただ文句を言っているだけならウィルとて、あーめちゃくちゃアホなこと言ってるなコイツら、で済ませられるが、暴力は別である。例え、国会でどんな罵詈雑言が飛び交おうと誰も銃は抜かない。引き金を引いたら、それは開戦の合図である。暴力とは、すなわち話し合いは無意味だから実力で決めよう、と言う意思表明になる。

つまりエドマンドがトムを殴った瞬間、ウィルの中ではこれは単なる迷惑な言いがかりではなくなった。

それでウィルは、あっ、コイツらマジでダメだ。と思って杖を抜いたのだった。ちゃんと彼の中では理屈がある。

 

それに。トムは多分、この学校の誰より才能のある優秀なやつだ。

それはこの三ヶ月でよく知っている。元々持っているものというか、魔法のセンスがずば抜けている。天賦の才というやつだ。

けど、それだけじゃない。

努力をするやつだ。

同室なので嫌でも知っている。

この男は才能に胡座をかくような男ではない。むしろ有り余る才能の上に、血の滲むような努力を重ねて大成する男なのだ。才能のある奴が本気で努力をするんだから、その辺の人間が叶わなくて当然である。

 

つまり、だ。

ケチつけんならコイツの十倍は努力してから言え、と言う話。

 

それですら、最低条件。その程度の努力で彼に並べるなら、きっとソイツは凡人ではないし、そもそもトムに絡むような馬鹿な真似はしない。

なにが言いたいかと言えば、ウィルはトム・リドルという少年を結構尊敬していたのだ。

うわ〜性格悪いなコイツ、と思うけれど。

それはそれとして、三ヶ月も一緒にいればそれなりの情も持つ。ましてや、生活を共にしていれば。

彼がただの天才ではないと知っていた。なるべくして、天才の男だった。

深く関わりたくないのも本心だったが、彼がその辺の木っ端にバカにされているのは気に食わなかった。

 

本気で努力はしたのか?

 

ウィルが言いたいのはそれだけだったが、彼はもう頭を話し合い、から、暴力を伴うトラブル、にシフトさせてしまっている。

 

しかしトムはとんでもなく焦っていた。このまま何発か殴られてやれば済むはずが、とんでもない大事になってしまった。これはただでは済まない。

もういつ本気の乱闘になってもおかしく無い。いや、もうなりかけている。

だが、こうなってはもうやるしかないので、トムは杖を抜くしかなかった。

しかしウィルは手で下がれ、という合図をトムに出した。トムは困惑しながら即座に数歩後ずさる。

ウィルは全く意識化にないことを言ってきた。

 

「戯言薬の調合の仕方は?」

「は?」

「では、紀元前一世紀、錬金術の祖ヘルメス・トリスメギストスが記述したとされる文書は?」

「いや、知らない…」

「エバネスコ、この呪文の効果は?」

「だから知らないって!」

 

ウィルは矢継ぎ早に複数の質問をした。しかし二人はまったくこの質問に答えられなかった。

トムもこの男の意図が分からない。この局面で急に何だ、という話だった。なぜ突然、こんな初歩的な話を?と怪訝に思っていると、ウィルは鋭くトムの名前を呼んだ。

 

「トム!」

「え?なに?」

「答えは?」

「バレリアンの枝葉/トリカブト/ディタニィ、ヘルメス文書、消失呪文…だろ?」

「はい。正解」

 

全て合っていた。トムにとっては考えずとも答えられる内容だった。

 

「どれもこれも一年生で習う内容ですよ。基礎もおろそかにしている身で年下に絡んで恥ずかしくないんですか」

 

言うが早いか、ウィルは動揺した一人に向けて攻撃呪文をぶっ放した。男の体が後方に吹っ飛ぶ。さっき以上の凄まじい速度と威力だった。

トムはなぜ、さっき離れろという合図をウィルが出したのか察した。余波に巻き込むから下がれ、と彼は意図したのだ。

 

「勉強しろ!ここは学校だぞ!?馬鹿が!!!」

 

と、一番元も子もないことを怒鳴った。

ちなみに。一年生の内容では全然なかった。

ウィルやトムのような人間にとって、一年生の範囲、とは一年生に教えられる内容のことではなく、一年生のうちに習った内容で理解できる範疇のこと全てである。なので分からなくて当然と言えば当然だった。

勉強ができるやつというのは、この辺りの認識から違う。

 

「お前っ!」

 

ウィルは残った一人も物理的に黙らせた。

やってしまった。

もう何があろうと、一番悪いと言われるのはウィルだし、絶対にただでは済まない。立場上がる人間に手を出すとはそういうことである。

しかしウィルはクルッ、と振り返ると何でもない顔でトムに話しかけた。

 

「無事?」

「あ…うん…」

「顔平気?首痛くない?」

「ない…」

 

彼は即座に切り替えた。軍人のような切り替えの速さだった。子供にしては不自然なほど、荒事に慣れすぎている。

だが、これにはちゃんと理由があった。

彼はたしかに裕福な家の出だが、貴族のような権威のある家の出身ではない。彼の父親や、その父親などは出世のために無数の人間を踏みつけて成り上がった人間なのだ。つまり、敵が多い。

それはウィルもそうで、これでウィルが女だったら、ただただ大事に育てられていたのだろうが、生憎と男だったので自衛はできる方がよろしい、そういう教育方針の元育てられている。突発的な暴力にはとりあえず暴力でいい、その償いはあとで金を払ってどうにかすればいい、わけで本人の命が最優先、と生まれた時から教えられているので、すぐに脳が切り替わったのである。

これは、物騒な時代背景だったというのもある。時は1930年代、第二次世界大戦が起こる直前である。

だからウィルからすれば、これは全く不自然なことではない。

しかしトムはというと。

 

「……」

 

めちゃくちゃ引いた顔をしていた。

今の彼の思考を言語化するなら、マジかコイツ、である。彼も暴力に躊躇のある男では全くないというのに。

自分が暴力を振るえる人間であるのと、人の暴力性を見てどう思うかはまた別の話なのだ。

 

「……タハッ!」

 

ウィルは、このトムの引いた顔がなんだかツボに入った。

列車で二人きりだった12時間でも、この三ヶ月の生活でも、殴られても。

表情にはボロすら出さなかった相手が、いまや全てを忘れてドン引きしている。

そしてトムはとても顔がいいのだ。とても顔のいい少年の渾身のドン引き顔。これがウィルはツボに入った。

ウィルは吹き出して顔を片手で覆って俯いた。これはウィルなりの爆笑だった。

彼はこの歳の頃、滅多に笑わない子供だったのだ。特に愛想笑いを覚える前は、本当に笑わなかった。

本人はそんなつもりはないが周りから見れば、彼はいつも冷め切ったつまらなそうで顔をしていて、笑うのは誰かがどうしようもない失敗をした時に仕方なく失笑するか、マジで品のない下ネタを言われた時くらいだった。本当に最悪な子供だった。

だから吹き出すのなんて、最後はいつだったか思い出せないくらい前のことである。

こんなに笑うのは久々である。腹筋と脇腹が痛い。普段使わないところの筋肉を使って笑っているからだった。

これにトムの止まっていた時が動き出す。

理由は分からないが、今まで見たこともないほどウィルが笑っている。いろいろな感情が湧き上がってきて、なんだかよく分からないがトムも釣られてゲラゲラ笑ってしまった。

 

「ハハッ、フ、ハハハははは!」

「アッハッハッハッハ!ハー、ハハ…」

 

二人は爆笑しながらその場を後にした。途中何人かそれを目撃した同級生たちが、何事?と言う顔をして通り過ぎた。

 

「フフ…フフふ、ふ…」

「やめよ、もうやめよ…」

「は、は…ハハッ」

「やめろってぇ、あー、何がおかしいんだか…」

「君が、ふ、始めに笑ったんだよ…」

 

二人は適当に壁の端に座り込んだ。

そうしてしばらく一緒に笑っていた。

 

「…ありがとう。助けてくれて」

「……」

 

ウィルはやっと笑うのをやめてトムを見た。

トムは笑っていた。いつもの得意げに口角を上げるでも、人を見下して微笑むんでもなく、多分純粋に笑っていた。

ウィルはコイツでもちゃんと笑うんだなと思った。それは彼のセリフだったが。

 

「でもなんで助けてくれたの?」

「アイツらが手出したから」

「それだけ?」

「それだけだけど、やっちゃいけない一線だよ。直接的な暴力って」

「だとしても、あそこまでしたのはなんで?」

 

ウィルは答えに困ってしまった。

確かにそうだ。暴力には見合うだけの暴力で返すべきだった。あれは明らかにやり過ぎだし、おそらく過剰防衛に当たる。

では、なぜそうしたか。

 

「アイツらがめっちゃムカついたから」

「え〜〜〜っっ」

 

単純!と、トムは思った。

その通り。単純である。

 

答えはとてもシンプルで、単に本気でキレてしまったからだ。

ウィルにトム・リドルに対する特別な感情は特にない。

彼は、若い頃特有の妙な正義感もないし、そんな感情を一生持てようがないし理解もしないだろう。だから義侠心に駆られたわけでもない。

ただ。その辺に散らばってる輩よりは、列車で一緒に学校に行って、どうでもいいことを共感して、毎晩一つ隣のベッドに寝ている男の方に僅かばかり情があっただけ。

連中の言い分が気に食わなかったってのもある。

身の程知らず。馬鹿がのさばっているのは見ていて気分が悪い。じゃどうするか。潰したらよろしい。それで解決すりゃあ世の中わけはないが、11のガキはそんなこと知らん。気に入らなければすぐキレるし、その仕掛けはゼンマイ仕掛けより単純なのである。政治家とか絶対に向かない男なのだ。

そういう、突き詰めればゴリゴリの感情論でウィルはトムを助けた。

彼はたまに、普段の理路整然とした思考回路が吹き飛ぶ。それはめちゃくちゃ納得がいかないことに直面した時だ。

ウィルは本来コテッコテの理論派だったが、キレた時はとにかく感情的だった。合理的な分、理論が通ってないことに関しては治外法権と思っているので、何したっていいと思ってるのだ。そういう時には理屈等全てをすっ飛ばしてとりあえずキレてしまうのだった。

普段は子供らしくないくせに、こういうところだけ変に子供だった。

まあ、しかし。

救われたことに変わりなかった。

 

「君って…よく分からないと思ってたけど本当によく分からないね」

 

ウィルはキョトン…とした顔でトムのこの一言を受け止めた。

なぜ分からない、と言われるのか分からなかった。こんなに論理的に、分かりやすく生きているのに。むしろウィルからすればトムは野心が強すぎてまったく別の生物に見えている。

彼らは全然タイプの違う人間だった。

だがまあ、そういうものなのだろう。大抵人は理解し合えない。だが理解できなくてもいいのだ。

タイプの違う人間が、分かり合える数少ない機会を提供してくれるのが、学校というものである。

 

 

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