20XX年。
一年前、ブルーアーカイブは大団円のストーリーをもってサービスを終了した。
あの終幕は、今思えば夢みたいだった。
サ終の1時間前――連邦生徒会が当番として選べるようになり、あの“梔子ユメ”までもが静かに実装されていた。
プレナパテスも、かつて人だったころの姿でロビーに立っていたけれど、戦闘には参加できなかった。
30分前には、ゲマトリアの黒服たちに声がつき、ベアトリーチェ、デカルコマニー、ゴルコンダ……地下生活者までもが次々と姿を現した。
SNSは歓喜と混乱でいっぱいだった。黒服に涙する人もいれば、地下生活者に怒りをぶつける人もいた。
イラストが出ていたキャラクターたちは全員実装された。
アイン、ソフ、オウルも、男装衣装のイチカも。
あれは……本当に“最後の願い”だったのかもしれない。
プレイヤーの記憶が、想いが、祈りが、あの最終日を作っていた。
そうでなければ、あんな奇跡みたいな時間が現実にあったなんて、今も信じきれない。
外出から帰ってきて、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
返事はない。廊下にはほのかな暗がりが広がっていて、家族はまだ帰宅していないようだ。
靴を脱いで荷物を持ちなおし、自室へ向かう。ドアを開けて中へ入り、椅子に腰を下ろしてひと息つく。外出の疲れが一気に身体を重たくしていく。けれど、空腹には抗えない。
「おなか減ったな……」
ぽつりと独り言をつぶやきながらリビングへ向かう。冷凍庫を開けると、やわらかい冷気が頬に触れる。
奥に置かれたクーラーボックスを取り出し、まな板の脇へ静かに置く。
金属の留め具を外して蓋を開けると、透明度の高い氷の塊が数個、詰まっていた。
その中から一つを選び出し、しっかりした感触のまままな板の中央に置く。
氷は大きく、手のひらに少し余るほど。
キッチンの引き出しからアイスピックを持って握り、角に刃先を当てて静かに力を加える。
コン……コン……と先端を何度か当てながら氷と会話するように様子を見る。
ひと突きごとに、氷の角が少しずつ剥がれていく。
やがて、口径の小さめなコップにぴったりのサイズに整った。
冷たい手触りのまま、氷をそっとコップへ落とす。
コツン、と控えめな音が底に響く。
ク-ラ-ボックスを溶けないように冷凍庫に戻してコップも同じタイミングで入れて、蓋を閉める。
冷たさが整うまでの時間に、次の段取りへ入る。
火を点けて弱火から強火へ一気に火力を引き上げる。
油を引いた中華鍋の底が、すぐに熱を帯び始める。
刻んでおいた青ネギを冷蔵庫から取り出して最初に入れると、ぱちぱちと音が立ち、油の香りが変わる。
続いて卵の殻を割って容器に卵を移して黄身と白身を切るように混ぜて、溶き卵を一気に流し込む。
卵はすぐに膨らみ、表面がふわっと持ち上がる。
その上から温めたご飯をのせ、木べらで一気に混ぜていく。
最初は米が塊のまま木べらに引っかかる。
けれど卵と油が絡んでいくうちに、少しずつ粒がほどけていく。
鍋を返す手の動きと連動するように、ご飯が空気を含んでふんわりと仕上がっていく。
ご飯の後塩コショウをし鍋肌から醤油を垂らし回す、焦げる直前の香ばしさを放ち、
味の中心に深みを加える。
最後にもう一度大きく鍋を振る。
炒飯がふわりと跳ねて、鍋に収まる。
火を止めて、皿の中央に高く盛り。ほんの少し角を残しつつ、ざっくりと整える。
飾らないけれど、食べる前から香りで満たされるような、温度のある仕上がり。
続けて目玉焼き。
小さめのフライパンに油を引き、中火にかける。
温度が落ち着いたところで、卵を割り入れる。
白身がじわじわと広がり、黄身が高くふくらんだ。
ここで火を少し弱める。
白身の縁に色がつき始め、静かに固まっていく。
裏返さずにそのまま焼き続け、焦げつかないギリギリのところで火を止める。
フライパンを傾け、目玉焼きをそっと滑らせるように炒飯の横へ盛る。
白と黄の色が加わるだけで、一皿が少しだけ明るくなる。
冷凍庫をもう一度開ける。
中のコップは表面が薄く曇り、氷は角が少しだけ丸くなっていた。
持ち上げると、グラス越しに冷たさが手のひらに伝わる。
炭酸を注ぐと、氷が一瞬だけ沈みかけ、すぐに浮かび上がった。
コップの中で泡が静かに立ち上り、冷たさを視覚で確かめるような時間が生まれる。
コップと皿を手に、席に着く。
湯気を立てる炒飯と、焼きたての目玉焼き。
その横に、薄く曇った冷たいコップ。
適当にテレビをつけながら、スプーンを手に取って食卓についた。
「いただきます」
一口、口に運ぶと、思っていたより全然食べられる。
と、誰に向けるわけでもなく思った。米粒一つ残さず食べ終え、皿を洗い、ソファに腰を下ろしてテレビを眺める。ニュースやドラマで時間を潰すが、すぐに飽きてしまった。
ふと、使わなくなった古いタブレットのことを思い出す。
自室に戻り机の引き出しから取り出し、ケーブルに接続。モニターも一緒に電源を入れる。
モニタ-の大画面に映し出されたのは、懐かしいアイコンたち。インターネットを開き、いくつかのタブを見ていく。
気がつけば時計の針は良い時間を指していた。ゲームアプリを開こうか迷ったが、なんとなく気分が乗らない。
すると、画面の中に見覚えのある懐かしいアイコンが目に入った。
「懐かしい……ブルアカだ」
サ終の最後の最後までプレイをしていたのをよく覚えている。
その後、徐々に熱が冷めていき終了後半年くらいには全然触らなくなっていた。
指が自然と動き、そのアプリアイコンをタップする。
読み込みが始まり、BGMがゆっくりと流れ始めた。そして、突然。
「ブルゥッ!!アーカイブ!!」
懐かしい声が、モニターから力強く響く。宇沢レイサのタイトルコールだ。
画面がタイトルからNow Loadingへと進み、当番のキャラクターが登場する。
「久しぶりにストーリーでも見るか……」
そう思い、メニューから「お仕事」を選び、「ストーリー」へと進む。
アビドス対策委員会のエピソードから読み始め、思い出に浸る。
一章、そして二章を一気に駆け抜けたころ、気づけばかなりいい時間になっていた。
まだ寝るまで時間がかなりあるし物語の続きを読み進めようと思っていた矢先――。
モニターにノイズが走ったかと思うと、画面の奥から途切れ途切れの声が漏れ出した。
「……せ……ん……」
雑音にかき消され、断片しか聞き取れない。
テレビは消えているし、家の外からの声でもない。耳の奥に直接触れてくるような、不自然な響きだった。
「……せん、せい……」
二度目は、はっきりと聞こえた。
ストーリー画面の文字が揺らぎ、水面の波紋のように滲む。
指先でタップしようとしたが、もう操作は効かない。
――そして三度目。
「先生……!!!」
今度は明瞭な声。
その瞬間、波紋の中心から光があふれ、現実の空気までもが揺れ始めた。
映画やアニメのような“第四の壁”を越える演出。
青い球体、銀色のチケット――そんな仕掛けは、あくまでフィクションの中だけのものだと思っていた。
だが今、光は机の上に置いたマグカップを震わせ、カーテンを揺らし、部屋の空気を塗り替えている。
(ありえない。いや……でも、これは現実だ)
眩しさに目を細めた先で、光の中に輪郭が形を取り始める。
銀髪。大きな耳。眠たげな瞳。黒いドレスのような服装に、存在感を主張する胸元。
「ん、成功したみたいだね」
忘れもしない姿だった。シロコ*テラー。
現実には存在しないはずの彼女が、目の前に“実体”として立っている。
呼吸が浅くなる。理解追いつかない。
でも、目を逸らすこともできなかった。
「……シロコ*テラー……?」
キョロキョロと辺りを見回していた彼女の名前を呼ぶと、シロコ*テラ―は嬉しそうに私を見つけて微笑んだ。
その笑みは、優しさと確信に満ちていて、否定の言葉を飲み込ませる。
「やっぱり、そうだったんだ。……あなたが、もう一人の先生」
「それは……違う」
思わず声が出た。
即座に否定したけれど、彼女は少し考え込んだ後、静かに首を横に振る。
「ん、違わないよ。私たちの、先生。ずっと見守ってくれた……それだけで、十分。
私たちにとっては、それが――大事なことだから」
彼女がブルアカのキャラクターであることも、こうして現れることができる存在であることも、事実として認めざるを得なかった。
もう目を背けることもできない。
「先生……私と一緒にアビドスへ来て欲しい、先生を招待させて」
差し出された手を前に、思わず息を呑み言葉が詰まる。
その声音は静かだったけれど、どこか抗えない力を含んでいた。
「ま、待ってよ……無理だよ。そっちの先生並みにスペックなんだよ?」
冗談めかそうとしたのに、声は震えていた。
それでも彼女は揺るがなかった。
瞳の奥に、確信のようなものを宿したまま、淡々と告げる。
「それでも先生には来て欲しい。それに……安全は、小さいシロコや先生が保証する」
問いかけようとする言葉を、彼女が重ねるように遮った。
その仕草は優しく、けれど決して否定を許さない。
「わ、わかった。でもこのまま行くのは嫌だから着替えるから少しだけ時間を欲しい」
そう言って隣の部屋へ。部屋着を脱ぎ、外出用の服に着替え、タブレットとスマホを鞄に入れる。
部屋を振り返る。
もう戻れないかもしれない――そう思うと、無意識にこの風景を心に刻もうとしていた。
戻り、彼女の前に立つ。
「水とか持って行った方がいい?」
問いかけると、彼女は静かに首を横に振った。
「最近は整備されてるから」
差し出された手に、そっと自分の手を重ねる。
その瞬間、胸の奥に重たいものがほどけていくのを感じた。
彼/彼女の瞳が、わずかに和らぐ。
「先生はそうしてくれるって思ってた」
その声には、確信と安堵が混じっていた。
迷いも疑いもなく、ただ“信じていた”という響き。
私は深く息を吸い、視線を前へと向ける。
(まさかキヴォトスに行ける日が来るなんて、それにシロコ*テラ―に会えたのもびっくりだし)
彼/彼女は静かにうなずいた。
その仕草を見て、胸の奥で揺れていた迷いが完全に消えていく。
ようやく、自分の覚悟が定まったのだと実感した。
「じゃあ……行くよ」
繋いだ手が、わずかに強く握りしめられる。
言葉はなかったが、それで十分だった。
意識を集中し、目を閉じる。
モニターがさらに強く光を放ち、眩しい輝きが部屋を白く染めていく。
引かれるように彼女の手を握り続ける。
次の瞬間、私とシロコ*テラーは――光の中へと消えていった。
二人の姿が消えた後、部屋に残されブルーアーカイブを起動していた古いタブレットが徐々に透明になり……気がつけば、その姿も、どこにもなかった。