「……あの、話を整理すると、つまり……?」
その日、なのはは手元の書類を見下ろしながら、眉を小さくひそめて言った。
傍らの紙コップから立ちのぼる紅茶の香りは上品なのだが、手にしている資料の中身は香りとは裏腹に、実に厄介なものだった。
「はいっ、整理するとですね!」
前のめりで元気よく声を上げたのは、工程整備部の建設管理課チーフ。管理局制服の上に着こなしている指定作業着のポケットには精密ドライバーや物差しが詰まっていて、目を輝かせながら、彼女は語り始めた。
「先日の旧工場地帯跡なのですが、演習時に設置していた対空システムが好評で、正式採用前に多用途実験構造物を製作し、正式稼働までの実験エリアとして認可してもらえました!ついでに演習場モードをフルスペックで強化・実装しております!」
「……その“ついで”が一番重たいんですが」
なのはは苦笑しながら、書類のページを繰る。
演習場の名称は、《H.A.B.(Hyper Adaptive Battlezone)》。
直訳すると状況適応型戦術環境システムである。
チーフが提出した設計趣旨の冒頭には、こう記されている。
『状況適応型戦術環境システムを基幹に据えた、次世代戦闘訓練フィールド。環境、敵性体、心理的負荷を複合的に変化させることで、実戦に近い多層的ストレス環境を再現。被験者の戦術判断力・精神抵抗値の向上を目的とする。』
「……つまり、簡単に言うと、“その人の恐怖や過去を読み取って、それに応じた敵を出してくる”ってことですか?」
「はいっ! しかもその敵は、単なる幻影じゃなくて、演習用エネルギー体として完全再構成されます!人格模倣型AIが被験者の記憶と心理状態を解析して、過去の戦闘データや理想像、恐怖の対象まで反映できるんです!」
「それ、実戦より疲れるやつじゃないですか?」
「もちろんです!肉体的な負荷に合わせて精神面でも極限状態を味わえますので疲労感は折り紙つきです!」
「興奮気味に即答しないでください」
チーフの背後に控える技術員たちは、なぜか拍手。中には小声で「テストした隊員が悲鳴をあげて四つん這いになりながら脱出してきた」とか「戦略シミュレーションとしては企画部が太鼓判を押している」とか、報告なのか事故歴なのか分からない単語を口にしている。
その混沌を手のひら一つで制したのは、唯一スーツ姿のまま静かに座っていた課長だった。
穏やかだが芯のある声。落ち着いた眼差し。その存在だけが、この部屋の理性を正常に保っていた。
「……高町教導官。現場目線で申し上げますと、今回の演習施設については、当課としても一部機能の過剰実装は認識しています。ただ同時に、近年の魔法犯罪の増加と、魔導師が異常環境下での対応能力を育成するべきという観点から、新たな訓練環境の実証実験として一定の価値があると判断しました」
そう前置きし、課長は丁寧に頭を下げる。
「恐れ入りますが、試験運用への協力をお願いできませんか?」
「課長、それで正面からお願いしちゃうんですね!?あーっ、ずるい!」
「チーフ、あなたが火の玉ストレートの豪速球爆弾を高町教導官へ投げるような説明をするからこうなってるんです」
「私にも恥じらいはあるんで“爆弾”って言い方はちょっと……今回のは純粋な魔力観測器なんですけど!」
「それを世間では“爆弾”と呼びます」
課長とチーフのやりとりを聞きながら、なのはは深いため息とともに資料を閉じた。どう考えても、まだ訓練に慣れていない新人たちに使わせるような代物ではない。
(せめて、ある程度実戦経験のあるメンバーで様子を見るしかないかな……)
思い浮かぶのは、例えば親友のフェイトやはやて、愛弟子たちのスバルやティアナ、戦友のシグナムにヴィータ。彼女たちなら了承してくれるだろう。おそらく全力でダッシュして、天井に吸い込まれていく未来しか見えない。
「……わかりました。一度だけです。訓練生のスケジュールを調整して、来週、テスト運用に協力します」
「やったぁー!! 課長ぉぉ、聞きました!? 高町教導官、神です! 女神です!!」
「いや、君たちが神頼みしすぎなんだよ……」
課長はこめかみを押さえながら、静かに嘆息する。
後ろで技術員たちは「あのエースオブエースに理解された……!」と妙な感動に包まれている。
「……ただし。何が起きても、訓練生の安全が最優先。あと、私のせいにはしないでくださいね?その点は報告書でも明記させていただきますので」
「はっ!」
チーフが即座に敬礼し、技術員たちも右にならえ。課長だけは、ややうつむいてため息をついていた。
(この人だけが……唯一まともだ。たぶん)
なのはは紅茶を飲み干して立ち上がる。
「じゃあ、当日……お手柔らかにお願いしますね?」
「もちろんです! ……たぶん!」
「“たぶん”はやめましょうか」
▼
そして当日。
なのはの要請に応じたスバルとティアナ、ヴィータ、シグナム、そしてたまたま非番だったフェイトは旧工場地帯の演習場に来ていた。
「えっと……ここ、演習場っていうより……」
「……お化け屋敷?」
外観を見た第一印象で、ティアナとスバルの声が重なった。
彼女たちが到着したのは、旧工場地帯の一角――スターライトブレイカーの直撃から奇跡的に逃れた建物。
といっても、無事だったのは文字通り“建物の形がかろうじて保たれていた”という意味であり、至るところに爆風の爪痕が残されている。
入り口の天井はところどころ歪み、剥がれかけた案内標識が風に揺れてギィィ……と嫌な音を立てる。足元には雑草が生え、コンクリートにはひびが走っていた。
全体から漂うのは、訓練施設というより霊的スポットの風格である。
「この雰囲気、絶対なんか出るよね……?」
「ていうか出るって断言してるような顔ぶれじゃね?」
ヴィータが言い放つ。
すると施設の脇から人影が出てきた。
「ようこそ!新・戦術演習エリア《H.A.B.》へ!!」
勢いよく飛び出してきたのは建設管理課のチーフとこの施設の建設に関わったメンバーだった。皆そろって自信に満ちあふれた笑顔を浮かべている。
「いや〜来てくださってありがとうございます!ここ、外観ちょっとアレですけど、中身で勝負!実際に超ハイスペックですからね!初見のリアクションが我々の一番の楽しみなんですよ!」
拳をピシリと突き出していうチーフになのはは困った顔で答えた。
「そういう施設の説明、初めて聞いたよ……」
スバルが困惑すると、別の技術員が堂々と続けた。
「我々建設管理課は、“機能美と心理的インパクトの融合”を目指して、今回の演習場をデザインしました!古い建物を敢えてそのまま活用することで、よりリアルな臨場感と恐怖感を」
「臨場感と恐怖感って並べていいやつか、それ」
「安心してください!高町教導官の砲撃魔法のデータを基準として設計してるので構造的補強は万全です!」
「高町砲撃指数的には80点代をマークしてます!」
「いや聞いたことのない指数を言われても……高町砲撃指数?ちょっと待って、高町砲撃指数って言った?」
なのはの指摘をスルーするスタッフたちは一様にキラキラとした眼差しで、建物を指し示す。彼らの口から飛び出す言葉は、技術者ならではの誇りと狂気がブレンドされた独特のテンションだった。
「いや〜この建物、設計段階では精神崩壊限界チャレンジ施設って仮名だったんですよ。さすがに怒られまして」
「誰だ、そんなイカれた名称をつけようとしたやつは!? 」
「ちなみに! 本施設の目玉、《深層恐怖インターフェース》は、訓練参加者の心理・記憶・戦歴をAIがリアルタイム解析し、もっともストレス値の高い対象を選出・投影する最新鋭システムなんです!」
「言い方を変えてもトラウマ製造装置なんだが……」
スタッフの一人が嬉しそうに続ける。
「この前テストした隊員は、訓練後に“母親の怒った顔と訓練教官の説教と昔の失恋時の心の痛みが呼び起こされた”って泣いてましたよ!データはしっかりと記録しているので安心して使用してください!」
「それ泣かせてるっていうか壊してるから!!」
「何一つ安心できる要素がない……!」
「でも、すごくリアルでした!本人も“これは本物だ”って震えて……!」
「それもう訓練じゃねえよ!!!」
ヴィータのツッコミもすでに様式美である。これが対空迎撃ユニットならば外せ!と一括できるのだが、今回は施設丸ごとが建設管理課の玩具になってしまっているので手の施しようがない。
フェイトが、小声でなのはに尋ねる。
「……なのは、本当にこれ、“試験運用”だけで済むの?」
「うん……たぶん?」
「“たぶん”はやめて。今だけは確信がほしい……お願いだから」
なのはが曖昧な笑みを浮かべたまま視線を逸らしたところで、問題は誰が先に施設に入るのか、という話になる。
だが当然、説明を聞いてしまった後では、誰一人として進んで名乗り出る者などいなかった。
スバルは腕を組んで口を尖らせ、ティアナは引きつった笑顔を貼り付けたまま、気づけば一歩、いや二歩後退。フェイトは遠くの空に現実逃避を始めていた。
そんな中、静かに歩み出た者が二人。
ヴォルケンリッターの騎士、シグナムとヴィータである。
2人は既にバリアジャケットを展開済み。シグナムは腰のレヴァンティンに指先を添え、その感触を確かめるように一瞬目を閉じた。一方のヴィータは、鉄槌グラーフアイゼンをいつものように無造作に肩へ担ぎ、飾り気のない足取りで前に出る。
「こんなんでビビってられねーよ」
「所詮は、生み出された幻に過ぎん。烈火の騎士に、まやかしは通じん」
バリアジャケットの裾が風に揺れ、ふたりの足取りはまるで儀仗兵のように迷いなく、そして美しかった。
その背中を見て、誰もが心の中で呟いた。
やっぱり、頼れるのはあの二人だ。
「すぐに踏破して戻る。待っていろ」
それだけを言い残し、ふたりは並んで施設の中へと消えていった。直線的で、堂々とした背中は――まさに戦士のそれだった。
……だが、そのわずか数分後。
――キャアアアアアアァァァァァァアアアアアアアアアアアッッッ!!!
突如として空気を震わせる絶叫が施設の奥から響き渡る。
耳を疑うほど高く、透き通った、しかし信じられないほど“可愛らしい”声色で。
「!?え、今の誰!?」
「……いや待って、あの声、まさか――」
「うそ……シグナムさんとヴィータ教官……!?」
次の瞬間。
演習施設の重厚な扉が**ドガァン!**と勢いよく開かれ――
全力疾走でふたりが飛び出してきた。
戦場帰りの勇者のような風格はすでになく、背後から地獄の亡者でも追ってきているかのような勢いで、目を見開き、髪を乱し、顔色は真っ青。
しかも、走りながら口元から漏れていたのは――
「やだやだやだやだやだぁぁぁあああ!!!」
「見せるなあああああ!! 見せるんじゃなぁぁい!!」
そのまま勢い余って地面に突っ伏すと、2人してレヴァンティンと、グラーフアイゼンをぽとりと手放した。まるで、「もう何もしたくない」という静かな意思表示のように。
「シ、シグナム!?ヴィータ!?な、なにがあったの!?」
駆け寄ろうとするフェイトを、シグナムが震える手で制した。
「……聞くな。言うな。忘れろ……」
目は遠くを見つめ、現実に焦点を合わせる気配がない。
「悪夢だ……あれは、見てはならぬ深淵……地獄の奥底だ……」
ヴィータは地面にへたり込みながら、震える声で続けた。
「……この世にあんなAIを作るやつがいるのか……しかもノリノリで……」
その横で、建設管理課の若手スタッフが頷きながらメモを取っていた。
「おおー!すごい反応!再現率98%の“トラウマAI”が完全に機能してますね!やっぱりヴォルケンリッターの戦歴データを直接参照したのがよかったのかな~」
「課長!!この狂ったエンジニアたちを今すぐ止めてください!!」
「演習施設じゃなくて、完全に精神崩壊ブーストかかったホラー施設なんですけど!?」
スバルとティアナが揃って叫び、なのはは「う、うーん……やっぱり、これちょっとやりすぎだったかなぁ……?」と頬をかく。
その後もしばらく、誰ひとりとして施設内に足を踏み入れようとはしなかった。
いや――足を入れられる精神状態では、なかったのだ。
誰もが理解していた。
さっきの悲鳴と、二人の“魂が抜けた帰還”がすべてを物語っていた。
それでも――沈黙を切り裂くように、スバルが拳を握りしめて立ち上がる。
「よ、よし!わたしたちも行ってみよう、ティア!」
「えっ!?ちょ、ちょっと待ってスバル、本当に!?あれ見たよね!?あの二人の……アレを!」
「でも!ヴィータ教官たちが全力で走って逃げたってことは、何かがあるってことだよ! だったら、それを確かめるのが……私たちの役目だと思う!」
まっすぐな瞳でそう言われ、ティアナは数秒黙り……。
「……わかったわよ。相棒が行くからには付いていかなきゃね。それに……絶対に戻る。それだけは約束してよね」
バリアジャケットを展開し、2人は慎重に、しかし確実な足取りで施設の中へと消えていった。
……十数分後。
――ズシャアアアァァァ!!!(ドアが吹き飛ぶ音)
「無理無理無理無理無理無理無理ッッッッ!!!」
「何あれ!?あんなの訓練じゃないわよ、もうほとんど拷問よ!!」
ウイングロードを展開して全力で駆け抜けた結果、天井から逆さまに落ちてきて大回転しながら出口を飛び越えるスバル。ティアナは“増殖する過去のトラウマ”に追い詰められ、半泣きで銃を乱射していた。
その後。
「……はぁ。やっぱり私たちも行かなきゃダメ、だよね……」
なのはは深いため息をつきつつも、すでにバリアジャケットを展開済み。フェイトも無言で頷きながら、バルディッシュを構えていた。
「フェイトちゃん、怖かったら無理しないでね」
「……正直、怖い。怖いけど、他に行ける人もいないし……それに、なのはが一緒なら、大丈夫」
ふたりの手が、そっと重なる。
「――じゃあ、行こう。覚悟、決めて」
重苦しい沈黙の中、ふたりは施設の奥へと消えていった。
……約五分後。
――ドガガガガガガガァァン!!!!!(壁が破壊される音)
次に現れたのは、壁を突き破って現れるなのはとフェイトの姿だった。
顔を真っ赤にし、息を切らし、なのはは一言――
「ちょっと待ってあれはダメ!ダメなやつだよフェイトちゃん!あざとすぎるよ!全力で私の心を殺しに来てたよね!?!?!?」
そんななのはの隣で、フェイトは呆然とした顔のまま、ふらりと座り込んだ。
「……予想はしてたけど……母さんとアリシアに“いつまで人の顔色をうかがってるの?”って正座で説教されるのって精神攻撃が過ぎると思う……」
なのはは手で顔を覆い、全身を震わせながら呻いた。
「しかもね、最後に出てきた“白スク水”の私が、“なのは、今あなたの心に足りないのはピュア成分です”って言ってきたの……あれ誰が作ったの……?」
普段ある2人のオーラは完全になくなっていて、フェイトに至っては目のハイライトが消えていた。
フェイトはぼんやりと遠くを見つめたまま、ポツリとつぶやく。
「……私の心に足りないのは……自分の思いを、ちゃんと言うこと……」
「フェイトちゃん戻ってきて!? あれもう完全にトラウマ植えつけてくる感じだったよ!? 白スクの私、あんなにピュア顔で微笑んでたのに、なんであんなに怖かったの!?」
なのははぶんぶんと首を振り、全力で現実逃避中。だが隣では、フェイトがなおも真顔のまま、足を抱えて体育座りしている。
「白スク……。白スクって、あんな破壊力があったんだね……」
「フェイトちゃん!? 本格的に戻ってきて!? 今もう、違う世界線に行きかけてるよね!?」
なのはが肩を揺さぶっても、フェイトの虚ろな瞳はひたすら遠くを見ていた。
「おおっ、皆さん素晴らしいリアクションですねぇ~~!」
そんなところへ現れたのは、建設管理課のチーフ技術者。白衣にゴーグル、そして圧倒的なマッドスマイルである。
「全データ、ばっちり記録済みです! これは今後の訓練施設のスタンダードに……あ、資料映像見ます? 再生も可能ですよ! ほら、白スクの……」
「いらない!! 消して!! データベースごと焼却して!!」
なのはの悲鳴が響き渡る中、フェイトはまだ放心したまま小さく呟いた。
「……なのはが……ピュアを語る時代……」
「そこ!余計なこと言わない!!」
一方、チーフは手帳に何やら熱心に書き込みながら、まるで料理番組の講評のように呟いた。
「うーん、やはり――亡き家族との再会→道徳的説教→白スク型による羞恥の波状攻撃……この“精神三段式”が一番効くな……!」
「効きすぎるわ!!」
ティアナが全力でツッコむも、チーフは満面の笑顔でサムズアップをかました。
「この成果で次の予算、増やせますねぇ~~!」
「人の心はないんですか!? 課長ーーー!! このマッド技術班を早く止めてください!!」
その叫びと同時に、演習施設の重厚な扉が――まるで悪意の象徴のように――ギィィィィと音を立てて閉じられた。
こうして――この“精神破壊演習場”での実地試験は幕を下ろした。
▼
演習施設の正式採用は、なのはたちの涙ながらの強硬な反対によって、完全に白紙となった。
当然である。ヴィータは一週間ほど目を合わせてくれず、スバルとティアナはデバイスに向かって謝罪し続け、フェイトに至っては「白スク」という単語を聞いただけで小刻みに震える状態になっていた。
その言葉に、建設管理課のメンバーは、泣きながら解体を……しなかった。
逆にこう言い放ったのである。
「我々は諦めません!次はよりリアルで、より心の深層に踏み込む“本物”を提供します!」
そんな硬い決意表明の報告書を読んで、なのはは「別会社に外注しようかな……」とポツリと呟くのだった。
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法務部の活躍
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交換部の活躍
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広報企画部の活躍
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