沿岸警備隊。
それは、時空管理局の広大な組織網の中でも、最も広範かつ過酷な任務を担う部隊のひとつ。
正式名称は「時空管理局 地上本部付 沿岸監視統括部隊」。
名だけは知られていても、その実態が語られることは稀である。
ただひとつ広く知られているのは、「J.S事件」の英雄、八神はやてがこの部隊の司令官を務めているという事実だけだ。
しかし、その任務は想像を遥かに超えて、多岐にわたる。
たとえば、ミッドチルダ。
中でもクラナガン近郊の海域においては、海上治安の維持を中心とした日常的な哨戒活動が続けられている。
管理世界と外世界を結ぶ海上運行ルートの監視、違法航行艇の追跡と拿捕、密輸・不法侵入者の摘発。
さらには、密輸された魔導生物が制御不能に陥った場合の危機対応、次元災害の初動処理や漂流世界からの難民受け入れ・監査まで――。
その任務内容は、まるで「何でも屋」。
はやて本人も、「J.S事件の功績にかこつけて、あらゆる厄介事を押しつけられた新設部隊や」と自嘲混じりに語っている。その言葉には、上層部への皮肉と、日々の激務への疲労感が滲んでいた。
だが、それでも。
誰かがやらねばならない。そして、誰にでもできる仕事ではない。
「静かやけど、この世界は何が潜んどるかわからへん」
かつて、はやてがそう語ったように、世界は不安定で、不均衡だ。秩序は容易く崩れ、混沌は予告なく襲いかかる。それを防ぐこと……それこそが、沿岸警備隊の真の役割である。
管理局の「正義」だけでは解決できない問題が、そこにはある。
法と人道。戦術と外交。信念と現実。
あらゆる矛盾がぶつかり合い、時に葛藤しながらも、彼らは海の最前線に立ち続ける。
陸では見えないものがある。
空では届かない声がある。
八神はやては、そうした「真実」に、真正面から向き合う。命令書に署名し、部下を海へ送り出し、必要とあらば自らも前線へと赴いて――。
これは、「魔法」と「海」と「世界の境界線」をめぐる、知られざる戦いの記録である!
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時空管理局は密やかに….しかし確実に窮地に陥っていた。
その原因は敵性存在の襲来でもなければ、封印指定物の暴走でもない。もっと静かで、もっと深刻で、何より日常的な危機。
それは――人材不足。
管理局の構造そのものが、多元世界の平和と秩序を維持するという壮大な理念のもと、膨大な業務量を要求していた。防衛、警備、輸送、教育、行政……あらゆる部署が人手を欲している。
だが、人は来ない。
誰もが責任の重さにたじろぎ、見えない疲弊に気づかず離職し、そしてまた誰かが倒れる。もはや人材不足というよりも、人材のブラックホールである。
そんな折、管理局本部の会議室に、上層部と広報企画部の面々が集められた。
目的は一つ人材確保のための広報戦略を練ること。
「……というわけで、慢性的な人材不足は、今や管理局全体の危機です!」
管理局制服姿の広報部の主任が、やや勢いよく指し棒を振る。
壁面スクリーンに映し出されたのは、過去五年間にわたる入局者数の推移を示すグラフだった。
数字は見事なまでに横ばい、あるいは僅かに右肩下がり。辛うじて大減を防いでいる広報部の努力と苦労が透けて見えるような、生々しいデータだった。
「人が足りない。というより、補充に必要な人すら足りていません。このままでは、沿岸警備隊も物資輸送部門も、やがて完全に機能停止です」
「下手をすれば、災害対応すら遅れかねません」
「もはや緊急事態と言っても過言ではないでしょう」
やや盛られている気もするが、否定できない。
会議室の空気が少しずつ、重くなっていく。そんな中、主任が満を持して静かに提案を口にした。
「我々が今、打ち出すべきなのは――管理局の“イメージ戦略”です」
一瞬の沈黙。そして、軽いざわめき。
「イメージ戦略、というと?」
「管理局の仕事は危険で、堅苦しくて、疲れる――そんな印象がどうしても先行しています。ですが本当は、仲間との信頼に満ち、使命感が生きる、やりがいある職場です」
「それを、もっと外に向けて発信すべきだと」
「つまり、“カッコよさ”より“親しみやすさ”を前に出すんだな」
「そうです。まずは管理局に興味を持ってもらう。そこからがスタートラインです」
誰かが手元の資料をパラリとめくりながら、沈黙を破る。
「で、その“イメージ”を担う人物として、誰が適任か――という話になるわけだ」
「そうなりますね」
「……高町なのは、という案はどうだ?」
挙がったその名に、数名が一瞬うなずく。だが、すぐに慎重な声が返る。
「確かに、知名度も実績も申し分ありません。ただ……彼女は現在、教導官です。彼女を起用すると、どうしても“教導部門の仕事”にフォーカスが寄ってしまう」
「つまり、“管理局に入ったら過酷な訓練が待ってる”って誤解されかねない、ということか」
「はい。実際、上層部でも『高町なのは=鬼教官』のイメージは定着していますし」
「鬼教官って……いや、まあ否定できんが……」
広報企画部としては、入局後すぐに地獄の訓練に放り込まれるような印象は、なんとしても避けたいところだった。そんなイメージでは、人は来ない。
「そう思われてしまったら、新規の応募者はまず来ません」
「なるほどな……」
再び静寂。その中で、別の候補者の名前が挙がる。
「では、執務官のフェイト・T・ハラオウンは?」
一瞬、室内の空気が明るくなる。誰もがその名の持つ“画力”と“信頼感”を認めていた。
「イメージとしては、非常に優れています。ルックスも知名度も、説得力も抜群です。ただし――」
「……ただし?」
「案件が、“映せない”んです」
淡々としたその言葉に、室内に妙な緊張が走る。
執務官という職は、あらゆる外世界の事件を扱う機密性の高い任務が主軸だ。フェイト本人の映像映えは完璧でも、背景や発言の多くが「国家機密扱い」であるという現実。
「映したくても、半分以上はモザイクになるでしょうね」
「画面の半分が真っ黒とか、さすがに……」
「情報保全課に睨まれます。最悪、企画自体が没になりますよ」
「うーん……」
誰かが低く唸った。良さそうに思えた選択肢が、ことごとく現実に阻まれていく。
会議の空気は再び、袋小路へと入り込みつつあった。
「他に、“若くて信頼されていて、実績があって、映像映えして、かつ視聴者に親しみを持ってもらえる人”なんて――」
「いるわけ……いや、待て」
ぽつりと、誰かが言った。
「最年少司令官、八神はやて、というのはどうだろうか?」
その名が出た瞬間、場の空気が変わった。数人が顔を見合わせる。そして、誰からともなくうなずき始める。
「沿岸警備隊の八神司令ですか。彼女なら……確かに、実績も十分。魔導師としても高ランクで、部下からの信頼も厚い」
「若くして司令官職に就き、さまざまな現場で指揮を執ってきた。働く人たちの現実を知ってるし、何よりその上で今も立ち続けている」
「制服も似合いますし、口調も柔らかくて、視聴者ウケも良いはずです!」
「これは……来たな!」
「来ました!」
その場の温度が一気に数度上がる。誰もが手応えを感じていた。
――ただ一人を除いて。
「……は?」
会議室の扉の近くで、ひときわ鋭い間の抜けた声が上がった。
その場に、書類提出でたまたま立ち寄っていた少女。栗色のショートヘア、タイトな制服姿のその人物……八神はやて司令官が、首を傾げていた。
「え、ちょっと待って。なんでうちの名前出たん?」
一斉に振り返る広報部員たち。
「あ、八神司令!ちょうどよかったです!」
「実は今、次のイメージビデオの主演候補に挙がってまして!」
「現場感、信頼感、自然体の象徴!まさにぴったりです!」
「いやいやいや待ちぃ! なんでうちが、そんなことに……!」
狼狽えるはやてに、畳み掛けるように資料が差し出される。
「撮影は来週から! まずは笑顔の練習から始めましょう!」
「いやいやいや待ちぃや!? なんでそんなことに……!? ただ書類届けに来ただけやのに!」
狼狽えるはやての手には、まだ未提出の書類束が残っている。それを置く暇すら与えられぬまま、今度はタブレットと企画書の束が目の前に差し出された。
「こちら、仮タイトル『キラめけ☆管理局ライフ!』です!」
「全シナリオ草案はこちらで手配します!セリフも手書きでリハ可能です!」
「まずは笑顔の練習から始めましょう!」
「笑顔の……れんしゅう……?いやちょっと、そんなん聞いてへんし!?今月だけで訓練視察と出張と演習詰まっとるんやで!? そもそも映るの苦手なんやってば!」
必死の抵抗。だが、彼女の声はあまりにも理性的で、あまりにも普通だった。それが逆に、広報企画部の心に火をつける。
「それがリアルなんです!!」
「等身大!素のまま!頑張る姿に人は惹かれるんです!」
「自然体こそ最高の魅力なんです!!」
「ぜんっぜん納得できへんわッ!!!」
さすがの司令官も、完全に押し切られていた。
圧倒的な勢い、根拠のない自信、そして妙な制作熱。それはまさに、広報企画部という名の“魔物”であった。
誰よりも優れた指揮官でありながら、カメラの前ではただの一般人。
机の上では書類を読み、戦場では指揮を取り、しかし今は――
「なんでこんなことに巻き込まれてるんや……」
どこか遠くを見るような目でつぶやく姿を背に、広報企画部はすでに次の議題へと進んでいた。
「笑顔の次はポージング指導ですね!」
「司令官、今日は“親しみスマイル”だけで大丈夫ですから!」
「やめてぇぇぇぇぇぇ!!!」
かくして――最年少司令官・八神はやてを主演とする、管理局史上最も試練に満ちたイメージビデオ制作計画が、無事可決されたのであった。
次に見たいもの
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法務部の活躍
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交換部の活躍
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広報企画部の活躍
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新しい部門の話
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各部門の主任は同期なので飲み会とか