シン・南斗の拳 俺達の戦いはこれからだ!   作:マジカル☆さくやちゃんスター

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第四十六話 審判の双蒼星

 ――KINGシティにある、白い花が咲き誇る丘。

 そこでトキは女医と共に、町で暮らす人々を見下ろしていた。

 子供が外敵に怯える事なく遊び、優しい人々が笑顔で暮らす光景……それはトキにとって、どんな財宝にも勝る宝だ。

 これからトキはシンに同行して旅立ち、ラオウとの決戦を迎える。

 無事で済むとは思っていない。ラオウの強さは誰よりも自分が知っていると自負している。

 だから、この身体と命はラオウとの決戦に捨てる覚悟だ。

 しかし恐れはない。こんな時代でも人は希望を捨てなくていいのだと友が教えてくれた。

 きっと世界は蘇る……この景色はきっと、世界中に広がる。

 シンはユリアのような温かい光を人々に与える事はないだろう。

 だが絶望の中でも力強く生きていく為の力を与えてくれる。

 そして、暗闇の中で自ら輝く事の大切さを、教えてくれる。

 ……本人にそのつもりはきっと、ないのだろうが。

 

「サラ……私は分かった気がする。光とは、誰かに与えられるのを待つだけではない……一人一人が、自ら発するものなのだと」

「一人一人が……」

「誰か一人の輝きに照らされているだけでは、その光はいずれ消える。皆が集まればどんな輝きも隠れてしまう」

 

 どれだけ強い光を発しても、そこに数えきれないほどの蛾が集まれば覆い隠されてしまうだろう。

 そして、光を発している者もその重みに潰されてしまう。

 特定の誰かが発する光だけでは、全てを照らす事は出来ない。

 

「天は未だ曇っている……だが私には、この景色が何よりも光り輝いて見える……一人一人が発する、希望の光が見えるのだ」

「トキ……」

「私もまた、光となろう。この光景を未来へ繋げる為に……そして、我が兄の道標となれるように」

 

 トキの言葉を聞き、女医は彼の背中に手を伸ばしそうになった。

 どうか行かないで……そう言って、縋りたくなる。

 トキはきっと、ラオウとの戦いに全ての力を使うだろう。

 本当は止めたかった。一日でも多く生きて欲しかった。

 だがトキにそれは出来ない。何故ならラオウとの戦いは、彼にとって何よりも大切な約束なのだから。

 

 最後の戦いに旅立つその背を見送り、彼女は祈る。

 どうか――どうかもう一度、トキがここに帰って来るようにと。

 

 

「ラオウよ、まさかユリアを手中に収めた事を伝える為だけにここに来たわけではあるまい」

 

 ユリアの生存と、既にラオウの手に落ちていた事に動揺するケンシロウとジュウザを手で制し、トキが一歩前へ踏み出した。

 ラオウもまたトキの闘気に応じたように黒王から降りて闘気を高める。

 

「ふっ……病にかかっているとは思えぬ力強さよ。それでこそ我が弟!」

「ラオウ。あなたは師父リュウケンの想像を超え、あまりにも強くなりすぎた……その野望も」

 

 激しく燃え盛るようなラオウの闘気を、トキの水のように静かな闘気が受け流す。

 余計な言葉はもういらない。確認も必要ない。

 今この時、この場に二人がいる。それだけでお互いに成すべき事を魂で理解した。

 来るべき時が来たのだ。共に北斗神拳を学んだあの日から、いつか来ると確信していた瞬間……それが今、この瞬間なのだ。

 二人の様子を見ていたシンは、ユリアを取り戻さんと逸るケンシロウとジュウザに言葉をかける。

 

「おい。俺達は邪魔だ……下がるぞ」

「シン、しかし……!」

「ふざけるな! ユリアを奪われたと知って、俺に指をくわえて見ていろというのか!?」

「そうだ」

 

 明らかに納得がいっていない二人に、シンが氷のような視線を向ける。

 

「トキにはもう時間がない。今この瞬間を逃せば、後は衰え死を待つだけの身だ」

 

 シンは自分やクイーン(サラ)、そして一部のお気に入りを例外として他人の生死など気にしない冷酷な男だ。

 己の配下であるハート以外の旧四重臣が死んだ時ですら、大きく心を動かす事はなかった。

 だがそれでも、認めた相手に対しては多少の肩入れくらいはする。

 ここに来る前にトキの覚悟を見た。ラオウとの戦いを避けて延命に専念すれば少しは長生き出来るだろう。

 あの女医とも、一年か二年くらいは共に生きられるだろう。

 その未来を、幸せな可能性を全て捨ててトキは今この瞬間に臨んでいる。

 幼き日のラオウとの約束を果たす為だけに、ここにいるのだ。

 ならば、と思う。

 せめてその約束くらいは果たされるべきだ。そのくらいは報われるべきだ。

 天に選ばれた主人公の踏み台などではなく、後に彼が勝利する為の布石などではなく。

 

 ――お前こそがラオウを止めるべきだ。お前こそ、誰よりもその権利を持っている。

 

 そう思わされた。

 きっとトキはラオウに勝てないだろうという諦めが心のどこかにある。

 この世界の運命は頑固で、どいつもこいつも『救世主』の花道を彩る添え物だ。

 だがそれでも、僅かな期待があった。

 この男ならばあるいは、と思わせてくれる何かをトキは持っている。

 

「あの二人の戦いを邪魔するならば、貴様等であろうと容赦せん……殺すぞ」

「……っ!」

「やってみせろ、トキ。天に見放され続けたその人生……せめて最後に己の手で勝利という華を掴んでみせろ!」

 

 トキは天に見放されている。それがシンの偽らざる、トキという不遇の男へ抱く感想であった。

 幼き頃に、ケンシロウとヒョウを生かす為に実の母を失った。

 ラオウを目指し拳を鍛え、誰もが伝承者と認めるほどの男となりながら、核戦争のあの日にケンシロウとユリアの為に死の灰を浴びて伝承者への道を閉ざされた。

 それでも人を救おうとすればラオウに幽閉され、築き上げたものを奪われ、その名を貶められ。

 幼き日の約束を果たそうとするも病のせいで敗れ、挙句の果てに静かな余生を過ごす事すら許されずに、またしてもケンシロウの為にリュウガという馬鹿に致命傷を負わされて死ぬ。そしてケンシロウは哀しみを背負い真の伝承者へ至る……それがシンの知る本来のトキの運命、人生だ。

 何だこれは? これではまるでケンシロウの生贄……ケンシロウを守り、ケンシロウを強くする為だけに存在する都合のいい餌ではないか。

 こんな運命では、トキもケンシロウも、ラオウでさえも喜べない。全員が不幸になる。

 あれほど強く優れた男がそれでいいのか? 何一つ報われない、そんな人生でいいのか?

 シンは天を嫌う。天の意思に決められた運命を嫌う。

 だからこそ、柄にもなくついトキに感情移入してしまうのだ。せめてラオウとの約束くらいは、この男が果たしてもいいだろう、と。

 幼き日から一途に追い続けた、その執念は報われるべきだ。そのくらいは許されてもいいはずの男だろう――と。

 

「シン……ありがとう。だが私はお前が言うほど、天に見放されたとは思っていない」

 

 トキは振り返らず微笑んで、ラオウとの距離を一歩詰める。

 あれほど全身を蝕んでいた虚脱感や身体の痛みが今はない。

 限りなく全盛期に近い……いや、あるいは全盛期以上の力がこの身に宿っている。

 最後の最後に、約束を果たせるだけの力が戻って来た。

 この奇跡の瞬間にラオウと立ち会えた幸運……決して無駄にはしない。

 

「お前に会えた。私を支えてくれたあの女性に、ユリアに、ケンシロウに……」

 

 深く息を吐き出し、ゆっくりと構えを取る。

 その眼前ではラオウもまた構え、空気がまるで割れる直前の風船のように張り詰めた。

 

「何よりもラオウ、貴方という偉大な兄に!」

「フフ……天に感謝しよう! これ程の男を俺の前に送り出してくれた事に!」

 

 もう迷いはない。トキの鋭い視線を受け、ラオウは嬉しそうに顔を歪める。

 偉大な兄と戦えるこの幸福。最愛の弟がこれほどの力をもって立ち塞がってくれたという幸運。

 今にも爆発しそうな闘気の奔流の中で、兄弟は互いを認めて静かに笑った。

 

「私の人生は十分に幸せだった……報われていた!」

 

 二人の中心で闘気が渦巻く。

 その場を中心に風が吹き、トキとラオウの両方に向けて逆風が吹き付ける。

 

「トキ……後悔せぬか!」

 

 ラオウがマントを脱ぎ捨て、弟に覚悟を問う。

 

「自ら望んで選んだ道……何の躊躇いもない!」

 

 トキが戦意を昂らせ、兄の問いに答えた。

 同時にラオウとトキを中心に、闘気だけで大地が砕けた。

 始まるのだ。誰も邪魔出来ない、そして邪魔してはならない宿命の対決が。

 ラオウの闘気は『動』にして『剛』。トキの闘気は『静』にして『柔』。

 全く逆の在り方は、そのまま二人の人生そのものだ。

 

「確かに迷いも見えぬ、怯えも見えぬ。死期が貴様の拳を高めたか?」

「私の拳を高めたのは死期ではない。ラオウ、あなた自身の存在だ!」

 

 ――宿命の兄弟対決が始まった。

 仕掛けたのは、やはりラオウからであった。

 巨体に似合わぬ速度でトキの目の前に迫ったラオウが剛拳を雨あられと繰り出す。

 一発とて様子見の手を抜いた拳などない。フェイントもない。

 目の前にいるトキという男をこの世の誰よりも認めている。その強さを誰よりも信じている。

 だからこその初手から全身全霊。一撃一撃、その全てが必殺狙いの大砲の乱れ撃ちだ。

 その様はまさしく激流。目の前にある全てを問答無用に押し流し、破壊する。

 しかし激流を制するは静水。当たればその瞬間に砕ける剛拳の嵐を、トキは静かに流してゆく。

 トキの背後の大地が抉れ、岩が砕け、余波が荒れ狂う。

 しかしトキの身体には傷の一つも付かず、完璧にいなしていた。

 

「北斗――有情断迅拳」

 

 トキの姿が薄れ、ラオウを()()抜けた。

 直後にラオウの全身から血が溢れるが、ラオウは不敵に笑うと力を込めて出血を塞いだ。

 トキの攻撃は間違いなく秘孔のある場所を捉えている。

 だがラオウの闘気と筋肉が壁となり、秘孔まで届いていないのだ。

 

「相変わらず優しい拳だ。必殺の間合いに入ってこねば、この俺は倒せぬぞ」

 

 必殺のタイミングで放った攻撃が必殺にならない。

 これがラオウだ。世紀末覇者を名乗る男の強さなのだ。

 ラオウに致命傷を与えるならば、圧倒的な『力』がなければならない。『技』だけでは倒せない現実がある。

 繰り出されたラオウの剛拳をトキが軽やかな跳躍で避け、背後を取る。

 しかし振り返る事なく放たれたラオウの蹴りがトキに掠り、攻撃を中断させた。

 無想陰殺。無意識無想に繰り出される必殺の拳は、意識ある者に必ず付きまとう死への恐怖がなく、隙も存在しない。

 着地したトキに、ラオウが問いかける。

 

「トキよ、このラオウを目指していたのであれば、なぜ非情の剛の拳を学ばなかった!

剛の道に踏み込めなかったその優しさが命取り! 最早この勝負、見えたわ!」

 

 秘孔を突き刺せないのならば、トキに勝機はない。

 トキが必殺の間合いに入らないならば、ラオウに負ける理由がなく、いずれトキが負けるだろう。

 剛と柔では決着が着かず、しかしトキには病のせいで時間制限がある。

 故にこその勝利宣言だ。真に己を止めたければ、同じ剛の拳以外に方法はないとラオウは断じる。

 そして振り下ろされる一撃――だがトキはこれを流し、ラオウの懐へ飛び込んだ。

 

「っ!」

「はあっ!」

 

 突き出された手刀に対し、即座にラオウが無想陰殺で反撃に転じた。

 先程までと違うのはその間合い!

 当たれば死を免れぬ死の間合いにトキが飛び込んで来たのだ。

 互いの攻撃が掠り、血飛沫が舞った。

 

「ぬうう……トキ……貴様!」

「最早私に、死への恐怖はない……必殺の間合いに入る必要があるならば、喜んで入ろう」

 

 迷いの一切ないトキの眼光に気圧されたかのように、ラオウが思わず後ろへ跳んだ。

 本来ならばこれはあり得ない光景だ。

 剛拳と柔拳が戦うならば、常に前進するのは剛拳であり、柔拳は下がりつつ戦う。それこそが激流と静水の戦いだ。

 静水が逆流して激流に向かうなど、ありえない。だが今、そのありえない事が起きていた。

 

「これが私の選んだ道、これが私の答えだ、ラオウ。

同じ道を進めば、同じ宿命を背負う。だが私と貴方の宿命は違う」

「違うだと……!? 貴様は俺を目指したのではなかったか!?」

「その通りだ。私の宿命は貴方を目指し、そして貴方が道を誤った時に止める事……そして貴方の宿命は、海の向こうにある」

 

 トキの言葉に、ラオウはハッとした顔を見せる。

 トキにとってラオウはゴールだが、ラオウにとってトキはゴールではない。

 ならばこの二人の歩む道は似ているようで、決定的に違う。

 ラオウにはまだ、この戦いの先に続く道がある。

 それを理解しているからこそ、トキは非情の剛の拳ではなく有情の柔の拳を使うのだ。

 何故ならこの戦いは、倒す為のものではないからだ。

 

「誓いの時は来た……今私は貴方を超える(止める)!」

 

 それは、ラオウとトキの二人しか知らない誓いだ。

 ラオウが道を誤った時はトキの手で魔拳を封じる。それがラオウがトキに頼んだ、たった一つの約束であった。

 ならば今がその約束を果たす時だ。ラオウを殺すのではない。止める為に。

 正しき道へ戻す為に、この命をここで燃やそう。それがトキの決意であった。

 

「ゆくぞッ!」

 

 トキが消えた。

 柔の拳は本来、相手の力を利用して受け流すものだ。

 だが決して受け身なばかりが柔の拳ではない。

 時には鋭く、疾風のように攻める事もある。

 それは自らを常に死の間合いに置くような危険な戦い方だが、トキに迷いはなかった。

 

「これは……速い!?」

 

 シンが驚愕に目を見開いた。

 離れた位置で見ているシンですら、トキの動きを目で追うのがやっとだ。

 それほどにトキは素早く、鋭く動いている。

 ラオウからはもう、消えているようにしか見えないだろう。

 

「ぬう!」

 

 ラオウが無想陰殺で反撃に出た。

 だが当たらない。無想陰殺といえど、反撃した瞬間にその場にいなければ虚しく空ぶるだけだ。

 トキは既にラオウの横に回り込んでおり、そして掌底でラオウを弾き飛ばした。

 

「てやはぁー!」

「ぐお!」

 

 ラオウが吹き飛ばされ、岩壁に衝突した。

 その後をトキが高速で追い、ラオウが倒れる前に追い打ちをかける。

 

「激流を制するは静水!」

 

 鋭く繰り出した手刀がラオウを打ち、壁に叩きつけた。

 ラオウもやられてばかりではない。

 薙ぎ払うように蹴りを放つも、トキは下がるどころか屈んで蹴りを避けて更に間合いを潰した。

 本来ならば剛の拳が圧倒的に有利なはずの死の間合い……そこに平然と踏み込むトキの気迫に押され、思わずラオウが反射的に無想陰殺で拳を出した。

 しかしその隙こそトキが狙っていた死中の活!

 無想陰殺によるカウンターがトキに届くまでの猶予――実に20分の1秒! 0.05秒!

 しかしトキは神業とも言える反応速度(60分の1秒)でラオウの剛拳を受け流し、裏拳を叩き込む。

 

「これぞ柔の拳!」

 

 ラオウの巨体が吹き飛び、岩盤に叩きつけられた。

 その後を追ってトキが地面を滑るように追う。

 

「かかってくるがいい」

 

 闘気を全身に漲らせ、激流に身を任せてトキが加速する。

 その動きは死の病に犯されているとはとても思えないほどだ。

 シンは確信する。今この瞬間……この時こそがまさに、トキの全盛期なのだと!

 

「覚悟ぉ!」

 

 ラオウに追いつくと同時に垂直蹴り! ラオウを空に跳ね飛ばし、その後を追って跳ぶ。

 空中戦こそ、北斗の歴史上最も華麗な技を持つトキの本領が発揮される場だ。

 ラオウは咄嗟に防御を固め、その上からトキの拳が叩き込まれる。

 

「天翔――」

 

 奥義・天翔百裂拳。その威力はラオウも知っている。

 しかし防御が間に合った。いかにトキといえど防御に徹したラオウの秘孔を突く事は流石に出来ない。

 ラオウは弾丸の如く放たれる拳の連打を防ぎながら、終わるのを待つ。

 問題ない、耐えられる。そして百裂拳が終わった瞬間に口角を釣り上げ……。

 

「――天翔――」

「!!」

 

 紅蓮のオーラを発しながらの二度目の天翔百裂拳!

 ラオウの防御など知った事ではないとばかりに再び連撃が叩き込まれた。

 奥義の連発にケンシロウが驚き、シンも思わずといった様子で腕組みを解く。

 確かに不可能ではない。だが、あんな戦い方では消耗が大きいはずだ。

 何より、トキらしくない。あの、相手の防御など知った事ではないと防御ごと砕くような荒々しい戦い方はトキよりもむしろ、ラオウに近い。

 だが彼等は三度、驚愕する事となった。

 

「――天翔百裂拳!!」

「ぐ……おおおお!?」

「まさか……三連発だと!?」

 

 畳み掛けるようなトキの連撃にラオウのガードがついにこじ開けられ、シンが声を荒げた。

 トキは確かにラオウと違う柔の拳を学んだ。

 だが、トキはラオウの全てを目指した男。ならば柔の拳しか学んでいないなどという事はあり得ない。

 

「北斗有情断迅拳!」

 

 トキがラオウを素通りするように駆け抜け、直後にラオウの全身を衝撃が襲った。

 まだ終わらない。ラオウがダウンするよりも速くトキがしゃがみ、超高速の突きの連打を放つ。

 まるでバスケットボールのようにラオウが突きと地面との間でバウンドし、血飛沫をあげる。

 しかしラオウは北斗の長兄。間一髪で秘孔を外し、致命傷を避けている。

 だがラオウの脳裏には戸惑いと混乱があった。

 

「こ、これは剛の拳……!? いや、柔の拳か!?」

 

 トキが使っているのは間違いなく柔の拳のはずだ。

 しかしこの荒々しさはまるで剛の拳!

 今のトキの拳は、剛の拳よりも力強い柔の拳という矛盾を成立させている。

 

「私の中に流れる貴方と同じ血は、私に剛の拳を会得させた。

そして貴方を止める為に歩んで来た道が私に柔の拳を学ばせた。

ラオウ、この拳は私の最後の闘い……即ち貴方との闘いまでは使わぬと誓っていた」

 

 ダメージの深さで膝を突いてしまったラオウを見下ろしながらトキが語る。

 トキはラオウを目指しながらも違う道を歩んだ。故にこれは剛の拳ではない。

 トキの身体に流れる血が剛の拳を彼に与え、トキの拳才は柔の拳を彼に与えた。

 そして今、剛と柔の二つが高い次元で完全に融合を果たし、北斗の新たな歴史を――北斗二千一年目に届いたのだ。

 

「剛の拳ではない……柔の拳でもない……」

「融合……! トキの拳は、柔と剛の二つの拳が合わさり、昇華されたものだというのか!」

 

 トキの使っている拳は、柔と剛の両立!

 その事実に気付き、ケンシロウとシン、そしてジュウザが戦慄した。

 何という拳才! 何という技量!

 命尽きる寸前の最後の輝きか……トキは一時的に全盛期に近い状態に戻り、心・技・体全てを兼ね備えた。そして柔と剛を融合させた今、この瞬間のみトキは歴史上の誰もが届かなかった領域に立っている!

 もしかしたら、ありえたかもしれない未来……もしもトキが病に冒されずに伝承者となっていたならば、到達していたはずの未来をその場に集った男達は確かに見た。

 

「さあ、宿命の幕を閉じよう……ラオウ!」

 

 トキが宣言し……そして、環を描くように腕を廻す。

 練り上げた闘気がトキの全身を巡り、今この瞬間のみトキに全盛期を超える力を与えた。

 

「そして……私との宿命の終わりが、貴方の新たな宿命の始まりとなる」

「フ……フフ……見事だトキ……! よくぞここまで練り上げた!」

 

 ラオウが追い詰められながらも、どこか嬉しそうに笑った。

 痛む身体を無理矢理起こし、トキにも負けぬ闘気で全身を満たす。

 

「心地よき痛みというべきか……このラオウ、最早拳王の名は要らぬ!

今この瞬間のみ、ただ一人の男となりて貴様との宿命に挑んでくれるわ!」

 

 ラオウの身体を紅の闘気が覆った。

 いや、ただ覆っただけではない。凄まじい闘気がラオウの傷を塞ぎ、流れ出ていた血を止めてしまう。そればかりか、トキの猛攻で確かに弱っていたはずのラオウの生命力が急速に満たされていた。

 シンはその光景を見て一瞬、まさか魔闘気かと戦慄しかける。

 だが本当に戦慄させられたのは次の瞬間だった。

 ラオウの闘気には一切の禍々しさはなく、ただどこまでも力強さのみに満ちている。

 魔闘気に似ている……だが魔闘気ではない。

 ラオウの高潔な魂は決して、魔界に堕ちたりしない。

 魔界の底を突き抜け、今ラオウは魔界を走破した。

 魔闘気すら超えたラオウという王のみが放つ闘気。まさに王気とでも言うべきか。

 トキの覚醒を前にして、ラオウもまた歴史上の誰もなし得なかった領域への覚醒を果たしたのだ。

 

「いやああああーーー!!」

「ぬおおおーーーー!!」

 

 トキの貫手とラオウの拳がすれ違い、互いの急所を狙う。

 しかし直撃の瞬間、同時に実体を空と同化させた。

 残影が流れ、二人が円を描くように間合いを取る。

 

「今の動き……まさか……」

「北斗神拳究極奥義……無想転生!?」

 

 シンが表情を強張らせ、彼の予想を肯定するようにケンシロウが言葉を続けた。

 己の実体を空と同化させる事であらゆる攻撃を無効化する北斗神拳究極奥義、無想転生。

 それをトキとラオウが同時に使用した事実は、ただ驚嘆するより他にない。

 しかし……不可解!

 シンは原作知識を持っていても尚……いや、知識があるからこそ目の前の現実を理解出来ず、困惑していた。

 

「馬鹿な……トキは分かる……! トキは十分な哀しみを背負っている……愛を知っている!

使えても何ら不思議はない! だがラオウは……」

「うぬの言う通りよ、シン。このラオウ、愛も哀しみも知らぬ……今、この瞬間までは」

 

 ラオウは己の胸を叩き、静かに目を閉じる。

 今ならば分かる。この心の中はいつだって空っぽだったのだと。

 愛を知らなかった。哀しみを知らなかった。

 だが今ならば分かる。知らなかったのではない……知ろうとしなかったのだ。

 この拳王の心にそれはあってはならぬ弱さだと、自分で遠ざけていた。

 しかし……ああ、だというのに、何たる事か。

 この心の中には既に、弱さと思って遠ざけたはずの心が既に宿っていた。

 

「お、おお……ラ、ラオウの後ろに……」

 

 ケンシロウが震える声でラオウを見た。

 ラオウの後ろに、数人の男女がいた。彼と志を同じくして彼についてきた同志達がいた。

 ソウガ、サクヤ……ラオウの母、幼き日に死なせてしまった飼い犬……そしてラオウの信念を信じてこの世紀末の荒野に散っていった、拳王軍の勇者達が! そして今も尚修羅の国でラオウを待つレイナの願いがそこにあった!

 その姿、まさに覇王。彼に従い散っていった全ての英霊を今、彼は背負っている。

 

「トキよ……俺を目指したお前の一途な心が! その魂が! そしてお前という男と、これが今生の別れとなるだろう事実が……俺に哀しみを与えてくれた! 同時にお前へ抱く兄としての想いが、俺を高めてくれた! 俺は兄として、お前の命すらも受け止めて天を握ろう!」

 

 ――兄弟愛か!

 シンはこの時、ラオウに無想転生を与えたものの正体を悟った。

 愛とは何も、一種類だけではない。

 男女の愛のみではなく、家族への愛も立派な愛だ。

 ラオウはユリアへの愛ではなく、トキへの兄弟愛で無想転生に至ってしまった。

 

「ラオウよ……それは私とて同じ事。私もまた多くの哀しみを背負ってここに立っている。そして……」

 

 トキは、言葉を最後まで言わなかった。

 彼の心の中には、今、置いてきてしまった女医の姿があった。

 彼女の愛に報いる事は出来ない。

 それでも、与えてくれた愛はこの胸の内に今も変わらず在り続けている。

 そしてラオウへの兄弟愛もまた、燃え滾っている。

 トキがカッ、と目を見開き、ラオウも一瞬仏のような慈愛に満ちた笑みを浮かべ……直後それは鬼の形相へと変貌した。

 

「ゆくぞ、ラオウ!」

「来るがいい、トキ!」

 

 トキが飛び込み、ラオウが迎え撃つ。

 柔と剛の融合を果たしたトキ、魔を超えた闘気に目覚めたラオウ。

 どちらも過去を超え、北斗二千一年目をひた走る。

 この先は誰もが未経験、未踏の領域だ。

 凄まじい速度での貫手と拳の応酬が行われ、余波だけで周囲が荒れ狂う。

 

「はああああああーーーッ!!」

「ぬぅああああああ!!」

 

 打撃音が連続して響き渡り、衝撃波が二人を中心に拡散した。

 どちらも足元の地面が罅割れ、身体が傷付いていく。

 何度も実体を空に同化させて相手の攻撃を回避し、高速でラオウとトキの残像が流れる。

 トキが鋭い蹴りを放ち、ラオウが拳を振り下ろす。

 どちらも急所を紙一重で外して相手の身体を裂き、続く攻撃が中央で衝突する。

 

「見せよう……お前が目指した兄ラオウの一撃! 北斗剛掌波!」

 

 ラオウの手から高圧水流のような勢いで闘気が解き放たれた。

 それは最早闘気というより、光線だ。

 闘気の扱いに長けたファルコだろうと相殺不可能であろう一撃……だがトキは静かに掌を廻し、闘気の奔流を逸らしてしまう。

 方向を変えられた闘気は咄嗟に避けたケンシロウの横を通り過ぎて岩を貫通し、その破壊力にケンシロウは冷や汗を流した。

 

「てやああああー!!」

 

 トキがラオウの懐へ潜り込み、拳を突き上げた。

 この一撃をラオウはあえて掌で受け止め、剛の拳で捻じ伏せる。

 しばしの力比べの後にトキが膝をつき、隙を晒してしまった。

 勝機――! ラオウがここで勝利を物にすべく、闘気を全身から解放した。

 するとラオウを中心として周囲が無重力状態となり、トキが不安定な姿勢のまま空中を漂う。

 

「馬鹿な……暗琉天破だと!? あれは北斗琉拳の奥義のはず……い、いや、まずい! あの技の前では無想転生は無力! トキ、何とか脱しろ! 脱するんだ!」

 

 ラオウの発動した新たな技を見て、シンが思わず叫んだ。

 暗琉天破は原作において無想転生を明確に破った奥義だ。

 無想転生と暗琉天破は完全に有利と不利、ジャンケンで言うところのグーとパーの関係にある!

 しかし技の性質が分かってもどうしようもない。追撃を行うべくラオウが手刀に闘気を集約させた。

 元斗皇拳秘奥義――黄光刹斬!

 触れればどんな防御も関係なく切り裂き、ラオウの技量で操れば一瞬で全身がズタズタに引き裂かれてしまうだろう。

 そう……あのファルコのように。

 水影心で会得したかつての好敵手の奥義すらも使いこなし、ラオウはトキを仕留めにかかる。

 一方トキは無重力の空間の中で静かに座禅を組んだ。

 最早諦めて死を受け入れたか……?

 そう思うも、直後にラオウは自らに迫る『死』の濃厚な気配を前に咄嗟に横に跳んだ。

 トキにはこの座った不利な姿勢からでも出せる技がある。

 

「北斗有情破顔拳! はぁぁーーーんッ!!」

 

 間一髪。トキが左右に挙げた両腕から光線のような闘気が放たれ、続けて振り下ろす。

 振り下ろした手刀から放たれた衝撃波がラオウを外して両側の岩を貫いた。

 まだ終わりではない。無重力の中でトキはまるで磔にされた聖者の如く両腕を左右に広げ、その全身が神々しく輝く。そして――。

 

「北斗有情鴻翔波!」

 

 その場でトキは廻った!

 回転によって自らが重力を生み出し、暗琉天破の無重力空間を打ち破る。

 だがそれだけではない。

 回転しながらトキは両腕から闘気を射出。全方位に向けて解き放った。

 戦いを見ていたシン達は巻き込まれないように後ろへ避難するが、ラオウにそれは出来ない。

 この宿命の兄弟対決の最中に、背を向けて逃げるような無様だけは死んでも晒せない。

 故にラオウは唯一、トキの闘気が当たらない空中へと跳んだ。

 同時に暗琉天破から完全に抜けたトキもラオウを追って空を舞う。

 

「いやあああああーーーッ!!!」

「ぬああああああーーーッ!!!」

 

 地上に降りるまでの僅か数秒の間に、数えるのも馬鹿らしくなる数の拳の応酬が行われた。

 重力に引かれて落ちながらも、二人は攻防を止めない。

 やがて地に足が付くと同時にトキが一瞬でラオウの背後に回り、手刀を放った。

 しかし無想転生。ラオウの影が流れ、トキの背後を取る。

 

「もらった!」

 

 今度はラオウの攻撃。しかしこちらも無想転生、トキの実体が空に消え、再びラオウの後ろへ回り込む。

 互いに究極奥義を用いてのバックアタックの応酬だ。

 どちらも譲らず、数度目の無想転生の後に互いの拳が衝突した。

 今度は正面から一歩も退かない殴り合い!

 互いの拳が何度も衝突し、反動で二人が離れた。

 

「この身体は大地に……魂は後に続く者に。そして私の心は彼女が待つあの花の丘へ還そう」

 

 トキの全身が光を発し、まるで命の一滴まで絞り尽くそうとしているように闘気が柱となって立ち上る。

 

「受けて立とう。我が全霊の一撃を以て……」

 

 ラオウが両腕を広げ、こちらも全身が輝いた。闘気が光の柱となり、暗雲を貫く。

 その状態のまま、まるで音が世界から消えたような沈黙が訪れた。

 この場の全員が悟ったのだ。次の一撃がこの兄弟最後の……そして別れの一撃となると。

 そして極限まで高まった緊張感が、世界すら黙らせて音を失わせたのだ。

 

 

 

「天に滅せよ!!!」

 

 

 

 果たしてそれはどちらの言葉だったか。あるいは同時に口にしたのか。

 トキとラオウが全く同じタイミングで踏み出し、渾身の一撃を放った。

 

 

ラオウ ←←←風→→→ トキ

よく見るイントロ。

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