次の話であらすじを入れるようにしますので、そうした描写が不快な方は読むのをおやめください
悪夢の王が斃れ、世界は平和になった。と物語の締めくくりで聞くと、そりゃめでたしめでたしだと誰しもが思うものだが、残念ながら物語ではなく生活をしていく必要がある以上は世知辛い問題は発生する。
壊された建物、変わってしまった地形、異常気象。税や賦役は重く、万能の力たる『慈雨』もめっきり降ることが減ってきた。
そして、そんな世間様が悩むあれこれ以前に俺はよほど頭が痛くなる問題をひとつ抱えている。
「エリエルカ!頼みがある!」
「いやよ」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「どうせお金でしょ」
「
「何語よそれ。アンタ舐めてると新薬の被験体にするわよ」
「ふえぇ」
「飲み屋のツケだの、サイフを忘れただの、パーティ組んでこの2ヶ月で何回お金の無心してくんのよ」
つまり、カネがない。
元々宵越しの金は持たない主義の俺である。あちこちでぱーっとやってしまえば手元に残るものなど何もない。
「いやー参ったぜ!メシ買うカネもねえや!錬金術で何か儲かるもの作ろうぜ!いつもの宝石とかどうよ!」
「あ、アンタでかい声でなんてこと言うわけ!!?」
「もがちゃも!!?」
いつものように依頼終わりの酒場で話す俺の口にエリエルカは慌てて煎った豆を押し込んでくる。喉の奥にオーバースローで直接投げ込まれた豆が口腔内で跳ね返ってイタイ!
「もがもが、んぐ。いいじゃねえかよ、いっぱいあるんだから多少売っても仕事には影響出ないって」
「そうじゃなくて!錬金術による精製物の密売は縛り首でしょうが!!」
「え、まじで?」
「な!ん!で!知らないのよ!錬金術で作ったものが朽ちるのは天然のものの百倍は早いの!昔、世の中を粗悪な贋作だらけにした馬鹿な錬金術師のせいで都市がひとつ滅んだのよ」
「はえー……え、じゃあ普段のカネはどうしてんの?俺と同じ依頼を受けてるわりに羽振りがいいけど」
「ロンクミュール学院には特許っていう優れた技術に対する保護の制度があってね、発明に対してお金が入る仕組みになってるのよ」
「はー、エリエルカにはそれで継続的に収入があるってわけか。俺は発明なんてからっきしだからな……じゃあ何か別の方法を考えるかぁ」
エリエルカは頬に手を当てて眉をひそめると、ひとつため息を吐く。
「ま、どうしても困ってるならある程度は助けてあげるから。せいぜい頑張ってアタシへの借金を減らしなさいよね」
「おお、
もちろんこの後、新薬のテスト中に気絶した。
しゃあねえ、気は進まないが『あそこ』へ行くか……。
*
「あー!ゆーしゃ様だ!ねえねえ、今日こそうちに寄ってちょうだいよ」
夜。マッカニアの中心から少し外れた東の一角に、煌びやかな店々が軒を連ねるエリアがある。ピンクがかった紫の煙があちこちから吹き出して大人な雰囲気を醸しているこの場所は、娼館などが建ち並ぶ紳士の社交場だ。
猫撫で声で袖を引く女と、だらしなく鼻の下を伸ばす男どもが連れ立って歩くここは『逢引通り』と呼ばれている。
「んん〜?いやぁ、俺はちょっと蜜蝋館に用があってサぁ〜」
しかし俺は誉高き勇者なので、客引きのけしからん格好をしたオネーサンに胸を押し当てられてもクールに対応して先を急ぐ。あ、嘘、ちょっと前屈みになってるから若干ゆっくり歩いてる。
「ゆーしゃさまぁ♡」
「勇者の旦那ァ、いい娘いますぜ!」
「勇者様、うちに寄っていってよ、ね♡」
多数の誘惑を跳ね除け、這々のていで辿り着いたのは蜜蝋亭。言わずと知れたマッカニアいちの高級娼館だ。
小さな橋を渡るとそこはまさしく桃源郷。紫がかった淫靡な香が流れ出し、妖しく誘う。贅を凝らして造られたその館は、以前訪れたことのあるリュウイという街の豪邸とよく似ている。
門前には二人の男が左右に控えている。楼主の信を得た腕利きだ。何度か来たことのある俺とは顔見知りだ。へらりと笑いながら近付く。
「やや、おつかれさん。シウインさんに呼ばれてきたんだけど、いるかい?」
「これはこれは、アッシュ様。ご足労をおかけいたしまして申し訳ございません。おいでになられたら案内するようことづかっております。どうぞこちらへ」
「は〜相変わらず蜜蝋館のヒトは丁寧だなあ」
門番の——確かワンさんという名前だった——彼に着いて館の中を歩く。通り過ぎていく扉の下からほんの少しだけ漏れる室内からの光と影の揺らめきが、ここが娼館であることを否応なく思い出させる。
「いえ、あなた様は特別ですので」
「おいおぅい、嬉しいこと言ってくれるねえ。でもどうせなら女の子に言われたいかも」
「誰かお付けいたしましょうか?アッシュ様がお越しと知れば喜んで皆お側に侍りたがるでしょう」
「いやいやごめん冗談。流石に仕事を盾にそれ要求するのは最悪勇者すぎる」
「そうですか?誰も嫌がったりはしないと思いますが……」
「いやあー、皆あちこちで便宜計ってくれるからさ、出来るだけ慢心しないことにしてんのよ」
俺のことだからそのうち自分を権力者だと勘違いして他の人を顎で使ったりしそうだしな。
「常在戦場、というわけですか。ご立派です」
「多分なんか勘違いしてるなあ」
と、そんな会話をしているといつの間にか客向けの華やかなエリアを抜け、簡素ながら上品なドアの前に辿り着いていた。ワンさん会話の長さ調整してたの?おしゃれかよ。
「こちらです。楼主ジン・シウインがご対応いたします」
勝手知ったる、とまではいかなくとも何度か来た場所だ。さして気後れすることもなくドアを開ける。
向こうには煙管片手に桃色の煙を口から気だるげに吐きながら、三白眼でこちらを眺める女傑がいる。この娼館を一代で立ち上げ、男たちの寝物語を元手にマッカニアを裏から支配する
「あら、アッシュさん。わざわざこんなところまで来させてすまないね」
「いやあ、
「ふふふ、救世の英雄にそんなこと言われちゃあたしたちは形無しだ。なんせ世界に釣り合うカネなんて誰も持ってない」
「大袈裟だなぁ」
「何が大袈裟なもんかい。あんたは自分を低く偽る悪い癖をいい加減やめたほうがいい。周りの人間が辛くなるだけだよ」
「俺の故郷じゃこれが美徳とされてたんだよ……ま、お説教はそれくらいにして仕事の話をしてくれよ」
「フゥ……ま、アタシみたいな阿婆擦れが口を出すのはお門違いかね。今回はうちのナンバーワンの娘でね。貴族の旦那から一夜の恋人にと呼ばれたはいいが、用意していた避妊薬が不良品だったらしく月のものが来ないと——リリア、来な」
「はい、楼主様。勇者様もこんばんは」
現れたのは透き通るような白い肌の娼女だった。リリアというその娘は以前は笑顔の美しい女だったが、その笑顔も今は萎れている。枯れていく向日葵のような、見ているのが辛くなるようなやつれ具合だった。
たしか、以前会ったときはもうすぐ愛しい男が大金を用意して水揚げしてくれると、これで普通の人生が送れると楽しみにしていたはずだ。
娼婦は客を選べない。それが貴族であるならなおさらだ。夫となるべき男へ、他の男の子を孕んだなどとどのように伝えるのか。彼女の表情からはその懊悩が見て取れた。
「要は『いつもの』だな?」
本当に俺には勇者、なんてのは過ぎた称号だ。
せっかく与えられた力を、永らえた命を、よりにもよってまだ殺すために使おうとしている。
「あんたが『それ』をもう本来のやり方で使わないと決めているのは知ってる。その上で恥を重ねるけれど、どうかこの娘のために使ってやってほしい——女神から与えられた『権能』を」
今更迷える分際か。この不幸な娼婦の身の上に少しでも幸いなるものが訪れるのであれば、我が身の穢れなど恐るな。
「——おっけー。この勇者さまにちょちょいと任せなさい」
なにせ、こういうのは初めてではない。
リリアの腹に手を当てる。そして尋ねる。
「リリア、きみのお腹にいるのはまだ自我を獲得していない胎児だ。女神の権能の上ではまだきみと同一の存在として扱われる。だからきみに訊く。『俺に力を貸してくれるか?』」
魔力が静かに励起する。これは世界で俺だけに与えられた神秘。
何人たりとも侵すことのできぬ、神前での契約。
「『はい』、このようなことをお頼みして申し訳ございません。勇者様」
契約は成った。
薄灰色に輝く方陣が二人を包むと、幻のようにかき消えた。
「『天秤をここに』——いいかリリア。今からきみとお腹の子は1ヶ月の間、『存在力』を失う。腕力や魔力の大小に関係なく、世界の何物よりも弱い存在になる。けして危ないところに近付くな」
体のうちから力が湧き出てくる。重力や風にも押し負けないのは久しぶりの感覚だ。逆に、今リリアはさっきまで俺が感じていた世界から圧迫されている感覚を覚えているだろう。
「はい、わかりました」
そして、ただでさえ安静が必要な胎児にはそれを耐えることができないだろう。遠からず腹の子は——。
「さて、俺は帰るよ。シウインさん、報酬はギルドに渡しておいてくれるかな」
「……ああ、勇者殿。あなたの献身には必ず報いよう」
*
「う、おええぇっ……」
用があるからとミランダに伝え、今日は宿に泊まる。蜜蝋館で仕事をした日はそこに泊まったと証言してもらうようにしているから、世の中の人間は俺が女遊びに精を出していると思うだろう。
トイレの不潔な便器から顔を上げ、胃液に塗れた顔を乱雑に袖でぬぐう。ふらふらと部屋の中に戻ると置かれた剣を抜く。
刃を内向きに持ち替え、そのまま腹に突き刺す。
何度も、何度も。
しかし、血の一滴も出ない。そもそも刺さってすらいない。
『かかか、われがある限りあるじは死なせんよ。学ばん男じゃな』
脳内に腹立たしい声がこだまする。
「なんで俺を生かす……悪夢の王は殺した。故郷に、
『なんでってそりゃあ、面白いからじゃろ。こんなに面白い道化は七千年ぶりじゃ』
「ふざけるな……俺は、俺はもう戦えないぞ。仲間と俺の100年を捧げたんだ……残り滓すら残ってない……」
『じゃから、その出涸らしが余生をどう過ごすのか、見たいと言っておるのじゃよ』
「悪魔め」
『失礼な。女神サウラを敬いたまえよ、あるじ?』
俺はアッシュ・グロウリー。仲間の命を使い捨てて生き残った——ただのろくでなしだ。