YAWARA!クロス・ソウル ~熱血武蔵巴、不屈の柔道一代記~ 作:月影 流詩亜
バルセロナオリンピック、女子柔道日本代表最終選考会。
その朝、会場である東京体育館は、嵐の前の静けさみてえに、異様なまでの緊張感に包まれていた。
観客席は満員だというのに、まるで誰も息をしていないかのように静まり返っている。
それもそのはずだ。今日、この畳の上で、各階級たった一つの、オリンピックへの切符を賭けた、人生を懸けた戦いが繰り広げられるんだからな。
俺も、もちろんその一人だ。全日本選手権で猪熊柔を破って優勝したとはいえ、それがオリンピック代表を確約するモンじゃねえ。 今日、この選考会で改めて結果を残さなきゃならねえ。
(…ここまで来たんだ。何が何でも、掴み取ってやるぜ、オリンピックへの道を!)
ロッカールームで道着に着替えながら、俺は静かに闘志を燃やしていた。 隣では、猪熊柔が静かに目を閉じ、精神を集中させている。 あいつの
そして、少し離れた場所では、本阿弥さやかが、鬼気迫る表情でウォーミングアップを繰り返していた。 あいつもまた、この選考会に全てを賭けているのが伝わってくる。
それぞれの想いが交錯する、運命の日。非情なる畳が俺たちを待っている。
◇
俺の階級の試合が始まった。 初戦の相手からして、俺のパワーと、そして何よりも「大雪山おろし」を徹底的に研究し、対策を練ってきているのが分かった。
組み手を嫌い、徹底的に距離を取ってくる奴。
逆に、懐に潜り込んできて、密着した状態から細かい技を仕掛けてくる、俺の得意な形にさせまいとする奴。
(くそっ…! ここまでマークされると、さすがにやりずれえな…! 「大雪山おろし」を出す隙が、全然ねえじゃねえか…!)
だが、俺もただのパワー馬鹿じゃねえ。強化合宿で、世界の強豪たちの映像を見て、自分の柔道を見つめ直したんだ。 パワーだけに頼らず、もっと頭を使った、クレバーな戦い方を身につけなきゃならねえってな。
俺は、焦らず、相手の動きをじっくりと観察した。ゲッターロボのパイロットとして培った、戦況を分析する能力。 それを、この畳の上で活かすんだ。 相手の僅かな癖、呼吸のリズム、重心の移動。 それら全てを見抜き、一瞬の隙を突いて技を仕掛ける。
「大雪山おろし」を警戒する相手の裏をかき、払い腰や体落としでポイントを重ねる。
時には、泥臭く抑え込みに持ち込み、執念で一本を奪う。 派手さはねえかもしれねえが、確実に勝利を手繰り寄せる、そんな戦い方だ。
(どうだ、見たか! 俺は、ただの「大雪山おろし」だけの女じゃねえんだぜ!)
山嵐先生や花園先生に叩き込まれた基礎、そしてゲッターの魂が融合した、新しい武蔵巴の柔道。それは、確実に進化を遂げていた。
そして迎えた決勝戦。相手は、強化合宿でも何度か手合わせした、粘り強い寝技を得意とするベテラン選手だ。 こいつがまた、とんでもなく厄介な相手で、何度もグラウンドに引きずり込まれ、危ない場面を作られた。だが、俺は最後まで集中力を切らさなかった。
そして、試合終盤。相手が一瞬見せた疲労の色を、俺は見逃さなかった。
(今だ…!)
満を持して、俺は「大雪山おろし」の体勢に入った。相手は必死に抵抗するが、もう遅え。俺の渾身の一撃が、ついに炸裂した。
ズゥゥゥン!!!
畳が揺れ、観客席からどよめきが起こる。完璧な一本。
俺は、この瞬間、オリンピック日本代表の座を、ほぼ手中に収めたんだ。
◇
俺の試合が終わった後、会場の注目は、もう一つの階級の決勝戦へと移っていた。猪熊柔と、本阿弥さやか。因縁のライバル対決だ。
畳に上がるさやかの表情は、まさに鬼気迫るものがあった。
打倒・猪熊柔。 その一点に、彼女の全ての執念が込められているかのようだ。
一方の柔も、その挑戦を真正面から受け止める、王者としての風格を漂わせている。
試合は、序盤から壮絶な打ち合いになった。さやかは、これまでの華麗なスタイルだけでなく、泥臭く相手に食らいつくような、執念の柔道を見せる。得意の内股だけでなく、巴投や小外刈りなど、多彩な技で柔に襲いかかる。
柔も、一歩も引かねえ。 さやかの猛攻を紙一重でかわし、逆に鋭いカウンターを叩き込む。
一本背負い、体落とし、大内刈り。互いにポイントを取り合い、一進一退の攻防が続く。
俺も、観客席から固唾を飲んで二人の戦いを見守っていた。
(…すげえな、あいつら…! これが、日本のトップの戦いか…! 気迫も、技も、何もかもが、俺が今まで戦ってきた相手とはレベルが違う…!)
試合は、規定時間では決着がつかず、延長戦へ。
互いに体力は限界のはずなのに、その闘志は少しも衰えねえ。 さやかの目には、涙が浮かんでいるように見えた。だが、それは諦めの涙じゃねえ。最後まで戦い抜くという、決意の涙だ。
延長戦も、まさに死闘だった。 そして、本当に僅かな差で、柔がさやかから効果をもぎ取り、それが決勝点となった。
試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、さやかは畳に崩れ落ち、声を上げて泣きじゃくった。
柔もまた、肩で大きく息をしながら、その場に立ち尽くしていた。
勝者と敗者。そのコントラストは残酷なほど鮮やかだったが、最後まで諦めずに戦い抜いたさやかの姿は、会場中の観客の胸を打ち、大きな拍手が送られていた。
◇
全ての階級の試合が終わり、ついにオリンピック日本代表選手が発表される時が来た。会場の大型スクリーンに、次々と代表選手の名前が映し出されていく。
そして、俺の階級。
『武蔵 巴(武蔵野第三高等学校)』
その文字を見た瞬間、俺は思わず拳を握りしめていた。やった…! やったぞ…! 俺が、この俺が、オリンピック日本代表だ!
隣の階級では、もちろん『猪熊 柔(西海学園大学)』の名前が輝いている。あいつも、きっちり代表の座を掴み取りやがった。
代表に選ばれた選手たちの、歓喜の涙。抱き合って喜びを分かち合うコーチや仲間たち。その光景は、見ているこっちまで胸が熱くなる。
だが、その一方で、あと一歩のところで夢破れた選手たちの姿もあった。静かに涙を流す者、悔しさに顔を歪める者、呆然と立ち尽くす者…。オリンピックへの道が、どれほど厳しく、そして尊いものなのか。それを、俺は改めて実感させられた。
「巴! やったな! おめでとう!」
「やったわね、巴! さすがよ!」
「武蔵さん! 本当におめでとうございます! 僕、信じてました!」
竜子、隼、みちる、そして花園先生や山嵐先生(いつの間にか来ていた)が、俺のところに駆け寄り、口々にお祝いの言葉をかけてくれる。
その温かい言葉に、俺の目頭も、少しだけ熱くなったような気がした。…いや、気のせいだ。俺は泣いたりなんかしねえ !
◇
選考会が終わり、会場の喧騒も少しずつ落ち着き始めた頃。 俺と柔が、控え室の前で言葉を交わしていると、そこに本阿弥さやかが近づいてきた。 その目はまだ赤く腫れていたが、その表情は、試合の時とは違い、どこか吹っ切れたような、清々しいものに変わっていた。
「…猪熊さん。そして、武蔵巴さん」
さやかは、俺たち二人を真っ直ぐに見据え、深々と頭を下げた。
「今日のところは、完敗よ。あなたたちの強さ、認めざるを得ないわ」
そして、顔を上げ、涙で濡れた瞳を輝かせながら、力強い声で言った。
「でも、これで終わりじゃないわ!
私は、絶対に諦めない!
次こそは、必ずあなたたちを倒して、私がオリンピックの舞台に立ってみせる!」
その言葉には、少しも揺るぎがなかった。こいつは、本気だ。
そして、さやかは、俺と柔に、それぞれ手を差し伸べてきた。
「オリンピックでは、あんたたちの分まで、この私がテレビの前で応援してやるわ!
だから…だから、絶対に金メダル獲りなさいよ! 日本の代表として、無様な試合なんかしたら、この私が許さないからね! 」
その不器用だが、心のこもったエール。 俺は、少し驚きながらも、その手を強く握り返した。
「…ああ、任せとけ。お前のその言葉、忘れねえぜ。必ず、金メダル獲ってきてやるよ」
柔も、さやかの手を優しく握りしめ、微笑んだ。
「ありがとう、さやかさん。 あなたの想いも、一緒にバルセロナへ持っていくわ。
そして、必ず最高の色のメダルを持って帰ってくる」
ライバル同士の間に生まれた、確かな絆とリスペクト。 それは、この非情な戦いの舞台が生み出した、もう一つの美しい光景だった。
◇
オリンピック日本代表。その肩書きは、俺が今まで背負ってきたどんなものよりも、重く、そして誇らしいものだった。ゲッターロボのパイロットとして戦っていた時とは違う、だが、同じくらいに尊い「使命」。
俺は、改めてその意味を噛みしめていた。この国の期待、仲間たちの想い、そして、敗れていったライバルたちの涙。
その全てを背負って、俺は世界の舞台に立つんだ。
猪熊柔という、最高のライバルと共に。
いや、今やライバルというだけじゃねえ。
同じ目標に向かって進む、かけがえのない「戦友」だ。
(待ってろよ、バルセロナ…! そして、まだ見ぬ世界の強者ども!
この武蔵巴が、日本の柔道の強さを、いや、ゲッターの魂の強さを、世界に見せつけてやるぜ!)
新たな決意を胸に、俺はオリンピックへの道を力強く踏み出す。
武蔵巴の、新たなる伝説の幕開けは、もうすぐそこまで来ている。
この燃えるような魂を、バルセロナの畳の上で、思う存分爆発させてやる。