YAWARA!クロス・ソウル ~熱血武蔵巴、不屈の柔道一代記~ 作:月影 流詩亜
パリ国際大会が終わって、数日の調整期間が与えられた。 オリンピック本番に向けて、ここで一度コンディションを整えろってことらしい。
俺は、朝のランニングがてら、セーヌ川のほとりを一人でぶらついていた。
石畳の道、古風な街灯、そして川面を滑るように進む遊覧船。 日本のゴミゴミした都会とは違う、どこか落ち着いた空気が流れている。
その時だった。
何気なく視線を向けた先、橋の上を歩いていた大勢の観光客の中に、ひときわ見慣れた…いや、見慣れすぎた後ろ姿を見つけちまったんだ。
無造作に伸ばした黒髪、ガッシリとした肩幅、そして何よりも、あの独特の歩き方。
「……竜馬……?」
俺の口から、思わずその名前がこぼれ落ちた。
嘘だろ?
なんで、流竜馬がこんなところにいるんだ?
あいつは、あの最後の戦いで…いや、それ以前に、この世界に存在するはずがねえ。
だが、俺の目は、確かにあの後ろ姿を捉えていた。 体が勝手に動き出す。 人混みをかき分け、声をかけようと必死に追いかける。
「おい! 竜馬! 待てってんだ! 」
俺の声は、パリの喧騒にかき消され、届かねえ。 ようやく橋の上にたどり着いた時には、もうその姿はどこにも見当たらなかった。
「…はぁ…はぁ…夢、か…?」
肩で息をしながら、俺は呆然と立ち尽くす。
幻を見たのか? それとも、あまりにも似ている他人だったのか?
その日を境に俺は時折、パリの街角で、かつての仲間たちの面影を見るようになった。
カフェのテラスで新聞を広げている隼人によく似た鋭い目つきの男。
公園で子供たちとサッカーボールを追いかけている、弁慶みてえな人の良さそうな大男。
その度に俺の心臓は激しく高鳴り、そして言いようのない寂寥感に襲われた。
あいつらは、もうここにはいねえ。
俺だけが、この異世界で女の体で生き永らえている。
◇
パリの夜は妙に静かで、そして長かった。ホテルのベッドの中で俺はなかなか寝付けずにいた。
竜馬や隼人、弁慶の幻影。 それは、俺の魂の奥底に眠っていた、ゲッターロボのパイロット・巴武蔵としての記憶を容赦なく揺り動かしやがった。
(俺は…一体、何者なんだ…?)
この世界に武蔵巴という少女として転生してから、俺はずっとその問いから目を逸らしてきたのかもしれねえ。
目の前の柔道に打ち込み、強くなることだけを考えていれば余計なことを考えずに済んだからな。
だが、オリンピックという人生を賭けた大舞台を目前にして、俺の魂は再びその問いを突きつけてきやがった。
ゲッター線が与えてくれたという「ご褒美」。
それは、本当にこの新しい生のことなのか?
だとしたら、なぜ俺だけが?
竜馬や隼人は、どうなったんだ?
武蔵としての血と硝煙に塗れた激しい戦いの記憶。 仲間たちとの絆、そして守るべきものために命を懸けた誇り。
巴としての柔道という新たな道で見つけた目標。
竜子や隼、みちる、そして猪熊柔というライバルとの出会い。
二つの記憶、二つのアイデンティティが俺の中で激しくぶつかり合い、俺自身をバラバラにしちまいそうだった。
(俺は、巴武蔵なのか…? それとも、武蔵巴なのか…? 俺は、この世界で、一体何を成し遂げればいいんだ…?)
答えの出ねえ問いが、頭の中をぐるぐると回り続ける。 オリンピックで金メダルを獲ること……それが今の俺の最大の目標だ。
だが、その先に何がある?
俺の魂は、それで本当に満たされるのか?
◇
そんな俺自身の葛藤とは別に隣のベッドで寝ているはずの猪熊柔も、また何やら思い悩んでいる様子だった。
夜中に、ふと目が覚めると柔がベッドの上で膝を抱え小さくため息をついているのが見えた。
「…おい、柔。 どうしたんだよ、こんな夜中に。眠れねえのか? 」
俺が声をかけると、柔はビクッと肩を震わせ驚いたようにこちらを見た。
「む、武蔵さん…ごめんなさい、起こしちゃった?」
「いや、別に…ただ、お前らしくねえな、そんなしょげた顔しやがって」
柔は、しばらく黙っていたが、やがてポツリポツリと話し始めた。
「……なんだか、怖いの。 オリンピックが近づくにつれて、どんどんプレッシャーが大きくなって……日本中の人が、私に金メダルを期待してる。
もし、その期待を裏切ってしまったらって思うと…体が震えてくるのよ」
天才柔道家・猪熊柔。
いつも自信に満ち溢れ畳の上では敵なしのあいつが、こんな弱音を吐くなんて正直意外だった。
だが、それだけオリンピックという舞台が、あいつにとっても特別で、そして重いものなんだろう。
俺は、なんて声をかけていいか分からなかった。 励ますなんて柄じゃねえし、そもそも俺自身が自分のことでいっぱいいっぱいだ。
だが、目の前で震えているこいつを放っておくこともできねえ。
「…バカ野郎」
俺は、ぶっきらぼうに言った。
「お前の柔道は、そんなヤワなもんじゃねえだろうが !
俺が一番よく知ってる。
お前の一本背負いは、芸術品みてえに美しい。
お前の体捌きは、水が流れるみてえにしなやかだ。
そして何よりも、お前の畳の上でのあの気迫は、どんな相手だって怯ませるだけのモンがある」
俺は思ったことをそのまま口にしただけだ。
お世辞でも何でもねえ。
「だから、自信持てよ。
お前の柔道は世界一美しい ! 俺が保証する。
日本中の期待なんざ、お前のその美しい柔道で、軽く超えてやれよ !」
柔は俺の言葉を黙って聞いていたが、やがてその大きな瞳から、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「…武蔵さん…ありがとう…なんだか、あなたの言葉を聞いていたら少しだけ…勇気が出てきたわ…」
そして涙で濡れた顔で、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は、いつもの勝気なものとは違う、どこか儚くて、でも強い光を宿していた。
その時、俺と柔の間にはライバルとか、戦友とか、そんな言葉だけじゃ言い表せねえ、もっと深いところで魂が繋がったような、そんな感覚があった。
互いの弱さも、強さも、全てを理解し合えるような不思議な絆だ。
◇
パリ国際大会では個人戦だけでなく、国別対抗の団体戦も行われた。
俺と柔は、もちろん日本代表チームの一員として他の階級の選手たちと共に畳に上がった。
団体戦は個人戦とはまた違う緊張感がある。
自分の勝ち負けだけじゃなく、チーム全体の勝利のために戦う。
その責任の重さは、ゲッターロボでチームを組んで戦っていた頃を思い出させた。
日本チームは順調に勝ち進み、ついに決勝で地元フランスチームと対戦することになった。
会場はフランス応援団の地鳴りのような声援で揺れている。 まさに、完全アウェーだ。
試合は、一進一退の攻防が続いた。
先鋒、次鋒、中堅と両チーム一歩も譲らねえ。
そして、勝負の行方は副将の俺と大将の柔に託された。
俺は副将戦で自分の役割をきっちりと果たし、一本勝ちを収めた。 これで、スコアは日本がリード。
だが、フランスチームも諦めちゃいねえ。
大将戦、柔の相手は個人戦で柔を破って優勝した、あのフランスのベテラン選手だ。
(頼んだぜ、柔…! お前なら必ず勝てる!)
俺は、ベンチから声を枯らして柔に声援を送った。
竜子や隼、他のチームメイトたちの声も一つになって柔の背中を押す。
柔は、その声援に応えるかのように鬼気迫る表情で相手に立ち向かっていった。
試合は、まさに死闘。 互いに技を出し合い、ポイントを取り合い、どちらが勝ってもおかしくねえ展開だ。
そして、残り時間あとわずか。 柔が最後の力を振り絞って仕掛けた一本背負いが見事に炸裂した!
「一本!!」
主審の声と共に日本チームの優勝が決まった。
畳の上で俺たちは抱き合って喜びを爆発させた。 国籍も、年齢も、階級も違う仲間たちと一つの目標に向かって力を合わせ、そして勝利を掴み取る。
その喜びは個人戦の勝利とはまた違う格別なものだった。
特に柔とハイタッチを交わした時、あいつのあの満面の笑顔は今まで見た中で一番輝いていたかもしれねえ。
◇
団体戦の熱狂が冷めやらぬロッカールームで俺は一人、静かに自分の心と向き合っていた。
竜馬や隼人の幻影。 転生の謎。
武蔵としての記憶と巴としての現在。
それらが、まだ完全に整理できたわけじゃねえ。
だが、さっきの団体戦の勝利。
仲間たちと分かち合った、あの純粋な喜び。
それは紛れもなく、今の「武蔵巴」として感じたものだ。
ゲッター線が俺に何を与えようとしたのか、その本当の意味はまだ分からねえ。
だが、この世界で、この体で柔道という道を見つけ、猪熊柔という最高のライバルと出会い、そして竜子や隼、みちるというかけがえのない仲間たちと共に戦えている。
それ自体が、もしかしたら一つの「答え」なのかもしれねえ。
(過去の俺も今の俺も、全て含めて「俺」なんだ。武蔵の魂も巴の器も、どっちも俺自身だ。
だったら俺は俺らしく、この世界で俺の信じる道を突き進むだけだ !)
そう思った瞬間、俺の心の中にあった靄が、少しだけ晴れたような気がした。
竜馬、隼人、弁慶…お前たちがどこにいようと、俺は俺の戦いを続けるぜ。
お前たちに恥じねえような、熱い戦いをな。
◇
パリでの日々は、俺にとって大きな試練の連続だった。
自分の過去との葛藤、世界の壁の高さ、そしてオリンピックへのプレッシャー。
だが、それら全てを乗り越えるためのヒントも確かにこの地で見つけることができた。
柔との間に芽生えた言葉以上の絆。
仲間たちと力を合わせることの喜び。
そして、自分自身と向き合い見つけ出した、ほんの小さな答えの欠片。
それら全てが俺をさらに強くしてくれるはずだ。
(待ってろよ、バルセロナ…! パリで一回りも二回りも成長した、この武蔵巴が、お前たちの度肝を抜くようなとんでもねえ柔道を見せつけてやるぜ!)
ホテルの窓から見える、エッフェル塔の灯り。
それは、まるでオリンピックの聖火のように俺の行く末を照らしているように見えた。
俺の決意は、もはや何があっても揺るがねえ。
バルセロナの畳の上で、俺は必ず黄金色のメダルを掴み取ってみせる。