《銀海総合掲示板》 作:にわか太郎
災淵イーヴェゼイノの小さな小屋にて、ルナは様々な食事を作った。
パンやパスタ、肉料理、魚料理、ケーキやプディング、焼き菓子など、街に行っては新しいレシピを見つけてきて、彼に振る舞うのだ。
何を作ってもノアは味を感じないのだが、気にせずルナは新しい料理を次々に作る。
調理中、座って待っているノアと話をするのが二人の日課となっていた。
「──やっぱり名前がないと不便じゃない?呼ぶ時に困っちゃうよね」
ルナは言った。
「そうか?」
「そうだよ」
ルナは言う。
「……ふむ。では、好きに名前をつけるといい」
「んー、それはあんまりよくないかも」
「なぜだ?」
ノアはルナに問うた。
「ほら、なんだっけ?あの、《追憶の廃淵》?滅びた人の追憶から生まれるのが、《廃淵の落とし子》で、だけど、あなたの元になった追憶、その思い出を持ってる人は滅びてないんでしょ」
「エルミデはそう言っていた。希なことらしい」
「だったら、その人はあなたの親なんじゃない?」
「本人に自覚はないだろう。《追憶の廃淵》のことは知らず、私を生み出したことさえ知覚していないだろう」
「知らなくても、親は親だと思うな。だって、その人が追憶したことが、遠い遠い海を超えて、銀水世界リステリアまで届いたんでしょ。あなたが生まれたのは、きっとどこかにいる誰かが心から望んだからだと思う」
ノアはじっと考え、それから言った。
「……卿はそう思うのか?」
「思うよ。だって、わたしたちの気持ちが、わたしたちの願いが、わたしたちの優しさが、この海で何より一番強いと思うの。きっと、みんなそうなの。みんな、必死に生きて、思うようにならないことがあって、どうしようもないこともあって……それでも、一生懸命頑張ってるの。いつか必ず、奇跡だって起こせるんだって、そう信じて」
ルナは目を細め、優しげな顔でノアに語る。
「──だから、あなたは自分のことを諦めないでほしいな。きっといつか、その人とも巡り会えるはずなんだから」
「……難しく、尊いものだな、奇跡というのは」
率直にノアは言った。
「私に起こせるだろうか。この根源には願いも、優しさも、欠落している」
「そうかな?わたしは、あなたは優しいと思う」
「どこがだ?」
「だって、味がしないのに、わたしが作ったご飯をいつも残さず食べてくれるでしょ」
不思議そうにノアは眉根を寄せた。
「……小さなことが優しさ、か」
「大きな優しさなんてないんだよ」
柔らかい口調でルナは言う。
「誰かの大事にしている、小さな幸せを守るのが優しさなの。銀水聖海の平和とか、統一とか、正義とか、それはすごく大事なことなんだろうけど、そんな大きなことを成そうとしたら、きっと、小さな幸せは忘れられちゃうんだわ」
ノアは目を見開き、横を振り向いた。
「くははっ、そうか」
そして目を細め、ルナと同じように優しげな顔で彼は笑みを浮かべ、笑ったのだ。
「だから、小さなことでいいの。わたしが作ったご飯を食べてくれるだけでいいの。あなたはその小さな幸せを守ってくれる優しい子だわ」
「……卿は優しいな」
「ふふっ。だからね、あなたの親は優しい人だと思う。だって、あなたが優しくなるように願ったんだもの」
「そう思うのか?」
「きっとそう。だから、勝手に名前をつけるのはよくないわ」
ルナがそう結論づけ、再び調理に戻った。彼女は野菜を取り出し、それを手早くカットしていく。
「私は影魔法が得意だ。名前が必要ならば、影と呼ぶといい」
「良い考えね。じゃ、あなたの本当の名前がわかるまでは影ちゃんってあだ名で呼ぶわね」
「卿は変わっているな」
「そういえば、影ちゃんの喋り方って誰に習ったの?」
「私の語彙は、羽化世界の主神フレイネアの追憶からきているようだ。元首シューザという男がこのように喋っていたそうだ。本来、私の根源とは無関係とのことだが、事情があり、こうなった」
「そっかぁ。だから、大人っぽい喋り方なのね」
「普通はどんな風に喋るのだ?」
珍しく気になったのか、ノアがそう聞いた。
「うーん、私とか卿とかは言わないかなぁ。俺とかお前って言うんじゃない。でも、別に変じゃないと思うわ」
「たまには変えてみるのも悪くない。俺に正しい幼子の話し方を教えてくれるか?」
ルナは目を丸くした後、ふふっと笑った。
「なにかおかしかったか?」
「うぅん。完璧っ! これで影ちゃんは立派な子どもね!」
「ならば、よかった」
「僭主……」
一人称が変わっただけの非常に緩い判定に、ロンクルスは渋い表情を浮かべた。
「影ちゃんは子どもになりたかったの?」
「子ども以前の問題だ。俺はまだ生まれていないのだそうだ」
「え?」
ルナが不思議そうに首をかしげる。
ノアは一瞬考え、それから説明した。
「つまり、生まれていないから味を感じない。生まれていないのに、こうしてここで喋っているのは、おかしな話だがな」
「じゃあ、今は、お母さんのお腹の中にいるようなものね」
「そうなるだろう」
ロンクルスが横目で二人をじとーっと見ていた。
ルナとノアを放っておくと、話がおかしな結論になる。そう思っているのだろう。
「身体が成長しないのもそのためだろう」
「影ちゃんって今いくつなの?」
「リステリアに生じてから二年経つ。二歳だ」
「二歳にしたら十分大きくなあい?」
とことことルナはテーブルの方へやってきて、ノアの全身をマジマジと見た。
「ああ、だが……」
「だけど、安心して!」
満面の笑みでルナは言う。彼女はミトンを手にはめて、石窯からグラタン皿を持ってきた。
「だって、このキノコグラタンを食べれば、今よりもずぅっと大きくなれるから!」
呆気にとられたようにノアはキノコグラタンを見た。
「いや、私は……」
「だってね、このキノコグラタンは影ちゃんのために作った特別な料理なの。すぐに大きくなっちゃうよ。お山ぐらい!」
ノアの前にキノコグラタンが置かれる。
彼は彼女の押しの強さにきょとんとしながらも、笑顔のルナを見ていた。
「山ぐらい?」
「うん!おっきくて、強くて、どっしりした子になるわ!」
くはは、とノアは笑い、スプーンを手にした。
「それは、沢山食べなければな」
キノコグラタンすくい、ノアは口に入れる。
瞬間、彼は僅かに目を見開く。
手の動きが止まっていた。
彼はそっと目を閉じる。
静かに、吟味するようにキノコグラタンを一口噛む。そして二口噛み、ゆっくりと咀嚼した後に、喉を鳴らして飲み込んだ。
そうして、スプーンをテーブルに置く。
「影ちゃん……? なにか、おかしかったかな……?」
いつもと違う様子のノアを見て、ルナは心配そうな表情を浮かべた。
「……なぜ、皆があんなにも嬉しそうに食事をとるのか、ようやくわかった……」
「え……?」
ノアは言った。
それはまるで産声を上げるかのように。
「絶品だ、キノコグラタンは」
ノアは感極まったように言葉を口にする。
「影ちゃん、もしかして味が……?」
「ああ、分かるようになった」
ノアはルナの方を向き、皿を差し出す。
「ルナ、俺にもっと料理を食べさせてはくれぬか?」
するとルナは顔いっぱいに笑顔を浮かべ、ノアに言った。
「……うん!いっぱい食べて大きくなろうね、影ちゃん!!」