《銀海総合掲示板》   作:にわか太郎

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学院同盟パブロヘタラ

 

その刹那だった。

 

パブロヘタラの深部より現れた這い寄る水銀が、まるで生き物のようにうねりながら、三つの深層大魔法へと一斉に喰らいついた。

 

その銀光を孕んだ異質な水銀が、終末の火、黒七芒星を纏う蒼き恒星、混沌に満ちた赤い流星、それぞれに纏わりつくように這い上がっていく。

 

そうして見る間に、三つの深層大魔法の外殻が銀に覆われていった。

 

──ギチ、ギチ、ギチギチギチギチッ!!

 

耳障りな駆動音が響き始める。

 

纏わりついた水銀の内側で、三つの魔法が無理やり噛み合わされているかのようだった。

 

終末の火が唸り、蒼き恒星が脈動し、赤き流星が荒れ狂う。だが、その全てが水銀に拘束され、圧し潰され、歯車のごとく整列させられていく。

 

「…………」

 

ノアが目を細める。

 

アムルの魔眼が、鋭く細まった。

 

正帝の胸奥に浮かんだ歯車の多重立体魔法陣が更に強く回転を始める。 噛み合うように魔法陣が一つ、また一つと積層し、その回転に呼応するように三つの深層大魔法を覆う水銀が眩く発光した。

 

「<銀世歯車悪滅爆壊(ボロウヴレム・アヴィラータ)>」

 

低く、冷えきった声で正帝は言った。

 

次の瞬間──

 

三つの深層大魔法の周囲に纏わりついていた銀の光が、一斉に爆ぜる。

 

ゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

 

銀の光が柱となって上下に伸びた。

 

法廷会議室の天井を、宮殿の上層を、浮遊大陸の空を、何もかもを貫いて、天地そのものを銀光の柱で繋いだのだ。床も、壁も、階段席も、教壇も、その全てが純銀の閃光に塗り潰され、視界の内から一切の輪郭が奪われた。

 

床石は砕けて舞い上がり、柱は根元から圧し折れ、法廷会議室そのものが激震に悲鳴を上げる。

 

圧縮され、噛み合わされた三つの深層大魔法は、その威力を相剋のまま暴発させられ、銀の爆滅へと変貌していた。それは紛うことなき、滅びの運命を強制する正帝ドミエルの深層大魔法──

 

その銀光の中を、ノアの障壁が何重にも展開される。アムルは咄嗟に前へ出て魔力を迸らせ、デュエルニーガは幾つもの混沌の星々を煌めかせて余波を押し返す。三人の魔力が噛み合い、辛うじて暴滅の中心から身を引き剥がしたのだ。

 

それでも、講堂は半壊では済まなかった。

 

銀の柱が貫いた中央部は巨大な空洞と化し、上下を隔てていた構造は無残に吹き飛んでいる。砕けた石材と歪んだ空間の残滓が、銀の火花を散らしながら雨のように降り注いだ。やがて。

 

暴虐の如き銀光が、ゆっくりと収まっていく。

 

視界を覆っていた白銀の残照が薄れ、破壊された法廷会議室の輪郭が、少しずつ露わになった。

 

穿たれた巨大な穴の向こうからは鋼鉄世界の空が見える。天地を結んでいた銀の柱も、今は名残の輝きを残すばかりだ。

 

その中心に正帝は立っていた。

 

歯車の身体はなおも軋みを上げ、ノアの<二律影踏(ダグダラ)>によって刻まれた根源の罅も消えてはいない。胸部の赤黒い亀裂からは、不安定な光が明滅している。だが、それでもなお、その場に立つ威圧は揺らがなかった。

 

むしろ、ドミエルの背後には、先程より更に多量の水銀が控えている。それは波のようにうねり、幾層にも重なりながら空中に浮かんでいた。

 

 

一滴一滴が膨大な魔力を帯びているかのように銀の燐光を放ち、命令ひとつで再び暴滅へ転ずることを無言のうちに示している。

 

ドミエルが、三人を見据える。

 

「これ以上、私を──正帝を追うのであれば容赦はしない。私が今一度、<銀世歯車悪滅爆壊(ボロウヴレム・アヴィラータ)>を放てば貴様らも、この宮殿も、何も残らん」

 

すると、言葉とともに背後の水銀が持ち上がる。

 

銀の液塊は幾本もの槍のように尖り、あるいは巨大な歯車の輪郭を形作り、今まさに撃ち放たれんとする気配を見せた。

 

アムルが、鋭い目つきで正帝を睨みつける。

 

その幼い容貌には不釣り合いなほど、凍てつくような殺意が宿っていた。 一歩踏み出せば、次の瞬間には<紅蓮滅掌(ガデス)>でもって奴の歯車ごと根源を砕いていたかもしれない。

 

だが、できない。

 

後方には、まだ逃げ遅れた学院同盟の生徒達がいる。崩れた通路の向こう、障壁の陰、瓦礫の隙間。恐怖に震えながらも、なお完全には退避しきれていない気配が確かに残っていた。

 

ここで追えば、巻き込んでしまう。

 

ノアもまた、沈黙のまま正帝を見据えていた。

 

根源の位置、水銀の起点──

 

次に同じ魔法が来た場合の対応。ありとあらゆる全ての可能性を一息のうちに見通しながら、それでも今この場では踏み込めぬと判断していた。

 

デュエルニーガの星の瞳もまた、鋭く正帝を射抜いている。 星々の光が背後で揺らめくも、その場を動くことはない。そんな三人の視線を正面から受けながら、正帝ドミエルは一切怯まなかった。

 

「賢明な判断だ。次はこうはならん」

 

そう言って、正帝は僅かに身を翻した。

 

すると、パブロヘタラの深部──穿たれた大穴のさらに下方より、新たな銀光が浮かび上がる。

 

ごぼり、と。

 

巨大な水槽のような《淵》が、深淵から押し上げられるように姿を現した。

 

それは<絡繰の淵槽>だ。

 

その水槽型の《淵》がふわり、と宙を滑るように飛来し、正帝ドミエルの傍らへ寄る。歯車の異形はそのまま後ろへ退き、幾つもの水銀を従えながら、<絡繰の淵槽>へと乗り移った。

 

「覚えておけ」

 

最後に落とされた声は、酷く静かだった。

 

「完全なる正義は(いず)れ、この海の全てに満ちる。秩序の歯車は粛々と回り、蔓延る悪を残さず淘汰するだろう。……貴様らに、銀水聖海の正義は渡さない」

 

そうして。

 

<絡繰の淵槽>が黒穹へ向けて飛んでいく。

 

多量の水銀がその後を尾のように引き、銀の残光を撒き散らしながら、ドミエルは世界の外側へと姿を消していった。後に残されたのは崩壊した法廷会議室と、銀の光柱が貫いた巨大な穴。

 

そして、今しがた目の当たりにした現実を、まだ飲み込めずにいる静寂だけだった。

 

講堂に、崩れた石の転がる音が乾いて響く。

 

誰もすぐには口を開けなかった。

 

疑念も、反発も、拒絶も──その全てを、たった今現れた者が力ずくで押し潰していったのだから。アムルはただ、正帝が去った後を睨み続ける。その瞳の奥で滅びの火が静かに燃えている。

 

崩れた石の転がる音だけが、しばし講堂に乾いて響いていた。誰一人として、すぐには口を開けない。つい先刻まで場を満たしていた疑心も。

 

その全てが、今となってはあまりにも空虚に思えたからだ。銀の柱に貫かれた講堂中央には、巨大な空洞が穿たれている。

 

席は幾つも崩れ、教壇は原形を留めていない。瓦礫の隙間からは、なおも淡い銀光の残滓が立ち上っていた。それは、ほんの僅か前までここに何がいたのかを、嫌でも思い出させる光だった。

 

やがて、講堂の後方で誰かが息を呑む。

 

「……本当に、いたのか……」

 

震えた声だった。

 

その一言を皮切りに、張り詰めていた静寂が少しずつひび割れていく。

 

「あれが……正帝……?」

 

「じゃあ、さっきの話は……全部……」

 

「わからぬ。今はまだ、何もわからぬが……」

 

囁くような声。

 

掠れた声。

 

半ば自分へ問いかけるような声。

 

そのどれにも、先程まであった刺々しさはない。

 

あるのはただ、現実を突きつけられた者の戸惑いと動揺だった。崩れた席の陰で、腰を抜かしたままの生徒が小さく呟く。

 

「……私達は、助けられた、のか……」

 

その視線の先には、なお薄く残る障壁の名残があった。もし、あの時ノアが反魔法と魔法障壁を展開していなければ。

 

もし、アムル達が真正面から正帝を迎え撃たなければ。もし、あの深層大魔法のぶつかり合いがそのまま観客席へ流れ込んでいれば。

 

誰も、立ってはいなかっただろう。その事実に気づいた者から順に、顔色が変わっていく。

 

「……奴らは、攪乱しに来たのでは」

 

「最初から、警告していたのか……?」

 

そこで言葉が途切れた。

 

警告していた。

 

止めに来たと言っていた。

 

利用するのではなく、利用される前に止めると、そう言っていた。なのに、自分達は証拠がないと切り捨てた。敵対行為とすら口にした。

 

その事実が、今になって重くのしかかってくる。

 

そんな席の一角で、先程まで最も強くアムル達へ反発していた生徒の一人が唇を噛んだ。

 

「……っ……」

 

拳が震えている。

 

それは恐怖のためだけではなかった。自らの浅慮を、嫌というほど思い知らされたからだ。

 

「私達は……」

 

掠れた声が、途切れ途切れに落ちる。

 

「何も知らないまま、あんなことを……」

 

それ以上は続かなかった。

 

言葉にしてしまえば、自分達がどれだけ場違いな優越感に浸っていたかを認めることになる。だが、もはや認めぬわけにはいかなかった。

 

別の席では、まだ震えの止まらぬ生徒が、崩れた手すりに縋りつきながら言う。

 

「でも、どうすればいい……?あんなものを相手に……」

 

それは、誰もが抱いた疑問だった。

 

──正帝ドミエル。

 

その名も、その目的も、つい先ほどまで誰も知らなかった。だが、いまは違う。たとえ全てを理解できずとも、あれが単なる虚言ではなかったことだけは全員が知ってしまった。

 

恐怖が、講堂を再び満たしていく。

 

だが今度の恐怖は、アムル達へ向けられたものではない。自分達がいま立たされている現実、そのものに対する恐怖だった。

 

門番が、崩れた石床を踏みしめて前へ出る。

 

その顔にも、先ほどまでの職務上の冷静さだけではない、深い緊張が刻まれていた。

 

彼は周囲を見回し、生徒達の無事を確かめるように目を走らせる。そして、残された者達が概ね生きていることを確認すると静かに息を吐いた。

 

「……諸君」

 

その声に、生徒達の視線が集まる。

 

「先程までの審議は、もはや先程までのままでは成り立たぬ」

 

重い言葉だった。

 

「我々は今、この学院同盟が何に触れ、何を知らずにいたのかを、否応なく見せつけられた」

 

誰も反論しない。

 

門番は一拍置き、教壇の残骸の向こう──アムル達の方へ視線を向けた。

 

「少なくとも、一つだけは明白だ。赤星学府ラーヴェラルオズマが虚言を弄していたわけではない」

 

その言葉が講堂に落ちた瞬間、空気がまたひとつ変わった。決して大仰な宣言ではない。

 

だが、それはこの場を司ってきたパブロヘタラ側の者が、初めて公然とアムル達の言葉を事実として認めた瞬間だった。

 

ざわり、と。

 

生徒達の間に新たな波が広がる。

 

「……なら……」

 

「本当に、正帝はこの同盟を……私達の知らないところで……」

 

これまでの新参への不信が、今や見えなかった脅威への警戒へと形を変え始めていた。

 

そして、その変化は一人の生徒の行動によって、さらに明確なものとなる。

 

前方の崩れかけた席から、一人の生徒がふらつきながら立ち上がった。 先程、アムルへ最も鋭く問いを投げていた者の一人だ。

 

彼は一度、深く息を吸う。

 

そして、アムル達の方を向いた。

 

「……先程は」

 

喉が震えている。

 

それでも、彼は言葉を絞り出した。

 

「先程は、貴殿らの言葉を疑った。攪乱しに来たのではないかと、そう言った」

 

講堂の視線が一斉に集まる。

彼は逃げず、真正面から続けた。

 

「だが、間違っていた」

 

静まり返る講堂。

 

「証拠を示せと言った。だが、あれ以上の証拠があるものか」

 

その言葉には、痛切な悔恨が滲んでいた。

 

同時に、ひどく不器用な誠実さも。

 

「少なくとも私は、もう貴殿らを訳のわからぬ新参などとは見ない」

 

すると、別の席からも声が上がる。

 

「……私も、同じだ」

 

「助けられておいて、まだ疑うほど愚かではない」

 

「まだ全てを信じきれているわけではない。正帝とやらの全てを理解したわけではない。だが、脅威が実在することは認めるべきだ」

 

ひとつ、またひとつと声が重なる。

 

無論、全員が即座に同じ温度へ至ったわけではない。恐怖に呑まれた者もいれば、なお状況を飲み込めずにいる者もいる。

 

だが、それでも確実に変わっていた。

 

もう、誰も空論だとは切り捨てない。

 

一人の生徒が、不安を押し殺すように言う。

 

「……なら、私達は知らなければならない。正帝が何者で、何をしようとしているのかを」

 

その声に、幾人もの生徒が頷く。

 

「そうだ」

 

「知らなければ、防ぎようもない」

 

「今ここで目を逸らせば、本当に操り人形になる」

 

その一言は、先程までなら反発を呼んでいただろう。 だが今は違う。誰も、それを言い過ぎだとは思わなかった。なぜなら、自分達の足元を正帝が文字通り突き破って現れたのだから。この同盟は、安全な話し合いの場ではなくなった。

 

既に、敵の手が届く場所にある。

 

その認識が、生徒達の間に共有されていく。そうして門番が再び口を開いた。

 

「学院同盟は独断ではなく、議論と合意によって進む」

 

それは、先刻と変わらぬ原則の確認だった。

 

だが、その意味はもう違う。

 

「ゆえにこそ今、必要なのは感情的な拒絶ではなく事実の共有と、今後の方針の決定だ」

 

彼は講堂の生徒達を見渡す。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマに対する審議は、もはや単なる加盟是非の問題ではない。この同盟が正帝という脅威にどう向き合うか、その第一歩とせねばならぬ」

 

ざわめきの質が変わった。

 

拒絶ではなく、思考のざわめき。

 

恐怖に震えながらも、それでも考えようとする者達のざわめきだ。

 

「……話を、聞くべきだ」

 

誰かが言った。

 

「全部だ。知っていることを、隠さず」

 

「正帝のことも、奴が何を狙っているのかも」

 

「そして、私達に何ができるのかを……」

 

そうして幾つもの視線が、ゆっくりとアムル達へ向けられる。その眼差しは、もはや先程までのものではなかった。恐怖を知った者の眼差し。

 

現実を突きつけられ、それでもなお立ち止まるまいとする者の眼差し。

 

無論、全面的な信頼には程遠い。

 

この場で起きたことはあまりにも大きく、あまりにも急だ。すぐに全てを受け入れられるほど、彼らも単純ではない。だが、少なくとも。

 

赤星学府ラーヴェラルオズマを最初から排するという空気は、もう完全に消えていた。

 

代わりに生まれたのは重く、冷たく、しかし確かな認識。自分達は既に戦いの縁に立っている。

 

そしてそのことを、目の前の三人は最初から知っていたのだ、と。

 

崩れた講堂に吹き込む鋼鉄世界の風が、静かに瓦礫を撫でていく。

 

その中で、学院同盟の生徒達はようやく──

 

新参の学院を見るのではなく、同じ脅威を前に立つ者達を見るようになっていた。

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