《銀海総合掲示板》   作:にわか太郎

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同盟締結

 

しばしの静寂の後。

 

門番は崩れた教壇の残骸へと歩み出る。

 

崩壊した法廷会議室の中央には、なお巨大な空洞が穿たれている。だが、講堂としての体裁を失いながらも、その場に残った者達の視線は確かに中央へ集まっていた。逃げ遅れた生徒達も、退避していた者達も、恐る恐る講堂へ戻りつつある。

 

誰もが顔を青ざめさせていた。

 

それでも、その場から去ろうとはしていない。

 

たった今、この場が安全な議場ではなく全ての世界──銀水聖海の命運に触れる場へ変わったことを、誰もが理解していたからだ。

 

門番は周囲を見渡し、静かに告げる。

 

「法廷会議を再開する」

 

その一言に、ざわめきが僅かに広がった。

だが、異議を唱える者はいない。

 

「ただし、先程までと同じではない」

 

彼は崩れた講堂を一瞥し、生徒達の方を見た。

 

「もはやこれは、一学院の加盟のみを問う場ではない。赤星学府ラーヴェラルオズマが告げた脅威を、我ら学院同盟が如何に受け止め、如何に対処するか。その方針を定めるための会議だ」

 

重い言葉だった。

 

それは、先程までの空気を完全に断ち切る宣言でもある。新参を疑うための場は終わった。ここから先は、正帝という実在の脅威にどう向き合うかを決めるための場へと変わるだろう。

 

講堂のあちこちで、生徒達が小さく頷いた。

 

「……まずは、知るべきだ」

 

「私達が何も知らなすぎた」

 

「正帝だけではない。あの力も、あの魔法も……」

 

その声を受け、門番は一拍置いて言った。

 

「ならば、順を追って話そう。諸君らが今まで知ることのなかった、この海の深奥についてを」

 

その瞬間、講堂の空気がまたひとつ張り詰めた。

 

「この銀水聖海という広大な海には、諸君らが主に属する浅層世界、中層世界よりも更に深い領域が存在するのだ」

 

ざわり、と生徒達が揺れる。

 

「更に深い……領域?」

 

驚きの声が次々に漏れた。

 

無理もない。

 

彼らにとって世界とは自分達が生きる層と、その周辺に連なる近しい世界群こそがほぼ全てだった。浅層と中層の連なり、その広がりの中で銀水聖海を捉えていた者が大半である。

 

だが、それでも荒唐無稽とは思えなかった。

 

なぜなら彼らもまた、この海に浅深の秩序があることを、知識ではなく感覚としては知っていたからだ。世界ごとに重みが違う。深さの質が違う。魔力の濃度も、秩序の強度も異なる。

 

その差異を、彼らは日々の学びと鍛錬の中で半ば当然のものとして受け入れてきた。

 

ゆえに──

 

「……あるのか、本当に。いや……だが、そこまで違うものなのか……?」

 

困惑は大きい。

 

だが、つい先程までなら一笑に付されていたかもしれぬ話も、正帝ドミエルの襲撃を目の当たりにした後では違った。

 

自分達の常識の外にあるものが、既にこの場を踏み荒らしていったのだ。ならば、深層世界という未知もまた、存在すると考える方が自然だろう。

 

門番は続ける。

 

「深層世界。それは、浅層や中層とは比較にならぬほど深い深淵の秩序を持つ世界だ」

 

生徒達は息を呑む。

 

「そして正帝ドミエルが関わるのは、まさしくその領域に及ぶ話だろう」

 

その言葉が落ちた瞬間、講堂にいた者達の認識が改めて塗り替えられた。

 

正帝とは、単なる浅い世界の強者などではない。自分達の知らぬ、より深い世界に坐す存在。だからこそ、あの圧倒的な異質さがあったのだと。

 

門番は、視線をアムル達へ向ける。

 

「そして、赤星学府ラーヴェラルオズマの面々もまた、その深層に連なる者達である」

 

生徒達の目が、一斉に三人へ注がれる。

 

今やその視線には、先程まで向けられていた敵意よりも緊張と畏れの方が強かった。

 

「二律僭主ノア。そして第一魔王アムル」

 

門番の声が、講堂へ明瞭に響く。

 

「この二名は、銀水聖海において決して触れてはならぬとされる禁忌の存在──より深層の世界では不可侵領海と呼ばれ、畏怖される存在だ」

 

その言葉が落ちた瞬間、場の空気が再び震えた。

 

「……不可侵領海?」

 

大半の生徒達は、その名に心当たりがない。

 

だが、講堂の一角──ごく一部の生徒達だけが、明らかに顔色を変えた。

 

「……まさか」

 

彼らの震えは、先程までとは別種のものだった。

 

それは未知への恐怖というより、伝承に過ぎぬものが現実に現れた時の戦慄に近い。一人の生徒が、信じ難いものを見る目でアムルを見た。

 

「魔王?」

 

小さな声だった。

 

だが、その言葉は講堂の何人かへ伝播した。

 

「知っているのか?」

 

「……少しだけだ。昔話のように聞いたことがある。深層十二界を支配し、銀海史上初めて深淵魔法に到達したと語られる大魔王ジニア・シーヴァヘルド。その後継者候補たる存在が魔王だと。それゆえ、深層世界も大魔王ジニアの存在も伝承の中の話でしかないと切り捨てていたが──」

 

囁くような説明に、周囲の生徒達が息を呑む。

 

「……では、あの幼子が?魔王というのは、単なる御伽噺の類ではなかったのか……」

 

今まで子供じみた容姿ゆえに侮りすら向けていた者達の魔眼()から、その色が完全に消え失せた。代わって宿るのは、遅れてきた理解と畏怖だ。

 

門番は更に言葉を継ぐ。

 

「そして第一魔王アムルと同じく、二律僭主ノアもまた不可侵領海に数えられるほどの強者だ」

 

今度はノアへ視線が集まる。

 

夕闇に染まった外套を纏った幼子は、相変わらず静かにその場へ立っている。 先程、生徒達全員を反魔法と障壁で守り抜いた張本人であり、しかも正帝の根源に罅を入れた者。

 

その上で不可侵領海と聞かされれば、もはや生徒達には畏怖以外の感情を向けようがない。

 

先程まで抱いていた認識が、根底から崩れ落ちていく。自分達が審議していた相手は、単なる無名の学院ではなかった。銀水聖海の深奥に触れる禁忌の存在が、自らこの場へ現れたのだ。

 

先程までなら受け入れられなかった事実も、今は妙な説得力を伴っていた。

 

「……だから、あの強さだったのか……」

 

誰かが呟く。

 

それは疑問ではなく、納得の声だった。

 

「正帝の攻撃を、真正面から押し返した先程の赤い流星も。確かに、あれだけの魔法なら……」

 

「なるほどな。私達の尺度では、測れるはずもない……」

 

デュエルニーガの周囲に揺らめく星の光を見つめ、生徒達はようやく合点がいったという表情を浮かべる。今、自分達が対面しているのは、自分達と同じ土俵の強者ではない。

 

銀水聖海の深奥に坐す超越者なのだと。

 

門番は改めて講堂全体へ向き直る。

 

「諸君も、これで理解しただろう。先程、我々の前に現れた正帝ドミエルは単なる侵入者などではない。あれもまた、遥か深層に君臨する明確な脅威だ」

 

その言葉に、生徒達の表情が引き締まる。

 

「……統一された秩序による正義、か」

 

先程アムルが語った言葉が、今になって重みを増して胸へ落ちてくる。学院同盟は価値がある。だから掌握されれば広範囲へ影響を及ぼす。

 

あれは誇張ではなかった。正帝自身が、その危険を証明していったのだ。一人の生徒が、もはや怯えだけではない声音で言った。

 

「ならば、私達は今も狙われているということか。そして、既に敵はここまで手を伸ばしていた」

 

そうして講堂全体に満ち始めているのは、危機を共有した者達の緊張だった。

 

知ってしまった以上、もう先程までのように何も知らぬふりはできない。

 

正帝の存在も、深層世界についても。全ては現実であり、それがこの学院同盟へ触れたのだ。

 

門番が言う。

 

「よって、以降の議題は明白だ。第一に、正帝に関する情報の共有。第二に、学院同盟内における安全の再確認。第三に、正帝の干渉を防ぐための対応策の検討。そして、第四に──」

 

彼は一度、アムル達の方を見る。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマとの連携についてだ」

 

その言葉に、ざわめきが起こる。

 

「……当然、必要になるだろうな」

 

「深層を知る者なくして、どう対抗する」

 

「いや、だからこそ慎重にもならねばならぬ。だが、排するという選択は、もはやありえん……」

 

生徒達はそれぞれに意見を交わし始める。

 

先程までの一方的な拒絶とは違う。相手を認めた上で、どう組むべきかを考える議論だ。

 

一人が手を挙げる。

 

「まず、知りたい。正帝ドミエルが具体的に何を狙い、どのように学院同盟へ干渉していたのかを」

 

別の者が続く。

 

「同時に、我々の中に既に何らかの影響が及んでいる可能性も調べるべきだ。この学院の深部から奴が現れたことも、偶然とは思えぬ」

 

「この宮殿の深奥にあれほどの干渉を許した以上、内部構造の再点検もせねばならない」

 

「各学院ごとに連絡網を整え、異常があれば即座に共有できるようにするべきだ!」

 

会議は、徐々に進み始めていた。

 

門番はその様子を見届けると、静かに頷いた。

 

「ならば、順に進めよう」

 

そうして彼は、講堂の中央──かつて教壇であった瓦礫の前に立つアムル達へ視線を向ける。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマよ。改めて問う。貴殿らが知る正帝について、そしてこの学院同盟に何が迫っているのかを、ここにいる全員へ示してほしい」

 

幾つもの視線がアムルへ集中する。

 

正帝とは何者なのか。

 

そして奴が何を望み、何をしようとしているのか。なぜ、学院同盟が標的となるのか。

 

幼子は穿たれた大穴の向こう、鋼鉄世界の空を一瞥し、それから静かに生徒達へ視線を向けた。

 

「正帝ドミエル……いや、正帝の目的は単純だ。奴は銀水聖海の全てを、統一された秩序による正義で満たそうとしている」

 

「……それは既に聞いた。具体的に奴の言う正義とは、いったいどのようなものなのだ?」

 

「奴にとっての正義とは、ただ一つの揺らがぬものだ。誰もが同じ倫理に従い、同じ論理で動き、同じ結論へ到達すること。それが保たれている限り、あらゆる悪は正義の前に淘汰される。そう、考えている」

 

それは一見すれば、整っていた。むしろ、聞きようによっては理想にすら思える。

 

だが、今この場にいる者達はもう、そんな言葉だけを額面通りに受け取る気にはなれなかった。つい先程、自らの正義を押し通すためなら講堂ごと消し飛ばしかねぬ者を見たばかりなのだ。

 

一人の生徒が低く言う。

 

「……そのためなら、犠牲も厭わないということか」

 

「そうだ」

 

アムルは即答した。

 

「奴にとって重要なのは、最終的に銀水聖海全体が正義という名の一つの価値観(ちつじょ)へと収束することだ。その道程で幾千幾万の世界が踏みにじられようと、完全なる正義を実行するためならば奴はそれを必要な代償としか見ていない」

 

講堂の空気が重くなる。

 

アムルは一拍置き、さらに言葉を継ぐ。

 

「……正帝ドミエルは、絡繰世界デボロスタの出身だ。そして、そこに奴の思惑の起源がある。まず絡繰世界デボロスタとは、この銀水聖海において最初に進化した銀泡だ」

 

驚きのざわめきが走る。

 

「最初に進化した世界だと?」

 

「では、正帝は最初に銀水聖海を見た者なのか?」

 

アムルは鷹揚に頷く。

 

「少なくとも、絡繰世界は他の世界に先んじて銀水聖海へ手を伸ばした。ゆえに奴は見た。この海が異なる思想、異なる価値観によって満ちていることに」

 

アムルの声は淡々としていた。

 

「異なる思想、異なる価値観、異なる倫理──そして異なる正義。世界ごとに信じるものが違い、目指すものが違う。それでは完全なる正義の実行など夢物語に過ぎぬ。奴はそう結論づけた」

 

それは、生徒達にも理解できる話だった。

 

学院同盟という小さな枠の中ですら、意見の一致は容易ではない。

 

浅層と中層に跨る学院が集うだけでもこれだけ違う。ならば銀海全体など、なおさらだろう。

 

「それで……正帝は何をしたのだ?」

 

前列の一人が問う。

 

「まず、奴は銀水聖海の各世界を見て回った」

 

それにアムルが答えた。

 

静かな声が、崩れた講堂の隅々まで響く。

 

「そして、長い旅の果てに一つの確信に至った。自分以外の存在が誰も銀泡から出てこない、と」

 

その言葉に、生徒達は息を呑む。

 

「絡繰世界デボロスタは、銀水聖海で最初に進化した小世界だった。ゆえに、他の世界はまだ銀水聖海そのものを知らず、銀泡の内側だけで全てが完結していた」

 

生徒達の表情に、少しずつ理解が浮かび始める。

 

「世界は閉じている。閉じている限り、他とは交わらない。交わらない限り、統一された価値観は育たない。それゆえ奴は、無理やりにでも世界を外へ向かわせる必要があると考えた」

 

一人の生徒が、嫌な予感を滲ませるように言う。

 

「……それは、何を意味する?」

 

アムルの瞳が、静かに細まる。

 

「まず奴は、全ての世界が泡沫世界である内に、その手で世界に秩序の穴を空けた。そして、そこへ自らの秩序である歯車の種を埋め込んだ」

 

「なっ……!?」

 

「少なくとも、あらゆる銀泡の在り方には正帝の歯車が関与している。例外はあるが基本、全ての銀泡がそうだ」

 

講堂の空気が、また一段冷たくなる。

 

「そうして秩序に穴を空ければ、本来循環するはずの火露が外へと抜け落ちていく。火露が抜け落ちれば、やがて違和感を覚える者が現れるだろう。そして、己の世界の外側に何かがあると気づく者が出始める。それは最終的に世界の外──銀水聖海を知ることに繋がり、その世界の進化に繋がる」

 

アムルの説明に無数の息を呑む音が重なる。

 

「更に泡沫世界から抜け落ちた火露を回収すれば、その世界はより深い層へ到達する。そうして世界ごとに深さの差が生じ始めた」

 

門番が沈黙したまま聞いている。

 

生徒達もまた、誰も口を挟まない。

 

「元々、銀水聖海は全ての世界が同列だった。浅きも、深きもない。ゆえに、それぞれがそれぞれのままで調和を保っていた。だが、火露が移動し、深層へと移行する世界が生まれ始めたことで秩序が変わった。全てのものが浅いところから深いところへ移動するという秩序が生じたのだ」

 

更に幼子は続ける。

 

「その秩序によって世界は繋がりを持ち始める。やがて交流し、影響し合い、全体が一つの海として編まれていく……それこそが、正帝ドミエルの狙いだった」

 

その一言が、講堂を更に静めた。

 

「また奴の目的は、あくまで完全なる正義の実行。そうして世界同士が繋がり、交流が深まり、やがて一つの大きな秩序と価値観の流れに呑まれていけば、銀水聖海に統一された正義を敷くための土台が整う」

 

そして、そこでアムルはわずかに間を置いた。

 

「その上で正帝が目をつけたのが、願望世界ラーヴァシュネイクだ」

 

希輝星は何も言わず、ただ静かに立っている。

 

「願いが星となって輝く世界。それは、あらゆる願望が形を成す世界だ。奴はそこで歯車を操り、まず願望世界を深淵へと至らせる。そして、そこに《淵》を作った。<願望(がんぼう)星淵(せいえん)>だ」

 

「《(ふち)》……?」

 

「<願望(がんぼう)星淵(せいえん)>は銀水聖海中の願いを集め、具現化する力を持つ」

 

「……!?」

 

アムルの言葉に、生徒達の表情が変わる。

 

「そこで正帝は考えた。誰もが望む完全無欠の倫理と論理──銀水聖海のあらゆる願望を集め、それを一つの形として具象化できれば、全ての人々がそれを求めるだろう、と」

 

講堂の空気が、ぞっと冷える。

 

「その願望を具象化したものこそ、統一された価値観。誰もが欲し、誰もが従い、誰もが正しいと信じるもの。それさえ手に入れば、銀水聖海全体に完全なる正義をもたらせるはずだと、奴はそう考えた」

 

誰も言葉を発しない。今この場にいる誰もが、その発想の危険さを理解していたからだ。

 

それは正義の名を冠している。

 

しかし、実態は全ての願望を一つの結論へ押し固めることに他ならない。

 

「だが、それも失敗に終わったがな」

 

「……失敗?」

 

アムルがそう言うと、生徒達は疑問を浮かべる。そうして彼は言葉を続けた。

 

「ともかく<願望の星淵>による統一された正義の具現化に失敗した以上、奴は別の形で銀水聖海全体へ秩序を浸透させる必要に迫られた」

 

その視線が、崩れた法廷会議室をなぞる。

 

「そこで奴が利用しようとしたのが、この学院同盟パブロヘタラだ」

 

ざわり、と場が揺れる。

 

「学院同盟を……?」

 

「そうだ」

 

アムルの声が、今度は明確な冷たさを帯びた。

 

「正帝は最初から、この学院同盟の創設当初よりパブロヘタラの深部に根ざしていた」

 

その言葉は、衝撃そのものだった。

 

「なっ!創設からだと……!?」

 

「そんな、馬鹿な……!」

 

門番すら、僅かに目を見開く。

 

生徒達の顔から血の気が引いていく。

 

「学院同盟は浅層から中層を中心に、多数の世界の意思が集約する場だ。個々の学院の論理ではなく、皆で話し合い、皆で決める。一見すれば自由と協調の場だが、逆に言えば方針が定まりさえすれば、その影響は極めて広範に及ぶ」

 

アムルは淡々と告げる。

 

「完全なる正義を実行するための土台として、これほど都合の良いものはない。ゆえに奴は学院同盟の在り方そのものへ深部から干渉し続けていた」

 

「では、私達の議論も決定も知らぬところで誘導されていたとでもいうのかっ!?」

 

生徒達の声に、恐怖と怒りが混じり始める。

 

「すべてが奴の意のままだったとは言わん。だが、少なくとも奴はここを見ていた。根を張り、機を窺い、学院同盟という形が熟すのを待っていた」

 

講堂のあちこちで、悔しさに拳を握る者が現れる。話し合いと合意を誇りとしてきたこの同盟にとって、それは存在意義を汚される話だった。

 

「だからこそ、俺達はここへ来た」

 

アムルが言う。

 

「正帝が銀水聖海に秩序の下に統一された完全なる正義を敷く前に、な」

 

その声に、今度は誰も反論しなかった。

 

彼らはようやく理解したのだ。

 

正帝の計画は、どこか遠くの深層世界で起きている話ではない。既にこの学院同盟の足元にまで入り込み、その根幹を土台として利用しようとしていたのだと。崩れた講堂に、重い沈黙が落ちる。

 

やがて、一人の生徒が静かに口を開く。

 

「……ならば、もう疑っている場合ではないな」

 

別の者が頷く。

 

「学院同盟が土台にされるというのなら、私達自身がその手で禍根を断たねばならぬ」

 

「正帝に利用されるために集ったのではない。皆で決めるというのなら、今こそ皆で止めるべきだ」

 

門番がゆっくりと周囲を見渡す。

 

その表情には、もはや迷いは少なかった。

 

やがて、席の一角から一人の生徒が立ち上がる。

 

「ならば、まずは確かめねばならない」

 

掠れた声ではあったが、その中には先程までになかった芯があった。

 

「パブロヘタラの深奥だ。正帝が創設当初から根ざしていたというのなら、あの宮殿の深部には、まだ奴の歯車が残っている可能性が高い」

 

その言葉に、幾人もの生徒が静かに頷く。

 

「そうだな」

 

別の席から声が継がれた。

 

「転移魔法陣、結界。あらゆる箇所を再点検すべきだ。先程、結界に穴が開いたことも含めて内部から干渉された可能性を洗い出さねばならない」

 

「深部の封鎖も必要だ」

 

「いや、ただ封鎖するだけでは足りぬ。封じたつもりの場所に歯車を残されていれば、それ自体が奴の楔になる」

 

門番はそれらを遮らず、静かに聞いていた。

 

学院同盟とは、一部の強者が命じる場ではない。こうして皆で考え、皆で決める場だからだ。

 

更に別の生徒が立ち上がる。

 

「安全確認だけでは不十分だ。正帝の狙いが学院同盟の在り方そのものにある以上、私達の意思決定の仕組みも見直すべきではないか」

 

「見直す、とは?」

 

「各学院に異変や干渉の兆候があった場合、即座に共有できる仕組みを整える。独立して対処していては、各個に崩される」

 

「情報網か」

 

「加えて、緊急時には通常の加盟審議や議決より優先して対処を決められる枠組みも必要だろう。対策本部を常設するべきだ」

 

「各学院から少なくとも一名、異常監視と報告の担当を選出する」

 

「一学院のみで抱えるべきではない。標的が学院同盟全体である以上、全学院で警戒を分担しなければならぬ」

 

崩れた講堂に吹き込む風が、瓦礫を撫でる。

 

その中で、会議は着実に形を成し始めていた。

そして、一人の生徒が躊躇いながらも口を開く。

 

「……ですが、私達だけでできることには限りがあります」

 

その言葉に、場が静まる。

 

「正帝は深層に連なる脅威です。私達は今、その存在と計画の一端を知ったにすぎない。ならば、深層を知る者の力を借りなければ、対抗のしようがないでしょう」

 

視線が、自然とアムル達へ向けられた。

 

「つまり……」

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマと連携すべきです」

 

短い沈黙が落ちる。

 

先程までなら、その提案は早計だと退けられたかもしれない。だが、今や異論の色は薄い。あるのは、どう連携すべきかという慎重さだけだった。

 

門番がゆっくりと口を開いた。

 

「諸君。今、挙がった案を整理する」

 

崩れた教壇の残骸の前で、彼は講堂を見渡す。

 

「第一、パブロヘタラ深部の即時封鎖。及び内部術式・転移魔法陣・結界などの総点検。第二、学院同盟各学院への緊急通達と、異常共有のための連絡網の構築。第三、正帝対策のための対策本部の設置。第四──」

 

そこで、彼は一度アムル達を見た。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマとの共同戦線の可否だ」

 

その言葉が講堂の中心に沈むように落ちた。

 

共同戦線。

 

それは、この学院同盟が正帝という脅威に対し、赤星学府を内側へ迎え入れて共に戦うという決定に他ならなかった。一人の生徒が、静かに言う。

 

「私は賛成だ」

 

前方の席にいた生徒だった。先程、アムルへ最も鋭く問いを投げていた者の一人である。

 

「正帝の存在を実証し、しかも私達を守ったのは彼らだ。少なくとも今、この時点で彼らを排する理由はない。むしろ、彼らなしに正帝へ対抗できるとも思えぬ」

 

その声に、別の席からも続く。

 

「同じく賛成する」

 

「私もだ。全面的に理解したとは言わぬ。だが、今必要なのは完全な理解ではなく、崩されぬための連携だ」

 

「学院同盟が土台として狙われているのなら、その土台に亀裂を入れさせぬためにも、彼らの知見を借りるべきだろう」

 

ざわめきが広がる。

 

そして、やがて一人の生徒が手を挙げた。

 

「共同戦線には異論はない。だが、学院同盟として迎える以上、形を曖昧にすべきではない」

 

門番が問う。

 

「具体的には?」

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマを、正帝対策における正式な協力学院として承認することだ。中途半端な客分ではなく、同盟の一員として対策会議へ参加させるべきだ」

 

その言葉に、場の空気がひとつ締まる。

 

それはつまり、共同戦線の承認を実質的な加盟承認と結びつける提案だった。

 

数瞬の静寂。

 

それから、各所で短い頷きが生まれる。

 

「妥当だな」

 

「もはや加盟是非だけを論じる段階は過ぎた。共に戦うなら、同じ席に着くべきだ」

 

門番は目を閉じ、講堂に満ちる意思を一度受け止めるように沈黙した。

 

それから、ゆっくりと口を開く。

 

「では、確認する」

 

その声は、崩れた講堂の隅々まで届いた。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマを、学院同盟における正帝対策の正式な協力学院として認め、同時に本同盟との共同戦線を結ぶこと。そして、その上で正規の加盟を承認する方向で以後の審議を進めること。これに異議ある者はいるか」

 

法廷会議室が静まる。そして誰からともなく一人、また一人と静かに手が挙がる。

 

前方から、中程から、崩れた席の奥から。賛意を示す手が円形の講堂に広がっていく。

 

門番は、それを静かに見届けた。

 

「……異議なしと認める」

 

その瞬間、講堂の空気が大きく変わった。

 

この瞬間を以て、学院同盟は正帝という脅威に対し、赤星学府ラーヴェラルオズマと共に立つことを選んだのだ。門番はアムル達へ向き直る。

 

「赤星学府ラーヴェラルオズマよ。法廷会議の総意により、貴殿らを正帝対策における正式な協力学院として認める。以後、学院同盟は貴殿らと共同戦線を張る。また、同時に本同盟は、貴殿らの加盟を承認する方向で審議を進める。少なくとも貴殿らを外に置いたまま、この危機へ対処することはありえぬ」

 

アムルは静かに門番を見返す。

 

その幼い姿に宿る魔眼は、依然として鋭い。

 

だが、その奥にあった張り詰めた紅蓮の炎は、わずかに静まっていた。

 

「……いいだろう」

 

彼は低く言った。

 

「ならば、俺達もお前達を見捨てはしない」

 

短い言葉だった。

 

だが、その一言はここにいる誰にとっても、何より重い約定として響いた。そして、後ろに控えていた二律僭主が講堂を一瞥して徐ろに呟く。

 

「まずは深部の封鎖と調査だ。正帝の残した歯車を一つでも見逃せば、同じことが繰り返される」

 

門番が頷く。

 

「うむ。直ちに人員を割り振る。各学院への通達も急げ。正帝の名と目的、並びにパブロヘタラ襲撃の事実を伏せるべきではない。同盟全体で危機を共有する。さもなくば、次は別の学院が足元を掬われるだけだ」

 

続くように生徒達も言葉を交わした。

 

「異常の兆候、結界の乱れ、深部からの干渉、いずれも記録し報告するべきだな」

 

「学院条約も一時的に改める必要がある。緊急時の決定を遅らせぬために」

 

そして門番は最後に、全体へ向けて宣する。

 

「これより本会議は、正帝ドミエル対策会議として継続する。各学院は警戒態勢へ移行し、深部調査班、術式再構築班、情報連携班を直ちに編成せよ。赤星学府ラーヴェラルオズマは、その中枢協力学院として本会議に列席する」

 

その宣言を前に、彼らは誰も異を唱えなかった。

 

崩壊した法廷会議室。

 

銀の残滓がまだ微かに揺らめく中、学院同盟は一つの決断を下したのだ。正帝の土台とされるのではない。その土台を、自らの意思で守り抜くと。




燃え尽きました、真っ白に。
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