《銀海総合掲示板》 作:にわか太郎
数ヶ月後──
聖剣世界ハイフォリア。第一ハイフォリア。
雲一つない青空に、大きな虹が架かっていた。
それは七色ではない。
白く、どこまでも純白の虹。
その光は聖剣世界の大地へと降り注ぎ、時に道の姿を取る。それは
曰く、勇気を胸に正しき道を進む者には、聖剣世界ハイフォリアの主神、
ゆえに、ハイフォリアの狩猟貴族は、いかなるときも正道を踏み外してはならない。
その白き虹が眼前に現れたなら、彼らはただ真っ直ぐに、その上を歩んでいく。
たとえ、その先に待つのが死地であろうとも。
なぜなら虹路とは、秩序によって形を与えられた彼ら自身の良心にほかならないからだ。今まさに、天に架かる虹の道を悠然と進むその男もまた、自らの良心に導かれ、ここまで辿り着いた。
白髪の混じる髪。
顔に深く刻まれた皺。端正に整えられた口髭。 老いによって今は衰えを見せていたが、若き日には不可侵領海にも比肩すると謳われた狩人である。
聖剣世界ハイフォリアが元首、聖王オルドフ・ハインリエル。 彼が足を踏み入れたのは、ひときわ強く輝く
オルドフは石畳の床を静かに進み、祭壇の前で足を止める。その奥は虹の輝きに覆われ、何も見えない。しかし、彼が手を掲げると、その掌中に霊神人剣エヴァンスマナが光とともに現れた。
オルドフは、その聖剣を静かに振り下ろす。
白虹の輝きは一刀のもとに断ち割られ、その裏側に隠されていた真実が姿を現した。
そこから溢れ出したのは、鋭い冷気だ。
冷たく透き通る巨大な塊が見える。
その内部には、ひとつの巨影があった。
それは──巨大な氷柱だった。
その中に眠るのは、災淵世界イーヴェゼイノの不可侵領海──災人イザーク。 オルドフは、氷柱の内で眠り続けるその男を、静かに見つめた。
「貴様が今の私を見たなら、老いさらばえたとでも言うのだろうな」
オルドフは短く息を吐く。
そして、それ以上は何も言わず、ただじっと氷柱と向き合っていた。
すると、
「決心はついたのか?」
後ろから声が聞こえた。
その声に導かれるようにオルドフが振り返ると、そこには赤く逆立った、燃えるような髪を持つ魔族の青年が立っていた。それは不可侵領海──第一魔王、壊滅の暴君アムル・ヴィーウィザーだ。
あれから千年もの時を経て、彼もまた、二律僭主ノアと同じく成長を遂げていた。
「ご足労感謝する、第一魔王アムル。しかし、外で待つように伝えたはずだが?」
「今の貴様では力が足りまい」
アムルはオルドフの前に歩み出る。
「こいつを動かすにはな。……さて、この氷柱を人知れずイーヴェゼイノに送るのは骨が折れる。そこで、だ」
彼は己の影に視線をやる。
「お前も手伝え、ノア」
すると、アムルの後ろに差す影が歪んだ。
それは徐々に立体化していき、人の形を
それは不可侵領海、二律僭主ノアだ。
二律僭主は一つ、息を吐いてオルドフに問う。
「──いいのか?」
一拍の静寂が場を満たす。
だが、オルドフは彼の問いに頷いてみせた。
「私は老いた。次の聖王が、災人を滅ぼす決断をせんとも限らん。これ以上、ここに隠しておくことはできんだろう。なにより、災淵世界イーヴェゼイノで眠りについているはずの災人イザークが、ハイフォリアの神殿にいたなどと知れては民達は納得せんよ」
「承知の上で挑んだことだ」
「左様。それが私の正道であった。なにも知らぬ若者たちに、無責任に押しつけることなどできはせん」
オルドフが二人の方へと振り向く。
「私の夢は終わったのだ。最後に、ついた嘘の後始末をせねばならん」
「ならば──」
瞬間、アムルは魔法陣を描く。そして光の扉が瞬く間に燃え、灰へと変わっていった。
「なにを……?」
「自分の息子にぐらいは、真実を明かせ。ここで途絶えさせるには、お前の夢はあまりに惜しい」
直後──
「「──陛下っ!」」
響いたのは、二つの声。
光の扉が完全に灰へと変わると、結界に穴ができていた。そこを通ってやってきたのは二人の狩猟貴族。聖剣世界ハイフォリアが誇る五聖爵の一人、男爵レブラハルド・フレネロス。そして、弟のバルツァロンド・フレネロスだ。
二人はぎょっとした様子で、父である聖王オルドフ──そして、その前に泰然と立ち尽くしている二人の青年を目にした。だが、何より──
彼らは恐る恐るといったように父の
「……聖王陛下。いいえ、父上。どうか、偽りなく答えて欲しい……」
まっすぐ父を見つめるレブラハルド。
バルツァロンドは顔を伏せ、拳を握っていた。
「この氷柱の中にいるのは、災人イザークなのか?」
「そうだ」
オルドフが氷柱を眺めながら頷く。
「……なぜ」
レブラハルドが問おうとした瞬間、バルツァロンドが耐えきれぬとばかりに口を開いた。
「我々は悪しき獣を狩り、この海に正道を示す誇り高き狩猟貴族!だというのに……父上っ!これは、どういうことかっ!?なぜ、貴方は悪しき獣の王たる災人イザークを、このようにして匿っているのだ!!!」
「……すまない、バルツァロンド。だが──」
「言い訳など聞き入れはしないっ!!それに、聞きたいことは他にもある!!!」
バルツァロンドは、オルドフの前に泰然と立つ二人の青年を指差して言った。
「この者達はいったい何者だ、父上!あまつさえ貴方は災人イザークを隠し、このハイフォリアに匿っていたというのに……まるで、それを初めから知っていたかのように立つ、この二人は何者かと聞いているのだ!見たところ、ハイフォリアの者ではないようだが……」
バルツァロンドは怒りの中に疑念を浮かべ、眼前の二人の深淵を覗くかのように
レブラハルドも同様だ。
彼もバルツァロンドと同じく、見知らぬ二人の青年に対して疑問の表情を浮かべていた。
「……私の協力者だ。彼らは災人と同じく、不可侵領海に指定される存在──二律僭主ノア。そして第一魔王、壊滅の暴君アムルだ」
「なあっ……!?」
レブラハルドは目を開き、バルツァロンドは驚愕の表情に染め上げられた。無理もない。なにせ、このハイフォリアにおいて聖王や祝聖天主の許可なく、不可侵領海と接触することは許されない。
それを、幾ら聖王本人とはいえ、ハイフォリアの頂点に立つ人物が接触禁止の掟を率先して破っていたのだ。バルツァロンドはすぐに反論した。
「……言い訳もないのか……?それは罪を認めると言っているような──」
「ルッツ、少し落ち着くといい」
だが、レブラハルドがそれを制止する。
落ち着かせるような声音だ。
しかし、バルツァロンドはレブラハルドに反論するかのように捲し立てて言った。
「だが、兄上っ。ただ一つの反論もないのが、言い訳できぬ証拠では──」
「反論は、たった今自分で言い潰したね?」
バルツァロンドは口を閉ざす。
確かに、と顔に書いてあった。
「聞く耳を持たない人間に、喋る言葉はない」
「……ぐ、ぐぐ……」
ようやく冷静さを取り戻したのか、それ以上、聖王オルドフを責めようとはしなかった。
「父上」
努めて冷静にレブラハルドは言う。
「私も気持ちはルッツと同様。理由があるなら、教えてもらいたい」
オルドフは、静かにうなずく。
「そこに佇む不可侵領海達のことは置いておこう。しかし、今聞きたいことは災人についてだ。……太古の昔、災人イザークは災淵世界に興味をなくし、眠りについた。眠りこそが災人にとって、最も強き渇望であったからだ。そう言われている」
オルドフが左右に首を振る。
「それは違うのだ」
「……違う、というのは?」
「イザークは誓約に従い、眠りについた。誓いを交わしたのは私だ」
一瞬の沈黙の後、レブラハルドは問うた。
「どのような誓いを?」
「……私には夢があった……」
祈るような眼差しを息子たちへ向け、オルドフは言う。
「今は言えん。もしも、お前たちの内どちらかが聖王に選ばれたなら、その時にこそ話そう。それと」
揺るぎない意思を瞳に込め、聖王オルドフ・ハインリエルははっきりと宣言する。
「災人は今日、イーヴェゼイノへ帰す」
「馬鹿なっ……そんな馬鹿な話が──」
バルツァロンドは再び、反論の声を上げた。
「誓約を守り、災人は眠りについた。それを今、滅ぼしてしまえば、それは騙し討ちに等しい」
「それで滅ぼせれば、良いのではないのかっ?獣を罠に嵌め、滅ぼすことは決して恥などではないっ!!それで一体、何億という命が救われるか──」
「ルッツ」
レブラハルドの呼びかけに言葉が詰まる。
「どうせならば、誇りも命も守ろう。簡単なことだよ。強く、まっすぐあればいい」
そして、バルツァロンドはまた押し黙った。
「父上。貴方はそれが正しき道とお思いか?」
誠心を瞳に宿し、レブラハルドが問う。
オルドフははっきりと答えた。
「誓約の際、虹路が見えたのだ。その道をひたすらにまっすぐ歩んでここまで来た。これ以上は、進めそうもないがな……」
聖王は、どこか寂しげだった。
「聖王陛下」
姿勢を正し、レブラハルドは言った。
「また、ここへ戻って参ります。今度は霊神人剣を手に、陛下の夢を継ぐために。……ルッツは?」
「それが正道と言うのならば、最初からそう言えばよかったのだ。他言はしない」
バルツァロンドがそう言うと、今の今まで黙っていたアムルがオルドフへと口を開く。
「息子に真実を明かせた気分はどうだ?」
アムルが微笑み、そう聞くと彼は息を吐いた。
「……立ち込めていた暗雲が消え、まるで空に澄み渡る
「気にするな」
しばし、三人の間に穏やかな空気が流れる。
そうして間を置き、ノアとアムルはレブラハルド達の方へと足を運んだ。その様子に彼らは多少の警戒を見せるが、アムルは二人に声をかけた。
「……ということだ。おそらく、これからもハイフォリア──いや、お前達とは長い付き合いになるだろう。よろしく頼む」
そしてアムルが握手を求めてきた。
「……今はまだ、そなたらの意図は測りかねる。なぜ、不可侵領海が陛下に協力するのか。私には想像もつかない。しかし、陛下が──ハイフォリアの勇者とまで呼ばれた、偉大なる父が懇意にするほどの御仁だ。私は父上を、そなたらを信じてみようと思う」
そう言うと、レブラハルドはその手を握った。
「こちらこそ、よろしく頼もう」