《銀海総合掲示板》 作:にわか太郎
深層世界。災淵世界イーヴェゼイノ。
一つの黒い影が空に現れた。
その影の中から巨大な氷柱がぬっと突き出され、落下する。それは氷山の奥深くまでズゴォッと突き刺さる。氷柱の中には巨大な人影が見えた。
災淵世界イーヴェゼイノの元首にして主神──不可侵領海、災人イザークである。上空の黒い影がぱっと払われると、そこに二人の男が姿を現す。
二律僭主ノア、第一魔王アムルだ。
「これで文句はあるまい」
ノアは上空から見下ろして言う。
何者にも気付かせず、誰に悟られることもなく、災人イザークの眠る氷柱を聖剣世界ハイフォリアから災淵世界イーヴェゼイノまで移動させた。
これでイザークは最初から、この場所で眠りについていたと誰もが思い込むだろう。
深層世界にすら存在を悟らせず、その上で災淵世界イーヴェゼイノの空に悠々と君臨する様は、まさに不可侵領海と呼ぶに相応しい。
そんな泰然とした様子のノアに対し、第一魔王アムルはニヤリと笑みを浮かべて言葉を口にした。
「もののついでだ。お前と恩人が暮らしたという、かつての家を覗きたい」
そのアムルの言葉に、ノアは隣にいる彼の顔を見るでもなく鷹揚に頷く。
「いいだろう。しかし、今では家主も居らず、廃墟となっているが……卿のことだ。大凡の事情は知っていよう」
そうしてノアは何を言うでもなく、上空を飛び続けながら魔法陣を描く。<
「せっかくだ、着いてこい」
すると、周囲が緑一色に染まりきった。そこは、かつてノアとルナが一緒に過ごした森である。
そして二人が森の木々をかき分けていくと、その先にはぽつりと一軒の小屋が見えた。
「そこの小屋で過ごした」
「なるほど」
小屋の前で二人は立ち尽くす。
一方のアムルは感慨深そうに、そしてノアは何かを思い出すかのように目を細めている。
そんな時だった。
グオォッという唸り声が小屋の中から聞こえた。
そうしてアムルが
その幻獣は大木の姿をしている。
「……やはり居るか」
アムルがそう呟くと、大木の幻獣は自身から伸びる枝を辺りのものに突き刺そうとする。
そして、その生命力を吸い取ろうと、第一魔王アムルの眼前に枝が迫った瞬間──
アムルの魔眼が燃えるように輝いた。
それは悪意や憎悪を吸い取り、己の力に変える魔眼。彼を第一魔王たらしめる最強の
すると、みるみると幻獣の身体が萎んでいった。
恐らくは憎悪こそが、その幻獣の渇望だったのだろう。やがて幻獣は種のような物へと変わり、アムルが魔力を発すると種は大地へと埋められた。
そして、徐ろにアムルは振り返る。
「すまんな。要らん世話を焼い──」
だが、その瞬間──
「……!」
夥しい魔力が森の端に現れる。
即座に二人が
一人は幽鬼のような顔をした隻腕の男。
もう一人は木製の車椅子に座り、耳にピアスをつけた女だ。その女の髪は短く、そして何よりも特徴的なのは、その両脚が義足であることだろう。
「……姉様、こいつらは」
その二人は森の奥深くから一瞬で転移し、ノアとアムルの前に姿を見せた。そうして隻腕の男が怪訝な顔を浮かべ、横にいる女へと話しかける。
すると、車椅子の女は溜め息を吐いた。
「さあ、私にもよく分からないわよ。たまたま近くで強い魔力を感じたから、暇潰しついでに来ただけだけど……ねえ、貴方達。イーヴェゼイノでは見かけない顔だけど、いったい何処から来たのかしら?」
車椅子の女が
表面上は冷静な顔つきだろう。
しかし、よくよく観察してみれば、その女の目は今にも獲物に襲いかかりそうな、獰猛かつ凶暴な獣の目つきをしている。そして隻腕の男の方は、もはや敵意と殺意を隠そうともしていない。
それに対し、ノアは答える。
「私達はただの通りすがりだが……そうだと言ったところで、卿らから納得は得られまい」
「当然ね。仮に本当に通りすがりだったとして、明らかにイーヴェゼイノの秩序に収まるような強さじゃないもの。災人さんや私達は例外として、幻獣や幻魔族はここまでの強さを持たない。となれば、残る可能性は外の世界の住人であることくらいね。それもイーヴェゼイノより深い世界の。……改めて聞くけど、そんな人達がイーヴェゼイノに何の用で来たのかしら?」
更に目を細め、車椅子の女は問う。
しかし──
「……姉様。もういいだろう」
横に控えていた隻腕の男が、辛抱堪らんといったような様子で夥しい魔力を滾らせる。それは黒い粒子となって、身体から立ち上っていった。
「どの道、こいつらは侵入者だ。そんな連中に侵入した理由を問うたところで、返ってくる言葉など、たかが知れている。であるならば、さっさと排除するに限るだろう」
隻腕の男は不気味な笑みを浮かべる。
「どうして貴方はそう……いえ、こればかりは仕方ないのかしら。はぁ、本当に困った子」
そんな男の姿に車椅子の女は呆れたような表情で、しかし同じく臨戦態勢に移った。
そうして彼女の魔力で義足は粉々に砕け、存在しないはずの両脚から僅かに黒い魔力が見える。だが、そんな様子に動揺すら見せず、二人の不可侵領海は各々の魔力を僅かばかり解放した。
「厄介なことになったものだ」
「なに、
アムルは徐ろに魔法陣を描く。
すると、瞬く間に周囲の景色が変わった。そこは一面が凍土や氷山地帯で覆われており、その氷の大地の遥か上空に四人は転移していた。
「──恩人とともに過ごした場所で、何の気なしに暴れるわけにもいくまい。思い出の場所なのだろう?」
アムルがそう言うと、ノアは口角を上げた。
「やはり卿ほど壊滅の暴君に向いていない者もいまい」
そう言った瞬間、前方で莫大な魔力が爆ぜるかのように噴出する。それは隻腕の男──アーツェノンの滅びの獅子が一人、ボボンガによるものだ。
ボボンガは隻腕に黒き魔力を集中させる。
すると、そこから異形の右腕が生えてきた。
「
そして、そこに生えた赤い五本の爪を振りかぶっては、ノアを串刺しにせんと猛然と襲いかかる。
それは紛うことなき滅びの獅子の切り札──アーツェノンの爪だ。まともな手段では防ぐことなどできないだろう。そう、まともな手段であれば。
「……な、に……!?」
獅子黒爪アンゲルヴが、ノアの身体に突き立てられた瞬間──それはガギンッと動きを止めた。
その瞬間を狙い、アムルが紅蓮に染まった手刀で、ボボンガの異形の右腕を切断する。
「……ぐ、がぁああああっ……!?あまり調子に乗るなよ、雑魚がっっ!!!」
「……っ、ボボンガっ!!」
激昂したボボンガが向きを変え、自身の腕に魔法陣を描く。そして異形の右腕を生やすと同時に、再び魔法陣を描いた。そこには赤黒い魔力が集っており、その魔法陣は瞬時に完成を迎えた。
ボボンガの隣で浮かぶ女──姉であるナーガ・アーツェノンは焦った様子で必死に制止するが、もはや遅い。それは滅びの獅子の深層大魔法──
「<
そこから滅びの黒球が二つ、撃ち放たれた。
それぞれノアとアムルを対象に、彼らに向かって黒球が一直線に迫りくる。しかし、ノア達はこれが如何なる深層大魔法であるかを知っていた。
ボボンガ・アーツェノンが誇る深層大魔法──<
だが──
「<
「<
二律僭主と第一魔王は迷わず魔法を発動する。
ノアは既に発動していた<
そうして影を纏った<
「……流石に強いわね。でも、これならどうかしら?」
ナーガが呟くようにして言った矢先、黒球を対処した二人の先から、すぐさま強大な滅びを纏った水の刃が飛んできた。見ると彼女は車椅子から立ち上がっており、漆黒に輝く左脚を薙いでいる。
「<
ナーガが鞭のように脚を横に蹴り出せば、それは黒き水の刃となって二人に飛来する。
そして二人に水刃が直撃したかと思えば──
「……ぬぅっ……!?」
ボボンガが驚愕に目を見開いた。
「姉様の<
信じられないものを見たとばかりに、冷や汗を流してボボンガは呟く。そして、それはナーガも同じなのか、彼女も額に冷や汗を垂らしていた。
「……強いとは思っていたけど、ここまで強いとは想像以上ね。一瞬、見間違いかと思ったけど……私の<
ナーガが警戒心を露わに、その
「ねえ。お二人さんは本当に何者なのかしら?」
声は冷静だ。
しかし、その奥底に滲む焦燥までは隠しきれない。ナーガとて、自身の魔力が尋常なものでないことは理解している。それこそ、単純な実力で言えば深層世界の元首すらも上回るだろう。
銀水聖海を滅ぼす力を持った幻獣の王。あらゆる災いを内包し、《淵》の深淵から生まれ落ちた忌むべき大災。いくら滅びの獅子として不完全な状態とはいえ、彼女は災淵世界が誇る最強の幻獣だ。
そんな自身の攻撃を目の前の二人は避けも、防ぎもせずに無傷で立ち尽くしている。
その事実はあまりにも重い。
ゆえにこそナーガは目の前で悠々と浮かび、災淵世界の空に君臨する二人に興味が湧いた。
「気になるのであれば、力尽くで聞き出せばよい」
だが、ノアは徐ろに目を閉じて答える。
その様子にナーガは若干の呆れを見せ、溜め息をつきつつも、ボボンガと同様に態勢を整える。
「そう、ね。じゃあ貴方の言う通り、力尽くで屈服させた後にじっくりと聞かせてもらうことにするわ。……ボボンガ、やるわよ」
「そうこなくては──なぁっ!!!」
そうして深層世界でも屈指の実力者である四人の攻防が、先程よりも激しさを増して再開した。