冷却ユニットのパイプが唸りを上げていた。
「冷房が効かない、だと?」
「ええ。寮のAブロック、特に西棟です。ウマ娘たちの夏季集中合宿が始まったばかりでして……」
トレセン学園・施設管理課の主任が深刻な面持ちで説明している。
その横で、つなぎ姿の青年が黙々と作業を続けていた。工具箱を開き、リベットの位置を確認し、ジャッキを操作しながらパネルを取り外す。
彼の名前は、不動遊星。
トレセン学園の公認メカニック。ウマ娘のトレーニング機材の整備から学園設備の修繕、時にはトレーナーや理事長代理の相談相手までも引き受ける、“裏方の顔”とも言える存在だ。
「ファンコイルユニットの冷媒漏れだ。パッキンが劣化してる。交換すれば、数時間で復旧する」
「さすが、遊星さん……助かります!」
主任が深々と頭を下げる。遊星は特に反応も見せず、淡々と次の作業へ移った。
今、彼の役割は“裏方”だ。
かつて、トレーナーとして最前線にいた彼は、今は表舞台から距離を置いている。
理由は――過去の“暴露劇”にある。
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数年前、トレセン学園を牛耳っていた旧URA。
表向きは清廉で公平な競技組織。しかし裏では、金と権力によってクラシック戦線の出場権を操作し、賭博の温床と化していた。
――きっかけは、一人の少女の涙だった。
マルゼンスキー。走りの天才と謳われたウマ娘。だが“出自”を理由に、クラシック登録を却下され、公式戦に立つ機会すら与えられなかった。
遊星は、かつてその担当トレーナーだった。
「不正を暴かなければ、彼女の才能は埋もれてしまう」
そう決意した遊星は、仲間たち――ジャック・アトラス、クロウ・ホーガン、鬼柳京介とともに、URAの不正を告発する“チーム満足”を結成。時に法と倫理の境界線を踏み越えながら、組織の闇を暴いていった。
鬼柳は、マルゼンスキーの無理やりの出場権奪取を敢行し、遊星はその動きを支えるため、URAのデータベースに侵入し証拠を改ざん。ジャックとクロウはメディアに情報を流し、世論を巻き込んだ。
その一連の騒動で、URAは事実上の崩壊を迎えた。
のちに再編された新URAは、“ウマ娘に寄り添う組織”として生まれ変わり、遊星たちも正式な処分は受けなかった。しかし、旧体制との癒着を嫌った彼らは、第一線を退き、それぞれ裏方としての人生を歩んでいた。
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「……遊星さん。Cトラックのラップタイマー、また誤作動です」
メカニック助手がメモを持って駆け寄ってくる。
「わかった。昼までに直しておく。部品は……倉庫のNo.16棚、センサーコードと交換基盤」
「さすが……全部把握してるんですね」
「何度も壊れるものは、記憶するさ」
そう呟いてトラックへ向かおうとしたとき――ふと、近くの芝生広場でトレーナーたちの会話が耳に入った。
「ウララ、また最下位だったってさ。マジで何回連続で負けてんのか数えきれないわ」
「まぁ、愛嬌だけはあるよな。なんか『うっらら〜』とか言っててさ、こっちが笑っちゃう感じ」
「正直、育てる気にはなれないよ。成長も遅いし、適性も低いし。悪いけど時間の無駄ってやつ?」
「ま、あの子には“慰め役”でもやってもらおうぜ」
何気ない言葉だった。
だが、その言葉に――遊星は、わずかに足を止めた。
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その日の夕方。
遊星は芝生の片隅で、誰かがタイヤの破片を拾っているのを見つけた。
「それ、危ないぞ」
声をかけると、振り向いたのは、小柄なウマ娘だった。ピンク色の髪に元気そうな瞳。が、今は少しだけ曇っている。
「あ……ご、ごめんなさい! タイヤの破片を踏んで転んじゃった子がいたから、拾ってたんです……」
「君は……ハルウララか」
「はいっ! 私、毎日全力でがんばってますっ! ……でも、あんまり勝てなくて……えへへ……」
気まずそうに笑うウララ。どこか無理しているようにも見える。さっきのトレーナーたちの会話が、脳裏をよぎった。
「……ウマ娘は、努力しても報われないことがある。だが、努力して“見捨てられる”のは、本来ならおかしい」
「……え?」
「君のフォーム、見てた。右足に少しだけ内転の癖がある。踏み込みのタイミングもズレてる。それでも全力で走るから、スタミナが持たない」
「そ、そんな細かいところまで……」
「だから、“変えられる”」
遊星は工具箱を手に立ち上がった。
「明日、整備棟に来い。新しい“ギア”を試す。もし、それで変われる可能性があるなら、君にとっての希望になる」
「え……えっ、えっ!? ギア? え!? 私に!?」
「無駄だと言われても、変われるかもしれない。“正しいフォーム”を学べば、君は今よりずっと先に進める」
その時だった。
一瞬だけ、ウララの顔に迷いがよぎった。
だが、それを打ち消すように――彼女は、笑った。
「うっ……うっらら〜っ!! 分かりました! 行きます! がんばります!!」
その笑顔に、遊星は小さく頷いた。
「……なら、決まりだ。明日、午前九時。整備棟だ」
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その夜。
遊星は、ひとり設計図とにらめっこしていた。かつて、ミスターシービーの足首サポートギアを調整していた時の感覚を思い出しながら、ウララの身体特性を再計算する。
「……小柄な体格。瞬発力は低め。フォームに癖がある。だが、心肺機能は異常に強い。これは、回復力に特化したデバイス設計が鍵か」
ウララの可能性――それは、“普通のギアでは届かない”場所にある。
ただ支えるだけではダメだ。彼女自身が“正しい走り方”を“感じ取り”、“覚え直す”ことができるギア。
「……“Re:Link System(再接続機構)”。覚え直す走り――か」
過去に、何人ものウマ娘に装備を提供してきた。
しかしこれは、単なる機械ではない。
希望を再接続する――そのための、新たな試みだ。
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翌朝。
ウララは整備棟の前で、大きく息を吸っていた。
「うっらら〜……ドキドキします〜……でも、遊星さんが言ってたもん……“変われる”って……!」
そこへ、遊星が現れた。
「来たか。予定通りだな」
「はいっ! 準備万端ですっ!」
遊星は静かに頷き、彼女に専用のギアを手渡した。
「“Re:Link-Prototype/Urara”――君のためだけに調整したギアだ。これをつけて、走ってみてくれ」
ギアは、軽量な関節補助ユニットと足底感知プレートを内蔵していた。ウララの一歩ごとに、わずかに振動を返すことで、“正しい足の置き方”を神経に学習させる。
最初は違和感があった。
だが、数周走るうちに、ウララのフォームが変わり始めた。
「……あれ? なんか、走るのが……ちょっと、楽……?」
「足の位置が矯正されてきた証拠だ。今までは、エネルギーを無駄に使っていた。それを抑えている」
「わ……わぁ……!」
その日、彼女は初めて――練習走で“最下位ではなかった”。
たった一人抜いただけだったが、その時の彼女の顔は、全てを物語っていた。
「やった……やったぁ! 私、抜けたっ!! うっらら〜!!」
周囲の視線が集まる中で、ウララは胸を張った。
その姿を見て、遊星は静かに工具を握り直す。
「……やはり、君は“変われる”」
壊れかけの天秤に、新たな針が乗せられた。
次回――第2話「Re:Acceleration」
変化の兆しと、再び動き出す影。遊星は、“もう一度”チームを作る覚悟を決める。