トレセン学園の朝は、いつもと変わらぬ喧騒とともに始まる。芝の香り、走り込みの足音、トレーナーの掛け声。だがその空気のなかで、不動遊星はひとり、工具箱を片手にグラウンド脇のトレーニング装置に向き合っていた。
「……ここも、か」
オイル切れを起こした油圧昇降機を手際よく分解し、グリースを注ぎ直す。彼の背中には、かつてチーム満足として名を馳せた過去など微塵も感じさせない静かな熱意があった。
「メカニックがいなきゃ、ウマ娘たちは安心して走れないからな」
そんな呟きに呼応するように、遠くから聞こえてきたのは若いトレーナーたちの会話だった。
「ハルウララか……元気はあるんだけどなぁ」 「愛嬌はあるし、イベントでも人気なんだけど、担当するのは正直……勝ち筋が見えなくて」
遊星は手を止め、静かにその声に耳を傾けた。
「誰か導いてやるやつがいれば、って感じなんだけどな。俺じゃ無理だな、はは」
その言葉が、どこかかつての自分たちの姿と重なった。
「……導く者がいない。だから、走れないか」
***
昼休み、整備室の片隅。
工具の棚を整えながら、遊星の脳裏には過去の記憶がよみがえる。
URAの不正を暴くために、仲間と共に立ち上がったあの頃。 鬼柳が強行手段に出て、ジャックとクロウが世間に訴え、遊星自身もデータを改ざんしてまでマルゼンスキーを救おうとした。
「ルドルフも、CBも、あの時は信じてくれていた……。今、俺は……」
***
「ねぇねぇ、ゆーせーさん! また機械直してるの?」
その明るく透き通った声が、ふとした拍子に心を揺らした。
「ハルウララ……」
彼女は相変わらず、無邪気な笑顔で整備室の扉をのぞいていた。
「なんかねー、私、全然勝てないの! でもね、走るのは楽しいんだよ? 楽しいけど、やっぱり悔しいんだよねー」
ウララの笑顔の裏にある、本当の想い。 それを感じ取った遊星は、少しだけ微笑んで言った。
「なら、勝つことを目指してみるか」
「えっ?」
「走るのが楽しい。その気持ちは、きっと武器になる。だが、その楽しさを誰よりも知っているお前なら、勝ちを知ることで何かが変わるはずだ」
ハルウララは、きょとんとしたあと、パッと目を輝かせた。
「じゃあ、ゆーせーさんがトレーナーになってくれるの!?」
「俺はトレーナーじゃない。だが……導くことはできる」
その言葉は、ハルウララにとって一筋の光だった。
***
日が傾き始めたトラック。
遊星は、メカニックの立場で許される範囲内で、ハルウララの走りを記録し、データを取り始めた。
「ストライドが小さい。が、反復性と心肺機能は極めて高い。つまり、ピッチ走法に特化すれば……」
「うっらら〜っ!」
全力で直線を走り抜ける彼女の笑顔は、確かに輝いていた。
***
その夜、遊星の元を訪れた男がいた。
「よう、久しぶりだな。お前がウララの面倒見てるって聞いて驚いたぜ」
クロウだ。
「お前は……クロウ。相変わらず、風のように現れるな」
「お前が導くってのは、意外だが……まぁ、悪くないな」
クロウはそう言うと、懐から一枚のレース資料を取り出した。
「近々、ちょっとした模擬レースがある。オープン参加だが、腕試しにはちょうどいい」
遊星は無言でそれを受け取った。
「お前が導くウララの走り……俺も見てみたくなった。ああ、そうだ。俺のチームも近々動き出す」
「セイウンスカイ、ツインターボ、サイレンススズカ……お前らしい選択だ」
クロウはニヤリと笑った。
「“逃げ”を極めるための布陣さ。楽しみにしてろよ、遊星」
***
そして数日後。
模擬レース当日。
「ハルウララ、今日はお前の力を確かめる日だ」
「うんっ!」
整備された機材、計測装置、すべてが整った中で、ハルウララはスタートラインに立つ。
相手は数人の中堅クラスのウマ娘たち。 だが彼女の顔には、迷いはない。
「スタート!」
一斉に飛び出すウマ娘たち。先頭に立つのは、やはりスピード型の選手。 だが、ハルウララは最初から最後尾を走る。
「ウララの強みは、持久と回転力。後半勝負に賭ける」
周囲がペースを落とし始めた第3コーナー、
「うっらら〜っ!!」
ハルウララが加速する。
「おい……あの加速……!」
観客がざわめく中、彼女はみるみるうちに数名を抜き去り、最後は3着でゴールした。
「勝てなかった……けど!」
彼女の顔には、涙と笑顔が混じっていた。
「楽しかったし、もっともっと走りたいって思った!」
遊星はその姿を見つめ、静かに頷いた。
「その意志があれば、まだ走れる。まだ……進める」
***
整備室の壁に、新たなチーム名が刻まれる。
『チーム・スターライトロード』
その名の下に、ハルウララの名が最初に記されていた。
(To be continued…)