風よ、自由の詩を歌え   作:みみほよ

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暴君の愛

烈風の魔神デカラビアンは、高塔の最上階、彼の私室の風の窓から、眼下に広がる自らが創造し維持する環状都市を眺めていた。彼の統治は完璧であり、民衆は彼の風の壁による絶対的な守護の下、いまだ終わらぬ魔神戦争の混沌とは無縁の、秩序と安寧を享受している。彼は、そう固く信じて疑わなかった。彼の風は、都市の隅々にまで行き渡り、人々の生活を律し、彼らをあらゆる脅威から守っている。これこそが、王としての、そして神としての、民への最大の愛の形なのだと。

 

しかし最近、デカラビアンは、その完璧なはずの都市の空気の中に、ほんの僅かな、しかし無視できない不協和音のようなものを感じ取っていた。それは、民衆の間に漂う、言葉にならない淀みのようなものであり、彼に対するかつてのような絶対的な畏敬の念が、どこか薄れてきているのではないかという、漠然とした不安の兆候だった。衛兵たちからの報告によれば、民衆は従順であり、何ら問題はないという。だが、デカラビアンの鋭敏な感覚は、その報告の裏に隠された、何か不穏なものを捉え始めていた。

 

彼は、その原因を熟考した。そして、一つの結論に達した。民は、我が与えるこの安寧に慣れすぎたのだ、と。長きにわたる平和と秩序の中で、彼らはかつての外の世界の厳しさや、魔神戦争の恐怖を忘れ、現状のありがたみを感じなくなってきているのかもしれない。あるいは、我が愛が、彼らに十分に伝わっていないのかもしれない。ならば、より明確な形で、我が愛と、我が支配の正当性を示し、彼らを真の幸福へと導かねばなるまい。

 

そう結論付けたデカラビアンは、民衆の生活と精神を向上させるための、いくつかの新たな布告を次々と発した。それは、彼にとっては、民衆をより高みへと導くための善意の措置であり、彼の深い愛情の具体的な表現に他ならなかった。

 

まず第一に、彼は都市の美観と秩序をさらに徹底させるため、建築基準をより厳格なものへと改定した。家々の壁の色、窓の形、扉の材質、さらには屋根の角度に至るまで、全てがデカラビアンの定める統一された様式に従うことが義務付けられた。これにより、都市の外観は、彼の好む幾何学的で均整の取れた、完璧な美しさを実現するはずだった。個々の家々の個性や、住人の好みなどは、全体の調和の前では些細な問題とされた。

 

次に、彼は民衆の精神的な浄化と向上を目的として、新たな教化プログラムの実施を命じた。それは、デカラビアンの偉大さと、彼の統治の絶対的な正当性を、民衆に繰り返し説き聞かせるための、定期的な集会や講義の開催を義務付けるものだった。そこでは、デカラビアンを称えるために新たに作られた荘厳な賛歌を、全員で声を揃えて歌うことが強要され、彼の言葉や布告を暗記し、その解釈について議論することが求められた。子供たちは、遊びの時間を大幅に削られ、これらの退屈で難解な集会に強制的に参加させられた。大人たちは、日々の厳しい労働で疲れ果てているにも関わらず、義務としてこれらの集会に出席し、王への忠誠を新たにするよう促された。

 

これらの新たな政策は、デカラビアンにとっては、全て民衆の幸福と安全を願う、深い愛情から発せられたものだった。彼は、これらの措置によって、モンドはより完璧な、揺るぎない楽園となり、民衆は真の安寧を享受できると固く信じていた。

 

しかし、民衆にとって、これらの新たな布告は、耐え難い圧政のさらなる強化でしかなかった。ただでさえ息の詰まるような生活が、さらに厳しく締め付けられることになったのだ。

 

建築基準の変更は、多くの民衆にとって、経済的な破綻を意味した。デカラビアンの定める様式で家を改修するには、多大な費用と、専門的な技術を持つ職人の手が必要だった。しかし、この都市では、物資は常に不足しており、貨幣経済も十分に発達していない。多くの民衆は、日々の糧を得るのがやっとという生活を送っており、そのような大規模な改修費用を捻出することなど到底不可能だった。それでも、王の命令に逆らうことはできず、人々はなけなしの食料や家財を売り払い、あるいは借金を重ねて、無理やり家の改修を進めようとした。その結果、多くの家で食料が底をつき、飢えに苦しむ者や、寒さに凍える者が続出した。

 

教化プログラムは、民衆の精神を蝕んでいった。デカラビアンへの盲目的な賛美と、彼の言葉の暗記を強要されることは、人々の自由な思考や、豊かな感受性を奪い去った。子供たちは、本来持っているはずの好奇心や創造性を抑圧され、まるで小さな人形のように、ただ王の言葉を繰り返すだけの存在へと変えられていった。大人たちは、日々の労働と、これらの無意味な集会への参加という二重の負担に、心身ともに疲弊しきっていた。彼らの顔からは笑顔が消え、瞳からは生気が失われていった。

 

そして、新たな障壁の設置は、民衆の間に新たな分断と孤立を生み出した。区画間の移動が厳しく制限されたことで、親族や友人と会うこともままならなくなり、商業活動は停滞し、物資の流通はさらに滞った。人々は、自分たちの住む狭い区画の中に閉じ込められ、隣の区画で何が起きているのかさえ知ることができなくなった。それは、デカラビアンが意図した「秩序」とは程遠い、むしろ疑心暗鬼と不信感が蔓延する、より息苦しい社会を生み出す結果となった。

 

「また新しいお触れだって? 今度は一体何を我慢しろと言うんだ…」

「王様は、俺たちがどんな思いで毎日を生きているか、全くお分かりじゃないようだ。高塔の上から見下ろしているだけでは、何も見えやしないのさ」

「子供たちが可哀想だよ。あんな難しい話ばかり聞かされて、歌を歌わされて…あれじゃあ、心が病んじまう。昔は、もっと自由に遊んでいたもんだが…」

 

市場の片隅や、薄暗い酒場、あるいは労働者たちが束の間の休息を取る路地裏で、そのような不満の声が、以前よりも頻繁に、そして大きな声で交わされるようになっていた。しかし、誰もそれを公の場で口にすることはできない。デカラビアンの衛兵たちの目は、都市の隅々まで光っており、王への不敬な言動は、即座に厳しい罰の対象となるからだ。

 

詩人の少年ウェンティもまた、デカラビアンの新たな布告の影響を、身をもって感じていた。彼の家も、建築基準の変更によって、わずかな貯えを使い果たし、両親は心身ともに疲れ果て、以前にも増して口数が少なくなっていた。そして、彼自身も、教化プログラムの集会に強制的に参加させられ、デカラビアンを称えるための、心にもない歌を歌わされることに、強い屈辱と、燃えるような怒りを感じていた。

 

「こんなのは歌じゃない…心がこもっていない歌なんて、ただの音のゴミだ…魂のない言葉の羅列だ…」

 

ウェンティは、集会の帰り道、いつもの打ち捨てられた建物の陰で、悔しそうにそう呟いた。彼の愛用するリュートは、最近、以前ほど美しい音色を奏でなくなっていた。それは、リュートそのものが古くなったからではなく、彼の心が、この都市の重苦しい空気と、デカラビアンの圧政によって、深く傷つき、押しつぶされそうになっているからかもしれなかった。

 

しかし、デカラビアンは、これらの民衆の苦しみや不満に、全く気づいていなかった。彼のもとに届けられる報告は、常に彼にとって都合の良いように、そして彼の機嫌を損ねないように、巧みに脚色されたものばかりだったからだ。「民衆は王の新たなご方針に歓喜し、感謝の念を新たにしております」「都市の美観は向上し、民の精神もまた高められつつあります」と。

 

アモスは、デカラビアンの側近として、これらの報告が偽りであることを知っていた。彼女は、何度も勇気を出して、王に民衆の真の状況を伝えようと試みた。

「王、新たなご政策は、確かに長期的に見ればモンドの安寧に資するものかもしれません。しかし、現状では、民の中には、その急激な変化に戸惑い、生活に困窮している者も少なくないように見受けられます。特に、子供たちや老人にとっては、その負担はあまりにも大きいのではないでしょうか。もう少し、実施の速度を緩め、民の声に耳を傾ける時間をお持ちになってはいかがでしょうか」

 

しかし、デカラビアンは、アモスの言葉を真摯に受け止めることは決してなかった。

「アモスよ、お前はいつも民に甘すぎる。彼らは、子供と同じだ。目先の困難に囚われ、真の幸福が何であるかを理解できていないのだ。厳しく導き、時には鞭打つことこそが、王の愛なのだ。彼らもいずれ、我がこの深い配慮と、揺るぎない決断に、心からの感謝を捧げる日が来るだろう。それまで、我慢強く待つことだ」

 

その絶対的な自信と、他者の意見を一切受け入れようとしない頑なな態度に、アモスは深い絶望と、そして言いようのない虚しさを感じた。この王は、もはや誰の声も聞くことはない。彼は、自分の作り上げた理想の世界という名の、孤独な鏡の中に閉じこもり、そこに映る歪んだ民衆の姿だけを、真実だと信じ込んでいるのだ。

 

この暴君デカラビアンの、歪んだ、しかし彼自身にとっては純粋な「愛」は、民衆の心をますます彼から離反させ、彼らの生活を困窮させ、そして彼らの魂を蝕んでいった。それは、自由への渇望という、すでに乾燥しきった薪に、さらに大量の油を注ぎ込むようなものだった。デカラビアンが善意と信じて行う全ての行動が、皮肉にも、彼自身の支配の基盤を揺るがし、破滅を早める結果へと、確実に繋がっていった。閉ざされたモンドの都市の中で、不満と怒りのマグマは、もはや抑えきれないほどに高まり、いつ噴火してもおかしくない、危険な沸点を迎えようとしていた。そして、その噴火の最初の兆候は、すでに街の片隅で、詩人の少年の歌という形で、静かに、しかし力強く現れ始めていたのだった。

 

デカラビアンは、自分の政策が民衆に与えている負の影響について、全く無自覚だったわけではないのかもしれない。時折、彼の鋭敏な感覚は、都市の空気の中に漂う、不穏な気配や、抑圧された怒りのようなものを、微かに感じ取ることがあった。しかし、彼はそれを、外部からの邪悪な影響や、あるいは一部の不心得者による扇動のせいだと解釈し、自身の政策の正当性を疑うことは決してなかった。むしろ、そのような不穏な兆候を感じるたびに、彼はより一層、内部の統制を強化し、民衆を厳しく管理する必要性を確信するのだった。

 

「アモスよ、近頃、街に不穏な歌を歌い、民を惑わす者がいるという噂を耳にした。そのような不心得者は、即刻捕らえ、厳罰に処さねばならぬ。放置すれば、我が築き上げた秩序を乱し、民の心を腐敗させるであろう」

ある日、デカラビアンは、アモスにそう命じた。彼の言う「不穏な歌」とは、おそらくウェンティの歌のことだろうと、アモスは察した。

 

アモスの心臓は、冷たく締め付けられるような感覚に襲われた。ウェンティの歌は、決して民を惑わすものではない。むしろ、人々の心を癒し、希望を与えるものだ。しかし、デカラビアンにとって、彼の支配に疑問を投げかける可能性のあるものは、全て排除すべき悪なのだ。

 

「王、その歌が、本当に民を惑わすものかどうか、まずは慎重に調査する必要があるかと存じます。あるいは、それはただの子供の戯れ歌かもしれませんし、民のささやかな気晴らしに過ぎないのかもしれません」アモスは、何とかウェンティを守ろうと、必死に言葉を尽くした。

 

「戯れ歌だと? 気晴らしだと?」デカラビアンは、アモスの言葉を鼻で笑った。「我が支配するこのモンドに、そのような不純なものが存在する余地はない。歌は、王を称え、秩序を賛美するためにのみあるべきだ。それ以外の歌は、全て毒なのだ。アモスよ、お前はまだ若い。そして、情に流されやすい。だが、王たる者は、時に非情にならねばならぬのだ。民を守るためにはな」

 

その言葉は、アモスにとって、最後通牒のようにも聞こえた。彼女は、これ以上ウェンティを庇うことはできないと悟った。しかし、彼を見捨てることも、彼女の良心が許さなかった。

 

デカラビアンの「愛」は、もはや狂気と紙一重の領域にまで達していた。そして、その狂気が、モンドを破滅へと導こうとしていることを、アモスは痛いほどに感じていた。彼女は、何か行動を起こさなければならない。しかし、何をすればいいのか、まだ答えは見つからなかった。ただ、時間は刻一刻と過ぎていき、事態は悪化の一途を辿っていることだけは、確かだった。

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