天を衝く高塔の最上階、烈風の魔神デカラビアンの私室は、下界の喧騒とは隔絶された、彼自身の力が作り出す風の音だけが支配する空間だった。窓と呼ぶべきものはなく、壁の一部が透明な風の膜となっており、そこから彼は自分が統べる環状都市を見下ろしていた。それは彼自身が設計し、彼自身の絶対的な力によって維持されている完璧な箱庭。そして、その外側には、いまだ終わらぬ魔神戦争の嵐が吹き荒れ、他の魔神たちの脅威が常にこの地を狙っていると、彼は信じて疑わなかった。
我が民は、我が風によって守られ、我が風によって秩序を与えられている。これこそが、彼らにとって唯一の安寧なのだ。デカラビアンは、しばしばそう独りごちた。彼の声は、風の轟きに似て低く、絶対的な自信に満ちていた。
今日もまた、定められた視察の時間がやってきた。彼が風の窓辺にその威厳に満ちた姿を現し、ほんのわずかに魔力を込めた風を地上へと送ると、眼下の礼拝広場に集められた民衆は、まるで風に薙がれる草のように一斉にこうべを垂れた。強風に耐えきれず、その場に膝をつき、地面に額をこすりつける者さえいる。その光景は、デカラビアンにとって、彼の支配の完璧さと、民からの揺るぎない忠誠を証明するものに他ならなかった。
「見よ、アモス。我が民は、かくも私を畏敬し、この揺るぎなき守護に感謝の念を捧げている」
デカラビアンは、傍らに静かに控える弓使いの女性、アモスに、深く満足したような声で言った。その声には、絶対的な統治者としての揺るぎない自信と、しかし、注意深くその響きを探れば感じ取れる、微かな、そして底知れない孤独の色が滲んでいた。彼は心から、民を愛していると信じていた。彼らを守るためならば、どんな犠牲も厭わないと。この巨大な風の壁もまた、外敵の脅威、そしていまだ世界を覆う魔神戦争の極寒の風雪から、か弱き民を守るための、彼なりの究極の愛の表現なのだ。民がこうして深く頭を下げるのは、その偉大なる愛と力への、偽りなき感謝と畏敬の念の表れに違いない、と彼は固く信じていた。
しかし、アモスは、その言葉を素直に受け止めることができずにいた。彼女の美しい顔には、常に影のように苦悩の色が浮かんでいた。彼女は、デカラビアンの圧倒的な力と、その力の根底にある、誰にも理解されることのない深い孤独を知っていた。そして同時に、地上の民衆が、あの押し殺したような表情の裏に隠している本当の感情も。彼らがデカラビアンの風の前に頭を垂れるのは、心からの畏敬の念からではない。それは、ただデカラビアンの強大な風の力に物理的に逆らえないという現実と、長年にわたる絶対的な支配によって骨の髄まで植え付けられた恐怖と、そしてどうしようもない現状に対する深い諦めからくるものだということを。風に逆らえば吹き飛ばされるという、単純な物理法則に従っているだけなのかもしれない、とさえ思うこともあった。
だが、その真実を、この孤高でプライドの高い王に告げることは、あまりにも危険な賭けだった。それは、彼の築き上げてきた自己認識の全てを根底から覆し、計り知れない怒りを買うことになるだろう。それは、アモス自身にとっても、そしておそらくは、このかろうじて保たれている旧モンドの脆い平和にとっても、破滅的な結果を招きかねない。
「デカラビアン様のお力は、まことに偉大です。民は皆、その大いなるご恩恵の下、この戦乱の世にあって、奇跡的なほどの穏やかな日々を送らせていただいてます」
アモスは、当たり障りのない、そしてデカラビアンが聞きたいであろう言葉を慎重に選んで返した。彼女の声は、澄んでいて落ち着いていたが、その内面では、デカラビアンへの忠誠心と、彼の孤独への同情、そして日増しに強くなる民衆への憐憫と、自分自身の心の奥底にある自由への微かな、しかし消えることのない憧れとが、常に激しく葛藤していた。
デカラビアンは、アモスの言葉に満足げに頷き、再び眼下の民衆にその威圧的な視線を戻した。彼は、民衆が陰で何を囁き合っているのか、彼らの心の奥底にどんな切実な願いが秘められているのか、その強大な風の力をもってしても、正確に聞き取ることはできなかった。彼の周囲には常に、彼自身の魔力が作り出す強力な風の渦が、まるで都合の悪い外部の情報を遮断するかのように激しく渦巻いていたのだ。彼は、自分が創造し、維持しているこの完璧な世界の中で、ただ一人、心地よい誤解という名の孤独な繭に包まれていた。
時折、高塔の堅固な壁に、外から吹き付ける反抗的な風が激しくぶつかることがあった。それは、いまだモンドの地の覇権を諦めていない北風の王アンドリアスが放つ、氷混じりの挑戦的な突風の名残なのかもしれない。あるいは、この風の壁の内側で、言葉にならない不満や怒りを募らせている民衆の、抑圧された感情のエネルギーが、形を持たぬまま風となってぶつかってくるのかもしれなかった。だが、デカラビアンは、それらを些細な自然現象、あるいは取るに足りない外部からの干渉として処理し、自身の支配の絶対性が揺らぐことなどありえないと確信していた。彼は守護者であり、この地の絶対の王なのだから。魔神戦争という混沌の時代において、民を守れるのは自分だけなのだから。
この烈風の王の、民衆への、そして世界に対する深い誤解は、静かに、しかし確実に、悲劇の種を旧モンドの硬い土壌の下で育んでいた。民衆の心に、日一日と積もり積もっていく不満と、壁の外の未知なる世界への自由な憧憬は、いつかデカラビアン自身の風よりも強大な力となって、彼に容赦なく牙を剥くことになるだろう。その時、彼は初めて、自分が築き上げたこの風の壁の本当の意味と、民衆がその仮面の下に隠していた真実の顔を知ることになるのだ。だが今はまだ、彼は高みから全てを見下ろす、孤独で誤解に満ちた王であり続けた。彼の耳には、壁の内側で静かに、しかし力強く育ちつつある、小さな反逆の歌声は、まだ届いていなかった。
アモスは、デカラビアンが再び窓の外の光景に没頭し始めたのを見計らい、音を立てぬように一礼して、そっと彼の私室を退出した。彼女の執務室は、王の私室よりも数階下、高塔の中腹にあった。自室へと戻る螺旋階段を下りながら、彼女は高塔の各階に設けられたスリット状の窓から、眼下に広がる都市の様子を改めて見下ろした。そこには、デカラビアンが見ていたのと同じ、整然と区画された環状都市の光景が広がっていた。しかし、彼女の目には、デカラビアンには見えていないであろう、全く異なるものが映っていた。
彼女には、家路を急ぐ人々の顔に浮かぶ、微かな、しかし拭い去ることのできない疲労の色が見えた。子供たちが広場で遊ぶ声の中に混じる、どこか諦めたような、あるいは無理に明るく振る舞っているかのような不自然な響きが聞こえた。市場での物々交換のやり取りの中に潜む、デカラビアンの厳格な支配や、いつ終わるとも知れぬ魔神戦争への不満の囁きが、彼女の鋭敏な聴覚にはっきりと感じられた。彼女は、この都市が、デカラビアンにとっては完璧な秩序を体現する美しい鳥かごであるとしても、そこに住まう人々にとっては、ただ息苦しいだけの檻であることを、痛いほどに理解していた。
いつまで、この歪んだ平和が続くというのだろうか。アモスは、誰に言うともなく心の中で呟いた。彼女の心の中には、デカラビアンへの長年の忠誠心と、彼の持つ圧倒的な力への畏敬の念、そして彼の深い孤独への同情が複雑に絡み合っていた。しかしそれ以上に、日増しに強くなる民衆への憐憫と、自分自身の心の奥底に押し殺してきた自由への微かな、しかし消えることのない憧れが、彼女を苛んでいた。それらが、彼女の中で絶えず激しく葛藤し、彼女の精神を少しずつ削り取っていくかのようだった。
彼女の脳裏に、時折、街の片隅から風に乗って微かに、本当に微かに聞こえてくる、あの詩人のリュートの音色と、切ない歌声が蘇ることがあった。それは、デカラビアンが推奨する勇壮で規律正しい王への賛歌とは全く異なる、どこか物悲しく、しかし聞く者の心の奥に眠る何かを揺さぶるような、不思議な力を持つメロディだった。その歌には、アモス自身が心の奥底に押し込めている、名状しがたい自由への憧憬が込められているような気がして、聞くたびに彼女の胸は締め付けられるような痛みを覚えるのだった。
あの少年…彼は、一体何を見て、何を感じて、あのような魂のこもった歌を歌うのだろうか。アモスは、いつかその少年に直接会って、話を聞いてみたいという、漠然とした、しかし抗いがたい思いを抱いていた。しかし、それは決して許されることではなかった。デカラビアンの最も信頼する側近の一人である彼女が、そのような王の意に沿わぬ歌を歌う者と接触することは、王への明白な裏切りと見なされかねない。それは、彼女の立場を危うくするだけでなく、彼女が守ろうとしている一族にまで累を及ぼす可能性があった。
彼女は重い溜息をつき、自分の執務室の扉を開けた。部屋の中には、デカラビアンから指示された様々な書類や報告書が、まるで小さな山のように積み上げられている。それらは全て、この旧モンドの秩序を維持するための、細かく、そして息苦しい規則や命令の数々だった。魔神戦争が続く限り、外部からの脅威は常に存在し、内部の結束を固めるためには、これらの規律が必要不可欠なのだと、デカラビアンは考えていた。アモスは、その書類の山を前にして、再び深い憂鬱に襲われた。彼女は、この書類仕事を通じて、デカラビアンの支配の細部にまで触れることになる。そしてその度に、彼の民衆への誤解と、その結果として生じている歪みを、痛感させられるのだった。
例えば、最近デカラビアンが特に力を入れているのは、都市内の風の流れをより厳密に制御するための、新たな風の障壁の設置計画だった。それは、都市をいくつかの区画に分け、それぞれの区画ごとに風の強さや向きを細かく調整できるようにするというものだ。表向きは、より効率的に外部からの有害な風、例えば、アンドリアスの放つ冷気や、他の魔神の魔力を含んだ風、を遮断し、民衆の生活環境を向上させるため、とされていた。
しかし、その計画の真の目的は、民衆の移動や交流をさらに制限し、デカラビアンの監視の目を都市の隅々にまで行き届かせることにあるのではないかと、アモスは疑っていた。新たな風の障壁は、物理的な壁ではないものの、特定の時間帯や状況下では、人々が自由に区画間を移動することを困難にするだろう。それは、民衆の間に不必要な分断を生み、彼らの連帯感を削ぐことになりかねない。
アモスは、その計画の危険性をデカラビアンに進言しようとした。
「王、新たな風の障壁の設置についてですが、それは民の生活に大きな混乱を招くやもしれません。区画間の移動が制限されれば、商業活動や、家族間の往来にも支障が出るかと…」
しかし、デカラビアンは、いつものように彼女の懸念を一蹴した。
「アモスよ、お前の懸念は杞憂だ。これは民を守るための、より高度な守護の形なのだ。多少の不便は、より大きな安全のためには必要な犠牲だ。それに、民の無用な移動や交流は、かえって秩序を乱し、外部からの悪しき影響を招き入れる温床となりかねん。魔神戦争が続く限り、我々は常に警戒を怠ってはならんのだ」
その言葉には、もはやアモスが反論する余地はなかった。デカラビアンの心は、外部の脅威と、内部の統制という強迫観念に、完全に支配されているように見えた。彼は、民衆を信頼していない。彼らを、常に監視し、管理し、そして自分の意のままに動く駒としてしか見ていないのではないか。その疑念が、アモスの心を重くした。
この烈風の王の誤解は、単に民衆の感情を理解していないというレベルを超え、彼の統治の根幹に関わる深刻な歪みとなっていた。そして、その歪みは、日を追うごとに拡大し、旧モンドの未来に暗い影を落とし始めていた。アモスは、その中で、自分に何ができるのか、何をすべきなのか、答えの見えない問いに苦しみ続けるしかなかった。彼女の弓は、まだ主君に向けられることはない。しかし、その弦は、いつ切れてもおかしくないほど、張り詰めていた。