モンドの風の壁が作り出す閉鎖的な世界の、さらにその外側。デカラビアンの支配力が直接的には及ばない、あるいは意図的にその影響力を弱めている辺境の地は、広大で、そして荒涼としていた。そこは、いまだ終わらぬ魔神戦争の傷跡が生々しく残り、弱肉強食の掟が支配する、過酷な環境だった。しかし、そのような厳しい世界にあっても、あるいはそのような世界だからこそ、デカラビアンの圧政を嫌い、あるいは彼との過去の争いに敗れて故郷を追われた者たちが、息を潜めるように、しかし決して屈することなく、独自のコミュニティを形成して暮らしていた。
その中の一つに、燃えるような赤髪を持つ一人の流浪の戦士が率いる、比較的小規模ながらも精強な一団があった。仲間たちは、その特徴的な髪の色から彼を「赤髪」と、あるいはその卓越した武勇から「頭」と呼んでいた。
彼は、かつてモンドの都市部、あるいはその近郊で暮らしていたが、デカラビアンの理不尽な統治と、民衆から自由を奪い続けるそのやり方に耐えかね、志を同じくする少数の仲間と共に、全てを捨ててモンドを脱出したのだ。それは、決して容易な決断ではなかった。風の壁を抜けることは、それ自体が命がけの行為であり、たとえ成功したとしても、その先には何が待ち受けているかわからない、未知の世界が広がっていたからだ。しかし、彼らは、デカラビアンの支配下で心を殺して生きるよりは、たとえ危険であっても自由な世界で生きる道を選んだのだった。
以来、赤髪の戦士とその一団は、モンドの辺境の山岳地帯や、深い森の中に隠れ家を設け、デカラビアン打倒の機会を虎視眈々と窺いながら、日々力を蓄え、情報を集めていた。彼らの生活は決して楽ではなかった。食料は自給自足が基本であり、時には獰猛な魔獣と戦い、あるいは他の無法な流浪の民の集団からの襲撃を退けなければならなかった。しかし、彼らの目には、絶望の色はなく、むしろ不屈の闘志と、いつか必ずや故郷と呼べる場所を、そして真の自由をその手に取り戻すのだという、鋼のような固い決意が宿っていた。
「頭、またモンドの壁の内側から、何人か逃げてきた者たちが、我々の縄張りの近くをうろついているようです。どうしますか?」
ある日の夕暮れ、焚き火を囲んで束の間の休息を取っていた赤髪の戦士に、見張りを終えて戻ってきた若い部下の一人が報告した。
赤髪の戦士は、手に持っていた無骨な鉄串に刺した獣肉をゆっくりと咀嚼しながら、しばし考え込んだ。彼の顔には、若くして多くの修羅場を潜り抜けてきた者特有の、険しさと深みが刻まれていた。燃えるような赤髪は、焚き火の炎を反射して、まるで彼自身の内なる情熱が揺らめいているかのようだった。
「警戒は怠るな。だが、無闇に手出しはするな。まずは彼らが何者で、何を求めているのか、慎重に見極める必要がある。もしかしたら、我々にとって有益な情報をもたらしてくれるかもしれんし、あるいは、我々の仲間となり得る者たちかもしれんからな」
彼の言葉には、力強さと同時に、慎重さと冷静さが滲んでいた。彼は、決して血気にはやるだけの猪武者ではなかった。デカラビアンという強大な敵を相手にするには、武力だけでなく、知略と、そして何よりも辛抱強さが必要であることを、彼はこれまでの経験から痛いほど学んでいた。
彼の一団は、数は多くないものの、一人一人が赤髪の戦士によって厳しく鍛え上げられた、歴戦の強者揃いだった。彼らは、剣や槍、弓といった様々な武器を巧みに操り、集団での戦闘にも長けていた。その武力は、もしモンドの内部で反乱が起きた場合、一般民衆からなるであろう反乱軍にとって、計り知れないほどの大きな力となるはずだった。
赤髪の戦士のもとには、様々なルートを通じて、モンドの内部からの情報が、細々とながらも、しかし途切れることなく届けられていた。それは、壁の内外を密に行き来する商人や、デカラビアンの支配から逃れてきた難民、あるいは、壁の内側で彼に密かに共鳴し、危険を冒して情報を流してくれる協力者たちからのものだった。
最近、特に彼の注意を引いたのは、モンドの内部で、デカラビアンの圧政に対する民衆の不満が、かつてないほどに高まっているという噂だった。王が新たに打ち出した建築基準の厳格化や、教化プログラムの強制といった政策が、民衆の生活をさらに圧迫し、彼らの怒りを買っているという。そして、その不満の受け皿となるかのように、街の片隅で、自由を求める切ない歌を歌う、一人の詩人の少年がいるという話も、彼の耳に届いていた。
「歌、か…」赤髪の戦士は、焚き火の炎を見つめながら、皮肉っぽく、しかしどこか興味深げに呟いた。「武器にもならぬ、ただの言葉の羅列が、本当に人の心を動かし、あの鉄壁の支配を揺るがす力になるとでもいうのか…」
彼は、どちらかと言えば現実主義者であり、理想論や精神論よりも、具体的な力や戦略を重視する傾向があった。しかし、彼自身もまた、かつて故郷を追われる際に、仲間たちを鼓舞し、絶望的な状況を乗り越えるために、古くから伝わる英雄譚や自由を歌った詩が、どれほど大きな精神的な支えとなったかを、身をもって経験していた。だから、歌の持つ力を、完全に無視することはできなかった。
もし、その詩人の少年の歌が、本当に民衆の心を掴み、彼らを団結させる力を持っているのだとしたら、それは、デカラビアン打倒のための、思わぬ切り札となるかもしれない。武力だけでは、あの強大な魔神に正面から立ち向かうのはあまりにも困難だ。民衆自身の意志が、内側から蜂起の狼煙を上げること、それこそが、勝利への最も確実な道筋だと、彼は理解していた。
ある日、彼の最も信頼する斥候の一人が、数日間の潜入調査を終えて、モンドの壁の内側から戻ってきた。斥候は、疲労困憊の様子だったが、その目には興奮の色が浮かんでいた。
「頭、やはり噂は真実でした。モンドの民の不満は、もはや限界に達しつつあります。そして、例の詩人の少年…名をウェンティと言うそうですが、彼の歌は、確かに人々の心を捉えています。彼の周りには、いつも誰かしらが集まり、彼の歌に聞き入っています。中には、彼の歌に勇気づけられ、公然と王への不満を口にする者さえ出始めているとか…」
さらに、斥候は驚くべき情報を付け加えた。
「そして、頭…そのウェンティという少年は、どうやらただの人間ではないかもしれません。彼が歌う時、彼の周りには、見たこともないような小さな、光る精霊のようなものが常に付き従っているのを目撃しました。そして、彼が集めているという鷹の羽…それは、もしかすると、ただの飾りではないのかもしれません」
赤髪の戦士は、その報告に眉をひそめた。光る精霊? 鷹の羽? それらが一体何を意味するのか、彼にはすぐには理解できなかった。しかし、ただの偶然や、子供の遊びとは片付けられない、何か特別な意味が隠されているような気がした。
「高塔の王デカラビアンの支配にも、ついに目に見える綻びが生じ始めたのかもしれんな…」彼は、ゆっくりと立ち上がり、遠くに見える、月明かりにぼんやりと浮かび上がる風の壁の巨大なシルエットを見つめた。その壁の向こう側で、何かが変わろうとしている。自分たちが長年待ち望んできた、その変化の波が、ついに訪れようとしているのかもしれない。
彼は、仲間たちを集め、これまでの斥候からの情報を共有した。
「諸君、我々が行動を起こすべき時は、そう遠くないかもしれん。モンドの内部で、民衆自身の力による反乱の気運が高まっている。我々は、その動きに呼応し、内と外から、あの暴君デカラビアンに鉄槌を下すのだ」
彼の言葉に、仲間たちの顔には緊張と興奮の色が浮かんだ。彼らは皆、この日のために厳しい訓練に耐え、苦しい生活を送り続けてきたのだ。
「しかし、焦りは禁物だ」赤髪の戦士は、彼らを諌めるように付け加えた。「我々の力だけでは、まだデカラビアンを倒すには不十分だ。モンド内部の反乱勢力と確実に連携を取り、最も効果的な時期と方法で行動を起こさねばならん。そのためには、より正確な情報と、そして何よりも、我々自身のさらなる力の向上が必要だ」
彼は、斥候たちに、モンド内部への潜入をさらに強化し、反乱の動きを主導している可能性のある人物や組織、特にグンヒルド一族のような古くからの有力者の動向を探るよう命じた。また、詩人の少年ウェンティとその周囲の状況についても、引き続き注意深く監視するよう指示した。
そして、彼自身もまた、これまで以上に厳しい訓練を仲間たちに課し、来るべき決戦に向けて、その牙を研ぎ澄ませ始めた。彼の心の中には、個人的な復讐心もあったのかもしれない。かつてデカラビアンによって奪われた故郷、失われた仲間たちの無念。しかし、彼の戦いは、もはや個人的な感情だけではなかった。彼は、モンドの全ての民の自由のために、そして、この理不尽な支配に終止符を打ち、新たな時代を切り開くために戦うことを、改めて心に誓っていた。その誓いは、彼が振るう無骨な大剣に、さらに重みと鋭さを与えるのだった。