ようこそ"反"実力至上主義の教室へ   作:宗谷

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「人間は目的のための手段ではない」――カント


人間は目的のための手段ではない

人は、平等であるか。

 

誰かにそう聞くと、 大体同じことが返ってくる。

 

「もちろん、みんな平等だよ」

 

教科書にはそう書いてある。

 

「みんなちがって、みんないい」

 

法律も、制度も、建前ではそれを信じている。

人は、誰もが平等である、と。

 

 

でも、現実は違った。

頭がいい人と、悪い人。

みんなに好かれる人、嫌われる人。

お金持ちな人、貧乏な人。

 

何を“持っているか”で、人は扱いを変えられる。

努力した人より、結果を出した人。

誠実な人より、要領の良い人。

 

表向きは平等を語りながら──

内側では誰かの価値を、簡単に切り捨てていく。

どこまでも効率的で、残酷な世界。

 

 

でも、もし──

目に見えない“力”があるとしたら?

 

意志とか、信念とか、覚悟とか。

人を信じること、過去を背負うこと。

誰かを守ること、自分で考えて決めること。

それもまた、“持っている”と呼べるなら。

 

 

 

 

 

 

 

人は、きっと平等だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月、春。

世間では、新しい人生の始まりとか、そんな言葉がよく似合う季節。

多くの人が、希望を胸にスタートを切る季節。

 

 

自分も、例外ではない。

今日から高校生として、新しい学校に始めて足を踏み入れる。

目的地までは距離があり、バスで行くことにした、のだが……。

 

「ねえ、席を譲ってあげてくれないかな?」

 

自分が乗ってからしばらくして、一人のおばあさんが乗ってきた。

だが、席はすべて埋まっている。

自分も座っている人間の一人だが、気づくよりも先に誰かの声がした。

 

 

こんなイベントも、たまには存在する。

バスの中に年配の女性がいることも、その時に席が全部埋まっていことも、まあよくあることだ。

 

「お婆さん、さっきからずっと辛そうにしているみたいなの。席を譲ってあげてもらえないかな?

その、余計なお世話かもしれないけど、社会貢献にもなると思うの!」

 

バスの中、自分と同じ制服の女子。

彼女の言っていることは間違ってない。

気になるのはその理由。

社会貢献。

言葉の選び方はずいぶん優等生らしい。

 

だが……誰かを思いやって動くのに、見返りや制度を持ち出す必要があるのか?

その善意は、心からか? それとも「そうすべきだから」か?

 

どちらにせよ、あの老人を見て何も思わないより、ずっと人間らしいと思う。

 

 

「社会貢献、か。

中々面白い意見だ。確かにお年寄りに席を譲ることは、社会貢献の一環かもしれない。

 

しかし残念だが、私は社会貢献に全く興味が無い。

私はただ私が満足であるならばそれでいい。

 

それともう一つ。

 

このように混雑した車内で優先席に座っている私を槍玉に挙げているが、他にも我関せずと座り込み沈黙を貫いている者は放っておいていいのかい?

 

お年寄りを慮る心があるのなら、そこには『優先席か否か』は瑣末な問題でしかないと思うのだがね」

 

優先席に座っている男子。

彼の言い分も正論ではある。

 

「興味が無い」。

潔いと言えば、そうかもしれない。

それに、沈黙している者たちを責めない理由はない。

 

 

……相変わらず、建前だけの“優先席”だ。

「お年寄りや体の不自由な人が優先して座るため」という大義名分は、何一つ機能していない。

 

「譲れ」と、一言いうだけなら簡単だ。

でも、それが届かない、受け取る気がない相手に、何をどう言えば届くのか。

 

 

誰かが苦しんでいても、助けるかどうかはその人の“自由”。

でも、自由ってのは、誰かの痛みを見捨てる理由にはならない。

 

 

「正しいから」だけじゃ、人は動かない。

……なら、自分がやるしかない。

そう決めた“気持ち”が、誰にも見えない力になっていく。

あとは、それを行動として出すだけ。

 

 

黙って席を立ち、前へ行く。

 

「どうぞ」と一言。

 

それだけで、十分だった。

 

「ありがとうね」と聞こえた。

でも、求めてたわけじゃない。

お礼なんて、されてもされなくてもいい。

ただ、“自分で選んだ”って、それだけで十分だった。

 

 

「老人に席を譲るのは当然のこと」

「優先席に座っているなら、率先して譲るべき」

 

確かに正論だ。でも、それだけだ。

正論は、時に人を縛る。

「譲るべき」なんて言葉は、正しいかもしれないけどそれは、強制するものじゃない。

 

 

自分ならどうか。

俺はただ、誰かが困ってたら、放っておけないだけ。

それが、”結果”にならなくても。

”意味がない”と言われても、”人気取り”と嗤われても。

 

 

―――自分がしたいから、そうする――

 

 

それが、俺のやり方だ。

 

 

 

 

 

東京都高度育成高等学校、通称”高育”。

 

「未来を支える若者を育成する」という目的のもとに政府が作り上げた学校。

その最大の注目点は、「進学率・就職率100%」と言う謳い文句。

生徒は三年間この学校で生活し、生徒の望む未来に全力で答える環境に置かれる。

 

 

「今日から、ここに進学か……」

 

門の前で一瞬だけ立ち止まる。

 

 

すべてがこの学校の中で完結する、閉鎖された箱庭のような場所だ。

そこに価値を見出す人間には、きっとここは理想郷だろう。

親に縛られない自由。約束された未来。”選ばれた人間である”という自信と希望。

 

だが、俺にはその“理想”が、むしろ不気味に見える。

一見すれば、至れり尽くせりのエリート教育。

だが、そうまでして与えられる“自由”には、必ず見返りがある。

 

進学も、就職も、国が保障する。

もしそれが、”政府にとって都合のいい人間”を育て上げる場所だとしたら?

 

 

すべてが巡り巡って自分に返ってくる。――そんな“情け”すら、計算づくで制度に組み込まれている気がする。

 

 

それでも、俺はここに来た。

 

もう一度、自分の足で立つために。

過去に縛られない“未来”を選ぶために。

 

この学校で何が待っていようと構わない。

誰かにどう思われようと、媚びるつもりも、隠すつもりもない。

 

 

俺は――俺として、ここで生きる。

 

 

そう決めたから、この門をくぐる。

目を伏せず、胸を張って。

たとえ、この先にどんな地獄があったとしても――

 

 

 

 

俺は、後悔しない道を選ぶ。

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