ようこそ"反"実力至上主義の教室へ   作:宗谷

13 / 30
「人間は本当の自分を見せることなくして、決して自由になれない」— ジャン=ポール・サルトル(意訳)


人間は本当の自分を見せることなくして、決して自由になれない

時間の良いところは必ず過ぎていくことで、悪いところは必ず訪れること――と、昔どこかで聞いた気がする。

 

ついに先日その日――中間テストの日がやってきた。

 

この二週間弱、できる手段はすべてやった、と思う。

自分の勉強。クラスメイトのフォロー。過去問での最終確認。そして、赤点基準の確認――。

最後の手段として、一部わざと空白にしての点数下げまでした。

 

 

それは、俺以外でも同じはずだ。

テスト間の休みに、赤点申告をする生徒はいなかった。

直前の過去問演習でも、須藤たちは60点前後まで結果が出ていた。

 

だが、箱の中身は開けてみるまで分からない。

誰もが、若干の不安を残して結果を待っていた。

 

 

「――それでは、中間テストを返却する」

 

「結果はこの用紙の通り。今回の赤点は――ゼロだ」

 

その言葉にクラスに歓声が響き渡る。

 

「マジかよ! 全員セーフか!」

「うおおお、やったああああ!」

「赤点ゼロって……ほんとに!?」

 

教室内には一気に歓声が広がった。

涙ぐむ者、拳を突き上げる者、静かに胸を撫で下ろす者――反応はさまざまだ。

 

口には出さないが、何度も危機はあった。

とくに、あの急な範囲変更。あれを察知し、過去問を用意できたのは、運もあった。

だがそれ以上に――

 

これは、全員が『考えた』結果だ。

 

自分を磨く、誰かに頼る、見えないものを見つける――。

そういったものすべてがかみ合ってくれた結果だと、俺は信じたい。

 

 

「しかし、全体平均90台、最低点も60点台とはな。よくやった、と言っておこう」

 

 

俺は歓喜の声を背に、教室の窓の外を見た。

空は晴れ、陽射しがまぶしいほどに差し込んでいる。

 

だが心の奥では、決して晴れることのない「不信」の影が、静かに息を潜めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、放課後。

中間テストという最初の壁を乗り越えたクラスの空気は、どこかほっとした安堵と、浮かれた余韻に包まれていた。

 

ここ、平田の部屋もその例に漏れない。

 

「それじゃあ、みんな。中間テストお疲れ様!

乾杯!」

「「「かんぱ~い!!」」」

「……乾杯」

 

いつの間にか平田が「お疲れ様会兼、祝勝会をやろう」などと言い出して。

軽井沢や佐藤、博士(あだ名)がすぐ賛同して。

気づけば自分にも声がかかっていた。

 

特に断る理由もなかったから、そのまま参加した。

現在、平田の部屋で即席の祝勝会の真っ最中である。

 

紙コップ同士がカシャンと軽く鳴り、ジュースと菓子が並ぶテーブルの上を、笑い声が飛び交う。

 

「ねー、ほんっと信じらんなくない? 全員赤点回避とか、マジ神展開でしょ」

佐藤がチョコ菓子片手にテンション高く叫ぶ。

 

「いや。みんながんばってたからこそ起きた、必然だよ」

「さっすが平田くん、かっこいい~!!」

 

そんなやり取りも、今のこの場ではごく自然に聞こえた。

 

パーティはゆるやかに進行していた。

博士は相変わらず黙々とポテチを食べ続け、佐藤と軽井沢は携帯の動画を観ながら笑い合っている。

平田はそれを見守りながら、時折飲み物を補充していた。

 

テストが終わった安堵感は、どこか眠気にも似た穏やかさを空気に溶かしていた。

 

その空気に、ふと水面のさざ波のような違和感が差す。

 

「九条君。お疲れ様」

「ああ、お疲れ、平田」

 

「……今回はありがとう。

君が問題集を作って、全体の進捗管理をしてくれなかったら――正直、かなり危なかったと思う」

「俺は別に……自分のためにやっただけだ」

 

赤点者を出さないため。

退学者を出さないため。

自分がそうしたいから動いただけで、感謝や賞賛なんて求めていない。

 

「それでも、結果的にクラス全体が助けられたよ。素直に感謝してる」

「……そうか」

 

紙コップに口をつける。

炭酸の抜けかけたジュースの甘さが、どこか物足りなく感じられた。

 

そのまま、しばらくの時間が流れる。

 

誰かがくだらない冗談で笑い、誰かがこっそり写真を撮り合う。

そんな、他愛のない幸福のかたちがあった。

 

 

 

 

 

 

パーティがひと段落し、軽い片づけが始まったころ――

スマホが震えた。

 

取り出して画面を見ると、メールが一通。

 

差出人:櫛田 桔梗

件名:(なし)

本文:『お話があります。来てください』

 

送信時刻は、ちょうど今。

件名も挨拶もなく、ただ短いその文面。

 

……今夜は、まだ終わらないらしい。

 

俺は無言でスマホをポケットに戻し、テーブルにあった紙皿をまとめ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

あたりはすっかり暗くなり、街頭と月の明かりだけが照らしている。

 

 

「櫛田」

「……九条君。来てくれたんだ」

 

学校敷地である、人工島の淵。

櫛田桔梗は、こちらに背を向けて海を見ていた。

 

その顔は見えない。けれど、肩のわずかな強張りが、彼女の内側を語っていた。

 

こんな時間に、こんな場所に。

人を呼び出す理由が、ただの雑談で済むはずがない。

 

「ねえ、九条くん――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――気付いてるでしょ?」

 

 

空気が変わった。

朗らかで無邪気な『クラスの人気者』の声ではない。

冷たく、鋭く、他者の嘘を許さぬ――本性の声だった。

 

「私ね、昔から、警戒されてるとか、疑われてるとか……そういうのには敏感なんだよね」

 

月明かりに照らされたその横顔には、笑みすら浮かんでいない。

ただ、目だけがこちらを試すように光っていた。

 

「もう一度聞くね? 九条くん――気づいてるんでしょ?」

 

こちらの返答は、すでに彼女の中で決まっているようだった。

問いかけに見せかけた、牽制。

 

 

「……櫛田が『完璧な優等生』を演じてる、ってのは、うすうすわかってた。

理由は知らない。

別に、誰にも言うつもりはない」

 

 

真正面から、視線を逸らさずに言う。

ごまかしても、意味がない。

彼女が今ここにいるのは、それを確認するために他ならないのだから。

 

そう告げた瞬間、櫛田桔梗は静かに振り返った。

その表情には、作り物の笑顔でも怒りでもなく――ほんの一瞬だけ、本音に近い「素」があらわれていた。

 

「……やっぱり、隠しきれてなかったかぁ」

 

彼女の声には笑みが混じっていたが、それはどこか張りつめた笑みだった。

 

「私、小さい頃からそうだったの。

みんなが褒めてくれると、嬉しくて仕方なくなる。

逆に、誰にも見られなくなると……なんだか、自分が消えてしまいそうで。

 

……ちょっと、変かな?

でも、それが『私』なの」

 

 

それは『説明』であると同時に、『言い訳』でもあった。

 

櫛田が過去に何をしたのか、俺には知らない。

だが、彼女が「外側」と「内側」を明確に使い分けていることは、十二分に伝わってきている。

 

そのギャップに不気味さを感じるのは、彼女がそれを『巧みに制御している』からに他ならない。

 

 

「九条君ってさ、『普通』じゃないよね。観察力っていうのかな。鋭いっていうか、怖いくらいに人を見てる。

――そういう人が近くにいると、私は安心できないんだよね」

 

言っていることは理解できる。

『仮面』をかぶり続けている人間にとって、自分の内面を見透かすような存在は、最も恐れるべき相手だ。

 

「だからね……提案」

 

彼女は笑顔のまま、ひと呼吸置いた。

 

「君は、私が“優等生”でいる理由には――今は立ち入らない。

その代わり、私も君を傷つけたりはしない。

そして必要な時には……ね、ちょっとくらいなら“協力”してあげてもいいよ?

 

……まあ、気が向いたら、って話だけど」

 

『脅して従わせる』でも『一方的に服従する』でもない関係。

だが、どこかでこちらの“出方”を量るような提案だった。

 

――なるほど、そういうことか。

 

彼女は、俺の『沈黙』が怖かったのだろう。

俺が黙って観察し、見透かしていると感じることが、何よりも不安だった。

 

それはきっと、『仮面』で生きてきた者の本能に近い。

だから彼女は、こうして先手を打ってきた。

 

 

「口出しをしないなら、危害を加えない」

「必要なときには、味方する」

 

そのどれもが、裏を返せば「従わなければ敵にまわす」という意思表示だ。

 

 

彼女は、力や嘘で黙らせようとしたわけではない。

脅しでも媚びでもなく、あくまで“対等な交渉”を選んだ。

仮面の奥にある彼女の本性は、おそらく相当に不器用で、臆病で、それでも「自分の居場所」を守ろうと必死なんだろう。

 

 

 

彼女に何があったのかは知らない。

それでも、誰よりも鋭く、誰よりも必死に、自分という存在を守っていることだけは、わかる。

 

そういう人間は、放っておけばいずれ自壊する。

だからこそ、線を引く必要がある。

近づきすぎても、離れすぎても、どちらかが壊れる。

 

 

答えは、決まった。

 

 

俺は小さく息を吐いて、彼女の目を見据えた。

 

「……いいだろう。条件付きなら、それで構わない」

 

櫛田がピクリと反応したのがわかった。

 

「けど、ひとつだけ言わせてくれ」

 

俺は、少しだけ言葉を選ぶ。

 

「俺は『演技』を責めるつもりはない。誰だって、何かを守るために仮面をかぶる。

だが――もし、その仮面の裏で誰かが壊れそうになってるとしたら……俺は見て見ぬふりはしない。

 

そのときは、遠慮なく止めに入る。それでもいいなら……取引、成立だ」

 

 

 

 

 

 

「うん、そういうところ……やっぱり変わってるよね、九条君」

 

櫛田は目を細めて、笑った。

作り物の笑顔かどうかは、判別できなかった。だが、今までよりはずっと自然に見えた。

 

それが肯定か否定かは、彼女にしかわからない。

だがこの一瞬だけは、たしかに『仮面』を少しだけ外したように思えた。

 

 

彼女が背を向けて去っていく背中を、俺は追わなかった。

ただ、頭の中では冷静な警鐘が鳴っている。

 

彼女は、危うい。

けれど、それは『悪意』ではない。

彼女が牙を向けるのは、おそらく――

『仮面』を無理やりはがそうとする者か、

あるいは『仮面の奥』を知ってしまった者だ。

 

 

問題は、その綻びがいつ、どこで、誰を巻き込んで崩壊するかだ。

 

そのとき、俺がどこに立っているか。

それを誤らないようにしなければならない。

 

――もし、理想的な展開があるならば。

触れず、壊さず、触れさせず。

彼女が自分の意志で『仮面』を取ることだ。

 

 

月はただ静かに、海面を照らしていた。

波の音だけが、残された余韻を洗い流していく。

 

 

そして、夜は何事もなかったかのように、更けていく――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。