ようこそ"反"実力至上主義の教室へ   作:宗谷

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『信じよ、されど問い続けよ』―― 聖アウグスティヌス(意訳)


信じよ、されど問い続けよ

翌週、7月1日。

 

 

「おはよう諸君。今日は空気が違うな」

 

 

朝のHRは、険悪な雰囲気で始まった。

理由は明白(?)。『ポイントが振り込まれていないから』だ。

 

空調の効いた教室は、どこか肌寒い。

六月が終わり、七月に入ったばかりの朝。だが季節とは裏腹に、空気は異様な熱気と緊張感に満ちていた。

 

疑念が、教室の隅々にまで染み渡っている。

空調の温度ではなく、視線と沈黙がこの空気を凍らせているのだろう。

 

──気づいている。これは偶然ではない。

何者かが、あるいは制度そのものが、俺たちに“沈黙”を強いている。

 

前夜、スマートフォンの前で寝落ちしそうになりながら、0時を待っていた生徒も少なくないはずだ。

「今月はいくら入ってるだろう」

「あれだけ頑張ったんだから」

だが、日付が変わっても、画面の数字は微動だにしなかった。

期待が失望に、そして不安に変わるまでに、そう時間はかからなかった。 

 

 

「佐枝ちゃん先生!今朝見たらまだポイント振り込まれてないんですけど!?

まさかまた減点されたとかじゃないですか!?」

 

池の声が上擦っている。

普段なら冗談めかして笑ってごまかすような場面だが、今朝は違った。

 

普段の池なら

「またかよ〜冗談キツいって〜」

と軽口を叩いて場を和ませるタイプだ。

 

だが、今朝の彼の目は泳いでいた。笑いもせず、声は裏返り、HR前は手元の端末を何度も確認していた。

──まるで、自分がいつの間にか奈落に立たされていることに気づいた人間のように。

 

念のため、と思い、自分の端末を確認する。画面には、昨日と同じポイントが表示されていた。

 

『ポイントは毎月1日に振り込まれる』。

入学時のこの発言自体が嘘だった?

その可能性は低いだろう。

 

つまり、"意図的に保留されている"可能性がある。

 

「勝手に結論をだすな、池。お前たちが頑張ったことは、学校側もしっかり把握している。

ポイントの減点は存在しない。今は、な」

 

『今は』という言葉が、どうしようもなく不穏に響いた。

裏を返せば──いずれ減点の決定が下される可能性があるということだ。

 

 

「先日、Cクラスのバスケ部員が、訴えを起こした。

須藤にな。部活終了後、一方的に暴行を受け、負傷した、とな」

「正当防衛だ、正当防衛!!

相手三人がかりだぞ!?

レギュラーになった俺のこと恨んで、喧嘩吹っ掛けてきたんだって!!」

 

須藤の声は荒い。

当然だ。

『レギュラー』という言葉からも、以前の話からも、あいつはバスケに情熱を注いでいる。

 

それが、バスケと関係ない場所で、否定されかけている。

その事実が、余計にいら立たせているのだろう。

 

無実を訴えているはずなのに、その態度はあまりに感情的で、かえって説得力を失っていた。

それがまた、クラスの不信感に火をくべてしまう。

 

「訴え」という言葉の重みが、誰の心にも影を落としていた。

 

 

「だが証拠はない。目撃者でもいれば、話は別だがな」

 

『証拠がない』。

ある意味究極の善であり、悪だ。

『証拠がなければ無実』と『証拠さえ残さなければ何をしてもいい』という、相反する価値観が、同時に存在している。

 

 

この学校の制度は、言葉ではなく『結果』を求める。

 その場にいなかった誰かが、須藤の言葉を信じるだけの動機は、今のクラスにはない。

 

「みんな!須藤くんたちの喧嘩を見かけたり、誰か知ってる人はいないかな?」

 

こういう時、櫛田は真っ先に動く。

本能か、計算か、それともその両方か。

櫛田は迷わない。正義感を装うことに、ためらいがない。

そうすれば『みんなから認められる』から。

 

それはある意味で才能だ。だからこそ、警戒しなければならない。

あの笑顔の裏にある本質を、知ってしまったからこそ──。

 

 

だが、誰も手を挙げなかった。

 

沈黙が教室を支配する。小さな物音すら遠く聞こえるほど、張り詰めた空気。

 

 須藤と関わるのを恐れているのか、ただ本当に知らないのか。それとも──

『何かを知っていても、言えない理由』があるのか。

 

誰かが立ち上がれば、傷を負う。

それを分かっているから、誰も手を挙げない。

『正義』は、簡単に語れるほど軽くはない。

 

 

「一週間後、生徒会を交えて、Cクラスと話し合いが行われる。結果次第ではポイントは剥奪。須藤にも処分が下されるだろう」

 

 

……やはり来たか。

思考を遮るような雑音。制度の影。

 

須藤の言葉が真実かどうかはまだ分からない。

だが、いずれにせよこのままでは、誰も救われない。

 

暴力の是非を、言葉と空気で裁こうとするこの空間の在り方が、そもそも歪んでいる。

 

 

 

……くだらない。

 

これが「実力主義の現実」だ。

心があっても意味がない。

感情では、数値は動かない。

 

けれど──それでも、俺には感情がある。

 

なぜなら、忘れていないからだ。

あの日、あのとき。

「大丈夫」という言葉に、俺自身が救われたつもりになって、何もしなかったことを。

 

 

仲間をかばえば、自分の評価が下がる。

だから、誰も動かない。

 

須藤には感情があるが、戦略がない。

クラスメイトには戦略があるが、感情がない。。

 

 

ならば──足りない部分は、俺がやるしかない。

 

焦らず、動じず、見極めなければいけない。

皆がどう振る舞い、何を選ばないかを。

 

この教室の『何もしない』という選択が、また誰かを壊す未来に繋がるのだとしたら──俺は、その未来ごと止めてみせる。

 

 

須藤が無実なら、救済を。

……有罪なら、処罰と、それでも『再起』の機会を。

 

『何がいけなかったか』、『今後どうするか』を、須藤自身に考えて、選んでもらう。

 

 

そう信じたい。そう……信じなければ、きっと。

 

誰かを信じることは、簡単じゃない。

それでも、信じるという選択からしか、前には進めない。

 

 

 

──ならば、なぜあのとき、自分は信じてしまったんだ?

 

 

 

 

「大丈夫」なんて言葉で、すべてが解決すると。

 

あの時の俺は、信じたかったんじゃない。

信じることで、考えずに済むようにしただけだ。

 

“大丈夫”という言葉にすがることで、自分の無力を誤魔化しただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――お姉ちゃんは、大丈夫だから……ね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ごめんね』

 

 

 

 

 

 

 

 

二度と忘れられない記憶が、脳裏をよぎる。

 

『あの時』、俺は何もしなかった。

「大丈夫」という言葉に、勝手に安心して、思考を止めてしまった。

 

姉さんが何を抱えていたのか、どう苦しんでいたのか、何ひとつ見ようとしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その結果が、紙切れ一枚。

 

 

「ごめんね」とだけ書かれた、遺書。

たったそれだけの言葉で、すべてが終わってしまった。

 

取り返しのつかない現実は、いつも静かにやってくる。

気づいたときには、もう声も、やさしさも、笑顔も、何一つ残っていなかった。 

 

……同じことは、もう繰り返さない。

 

誰かが黙って見ているだけなら、俺が動く。

誰かが黙って壊れていくのなら、俺が止める。

 

たとえ間違えても、誰かに責められても。

見ないふりだけは、もうしない。 

 

『あの時』と同じ未来に向かわせないために。

誰かを、『あの時』の姉さんのようにさせないために。

 

過去に救えなかった分も背負って。

未来に壊れるはずだった誰かを、救うために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は……動かなければいけない。

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