『今からそっちに行くわ』
電気屋で準備を終え、帰寮してすぐのことだった。
堀北から、そんな短いメッセージが届いた。
須藤の件に関係があるのは、間違いない。
ついさっき、平田と櫛田には須藤の証言と、現場にカメラがないことを伝えてある。
明日から、平田は軽井沢たちとともに現地を調査するという。
櫛田のほうは、引き続き聞き込み調査を続けるらしい。
証拠の捜索。
証言の確保。
それぞれが動き出している。
なら、俺にできるのは—……その中をつなぎ、崩れる未来を先に読むことだ。
点を線に、線を面に。
どんな「絵」が描かれようとしているのかを、誰よりも早く把握する。
それが俺の役目だ。
インターホンが鳴く。
ドアを開けると、堀北が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「目撃者のことで、話があるの」
開口一番、彼女はそう切り出した。
「目撃者は……いる。それも、私たちのクラスの中に」
「佐倉さんよ」
佐倉。
一瞬、その名前が意味を持つまでに少し間があった。
だがすぐに、先程の情景が蘇る。
電気屋の通路、ふいに感じた視線、そして伏せられた目――
……なるほど。
彼女が目撃者だったなら、あのとき声を出さなかった理由も、合点がいく。
彼女は他人を拒絶している。
『事なかれ主義』というよりは、人と関わることそのものに、恐怖を抱いているような。
「……あなたは、須藤君に話を聞きに行ったのよね?」
「……ああ。内容は、平田達に共有してある。俺の見立てでは、これは……完全に『仕組まれた事件』だ」
偶然、監視カメラのない場所で揉め事になり、
偶然、一方的に攻撃を受けた。
偶然、自分たちの傷は証拠になり、
偶然、須藤は無傷だから証拠にはならない。
あまりにも相手にとって都合がよすぎる『偶然』だ。
「同感よ。偶然とは思えない……。
けれど、それでもあなたは、須藤君を『信じる』立場を取るのね?」
その声には、敵意はなかった。
だが、疑問の色が混じっていた。
「……須藤くんが、もし今回の件を乗り越えたとしても、彼が変わらない限り、また似たような事件は起こる。
私が見ているのは、彼をどう守るかではなく――その『再発』をどう防ぐか。
そこが焦点よ」
それは、感情ではなく実利を見据えた視点。
彼女なりの冷静な判断だ。
「……それも、理にはかなってる」
俺は頷いたあと、一拍置いて口を開く。
「けど、俺は少し違う観点で見てる」
「どういう意味?」
「俺は、須藤を『信じている』わけじゃない。
ただ――須藤が、『暴力以外で動こうとしていた可能性』を見てるだけだ」
一拍置いて、続ける。
「根拠は、以前に須藤と話した時の『夢』のことだ。
あいつ、その時だけは、明確に拒んだ。夢を否定されることも、夢に踏み込まれることもな」
「本気で夢を信じてるやつほど、暴力には慎重になる。
だからこそ、俺は……その『ためらい』を信じてみようと思った」
「可能性……? あまりにも不確実なものに頼るのね」
「俺が見てるのは、『今の須藤』じゃない。
『須藤がこれからどうなるか』だ。
誰かに言われたからじゃなく、須藤自身が『どうなりたいか』を選んでもらう。
選べる選択肢を増やせる手伝いはするけどな」
堀北は短く黙り込んだ。
そして、小さく息を吐く。
「あなたって、本当に……変なところで希望を捨てないのね」
「希望じゃない。『選択』の話だ。
俺がしてるのは、選択肢を探して、それを相手の前に置くこと。
最終的にどれを選ぶかは、その人自身の問題だ」
「……そう」
そう言って堀北は目を伏せた。
会話は、ここで終わりだろう。
明日は、俺自身がCクラスに聞き込みを行う。
証言。記録。沈黙。
一つでも崩れれば、この歪な事件は、全貌を見せ始めるはずだ。
すべては、明日から動き出す。
翌日。
Cクラスの態度は、当然ながら歓迎とは程遠いものだった。
「おいおい、須藤のお仲間がわざわざ何の用だよ。
許してくださいって土下座でもしに来たにか?」
明らかな挑発。
だが、何の効果もない。
「今回の被害者たちを呼んでくれ。話を聞きたい」
「そんなこと言われて、簡単に通すと思うのか?それとも、土下座でもしてみるか?」
「いい提案だな。それなら『被害者に話を聞きに行ったら、一方的に土下座を強要された』って訴えるよ。
それとも、聞かれてほしくない話なのか?」
「……いいだろう」
Cクラスの教室の前で、俺は無言のまま立っていた。
扉の前にいた生徒が、面倒くさそうに舌打ちを一つして、教室の奥へ引っ込んでいく。
数分も経たないうちに、数人の男子が現れた。
須藤に殴られたという、あの三人――小宮、近藤、石崎。
ギプスに包帯、青アザ。
見た目だけなら、誰がどう見ても一方的な暴力の被害者だ。
……だが、それが「たった一人にやられた結果」となると、さすがに無理がある。
よっぽど相手が強かったか、あるいは無抵抗だったか、だ。
「小宮、近藤、石崎……で、間違いないな。Dクラス、九条だ。
今回の件で、少し話を聞きたい」
「話ってなんだよ。俺たちはもう、全部話したぜ?」
「そうだ。俺たちは被害者だ。お前に責められる理由なんてねえだろ」
想定通りの反応だ。
だが、別に詰問しに来たわけじゃない。
今はまだ、な。
「責めるつもりはない。俺はただ、事実を確認したいだけだ。あの日、何があったのか……。
昨日、須藤の話は聞いた。だが、そっちの話は聞いていないからな」
しばらくの沈黙の後、小宮が口を開いた。
「……俺は、あの日の部活の後、須藤に呼び出されたんだよ。近藤も一緒にな。
須藤は乱暴だからな。怖かったんだよ。だから、石崎に頼んで、一緒に来てもらった」
「頼んで来てもらった」――呼ばれてもいないのに?
それが事実なら、ずいぶん都合のいい話だ。
「俺たちは特別棟に呼び出されて、気に入らねえって殴られた。それがすべてだ。悪いのは須藤なんだよ」
まるで暗記したセリフのようだった。
流れるように出てくるが、どこか引っかかる。
それなら……仕掛ける。
「そっちは三人。こっちは一人。しかも、いきなりこっちが襲いかかったと。正当防衛で反撃はしなかったのか?」
「お前らみたいな乱暴者の不良品とは違って、俺たちは善良なんだよ!」
怒りとも、誇張ともとれない声だった。
自分でも信じきれていないような――そんな、空虚な自尊。
「善良な人間が、怖い相手に呼び出されているのに、人数を揃えて行く。それは準備行動とは言わないか?
そもそも『行かない』という選択肢も、あったはずだろう」
「……違うって言ってるだろ!
それに、今日無事でも、明日からはわかんねえじゃねえか!」
『怖い』から三人で行った。
だが『善良』だから何もしていない。
『明日以降が怖い』から、怖いけど今日行った。
行動と思想が、かみ合っていない。
「なら、なぜ教師には相談しなかった? 呼び出されたあと、逃げることもできたはずだ。三人いればな」
「そ、そんなことお前に関係ないだろ!?」
反応が感情的になるにつれて、言葉が荒くなっていく。
論理ではなく、勢いで押し切ろうとする――よくあるパターンだ。
……そうやって押し切ろうとする人間を、俺はよく知ってる。
『追い詰められた強気な人間』だ。
そして、大体の人間はそれに気圧されて、どんなにおかしな話も『正しい』と思ってしまう。
それだけは、二度と許してはならない。
小宮達が最後の一線を越えないのは、皮肉かもしれないが監視カメラの存在があるから。
そして、これが最大の鍵。
「監視カメラもある。事件が起きていれば、須藤だけがすぐに呼び出されていたはずだ。
だが、実際に教員が動いたのは、そっちの訴えがあってからだった」
小宮の目が、一瞬泳いだ。
「……あ、あそこには、監視カメラがなかったんだよ! 偶然だ、偶然!!」
偶然――そうか。
ならば、なぜその『偶然』を彼らは知っていた?
事件が起こった場所を『偶然カメラがなかった』場所に設定できるのは、どちら側か?
その疑問は、わざわざ口にするまでもない。
ここで真相を暴くつもりはない。
俺は、証言を得られればそれでいい。
「……そうか。ありがとな」
俺は静かに頭を下げると、その場を後にした。
背中に投げられる視線の温度は、怒りと、不安と、警戒。
『敵だ』と思われるのは当然のこと。
でも、まだだ。
俺は今、戦うつもりはない。
けれど、選択肢はもう揃い始めている。
Cクラスからある程度離れたところで、忍ばせておいた『ボイスレコーダー』を確認する。
内容を簡単に確認して、また隠す。
口裏合わせ。証言の綻び。不可解な監視体制。
そして須藤という、あまりにわかりやすい『爆弾』の存在。
……ああ、そういうことか。
これは、『実験』だ。
『退学者が出たらどうなるのか』。
『退学以外の処罰が起きたらどうなるのか』。
『裁判によるポイントの移譲や強奪は可能なのか』。
そして何より、
『暴力は、『実力』の内に入るのか』。
それを測るために、須藤を選んだ。
彼の激情も、夢への純粋さも、利用するにはちょうどよかったのだろう。
結果次第で、制度が動く。
ポイントが動く。
人間が、動く。
須藤の事件は、ただの暴力じゃない。
これは、誰かが仕組んだ――制度への『問い』だ。
俺の中で、微かな怒りが、波のように打ち寄せては消えていく。
声には出さなかったが、心の奥でそう呟いた。
証拠も、証言も、推理も揃った。
後は、どう使うかだけだ。
原作では綾小路と櫛田がメインだった印象が強かったので、今回櫛田は出番少なめです。
正直、ないといってもいいかもしれない。ごめんね。