「驚かせちゃったかな?」
一之瀬が、申し訳なさそうに微笑んだ。
だがその後ろに立つ神崎は、Dクラスの面々を一人一人、正確に見つめていた。
男子生徒の神崎は、今回が初対面。
名前だけは櫛田経由で知っているが、立ち位置は『Bクラスのサブリーダー』程度の情報しかない。
立ち姿には隙がなく、まるで教師や上級生と対峙しているかのような緊張感を覚える。
鋭い目線が、こちらを一人ずつ、正確に、無言で値踏みしていた。
場に居るだけで空気が引き締まる。
言葉を交わさずとも伝わる「警戒と判断」の構えに、須藤がわずかに視線を逸らす。
『優しいリーダー』である一之瀬を支える、『冷静な参謀役』。
そう思った瞬間だった。
「一之瀬さん。提案があるわ」
それまで沈黙していた堀北が、一歩前に出る。
その声には、先ほどまでの不安や体調不良の影は感じられない。
「今回の試験、BクラスとDクラスは停戦しないかしら?」
「はにゃ?」
一之瀬が思わず間の抜けた声を漏らした。
驚きとともに、ほんの少し警戒の色がその目に浮かぶ。
「私たちがいくら高得点を取っても、今の段階ではあなたたちには届かない。
それなら、お互いに消耗するよりは――敵を減らす選択を取るべきだと思うの」
頭の中で現在のCPを思い出す。
現在、Dクラスのクラスポイントは95CP。一方で、Bクラスは663CP。
その差は、568CP。
今回の試験で得られる最高得点は、ポイントを一切使用しないことで得られる300ポイントと、すべてのクラスリーダーを当てることでの150ポイント。
この試験でポイントがマイナスになることはないから、最低結果は0ポイント。
よって、Bクラスのポイント変動はないと仮定。逆にこちらのリーダーを当てられた場合の-50ポイントも無いものとして計算する。
この時点で、Dクラスの最高得点は545CP。Bクラスには追い付かない。
もちろん、『一切の減点要素がない理想の状態で』という条件も追加される。
残りの差額である118ポイント以上を獲得するためには、スポットの占有しかない。
スポットを片っ端から占有しても、単純計算で1日3回の更新で3ポイント。これが7日分として21ポイントが一箇所あたりの理想値。
よって、6箇所以上を初日から占有しなければいけない。
もちろん、リーダーがばれるようなことも、スポットが見つからない、なんてことも無く。
整理すると、こんな感じだ。
現在のDクラスのCP=95。
減点要素が一切起こらない状態で、一切のポイント使用をしなかった場合=300。
Bクラスも含めたすべてのリーダーを当て、かつ自分たちのリーダーは当てられなかった場合=150-0。
他のクラスが0ポイントで試験が終了する=-0。
スポット6箇所×1日3回の更新(1日=24時間なので8時間で割って3回)×7日分=126。
95+300+150-0-0+126=671CP。
ここまでやってようやく、Bクラスを追い抜くことができる。
「――この計算は、あくまで『理想状態で最大限の結果を出した場合』の話よ」
堀北の声で意識が戻る。
どうやら、彼女も同じことを話していたようだ。
「現実には、リーダーが当てられれば-50、スポット占有のポイントも無効。
……つまり、『勝てないわけじゃないけれど、現実的ではない』。
それなら、欲を張るよりも堅実に行ったほうがいい。
だから、あなたたちと組んで確実性をとりたいの。
当然、その証明として、Bクラスのリーダーを当てることはしないわ。
その場合でも、671-50で621CP。これが現実的な最高結果よ。
今後を考えると、もっと低くなるでしょうね。
食料などの購入、誰かのリタイアでもポイントは減る。
試験が終わって私たちは……250CP前後になるはずよ。
お互いに敵が減る。クラスポイントの分、あなたたちのほうが得をする。
でも、逆に潰し合えばCクラスやAクラスに隙を与える。
それでは、お互いに得にならないでしょう?」
「……冷静な分析だな」
神崎が、短く評価するように呟いた。
「情報共有はどうする?」
「自由。ただし、場所や危険の兆候だけは積極的に行いたいわね。クラスの利益以上に、重傷者や『最悪の事態』を防ぐために」
「リーダー情報のやり取りは?」
「必要ないわ。そう簡単に信じてもらえないことは承知の上よ。
こちらもそちらもリーダー不明。お互い様でしょう?
あくまでも、お互いの安全と最低限の信頼のための停戦よ」
「うーん……確かに、問題はないけど……」
一之瀬が少し視線を泳がせてから、口元に笑みを戻す。
「もう一つだけ、こっちの提案をしてもいい?」
「……何かしら?」
一之瀬は目線をこちらに向けた――正確には、俺に。
「この試験中、九条君をBクラスに貸してくれないかな?」
周囲に、一瞬の沈黙が走る。
驚き、困惑、そして警戒。
「……理由を、聞いてもいいかしら?」
「もちろん。
一番の理由は、『友好関係の証明』かな?」
一之瀬の言葉に、Dクラス側の空気がわずかに緊張をはらんだ。
須藤が小さく眉をひそめ、軽く口を開きかけたが、何も言わずに口を閉じた。
一部の生徒は驚きを隠せず、ざわつきかける声を堀北が手で制す。
その間にも、一之瀬の表情は穏やかなままだった。
笑顔は柔らかいが、その瞳には明確な意志が宿っている。
「AクラスとCクラスからの攻撃を防ぎたいんだ。
もしも向こうが偵察に来た時にDクラスの誰かがいれば、相手も警戒するかもしれないでしょ?
『DとBが組んだかもしれない』って。
それはキャンプにいても、探索に出ても効果がある。
九条君を選んだのは……この前の事件の時に知り合って、少しだけ仲がいいから。
平田君や櫛田さんだと、あまりにも同盟関係が露骨にばれちゃう。
『クラスの中心がほかのクラスにいるわけがない。きっとなにかあるんだ』ってね。
『かもしれない』って予測のほうが、相手の警戒度は上がると思うんだ。
『ばれてもばれなくても問題ない人』が来てくれるのがありがたいかな。
それに……九条君って、周りのことをよく見てるでしょ?うまく立ち回ってくれそうだし、安心して任せられると思うんだけど、どうかな?」
彼女の言葉は、交渉というよりも『選択肢の提示』に近かった。
つまり、「もし断るなら、それでも構わない」という余白が用意されている。
だからこそ、場に漂う圧力は不思議と控えめで――だが、確かな重みを持っていた。
一方で、彼女の視線が向けられている俺自身は、その提案の裏にある「狙い」に焦点を当てていた。
一之瀬帆波は、おそらく『善人』だ。
櫛田からの話、先日の佐倉や須藤の事件での行動からもわかる。
その一方で、それはただの『お人よし』ではない。以前龍園を止めた時のように。
善性をただの『綺麗事』だけで終わらせる人間でもない。
――それなら、一番可能性があるのは、『査定』?
わずかに警戒を強めた俺を、一之瀬はなおも柔らかく見つめていた。
「だから、こっちからも一人Dクラスに預けるよ。バランスは取るつもり。
……神崎君、お願いしてもいいかな?」
「了解した」
神崎は一歩前に出た。
その動作は軍人のように無駄がなく、反論の意志すら見せなかった。
綾小路の横にいた須藤が一瞬肩を揺らした。
「つまり、お互いの『代表者』を交換するってことかぁ。
……まるで外交官みたいだね」
櫛田が呟いた。
「……質問してもいいかな?」
今度は平田が前に出る。
「お互いに仲間を交換する場合、朝と夜の点呼でポイント減点があると思うんだけど、どうするつもりだい?」
「まずは、先生たちに話をして、相手のクラスで点呼が認めてもらえるようにするよ。
駄目だったら、時間を限定しての交換にしない?
朝の点呼の後に交換、夜の点呼前にもう一度って感じで」
「……確かに、戦力としても情報面でも、彼以上の適任はいないかもしれないわね」
あえて“信頼している”という言葉は使わず、堀北は淡々と現実的な評価を下した。
「私としては、同盟関係の一環として受け入れても構わない。
ただし、本人の意思を最優先とするべきよ」
「僕も異論はないよ。九条君が納得できるなら、むしろ積極的に進めたほうがいい。
Dクラスを知ってる人が外にいてくれるっていうのは、安心材料にもなるからね」
平田の発言には、協力を前提とした誠意があった。
それでも――この判断に対して、クラスの中には未だ納得しきれない視線もある。
須藤や他の一部の男子が、一之瀬を、そして俺を交互に見ている。
だが、そのざわつきを打ち消すように、櫛田が笑顔で口を開いた。
「……さすがだね、九条君。
Bクラスの人たちからも信頼されるなんて、なんだかちょっと誇らしいよ」
それは本心か、あるいは空気を読むための一言か。はたまた嫉妬か。
いずれにせよ、それによって場の緊張が一度、緩んだのは確かだった。
「九条君。あなたはどう?
私たちとしては正直、受けてもらうのがありがたいわ」
俺は、堀北の言葉を受け止めながら、軽く息を吐いた。
受けるか否か――その判断は、単なる好意や損得だけで決めるべきではない。
この提案の背後には、『信頼』だけではなく、『測定』が含まれているのはほぼ確実。
Bクラスにとって、自分という存在がどう作用するのか――それを見ている者の目だ。
それなら、こっちも同じ返しをする。
そっちが俺を査定するように、こっちも見極めさせてもらう。
そして、そのための方法は――
俺はわずかに声を落として問いかけた。
「一之瀬、一つ聞かせてくれ。
――君はこの試験のテーマを、なんだと思っている?」
彼女の微笑がわずかに揺れる。
だがすぐに、いつもの調子で返ってきた。
「――『団結』だよ」
一之瀬の目が、少しだけ細くなる。
さっきまでの柔らかい表情の裏にある、「確認したかったこと」が見えた気がした。
「サバイバルっていう環境と、その困難を、力を合わせて乗り越える。
少なくとも私は、そう思ってるよ」
俺はそれを確認してから、静かに頷いた。
そのあとすぐ、俺たちは茶柱先生のもとへ行き、一之瀬、神崎との話を報告。
一之瀬の話にあった、『点呼免除』に関しては、双方の教師判断とすると言われた。
すぐに先生は無線機で、星之宮先生に連絡を取り、双方合意のもと、以下のような内容で同盟関係の締結が行われた。
一つ。 本試験期間中、高度育成高等学校1年DクラスおよびBクラスは、相互の敵対行動を控え、協力関係を構築するものとする。これをもって同盟関係とみなす。
一つ。 同盟の証として、両クラスは互いに相手クラスのリーダーを特定・指名しないものとする。また、この放棄は試験終了までの間、取り消すことはできない。
一つ。 同盟の象徴的措置として、Dクラスより九条凪斗、Bクラスより神崎隆二を、それぞれ相手クラスへ期間限定で派遣する。両名への権限に関しては、相手クラスの自由とする。
ただし、意図的に不利益を与えるような行動(例:スポット使用を認めないことによるペナルティの悪用)は禁止とする。
また、両名のポイント使用は原則禁止。使用時は相手クラスの代表者に許可をとることを義務付ける。
一つ。 点呼に関しては、両名とも派遣先クラスでの点呼参加を認める。この場合、点呼漏れに関するペナルティは適用されない。試験終了時までこれは継続するものである。
一つ。契約違反があった場合は、試験終了後に審議を行い、その背景を調査する。意図的なものであると判断される場合、試験でのポイントの全譲渡を持って和睦とする。
結果が0ポイントの場合、CPを譲渡するものとする。
以上の同盟協定は、星之宮知恵・茶柱佐枝両教諭の監督のもと、本試験期間中に限り有効とする。
生徒代表署名
Bクラス:一之瀬帆波 / Dクラス:堀北鈴音
Bクラスのキャンプ地へ向かう道は、思ったよりも長かった。
黄昏時の陽射しは木々に遮られ、湿った風が森の奥から吹き抜ける。
地面に落ちた木漏れ日を踏みしめながら、俺と一之瀬は歩き続けていた。
この時間になると、ある程度気温も下がってくる。
先ほどよりも涼しい風が、たまに吹き抜けていった。
「……こうして二人で歩くのって、なんだか新鮮だね」
先に口を開いたのは、一之瀬だった。
いつものように笑顔を浮かべながらも、その声には少しだけ緊張が滲んでいる。
「クラスメイトでもないし、チームでもない。
でも、今だけは同じ側なんだって……ちょっと不思議な感じ」
俺はそれに返事をせず、一歩歩幅を合わせた。
やがて、一之瀬の横顔がわずかに揺れる。
風の音に紛れて、それが笑みなのか、迷いなのかを測りかねた。
「なあ、一之瀬」
「何かな?」
「他にも意味があるんだろ、俺を要求したのは」
その言葉に、ほんの一瞬だけ、一之瀬の笑顔が止まった。
けれど、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「……やっぱり、そう思うんだね。
まあ、そうだよ」
彼女はあっさりと肯定した。
「『九条君が信頼できる』っていうのは本当。佐倉さんの件も、須藤君の件も、君が色々やってたのは知ってる。
だから、『どうしてそこまで誰かを気にするのか』が気になるのがひとつ。
もう一つは……さっき、星之宮先生と話してたの、ちょっとだけ聞こえちゃったんだよね。『乗り越えた』とか『引きずってる』とか……。
それが、気になった……かな?」
そう言って、一之瀬は少しだけ歩く速度を落とした。
まるで、こちらに合わせるように。
「誰かのために動けるって、すごいことだよ。でもそれって、たぶん……すごくしんどいことでもあるよね」
彼女の声には、どこか自分を重ねるような響きがあった。
「もしも、もしもだよ?
――誰かのことを助けようとして、そのせいで、自分が壊れちゃったら、君はどうするの?」
俺は少しだけ言葉を探してから、静かに口を開いた。
「……それでも、俺はきっと、助けると思う」
「どうして?」
「……後悔する未来より、見捨てたことを引きずる未来のほうが、俺には耐えられないから」
一之瀬はしばらく何も言わなかった。
ただ、少しだけ息を吐いて、わずかに表情をほぐした。
「これは俺個人の意見だけど、『自己責任』なんて、8割ただの傲慢だ。
自分が責任を負いたくないから、『アイツが悪い、自分は関係ない』って終わらせて、後はほったらかし。それはどんな人間でもそうだと思う。
言い方は悪いけど、『認めたくないから割り切っている』とも言えるのかもな。
『弱いこと』も『間違えること』も、大なり小なりあるんじゃないか?
『すべてが強いし、一切間違えない』存在なんていやしない。いたらそれは人間じゃない『何か』だ。
だから、それ自体は否定しない。
『やればよかった』も、『やらなければよかった』も、どっちも同じだけ重いものだと思う。
それでも、その結果、『一番大切なもの』を失うくらいなら。俺は、『自分がどうしたかったか』を抱えて生きるつもりだ。
星之宮先生にも言ったけど、その結果どうなろうと胸を張って死ねる。『自分はやり切った』って」
「……やっぱり、君は不思議な人だね」
「そうか?」
「うん。……でも、ちょっとだけ羨ましいかも」
その言葉の中には、かすかな自己否定と、今なお迷い続ける一之瀬の“過去の影”が見えた。
だけど、今はそれ以上を聞かない。
なぜなら、それは――
彼女が「自分で答えを出すべき問い」だからだ。
木々の隙間から見えた空は、ほんのりと茜色に染まりはじめている。
足元には、夜の気配が静かに忍び寄っている。
問いの答えは、きっと彼女自身が見つける。
それが明日なのか、もっと先のことなのかは――俺にも分からない。
そして俺たちは、再び静かに歩き出した。
茜の空と、まだ冷たい夜の境目を、並んで――。
さすがに二週間開けるのも気になったので投稿します。