砂嵐が止み、遠くの地平に荘厳な城壁が姿を現した。かつてオリエントを支配した大国、アルサケス朝パルティア。その都クテシフォンが、今まさに“征服王”と称されるカリフの軍勢の前に立ちはだかっていた。
「アル=ハムドゥ・リッラー…ついに、ここまで来たか」
アミーン=イブン=ファリードは馬上でつぶやき、軍勢を見渡す。半月前にアラビア半島を統一したばかりの彼の帝国は、早くもこの古代都市の門前に軍を構えていた。陣には多くの彎刀やシャムシールを佩いた兵士、弓矢や槍を持つ騎兵たち、そして投石器や新鋭の火薬式大砲までが並ぶ。
赤土の大地に轟くのは、大砲の咆哮だった。
バグダードより発せられたカリフの勅命のもと、イスラム帝国の主力軍はついに、かつての覇者・アルサケス朝の首都――クテシフォンを包囲した。東方の砂漠から運ばれた巨大な攻城砲が、その厚い壁を容赦なく削り、亀裂と炎を刻みつける。煙と土埃に包まれながらも、帝国軍の指揮官たちは冷静に次の一手を見定めていた。
「砲撃、第五連!──撃てっ!」
怒号とともに火を噴いた大砲群。轟音と共に石壁の一角が崩れ、白煙の中から無数の瓦礫が吹き飛ぶ。そこに続くように、長槍を持った歩兵と騎馬隊が突撃を開始した。
その先頭に立つのは、スルタン・ハーリド=アッ=ファーミー。カリフの腹心とも言える猛将で、その眼には冷静と興奮が共に宿っていた。
彼は3年前、イエメンでの反乱の際反乱軍を壊滅させた上僅か数百で本拠地を落としたという伝説の持ち主であった。
戦場では鎖帷子の上から緋色の外套を羽織り、シャムシールを高く掲げながら部下たちを鼓舞する。
「敵の血を以て、この都市を浄めよ! アッラーの栄光を!」
「アッラー・アクバル!!」
兵たちの咆哮が砂塵に混ざる。揺れる土煙の中、クテシフォンの城門へと突撃する彼らを迎え撃つのは、パルティア王朝の老将――アルトバン・シャーフ。彼は槍を持ち、白髭をたくわえたまま城壁上に立ち尽くし、襲い来る火の鉄槌に睨みを利かせていた。
「……まさか、こんな蛮族の兵器で、我が都が裂かれるとはな」
「将軍、南壁が……崩れます!」
「ふん、ならば迎撃せよ。ここが我らの墓所だ。誇り高きアルサケスの名を、汚すな!」
矢が降り注ぎ、火矢が城内の木造建築に燃え移る。クテシフォンは、すでに燃え始めていた。
彼の背には、細長くも重厚なシャムシールが揺れていた。アラビア戦士らの勇壮な詠唱が響き、彼の部隊は崩れかけた東門へと突撃した。
――
城壁の内側では、老将アルトバンが剣を握りしめていた。彼は七十にしてなお現役の武将。青銅の兜を被り、分厚いスカラベ模様の鎧を着た姿は、軍神を思わせる。
「来たか…蛮族どもめ。だがクテシフォンの礎となるなら、それもまた良し」
老将は兵たちに呼びかけた。
「この都を死守せよ!ここを破られれば、パルティアの魂も滅ぶぞ!」
怒号と共に、矢が放たれ、炎が舞い、戦象が咆哮する。白兵戦が始まった。
――
先陣を切ったハーリドの部隊は、敵弓兵の集中砲火にさらされながらも崩れた城壁の裂け目を突破した。ハーリド自身は高く飛び上がり、敵将の一人の首を一刀で落とす。
「貴様…!その剣筋…まさかイエメンのハーリドか…!?」
敵兵が叫ぶが、次の瞬間には地に伏していた。3年前、イエメンで反乱軍をわずか数百の兵で制圧し、本拠地を奪取したあの伝説は、ここでも現実となる。
「止まるな!我らが道を切り拓くのだ!」
彼の声に鼓舞された兵たちが突入し、城内の道を血に染めていく。
――
一方、アルトバンも剣を抜き、最前線で戦っていた。重装歩兵たちの中を自在に駆け、アラブ兵を数十人斬り伏せたその姿は、まさに老獅子だった。
「若き血潮よ…我が身で食い止める!」
しかし、その矛先に立ちはだかったのはハーリドだった。
「貴様が…アルトバンか。かつて名将と謳われた者が、最期にして我が前に現れるとはな」
「誰であろうと、クテシフォンには指一本触れさせぬ!」
剣戟が交差する。火花が散り、兵士たちは遠巻きにしてその壮絶な一騎討ちを見守った。
アルトバンは巧みに盾を使いながら、老いてなお一撃必殺の剣を放つ。しかしハーリドはそれを紙一重で躱し、ついに反撃の一閃を繰り出す。
「これが…若さか…」
重い声と共に、老将アルトバンは膝をつき、そして崩れ落ちた。
――
その報を受けたカリフ・アミーンは、軍鼓の合図を送った。全軍突撃。騎馬隊がシャムシールを掲げて突進し、戦象と歩兵が道を開けた城門からなだれ込む。
夕刻、都クテシフォンはついに炎に包まれた。
「敵将アルトバン戦死!城門突破完了!クテシフォン、陥落しました!」
報告を受けたアミーンは静かに頷くと、傍らの文官に告げた。
「ここを臨時の属州とする。スルタンを一人任命し、秩序を整えよ。明朝よりアレクサンドリアへ進軍する」
「はっ、カリフ殿下」
アミーンの眼は、すでに西の大海を越えたローマに向けられていた。