だがアスミディアは、その腹部への攻撃を読んでいた。読んでいたからこそ、前に出たのだ。腕が伸びてくる瞬間、彼女の体はすでにベルゼビアの懐深くへと入り込む。懐に飛び込まれては、腕の長いベルゼビアには不利だった。
「なに……!?」
驚愕に見開かれるベルゼビアの金色の瞳。アスミディアの剣が、下段から斜め上へと切り上がる。ベルゼビアの右側の二本の腕のうち、一本の関節を正確に断つための、極めて精密な一閃。
剣が骨を断つ音。青紫の体液が飛沫く。ベルゼビアの右の第二腕が、肩の付け根から音を立てて落ちた。
「がああああっ……!」
絶叫とともに、ベルゼビアが大きく後退する。落ちた腕は地に落ち、腐食性の液体をまき散らしながら痙攣していた。アスミディアは剣を一振りして体液を払い、静かに構え直し、アスミディアは淡々と言い放つ。
「腕の一本や二本、すぐに生えてくるんでしょう。でも、再生のたびに妖力は削られる。その消耗、いつまで保つかしらね」
「……言ってくれるじゃん」
ベルゼビアは失った腕を押さえながら、獣のような笑みを浮かべた。
「隙見て逃げようかと思ったけど……やめた。母さん、今日で終わらせる。あんたを殺して……私は、お腹いっぱい食べるんだ」
「食べる事しか考えてないのね。貴女。どうせ食べるならアサラカム達を平らげて欲しかったけれど」
「……だって、あいつら不味いし。料理して味つけしようにも死んだらすぐ腐って塵になるから、生きている内に齧らなきゃいけないで面倒なんだもん」
「へえ、そうなの。処理する手間が省けて便利ね。それと……貴女が味わうのは、この大剣が最後よ」
傷口から既に新しい腕が形作られ始めている。だが、その再生速度はアスミディアほどではない。確実に妖力を消費している証拠だった。
アスミディアは再び低く身構えた。風が舞い、二人の髪を揺らす。銀眼の戦士と、元戦士の化物の死闘は、終わりが近づいていた。
二人が同時に動いた次の瞬間、アスミディアの腹部に鋭い衝撃が走った。
「……っ」
息が詰まる。ベルゼビアの四本の腕のうち、左側の一本が彼女の胴を貫いていた。鋭い爪が背中側まで達し、白い服から血が滲む。
「は……ははっ!」
ベルゼビアの顔が間近に迫る。金色の瞳が愉悦に歪み、緊張で溜め込んでいた唾液が糸を引いて落ちた。
「あたしを舐め過ぎたね、母さん。ここからバラバラにして……」
アスミディアの体がぐらりと傾ぐ。膝が震え、顔から血の気が引き、白くなる。だがその唇が、微かに笑った。
「……油断したわね」
瞬間、ベルゼビアの視界に線が引かれる。口が何かを言おうと動くが、声にならない。体を動かそうとするも、複眼のような視界に己の異形と化した手足が映る。
そして遠のく意識の中で、ベルゼビアは己が母に負け。死ぬ事を悟り。
最期に地面を視界に収め、絶命した。
アスミディアは剣を一振りして体液を払い、背中の鎧に収めた。そして自分の腹部に手を当てて、小さく息を吐く。
「痛いじゃないの。これだから子供は」
彼女は落ちている腕の一本を拾い上げ、興味なさげに眺めた。再生を試みる気配は、もうない。妖力を使い果たしたベルゼビアの肉体は、ただの肉塊へと変わりつつあった。
「さて」
アスミディアは西の空を見上げた。樹海の奥から、まだ微かに妖気が漂ってくる。アサラカムの残滓だろう。だが、連中を相手にするには、皆疲弊し過ぎていた。
「まずは一人……か」
彼女は白いマントを翻し来た道をゆっくりと戻り始めた。腹部の傷はもう塞がっている。限界近くまで妖力を解放した反動で、体の芯が少し熱い。だがそれも悪くない、そう思いながらアスミディアは一人静かに歩き出した。
背後には、かつて暴食の覚醒者と呼ばれた存在の残骸が塵となって消え去った。