マリアが出立の用意をしてから数時間。
彼女はとある船の一室の窓際に佇んでいた。
「出航まであと一時間だ。準備は整っているのか、マリア」
そこに入ってきたのはこの船の船長を務める中年の男、ギルだった。
「ええ。出発前には必ずやることがあるもの。この船に不備がないかの確認よ」
「そうか……ならいいが」
ギルはそれだけ言うと部屋を後にしようとする。
しかし、その背中にマリアは声をかけた。
「……ねえ、船長さん」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「……いいえ。ただ、少し心配になっただけ」
「心配……?」
マリアの言葉にギルは首を傾げる。
しかし、彼女はそれ以上語ろうとはしなかった。
「まあ、いい。出発まで時間はない。それにお前はこの船の副船長だ。俺が言えんがこの船が無事出航できるよう最善を尽くしてくれ」
「……わかってるわ。任せて頂戴」
それだけ言うと今度こそギルは部屋を出ていく。
そうして部屋に一人となったマリアはあるものをみた。それは窓際の机に置かれた小さな木箱だった。そして木箱から手紙を取り出すと彼女はそれを読み始める。
『マリアへ。いきなりの別れの手紙に驚いているかもしれないね。だけど、もし君がこの手紙を見ることがあったら、もう僕はこの世にはいないんだと思う。だから代わりに君に謝っておくよ。本当にすまない』
「本当に勝手よね……貴方は……」
手紙を読み終えたマリアはそう呟いた後、そっと机の上に戻した。
「でも、私は貴方を止められなかった」
そして彼女は再び窓の外を見る。そこには青い海が広がっていた。その景色を見ながらマリアは思うのだった。
(ねえ、どうして貴方はそこまでして、この戦いに執着するの? 貴方は確かに強い。だけど所詮は人間よ。
いくら貴方が強いからってこの数世紀、いや、数百年続いた戦争を終わらせることなんてできるはずがないわ)
しかしそんなマリアの疑問に対する答えが手紙に書いてあるはずもなく、彼女は一人静かに海を見つめるのだった。
「ねえ……貴方もそう思わない?」
そんなマリアの問いに答える声はなかった……
「ん……」
光の眩しさに思わず目を覆う。そしてゆっくりと目を開けるとそこには見知らぬ天井が広がっていた。
「……ここは?」
マリアがベッドから起き上がり、部屋の中を見回してみると、そこは質素な作りになっていた。見える範囲で目につくのは木製の机と椅子、そして机の上に置かれた三つの蝋燭だ。それ以外は特に目立ったものもなく、どちらかといえば殺風景な印象を受ける。
「私は……確か……」
まだはっきりとしない頭で記憶を辿ってみるが、どうにも上手く思い出せない。状況を把握しようとした時、部屋にノックの音が響いた。
「はい」
返事をすると扉が開き、豊潤な香りと共に一人の女性が入ってきた。
妖しげな香りに目が眩みかけるが、マリアは歯を食い縛って意識を保ちつつ、女性を視認する。年齢は二十代前半、綺麗な長い白髪に銀色の瞳がよく映える、呼吸を忘れそうな程の美しい女性。身長は高く、一七〇センチ程。首から下に白いアンダースーツを着込み、首回り、肩、腰回り、手首、脚などに鎧を装着、腰まで届く白いマントを装備していることから恐らく戦士か何かだと思われる。
「具合は、どうかしら?」
妖しげな雰囲気からは想像もつかない程の、穏やかな笑みを浮かべた女性に対して、マリアは悟る。
成る程。これは、男では抗えないだろう。同じ女性の自分ですら意識を正常に保つのに非常に苦労するのだ。
妖しげな香りを防ぐべく手で鼻を覆いたくなる衝動を必死に堪え、問いに応える。
「少し眠気はありますが、問題ないです」
「そう。意識も大丈夫なようで安心したわ」
にこやかに笑みを浮かべまま、女性は自分の手を胸に置き、告げる。
「私の名前は、アスミディア。よろしくね」