あの村が焼け落ちてから、どれくらいの時間が経ったのか、俺にはさっぱり分からねえ。時計なんてものはとっくの昔にどこかへ消えちまったし、太陽が昇って沈むのを数えるのも、三日目くらいで馬鹿らしくなってやめちまった。だってそうだろう? 今日が昨日と何が違うってんだ。同じように腹は減るし、同じように喉は渇く。そして、同じように、あの忌々しいヘルガーの炎が、瞼の裏でチカチカと踊りやがる。それだけだ。それだけの毎日が、ただ、うんざりするほど繰り返されるだけ。
焼け爛れた故郷の、あの鼻につく焦げ臭い匂いから逃げるように、俺はあてどなく歩き始めた。東へ行こうが西へ行こうが、どっちだって同じだった。どこへ行ったって、そこは地獄の一丁目で、親切な道案内なんているわけもねえ。ただ、あの村の残骸から、一刻も早く離れたかった。あの場所にいると、オフクロの最後の顔とか、親父の骨が砕ける音とか、そういうろくでもない記憶が、まるで亡霊みたいに俺にまとわりついてくるんだ。冗談じゃねえ。そんなものに付き合ってるほど、俺は暇じゃなかった。いや、暇はあったのかもしれねえが、そんな気分じゃなかった、と言うべきか。
最初の数日は、まあ、なんとかなった。村の食料庫の焼け残りを漁って、少しばかりの干し肉と、カビの生えかかったパンを手に入れたからな。水は、雨水が溜まった水たまりの泥水を啜った。腹を壊すかと思ったが、不思議と何ともなかった。たぶん、俺の身体も、このクソったれな世界に適応し始めてたんだろう。いいことなのか悪いことなのか、そん時は分からなかったが、今思えば、あれが俺の「人間やめます」宣言の第一歩だったのかもしれねえな。
だが、そんな付け焼き刃の幸運も、長くは続かなかった。食料はあっという間に底をつき、雨も降らねえ日が続いた。腹の虫が、まるで独立した生き物みたいに、四六時中グーグーと不平を垂れやがる。喉はカラカラに乾いて、唾を飲み込むことすら苦痛になった。道端に生えてる草を片っ端から口に入れてみたが、どれもこれも苦くて不味くて、吐き気を催すだけだった。一度、色鮮やかなキノコを見つけて、これで腹の足しになるかと思って齧り付いたら、途端に目の前がグルグル回りだして、三日三晩、高熱と下痢でのたうち回る羽目になった。あの時は本気で死ぬかと思ったぜ。まあ、死んだ方がマシだったかもしれねえがな、今となっては。
野生のポケモンってやつにも、嫌というほど出くわした。コラッタの群れが、俺の持っていた最後のパン屑を狙って襲いかかってきたこともあった。あのギョロリとした赤い目、鋭い前歯。まるで、あのヘルガーのミニチュア版みたいで、俺は思わず石を投げつけて追い払った。奴らは「キーキー」と甲高い声を上げて逃げていったが、その声すらも俺の神経を逆撫でした。ポッポやオニスズメが空を飛んでいるのを見ても、昔みたいに「綺麗だな」なんて思うことは金輪際なかった。ただ、「あの肉は食えるだろうか」と、それだけを考えるようになった。俺の頭の中は、食うことと、生き延びることで、もうパンパンだったんだ。
一度、森の中ででかいアーボックに遭遇した時は、マジで肝を冷やした。全長5メートルはあろうかという、あの毒々しい紫色の蛇だ。奴は、鎌首をもたげて、シューシューと威嚇の声を上げながら、俺を睨みつけてきた。俺は、腰が抜けそうになるのを必死で堪えて、ゆっくりと後ずさりした。アーボックは、しばらく俺の様子を窺っていたが、やがて興味を失ったように、森の奥へと姿を消した。助かった、と思った瞬間、全身から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。あの時ほど、自分の無力さを痛感したことはなかった。武器もねえ、力もねえ、ただのガキが一人。こんな世界で、どうやって生きていけってんだ?
人間にも会った。いや、人間だったもの、と言うべきか。ある時、廃墟になった小さな町を通りかかった。そこで、俺と同じように食料を探しているらしい、ガリガリに痩せた男と出くわしたんだ。男は、俺が持っていた水の入った皮袋を見つけると、獣のような目つきで飛びかかってきた。俺は必死で抵抗したが、大人の力には敵わなかった。皮袋は奪われ、俺は顔を殴られて地面に転がされた。男は、俺から奪った水を、まるで何年も飲んでいなかったかのように、ガブガブと喉に流し込んでいた。その姿は、もはや人間というより、飢えた獣そのものだった。
俺は、地面に転がったまま、その男を睨みつけた。腹の底から、またあの黒い憎悪が込み上げてくるのを感じた。ヘルガーだけじゃねえ。人間も、結局は同じじゃねえか。自分の欲望のためなら、他人から奪うことも、傷つけることも、何とも思わねえ。クソったれだ。みんな、クソったれだ。
その男が水を飲み干して、皮袋を放り投げた時、俺は無意識のうちに、足元に転がっていた手頃な石を拾い上げていた。そして、男が背を向けた瞬間、力任せにその後頭部を殴りつけた。ゴツリ、という鈍い音がして、男は呻き声一つ上げずに、前のめりに倒れた。俺は、何度も、何度も、男の頭を石で殴り続けた。赤い血が飛び散り、頭蓋骨が砕ける感触が、手に伝わってきた。気が済むまで殴り続けると、俺はぜえぜえと息を切らしながら、その場にへたり込んだ。
男は、もうピクリとも動かなかった。俺は、生まれて初めて、人間を殺した。
だが、不思議と、罪悪感はなかった。後悔もなかった。ただ、妙な高揚感と、そして、それ以上に強い虚しさが、俺の心を支配していた。俺は、男が持っていた僅かな食料と、空になった皮袋を奪い返すと、何も言わずにその場を立ち去った。もう、誰のことも信じられなかった。人間も、ポケモンも、この世界にあるもの全てが、俺の敵だった。
時には、死肉を漁って食い繋いだこともあった。どこかの戦場で打ち捨てられた兵士の死体や、野生のポケモンに食い殺された獣の残骸。最初は吐き気がして喉を通らなかったが、飢えはそんな些細なプライドなんぞ、あっという間に吹き飛ばしやがった。腐りかけの肉の、あの鼻を突くような臭いと、蛆虫が蠢く光景は、今でも鮮明に覚えている。だが、生きるためには、そうするしかなかった。俺は、自分がどんどん人間じゃなくなっていくのを感じていた。それでいい、とさえ思った。人間でいることに、何の価値があるってんだ? 感情なんてものは、ただ苦しみを生むだけの、邪魔なガラクタだ。
そんな、獣と変わらないような日々をどれくらい送っただろうか。俺の心は、とっくの昔に砂漠みたいに乾ききっていた。感情の起伏はなくなり、ただ、機械的に食料を探し、危険を避け、眠る。それだけの毎日。ポケモンへの憎悪だけが、唯一、俺の中で消えずに燻り続けていた。いつか、あのヘルガーどもを見つけ出して、この手で八つ裂きにしてやる。その思いだけが、俺を生かしていたと言っても過言じゃなかった。
そんなある日、俺は、とある寂れた街道で、奇妙な一団と出くわした。十数人の、やけにガタイのいい連中だった。皆、揃いの薄汚れた戦闘服を着て、物騒な銃器を肩から提げている。その目つきは、俺がこれまで見てきたどんな人間よりも鋭く、そして冷たかった。奴らは、街道の真ん中で焚き火をして、何かを焼いて食っていた。その匂いは、俺がここ数ヶ月嗅いだことのない、まともな肉の匂いだった。
俺は、茂みに隠れて、しばらく奴らの様子を窺っていた。傭兵だ、と直感的に分かった。この大焦土戦争とかいう、馬鹿げた殺し合いが始まってから、こういう連中がそこら中に湧いて出たって話は聞いていた。金さえ払えば、どんな汚い仕事でも請け負う、人間のクズども。だが、そのクズどもが、今の俺にとっては、唯一の希望に見えた。奴らについていけば、少なくとも飢え死にすることはないだろう。運が良ければ、戦い方を教えてもらえるかもしれない。そうすれば、いつかヘルガーに復讐できるかもしれない。
俺は、意を決して茂みから姿を現した。奴らは、一斉に俺に銃口を向けた。その殺気は、そこらの野生ポケモンなんかとは比べ物にならないほど強烈だった。俺は、両手を上げて、敵意がないことを示した。
「何だ、このガキは?」
一団の中から、ひときわ体格のいい、顔に大きな傷跡のある男が前に進み出てきた。そいつが、この部隊のリーダーらしかった。男は、俺を頭のてっぺんから爪先まで、品定めするような目つきでじろじろと見た。
「食い物を…恵んでくれねえか」
俺は、か細い声で言った。プライドなんてものは、もうとっくに捨てたつもりだったが、それでも、他人に施しを乞うのは、屈辱的だった。
男は、フン、と鼻を鳴らした。
「ガキにやる食い物はねえ。さっさと失せな。でねえと、蜂の巣にして、そこのカラスの餌にしてやるぞ」
その言葉に、俺の中で何かがプツリと切れた。飢えと、絶望と、そして、底なしの怒りが、一気に込み上げてきた。俺は、その男を睨みつけた。自分でも驚くほど、冷たくて、憎悪に満ちた目つきだったと思う。
「…殺せるもんなら、殺してみろよ」
俺は、吐き捨てるように言った。もう、どうなってもいい、という気分だった。どうせ、このまま野垂れ死ぬくらいなら、こいつらに殺された方がマシだ。
男は、俺のその言葉と目つきに、少し驚いたような顔をした。そして、ニヤリと口元を歪めた。その笑みは、まるで、面白いオモチャを見つけた子供のようだった。
「ほう…面白い目つきをするじゃねえか、ガキ。まるで、飢えた狼みてえだ」
男は、他の部下たちに目配せした。銃口が、ゆっくりと下げられる。
「名前は?」
「…カイ」
「カイ、か。いい名前だ。なあ、カイ。お前、生きる術を教えてやろうか?」
生きる術、だと? こいつは、何を言ってるんだ?
「俺たちは、ブラッドハウンズ。戦争で飯を食ってる傭兵部隊だ。お前みたいな、根性の据わったガキは嫌いじゃねえ。どうだ? 俺たちと一緒に来るか? 腹一杯飯を食わせてやる。その代わり、死ぬほどきつい訓練が待ってるがな」
傭兵。ブラッドハウンズ。その言葉が、俺の頭の中で反響した。こいつらと一緒に行けば、生き延びられるかもしれない。そして、戦う力を手に入れられるかもしれない。それは、俺にとって、抗い難い魅力だった。
俺は、しばらく黙って男の顔を見つめていた。その顔には、嘘や誤魔化しは感じられなかった。ただ、そこには、このクソったれな世界で生き抜いてきた人間の、非情なまでの現実があった。
「…ああ、行くよ」
俺は、短く答えた。その瞬間、俺の人生の新しい章が、血と硝煙の匂いと共に始まったんだ。
ブラッドハウンズでの生活は、想像を絶するほど過酷だった。まず、俺は他の新入りたちと一緒に、だだっ広い訓練場に放り込まれた。そこには、俺と同じように、戦争で全てを失ったような、ろくでなしの連中ばかりが集められていた。教官は、元軍人だという、顔中傷だらけの、鬼みたいな男だった。
「いいか、貴様ら! ここは学校でもなければ、慈善団体でもねえ! 戦場で生き残るための、殺しの技術を叩き込む場所だ! 泣き言を言う奴、弱音を吐く奴は、即刻クビだ! いや、クビどころか、ここで死んでもらうことになるかもしれねえぞ!」
教官の怒鳴り声が、訓練場に響き渡った。訓練は、早朝から深夜まで、文字通り休みなく続いた。銃火器の分解組立、射撃訓練、ナイフを使った白兵戦、爆発物の取り扱い、トラップの設置と解除。どれもこれも、俺にとっては初めてのことばかりだったが、必死で食らいついていった。
特に厳しかったのが、「感情を殺す」ための訓練だった。教官は、俺たちに、捕虜に見立てた人形や、時には生きた小動物を殺させた。躊躇したり、憐れみを見せたりする奴は、容赦なく鞭で打たれた。
「戦場に情けは無用だ! 敵は、お前たちが躊躇した瞬間を狙って、お前たちの喉を掻き切るぞ! 殺すか、殺されるか! それが戦場の掟だ! 感情なんぞ、クソの役にも立たねえ! 捨てろ! 今すぐ捨てろ!」
教官の言葉は、まるで呪文のように、俺の頭に染み込んでいった。そうだ、感情なんてものは、邪魔なだけだ。オフクロが死んだ時、親父が喰われた時、俺は何もできなかった。悲しみも、怒りも、何の役にも立たなかった。ただ、無力感だけが残った。ならば、そんなもの、最初からなければいい。
俺は、他の訓練生たちが次々と脱落していくのを、冷めた目で見ていた。ある者は、訓練の厳しさに耐えきれずに逃げ出し、射殺された。ある者は、精神に異常をきたし、教官に「処分」された。俺は、彼らを憐れむことも、軽蔑することもなかった。ただ、「俺はああはならない」と、そう思うだけだった。
俺は、驚くほど早く、ブラッドハウンズのやり方に適応していった。銃の扱いは、すぐに他の誰よりも上手くなった。ナイフ捌きも、教官が舌を巻くほどだった。それは、俺に才能があったからじゃねえ。ただ、俺には、失うものが何もなかったからだ。そして、何よりも、生き残りたいという強烈な意志と、ヘルガーへの復讐心という、決して消えない炎が、俺の胸の中で燃え続けていたからだ。
訓練の合間に、俺は一人で黙々と武器の手入れをしていた。他の訓練生たちは、そんな俺を気味悪がって、誰も近づこうとはしなかった。それでよかった。馴れ合いなんて、クソ食らえだ。俺は、誰とも心を通わせるつもりはなかった。仲間なんてものは、いつか裏切るか、あるいは、目の前で無様に死んでいくだけの存在だ。そんなものに情を移すのは、馬鹿のやることだ。
数ヶ月が経つ頃には、俺はすっかり「ブラッドハウンズのカイ」として、部隊に認知されるようになっていた。かつての、ただの無力なガキの面影は、もうどこにもなかった。俺の目つきは、あのリーダーが言ったように、常に飢えた獣のように鋭く、そして冷たかった。俺の心は、鋼鉄のように硬く、そして冷え切っていた。感情という名のガラクタは、もうとっくに心の奥底に封印して、鍵をかけて捨てちまった。
これでいい。これで、俺は戦える。生き残れる。そして、いつか必ず、あの忌々しいヘルガーどもに、地獄の苦しみを味あわせてやる。
俺は、ブラッドハウンズという名の、血塗られた猟犬の群れの一匹になった。人間性を捨て、冷酷非情な戦闘機械へと、自ら姿を変えた。その胸に、故郷を襲ったヘルガーへの復讐心だけを、黒い炎のように燻らせながら。
まったく、人生ってのは、どうしてこう、ろくでもない方向にばかり転がっていくんだろうな。だが、もう後戻りはできねえ。俺は、この血と硝煙の道を行くしかねえんだ。それが、俺が選んだ、いや、選ばざるを得なかった、クソったれな生き方なんだからな。