まったく、ブラッドハウンズの連中ときたら、新入りを使い潰すことしか頭にねえのかね。あの地獄の訓練キャンプを生き残ったってのに、今度は本物の戦場に放り込まれるってんだから、笑っちまうぜ。いや、笑えねえか。どっちだっていいが、とにかく、俺の記念すべき初陣は、そんな感じで始まったわけだ。もう何年も前の話だが、あの時の鉄と血の匂いは、今でも鼻の奥にこびりついてやがる。
俺も、もうガキじゃなかった。あのヘルガーの夜から、一体どれくらいの歳月が流れたのか、正確には覚えてねえ。だが、鏡に映る自分の顔には、うっすらと髭が生え、声も低くなっていた。背も伸びて、ガキの頃に着ていた服は、とっくの昔にツンツルテンだ。ブラッドハウンズに入ってからも、それなりの時間が過ぎていた。訓練と、古参兵たちの下働き。そんな毎日が、ただ淡々と繰り返されるだけ。たまに、小競り合いみたいな実戦まがいの仕事もあったが、本格的なドンパチは、これが初めてだった。
ジャクソン――あの顔にデカい傷のある、ブラッドハウンズのクソッタレなリーダーだ――が、いつものように薄汚れたマップを広げて、今回の「お仕事」の説明を始めた。
「目標は、敵国の前線基地だ。奴らは最近、新型のポケモン兵器を導入したって情報が入ってる。我々の任務は、その基地に潜入し、可能ならその新型兵器の情報を奪取、最低でも基地機能に大打撃を与えること。成功報酬は、まあ、悪くねえぞ」
新型ポケモン兵器、ね。どうせ、またどこかのマッドサイエンティストが、ろくでもない化け物を生み出したんだろう。この大焦土戦争が始まってから、そんな話は掃いて捨てるほどあった。人間ってのは、どうしてこう、自分たちの首を絞めるようなことばかりしたがるのかね。まあ、俺に言わせりゃ、ポケモンなんぞ、どいつもこいつも危険な獣に変わりはねえがな。
作戦は、夜陰に紛れての奇襲だった。俺たち新兵は、古参兵たちの後詰として、基地の側面から侵入する手筈になっていた。つまり、一番危険な場所で、弾除けになれってこった。分かりやすくて結構だぜ、クソが。
装備は、相変わらずの旧式ライフルと、数発の手榴弾。ナイフは、訓練キャンプ時代から使い古した、俺の手に馴染んだやつだ。こいつだけが、俺の唯一のダチみてえなもんだった。裏切ることもねえし、文句も言わねえ。ただ、俺の命令通りに、敵の肉を切り裂くだけだ。
漆黒の闇の中、俺たちは息を殺して基地に近づいた。正面では、既にジャクソンたちが派手な銃撃戦を始めている。爆発音と、人間の怒号、そして、時折混じるポケモンの咆哮。それが、このクソったれな世界の、日常のBGMだった。
「行くぞ! 遅れるな!」
分隊長の低い声と共に、俺たちは有刺鉄線を切り裂き、基地の敷地内に滑り込んだ。中は、思ったよりも静かだった。ほとんどの兵力が、正面の戦闘に引きつけられているらしい。俺たちは、建物の影を縫うようにして、慎重に奥へと進んでいった。
その時だった。
「誰だ!」
鋭い声と同時に、銃声が響いた。クソッ、見つかったか! 俺のすぐ隣を走っていた新兵が、胸を押さえてうめき声を上げ、前のめりに倒れた。血が、暗闇の中でもはっきりと分かるほど、ドクドクと流れ出している。あっけないもんだ。人間の命なんて、こんなにも簡単に消えちまう。
「応戦しろ! 隠れろ!」
分隊長が叫ぶ。俺は、近くにあった土嚢の影に飛び込んだ。敵兵が、数人、こちらに向かって銃を乱射してくる。その中には、二匹のデルビルが混じっていた。あの、ヘルガーのガキみてえな、忌々しい姿。奴らは、低い唸り声を上げながら、鋭い牙を剥き出しにしている。
「あの犬っころを黙らせろ!」
誰かが叫んだ。俺は、ライフルを構え、デルビルの一匹に照準を合わせた。あの夜の記憶が、一瞬、脳裏をよぎる。燃え盛る家々、両親の悲鳴、そして、あの地獄の番犬ども。
「死ねや、クソが!」
俺は、引き金を絞った。銃弾は、デルビルの脇腹を正確に捉えた。キャン、と甲高い悲鳴を上げて、デルビルが地面を転がる。だが、すぐに起き上がり、さらに凶暴な目つきでこちらを睨みつけてきた。タフな野郎だ。
もう一匹のデルビルが、俺に向かって飛びかかってきた。その口からは、既に小さな火球が生まれようとしている。
「しまっ…!」
避けきれねえ。そう思った瞬間、俺の体が、誰かに突き飛ばされた。
「うおっ!」
俺は、地面を転がった。直後、俺がさっきまでいた場所に、デルビルの「ひのこ」が着弾し、小さな爆発を起こした。もし、あのままだったら、顔半分くらい焼かれてたかもしれねえ。
俺を突き飛ばしたのは、同じ分隊の、まだ名前も知らない新兵だった。そいつは、俺の代わりにデルビルの牙の餌食になりかけていた。
「助太刀するぜ!」
俺は、ライフルを捨て、ナイフを抜き放ってデルビルに躍りかかった。デルビルは、驚いたように俺を見たが、すぐにその牙を俺の腕に食い込ませようとしてきた。俺は、それを紙一重でかわし、ナイフをデルビルの喉元に深々と突き立てた。
グチャリ、という嫌な感触。デルビルは、短い悲鳴を上げて、その場で絶命した。生温かい血が、俺の手にベットリと付着する。
「…助かった」
俺を庇った新兵が、ぜえぜえと息を切らしながら言った。そいつの腕からは、血が流れていた。
「借りは、いずれ返す」
俺は、それだけ言って、再びライフルを拾い上げた。感傷に浸ってる暇はねえ。まだ、敵は残ってる。
戦闘は、泥沼の様相を呈してきた。敵兵は次から次へと湧いて出てくるし、奴らが使役するポケモンも厄介極まりなかった。アーボックが、その長い体で締め付けてきたり、ベトベターが、ネバネバしたヘドロを吐きかけてきたり。俺たちの仲間も、一人、また一人と倒れていく。ある者は、敵の銃弾に蜂の巣にされ、ある者は、ポケモンの牙や爪で引き裂かれた。
俺は、ただ無心で引き金を絞り続けた。敵兵の顔なんて、もう見えなかった。ただ、動く的を撃つ。それだけだ。時折、襲いかかってくるポケモンがいれば、ナイフで喉を掻き切り、腹を裂いた。血飛沫を浴び、内臓の感触を手に感じても、もう何も感じなかった。いや、感じないようにしていた、と言うべきか。
目の前で、味方の傭兵の一人が、敵のサンドパンに腹を切り裂かれた。腸が、ズルリと地面にこぼれ落ちる。そいつは、信じられないという顔で自分の腹を見つめ、そして、ゆっくりと崩れ落ちた。俺は、その光景を、ただ冷ややかに見つめていた。助けようとは思わなかった。もう手遅れだったし、何よりも、俺自身が生き残ることで頭がいっぱいだった。
これが戦争。これが、俺たちが生きる世界の現実。綺麗事も、ヒロイズムも、ここには存在しねえ。ただ、生と死が、無造作に転がっているだけだ。
俺は、いつの間にか、敵兵の一人と至近距離で撃ち合っていた。そいつの目は血走り、恐怖と憎悪で歪んでいた。俺も、同じような顔をしていたのかもしれねえ。俺たちは、互いに銃弾を撃ち尽くし、最後はナイフを握って組み合った。
「死ねえええ!」
敵兵が、獣のような叫び声を上げて、ナイフを振り下ろしてきた。俺は、それを腕で受け止め、激痛が走るのを無視して、自分のナイフを相手の脇腹に突き刺した。
「ぐ…ああ…」
敵兵の目から、力が抜けていく。そいつは、俺の肩に寄りかかるようにして、ゆっくりと崩れ落ちた。その体重が、やけに重く感じられた。
俺は、敵兵の死体を突き放し、荒い息を繰り返した。腕からは、ダラダラと血が流れている。だが、痛みは感じなかった。アドレナリンが、全身を駆け巡っているせいだろう。
ふと、足元に転がっている敵兵の顔を見た。まだ若い、俺とそう変わらないくらいの男だった。その目には、もう何の光も宿っていなかった。俺は、こいつの命を奪った。こいつにも、家族がいたのかもしれねえ。帰りを待つ誰かが、いたのかもしれねえ。
だが、そんな感傷は、すぐに消え失せた。こいつを殺さなければ、俺が殺されていた。それだけのことだ。この鉄屑と血の匂いが充満する戦場で、感傷なんてものは、自殺行為に等しい。
俺は、自分の腕の傷を、破れたシャツの切れ端で乱暴に縛った。そして、倒れている敵兵のライフルと弾薬を奪い取った。使えるものは、何でも使う。それが、ブラッドハウンズのやり方であり、俺の生き方だった。
やがて、戦闘は終息に向かった。生き残った敵兵は逃げ出し、基地の主要施設は、俺たちが仕掛けた爆薬で木っ端微塵になった。夜空を焦がす炎と黒煙が、俺たちの「戦果」を物語っていた。
合流地点に戻ると、ジャクソンが腕を組んで立っていた。その顔には、いつものように、ニヤニヤとした不快な笑みが浮かんでいた。
「よう、カイ。随分と派手にやったじゃねえか。腕も、勲章みてえで様になってるぜ」
俺は、何も答えなかった。ただ、ジャクソンの顔を睨みつけた。
「まあ、初陣にしちゃ、上出来だ。お前みたいな、イカれた目つきの奴は、戦場じゃ長生きするかもしれねえな。もっとも、いつまで持つかは分からねえが。ははは」
ジャクソンの下品な笑い声が、やけに耳障りだった。俺は、黙って自分のライフルに新しい弾倉を叩き込んだ。その乾いた金属音が、俺の荒んだ心に、妙にしっくりときた。
これが、俺の初陣。血と、硝煙と、そして、数えきれないほどの死。俺は、この日、確かに何かを失い、そして、何かを得た。失ったのは、まだ僅かに残っていたかもしれない、人間らしい感情のかけら。得たのは、このクソったれな世界で生き抜くための、血塗られた覚悟。
まったく、冗談じゃねえぜ。こんな人生、誰が望んだってんだ。だが、もう引き返すことはできねえ。俺は、この道を、血反吐を吐きながら進んでいくしかねえんだ。それが、あのヘルガーの夜に、俺に与えられた呪いなんだからな。