ルイズとフリーレンが夢の世界で交信していたのと同時刻。
アルビオン、首都ロンディニウム。ハヴィランド宮殿にて。
かつて栄華を極めた白の国の首都は今、死臭を漂わせる首無し騎士の群れが闊歩する、地獄絵図と化していた。
当然ながら、この街にまともな生物は存在しない。いるのは皆、アウラの忠実なる僕と化した『洗脳された生物』ばかりだった。
軍靴をカツカツと鳴らしながら、意味もなく街路を徘徊する甲冑兵。洗脳されたトロールやオーク、コボルトたちは、時折その破壊衝動を剥き出しにして、かつて人々が暮らしていた家屋や建物を殴り壊していく。
アウラの洗脳の度合いは、相手によって様々だった。
精神力の強い人間に対しては、首を落とすか、完全なる忠誠を強いるか。
一方、亜人や竜、その他の生物まで操れるよう改良した〝新式・
元より奴らの多くは、人間に対して強い悪感情を抱いている。
ならば、その感情を無理にねじ伏せる必要はない。むしろ憎悪を適度に刺激し、望む方向へと誘導してやればいい。そうすることで、アウラの支配を自ら受け入れる個体も少なからず存在した。
もちろん、中にはプライドの高さゆえに服従を拒むリーダー格もいたが、そういう輩は人間と同様、問答無用で首を落としてやった。
所詮は、ただの力自慢に過ぎないからだ。
首があろうとなかろうと、アウラにとっては大した違いではない。
逆らえば切り落とす。
利用価値があるうちは、生かして使う。
ハルケギニアへ来てから新たに築き上げたその尺度に従って、今のアウラは動いていた。
「戦力は整えつつあるけど……やっぱり、現状の軍勢だけでフリーレンとぶつかるには心許ない……か」
ハヴィランド宮殿、王の間。
豪奢な玉座に、まるで女王のように君臨しながら。
元七崩賢の大魔族、〝断頭台〟のアウラは物憂げに呟いた。
「贅沢は言わないけど、やっぱり〝魔導特務隊〟や〝北側諸国三大騎士〟レベルの猛者は欲しいものねぇ」
十分すぎるほど贅沢な望みを口にしながら、アウラは首無き従僕が淹れた紅茶を啜った。
三年前、グラナド伯爵領を襲撃した際に集めた手勢と比べれば、やはり今の軍勢は一枚も二枚も落ちる。
単純に、この世界のメイジや亜人たちは、自分たち魔族と長年しのぎを削ってきた北側諸国の猛者たちと比べ、戦闘力で大きく劣るのだ。
おまけに、この世界の魔法使いは魔法を行使するために『杖』と『詠唱』を必要とするらしい。
そのせいで安易に首を落とせば魔法を使えなくなり、せっかく手に入れた戦力の質まで落ちてしまう悪循環。
だからこそ、できる限り戦力を損なわず服従させられるよう、アウラはわざわざ自身の魔法を一から改良したのである。
もちろん、フリーレンの解除魔法を無効化するという狙いもあったのだが。
こればかりは、『支配した相手の戦闘力が、そのまま軍勢の強さに直結する』というアウラの魔法の欠点が、もろに出た格好だった。
(ま、首をあえて切らないのは
そんなことを頭の片隅で考えながら、アウラは対フリーレンの策へと思考を戻す。
奴をこのアルビオンへおびき寄せるため、トリステインの姫と……あと、名前は忘れたけど、どこかの国の姫。その二人を攫うよう部下たちに命じた。
長期的に見れば、姫二人を操って、それぞれの国にさらなる混乱を引き起こす呼び水にしてもよかった。
だが、当初の目的である『フリーレンを呼び寄せる撒き餌』としての役目は、すでに果たしている。だからこそ、必要以上に彼女たちをどうこうする気は、特にない。
事実、二人の姫を乗せた船は、嵐と船内で起きた反乱によって墜落したらしい。
そのせいで姫二人の身柄は未だこちらに届いていない状況。それ自体は正直、どうでもいいのだが……。
(確かに洗脳しきったはずなんだけどねえ……。私の魔法に不備があったのかしら?)
反乱の仔細についても、すでに分かっている。
嵐に呑まれ、船が壊れた刹那。
あのウェールズが洗脳に抗い、彼女たちをアルビオンの地表へと逃がしたらしい。
(やっぱり、首を落としておくべきだったのかしら?)
できることなら、もう一度捕らえて洗脳し直したい。
だが、肝心のウェールズ自身も、現在は所在が掴めていなかった。
(まあいいや、
洗脳を打破された影響なのかは不明だが、現在、ウェールズへの命令は届かず、その所在も把握できない状態となっている。
何が原因なのかは、さっぱり分からない。
自分の魔法に落ち度があるとは思いたくないが……〝新式〟に改良したがゆえに、何かしらの不具合が生じているのなら見過ごすわけにはいかない。
大魔族と謳われるからこそ、自らが扱う魔法に、アウラは『完璧』を求めている。
たとえ些細な不備であろうと、放置するつもりはなかった。
(ウェールズの追跡、『洞窟』の調査、フリーレン対策。目下の予定はこんなところか。……ああそうだ、金髪エルフの探索もやらないと)
やるべきことを頭の中で整理したアウラは、玉座から立ち上がり、王の間を後にする。白一色の廊下を歩き、そのまま宮殿の地下牢へと向かっていった。
そして、そのうちの一室。
鉄格子の向こうには、両腕を左右に広げた格好で鎖に繋がれている、一人の黒髪の女性がいた。
アウラは足を止め、彼女――シェフィールドへと視線を向ける。
「スキルニルが一体破壊されちゃったみたいね」
牢屋越しに、アウラはシェフィールドに呼びかける。
哀れな虜囚となった彼女は返事をしない。まだ猿轡を噛まされているからだ。
「これで残りのスキルニルは三体……になるのかしら? 一体は引き続き『例の洞窟』調査でレキシントン都市周辺に。一体は金髪エルフの捜索及び確保した『洗脳候補』の様子見、最後の一体を皇太子の捜索に動かしなさい」
それを聞いた黒髪の女性は、額を僅かに光らせる。
だが、光はあまりにもか細い。まるでやる気を感じられなかった。
アウラは「はぁ……」と嘆息する。
ウェールズといい、こいつといい……いっそのこと、本当に首を切り落としてやろうかしら?
少なくとも、ハルケギニアに来る前の自分だったら、面倒くさくなってとっくに切り落としていただろう。
我ながら、随分と辛抱強くなったものね。
「いいの? これは私なりの慈悲でもあるのよ? もうあのスキルニルの解析は大体終わってる。もっと言うなら、別にあんたがいなくても、あの魔法人形を操ることはできるのよ」
この言葉は、半分本当で半分嘘だ。
スキルニルを自在に操るためのメカニズム自体は、既に確立している。
ただし、まだこの女――シェフィールドほど高性能に、なおかつ複数体を同時に操る技術までは確立できていない。
腐っても、シェフィールドの額に刻まれている術式の性能は伊達ではないようだ。
「あんたはだぁ~れにも知られずに、そこで獄死することだってできるのよ? いいの? こんなところで誰にも看取られず、惨めな最期を迎えても」
だから、使えるのであればまだ使いたい。ウェールズとは違い、こいつにはまだ利用価値がある。
故にアウラは、魔族特有の欺瞞に満ちた言葉を並べ立て――『まだ死にたくない』という意識を、この女の中に根付かせようとする。
どうやら、こいつにも大切な者がいるらしい。
そいつに、二度と会えなくなってもいいのか?
そう問いかけるように。
すると、シェフィールドの額のきらめきは、一層増した。
まだ死にたくない。会いたい人がいる。アウラの質問に答え合わせをするかのように。
「いいこと? あんたはまだ利用価値があるから、首を落とさず生かしてやっているの。あんたが夢想する誰かにまた会いたいのなら、私の指示には黙って従いなさい」
アウラはそれだけ言い含めると、牢屋を後にする。
シェフィールドにはきつく言ったが……ウェールズの捜索など、優先順位で言えば下の下。
今、一番優先すべきは『例の洞窟』の探索だ。
あれを見つければ、この浮遊大陸に隠された『謎』を解き明かせる。
それだけじゃない。内容次第では、対フリーレン用の切り札として運用できるかもしれないからだ。
一番の脅威であるフリーレンさえ倒してしまえば、後はどうとでもなる。
自分の気の向くままに私兵を増やし、領土を広げ、いずれは自分の王国でも築いてやろう。
ゆくゆくは、自分こそがハルケギニアの魔王に――――。
「アウラ様」
牢屋から玉座へ戻ろうとしていた、その途中。
大理石の廊下を歩いていたアウラに、声がかかる。
「あらリーニエ、今日の鍛錬はもういいのかしら?」
「うん、大体終わった」
声をかけてきたのは、古くから部下として付き従ってきた〝首切り役人〟の一人、リーニエだ。
リュグナーとドラートが戻ってこない中、彼女だけは異世界にまで自分を追って、会いに来たのだという。
その忠誠心に免じて、彼女と『彼女が連れてきた二人の
「それよりもアウラ様、あとどれくらいで『葬送』のフリーレンに打って出るつもりなの?」
「当面はまだ先のことね。けど、奴もこの地に来ている以上、決着は早いうちにつけるつもりよ」
意外に好戦的な発言をするものだと思いながら、アウラはそう答える。
事実、リーニエの魔力や練度は、かつてフリーレンたちに討たれた頃よりも、さらに向上している。
大魔族クラスにはまだ程遠いが、今の彼女に勝てる者は、ハルケギニアでもそう多くないと言っていいほどには仕上がっているのだ。
戦力の拡充が急務な中、ここまで成長した彼女と再会できたのは、アウラにとっても幸いだった。
勿論、対フリーレン戦になれば、真っ先に投入するつもりでいる。
「アウラ様、ちょっと変わったよね。昔なら、とりあえず『あれしろ、これしろ』って、適当で曖昧な指示ばかり飛ばしていたのに」
リーニエは、思ったことをそのままアウラに告げる。
何しろ、幼い頃から彼女のことを見てきたのだ。
それと比べれば、今のアウラは自ら考え、策を練り、その上で行動しているように見えたのだろう。
「仕方ないじゃない。またフリーレンに殺されるなんて真っ平ごめんだし、ハルケギニアの魔法使い連中は弱っちすぎて、そのままじゃ使い物にならないし。色々とこの頭で考える必要があるのよ」
フリーレンが、『アウラを安全に撃破できるイメージ』を構築できていないように。
現状ではアウラもまだ、『安全にフリーレンを殺せるイメージ』を持てていないのだ。
互いの手の内が見えていないだけで、実力は五分五分。天秤は水平状態を保ったまま。
この均衡を一方へと傾ける、『きっかけ』という名の重しを、アウラは求めていた。
それがアウラにとっては『例の洞窟』なのだ。
だが……、もう一つ、何か欲しい。
再び黙考するアウラに、リーニエは言った。
「そういえばアウラ様、さっきエルザから『報告』があったんだけどさ」
エルザ……ああ、リーニエが連れてきた従僕の一人か。吸血鬼とかいう、自分たち魔族とはまた違った種族だとかいう。
「報告って、なによ?」
「ほら、アウラ様が『不死の軍勢』を使って誘拐したっていう、トリステイン国のお姫さま。そいつがここハヴィランドから南に離れた村で見つかったって」
アウラはその報告をどうでもよさそうに聞き続ける。
ウェールズならともかく、別にあの姫に用はない。見つけたら洗脳はするけど、自ら出向いてまでどうこうする気は億劫すぎて……、
(……いや、逆に失踪した王子を釣り出す、餌にくらいはなるかしら?)
王子を使って姫を釣り出したように、今度は姫を使って消えた王子を釣り出すのも、悪くはないか。
こういう時、人間の『恋愛感情』は便利だ。一方を絶対に放っておかないから。
「いいわ、リーニエ。あんた今暇なんでしょ? 行ってきなさい」
「捕縛する? それとも殺しても良いの?」
「捕縛しなさい。〝
「分かった、じゃあ連れ帰ってくるね」
リーニエは頷くと、その場を去ろうとする。
「ああ、ちょっと待ちなさい」と、ふと思ったアウラはこう続ける。
「あんた一人だけでも大丈夫だとは思うけど、一応何人か手駒を見繕ってあげるわ」
アウラはぱちんと指を鳴らすと、三人の人間が、アウラの前にやってくる。
この中の人間は、一応首は繋がっている。その中には『青髪の少女』もいた。
「あー、こいつらか」
リーニエは無感情な声で、その三人を見る。
その内の二人はドゥドゥー、そしてジャックだったか。かつて自分を殺そうとした『刺客の兄弟』。
そしてこの青髪の少女、ついこの前にやり合ったことのある少女だ。この三人はそれなりに強いからだろうか、首切りを免れている数少ない人間だった。
「この三人は、私が服従させた軍勢の中では上位の強さを持っている。使えるかどうか、確認して頂戴。無理そうだったら遠慮なく首を刎ねちゃっていいわ」
「分かった、アウラ様」
「丁度、これから落とそうと考えている人類の都市があるのよ。姫をつかまえたら、今度はそいつを連れてその都市『レキシントン』の人間たちを殲滅なさい。使えそうな人材がいたらなるべく確保すること。こいつら三人の実力も、そこで測っておきなさい」
ついでに言うと、これから攻め落とす予定の『レキシントン都市』近くの村には、駒集めに勤しんでいる
リーニエがアンリエッタ姫を確保した後は、そのままレキシントンへ向かわせ、都市を攻め落とさせる。
そこで捕虜にした者の中に使えそうな人材がいれば、近くに潜ませているスキルニルを派遣し、片っ端から洗脳してしまえばいい。
ついでにアンリエッタも一緒に操ってしまえば、手間も省けて無駄がない。
「あと、もしそのお姫さまの他に、『使えそうな人材がいたら』一緒に捕縛してきなさい。手勢は幾らあっても足りないぐらいなんだから」
リーニエは頷くと、アウラに傅く三人を顎でしゃくった。
三人は、非常にのろのろとした態度だが……ここで逆らっても仕方が無いと判断したのだろう。立ち上がり、リーニエの背後を追従する。
「ほら、お姫さまを捕まえに行くよ。……名前なんだっけ?」
「……タバサ」
「そう、ほら、行くよタバサ」
最後の最後まで反抗していた、青髪の少女も、結局は逆らえないと分かると、重い足取りのまま、去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、フリーレン達がアルビオンに到着する前の話。
「きゃっ!?」
ウェールズの手により、誘拐されたアンリエッタ姫は、縛られたまま船の一室……木造の格子で象られた牢屋の中へと放り込まれた。
「いったた……」
当然ながら、『誘拐される』だなんて初めての経験だったアンリエッタは、受け身すらできず地面に叩きつけられた痛みで、顔をしかめた。
仮にも王族なのに、こんな奴隷のような扱いをされたことすら、初体験なのだ。
「……ウェールズ、さま……」
痛みを必死になって堪えながら、アンリエッタは自分を攫い、そしてこの部屋へと放り込んだ皇太子の顔を見る。
彼は、死んだような顔つきのまま……そのまま黙って格子の扉に鍵をかけて、去っていった。
「待って! ウェールズさま!」
不自由な上半身を必死に動かしながら起き上がるも、その時はもう、ウェールズの姿は扉の奥へと引っ込んでしまっていた。
……わたくし、これからどうなるの?
勢いで彼についてきたことを『良し』と思っていたが、こうして冷静になることで……、なにかとんでもないことに巻き込まれたのではないかと、不安になってくる。
小窓の背後では、ゴウゴウと音を立てながら風が叩いている。外は嵐なのだろうか?
(母さま……、ルイズ……)
思わず、自分の中での親しき人の名を心の中で呼びかける。そんな彼女を迎えたのは、「うぅ~ん……」という、気のないような声だ。
「あ、あなたは……ベアトリス殿?」
「ほぇ? ……あれ、ここは……って、姫殿下!? なぜこんなところで縛られて……って、わたしも!?」
起きて早々、やかましい声を発しながら起き上がったのは、同じように誘拐されたベアトリスだったのだ。
「そうだ、わたし……自分の部下に……」
「……どういうことですか? 説明して頂いても?」
アンリエッタはとりあえず、ベアトリスまでどうして攫われることとなったのか、その話の共有から始めることとなった。
カタカタ、ギシギシと、木目が揺れる音と不安定な振動が支配する中で、数十分後……。
「……では、あなたは自分の部下に化けた者たちに攫われたという事ですね」
「はい……。そして姫殿下は婚約者であるはずの、プリンス・オブ・ウェールズその人によって攫われたと」
……話をすり合わせるにつれ、二人の頭の中には疑問符のマークが大きく浮き出てくるのである。
本当に、なんでこんなタイミングで自分たちを攫ったのか?
高度な政治判断? 結婚を望まぬ勢力の暗躍? ……いや、だとしてもそれにウェールズ自身が絡む意味が見出せない。
(いいえ……もしかしたらウェールズさまは薬かなにかで心を操られてしまっているのかもしれない)
ここで、当たらずとも遠からずな推測を、アンリエッタは打ち立てる。
水系統の魔法には、心や体を思うままに治癒する技術や道具が山ほどある。それに引っかかって、望まぬままに自分を誘拐したのではないだろうか?
「どちらにせよ、アルビオンには厳重に抗議してやるわ。クルデンホルフ大公姫たるわたしにこんな目に遭わせたんだもの、タダじゃおかないんだから」
「アルビオンはもしかしたら、被害を受けただけで誘拐については別の勢力が行った可能性が高いですわ。対応は慎重にお願いします、ベアトリス殿下」
「差し出がましいことを言うようですが、わたしは部下を殺されているのですよ。ことはもう、『おふざけ』の度を越しています。王政府が関わっていようとそうでなかろうと、アルビオンにはこの件についての説明を求めますわ」
それに関しては、これから嫁ぐアンリエッタといえど、何とも言えない表情で俯くしかなかった。
王族である自分たちを攫うという、前代未聞の暴挙。歴史的に見てもそうはないことだ。
一体何が目的なのか、それすら不明瞭で、不安ばかりが募っていく。
脱出……は、最初は頭の中に過ったけど、縛られている上に杖も当然ながら無く、周囲にも縄が切れそうな道具など見当たらない。
結局、今はただ……待つしかないのだ。
そこから更に、数時間は経っただろうか。
あれから、誰かが来るという事もなく、囚われの姫二人は大人しく、縄目を受けて座っていた。
「ちょっとぉ! 誰か来なさいよぉ! 縄が痛いのよぉ!!」
時折、ベアトリスが癇癪を起こして叫ぶのだが、それでも誰かが来る気配は無し。
アンリエッタがいなかったらもっと叫んでいただろうが……流石に彼女がいることもあって、これでも結構自重しているのであるが。流石に長時間ずっとこれは堪える。
「……わたしたち、本当にどうなっちゃうんだろ」
涙を見せまいと勝ち気な表情を続けていたベアトリス。しかしそれも限界に達し始めたのか、ぽろぽろと涙を零し始める。
「会いたいよぉ……お父様……」
「……頑張りましょう。今に、助けが来るはずです」
とうとう本格的に泣き出し始めたベアトリスに、寄り添う形でアンリエッタも慰めた。
その時だった。
突如、船が大きく傾き、異常な音を発生させ始めたのだ。
「―――きゃっ!?」
「な、なに!?」
あまりの衝撃に驚く少女達。だが、その間にも船は大きく傾いていく。バランスを崩してしまい、二人はそのまま倒れこんでしまった。
次いで、バキバキ……という木が裂けるような音が天井や床、壁から聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと! この船、壊れるんじゃないの!?」
「そ、そんなまさか……!」
そのまさかだった。
次の瞬間、バキン! という音と共に何かが落ちていくような振動が起きた。
小窓を見ると、どうやらこの船のマストのようだ。
……どうやら、この大嵐に耐えきれず、船が徐々に崩壊し始めているらしい。
「うそでしょ! いや! 死にたくない! 死にたくないぃ!!」
ベアトリスはもう、発狂しながら格子越しに何度も叫ぶ。
これにはアンリエッタも同じ思いであり、ベアトリスと同じように叫んだ。
「ウェールズさま! どうなっているのですか! ウェールズさま!!」
そうして叫ぶも、返事は返ってこない。振動だけがただ強まるばかり。
このままじゃ……! と、死への恐怖がアンリエッタ達の精神に襲い掛かる。その時だ。
「う……ぐ……」
「え? ウェールズさま……?」
扉の奥から、一人の青年がこちらに向けてやってくる。
婚約者であり、自分を攫った犯人でもある……ウェールズ皇太子が、苦悶の表情と、ボロボロになった姿で。
「うぇ、ウェールズさま!? なんで、そんな格好に……!」
アンリエッタは思わず、自分よりも満身創痍な彼のことを心配するが……、ウェールズ当人は、今にも倒れそうになるのを堪えた表情で、牢屋の扉を開ける。
「に、逃げて……くれ!」
ウェールズはそう言うと、杖を振って二人の縄を解き、そして奪われていた杖と、フネの動力源たる『風石』を渡してきた。
それらを受け取った時になって、アンリエッタだけ気づいた。ウェールズの指輪、王家の秘伝と言われている『風のルビー』が、淡く光っていることに。
「あ、あの……!」
「ウェールズさま、これは一体どういう……?」
とりあえず自由になったことで、安堵はするも、それ以上にこれは一体どういうことか、疑問符を浮かべる二人の少女。
結局、ウェールズは敵なのか、それとも操られているだけの味方なのか……?
「せ、つめいの……ひまが、ない……! あう、らに……、きを、つけろ!!」
ウェールズがそう言うと同時に、船はボキリと、割れるように大破した。
幸い、『風石』のバリアに包まれる形で嵐はやり過ごせたが……、それでも強風故に、ウェールズやベアトリスとは離れ離れになってしまった。
「ベアトリス殿下! ウェールズさまぁああああ!!」
いきなり宙に投げ出される形となったアンリエッタは、そのまま落下していくしか、どこかへと飛んでいく二人の面影を目で追うしかできなかった。
風の勢いよりも落下速度が強まった頃になって、ようやくアンリエッタは『
そうして降り立った場所は深い森の中。後にルイズ達もやってくる『ハドロン湖』だった。
嵐はすっかり止み、今は二つの月が眩く照らしているのみ。
「……ここは、いったいどこなのですか、ウェールズ様……」
結局、どういうことかの説明が無いまま、自分はアルビオンへとやってくることとなってしまった。
一体、何が起こっているのだろうか? 一か月前に会った時のウェールズを思い出し、尚のこと疑惑で頭を悩ませる。
勿論、こんなところで考えていたところで、何も浮かんでくるはずも無し。とりあえず、人気のある場所まで移動しないと……。
『あう、らに……、きを、つけろ!』
(あうら……。その者が此度の誘拐劇の黒幕なのでしょうか……?)
そうしてとりあえず歩くと、付近の村に住んでいるだろう、平民の親子を発見。
事情を説明した後、とりあえずどういうことかの説明を聞くために、馬を貸すように命じた。
村人たちは、いきなり他国の姫が来たことに大層驚きながらも、一応信じてくれたため、馬という名の足は何とか確保。とりあえずアンリエッタは馬を走らせることにした。
今はただ、ウェールズを追いたい。この状況についての説明が欲しい。
(となると……首都ハヴィランドへ向かい、ジェームズ王へ直に話を聞いた方が早いですわね)
というわけで、ひとまずアルビオンの首都へ向かい、保護を受けてからウェールズがどうしてああなったかについて、詳しく知ろうと考えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アンリエッタが数時間前に通った街道。
その道筋を、車体を引っ張るメイドが駆け抜けていく。
「そろそろ代わろうか? シエスタ殿!」
「大丈夫です! このまま近場の街まで引っ張っていきますよ!」
下手な馬車よりも速い速度で、シエスタが引っ張る人力車は駆け抜けていく。
先にこの道を駆け抜けていったであろう、アンリエッタに追いつくために。
「ミス・ヴァリエールは大丈夫ですか?」
「ああ、頭を打った時はどうしたものかと思ったが……今は普通に熟睡しているみたいだ」
ルイズはこの間、ずっとすやすや夢の中だった。
無理もない。昨日まで寝ずに村人たちのために薬を作っていたのだから。
移動中くらい、ぐっすり眠らせてあげたいからこそ、シエスタやアニエスも、特にルイズを起こすようなことはしなかった。
がらがら……と、車輪の回る音を心地よく響かせながら、車体は疾風と形容すべき速度で進んでいく。
空を見上げれば曇天。厚い雲が空の大陸を覆っている。
今にも雨が降り出しそうだ。
(降らないでほしいなあ……)
シエスタがぼんやりとそんなことを考えていると、視界の先に、ひどく寂れた村が見えてきた。
人気のない、寂れた村だ。人っ子一人見当たらない。
まるで神隠しにでも遭ったかのように、本来ここに住んでいたであろう村人たちの姿だけが、忽然と消えていた。
「誰もいないとなると、不気味ですよね……」
「そうだな……」
車体を引きながら、何か手掛かりはないかと周囲を見て回るシエスタとアニエス。
天日干しにされた魚。衣服が浸かったままの水桶。
人の姿だけが消えたように、生活の痕跡はそこここに残されている。
「誰かいませんかぁ~?」
シエスタは何度か声を張り上げ、人がいないか確かめる。
すると――。
「もし、そこの方々」
その声を拾った者がいた。
旅装に身を包んだ、壮年の男性だった。
その手には干物の魚や野菜などを抱え、興味深そうな目でこちらを見ている。
「あ、良かった! 人がいたんですね!」
シエスタは安堵の表情を浮かべ、男性の方へと車体を引いていく。
「私としても驚きだ。まさか斯様な地で人に出会うとはな。……フゴゴゴ」
少し妙な鼻息を鳴らしながら、壮年の男性も頷く。
だが、アニエスは多少の胡散臭さを感じたのか、僅かに眉を顰めながら尋ねた。
「……すまない、貴殿は?」
「ふむ、先にこちらが名乗れと。まあ……昨今のアルビオンの情勢を鑑みれば、仕方のないことだな。良いだろう」
そう言うと、平民の旅人とは思えないほど堂々とした立ち振る舞いと礼節をもって、男性は名乗った。
「私の名はラルカス。故あってアルビオンを旅している者だ。その最中にこの村を見つけたのだが……生憎、住人が見当たらなくてな。盗みを働くようで気は引けるが、餓死するわけにもいかない。こうして食料を頂いていたというところだ」
そう言ってラルカスは、両手に抱えた干物と野菜を二人に見せる。
「おとうちゃん、どうしたの?」
すると、近くの家屋の陰から、九歳くらいの少女がひょこりと顔を覗かせた。
「ああ、エルザ。どうやら私たちと同じ旅の者が訪ねてきたようだ。こっちにおいで」
ラルカスがエルザと呼ばれた少女を手招きする。
だが、少女は逆に家屋の影へと引っ込んでしまった。
「……すまない。人見知りの激しい子でな」
「いえ、全然大丈夫です!」
娘連れの旅人。
そういうこともあって、シエスタは朗らかな様子でエルザに呼びかけようとし始めた。
アニエスも、「すまなかった」と言葉を濁しながら名乗る。
「私はアニエス、彼女はシエスタ。……あと、旅の疲れで眠っているが、貴族のルイズ・ラ・ヴァリエール嬢だ。こちらもちょっと故あってアルビオンを旅している」
「そうか、これもまた奇縁なのだろうな」
ラルカスはそう言うと、かまどの隣にあった数本の薪を、村の外に運び出す。
「あの、すみません。わたしたち、さる高貴な女性を探して旅しているのですが……その……」
シエスタは言葉を濁しながら、そう説明した。
ラルカスはピンと来なさそうな表情をしていたため、アニエスがここでばっさりと結論を話す。
「トリステイン国のアンリエッタ姫の行方を我々は追っている。何か知らないか?」
「ふむ……きみたちはその姫君の護衛隊……か何かなのだろうかね? そうだな……」
ラルカスは首をひねる。この反応を見るに、彼自身は何も知らなさそうだ。
だが、ここで「ああそうだ!」と、大げさな身振りで手を叩く。
「確か少し前、エルザが一人で森にいた時……『とてもきれいなお姉ちゃん』に出会ったと言っていたな。やさしくて薬草を一緒に摘んでくれる手伝いをしてくれたとかなんとか……」
それを聞いた二人は、目を輝かせる。間違いなく、アンリエッタ姫その人だろう。
「どこへ向かったとか、いつごろとか分かりませんか?」
「すまない。食事の時に聞いた話だから、私は詳しくは知らぬのだ。会ったのはエルザのみだったようだし……」
そう言うと、家の隅で隠れたままのエルザへと目線を移す。
しかし、未だに彼女はシエスタたちを怖がっているのか、こっちへ来ようとはしない。
(どうしましょう? エルザちゃんに話を聞いてみますか?)
(だが……、相当警戒されているぞ。目的地はハヴィランドと分かっているのだし、聞き込みに費やす時間で先に進んだ方が良いのではないか?)
(でも、エルザちゃんとの出会いでその前にどこそこに寄るとか、そんな話が出てくるかもですよ!)
そんな風に話す二人だったが、ここでシエスタの腹の音が鳴った。
ずっと走ってきたのだから、そりゃあお腹も空くというものである。
ラルカスは、「フゴゴゴ」と笑って、持ち出した薪を組んで焚き火を作る。
そして、懐から杖を抜いて、軽くを火を起こした。
「貴殿……メイジなのか?」
「ああ。……とはいえ、既に貴族としての身分は無くして久しいがな」
ラルカスはそう言うと、干物などを近くに寄せ、適当に持ってきた椅子に座った。
「腹も減っているのだろう? 一緒にどうだ? 私達としても、親子二人で食べるには味気が無いと思っていたところだし、お前たちも、エルザに聞きたいことがあるのだろう?」
ぱちぱちと爆ぜる薪を見下ろし、ラルカスは尋ねる。
シエスタとアニエスは互いの顔を見合わせ、最後にルイズの方を見る。
……彼女はまだ眠ったまま。下手に起こすことも無いだろう。
情報と、あと携帯食でもいいから食事を手にする意味でも、彼の誘いを断る理由がなかった。
「分かりました。ご相伴に預からせてもらいます」
「まあ、礼ならいないこの村の住民にした方が良いかもしれんがな」
フゴゴゴ、と笑いながら、ラルカスは食事の用意を始めた。