使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

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第99話『僧侶とエルフとワガママ姫と』

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 フリーレン失踪から3ヶ月半後。

 北部高原、とある港町。

 

「はぁ……ようやく北部高原まで来れたぜ」

 

 巨大な船が往来する賑やかな港町。

 ちょうど一隻の船が錨を下ろし、桟橋の上を様々な人々が行き交い始める。

 その中の一人……髪を束ねた顎髭の男性が、深いため息を吐き出した。

 服装はこの世界でいう聖職者……いわゆる僧侶の装いなのだが、彼は桟橋から陸へと上がった瞬間、懐から煙草の箱を取り出して火をつける。

 そして一服。煙を肺に溜め込んだ後、一気に外へと吐き出し、気を落ち着かせた。

 

 彼の名はザイン。先に旅へ出た親友を探すため、かつてフリーレンたちと行動を共にした僧侶である。

 

 その旅の途中で彼女たちと別れ、島を渡ったり、いろんな土地を巡ったりして……ようやく、その親友が『帝都』にいるかもしれないという情報を掴んだ。

 道中、魔族に襲われ九死に一生を得るような過酷な経験もしながら……こうして無事、帝都に近い港までやってきたのだ。

 あとは直接『帝都』へ向かい、聞き込みをしよう。そう考えていた時だった。

 

「もし、そこの方」

「ん? 俺か?」

「あんた、その身なりからして僧侶ですよね? ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいですかい?」

 

 商人風の男が、ザインに声をかけてきた。

 よくある困りごとの類だろう。フリーレンたちと旅をしていた頃もよく依頼を受けていたから、そんな空気をなんとなく察したのだ。

 

「聞きたいことってのは何だ?」

「ええ、実は『ある鏡』について調べてほしいのです」

 

 ザインはそのまま、商人の案内を受けた。

 この港の近くに聳える高い崖。その一角に洞穴があり、そこでいかにも古そうな鏡を発掘したのだという。

 早速売りに出そうと色々と売り文句を考えているのだが、どうにも上手い言葉が思い浮かばない。

 そこで、僧侶であるザインに鑑定をお願いしたいということなのだが……。

 

「なんで俺に頼むよ? 魔道具の類だっていうなら、魔法使いの方が適任じゃねえのか?」

「ええ、もちろん頼みましたよ。ですが、最終的には匙を投げられまして」

 

 さらに話を聞くと、鏡には『女神様を象った装飾』が多く施されているため、これは魔法使いよりも女神について学ぶ僧侶の領分なのではないか、と考えたようだ。

 

(ま、路銀も寂しくなってきたし……ちと小遣いでも稼いでおくか)

 相応の報酬も出すという話だったので、最終的にはザインも納得して頷いた。

 

 

 そんなわけで、洞窟へとやってきたザインと商人。

 まだ掘り起こされて間もないのか、ところどころに魔法で組み上げた木の支柱が見える。

 やがて奥へ進むにつれ、大昔のダンジョンを思わせるレンガ造りの床や壁、天井が姿を現し始める。

 すでに解体され、端に寄せられた罠の数々に時折目を向けながら、やがて彼らは、とある一室の扉を開けた。

 

「あれかい? 例の鏡ってのは」

「ええ、そうです」

 

 鏡が置かれた一室に足を踏み入れた瞬間、ザインの〝魔力探知〟に何かが引っかかる。

 魔法使いではなく、僧侶だからこそ気づける微かな痕跡を、部屋の隅から感じ取ったのだ。

 

「ちょっくら調べてみる。ただ、なんも分からなくても怒んないでくれよ」

「ええ、それでもかまいません。私はお邪魔でしょうし、別室にでも行っていますね」

 

 何かあったら呼んでください。

 そう言い残して商人は去り、部屋にはザインと鏡だけが残された。

 

「確かにこの装飾……聖典でよく見る暗号文に酷似しているな」

 

 酒も女も煙草も大好きな破戒僧だが、それでもザインの僧侶としての才は、現代でも指折りの域にある。

 だからこそ、この鏡が神話の時代に造られた、遥か古の遺物であることをすぐに見抜いた。

 

(あとは、部屋の隅で感じるこの波長だが……)

 

 そんな彼だからこそ気づけた微かな痕跡を辿ってみると、そこには女神を象った小さな聖具が落ちていた。

 その一部が欠けている。ザインはそれを手に取り、再び鏡を調べ始めた。

 

「……あった」

 

 まるでパズルのピースのように、手にした聖具の欠片と、鏡の一番上にある窪みの形がぴたりと一致している。

 ザインは躊躇なく、その欠片を窪みにはめ込んだ。

 すると――突如、鏡が眩い光を放ち始めた。

 

「お、おい、なんだ……!」

 

 その言葉を最後に、ザインはこの世界から姿を消した。

 文字通り、『神隠し』にでも遭ったかのように。

 

 

 

「……え、あれ?」

 

 しばらくして。

 ザインに調査を依頼した商人は、忽然と彼が姿を消していることに困惑を隠せなかった。

 部屋には、先ほどと変わらぬ鏡が残されているだけ。

 いったい、何があったのか……?

 首を傾げることしかできない商人の背後で、不意に一人分の足音が響いた。

 

 

「ふ~ん、これが例の鏡かぁ。協会も、なんでこんなもの集めてるのかしらねぇ」

 

 

 商人ははっとして振り向く。そこには、一人の女性が立っていた。

 胸元と太腿を大きく露出させた衣装に、髪を片側で結いまとめた女性。

 人の身ほどもある長さの杖を肩に担ぎ、半ば興味深げに、半ば胡散臭そうに鏡を眺めている。その佇まいからは、どこか危険な香りが漂っていた。

 

 ……人を殺すことに、躊躇がない目。

 

 職業柄、様々な人間を見てきた商人だからこそ分かる。

 この女からは、濃厚な死の気配が漂っている。

 

「あ、あの……私に何かご用で?」

 

 商人は震える声で女性に尋ねる。

 選択肢を一つ間違えただけで殺されるのではないか――そんな重苦しい空気が、部屋を満たしていた。

 一方、女性の方は、萎縮している商人の様子を察したのか、にへらと笑って手を振った。

 

「そんな身構えなくてもいいわよ。私はその鏡を『買いに来ただけ』。小切手で払うから、それ頂戴」

 

 女性はそう言うと、懐から小切手を取り出し、商人へ投げ渡す。

 慌てて受け取った商人は、そこに書かれた文字へと目を落とした。

 

 記されていたのは、目も眩むような額の数字。

 そして、〝大陸魔法協会〟の名だった。

 

 どうやら、この女性の背後にはかの有名な魔法協会がついているらしい。

 疑問は増えたものの、ひとまず信頼できると安堵した商人は、おずおずと尋ねた。

 

「こ、こんな額までいただけるのであれば、願ったり叶ったりなんですが……でも、あの……実は……」

「なに?」

 

 ――この鏡を調べていて、忽然と姿を消した僧侶がいる。

 

 そう告げるつもりだった。

 だが、女性が何気なく放ったその一言に、商人は身震いし、思わず口をつぐんだ。

 表情が変わったわけでも、声色が低くなったわけでもない。

 それなのに、これ以上余計なことを口にすれば殺される。そんな予感が、本能的に頭をよぎったのだ。

 

「い、いえっ、なんでもありません! どうぞ持って行ってください!」

「だから、そんな怯えなくてもいいのに」

 

 本人としては、本当に鏡を買いに来ただけなのだろう。ただ、その立ち振る舞いが勝手に相手を怯えさせてしまうだけで。

 女性はそんな商人に苦笑しながら、鏡を魔法で浮かせた。

 

「んじゃ、交渉成立ってことで。もらってくわね」

 

 そう言い残し、女性は鏡を引き連れて部屋を立ち去っていった。

 あとには、小切手を握り締めたまま立ち尽くす商人だけが残された。

 

 

 さて、鏡から発せられた光によって消えたザインはというと。

 

 

「――――いでっ!」

 突然、地面に背中から叩きつけられ、呻き声を上げていた。

 

「……ったく、どこだここは?」

 

 背中を叩きながら立ち上がり、周囲を見渡す。どうやら、大量の本棚が置かれた小部屋にいるようだ。

 少なくとも、さっきまでいた部屋じゃない。いったい、どこに飛ばされたのだろうか?

 

「鏡はうんともすんとも言わねえし……」

 

 触ってみたり、魔力で解析してみたりしたが、鏡は何も答えてくれない。

 仕方がないので外に出てみると、そこには豊かに実った畑と、夜空に浮かぶ二つの月が広がっていた。

 

「……やっべえ、飲み過ぎたか?」

 

 などと嘯き、空をもう一度凝視するが、未だに月は二重に見える。

 幻覚? それとも呪い? だが、それらしい魔力は感じねえし……。

 

(いや、向こうから微かに魔力を感じる)

 

 向こうもこちらの魔力を探知したのか、緊張したように魔力の流れが僅かに揺らいだ。

 どうしたものかね……。ザインは頭を掻きながらも、フリーレンだったら嬉々として反応するだろうなと思い、とりあえずその魔力の方へと向かっていく。

 魔力の主は、何かを警戒するように、その場をこそこそとうろついているようだった。

 ザインは的確に魔力の痕跡を読み取りながら、その正体を探る。

 そこにいたのは……エルフだった。

 

「……ひっ!?」

 

 少女は流麗な金髪を揺らしながら、身を震わせる。

 草色の服を身に纏い、手には白い手袋、足には同色のソックス。そして顔の両脇から伸びる長い耳を、不安げに震わせている。

 そして、その胸は豊満であった。

 

 

(でっけ)

 

 

 ザインが、その豊満エルフを始めて見た時の感想が、それであった。

 フェルン以上あるんじゃないかというほどの果実。

 同じエルフでも格差激しすぎるだろ。前に一緒に旅していた白髪エルフの貧相な体つきを思い出し、そんなことを一瞬考えるザイン。

 

 もしフリーレンがこんな身体つきをしていたら、もう少し長くあいつらと旅してたかもしれねえなぁ……。

 

 ……って、違う違う。

 相手の子は怯えてる。まあ、いきなりこんな状況じゃ、不審なのは自分の方だ。まずは誤解を解かねば。

 

「ああいや、怪しい者じゃねえんだ。通りすがりの冒険者でな。ちょっと、ここがどこなのか教えてほしいだけなんだが……」

 

 とりあえず安心させるようにそう告げると、エルフの少女は怯えながら答えた。

 

「え、えっと……あなた、わたしが怖くないの? エルフなのに……」

 

 どうやら少女は、自分がエルフであることを知られるのを恐れているようだ。

 ……エルフであることを怖がる。いまいち意味が分からんのだが……。

 

「すまん、エルフだから怖がるって感覚が、俺にはよく分からん。あんた、なんかやらかしたのか?」

「ち、違うわ! そうじゃないの! わたし、異種族の血が混じっているから……。人間はみんな、エルフを目の敵にしているって聞いていたから……」

 

 ……ここら一帯は、エルフを排斥するほど因縁の深い土地なのか?

 確か南側諸国……人類同士の戦が絶えなかったあの辺じゃ、終わりなき争いを齎した魔法使いがいて、そいつがエルフだったとかいう噂は聞いたことがあるが……。

 

「なんだ、じゃあ南側諸国まで飛ばされたのか? せっかく北部高原を渡ってきたってのに……」

「みなみ、がわしょこく……? 初めて聞いたんですけど、それってどこのことですか?」

 

 ……なんだか、嫌な予感がしてきた。

 二つの月といい、言葉は通じるのに妙に噛み合わない会話といい……。

 まるで別大陸――どころじゃない、とんでもない『どこか』にでも飛ばされたんじゃないか。そんな違和感が、じわじわとザインの中で膨らんでいく。

 とうとうザインは、その疑念を確かめるように尋ねた。

 

「嬢ちゃん、ここはなんて国だ?」

「ここは……アルビオンといいます」

 

 聞いたことがない。

 ザインは懐から煙草を取り出し、火をつける。

 とりあえず精神を落ち着かせよう。ゆっくりと煙を吐き出しながら、頭の中を整理していく。

 

「ちなみに、南側諸国、中央諸国、北側諸国、帝国領なんかは……」

「ごめんなさい。わたし、ずっと深い森の中で暮らしていたから、世の中のこと、よく分からなくって……」

 

 まあ、エルフ自体、閉鎖的な生活をする者が多いと聞く。

 これ以上あれこれ聞いたところで、有益な情報は得られそうにない。

 

「まいったな……」

 頭を掻きながら、本格的にどうしたものかと考えるザイン。

 とりあえず、旅の目的である『あいつ』の所在でも聞いてみるか。

 

「じゃあ、もう一つ質問。……俺ばっかり聞いて悪いな」

「う、ううん! 大丈夫ですよ!」

「俺は昔、旅に出た親友を探しているんだ。このペンダントの奴。なにか知ってるかい?」

 

 ザインはそう言って、ロケットペンダントの蓋を開けて中の写真を見せる。

 幼少期の自分と、その隣に並ぶもう一人の少年。

 一緒に旅をしようと強く誘ってくれた、あの頃の自分にはあまりにも眩しかった存在だ。

 

「わぁ、綺麗な絵……」

 写真は初めて見るのだろう。エルフの少女はしばらく興味深そうに見つめていたが、やがて申し訳なさそうに首を振った。

 

「ごめんなさい。覚えがないわ」

「そうかい。ま、しゃあねえよな」

「ちなみに、その方のお名前を伺っても?」

「ゴリラだ。戦士ゴリラ」

「……え?」

 

 少女はぽかんと口を開ける。

 ペンダントに写し出されている少年を見つめながら、その頭には名前から連想されるであろう動物の姿が浮かんでいた。

 

「あの……本当に、そういうお名前なんですか?」

「本名は知らん。でも、あいつは行く先々でそう名乗る奴だってのは分かってる。人々に覚えてもらうためだって。変わった奴なのさ」

「そうなんですか……。え、でも親友なんですよね? 本当の名前も知らないんですか?」

「まあなあ。俺も『ゴリラ』ってインパクトが強すぎて、今じゃそっちで覚えちまっててな」

 

 たはは……と、しょっぱい顔でザインは笑う。

 それを見た少女も、つられるように小さく笑った。

 いつの間にか、先ほどまでの緊張もだいぶ解けていた。

 

「あの、せっかくですし、こちらにどうぞ」

 

 少女に促されるまま、ザインは近くの開けた場所へと移動した。

 そうして二人は、焚き火を挟んで向かい合う形で腰を下ろした。

 

「ちなみに俺は『僧侶アゴヒゲ』さ。そう名乗って皆に覚えてもらうんだって、ガキの頃はそいつと話してたよ」

「へー、面白いですね!」

 

 旅の話や昔の思い出を語っていくうちに、少女はすっかり警戒心を解いていた。

 今では心底楽しそうに、ザインの話へ耳を傾けている。

 

「大事な人なんですね。その人のことを想って、旅にまで出るなんて」

「ああ。十年前に味わった後悔を、これ以上引きずりたくなかったからな。元気にやってるって知らせだけでも手に入れば、それでいい」

 

『一緒に行こう』

 あの日、そう言って差し伸べてくれた手を、自分は一度振り払ってしまった。

 

 今更遅いと向こうが言ってこようとも構わない。

 今はただ、自分が信じた道を進むだけだ。

 

「そうやって俺に旅立つきっかけをくれたのが、エルフなんだ。だから俺にとっちゃ、エルフを嫌う理由なんて特にねえのさ」

「……そうなんだ」

 

 少女はそう呟くと、どこか悲しげで――それでいて、少し嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「っと、そういえば自己紹介もまだだったな。俺はザイン。職業は僧侶だ」

「わたしはティファニアといいます。よろしくお願いします、ザインさん」

 

 

 互いに自己紹介を済ませた後、ふと思い出したようにティファニアが尋ねた。

 

「ちなみに、そのエルフの人って、綺麗な金髪の女の人でした?」

「……いんや、女ではあったが、白髪の二つ結びだ」

 

 あ、じゃあ違うんだ……。

 ティファニアは、かつて自分を助けてくれたエルフの女性――ゼーリエの顔を思い浮かべる。

 

「ちなみにティファニアは、こんなところで何してんだ?」

 

 そう尋ねられた瞬間、ティファニアは動揺したように身を固くした。

 ひどく悩んだ表情を浮かべ、話すべきか否か迷っている。

 ……それでも、聞かれたのだから、と意を決したように口を開いた。

 

「……実はわたしも今、一緒に暮らしていた子供たちを探しているんです」

 

 そうしてティファニアは、自分の身に起きたことを話した。

 ウエストウッド村で孤児たちと慎ましく暮らしていた最中。突然、子供たちと共に何者かに攫われたこと。

 殺される寸前で同族のエルフに助けられたものの、子供たちの安否はいまだ分からないこと。

 そして今は、このアルビオンのどこかに囚われているであろう孤児たちを助けるため、一人で探し回っているということ。

 

「……そりゃまた、壮絶な体験をしたんだな、嬢ちゃん」

「はい……」

 

 考えれば考えるほど、不安が募る。

 ティファニアは細い両腕で、自分の身体を抱きしめた。

 

「…………」

 

 ザインはその間、黙って考えていた。

 あの鏡によって飛ばされた、二つの月が浮かぶ異世界。

 右も左も分からない土地で出会った、ハーフエルフの少女。

 

 さっき聞いた話では、彼女はこれでも十六歳らしい。

 半分とはいえエルフの血を引いている。長寿が当たり前だと思っていた種族だけに、二桁の年齢しか生きていないエルフに出会うことなどないと思っていた。

 まあ、だから何だと言われれば、それまでなのだが……。

 

「……だからわたしは、この食事を終えたら、また子供たちを探しに行くつもりです」

 

 この辺りに潜んでいたのも、畑の作物を少し貰って食いつなぐためだったらしい。

 悪いことだとは本人も分かっている。それでもそうせざるを得ないほど、なるべく人目につかずに行動しているのだろう。

 

「……誰かに助けを求めたりしないのか?」

「本音を言えば、助けてほしいです。でも……わたしを見たら、みんな怖がっちゃうし……。なにより、そのエルフの人に言われたんです。『甘えるな』って」

「……ってもなぁ」

 

 ザインはため息と共に、煙草の煙を吐き出した。気づけば一本、すっかり吸い尽くしている。

 二本目を取り出そうとして――目の前にティファニアがいることに気づき、やめた。

 

「だから、その……ザインさんのお友達探しに協力できなくて、本当にごめんなさい」

 

 別に悪いことなど何一つしていないというのに、ティファニアは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「…………」

 

 ザインは何も答えず、焚き火の揺らめく炎を眺めていた。

 自分には自分の旅がある。

 十年前に別れた親友を探すという、今度こそ投げ出したくない旅が。

 けれど――。

 

 しばし考え込んだ末、ザインは決心したように自分の膝をパン、と叩いた。

 

「……分かった。俺もやるよ」

「え?」

 

 助けてもらえるとは、考えてもいなかったのだろう。

 事実、ティファニアは一度もザインに助けを乞うようなことはしなかった。

 だからこそ、ティファニアは驚いたように顔を上げ、ザインを見る。

 

「困ってんだろ? おまけに誰にも頼れねえと来た。だったら、俺が手を差し伸べるしかねえだろ」

「で、でも……その、お礼とか、本当に何もできませんよ! それに、危険な目にも遭うかもしれませんし……」

 

 ティファニアはあわあわと手を振りながら、ザインを引き留めようとする。しかし、その仕草を見て、ザインはふと気づいた。

 彼女の手が、酷く泥にまみれている。

 こんないい子が、泥まみれになってまで、一人で子供たちを助けに行こうとしている。これを見捨てたら、間違いなく女神様から天罰を食らう。

 

(……いや、それよりも兄貴やハイター様に怒られるかね)

 

 それに何より、フリーレンなら間違いなく手を差し伸べる。

 長くはないが、決して短くもなかった彼女たちとの旅。

 くだらないようでいて、振り返ればどれも大切だったひと時を思い返すたび、ザインの心が「やらねば」と囁いてくるのだ。

 

「……本当に、いいんですか?」

「ああ。……って、すまん。いきなり俺みたいなよく知らない男がついて行くなんて言い出したら、そりゃ怖いよな」

「い、いいえ! ザインさんが来てくれるなら、わたしだって嬉しいし……でも、どうして?」

 

 どうしても理由が知りたいのだろう。

 ティファニアは切羽詰まった様子で尋ねた。

 

「どうして、こんなにもわたしを助けてくれるの?」

「……ま、一言で言やあ」

 

 フリーレンたちとの旅で得たものを、捨てたくなかったから。そう答えようとも思った。だが、それでは少し伝わりづらい。

 ならば――やっぱり、これしかない。

 ザインは少しだけ格好をつけるように笑って、言った。

 

 

「勇者ヒンメルなら、そうするってことだ」

 

 

 フリーレンも、あの勇者から相当な影響を受けていた。ならば源流を辿れば、結局はそういうことになる。

 まあ、大陸そのものが違うのだ。ヒンメルの名を出したところで、ティファニアには分からないだろう。

 ――そう思っていたザインだったが……。

 

 

「ひん、める……?? っ……!」

 

 

 次の瞬間、ティファニアは頭を押さえ、その場に蹲った。

 

「おい、大丈夫か?」

「あ、頭がちょっと……。ごめんなさい」

 

 なんでだろう。

 ヒンメルなんて名前、聞いたこともないはずなのに。

 なのに、その名前を耳にした瞬間――『何かを思い出しそうになった』のだ。

 まるで、ずっと昔から知っていた名前を、今まで忘れていたかのように。

 

「本当に大丈夫かよ……?」

 

 ザインはそう言って、未だ蹲る彼女の頭に手を触れた。

 そこから〝癒しの光〟を放ち、苦しむ彼女を癒そうとする。

 強力な毒物すら一瞬で治癒させる、女神より授けられし力の一部。そして、その扱いに突出した才を持つザインだからこそ――『それ』にも気づいた。

 

(なんだ? この子……〝呪い〟にかかってるのか……?)

 

 魔族の魔法……特に、人類には未知の領域にある術への嗅覚に優れる僧侶だからこそ察知できた、僅かな違和感。

 彼女の頭の中に、何か黒い靄のようなものを薄っすらと感じたのだ。

 

(この変な靄が、記憶に干渉してるのか……?)

 

 だが、今のザインではすぐに解析できない。

 ただ一つ分かったのは――その『何か』が、『ヒンメル』という名前に反応したということだけだった。

 

「あの、本当に大丈夫です! ザインさん、心配かけてすみませんでした」

「まあ、命に別状はなさそうだから、それはいいんだが……」

 

 なんだか一気に謎が増えたような気がする。

 ……まあいい。深く考えるのは、ひとまず後だ。

 とりあえず今は、目の前にいる少女の困り事に手を貸す。自分の身の振り方については、それから考えるとしよう。

 

「とりあえず、その孤児救出。俺も手伝ってやるよ」

「はい! ありがとうございます、ザインさん。どうか、よろしくお願いします」

 

 ティファニアは何度も頭を下げ、ザインへ感謝を伝える。

 ……ここまでされたら、俺も腹を括るしかねえよな。

 

(せめてフリーレンたちがいてくれたら、もう少し気楽にやれたんだろうけどな)

 

 こういう時、一人旅というのは不便なものだ。

 ザインは今更ながら、そんなことを思う。

 

 ……まあ、こんな見知らぬ土地で、あいつらとばったり再会するような奇跡なんて起こるはずもない。

(ま、なんとか頑張ってみるか)

 

 

 それから一夜明けて。

 

「では……そのフリーレンさんに誘われる形で、ザインさんも旅に出たんですね」

「ああ。今思い返しても、変な奴だったよ」

 

 道中、歩きながら話をするザインとティファニア。

 彼女はこれまで、母以外のエルフを知らずに生きてきたという。

 だからこそ、ザインの背中を押し、旅立つきっかけを与えたというエルフに興味を持ったようだ。

 そこでザインが、フリーレンとの出会いから、旅の中で起こったくだらなくも、思い返せばくすりと笑えるような出来事を語って聞かせると、ティファニアは思いのほか食いついた。

 

「……いいなあ。ちょっとザインさんが羨ましいです」

「そうか?」

「ええ。……わたしも、実を言うと『外』にはずっと憧れていたんです」

 

 ティファニアは、自分の生い立ちを話した。

 エルフが疎まれるこの土地では、自分は異端。

 だから外の世界に憧れを抱きながらも、『怖いから』という理由で、ずっと村に閉じこもっていた。

 もし孤児たちが攫われるようなことがなかったら、きっと村の外へ出ることもなく、そのまま生涯を過ごしていたのかもしれない。

 

「だから、わたしも心のどこかで『背中を押してくれる人』を求めていたのかもしれません。旅立つきっかけを優しく与えてくれたっていうフリーレンさんのことが、ちょっと気になっちゃって。……どんなエルフさんなんだろう?」

 

 最初に出会ったゼーリエが色々と規格外だったせいで、ティファニアの中ではすっかりエルフの基準が分からなくなっていた。

 だからこそ、そんな優しいエルフもいるのだと知って、嬉しそうに言葉を紡いでいる。

 

「どんな、ねえ……」

 

 ザインはとりあえず、フリーレンの『普段の姿』を思い返す。

 よく分からないガラクタに目を輝かせ、宝箱を見つければ嬉々として手を突っ込み、ミミックに齧られる。

 朝はなかなか起きず、放っておけば昼までぐーすか寝ている。

 そんなずぼらエルフの姿が、真っ先に脳裏へ浮かんだ。

 

「そんな大層な奴じゃねえよ。ガラクタ大好き、宝箱大好き、自由奔放なぐーたらエルフだ。……あれで魔王を討伐したパーティの一人だってんだから、おかしなもんだよな」

「魔王……? は、よく分からないけど……すごいメイジでもあるんですか?」

「ああ。まあ、魔法の腕は間違いなく本物だ」

 

 混沌花との一戦についても軽く話してやると、ティファニアは目を輝かせ、わくわくした様子でザインの話に聞き入った。

 

「本当に、ザインさんの話って面白いですね。旅をすれば、そんな未知の体験をたくさんするのかな……?」

「ま、大半はくだらねえって思えるような日常だけどな。……嬢ちゃんは、ガキ共を助けたらどうするつもりだ?」

「分からない。でも多分、また村に引きこもっちゃうかもしれない。……本当は、母の生まれた場所とか、行ってみたいんです。色んなところに行って、色んな景色を見てみたい。冒険してみたいって気持ちもあるんです。……でも、自信がなくて」

 

 そう言って、いつも逃げに回ってしまう。

 

 何かに一生懸命になることもなく、ただ同じような日々を繰り返す。

 慎ましく暮らしていければ、それでいい。

 そう自分に言い聞かせながらも、『未知』への興味を完全に捨てられたわけではない。

 

 外の世界への憧れは尽きない。

 けれど、いざ一歩を踏み出そうとすれば、理由や理屈を並べて逃げてしまう。それでも、そんな自分を変えたいと願う気持ちだけは、紛れもなく本物だった。

 

 そういう意味では、今のティファニアはある意味ザインと……もっと言うなら、ヒンメルに手を差し伸べられる前のフリーレンと、まったく同じなのであった。

 

「あの、ザインさん……」

「ん?」

「ザインさんも、お友達を探しているんですよね?」

「あぁ、まあな」

「…………」

 

 次に口にする言葉に、ティファニアは一瞬、戸惑いと躊躇いを覚えた。

 でも、もし叶うのなら…………これが、『きっかけ』になるのだと思えば……。

 

「あの、みんなを助けられて、あの家に帰れるってなったら、わたし……わたしも、その……」

 

 ティファニアの言葉の意味を察せられないほど、ザインは子供ではない。

 だからこそ、彼は黙ってしまった。

 自分がフリーレンのような『導き手』となるには……色々と荷が重いように感じてしまったのだ。

 

 いや、これ以上ない美人で、胸も大きい少女と一緒に旅をする……というのは、男として喜ぶべきことではあるし、そこに嬉しさを感じるのは否定しない。

 だが、男と少女の二人旅という絵面は、第三者から見て大丈夫なのだろうかとか、ザインはむしろそちらの方ばかり気にしてしまうのだ。

 

 ザインの好みは、あくまで「年上のお姉さん」である。

 どちらかといえばティファニアのことは、フェルンのような、年の離れた妹分に近い存在として見ていた。

 

「ま、まあ、とりあえず、ガキ共も嬢ちゃんのことを心配してるだろうし、まずは助け出してからゆっくり考えな」

 

 気持ちばかりを先走らせて、後で後悔しないように。

 ザインはさりげなく、ティファニアにそうフォローを入れた。

 

「あ、はい! そうですよね……!」

 

 ティファニアもそこで何度も頷き、同意を示す。

 さて、そんな風に歩いていると……。

 

 

「きゃああああっ!」

 

 

 森の奥深くから、悲鳴が聞こえてきた。

 ザインは密かに眉を顰める。ティファニアもビクッと身をすくませた。

 

(魔力が二つ……ね)

 

 かなり大きな魔力が、小さな魔力を追いかけているようだ。

 先ほどの悲鳴と照らし合わせれば、『強大な魔力を持つ何者かに、誰かが追われている』と考えるのが自然だろう。

 ザインはちらりと隣のハーフエルフを見る。

 彼女も〝魔力探知〟を身につけているらしく、どうやらザインと同じ結論に至ったようだ。

 その上で、二人は一瞬だけ迷った。

 放っておくか、それとも助けに入るか。

 

(……ま、ここまで来たら迷うようなことじゃねえよな)

 

 ザインはティファニアの目を見て、心の中で苦笑する。

 彼女の瞳が、「助けに行こう」と雄弁に訴えていたからだ。

 

 仕方ねえな、と。

 ハイター譲りの格好つけを少しばかり見せながら、ザインは悲鳴のした方へと向かった。

 

 

「こ、こないで……!!」

 

 

 魔力の反応を辿って先へ進むと、そこには巨大な怪物がいた。

 見たところ、トロール鬼か。

 そいつが二つ結びの少女を食らわんと、今まさに襲いかかっているところだった。

 

 ここまで必死に逃げ続けてきたのだろう。だが、それもとうとう限界を迎えたらしい。

 少女は大木の幹に背を預け、来るはずもない助けを必死に求めていた。

 

「だ、だれか助けて……パパぁ……!」

 

 少女、ベアトリス姫は涙を流し、身体を震わせる。

 相手は、人間社会の理など通じぬ亜人。

 中でもトロール鬼は、人間を叩き潰すことに悦びを見出す、危険極まりない種族だ。

 

 ベアトリスなど、その膝元ほどの背丈しかない。

 そんな巨躯の亜人は、血に塗れた棍棒をこれ見よがしに周囲の木々へと叩きつけていく。

 まるで己の膂力を誇示し、これから彼女がどうなるのかを見せつけるかのように。

 今から自分は、あの大木とも見紛う棍棒に、無様に叩き潰される。

 そう教え込むかのような、悪意に満ちた嬲り方だった。

 

 ベアトリス姫は頭を抱えて蹲る。

 杖はある。だが、精神力はとうに使い果たしていた。

 

 そもそも、これまで荒事はすべてお抱えの空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)に任せてきたのだ。

 自ら戦う経験など、あるはずもない。

 

 そうこうするうち、遂に遊びをやめたトロール鬼が、棍棒を大きく振り上げる。

 そして、そのままベアトリス目掛けて振り下ろした――――!

 

 

 その棍棒が、横合いから飛来した光の槍に撃ち抜かれ、粉々に砕け散った。

 

 

「おっと、そこまでだ化け物!」

 

 その声に、トロール鬼とベアトリスが一斉に振り向く。

 先ほどの光が飛んできた先。そこには、一人の見知らぬ男が立っていた。

 片手には一冊の本。そしてもう片方の手には、眩い光の魔力を滾らせている。

 

「〝捕縛の聖呪〟」

 

 次の瞬間、トロール鬼の足元に魔法陣が展開される。

 そこから現れた光の帯が、巨大な亜人の身体に絡みついた。

 

「動きを封じた! 今だ!」

 

 拘束魔法を使った男――ザインはそう言うと、隠れて様子を窺っていたティファニアに声をかける。

 ザインがトロール鬼を足止めし、その間にティファニアがベアトリスを救出する。それが即席で立てた作戦だ。

 

「あ、あの、大丈夫ですか!?」

 

 ティファニアはそう言って、ベアトリスを揺り起こす。

 一方、ベアトリスは助けに来てくれた少女を見て……すぐに、その長く伸びた両耳に気づいて叫んだ。

 

「ひっ! え、エルフ……!!」

 

 あろうことか、自分を助けようとしてくれたのはエルフだったのだ。

 どうして、こんなところにエルフが?

 それよりも、なぜ自分を助けようとするの? 自分がクルデンホルフ家の姫だから、身代金目的……?

 

 そんな疑念が次々と頭を巡り、ベアトリスはますます身を硬くする。

 一方のティファニアも、怖がらせてしまったことにショックを受け、その場で身体を硬直させてしまった。

 

「おい、何やってんだ! 早くその嬢ちゃん連れて逃げ……!」

 

 その場から動かない少女二人に叫ぶザインだったが、そこでさらに表情を険しくする。

 トロール鬼を縛る光の帯が、徐々に引きちぎられ始めていた。これ以上、奴を繋ぎ止めておくのも限界がきている。

 

(仕方ねえか……!)

 ザインはすぐさま『作戦』を切り替える。

「ティファニア! これ以上は無理だ!」

 

 そう告げるや、ザインも少女たちのもとへ走る。

 そのまま乱暴にベアトリスを担ぎ上げ、ティファニアと共にその場から逃げ出した。

 

 だが、その頃にはもう、トロール鬼は捕縛魔法を完全に引きちぎっていた。

 壊れた棍棒を投げ捨て、大股で逃げる三人を追いかける。

 

「ちょ、ちょっと! あいつ迫ってきてるわよ!」

 

 乱暴に担がれたことにも文句を言いたかったが、今はそれどころではない。

 未だ終わらない逃走劇に、ベアトリスは恐怖で叫ぶ。

 

「お前らが縮こまらずに逃げてくれてりゃ、本来ならとっくに逃げ切れてたんだよ! それぐらいの時間は稼げたってえのに!」

「な、なによあんた! 平民のくせに生意気ね!」

「それがお前の足になってくれてる恩人への態度か!?」

「ざ、ザインさん、ど、どうしましょう……!!」

 

 隣を走るティファニアも、息を切らしながらザインに尋ねる。

 さすがに歩幅が違いすぎる。この距離でトロール鬼から走って逃げ切るのは、ほぼ不可能に近い。

 トロール鬼は悠然とした足取りで、それでも着実にこちらとの距離を縮めてくる。

 あと数秒もすれば追いつかれるだろう。

 

「とにかく走れ! ティファニア、あそこまで逃げるぞ!」

 

 それを聞いたティファニアも、力強く頷く。

 ごうごうと唸る滝の音が、次第に大きくなっていく。

 その轟音に紛れるように、二人は草木を蹴散らしながら走り続けた。

 

「ここだ!」

 

 ザインはさらに速度を上げ、鬱蒼と茂る草木を突っ切る。

 やがて開けた場所へと飛び出し、遅れてティファニアも汗だくになりながらザインの隣まで駆け込んできた。

 

 それを見たトロール鬼は、とうとう人間どもが万策尽きて諦めたのだと思った。

 このまま、壊された棍棒の分までメタメタにしてやる。

 拳の骨を鳴らし、立ち尽くす三人へと近づこうとした。その瞬間……。

 

「今だティファニア! 〝防御解除〟!」

 

 ザインの言葉と共に、ティファニアは〝仕掛けていた防御魔法〟を()()する。

 次の瞬間、トロール鬼の足場が、覆い被さっていた草木と共に消失した。

 

(……念のため仕掛けておいた即席の罠が、役に立ったぜ)

 

 万が一の事態も考えて、あらかじめ打っておいた布石。

 最初から開いてあった、巨大な穴の上にティファニアが〝防御魔法〟を張り、さらにその上へ草木を散りばめて巧妙に隠した、即席の落とし穴だ。

 もし逃げ切れないとなった場合、これを使って仕留める。ベアトリスを助ける前から用意しておいた対抗手段だった。

 

 見事に罠へ引っかかったトロール鬼は、手足を必死にばたつかせる。しかし、掴めるものなど何もない。

 そのまま大陸の下まで通じる大穴へと落下していき――トロール鬼は、文字通りアルビオンから物理的に放逐された。

 

「……はぁ、疲れた」

「はぁ……はぁ……でも、ザインさんの作戦で助かりました……」

 

 命からがらトロール鬼の追跡から逃れたザイン達。

 ティファニアは息を切らし、額の汗を拭いながらも、無事に危機を脱することができたザインの機転を称賛した。

 

「一人で冒険してた時期もあったからな。そうしてると、これぐらいの策や機転は自然と思いつくようになるもんさ」

 

 ザインは懐から煙草を取り出し、火をつけて一服。

 二人の少女にかからないよう、顔を逸らして煙を吐き出す。

 

 とある船旅では、水を刃に変える、強大な魔族に船員を皆殺しにされ、自分もあわや殺されかけたことがあった。

 あの時も、機転と運でなんとか乗り切ったものだ。

 

 それに比べれば、今回の騒動はまだ可愛げがある方だ。

 まあ、もう一度同じ目に遭いたいかと聞かれれば、首を横に振らせてもらうが。

 

「へぇ……旅って、大変なのですね」

「まあな。一人だと色々限界を感じることもあるからなあ。でもまあ、ある意味気楽っちゃ気楽だがな」

 

 ザインはそう呟くと、煙草を指で軽く叩いて灰を落とす。

 

「んで、嬢ちゃんはなんなんだ?」

 

 そうして改めて、未だ動揺を引きずるベアトリスへと目を向けた。

 

「あの、大丈夫……ですか?」

「な、なんで……なんなのよ、あんたたち……」

 

 ベアトリスはしばらくかけて息を整え、それからザインとティファニア、二人の男女を交互に見た。

 

「どういうこと? どうしてエルフがこんなところにいるの? ……ってか、あんた、なに?」

「俺はザイン。こっちの嬢ちゃんはティファニアだ。連れ去られたっていう孤児を探してるところだ」

 

 未だ混乱している少女に自己紹介を求めても無理そうだと感じたザインは、先に自分たちの身の上を簡単に明かす。

 

「い、いや違うわよ! どうしてあんたが、エルフと一緒にいるのかを聞きたいのよ!」

 

 ベアトリスは立ち上がるなり、声を荒らげた。

 

(めんどくせぇ……)

 

 ザインは心の中でそう呟く。

 誰と一緒にいようがいいじゃねえか。そう言い返そうとも思ったが、やめておいた。

 どうやらこの土地では、こうした反応こそが『エルフに対する当たり前の態度』らしい。

 見れば、ティファニアは長い耳を隠すようにして、すっかり縮こまっている。

 ザインは「はぁ……」とため息をついてから、口を開いた。

 

「この地じゃ、エルフが魔族より怖がられてんのはよく分かった……。だがよ、この子は必死になってあんたを助けようとしてたんだ。俺は別に、あんたの悲鳴なんか無視してもよかった。でも、彼女が『助けよう』って、どうしても俺にせがむもんだからな」

 

 事実と違う言葉にティファニアは一瞬、「え?」と口を開きかけたが、ザインは人差し指を口元に当て、「しっ」と彼女の言葉を制する。

 

 

「あんたがどれだけエルフを嫌おうと構わねえが……あの時、自分からあんたを助けようと動いたティファニアの善意だけは、否定してやらねえでくれるか」

 

 

 ザインの言葉に、ベアトリスは「うぅ……」と小さく声を漏らす。

 

 ……このアルビオンに来てから、色々あり過ぎた。

 いきなり部下に化けた化け物に攫われ、アルビオンまで連れ去られて。

 命からがら逃げ出したと思えば、今度は見知らぬ森の中を一人で彷徨って。

 挙げ句の果てにはトロール鬼と遭遇し、あわや殺されかける。そんな地獄のような体験を経て、彼女は今ここにいる。

 

 正直、心の休まる瞬間など一度もなかった。

 ずっと、『未知』という恐怖と戦い続けていたのだ。

 

 その上で、今度はエルフに助けられるという、彼女にとっては理解し難い出来事まで起こった。

 ベアトリスはもう、何が正しくて何が間違っているのか、自分の中で整理すらできていなかった。

 

 ただ……それでも、ザインの言葉に思うところがあったのも事実。

 いや、むしろ彼のその言葉で、ようやく少しだけ冷静さを取り戻せたのだ。

 

「あ、あの……さっきは、あり、がとう……助けてくれて」

「い、いいの! 困った時はお互い様だもの!」

 

 ベアトリスは神妙な面持ちで頭を下げる。

 ティファニアはあわあわしながら、そんな彼女に頭を上げるよう促した。

 

「あんたも、その……ありがとう。……魔法も使えない平民のくせに、やるじゃないの」

「平民じゃなくて、これでも僧侶だ。それにさっきのを見て……いる暇はなかったよな。まあいい。女神様の魔法だって、多少なりとも使えるぜ」

 

 誤解を解くように、自分が僧侶であること、そして『魔法も使える』ことをザインは伝える。

 別におかしなことでもあるまい。

 当人はそう考えていたのだが……『魔法』そのものが権威と結びついているこの世界において、その言葉にベアトリスが大きく反応するのも無理からぬことだった。

 

 

「は? 僧侶……ってことは、あんた、ロマリアの坊主なの? しかも魔法を使えるって……じゃあ元は貴族ってこと? 出家したの? え? で、異教(エルフ)と一緒? えぇ??」

 

 

 この世界で僧侶といえば、一般的にはブリミル教に仕える神官を指す。

 ブリミルの魔法によって築かれたこの世界において、人間社会では始祖ブリミルこそが絶対的な信仰の対象だ。

 

 そして、そんな彼を『始祖』と崇める神官たちの総本山――『宗教庁』が置かれているのが、何を隠そうロマリアである。

 それゆえ、国力そのものは突出していなくとも、『大義名分』と宗教的権威を武器に、ハルケギニア全土へ大きな影響力を持っている。

 

 信仰と教会内での地位さえあれば、平民出身でも高位に昇ることはできる。

 一方で、その権威を笠に着て横柄に振る舞う神官も少なくない。そんな彼らを、内心では快く思っていない貴族も多かったりする。

 

 ……で、その『坊主』が、よりにもよってブリミル教が異教徒として敵視するエルフと一緒にいる。

 ベアトリスからすれば、もはや理解が追いつかない。

 

「あ、あんた……何者?」

「えぇ……僧侶としか言えねえんだが……」

 

 なんなら貴族ですらない。

 元を辿れば、ザインは一地方の村に生まれた、ただの村人である。

 

 そんなザインの素性など知る由もなく、ますます混乱するベアトリス。

 逆に、なぜそこまで混乱しているのか分からないザインとティファニアは、不思議そうに顔を見合わせるしかなかった。

 

 

 さて、森を抜ける頃には、すでに夕日が差し込み始める時間となっていた。

 ベアトリスの救出に時間を食ったこともあって、いつの間にかそれだけの時間が経っていたようだ。

 幸いにも街は見つけた。『アンソン』という街らしい。

 

「とりあえず、何か食い物でも恵んでもらおうぜ……」

 

 異世界にやってきても腹は減る。

 昨夜は畑の作物を少し頂戴して食べていたが、さすがに今回はきちんとした飯にありつきたい。

 そう思っていたのだが……。

 

「待ちなさい。エルフであるあの子と一緒に行ったら、すぐ追い出されるわよ」

 

 ベアトリスがザインの裾を引っ張り、忠告する。

 ティファニアは悲しそうな顔で俯き、目線を地面に落としていた。

 ザインはこの世界に来てから、何度目になるか分からないため息を漏らした後、

 

「まあ、とりあえず待っててくれ」

 と、二人に告げて一人で街へ入っていった。

 食料だけでも買い込めるか……と思って向かったのだが、先に結果を言うと、完全な「肩透かし」だった。

 

「まいった。この地域じゃ、俺が持ってる金は通じねえんだな」

 

 数分後、ザインは頭をかきながら戻ってきた。

 

「何やってんのよ」と、ベアトリス。

「なあ、お二人さんは金持ってねえの?」

 ティファニアはふるふると首を横に振る。

「あるわけないじゃない」ベアトリスも答える。

「いいわ。こうなったら、わたしの『クルデンホルフ大公国姫』としての威光で、あんたたちの食べ物もかき集めてきてあげる」

「……あんまり事を大きくするのはやめてくれよ」

 

 ふん、と胸を張るベアトリスに、ザインは釘を刺す。

 この少女が、トリステイン国(知らんけど)と縁の深いクルデンホルフ国(どっちみち知らんけど)のお姫様だと知ったのは、ついさっきのことだ。

 どうやら相当に偉い身分らしい。とはいえ、ザインからすれば偉そうな口を利くただの少女にしか見えない。そのご大層な肩書きが、どこまで通用するものなのかもさっぱりだった。

 面倒なことにならんと良いけどなあ……と、ザインがぼやいた時だった。

 

「あ、さっきのおじちゃん」

 そう言ってやってきたのは、パンをたくさん入れた籠を抱えた少女だった。

 

 

「……なんだかんだ言って、メシ貰えて助かったな」

 

 街から程よく離れた草原で、焚き火にあたりながら夜空を見上げるザイン。

 その隣には、パンの入っていた籠が置かれている。さっきの少女が渡してくれたものだ。

 

「腹すかせてる俺を不憫に思って、パン持ってきてくれたんだと。わざわざ俺を追っかけてきてくれてな」

「本当、助かりましたね。わたしの耳を見ても怖がらなかったし」

「まあまあの味ね。うん」

「贅沢者だなあ」

「悪くないって言ってるじゃないの」

 

 なんにせよ、現地人であるその少女と話したおかげで、今いる場所と、これから向かうべき場所がはっきりした。

 

「ティファニア、地図を広げてくれるか?」

「うん」

 

 目的地をもう一度確認するため、ザインはティファニアにそう頼んだ。

 言われた通り、ティファニアは自宅から持ってきていたアルビオン大陸の地図を、地面に広げる。

 

「そんで、さっきのぬいぐるみ」

 

 ティファニアは懐から、地図と同じく自宅から持ってきていたもの――ウエストウッド村で遊んでいた孤児が落とした、フェルトの剥がれたぬいぐるみを取り出し、ザインに渡す。

 

 ザインはしばらく、そのぬいぐるみに目を落とす。

 ティファニアもベアトリスも、何も言わずにじっとその様子を見つめていた。

 

「……間違いない。ここだな」

 

 地図に書かれた地名、『ダータルネス』を指して、ザインは確信を込めて呟く。

 

「あの、なんでそんなことが分かるんですか?」

 

 ティファニアは首を傾げて尋ねる。こうして地図とぬいぐるみを見比べても、彼女にはさっぱり分からない。

 

『何か、孤児に繋がるものとか無いか』

 

 ザインにそう尋ねられ、そういえば……と、ティファニアはこのぬいぐるみをお守り代わりに持ってきていたことを思い出し、彼に渡したのだ。

 それから数分後。

 ザインは突如、「孤児たちはダータルネスにいる」と断定した。

 

「簡単に言やあ、魔力の痕跡を辿ったってだけだ。推測だが、このぬいぐるみの一部を、その孤児の子もまだ持っている可能性が高い。そこから感じる朧げな位置と、今いる場所を照らし合わせると、この街が浮かび上がってくる」

「はえ……魔力の探知って、そんなことまでできるんですね……」

 

 自分よりも遥かに高精度な探知技術を見せつけられ、ティファニアはぽかんと口を開ける。

 

「いや……そんな技術、聞いたことないわよ。なによそれ、『ディテクト・マジック』なの?」

「『ディテクト・マジック』? いや、違うよ。これは女神様の魔法だ。見るのは初めてか?」

「は? 女神様? 始祖ブリミルじゃなく?」

 

 ベアトリスは言葉を失った。

 神とは形而上の存在。魔法が世の理を司る現世に、直接その力を及ぼすことなどあり得ない。

 なのにこいつは、臆面もなくこの力を「始祖とは別の神から与えられた力」だと言い始めたのだ。

 

「あ、あんた本当になんなの……? わたし、エルフよりもあんたの方が怖くなってきたんだけど……?」

 

 もしかしてこいつは、ブリミル教とはまた別の神を崇める異教徒なのだろうか?

 そんな人間がハルケギニアに何の用なのか? 何か、壮大な陰謀でも渦巻いているのではないだろうか……。

 こうなると『敵』とはいえ、多少なりとも存在を知っているエルフより、目の前の男の方がよほど得体が知れない。

 ベアトリスはザインに対し、別種の恐怖を覚え始めていた。

 

「女神様を知らねえとなると、面倒だな……」

 

 頭をポリポリとかきながら、ザインは説明に困ったような顔をする。

 少なくとも、俺自身は親友を探す旅をしている、ただの冒険者でしかないのだが。

 

「まあとりあえず、俺はこの魔法を使ってあんたら王族をどうこうしようとか、そんなことは全く考えてねえから。そこは安心してくれ」

「いや、そうは言うけど……うぅん……」

 

 エルフと、訳の分からない神を崇める教徒との三人旅。

 一体、どうしてこんなことになったのか。

 数日前の自分がこれを知ったら、嬉々としてエルフや異教徒に向かって「異端尋問よ!」などと、能天気に高笑いしていただろうに……。

 

「それよりも、ベアトリスの嬢ちゃんはこれからどうすんだ?」

「ふぇ?」

「俺達はこれからダータルネスに向かうつもりだが、嬢ちゃんはあのアンソンって街に残って、救援を待つか?」

 

 ザインの言葉に、ベアトリスは考え込む。

 助けてもらった恩をないがしろにするつもりはない。

 だが、これ以上こいつらと旅をするのは、どこか怖い。そんな思いも少なからず抱いている。

 あの街に留まって救援を待つか。それとも、アルビオン側に今回の件について説明を求めるか……。

 

 いや、今は何よりも早く家に帰りたい。

 

 ダータルネスは港町なのだから、事情を説明すれば船に乗って国へ帰れるかもしれない。

 今回の誘拐事件への不信感もある。これ以上、アルビオンに長居したくはなかった。

 

「い、いいわ。もうちょっとだけ、あんたたちの旅に付き合ってあげる!」

 

 ふん! と顔を朱に染め、そっぽを向くベアトリス。

 素直じゃねえな。と、ザインは大人の余裕で、ベアトリスのツンデレを受け流した。

 

「だったら早く寝な。朝早くには出るぜ」

「ねえ、こんな原っぱにわたしを寝かせる気? わたし、これでも大公姫なのよ?」

「あいにく、毛布も無いもんで。街に戻って寝かせてもらうか?」

「……いいわよ、面倒くさい」

 

 すでに野宿なら経験している。

 薄暗い森の中、右も左も分からない暗闇の中で、一人蹲って眠る恐怖。それに比べれば、今は随分と恵まれていると思えるもの。

 最終的にはそう自分を納得させ、ベアトリスは一足先に横になり、眠りについた。

 

(さて、俺もそろそろ寝ようかね)

 

 焚き火を消そうと、息を吹きかけようとして……その視界の先。

 ずっと両手を合わせて目を閉じ、祈りを捧げるティファニアの姿が、ザインの目に留まった。

 

「……何に祈ってるんだ?」

「みんなが、無事でありますように……って」

 

 切なる祈りを捧げ続けるティファニア。

 すぐには助けに行けないもどかしさ。助けに行ったところで、自分まで殺されるんじゃないかという恐怖。そんな負の感情に押し潰されないように、という意味もあるのだろう。

 

「そうだな。んじゃあ俺も、女神様に祈りを捧げるか。ティファニアの願いが無事届きますように、ってな」

 

 ザインも、ティファニアの祈りに同調するように両手を合わせ、黙祷する。

 その姿が気になったのか、ティファニアはふと尋ねた。

 

「あの、ザインさんが信じる〝女神様〟って、どんな方なんですか?」

「天地創造の女神様さ。神話の時代にのみ登場したとされる存在で、森羅万象に通ずる秘術を数多く残したとされている。まあ、存在そのものを信じてない奴もいるけどな」

 

 フリーレンも、女神の存在自体についてはかなり懐疑的だというし。

 

「だが、それでも女神様が残した魔法は本物だ。さっきの逆探知もそうだし、『未知』を解き明かすための術もたくさんあるからな」

「…………」

「気になるか?」

 

 ティファニアは、小さく頷いた。

 ザインは火を消すのをやめ、懐から一冊の聖典を取り出す。

 

「これは?」

「聖典だ。『資質』のある奴がこの本を持って魔力を練ると、女神の魔法が扱える。これは入門用だから難しいことは書いてないし、俺でも片手間に教えられるものが多い」

 

 試してみるか?

 ティファニアは、ザインが差し出した聖典を素直に受け取った。

 元々、閉鎖的な暮らしをしていたせいで、精霊や始祖といった信仰とは無縁に近い生活を送っていた。

 だからこそ、『そういう上位存在がいる』と言われても、強い偏見を抱くことなく受け入れられたのかもしれない。

 

 いや、むしろ――。

 

(精霊も、始祖も……今のわたしを決して助けてはくれないわ。わたしは『混じりもの』だから……)

 

 でも……。

 

「女神様は、『混じりもの』のわたしでも、受け入れてくれるのかしら……?」

「大丈夫さ。子供たちを助けようと頑張ってるティファニアを、女神様は決して見捨てやしないさ」

 

 ザインにそう言われ、ティファニアは聖典を大切そうに両手で抱きしめた。

 そして、ゆっくりと書物を開く。

 当然ながら、そこに何が書かれているのか、ティファニアには分からない。見たこともない異世界の文字が、紙面を埋め尽くしている。

 だが、それを見つめて数秒後――ティファニアの手が、淡い光を放ち始めた。

 やがて彼女はぽつりと、読めるはずのない文字を読んで、こう呟いた。

 

 

「天地の楽園の章……〝目覚めの解呪〟?」

 

 

 それを聞いたザインは、一瞬、目を丸くする。

 そして次第に、「……マジか」と、呆然と呟いた。

 

(聖典持って数秒でもう魔法の解読って……)

 

 どうやら彼女の切なる祈りは、本当に女神様へ届いていたらしい。

 ザインは苦笑しながら、〝女神の魔法〟という、新たな力に目覚めたティファニアを見つめるのだった。

 




てぃふぁにあは、まほうつかいから、そうりょにジョブチェンジした!▼

それにしてもこの僧侶、ティファニアの好感度上げるような行動しかしねえな!
割とファーストコンタクトがすんなり書けたのって、ある種ティファニアとザインって、『外の世界に未練がある』って点で、似通うところはあったというのはありますね。

……だから初対面が村に出る前のティファニアだった場合、フリーレンは同族嫌悪をティファニアに抱いた可能性が微レ存。
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