◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その後。
ザイン、ティファニア、ベアトリスは紆余曲折ありながらも、なんとか『ダータルネス』と呼ばれる、アルビオンでも特に大きいとされる港町へとやってきた。
「さて、なんとかダータルネスにたどり着いたわけだが……」
当たり前だが、ダータルネスは気軽に人間が往来できる場所ではなくなっていたようだ。
ザイン達は今、港町全体を程よく見渡せる場所に身を潜め、遠巻きに街の様子を窺っていた。
「ねえ、いつまでここにいるつもりなの? 早く街に行きましょうよ」
当然、何のことだか分からないベアトリスは、街から死角になる場所に隠れているザインを軽く小突く。
「……ティファニア、お前は『あれ』が見えているか?」
「薄っすらと……何となく、ですけど」
「よし、流石だな。やっぱりティファニアは僧侶としての才があるな」
ザインはティファニアを褒めた。
褒められたティファニアは嬉しそうにはにかむ。だが当然、置いてけぼりのベアトリスは面白くない。
「だ、か、ら! 何があるのか説明しなさいっての!」
喚くベアトリス。
ザインはやれやれと首を振りながら、彼女の頭に手を乗せた。
「ちょ、何するのよ?」
「状況説明なんだから、不敬とか言わないでくれよ。――――〝女神の心眼〟」
すると、ザインの手が光り始め、ベアトリスの頭を優しく照らしていく。
「〝呪い〟を視覚で判別できるようになる魔法だ。ほれ、それでもう一回、あの街を見てみろ」
ザインに言われた通り、もう一度街の方を見るベアトリス。
今度は彼女の目にも、ザイン達が何を見ているのかが、はっきりと分かった。
「な、なに……あの立ち上る黒い靄みたいなのは……?」
「〝呪い〟……魔族の魔法を視覚的に表したものだ。あの街はすでに魔族の手に落ちていると言っても過言じゃねえな」
「ま、まぞく……? なんなのよそれ? 何の話をしているの?」
また訳の分からない言葉が出てきたことで、ベアトリスはさらに混乱した。
「……ここら一帯には魔族もいねえのか」と、どこか羨ましそうな声を漏らした後、ザインは説明する。
「そういう人食いの化け物がいるんだよ。やつらは人の言葉を話し、人と同じ姿かたちをしているが、根っこの部分はそこいらの魔物と何ら変わらねえ。昨日遭ったトロール鬼が、人間と同じ大きさで、同じ言葉を話すようになっただけで、気性はあのまま……といえば何となく伝わるか?」
トロール鬼を例に出されたことで、何となくイメージできたのか、ベアトリスは頭の中でその姿を思い描く。
一方のティファニアは世間に疎く、「ザインさんが言うなら、そういう存在もいるのだろう」と素直に受け取っていた。
「んで、そいつらの中には、人類には解除できない魔法を使うやつもいてな。それらの分析や解呪を担うのが、〝女神の魔法を受け継ぐ僧侶〟……つまり俺のことだ」
「じゃあ、ザインさんなら、あの黒い靄も何とかできるってことですか?」
「まあ……な。ただ、街一つを〝呪い〟で覆うレベルの魔法は初めて見た。あれは大魔族クラスかもしれねえ。考えなしに突っ込めば、戦闘手段に乏しい俺らじゃ対抗できないだろう」
こういう時、フリーレン、フェルン、シュタルクの三人が恋しく思える。
彼女たちがいれば、ここで二の足を踏むこともなかっただろう。
とりあえず、何も考えずにあの街へ足を踏み入れるのは絶対にやめた方がいい。僧侶として、そして冒険者としての勘が、ザインにそう告げているのだ。
「てなわけで、少し様子を見よう。すぐ街に行きたい気持ちは分かるが……あれはちょっと、やべえかもしれない」
ちょうど昼時ということもあって、三人とも程よく小腹が空いている。
近くには魚が泳ぐ川も流れている。魚でも捕って一服してから、あの街に潜り込む算段を考えた方がいいだろう。
「とりあえず飯にしよう。俺が適当に魚捕ってくるから、嬢ちゃんたちはここで待っててくれ」
そう言って、ザインは川辺の方へと向かっていく。
ティファニアは素直に「そうですね……」と頷くと、ザインの手助けを始めた。
「……なによ、魔族って。なによ、呪いって……。港はすぐそこなのよ……?」
ベアトリスだけが、納得できなさそうに拳を握りしめていた。
そしてもう一度、ごしごしと目をこすって街を見る。どうやら先ほどザインが施した魔法は時間制限で消えるらしく、今はもう黒い靄が全然見えない。
……適当なことを言って、わたしを騙しているんじゃないかしら?
なまじ本物をまだ見ていないからこそ湧き上がる疑問。この時点でザインは『無茶苦茶怪しい別宗教の坊主』なのである。
これ以上アイツに関わることの方が、問題なんじゃないだろうか……。
(そりゃあ、ピンチを助けてくれたから、悪い奴じゃないんでしょうけど……)
それでも、早く家に帰りたい。この空の大陸を脱したい。
そんな思いが暴走するのに、そう時間はかからなかった。
「よっ……と」
「おぉ、上手いなティファニア」
「ええ、ウエストウッド村にいた頃は、子供たちと一緒に、こうして川で魚を捕ることもありましたから」
少し離れたところまで魚を捕りに来ていたザインは、手伝いとして付き合ってくれたティファニアと一緒に川瀬に立っていた。
二人は浅瀬に入り、岩陰へ逃げ込んだ魚を追い込みながら、素手で捕まえていた。
ザインはともかく、村で何度も経験しているティファニアの手際は妙にいい。
「ティファニアは、その村の生まれなのか?」
「…………」
「わりぃ、不躾な質問だったか?」
生まれを問うと、ティファニアは悲しげな顔をして固まってしまった。
ザインは慌てて話題を変えようとするが、ティファニアは「いいの」と言って、ぽつぽつと身の上を話し始める。
「わたし……、わたしの母がエルフなんだけど、父は人間の……アルビオン王の弟、いわゆる『大公』って立場の人だったらしいの」
「大公……って、え!? じゃあティファニアも姫様なのか!?」
あまりに衝撃的な内容に、ザインは思わず胸元まで持ち上げていた魚を手放してしまった。
魚は飛び跳ねながら、逃がしてくれたザインの顔に水をかけ、そのまま川へと逃げていった。
「あ、うん。ベアトリスさんの御実家がどうなのかは分からないけど……でも、父は『サウスゴータ』っていう土地と、王家の財宝の管理を任されるほどの偉い人だったとは聞いていたわ」
「王家の財宝を管理できるって、ちょっとやそっとの地位じゃ任せられねえだろ……」
やべえ……どうやら俺は、知らず知らずのうちにとんでもない御貴族様と旅をしていたらしい。
大丈夫だよな? タメ口めっちゃ利いたけど、後で処刑とか言われねえよな? 勇者ヒンメルですら例外じゃなかったらしいし……。
ちょっとナイーブになりかけていたザインに、ティファニアは慌てて声をかける。
「あ、大丈夫よ。今のわたしは王様の地位とか、そういうものとは全然関係がないから……普段通り接してくれた方が、わたしも気兼ねしないで済むわ」
「そうだよな……王家の財宝の管理まで任される貴族の娘が、村で孤児たちと暮らしてるってのも妙な話だし」
ザインは大人である。
この会話だけで、ティファニアの身の上をある程度察した。
(エルフが忌み嫌われるこの土地で、その血を継ぐ娘。父親は大公で、そんな娘が孤児たちとひっそり、人知れぬ村で暮らしている……ってことは……)
「わたしの母は、その大公の『お妾さん』……だったの」
ザインの推理に、ティファニアは答え合わせをするように言った。
やっぱりな……。
ザインは濡れた手で自分の頭を撫でつける。
望まれた生まれじゃないと、度々彼女が自嘲していた意味が、ようやく分かったのだ。
魚を捕り終えるまでの何気ない話題のつもりだったのに、とんでもない地雷を踏み抜いてしまったことを後悔する。
「……あまり話したくないなら、言わなくていいぜ。俺が悪かった」
「ううん、ザインさんなら……いえ、ザインさんだからこそ、話しておきたかったの。どうせ黙っていても、いつか分かっちゃうだろうから」
むしろティファニアの方が、一度話し始めると止まらなくなってしまった。
ザインは困ったような顔をなるべく彼女に見せないようにしながら、魚を捕りつつ、立ち尽くすティファニアの話に耳を傾ける。
「母と父が、どういう経緯で知り合ったのかは、わたしには分からない。でも、このハルケギニアでエルフのことを快く思う人がいない以上、何か複雑な事情があったことは間違いないと思う」
「まあなあ。ベアトリスの反応を見れば、なんとなく分かる」
「うん……それでも、ベアトリスさんはまだ全然優しい方だと思うの。最終的にはわたしを受け入れてくれたし。でも……わたしでさえそうなんだから、母は本当の意味で日陰者だった。今でも薄っすらと覚えているわ。屋敷の中で父の帰りを待つ、母の背中を」
ザインはずっと聞き手に回っていた。
特に何も言わず、今はただティファニアの語りに耳を傾ける。
「そうして、生まれた時は父が用意してくれた屋敷で、母と二人で過ごしていたの。でも、四年前に……」
ここで、ティファニアは頭を抱えて蹲った。
「おい、ティファニア?」
「……ごめんなさい。何かあったのは確かなんだけど、なぜか、何があったのか思い出せなくて……」
もう魚を捕っている場合じゃなさそうだな。
ザインは蹲るティファニアを川から連れ出し、彼女に治癒の光を浴びせた。
(彼女にかけられている〝呪い〟と、何か関係があるのかね? この記憶の欠落具合は……)
とりあえず、今彼女にかけた治癒は、精神を安定させる類のものだ。
激しく動悸を乱していたティファニアだったが、ザインの魔法のおかげで、次第に息遣いを落ち着かせていく。
「今はとりあえず、ティファニアの大事な孤児たちを助けることに集中しようぜ」
「……はい、ごめんなさい」
「謝ることじゃねえさ。苦しかったから吐き出したかったんだろ? 特にティファニアはずっと一人だったわけだしな。それを受け止められるのは、今のところエルフを怖がらない俺くらいしかいなかった。だから話した。そうだろ?」
ザインがそう言うと、ティファニアは頬を赤らめながら、小さく頷いた。
今まで溜め込んできたモヤモヤを吐き出せる相手が、ザインしかいなかったのである。だからこそ、気づけば勢いに任せて話してしまったのだろう。
「俺はこのまま魚捕ってるから、ティファニアは火でも起こしておいてくれ。ベアトリスがそろそろ何か言い出す頃だろうからな」
「はい。あの……」
「なんだ?」
「話、聞いてくれて、ありがとうございます。ちょっと、気持ちが楽になりました」
「いいってことよ。話すだけで楽になるんだったら、遠慮せず吐き出しゃいいさ」
子供には、心の支えとなる大人の存在が必要だ。きっとハイター様も、こんな感じでいろんなことを諫めてきたんだろうな。
そんなことを思いながら、ザインは再び川瀬へと入り、魚捕りに集中するのだった。
さて、先にベアトリスの元へと戻ったティファニアはというと……。
「あれ、ベアトリス……さん?」
そう、いつの間にか待っていたはずのベアトリスが、忽然と姿を消していたのであった。
「まさか……」
すぐに彼女がどこへ行ったのか察したティファニアは、青ざめた顔で、黒い靄の渦巻くダータルネスの方へと目を向けた。
胸騒ぎがする。
四年前、自分を襲った悲劇の時と同じような、嫌な予感。
外れてほしいとは思いつつも、こういう時の嫌な予感は、外れたためしがない。
「ザインさん……!」
呼びかけようとして、やめた。彼は今、川で魚を捕っている。呼びに戻ったら間に合わないかもしれない。
ティファニアは唇を噛む。
出会ってから、まだそれほど日は経っていない。それでも、一緒に旅をして、言葉を交わして、少しずつベアトリスのことを知った。
そんな彼女が危険な場所へ向かったと分かっていて、放っておくことなんてできない。
「……止めなきゃ」
意を決し、ティファニアもまた街へと向かって走り出した。
同時刻、ダータルネス。
ダータルネスの港は、異様な光景だった。街が、静かすぎたのだ。
港町特有の喧騒も、船員たちの怒号も、酒場の笑い声も聞こえない。それなのに、人の姿だけは確かに見える。
整然と歩く兵士たち。
規則正しく巡回する鎧姿の騎士。
そして……港湾施設のあちこちで、ぎこちなく動く人型の影。
(人形……?)
港町の入り口付近、その死角に隠れていたベアトリスは、違和感の正体に疑問符を浮かべる。
動きが不自然だ。生き物のそれじゃない。
どうやら
その動きは、ほとんど人間と見間違えるほどに精巧だ。これを動かしているメイジは、一体どれほど高位の者なのだろうか。
その人形たちに紛れて、騎士たちが歩いている。
だが――目が、虚ろだった。瞳に光がない。
さすがに、この状況で馬鹿正直に「船を動かしてください」と頼んだところで、捕らえられるのがオチだ。そこまでベアトリスも馬鹿ではない。
むしろ、こうして実際に近づいてみたことで、この街の異様さがより鮮明になったような気がしたのだ。
(……やっぱり、あの坊主の言ってたこと、本当だったのかしら)
胸の奥に、嫌な予感が渦巻く。
だが、それ以上に強かったのは――焦りだった。
(早く、ここを出なきゃ)
港が使えるうちに。船がまだ動かせるうちに。この空の大陸から、アルビオンから、一刻も早く逃げ出したい。
だが、そんなベアトリスの焦りとは裏腹に、埠頭は不気味なほど静まり返っていた。
何隻もの船が岸壁に繋がれているというのに、出航する気配はない。
甲板に船員の姿はなく、帆は畳まれたまま。揺られる船体だけが、軋む音を立てている。
港はある。船もある。
なのに、この船を動かそうと動くものだけが、どこにもいない。不気味なほど静寂だ。
(や、やっぱり一旦逃げよう……)
急に恐怖がこみ上げてきた。一人で来るべきじゃなかったと、心の中でベアトリスは首を横に振る。
そうして振り返ろうとした、その時――。
(ベアトリスさん!)
(ひゃあっ! あ、あんたいたの!?)
背後から突然声をかけられ、ビクッと身体をのけぞらせるベアトリス。心臓が飛び出るかと思った……。涙目になりながら、ティファニアを睨みつける。
(まったく、驚かすんじゃないわよ!)
(ごめんなさい。でも、急にいなくなって、わたしも驚いたんですから!)
(……それに関しては悪かったわ)
状況が状況なので、ベアトリスは素直に謝った。
(てかあんた、どうしてここが分かったの? 杖が無いから魔法は使えないんじゃないの? 先住魔法?)
(わたしもよく分からないんですけど、これは〝魔力探知〟っていって……魔力源を広範囲にわたって探知できるみたいなんです)
だからこそ、茂みの中に隠れていたベアトリスをすぐに見つけることができたのだ。
(なによそれ……杖も無しに、詠唱せず使える魔法が『先住魔法』って聞いたけど、違うの?)
(でも、精霊? とか、詠唱とかも無しに使えますし……。これは最近、とある方に教えてもらった魔法なんです)
まあ、その人もエルフなんだけど。
ティファニアは内心でひとりごちる。
というか、結局のところティファニア自身、自分の扱う魔法が系統魔法なのか先住魔法なのか、それすらよく分かっていないのが実情だった。
だから深く魔法について問われたところで、答えようがないのだ。
……って、そんなことを言ってる場合じゃない。
早くここから逃げないと……。そう思った、その時だった。
「整列! 並べ!」
茂みの奥から、鋭い声が聞こえてくる。
石造りの建物から、人々がぞろぞろと姿を現し始めた。服装からして平民が多いが、中には貴族らしき装いの者もいる。
そして、その中には子供たちの姿もあった。
彼らを見た瞬間、今度はティファニアが硬直する。
(え、エマ! サム、ジム、ジャック、サマンサ! みんな、やっぱりここにいたのね!!)
そう、ティファニアがずっと探していた子供たちだったのだ。彼らは奴隷のように鎖で繋がれながら、広場へと集められていく。
そんな彼らを取り囲むのは、この港を支配する
槍や杖をちらつかせながら人々を威圧し、広場の中央へと整列させていく。
そして、その中心に立つのは、両目の周囲に大きな火傷痕を残す屈強な男だった。
白髪と顔に刻まれた皺から、歳は四十を越えているように見える。だが、鍛え抜かれた肉体からは年齢を感じさせず、歴戦の戦士を思わせる風貌を漂わせていた。
「フン、こいつらが『洗脳候補』の連中なのか?」
男は整列させられた人々を、白く濁った眼球で見渡しながら言った。
「なんだ、平民どころか子供もいるではないか。こんな連中が本当に『魔法の素質』とやらを持っているものなのか?」
「せ、洗脳ってなんだ! きさまら、い、一体何をしようとしている!?」
ボロボロの格好ながらも、この中では比較的小綺麗な身なりの男が叫ぶ。どうやら
だが、火傷の男はメイスのような大振りの杖を振るい、口答えした男を容赦なくぶん殴った。
「ぐべあっ!?」
血と共に数本の歯を飛ばしながら、男は地面へと倒れ込む。
子供たちは泣き顔を浮かべ、悲鳴を上げた。
「静かにしろ。消し炭にされたいか?」
ドスの利いた声に、周囲はしん……と静まり返る。泣いていた子供たちも、本能的な恐怖から口を噤んだ。
口答えしたが最後、本当に殺される。誰もがそう理解したのだ。
(みんな……)
(あの子たちが、あんたが助けたがってた子たちなの?)
(うん……)
逃げることも忘れ、ティファニアとベアトリスは固唾を呑んで、その光景を見つめていた。
「光栄に思うがいい! お前たちは『選ばれた』のだ! このアルビオンを真の意味で支配する女王、アウラ様にな!」
やがて、火傷の男は広場に並ばされた人々全員に聞こえる声量で叫んだ。
「オレには正直よく分からんが、お前たちは『魔法の力』の潜在性が特に高いのだという! その素質を開花させ、その力をアウラ様への忠誠のために使うと誓え! そうすれば『首を落とさずに扱ってやる』とのことだ!!」
正直、火傷の男が何を言っているのか。アウラとは誰なのか。アルビオンの女王とは何なのか。
捕らえられた人々には、さっぱり分からない。
だが、「逆らえば死ぬ」ということだけは、嫌でも理解できた。
「ま、魔法の素質? なんだそれは……。私はメイジだぞ? 魔法なんて使えて当たり前……」
「まほう? わたしたちもつかえるの? 貴族じゃないのに……平民なのに……?」
ただ、平民もいる中で
捕らえられた人々は、困惑しながら口々に呟き始める。
この中にいるのは、平民が大半だ。それなのに『魔法の素質が高い』とは、一体どういうことなのか。
再びざわめき始めた彼らを黙らせたのは、火傷の男が持つメイス状の杖だった。
ズドンッ! と轟音と共に杖が地面へ叩きつけられ、石畳に亀裂が走る。その一撃だけで、広場は再び水を打ったように静まり返った。
「そういうわけだ。あと数分もすれば、アウラ様がここへやってくる。それまでお前たちは、大人しくしているがいい」
そう言うと、火傷の男は大仰な杖を肩に担ぎ、その威圧感だけで周囲を黙らせる。
周りにいた魔法人形や騎士たちも、手にした武器をこれ見よがしにちらつかせ始めた。当然、この状況で抗おうなどという気概を持つ者など、いるはずもない。
彼らはただ震えながら、死ぬこと以上の恐怖が降りかかってこないよう、祈るしかなかった。
(……みんな!)
茂みの奥からその様子を見ていたティファニアも、ただ震えることしかできなかった。
本音を言えば、今すぐにでも助けに行きたい。でも、その一歩を踏み出す勇気がない……。
どうしよう、どうしようと、震えながら考えることしかできない。
これまで、まともな戦いなどほとんど経験してこなかったのだから。
『お前がもう少し魔法を極めて、その域にまでたどり着けていれば、あのような木偶の群れ如きにやられることもなかったろう?』
『だからお前はボンクラだというんだ。ティファニア・オブ・モード。大公の娘』
ゼーリエの言葉が脳裏をよぎる。
今になって、彼女の言葉が痛いほど理解できた。もし自分が、もう少し魔法の研鑽に励んでいたら……。もっと真剣に、自分の力と向き合っていたら……。
だが、だからといって今ここで飛び出し、隣にいるベアトリスまで危険にさらすほど、理性を失ってはいなかった。
(べ、ベアトリスさん。一度ここを離れて、ザインさんに知らせましょう!)
とにかくザインを呼ぶ。その上で作戦を立て、なんとか捕まっている皆を救出する。今のティファニアには、それ以外の方法が思い浮かばなかった。
ベアトリスにそう告げ、二人でその場から離れようとした――その時だった。
「おっと。ここから離れることを許可した覚えはないぞ。茂みに隠れているお二人さん」
火傷の男の言葉を聞いた瞬間、ぞわりと背筋が凍りついた。
冷たい汗が、一気に全身から噴き出す。恐怖で身体がすくみ上がり、手足の震えが止まらなくなる。
「オレには初めから分かっていたぞ。お前たちがコソコソ隠れて、覗き見していたことくらいなぁ」
火傷の男が、杖の先端を茂みへと向ける。
それを合図に、騎士たちの何人かが杖や武器を構え、ティファニアたちの隠れている場所へと近づいていく。
「三秒以内に出てこい。三……」
(ど、どどど、どうしよう!?)
「二……」
(ど、どうしようって言われても……!)
「一……撃て」
「一」の時点で、容赦なく攻撃命令が下された。
周囲の騎士たちもそれに従い、一斉に銃や杖を構える。次の瞬間、銃弾と魔法が、暴風のように茂みへと殺到した。
木々が弾け、枝葉が吹き飛び、土煙が辺り一面に巻き上がる。
そして、しばらくして――。
「ほう……あれを防ぐとはな」
火傷の男が、にやりと笑みを浮かべる。土煙の向こう。果たして、二人は無事だった。
ティファニアが咄嗟に展開した〝防御魔法〟。幾重にも連なった六角形の障壁が、先ほどの集中攻撃を完全に遮断していたのだ。
〝魔力探知〟と同じく、ゼーリエから教わった魔法の一つだった。
「だ、大丈夫ですか……?」
「え、ええ……」
ティファニアの隣では、ベアトリスが完全に腰を抜かしていた。
攻撃が殺到した瞬間、正直、死んだとさえ思った。それでもこうして生きているのは、間違いなくティファニアのおかげだった。
だが、窮地を脱したわけではない。
むしろ、二人がここにいることを完全に知られてしまった今、状況は先ほどよりも悪化していた。
「面白い魔法を使うなあ。四大系統の盾魔法じゃない……かといって、コモン・マジックでもないだろう? そもそも杖も無しに魔法を行使するとは。となると、『先住魔法』か?」
火傷の男は首を傾げながら、ティファニアの魔法盾を分析する。
「ティファニアお姉ちゃん!」と、彼女の姿に気づいた子供たちが、一斉に叫んだ。
「ま、待っててね、みんな! 今、助けに……!」
そこまでティファニアが言いかけた時だった。突如、彼女の展開する盾めがけて、巨大な火球が飛来する。
「――っ!」
轟音と共に爆炎が弾ける。だが、火球は盾の眼前で阻まれ、そのまま四散した。
「なるほど、硬いな。……だが、無敵の盾というわけではないのだろう?」
さらに杖先から炎の魔弾を放ちながら、男は笑みを深める。事実、ティファニアの展開する魔法盾には、すでに幾筋もの罅が走っていた。これ以上の攻撃を防ぎ切れる自信はない。
「なら、
そう言って火傷の男が目を向けたのは、隣に控えていた一人の騎士だった。
金色の鎧兜を身に纏い、その手には大槍を思わせる巨大な杖を携えている。
「なあ、『雷槍』ドライグ殿? あんたの
すると、金色の騎士――ドライグは、ぎこちなく震える腕で大槍の穂先をティファニアへと向けた。
その頭上に、黒雲が渦巻き始める。
バチッ、バチバチッ――と紫電が迸り、周囲の空気が震えた。
(ど、どうしよう……!)
ティファニアの身体もまた、恐怖で震える。
今のひび割れた〝防御魔法〟では、あの攻撃までは防ぎ切れない。
かといって、腰を抜かして動けないベアトリスを置いて、自分だけ逃げることもできない。
そうこうしているうちに、敵は先に魔法の発動準備を整えてしまった。
「お逃げ……下され。ティファニア、お嬢……さま」
「……え?」
途切れ途切れに紡がれた言葉。ドライグはそう呟きながら、大槍の先端に膨大な紫電を収束させていく。
ティファニアは思わず、固く目を瞑った。
「――――〝女神の三槍〟!」
次の瞬間だった。
上空から三本の光槍が、凄まじい勢いで戦場へと降り注いだ。
「――ぬっ!」
火傷の男は咄嗟に火魔法を放ち、その一本を迎撃する。
一槍は業火と激突し、空中で爆散。もう一槍は火傷の男を追尾するように軌道を変え、そのまま上空へと駆け抜けていく。
そして最後の一槍が、これから雷撃を放とうとしていたドライグの足元へと突き刺さった。
着弾、そして爆発。地面が大きくめくれ上がり、ドライグの身体がぐらりと傾く。
集中が途切れたことで、頭上に形成されていた雷雲も霧散していった。
「……ったく、先走りやがって。大丈夫か?」
「……ザインさん!」
聞き覚えのある声に、ティファニアは弾かれたように顔を上げた。
そこには、間に合ったと言わんばかりに立つ、僧侶ザインの姿だった。
絶望に染まりかけていたティファニアの表情が、一瞬にして明るくなる。
「フン、もう一人、オレ達に反抗する命知らずがいたか」
ここで動いたのは、この場を仕切るように振る舞う火傷の大男だった。歴戦の風格を漂わせながら杖を構え、ザインの前へと立ちはだかる。
一方、ザインは魔法盾を展開しているティファニアに向かって言った。
「ティファニア、もう大丈夫だ。後は俺がやる」
「はい……ありがとうございます」
ティファニアがほっと一息つくと同時に、展開していた魔法盾が消える。
すでに罅だらけだったため、どのみちこれ以上の攻撃を防ぎ切ることは難しかっただろう。
「……あんたがこの港を仕切ってるのか」
「ああ、そうだと言ったら?」
「分かってんのか? あんた、魔族にいいように使われてるんだぜ?」
ザインは周囲の魔法人形や、操られている人々を見渡しながら口を開く。
この連中は間違いなく、魔族の〝呪い〟によって無理やり従わされている。
だが、こいつ――火傷の男だけは何故か違う。
周囲の連中なら、「無理やり操られている」で説明がつく。しかし、この男からは呪いの気配がまるで感じられない。
何故、これほどの規模で人間を操る魔族が、こいつだけを支配下に置いていないのか。
ザインには理解できなかった。
「魔族は人食いの化け物だ。奴らにとって、人間なんて餌以外の何物でもねえ。あんたと魔族にどういう関係があるのかは知らねえが……悪いことは言わねえ。やめとけ」
魔族の言葉は、分かり合うためではなく、人を欺くためにある。
何千年もの間、魔族と争い続けてきた世界の人間だからこそ、ザインは老婆心ながら忠告した。
どんな利益を提示されたのかは知らない。だが、最後には必ず碌な目に遭わない――と。
しかし、それを聞いた火傷の男は「くっくっくっ……」と、喉の奥で笑った。
「お前も勘違いしているクチか。別にオレは、
「アウラ、だと……!!」
まさかの大魔族の名が出てきたことで、ザインは大きく顔を歪めた。
(アウラって……七崩賢の!? 大魔族の名前じゃねえか。なんでこの地にいるんだ!?)
「オレはただ、人を焼ければそれでいい」
火傷の男は、気が触れたように大口を開けて笑った。
「……あんたも、まともな人間じゃないらしいな」
魔族に従うことを良しとする人間だ。
まともな精神をしているとは思っていなかったが……ここまでぶっ飛んだ人間は、ザインも初めて見た。
「まあ、よく言われるよ。ガキの頃には、飼っていた鳥を意味もなく焼き殺して食ったことがある。家を出る時には、家族ごと屋敷を燃やしたこともあった。あの光景は今でも目に焼き付いているものさ」
「…………」
「オレが奴に従う理由は、ただ一つ。『そっちについた方が、人を燃やせるからだ』。そのためなら、上司が魔族だろうが、人食いだろうが、些細な問題にすぎん」
「よく喋るな。そんなに人が嫌いなのか?」
「まさか。大好きさ。好きだから焼くんだ」
火傷の男は、愉悦に満ちた笑みをさらに深める。
「人間が焼けていく音。肉の焦げる臭い。喉まで焼かれて、言葉にもならない声を絞り出す瞬間……。それを聞くのが、何よりも好きなんだ」
火傷の男は喉を鳴らし、大きく身体をのけぞらせる。
そこに浮かぶのは、人を殺すことに何の躊躇も感じていない、狂気に満ちた笑みだった。
(そりゃあ、こんな奴だったら、魔族側だの人間側だのなんて関係ねえわな)
魔族のような人間。
ザインは、火傷の男をそう位置付けた。
「名乗るのがまだだったな。オレは『白炎』のメンヌヴィル。人を燃やしたくて流離う傭兵よ」
火傷の男、メンヌヴィルはそう言うと、杖を振り回し、周囲に火の粉を舞い散らせる。
「お前らはオレに歯向かった。よって、オレの放つ炎の糧になってもらう。異存はないな?」
「大ありだ、馬鹿野郎」
ザインは冷や汗を垂らしながら、聖典を開く。
本音を言えば、すぐにでも逃げたい。だが、この状況ではそうもいかない。
それに、ティファニアやベアトリスもいる。もう戦いは避けられそうになかった。
「ザインさん……」
「いいから、俺に任せておけ」
冷や汗を拭いながらも、ザインはティファニアに格好をつけるように言った。
「〝僧侶〟の戦いってやつを、見せてやるよ」
それを聞いたメンヌヴィルは、戦闘開始の合図と受け取ったのだろう。酷薄な笑みを浮かべ、杖先に纏わせた炎をさらに激しく燃え上がらせた。
メンヌヴィルが杖を振るうと同時に、周囲に纏っていた炎が巨大な火球へと変貌する。
それを一気にザインたちへと撃ち放った。
「なめんなっ!」
ザインは〝防御魔法〟を展開する。
これは〝
もっとも、〝
だが、ここは魔族どころか女神の存在すら知られていない、遥か遠い土地。ザインは、相手がその魔法を知らない方へ賭けたのだ。
聖なる光で作られた盾へ、巨大な火球が激突する。爆炎が弾け、激しい衝撃が周囲へと走った。
「……ちぃ」
メンヌヴィルは舌打ちし、僅かに動きを止める。
ザインはにやりと笑みを浮かべる。どうやら、賭けには勝ったらしい。
(よしよし。奴は〝
これなら、まだ勝ちの目はある。
どうやらメンヌヴィルは、自分の炎で相手を焼くことに強いこだわりがあるらしい。
周囲の騎士や魔法人形に加勢を命じる様子もない。
「そうか。ならば、これはどうだ?」
だが、ここでメンヌヴィルは再び杖を振るう。
今度は炎を、蛇のような形へと変化させた。
そして、途端に笑みを深める。その表情を見た瞬間、ザインは嫌な予感を覚えた。
(盾の隙間を縫って攻撃するつもりか。あの形状は……)
わざわざ炎を蛇の姿へ変えたのだ。力づくで盾を破るのではなく、技巧でその防御を掻い潜るつもりなのだろう。
「そらっ、行け!」
それ以上考える時間を与えぬように、蛇型の炎が一気に殺到する。
……仕方がない。また『賭け』だ。
ザインは聖典を開いたまま、もう片方の手に光を集める。
次の瞬間、蛇の炎は前面に展開されていた盾をするりと迂回し、ザインたちへと襲いかかった。
着弾。爆炎。
そして、濛々と立ち込める煙。轟音と共に、ザインのいた場所で炎が弾けた。
だが……。メンヌヴィルは鼻を鳴らし、すぐに顔をしかめる。焼けた人体特有の臭いが、漂ってこないのだ。
「面倒な盾だな。あらゆる系統魔法の盾をすり抜ける、『隊長』直伝の技だというのに」
やがて、煙が晴れたその向こう。
そこには、未だ無傷のザインたちがいた。
先ほどまでは『盾』のような形状だった障壁が、今は全方位を覆うドーム状へと変化していたのだ。
あらゆる方向からの攻撃を防ぐ、万全の構え。
勿論、これは〝人を殺す魔法〟専用の防御魔法ではないため、魔力消費も相応に抑えられている。
「へっ、これであんたの攻撃は全部無効化できるってわけだな」
防御魔法の内側から、ザインはメンヌヴィルを挑発した。
「やるじゃないの!」と、ベアトリスもようやく立ち上がり、声を上げる。
メンヌヴィルは歯を食いしばり、杖を握る手に力を込めた。ここまで自分の魔法を防がれたことは、おそらく初めてなのだろう。
だが、ザインにも余裕などなかった。
先ほどの防御魔法ほどではないにせよ、周囲一帯を障壁で覆い続けるとなれば、相応の消耗を強いられる。
この魔法を維持しながら、さらに攻撃まで行うとなると、かなり厳しい。
結局、今のザインに許された戦法は『時間稼ぎ』でしかなかった。
続けざまに、ザインの障壁へ第二波、第三波の火球が飛来する。連続で叩けばいずれ割れると踏んだのだろう。
すぐに崩壊するほどではない。だが、それでも障壁の表面には、徐々に罅が走り始めていた。
「ふん。強力ではあっても、無敵ではないということか」
メンヌヴィルもそれを確信したのか、再び笑みを深める。
ザインは内心で舌打ちした。
「では、このアルビオンきっての大貴族の魔法なら、一撃だろうよ」
メンヌヴィルはそう言うと、背後へ振り返った。
「おい、いつまで倒れている。『雷槍』さんよ」
先ほど吹き飛ばされた『雷槍』ドライグが、再び立ち上がっていた。
「こやつの大規模雷魔法でお前の盾を破壊してから、ゆっくり料理してやろう」
メンヌヴィルはくっくっと笑いながら、ドライグに前へ出るよう促す。ドライグは再び、のろのろと槍状の杖を構え、ザインたちの前へと進み出た。
そして詠唱を始めると、大槍の穂先へと雷を収束させていく。
(やべえな。確かに今の〝防御魔法〟じゃ、あの雷までは防げそうにない)
どうする……考えろ……。
フリーレンなら、危機的な状況ほど冷静になれと言うだろう。
ザインは逸る気持ちを押さえ込み、残された僅かな時間で打開策を探す。
(……そういや、あの騎士は
メンヌヴィルだけが特殊なのであって、周囲の騎士たちは〝呪い〟によって操られているだけ。
ならまだ、打開策はあるかもしれない。
その時になって、ザインは昨夜のティファニアとのやり取りを思い出した。
「ティファニア! 〝目覚めの解呪〟だ!」
「ふぇ?」
「昨日渡した聖典に書かれていただろ! 聖典を持って魔法を唱えるんだ! それで、この場を少しはかき乱せる!」
ザイン自身は、〝防御魔法〟を維持するので精一杯。
だからこそ、まだ手の空いているティファニアに託したのだ。
「え、でも、急に言われても……!」
そこまで言いかけたところで、ティファニアははっとする。
まただ。
できるか分からない。失敗したらどうしよう。そんなことばかり考えて、誰かが何とかしてくれるのを待ってしまう。
ずっと、そうだった。
怖いことから目を背けて、自分には無理だと言い聞かせて、一歩を踏み出すことから逃げてきた。
けれど、今は違う。
ザインは、自分を守れと言ったわけではない。逃げろと言ったわけでもない。
自分ならできると信じて、力を貸してくれと頼んでくれたのだ。
(……いけない。いつまでも受け身じゃダメだ)
ティファニアは唇をきゅっと結ぶと、自分を奮い立たせるように両頬をぱんっと叩いた。
(わたしだって……みんなを助けに来たんだから!)
震えは、まだ止まっていない。怖くないわけでもない。
それでも今度こそ、自分から前へ進まなければ。
ティファニアは懐へ手を伸ばし、ザインからもらった聖典を取り出した。
正直、できるかどうか確信はない。でも、ザインが自分を頼ってくれた。
だったら、その思いに応えたい。その一心が、ティファニアを突き動かす。
すると、彼女の鼓動に応えるかのように、聖典から聖なる光が溢れ出した。身体の奥を、普段使っている魔法とはまるで異なる力が駆け巡っていく。
ティファニアは、その力を一気に解き放つように、魔法を発動した。
「〝目覚めの解呪〟!」
それは、『五秒間だけ』呪いを解く魔法。
混沌花の時は〝眠り〟を解呪したが、どうやら今回は〝洗脳〟にも対応してくれたらしい。
ティファニアが魔法を発動させた瞬間、魔法人形は一斉に機能を停止。
操られていた騎士たちも「はっ!?」と声を上げ、一瞬だけ身体を硬直させた。
「な、なんだ!?」
「おれは……いったい何をやって……」
「ち、違う! おれたちの主はアウラじゃない! アルビオン王だ! なんてことを……!」
当然ながら、一時的とはいえ洗脳から解放された者たちは、大混乱に陥った。
思い思いに声を上げながら、自分たちがこれまで何をしてきたのかを思い出し、愕然としている。
「な、なんだ……!?」
さすがのメンヌヴィルも、これには困惑の表情を浮かべる。
だが、さらに彼を驚かせたのは、先ほどまで雷の魔法を溜め込んでいたドライグが、その大槍の穂先をメンヌヴィルへと向けていたことだった。
「お、おい貴様! なぜ魔法をこっちに向ける!」
「黙れ……! よくも今まで、好き勝手に命令してくれたな!! この貴族の面汚しが!!」
怒号と共に、ドライグは蓄積していた雷を一気に解き放つ。
建物を五軒ほどまとめて破壊しかねないほどの大雷撃が、轟音と共にメンヌヴィルへと撃ち放たれた。
「え、ど、どういうこと……?」
「〝目覚めの解呪〟。五秒間だけ〝呪い〟を強制的に解除する魔法だ。あの火傷男以外はみんな『洗脳』されてるみたいだったから、もしやと思ったが……やっぱり覿面に効いたみたいだな」
たとえ五秒間だけでも、大混乱を引き起こすには十分だった。
事実、その僅かな時間でドライグとメンヌヴィルは同士討ちを始めている。だが、気は抜けない。効果は、たった五秒間だけなのだ。
やがて騎士たちは再び洗脳の影響を受け、人間らしい意思を失った人形へと戻っていく。
機能を停止していたガーゴイルたちも、次々と再起動を始めた。
当然、ドライグも同じはずだった。
だが……全身を金色の甲冑で覆ったその騎士だけは、未だ洗脳に抗っているかのように身体を震わせながら、ティファニアへと顔を向けた。
「ティファニア……お嬢様……ですよね」
「だ、誰? あなた……わたしを知っているの?」
「はい……。わたしもマチルダと共に、あなたのお父様と――――!」
そこまで言った、その時だった。
轟ッ、と爆炎が、ドライグの背中で弾けた。焼け焦げた臭いが立ち込めると同時に、金色の兜が宙を舞う。
露わになったのは、長い金髪と褐色の肌を持つ、一人の女性の顔だった。
「え……?」
ティファニアが目を見開く。
ドライグは崩れ落ちそうになりながらも、最後の力を振り絞るように、ティファニアへと手を伸ばした。
「お、お許しください……ティファニア様……」
その言葉を最後に、ドライグは力尽きるように倒れ伏した。
そして、その背後。未だ炎を纏わせた杖を構えたメンヌヴィルが、冷たい眼差しで彼女を見下ろしていた。
「フン。精一杯の反抗だったのだろうが、オレには無駄なことだ」
腕には多少の火傷痕が見られたが、直撃は避けたのだろう。メンヌヴィルは未だ健在だった。
ザインは舌打ちする。これでは、まだ魔法壁を解くわけにはいかない。
「……はぁ、はぁ……」
その時、座り込んでいたベアトリスの呼吸が、急に荒くなった。額から汗が噴き出し、頬を伝って滴り落ちていく。
いや、ベアトリスだけではない。ティファニアも同じだ。
そしてザイン自身もまた、顎から滴る汗を手の甲で拭った。
(……なんだ? この防御魔法の中……さっきより熱くなってないか?)
「大した魔法だ。いや、驚いたよ。まさか奴の洗脳を、一時的とはいえ解除できる魔法があるとはな」
やれやれと首を振りながら、それでもメンヌヴィルの笑みは崩れない。
「だが、所詮は無駄な努力だったようだな」
「……何?」
「確かに、馬鹿正直にその障壁を破壊するとなれば、オレとて多少は手間だ。だがな……別に、壊してやる必要などないだろう?」
その言葉と共に、周囲で燃え盛る炎がさらに勢いを増した。
熱気が、障壁越しにじわじわと内側へ侵入してくる。
「盾の中に閉じこもるというのなら、そのまま蒸し焼きにしてやればいい」
「……っ!」
ザインはそこで、ようやくメンヌヴィルの狙いを理解した。
(そういうことか……! 障壁を直接破壊するんじゃなく、周囲の温度を上げてやがるのか!)
いくら炎そのものを防げても、熱まですべて遮断できるわけではない。
しかも、こちらは三人。この狭い障壁の中で熱に晒され続ければ、体力は瞬く間に奪われていく。
そうなれば、魔法を維持しているザイン自身の集中力も、いずれ限界を迎える。
そして、その時は――もう数分と残されていない。
「その盾が消えた時が、お前たちの死ぬ時だ。さて……今度はどう料理してやろうか」
ついに堪えきれなくなったのか、メンヌヴィルは大声を上げて笑い始める。まるで、炉の中に閉じ込めた獲物が焼き上がるのを待っているかのような顔だった。
だが、顎から大量の汗を滴らせながら、ザインはそんなメンヌヴィルを見据える。
「……随分、余裕そうだな」
「当然だ。結局、最後に笑うのはオレだということに変わりはないからな」
「そうかい。だったら――俺が最初から『時間稼ぎ』に徹してたことにも、気づいてなかったみたいだな」
一瞬、メンヌヴィルの笑いが止まる。
だが、すぐに再び口角を吊り上げた。
「フン。負け惜しみを」
「どうかな。俺は最初から、この状況を一人でどうにかできるなんて思っちゃいねえよ。そもそも、それは俺の役割じゃない」
「……どういう意味だ?」
「〝僧侶〟ってのはな、一人で何でもできるような職業じゃねえんだよ」
ザインは汗を拭いながら、それでも不敵に笑う。
「〝戦士〟が前に立って、〝魔法使い〟が敵をぶっ飛ばして、俺たち〝僧侶〟がそいつらを支える。そうやって初めて、一番力を発揮できる。だから俺たちは、誰かを頼ることを恥だとは思わねえ」
「くだらん」
メンヌヴィルは鼻で笑った。
「そんなもの、圧倒的な力の前では無力だ。第一、この状況でお前たちを助けに来るような酔狂な者が、どこにいる?」
「まあ、あんたから見ればそうだろうな」
「……何?」
「あんたは俺が最初に放った〝女神の三槍〟を覚えてるか?」
「それがどうした」
「三本のうち一本――。上空に飛んでいったまま、戻ってこなかっただろ?」
「…………」
メンヌヴィルの眉が、僅かに動いた。
「あれ、外したわけじゃねえんだよ」
ザインは人差し指を、ゆっくりと空へ向ける。
「俺はこうしてあんたと喋ってる間も、ずっと上空であれを操ってた。俺たちはここにいる――ってな」
「……何を言っている?」
「ここへ来る前に、感じたんだよ。知ってる奴の魔力をな」
ザインの口元に、笑みが浮かぶ。
その言葉に、メンヌヴィルの表情が初めて強張った。
「向こうもこっちに近づいてるのは分かってた。だから俺は、最初からそいつが来るまで持ちこたえることだけを考えてたんだ」
防御に徹したことも。ティファニアに解呪を任せたことも。挑発しながら、ひたすら時間を稼ぎ続けたことも。
すべては、この瞬間まで持ちこたえるため。
「そして――どうやら賭けには勝ったみたいだ」
ザインは疲労に顔を歪めながらも、にやりと笑って頭上を指差した。
「確かにあんたは強いよ。だが、この
その瞬間。ついに、メンヌヴィルの顔から笑みが消えた。
「……なに?」
遥か上空。
ザインが打ち上げ、それからずっと空に漂わせていた〝女神の槍〟が――突如として、真下へ軌道を変えた。
だが落ちてくるのは、それだけではない。
女神の槍を追うように遥か上空から、凄まじい魔力を纏った一条の閃光が、一直線に、こちらへと降ってきていた。
「……なっ!?」
次の瞬間、メンヌヴィルは本能的に炎の盾を展開しようとする。
だが間に合わない。速すぎる!
「ぐおおおおっ!?」
今度こそメンヌヴィルはまともに直撃を受け、砕け散った瓦礫と共に大きく吹き飛ばされていった。
「ぷはっ……! はぁっ、熱かったぁ……!」
周囲を覆っていた炎が消え、ザインはようやく〝防御魔法〟を解除する。
閉じ込められていた熱気から解放され、ザイン、ティファニア、ベアトリスの三人は一斉に息を吐いた。
額や首筋から噴き出した汗を拭いながら、ようやく人心地つく。
「い、いったい何が起こったの?」
状況を理解できていないベアトリスが、呆然と尋ねる。
ザインは荒い息を整えながら、それに答えた。
「助けが来たんだよ」
「助け……?」
「ああ。本当にびっくりしたぜ。女神様のご縁ってのも、やっぱりあるもんなんだな」
そう言って、ザインは空を見上げる。
その顔には、安堵と、どこか懐かしむような笑みが浮かんでいた。
「……なあ、フリーレン」
かつて共に旅をした仲間へ、ザインはそう呼びかける。
ティファニアとベアトリスも、つられるように空を仰いだ。そこに、一人のエルフが浮かんでいた。
二つに結んだ白い髪。特徴的な長い耳。
そしてその手には、紅玉をはめ込んだ杖。白髪のエルフは、空からザインたちを見下ろすと、ほんの僅かに微笑んだ。
「久しぶりだね、ザイン。ハルケギニアに来てたんだ」
「まさか、こんな形でお前に会うとは思わなかったよ、フリーレン」
「私は『またね』って言ったよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ザインがメンヌヴィルと邂逅した、ちょうどその頃。
実はフリーレンもまた、コルベール、マチルダと共にダータルネスへ向かい、ジープを走らせている最中だった。
「……!」
「どうしたんだい、ミス・フリーレン」
運転席でハンドルを握っていたコルベールが、助手席のフリーレンに呼びかける。
彼女はついさっきまで、毛布にくるまってすやすやと眠っていた。それが突然目を覚まし、杖を手に取ったのだ。
「コルベール、あれ」
「あれ……?」
フリーレンが杖で指し示した先。
ダータルネスの街の上空に、十字型の光がゆらゆらと漂っていた。
「……なんだい、あれは?」
後部座席で顔を青くしていたマチルダも、それに気づいたようだ。
「何か、ゆらゆら動いてますが……」
「やだ、なんか不気味だね……。何なんだい、あれ?」
当然ながら、二人は首を傾げるばかり。あの光が何を意味するのか、さっぱり分からない。
だが、フリーレンだけは違った。
あの光から感じる魔力の波長。覚えがある。
「……本当に来てたんだ」
「フリーレン?」
どこか嬉しそうに呟くフリーレンを見て、二人も少なくともあの魔法が脅威ではないのだろうと察する。
「大丈夫。あれは、この前まで一緒に旅をしていた僧侶の魔力だ」
「……!」
「あんたの旅仲間が、ハルケギニアに!? なんで……!」
「さあね。でも……おそらく向こうも、私がこっちに来ていることは〝魔力探知〟で分かっているはずだ」
フリーレンは再び、上空に浮かぶ光へ目を向ける。
「たぶんだけど、『助けてくれ』っていう合図だろうね」
もちろん、この時点で断定できるほどの証拠はない。
分かっているのは、あの光に宿る魔力が、かつて共に旅をした仲間――ザインのものであるということだけ。
彼が危機に陥っていることも。この光が助けを求める合図であることも。すべて、フリーレンの推測に過ぎない。
だが、フリーレンは知っている。
ザインが優秀な僧侶であることを。そして、いざという時には頭の切れる男であることを。
そんな彼が、わざわざ街の上空にまで届く魔法を放った。そこには何かしらの意図がある――そう考えるには十分だった。
仮に自分の読みが外れていたとしても、確かめに行けばいい。
「コルベール、このままダータルネスに向かってて」
「え?」
「私、一足先に行ってくる」
そう告げるや否や、フリーレンは助手席から身を乗り出す。
杖を掲げると、空へ向けて〝
そしてフリーレンは、ふわりと宙へ舞い上がった。
「え、ちょ、ちょっと……!」
「フリーレン!」
二人の制止を待つことなく、一気にダータルネスへと飛んでいく。
あの光の下に、かつての旅仲間がいる。そんな確信を抱きながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ザインは懐からたばこを取り出し、火をつける。
「じゃあ、もう任せてもいいか?」
「いいよ。そっちも緊急事態みたいだしね」
フリーレンは杖を掲げると、〝
機関銃の如く乱射された魔弾は、そのまま周囲を取り囲んでいた騎士や魔法人形へと殺到した。
光弾を浴びたガーゴイルは、一体残らず粉々に砕け散る。
一方、人間に対しては殺傷力を抑えていたのだろう。騎士たちは次々と吹き飛ばされ、その場に倒れて気を失っていった。
「……ふぇ」
「す、すごい……」
ザインの張った防御ドームの内側で、ティファニアとベアトリスは、ただ呆然とその光景を見つめるしかなかった。
ちなみにザインはというと、すでに胡坐をかいてたばこの煙を吐いている。
自分の仕事は終わった、とでも言わんばかりのくつろぎようだった。
「あの、ザインさん。あの方が……」
「ああ。俺を旅に連れ出してくれたエルフだ」
ティファニアは改めて、上空に浮かぶ同族の姿を見上げる。
本当だ。確かに、両耳が長い。
しかもゼーリエさんと違って、こっちは優しそうだ。
「さて、これで周りは片付いたかな」
周囲を取り囲んでいた敵は、フリーレンによって一掃された。そのまま宙からゆっくりと地面へ降り立った。
「あ、あいつ……!」
「ベアトリスさん、知っているの?」
「え、えぇ……! じゃあ、あいつがヴァリエール家に匿われているっていうエルフだったのね」
ラ・ロシェールで一度だけ、その姿を見たことがある。
あの時は耳を縮めていたから分からなかったが……まさか、あの変な壺を嬉しそうに愛でていた少女がエルフだったとは……!
「まさか、お前もこんなよく分からねえ土地に来てるとはな。……フェルンとシュタルクはどうした?」
周囲を見渡しながら、ザインが真っ先に尋ねたのは二人のことだった。まさか北部高原で何かあったんじゃ……と、あまり考えたくもない想像が頭をよぎる。
「あぁ、あの二人はここ、アルビオンにはいないよ。この世界に来たのは私だけ。フェルンたちとは一時的に別れてるんだ」
「どういうことだ? フリーレンも『あの鏡』でここへ来たクチじゃねえのか?」
「ということは、ザインはその鏡でここに?」
ザインは頷いて肯定する。それを見て、フリーレンの表情がわずかに明るくなった。
ザインもまた、あの鏡によってこの世界へ飛ばされてきた。
つまり、少なくともこのアルビオンのどこかに、まだ力を失っていない鏡が存在しているということだ。
それならば、元いた世界へ帰るための手掛かりになるかもしれない。
「あとで、その鏡があった場所を教えてよ」
「ああ、それはいいんだが……」
そこまで言って、ザインはふと何かを思い出したように固まった。
「……って、そうだそうだ! こんな話してる場合じゃねえ!」
たばこを放り捨て、勢いよく立ち上がる。
「ザインさん?」
「まだ重傷人がいるだろうが!」
そのままザインは、背中に酷い火傷を負って倒れているドライグのもとへ駆け寄った。
「ティファニアおねえちゃん!」
「よかった、おねえちゃんも無事だったのね!」
「みんな、よかった!」
囚われていた人々は、再びエルフが自分たちを助けたという事実に、未だ困惑の表情を浮かべていた。
そんな中、ティファニアはようやく、ずっと探し続けていた子供たちとの再会を果たす。
「大丈夫? 怪我してない? 何かされなかった?」
「ううん、わたしたちはだいじょうぶ。ずっと小屋の中に閉じ込められていただけだから……」
「で、でも怖かった……。ティファニアおねえちゃんこそ、だいじょうぶだったの?」
「え、ええ。道中、色んな人たちに助けられたから、今こうしてここにいられるの。わたし一人じゃ、きっとここまでたどり着けなかった」
そうしてしばらく、再会の喜びを分かち合っていた――その時だった。広場の外から、大きな駆動音と共に、地面を揺らすような振動が近づいてくる。
もちろん、ジープに乗ったコルベールとマチルダだ。
「あ、マチルダおおねちゃんも来た!」
「ほんとうだ! あの乗り物なんだろう?」
「ねえ、ティファニアおねえちゃん! マチルダおねえちゃんも来たよ!」
子供たちが指さす方向へ、ティファニアも顔を向ける。
ちょうど停車したジープからマチルダが飛び降り、涙を浮かべながらこちらへ駆けてくるところだった。
「ティファニア!」
「マチルダ姉さん!」
二人はそのまま、ひしと抱き合った。
マチルダは確かめるようにティファニアを抱きしめ、何度もその頭を優しく撫でる。
「ごめんね、肝心な時にいなくて……。怖くなかったかい? 大丈夫だった?」
「うん。最初は怖かったけど、色んな人たちに助けられて、何とかここまで来られたの」
ティファニアは、子供たちが攫われてから今に至るまでの出来事を、かいつまんでマチルダに話した。
「そうかい……。なんにせよ、こうしてみんな無事でよかったぁ……」
それだけで十分だと言わんばかりに、マチルダは安堵の息を吐いた。
「うん。もう、みんなに会えないかと思った」
「本当にごめんね。私がもう少し、アルビオンの情勢に気を配っておくべきだった」
「いいの。マチルダ姉さんが頑張って働いていることは、わたしたちも分かってるから。……って、そうそう! マチルダ姉さんにも紹介したい人がいるの!」
そこでティファニアは、ぱっと表情を明るくする。マチルダの手を引くと、そのままザインたちのもとへと向かった。
「どう、ザイン。治せそう?」
「かなり酷い火傷だ。完全には痕を消せねえかもしれねえな」
「……この方が、ミス・フリーレンのかつての旅仲間なのですか?」
「そうだよ。ザインっていって、回復のエキスパートだ」
フリーレンとコルベールが、治療中のザインを挟むようにして言葉を交わしていた。
当のザインはというと、そんな二人の会話を気にする余裕もなく、ドライグの治療に集中している。
「あ、あの、ザインさん……」
「ん? ああ、ちょっと待っててくれ。今、この人を治してるところだ」
「えっ、そんなことまでできるんですか? ザインさん、この方を治せるんですか?」
「治すって……僧侶の本領は、むしろ治癒の方にあるからね」
そう補足したのは、フリーレンだった。
「あ……」
その声に、ティファニアは改めて彼女へと顔を向ける。そこで初めて、ティファニアはフリーレンと間近で向き合った。
ザインが何度も話してくれたエルフ。彼の背中を押し、旅へと連れ出した人。
ティファニアは少し緊張しながら、目の前の同族を見つめた。
「えっ、と……あなたが、フリーレンさん……ですか? ザインさんが仰っていたエルフの……」
「そうだよ。私もマチルダから事情を聞いてるから、あなたのことは知ってるよ。ティファニア」
ティファニアは思わず、マチルダの方を振り返った。するとマチルダも安心させるように、そっとティファニアの両肩に手を置く。
「そう、ティファニア。ずっとあんたに紹介したいと思ってたんだ。彼女はフリーレン。こう見えても千年以上生きている、大魔法使いのエルフさ。私も彼女から色んな魔法を教えてもらったんだよ」
「えっ、そうなの? この人が……千年も?」
千年以上生きている。
そう聞いて、ティファニアは目をぱちくりさせながら、目の前の二つ結びのエルフを見つめた。
母、ゼーリエに続いて出会った、三人目のエルフ。
自分は『混じりもの』だから、もしかしたら、同族からも蔑むような目を向けられるのではないか。
そんな不安がまったくなかったと言えば嘘になる。けれど、フリーレンの態度はあまりにも自然だった。
自分がハーフエルフであることなど、最初から気にも留めていないように見える。
それに、すでにマチルダから事情を聞いているというのも、ティファニアの気持ちを随分と楽にしてくれた。
「私も、どうしてザインと一緒にいるのかとか、どうしてここにいるのかとか……あと、
「な、なんですか?」
ティファニアは少し緊張しながら、フリーレンの次の言葉を待つ。
やがてフリーレンは、妙に神妙な顔つきになって――こう尋ねた。
「……何食べたら、そんなになるの?」
「え?」
「いや、千年以上生きてるけど、フェルン以上なんて初めて見たからさ。そこまで大きいと、逆に興味があるんだよね」
そう言って、フリーレンの視線がティファニアの胸元へと落ちる。
数秒の沈黙。
次の瞬間、ティファニアの顔が一気に真っ赤になった。
「ちょ、ちょっとフリーレン!!」
マチルダもたまらず声を上げる。
「や、やっぱりフリーレンさんから見ても、
「おかしいというか……ティファニアって、手足は華奢なのにそこだけ妙に大きいじゃん。もう、そういう魔法でもあるんじゃないかって思うくらいだからさ」
「お前ら、何アホなこと言ってんだ」
呆れた声を上げたのはザインだった。もっとも、彼は会話に加わる余裕があるわけではない。
うつ伏せに寝かせたドライグへ聖なる光を浴びせながら、今も治療を続けている。
先ほどまで漂っていた肉の焼ける嫌な臭いも、今では随分と薄れていた。背中を覆っていた酷い火傷も、完全にとはいかないまでも、徐々に癒え始めている。
ザインは頃合いを見て、ドライグの身体をゆっくりと横向きにする。
そこで初めてその顔を見たマチルダが、目を見開いた。
「あ、あんた……レティじゃないの!」
「……まさか、またあんたと会えるなんてね。マチルダ」
「知り合い?」
フリーレンが尋ねる。
「ああ。昔馴染みだよ。子供の頃はよくこいつと、魔法の腕を競い合ってた」
「そうなんだ……」
ティファニアが、どこか感慨深そうに呟く。
ザインはその間も治療を続けていた。だが――。
「……もう、いい」
弱々しい声と共に、ドライグがザインの腕を掴んだ。
「もう……これ以上は治さないで……」
「どうしてだ? まだ安静にしてねえと駄目だ」
「違う……。これ以上治って、動けるようになったら……また私は、貴殿らを襲う」
まるで悪夢にうなされているかのように、ドライグは震える身体を自ら抱きしめた。
「まだ消えないんだ……。私の頭の中には……あの悪魔が住み着いている。今もずっと、私に囁きかけているんだ……」
震える唇から、途切れ途切れに言葉が漏れる。
「『逆らう者は、すべて殺せ』と……」
「それって、まさか……」
コルベールが表情を強張らせ、身を乗り出す。しばしの沈黙の後、ドライグは怯えたように空を見上げた。
「ああ……奴が来る……」
最初に反応したのは、フリーレンだった。
即座に杖を構え、上空を見上げる。
遅れてコルベール、マチルダ、ザイン、ティファニア――そして、この場にいた者たちも次々と空を仰いだ。
いつの間にか、辺りが暗くなっていた。
雲ではない。陽光そのものを遮るほどの、巨大な影が彼らの頭上を覆っている。
「……なに、あれ……」
ティファニアが呆然と呟く。
巨大な船だった。否、ただの船ではない。
その威容を目にしたマチルダの顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
「アルビオンの主力艦……『
アルビオンが誇る、空の巨大戦艦。
他国を凌駕する空軍力を持つとされるアルビオン。その象徴とも呼ぶべき巨艦が、今まさにダータルネスの上空へと姿を現したのだ。
船底には、百八門もの砲門。
それらを地上へと向けながら――『王権船』は、街そのものを押し潰さんばかりの威圧感をもって、静かに空を覆っていた。
《おまけ》
「どっかで聞いたことある声だな……」
声優ネタです。ティファニアとミリアルデの声優がまさか同じ人となるとは……。