「あれが、アルビオンの主力艦、ロイヤル・ソヴリンですか……」
上空を見上げながら、コルベールが震える声でそう呟く。
自分たちはおろか、このダータルネスの港町すら影で覆ってしまうほどの巨体。何枚もの帆をはためかせ、その舷側からは無数の大砲が突き出ている。
「なんでまた、アルビオンの主力艦がこんな港町に……?」
「上空からアウラの魔力を感じる。多分、乗っ取られたんだろう」
フリーレンもまた、手を額にかざしながら、アルビオンの主力艦を見上げた。
全長は二百メイル以上。
これほど巨大な船を空に浮かせられるとは、なるほど大した技術だと、内心で感心する。
アルビオンの空軍力が他国の追随を許さないといわれるのも、納得だった。
「ど、どうするの? あの船にアウラがいるってことは……」
「そうだね。ここも危険だ」
一難去ってまた一難。
どうやら、まだ危機的状況は終わっていないらしい。マチルダとコルベールも、ごくりと唾を飲み込みながら上空を見上げる。
その時だった。
ガラリ、と瓦礫の崩れる音が響き、その中から一つの人影が姿を現す。
「おい、フリーレン! あいつ……!」
「……あれがザインと戦ってたやつ?」
「ああ……人を燃やすのが大好きな変態だとよ。メンヌヴィルって名乗ってた」
メンヌヴィル。
その名前を聞いた瞬間、コルベールは「え?」と声を漏らし、そちらを振り向いた。
その間にも、瓦礫の中から這い出してきた男……メンヌヴィルは、大きく背を伸ばしながら立ち上がる。
どうやら着弾の瞬間、魔法を使って直撃を免れていたらしい。
「……ったく、なんだ、さっきの攻撃は……ん?」
そこでメンヌヴィルの動きが止まった。白く濁った両目を激しくぎょろつかせる。
そして何かに気づいた瞬間、身体の痛みすら忘れたように声を張り上げた。
「お、おおおお前は! おおぉ! オレの探し求めていた温度! 貴様、コルベールではないか!!」
気でも触れたかのように、メンヌヴィルが高笑いを始める。
「知り合い?」
フリーレンはコルベールへ視線を向けた。
「そうだ、オレだ! 隊長、忘れたか! 何年ぶりだ! なあ、隊長! 二十年ぶりだ!」
「ど、どういうこと……?」
狂ったように笑い続けるメンヌヴィルを前に、ティファニアは思わず身を震わせる。
マチルダはそんな彼女を自分の背後へ押しやり、庇うように前へ出た。
「どういうことですの? ミスタ……あなた、ただの教師ではなかったのですか?」
「え、あ、いや……間違ってはいない。間違ってはいないが……」
「なんだ、隊長殿? 教師? 今は教師をやっているのか? ははは、これは傑作だ! 貴様が教師とは、一体何を教えているのだ? 人を効率よく焼く方法とかか? こんなに可笑しいことはない! はははははは!!」
心底可笑しい。そう言わんばかりに、メンヌヴィルは笑い続けた。
その場にいる誰もが「どういうことだ?」と言いたげな顔をする中、メンヌヴィルは仕方がないとばかりに口を開く。
「何も知らん君たちに説明してやろう。この男はな、かつて『炎蛇』と呼ばれた炎の使い手で、特殊任務を行う部隊の隊長を務めていた。その頃は、相手がどれだけ泣き喚こうが、命乞いをしようが、容赦なく焼き尽くしてきた男なのだ」
メンヌヴィルは白く濁った両目を見開くと、その目元に残る焼け爛れた跡を親指で示した。
「そして何より……! オレから、この両の目を……! 光を奪った男だ!」
恨みつらみをぶつけるのかと思いきや、その声はむしろ歓喜に満ちていた。
ようやく探し求めていた相手に巡り会えた。そう言わんばかりに、メンヌヴィルは再び狂ったような高笑いを響かせる。
「はははははははは――!!」
その時。
殺意を帯びた閃光が、メンヌヴィルめがけて迸った。
「ぬおっ!?」
どうやら、そろそろ「うるさい」と感じたらしい。
フリーレンが無言のまま杖を向け、〝一般攻撃魔法〟を乱射し始めたのだ。
「コルベール、知り合いみたいだけど倒していい? っていうか、耳障りだから倒すね」
「え、あ……」
コルベールの返事を待たず、フリーレンは杖先をメンヌヴィルへと向ける。メンヌヴィルも、最初のうちは迫りくる攻撃をどうにか回避していた。
だが、徐々に攻撃の密度が増していき、とうとう逃げ場すら失っていく。
「ぐっ、しまっ……!!」
さすがのメンヌヴィルも、この時ばかりは尋常ではない危機感を覚え、額に冷や汗を浮かべた。
先ほどから、あのエルフが使っている意味不明な攻撃。
速い。それだけではない。こちらの防御魔法がまるで通じない……!
自分の扱う火魔法よりも、威力、速度、精度……そのすべてが上回っているかのよう。
(ふざけるな……! こんな魔法ごときに、オレの炎が敗れるはずが……!!)
内心、その事実を認められず苛立ちを募らせるメンヌヴィル。
だが次の瞬間、彼の眼前に閃光が迸った。
「――っ!」
直撃する。そう思われた、その時だった。
上空から一つの影が舞い降り、メンヌヴィルの眼前へと割って入る。
バチン! と激しい火花が散る。
フリーレンの放った一般攻撃魔法が、その影の手によって弾き飛ばされたのだ。
「なぁに、この随分と生ぬるい〝
先ほどフリーレンが放ったのは、三枚花弁の調整用ゾルトラーク。
この世界の人間を相手にするため、威力を大幅に抑えたものだ。
だからこそ、上空から舞い降りた影……アウラは、それを片手で容易く弾き飛ばすことができた。
「二回目だな、アウラ。また
「ええ。人形がやられたって、別に私本体に
アウラはすっ、と〝服従の天秤〟を構える。
それを見たマチルダとコルベール、そしてザインが一斉に身構えた。
しかし――フリーレンもまた、即座に杖先をアウラへと向ける。
互いの視線が交錯する。
この距離なら、アウラが魔法を発動させるよりも、自分が撃つ方が速い。
先ほどまでのような、人間相手に威力を抑えた魔法ではない。
少しでも天秤を使う素振りを見せれば、今度こそ遠慮なく〝
その意図を察したのだろう。アウラもまた、構えた天秤をそれ以上動かそうとはしない。
一触即発。戦況は一瞬にして、張り詰めた緊張の中で膠着した。
「今度は何の用?」
フリーレンが冷たい声で尋ねる。
対するアウラは、「聞くまでもないでしょ?」と薄ら笑いを浮かべた。
「投降なさい。この状況、分からない? 上には、この国でも最大級といわれる戦艦を構えている。私の指令一つで、この地を木っ端みじんにできるのよ」
特に、そこのあなた。と。
アウラが指さしたのは、ティファニアだった。
「え!? わ、わたし……?」
まさか自分が指名されるとは思っていなかったのだろう。
ティファニアは自分を指さし、頓狂な声を上げる。
「ええ。あなた、この地のエルフなのでしょう? だったら『例の地下通路の秘密』について、何か知っているんじゃないかと思ってね」
「ど、どういうこと……?」
「知らなくても別にいいわ。どうせ服従させてから聞き出せば済むことだもの。でも、あまりに逆らうようだったら――」
アウラは自分の首元を指でなぞりながら、平然と言い放つ。
「首を落とさせてもらうけど」
「ひぃ……!」
ティファニアは小さく悲鳴を上げ、マチルダの身体へ身を寄せた。
ザインたちと出会う前、首なし騎士たちの斧によって、危うく首を刎ねられそうになった時のことを思い出したのだ。
「あんたたちの後ろにいる連中も、元は私がその才能を見出した奴らよ。戦力はいくらあっても困らないからね。私に忠誠を誓うというのであれば、服従させた後も首だけは残しておいてあげる」
「ふざけるな! 私の大事な家族まで巻き込みやがって! ただじゃおかないんだから!」
マチルダが精いっぱいの怒りを込めて声を張り上げる。
だが、アウラは、彼女の方を見ようともしなかった。
まるで、耳元を飛び回る蚊の羽音でも聞いているかのように。
鬱陶しくはあっても、脅威ではない。
アウラにとって、マチルダなどその程度の存在でしかなかった。
彼女が見ているのは、あくまでティファニア。そしてフリーレンのみ。
それ以外は、すべて取るに足らない雑魚。
その傲慢な眼差しが、何より雄弁にそう物語っていた。
「……ぐっ、くそ」
ここで、メンヌヴィルがよろめきながら起き上がり、アウラを見上げる。
「情けないわね。大口叩いておいて、あの程度の
「……申し訳ございません」
メンヌヴィルは内心で歯ぎしりしながら、それでもアウラに忠誠の意を示した。
下手に反抗すれば、即座に『服従させられる』ということは、本人もよく分かっているのだろう。
アウラからしても、この男――メンヌヴィルは、少し脅してやっただけで味方を焼き殺し、自らこちらへ下った節操なしでしかない。
人間を焼くことが何より好きだというから、首を落とすどころか、服従させることすらせずに使ってやっているだけだ。
アウラ自身、洗脳すると魔法の練度が落ちるメイジには、少々うんざりしていたところだった。
だからこそ実験的に、〝
結果、それなりに働くし、裏切る素振りもない。
そのため、リーニエたち『首切り役人』とは別枠の駒として、こうして手元に置いているに過ぎなかった。
もっとも、役に立たなくなれば、その瞬間に服従させる。
その線引きを変えるつもりなど、アウラには毛頭ない。
結局のところ、メンヌヴィルすら彼女にとっては数ある駒の一つでしかなかった。
「ほら、何してんのよ。せっかくこうしてフリーレンを止めておいてあげてるんだから、あんたはさっさとあいつらを屈服させてきなさい」
「……了解した」
アウラにこき使われるのは癪ではある。
だが、それでも自ら選んだ道だ。受け入れるしかない。
メンヌヴィルはのろのろと杖を構え、再びコルベール――かつての隊長へと目を向けた。
「そうか……今のお前は魔族の手先か。落ちるところまで落ちたな、副長」
「教師などという、訳の分からぬ職業に就いたお前が言える義理か? 隊長殿」
互いに射殺さんばかりの視線が交錯する。両者から放たれる殺気が、周囲の空気を張り詰めさせた。
どうやら、先ほどメンヌヴィルが語ったことは、でたらめでも嘘偽りでもないらしい。
コルベールは杖を握り締める。
だが、ふと隣に立つフリーレンの視線が気になったのだろう。
どこか弁解するように、口を開いた。
「ミス・フリーレン、私は……」
「大丈夫だよ。私は『今の』コルベールを信じてるから」
「……!」
その一言に、コルベールは胸のつかえが少しだけ取れたような気がした。
過去に何をしていたのかではない。彼女は『今の自分』を見て、信じてくれている。
そのことが、素直に嬉しかった。
「……ありがとうございます。どうやら私の古傷が、この地で悪さをしていたようだ」
「じゃあ、あいつは任せてもいい?」
「ええ」
コルベールは頷くと、改めて杖を構え、メンヌヴィルと対峙する。
メンヌヴィルもまた、それを待ち望んでいたかのように笑みを深めた。
「マチルダ、聞くけど、このままアウラに操られたい?」
「何言ってるのさ! 嫌に決まってるじゃないの!」
「じゃあ、マチルダは戦艦の砲撃を防いで、みんなを守って」
「なっ、急にそんなこと……!」
普通なら、一個人でアルビオンが誇る巨大戦艦に挑むなど、無謀としか思えなかっただろう。
だが、フリーレンは平然と続ける。
「大丈夫だよ。今のマチルダなら、あの船が相手でも十分に対抗できる」
「……!」
「そもそもマチルダは、あの船よりずっとヤバい竜を相手にしたじゃん。だから問題ないよ」
そう言われて、マチルダははっとする。
そういえば、そうだ。マチルダは思い出す。エンシェント・ドラゴン。あの厄災竜を。
あの、すべてを喰らい尽くすような化け物と比べれば……!
「私はアウラを抑える。やるよ、みんな」
「ふぅん。素直に降伏しておけばよかったって、あとで後悔するんじゃないわよ」
刹那、上空を覆う『王権艦』の舷側で、無数の砲門が一斉に開いた。
百を超える砲門が、ほとんど同時に火を噴く。空気を震わせる砲声と共に、無数の砲弾がダータルネスめがけて降り注いだ。
それが、開戦の合図となった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ミス・フリーレン……我々は、足手纏いでしょうか」
それは、真夜中のアンソン街での出来事だった。
焚き火を囲んで座りながら、ガソリンの補充作業を終えたコルベールが、憂いを帯びた声でそう尋ねてきたのだ。
「確かに、あの街での戦闘を見て……我々ではアウラに遠く及ばないということが分かりました……」
マチルダもワルドも、コルベールの言葉に悔しそうに頷いた。
アンソン街で繰り広げられた、アウラとフリーレンの戦い。
数百もの人間を洗脳し、手足のように操る力。そして、自分より魔力の少ない者を問答無用で操る〝服従させる魔法〟。
あれに正面から対抗するには、アウラを上回るほどの膨大な魔力が必要となる。
それでさえ、戦闘で消耗し、魔力量が逆転した瞬間に敗北が決まるという理不尽さだ。
まともにやり合って、勝てる相手ではない。
その事実を嫌というほど思い知らされた三人は、半ば自信を喪失していた。
「そうだね。何度も言うようだけど、『正面戦闘』だったら、コルベールたちはアウラには絶対に勝てないよ」
同じく焚き火に当たりながら、フリーレンは三人へと顔を向ける。
改めて突きつけられた事実に、コルベールは俯き、ワルドは帽子を目深に被り直した。
「でも、それはあくまで『魔力勝負』になった場合だよ」
「……?」
「戦い方なんて、いくらでもある。不意打ち、奇襲、騙し討ち……。私だって、アウラとの魔力勝負は『騙し』で勝ちを拾ったようなものだからね」
そう言うと、フリーレンは三人の顔を順番に見渡した。
「どうして私が、コルベールたちに私とアウラの戦いを『見ていろ』って言ったと思う?」
「そ、それは……身の程を知ってもらうため、でしょうか」
自らの実力を卑下するように、コルベールが答える。
だが、フリーレンは首を横に振った。
「それはちょっとだけ正解で、半分以上間違い」
「え……?」
「大魔族がどんな魔法を使うのか、知ってもらうためっていうのもある。でも、それ以上にコルベールたちには『考えて』ほしかったんだ」
「考えて……?」
「そう」
フリーレンは静かに頷く。
「コルベールも、マチルダも、ワルドも。みんな私の世界から見ても、かなり優秀な魔法使いだよ」
三人が、わずかに目を見開いた。
「だからこそ、アウラの強さも、魔法の理不尽さも、ちゃんと自分の目で見てほしかった。その上で、自分たちならどう戦うのかを考えてほしかったんだ」
そう言って、フリーレンは懐へ手を入れる。取り出したのは、頭部と下半身を失った人形、壊れたスキルニルだ。
フリーレンはその残骸を、しばし無言で見つめた。
「私だって、本物のアウラと正面からやり合って、確実に勝てるイメージはまだできてない。それくらい、今のアウラは強敵だよ。あいつと戦えば、色んな犠牲が出るかもしれない。そして今の私には、周囲を守りながら、アウラを倒しきれる自信はない」
それは弱音ではなかった。今ある戦力と、敵の力量。その両方を見極めた上での、冷静な分析だった。
「だから、どこかで絶対にコルベールたちの力が必要になる」
フリーレンは三人を見据える。
「相手との実力差が大きいことを、恥じる必要なんてないよ。大切なのは、その差をちゃんと理解すること。その上で、どうすればアウラを倒せるのか。どうすれば犠牲を減らせるのか――それを考えることだから」
そこまで言うと、フリーレンは立ち上がった。
そしてワルド、マチルダ、コルベールの順に、その肩を軽く叩いていく。
「だから、期待してるよ。ワルド、マチルダ、コルベール」
「…………」
三人は一瞬、呆気に取られたようにフリーレンを見つめた。
足手纏いではない。千年以上を生きる大魔法使いは、自分たちの力を必要としている。そして、戦力として期待している。
「……はい」
最初に答えたのはコルベールだった。
やがてマチルダとワルドも、それぞれ表情を引き締めて頷いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
巨艦の舷側に並ぶ砲門から、一斉に火薬の閃光が炸裂する。
数十発もの砲弾が、雨のようにフリーレンたちのもとへと殺到する。だがそれよりも早く、マチルダは魔法を発動させていた。
「〝
マチルダが杖を地面へ叩きつける。直後、大地が鳴動した。
防御範囲から外れているフリーレンとコルベールを除く全員。
奴隷として捕らわれていた者たちや、気絶している騎士たちまで含め、広場にいる者すべてを守るように地面が大きく隆起する。
せり上がった大地はそのまま頭上へと伸び、巨大な傘――否、ドームのように広場全体を覆っていった。
さらにマチルダは、形成した防壁へ向けて『錬金』を唱える。
土が、鋼鉄へと変化していく。スクウェアクラスだからこそ成せる荒業だった。
直後――砲弾の雨が降り注いだ。鋼鉄と化した巨大な防壁を、数十発もの砲弾が容赦なく叩く。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に、マチルダが奥歯を噛み締める。普通なら、まともに受ければ誰一人として助からないほどの艦砲射撃。
それを今、マチルダはたった一人で受け止めていた。
伊達に二人の老魔法使いから、地獄のような特訓を受けてきたわけではない。
マチルダの魔法の練度は、今や〝二級魔法使い〟と呼んでも遜色ない領域にまで達していた。
「砲弾の雨は私がなんとかする! そっちは任せたよ!」
杖を上空へ突き上げたまま、マチルダが叫ぶ。
もっとも、『
とても他の戦闘にまで気を回す余裕はない。
ティファニア、ザイン、ベアトリスは、これまでの戦いによる疲弊で動けない。
フリーレンとアウラは、互いに杖と天秤を向けたまま牽制し合っている。
どちらかが動けば、もう片方も即座に動く。迂闊に手を出せない状態だった。
故に、この戦場で激しく動き回るのは、二人。
メンヌヴィルとコルベールだった。
「ははは! まさかこんなところで、この傷の雪辱を果たす機会が巡ってくるとは! アウラ様には感謝せねばならんな!!」
上空から降り注ぐ砲弾の中を駆け抜けながら、メンヌヴィルはかつての隊長へ向けて『炎球』を撃ち放つ。
砲弾が地面へ突き刺さる。爆炎が上がる。
しかしメンヌヴィルは、その間隙を縫うように走り続ける。まるで、あらかじめ砲弾の落下地点が分かっているかのような動きだった。
一方、コルベールも負けてはいない。杖を軽快に振るい、自身の周囲へ幾つもの『蛇型の炎』を展開する。
飛来する砲弾へ、炎の蛇が食らいつく。
着弾するよりも先に爆発。
迫りくる砲弾を次々と空中で誘爆させることで、コルベールは自らが受ける被害を最小限に抑えていく。
その鮮やかな手際を前に、メンヌヴィルは嬉しそうに口元を歪めた。
「教師になったと聞いた時は、腕が鈍っているかと思ったが――」
メンヌヴィルの周囲に、いくつもの炎球が浮かび上がる。
「まだまだ動けそうで何よりだ、隊長殿」
メンヌヴィルは喜色を浮かべ、コルベールに向けて火魔法を容赦なく放っていく。
一方、コルベールは防戦一方に陥っていた。
両者における魔法の練度差。それもあるのだろう。だが、それ以上に大きいのは、上空から絶えず降り注ぐ砲弾の存在だった。
コルベールは砲弾への対処にも魔法を割かなければならない。
対してメンヌヴィルは、砲弾の軌道を『読んで』回避できるため、その一手を必要としない。
単純な手数の差。それによって今、コルベールは苦戦を強いられていた。
「『蛇になれ』。覚えているか? 隊長。あんたが口を酸っぱくして、オレたち部下に言い聞かせていた言葉だ」
その言葉に、コルベールはメンヌヴィルの炎をやり過ごしながら、蛇のように鋭い目で睨み返す。
「『蛇は臆病だ。無駄な戦いは一切しない。だが一方で執念深く、粘り強い。いいかメンヌヴィル。蛇になれ。正々堂々と戦おうとするな。蛇のように打算と理詰め、そして狡猾な戦い方を覚えろ』。……はは。どうだ隊長殿。当時のオレに贈ってくれたあの教訓、一字一句覚えているぞ」
炎を放ちながら、謳うようにかつての教えを諳んじるメンヌヴィル。
詠唱を必要とする戦闘の最中に、これほど長々と喋ることなど、本来なら無駄どころか致命的な隙になりかねない。
それでもメンヌヴィルは、心底楽しそうに当時の言葉を口ずさんでいた。
「オレぁ、当時のあんたにぞっこん惚れてたんだぜ。顔色一つ変えずに敵を焼き滅ぼす。相手がどれだけ悲鳴を上げようが、泣き叫ぼうが、女だろうが容赦しなかった。……こんな風になぁ!!」
メンヌヴィルはそう叫ぶと、あろうことか、杖をフリーレンへと向けた。
そして巨大な火球を、彼女めがけて撃ち放つ。
爆音と共に炎が炸裂し、もうもうと煙が立ち込める。当然ながら、フリーレンは無傷だった。
直前に〝防御魔法〟を展開し、メンヌヴィルの炎を完全に防いでいたのだ。
それどころか、彼女は微動だにしていない。依然として杖と視線をアウラへ向け、その動きを牽制し続けていた。
コルベールを『服従』させる隙を、決して与えないために。
コルベールもまた、動じなかった。
メンヌヴィルが自分の動揺を誘うために、あえてフリーレンを狙ったことは分かっている。
何より、あの程度の攻撃でフリーレンが傷を負うはずもないと知っていたからだ。
「……チッ」
メンヌヴィル自身も、あのエルフに手傷を負わせられるとは思っていなかった。だがここまで徹底して無視されるのは、それはそれで腹が立つ。
わずかに口元を引きつらせた、その時だった。
「温度感知か」
「……ぬん?」
不意に、フリーレンが口を開いた。
視線も杖先もアウラへ向けたまま、言葉だけをメンヌヴィルへと投げる。
「目の見えないお前が、砲弾を正確に回避できる理由。失った『視覚』を、『温度』で補ってる。そんなところか」
「ほう、気づくか。さすがはエルフ、お前は騙せぬようだな」
メンヌヴィルはむしろ、説明したくて仕方がなかったとでもいうように笑みを浮かべる。
「そうだ。オレは炎で人を焼き続けるうちに、随分と温度に敏感になってね。距離も方向も、どれほど高い温度だろうが低い温度だろうが、正確に感じ取れるようになった。飛んでくる砲弾の熱を事前に察知することなど、造作もないというわけだ」
言い終わるや否や、メンヌヴィルはその場から横っ飛びに跳んだ。
直後、先ほどまで彼が立っていた場所へ、砲弾が着弾する。コルベールは迫る爆風を火魔法の防壁で防ぐ。
だが、その一瞬の隙を狙うように、メンヌヴィルの炎が飛んできた。
「くっ……!」
上空から降り注ぐ砲弾。それに重なる、メンヌヴィルの巧みな火魔法。
さすがのコルベールも、容易には反撃へ転じられない。
こちらから炎を放ったところで、その熱はメンヌヴィルに察知されてしまう。彼は〝魔力探知〟ならぬ『温度感知』によって、攻撃が届くより先に回避してしまうのだ。
「どうだ、隊長! オレは名実ともに『蛇』の力を手に入れたのだ! 隊長の教えが、オレをここまで強くした! だというのに、あんたはどうだ!!」
メンヌヴィルの声音が変わった。
先ほどまでの歓喜から一転。今のコルベールに、心底失望しているかのような声だった。
絶えず炎を撃ち込みながら、その胸中を問い質す。
「なぜ教師なんぞに収まった? なぜ人殺しを嫌悪するようになった? なぜ急にイイ子ちゃんぶるようになった? なぜ……!」
オレの知る隊長は、『情け』や『妥協』とは無縁の男だった。上からの命令に忠実に従う――『王国の影で動く刃』。
敵はもちろん、命令に従わない部下や同僚すら、必要とあらばその炎で粛清する。メンヌヴィルは、そんな男の背中に心底惚れ込んでいた。
なのに、なぜ、こんなにも覇気のない、くたびれた男になり下がった?
何がお前を変えた?やはり、『あの時』か?
「二十年前か? あんたはあの時、『あの女』に変なことを吹き込まれてから、おかしくなり始めたな?」
二十年前……そう、ダングルテールとかいう村に疫病が流行ったから『すべて焼き払え』と。そして、その村に病を流行らせたのが『金髪の女』だということで、そいつだけは『生かして連れ帰れ』と命を受けた。
命令通り、村を燃やす手筈だった。
当時の隊長なら、遠慮容赦なく、子供だろうが女だろうがすべてを燃やし尽くしただろう。
村に疫病が蔓延したのだから、誰も助けるわけにはいかない――と。
だというのに……!
「やはり、あの女……ヴィットーリアとかいう女と戦った時か。あんたは急に目が覚めたように、人が変わった。あの女に何をされた――――!」
そこまで言った時、突然、メンヌヴィルの背筋が恐怖で凍り付く。
次の瞬間、死角――自身の放った炎に紛れるかのように、コルベールの『炎蛇』がメンヌヴィルの首筋を襲う。
「ぬおぅ!」
メンヌヴィルは白く濁った両眼を目いっぱい見開き、のけぞりながら後退。かろうじて魔法を回避する。
「おしゃべりが過ぎやしないか、副長」
二十年前を思い起こさせるような、ドスの利いた声。
メンヌヴィルはぞくりとした感覚とともに、恐怖と歓喜で身体を震わせる。
「詠唱で魔法を使う我らにとって、無駄な会話は致命的な隙を生むと、何度も教えたな。その様子を見るに、まるで反省できておらんようだが」
コルベールは蛇のような鋭い目でもって、メンヌヴィルを睨み据える。
だが、その目は決して憎悪や殺意に呑まれてはいない。
冷たい眼差しではあるが、そこには決して衝動に負けない、理性の煌めきが宿っていた。
「『俺』の過去など、ここではどうでもいい。かかってこいメンヌヴィル。人に仇なす側についたお前に、引導を渡してやろう」
コルベールは手招きするように、指をクイクイと動かして挑発する。メンヌヴィルは歓喜の笑みを浮かべ、歯を食いしばった。
そして、かつての調子を取り戻しかけている昔の隊長へと、嬉々として挑みかかった。
「ふぅん、人間もまあ、なかなかやるものね」
コルベールとメンヌヴィルが、火魔法による激戦を繰り広げていた頃。フリーレンとアウラは、互いに殺意を飛ばすだけの応酬を繰り広げていた。
コルベールとメンヌヴィルの戦いが『動』なら、こちらは『静』。
間違っても、アウラに〝
フリーレンにとっての最悪は、コルベールが操られることなのだから。
一方、アウラも下手に動くわけにはいかない。
故に、これ見よがしに天秤を見せつけ、フリーレンを牽制しているのである。
そうして、ただただ睨み合う二人。
砲弾が炸裂する轟音と、火炎の燃え盛る音だけが、二人の耳を絶え間なく打つ。
暇にでもなったのだろう。
アウラが嫌味ったらしい笑みを浮かべて口を開いた。
「それにしても、薄情ねフリーレン。手助けしてあげないのかしら?」
自分に注意を引きつけておきながら、この物言い。もちろん、フリーレンの動揺を誘うための言葉だ。
当然、こうした挑発に慣れているフリーレンは、一切気後れすることなく返す。
「私はコルベールが『勝つ』って信じてるから、大丈夫だ」
「大した友情ね。聞いてたわよ。あいつ、『元人殺し』だそうじゃないの? そんな奴を信じるだなんて、どういう神経してるのかしら?」
アウラはやれやれと首を振る。
フリーレンは目を細めた。
「私はまだ、コルベールのことを何も知らない。けど、コルベールが勝ちに行く目をしてるってことだけはよく分かる。それだけ分かれば十分だ」
「大した信頼ね」
「それがヒンメルたちとの旅で覚えた『チームワーク』だ。魔族のお前には、一生分からない感情だよ」
ヒンメルの名を聞いた瞬間、アウラは一瞬だけ、つまらなさそうな顔をした。
だが、それも一瞬。アウラは再び口角を吊り上げると、今度は指を鳴らした。
「そう。じゃあ、そろそろ私たちも動きましょうか」
「……?」
瞬間、フリーレンの〝魔力探知〟に巨大な反応が引っかかった。
発信源は遥か上空。『王権艦』ロイヤル・ソヴリン号の方角だ。
「今回、なんで私が『不死の軍勢』を連れずに、あなたと接触したと思う? フリーレン」
そう。今回、アウラは手勢である首無し兵たちを率いてはいなかった。
その必要がなかったのだ。代わりとなる戦力を、きちんと用意していたのだから。
「ちゃんとあなたに見合った『兵器』を、こっちも用意しておいたからよ」
あの巨艦に、何かしまってあったのか?
次の瞬間、巨大な反応がこちらに向かって落ちてくる。
凄まじい衝撃音と共に、『それ』はフリーレンとアウラ、二人の間へ割って入るように降り立った。
全長十メイルはあろうかという、鉄甲冑を着込んだゴーレム。
背には巨大な直剣を携え、全身を重厚な鎧で覆った巨人兵だ。
「『ヨルムンガンド』。
アウラは不敵に笑う。
なるほど、これだけ巨大な兵器を暴れさせるつもりなら、大群を連れてくるのはかえって邪魔になるか。
フリーレンは、なぜアウラが大した手勢も連れずにこちらへやって来たのか、ようやく腑に落ちた。
この巨兵を格納し、ここまで運ぶために、わざわざロイヤル・ソヴリン号を動かしたのだろう。
「さて、降伏するなら今のうちよ、フリーレン。私の〝新式・
つまり、今のアウラに魔力勝負で勝つには、『最低でもアウラ以上の魔力があると証明しなければならない』ということだ。
潜在的に莫大な魔力を持っていようと、裁定の際にそれを表へ出さなければ認められない。つまりはそういう仕組みなのだ。
「今なら、特別に許してあげてもよくってよ? 今後一生、私に忠誠を誓うというのであれば、首は落とさないであげる」
「随分と優しくなったね。問答無用で首を切り落としていた三年前とは大違いだ」
「私にだって慈悲はあるのよ?」
(嘘をつけ)
もちろん、これは優しさなどではない。打算だ。
逆に言えば、『そうでもしなければ満足に戦力を維持できない』ということなのだろう。フリーレンはすぐにそう分析していた。
「で、どうなの? 下るの? 下らないの?」
アウラの問いに、フリーレンは〝
もちろん、加減などしない。六枚の花弁を思わせる魔法陣から、殺意の閃光が迸り、アウラを守るヨルムンガンドへ一直線へと迫った。
しかし、これまであらゆるものを貫いてきた〝魔族を殺す魔法〟が、この時ばかりは四方へと弾かれ、そのまま霧散した。
(これが、デルフの言っていた『
フリーレンは即座に分析する。
これもどうやら、『先住魔法』の力の一端なのだろう。
学院にいた頃、デルフと交わした先住魔法についての会話を思い出す。
先住魔法の中には、『
「ふふっ。頼みの綱の『ゾルトラーク』も、これで無効。果たしてあなたは、この巨兵をどう処理するつもりなのかしらね」
アウラはにやりと笑い、躊躇なくヨルムンガンドをフリーレンへとけしかける。ヨルムンガンドは背中に担いだ巨大な剣を振り上げ、一気に振り下ろした。
凄まじい衝撃と共に、フリーレンが立っていた場所が叩き潰される。
当然ながら、この質量の塊のような一撃を〝防御魔法〟だけでやり過ごせるはずもない。
フリーレンは即座に飛び退いて回避する。
だが、その衝撃によって地面から巻き上げられた鋭利な破片の一つが、彼女の頬を掠めた。
頬に、一筋の傷が走る。
フリーレンは素早く血を拭うと、親指についた血を一瞥し、そのまま懐へと手を伸ばした。
「ヒンメルもいない状態でこの苦境。果たして、どうやって乗り越えるつもりなのかしらね。フリーレン」
アウラはこれ以上ないほど嫌味な笑みを浮かべる。そして、コルベールへ向けて、天秤を掲げた。
まずは見せしめとばかりに、〝
「――――ッ!」
次の瞬間、アウラの死角から閃光が飛んできた。
アウラはかろうじて反応するも、その衝撃で手から天秤を取り落とし、魔法を中断させられる。
アウラの魔法を中断させたのはなんと、首と下半身のないフリーレンだった。
いや……フリーレン本人ではない。これは……スキルニルか!?
「お前が初戦で使っていた
ヨルムンガンドの攻撃をやり過ごしながら、本物のフリーレンが声をかける。
先ほど破片で頬を切ったのは、実は『わざと』。流した血を触媒に、アンソン街で壊したスキルニルを再利用したのだ。
人形のフリーレンは、両腕と胴体だけの姿で、アウラの前にふわふわと覚束なく浮かんでいる。
だが、その手にはきちんと愛用の杖も握られており、アウラの動向を目敏く捉えていた。
それを見たアウラは舌打ちする。
『ヨルムンガンド』と『ロイヤル・ソヴリン号』で何とかなると思っていたが……こうなると、手勢を連れてこなかったことが逆に仇となったか。
……まあいい。
あの程度のフリーレン人形なら、こちらとて片手間で葬れる。多少の時間は稼がれるだろうが。
「まあいいわ。せいぜい足掻いてみなさい。どう足掻こうとも、最後に笑うのはこの私なのよ」
アウラは笑みを浮かべ、高らかにそう宣言する。
フリーレンはそんなアウラを気にすることなく、ヨルムンガンドの剣戟を空中で回避しながら、〝
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「どう、デルフ」
それは、まだ学院にいた頃の話。
ルイズたちと一緒に、マチルダの修行の面倒を見ていた時のことだ。
やめろぉ! やめてぇえええ!!
遠くから聞こえてくるマチルダの悲鳴を背景に、当時のフリーレンはデルフリンガーと『ある実験』を行っていた。
「……ったく、本当に容赦しねえな、相棒は」
「でも、〝
ルイズは感心したように、地面に突き刺さったデルフを見た。
今行っている実験。それは『デルフの魔法吸収性能はどれほどのものか』についてだ。
あらゆる魔法を吸収し、自らのエネルギーへと変える能力。その許容量を確かめるため、様々な攻撃魔法をぶつけている最中なのだった。
「ただまあ、『俺』という器……つまり、この刀身だな。あまりに強力な魔法を立て続けにぶつけられると、そっちの方が持たねえかもしれねえ」
デルフの言葉に、フリーレンも「そうだね」と頷く。
とはいえ、対魔族で使うこともある強力な攻撃魔法すら吸収できる、その性能の高さ。さすが『英雄の剣』と呼ばれるだけのことはある。
「まあ、この実験は二の次だ。本題は……」
フリーレンはそう言って、杖先をデルフへと向ける。
六枚の花弁を思わせる魔法陣が展開された。
「……!」
その光景を見たルイズは、ごくりと唾を飲み込む。
当時、一緒に修行していたキュルケとタバサも、興味を惹かれて集まってきた。
実験の本題。
最強の貫通性能を誇る『最強の矛』〝
この二つを真正面からぶつけ合ったら、果たしてどちらに軍配が上がるのか。
「……仮にその実験で矛の方が勝ったら、デルフが粉々にならない?」
ルイズが心配そうな声でフリーレンに尋ねる。
何せ、『厄災竜』の『魔障壁』さえ貫き、その心臓を消滅させるほどの破壊力である。どちらかというと、デルフの刀身が真っ二つにへし折れる光景しか思い浮かばない。
「そうだね。私もそう思うけど、でも……」
「……」
「まあいいや。始めてみよう。準備はいい? デルフ」
「……もしへし折れたら、代わりの
少々分が悪いとデルフ自身も思っているのか、保険をかけるようにそう言った。
どうやら刀身が砕けようとも、別の器を用意すれば、そちらへ『憑依』することは可能らしい。
フリーレンは「分かった」と答えながら、杖先へ魔力を集中させ、発射態勢に入る。
「――――〝
閃光が迸る。
直後、デルフが突き刺さっている場所で、巨大な爆発音と共に爆風が巻き起こった。
「きゃっ……!」
髪を靡かせながら目を瞑っていたルイズは、やがて恐る恐るデルフのいた方を見る。
キュルケも、タバサも同様だ(ちなみにマチルダは、既に遠くで伸びていた)。
果たして、その結果は――。
「……やっぱり、耐えたか」
むしろ当然とでもいうような顔と声で、フリーレンは呟いた。
煙が晴れた先。そこには、デルフが依然として新品同様の姿で突き刺さっていた。
「すごいじゃないの、デルフ! ゾルトラークを吸収するなんて!」
これにはルイズも、キュルケもタバサも感嘆した様子でデルフを褒める。
「……あー、びっくりした。意外といけるもんだな」
デルフも、どちらかといえば貫かれると思っていたクチなのだろう。
少しホッとしたような声色が、その言葉には混ざっていた。
「でも、どうして?」
タバサが、その疑問をフリーレンへと投げかける。
「多分だけど、デルフの『吸収性能』が、ゾルトラークの『貫通性能』より先に作用して無効化した……そんな感じがあった。でも、なんだろう……」
フリーレンは興味深そうな表情を浮かべる。
デルフの作りそのものが、まるで『対魔族魔法に特化』しているかのような印象を受けたのだ。
「ねえ、デルフって、どうやって作られたのか覚えてないの?」
フリーレンが尋ねる。だが、デルフは「わりぃ、覚えてねえ」と返すだけだった。
「過去に、この〝
「……いや、うぅぅん」
「クヴァールって魔族の名前に覚えはない?」
「………………」
長い沈黙の後。
返ってきたのは、「すまん」という謝罪だった。
「ふざけるつもりはねえんだ。本当に思い出せねえんだ……」
「……分かったよ。これ以上は、今は聞かない」
「えぇ……いいの?」
ルイズは口を尖らせるが、思い出せないと本人が言っている以上、仕方がない。
とりあえず、『デルフの吸収能力は、ゾルトラークすら耐えられる』
それが分かっただけでも、十分な収穫だった。
「デルフって、かなり複雑な魔法で動いてるよね。ただの系統魔法って感じじゃない。別の魔法の力も働いてるっぽいんだよね」
「う~~ん、そうなのかねえ」
「……それすら分からないって、ホント、どんだけボケてるのよ、あんた」
「まあいいや。デルフの構造、ちょっと調べてもいい? 興味あるんだよね」
「別に構わねえけどな。あんまり痛いのはやめてくれよ……」
この構造解析で得た知識が、その後。
アルビオンにて、『眠り』の先住魔法にかかったルイズの解除に貢献することになるのだが、それはまだ先の話。
要するに、デルフリンガーは限りなく『先住魔法』に近い力で動いていることになるのだが……この時はまだ、フリーレンもそこまでは気づいていなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(原理は、デルフの吸収性能とかなり似てる感じか)
ヨルムンガンドの攻撃を空中で回避しながら、様々な箇所へ〝一般攻撃魔法〟を撃ち込み、フリーレンはそう考える。
あの鎧は、エンシェント・ドラゴンの『魔障壁』すら貫いた閃光魔法を霧散させ、四方へと弾き返している。
(さて、どうするか。〝解析〟すれば貫けるかもしれないけど……)
今回は、かなり時間がかかりそうだ。
夢の中でルイズにかけられた『先住魔法』を解除した時は、ほぼ瞬きほどの時間で済ませられた。
だが、あれはデルフの構造をあらかじめ解析していたことに加え、そもそも『眠り』の先住魔法の『使い手自体が』、それほど大したものはなかったから容易に解除できたのだ。
しかし、こいつはかなり複雑だ。
『先住魔法』に加えて、『様々な魔法知識』を組み合わせて作り上げられた、まさにこの世界における、高度な魔法技術の結晶体。
こいつを即興で破るには、まだハルケギニアの魔法原理に対する知識が足りない。
(なら、この巨人をどう攻略するか)
フリーレンの思考は、徐々にそちらへと研ぎ澄まされていった。
一方、コルベールとメンヌヴィルの戦闘では――。
「ははは! どうした隊長殿! その程度か!」
炎を周囲に侍らせ、容赦なく攻め立てながらメンヌヴィルは叫ぶ。杖を握り、かつて心底惚れ込んだ上司に向かって、遠慮なく炎を放つ。
二十年前、自分の炎は負けた。未熟だったからだ。
しかし、今は違う。
『あの時』――村を焼かず、女一人を連行するだけで済ませようとする腑抜けた隊長の背中に向かって、炎を撃ち放ったことがあった。
あの時、炎を背中に当てることはできた。だが、その代わりに自分は、反撃で食らった炎によって光を失った。
あの雪辱を晴らすため、隊を去り、流浪の旅の中で数多の人間を焼いてきた。
視力は失ったが、その引き換えに強力な『炎』を手にしたのだ。
身体の内側から膨れ上がる熱量が、神経を幾倍にも研ぎ澄ませてくれる。僅かな温度の差さえ見逃さない。空気の微妙な変化すら探知できる。
人の体温。変わりゆく空気の流れ。上空から迸る閃光。メンヌヴィルにとって、そのすべてが色のついた影として映し出される。
この超絶的な探知能力で、今こそ隊長を超える。
メンヌヴィルの顔は、歓喜で彩られていた。
「……くっ!」
一方、コルベールは防戦一方。その顔には苦戦の色が浮かんでいる。メンヌヴィルの炎を、ただただやり過ごす。今の彼には、それしかできない。
「どうしたどうした! 二十年でそこまで腕が鈍るか! さっきの威勢はどこへ行ったのだ、隊長よ!」
メンヌヴィルの荒々しい挑発を受けても、コルベールは苦い顔で杖を振るうのみ。
今はアウラがフリーレン人形の対処にもたついているため、〝
それでも、このままではメンヌヴィルの放つ炎に押し負けることだろう。
フリーレンはヨルムンガンドと激戦中。マチルダは上空から降り注ぐ砲弾の嵐を受け止めるので精一杯。
助太刀は期待できそうもない。
「ぐおっ!」
そうこうしているうちに、コルベールはメンヌヴィルの放った爆炎に吹き飛ばされ、身体を地面へと投げ出した。
その衝撃で、杖も遠くへ転がってしまう。
メイジは杖を失えば、ただの人となる。
勝負あり。そう言わんばかりに、メンヌヴィルは起き上がろうとするかつての隊長へ杖を向けた。
「チェックメイトだ、隊長殿。……まさか、ここまで弱くなっていたとはな。正直言って失望したぞ」
事実、メンヌヴィルの浮かべる表情は、追い詰めたことへの歓喜とは程遠いものだった。
むしろ、あまりの弱体化を嘆くような無表情。
こんな隊長は見たくなかった。そう言わんばかりに、口の端がうっすらと震えてさえいた。
そんな彼の心境を逆撫でするかのように、コルベールは次のような行動に出る。
「メンヌヴィルくん、頼みがある。……見逃してはくれまいか?」
「はぁ……?」
「きみが強いのはよく分かった。それでも私は……もう、魔法で人を殺さぬと決めたのだ。これ以上、無益な戦いはしたくない」
「ついにボケたか? 今のこの状況を理解できておらんのか?」
杖を飛ばされ、無防備を晒しておいて。
今さら『無益な戦いはしたくない』?
そういう台詞は、せめて相手を追い詰めている時に言うものだろうが!
メンヌヴィルは心底呆れ果てたような顔を浮かべる。次いで、その表情は、みるみるうちに憤怒の形相へと変わっていった。
「あっはははははははは! 無様ねぇええ!」
フリーレン人形を〝
フリーレンが連れて歩くから、どれほどできる魔法使いかと思っていたが……なんだ、所詮この程度か。
こんな無様な魔法使い、〝
メンヌヴィル同様、魔法など使わずとも、命惜しさで従うタイプと見た。
「あ~~~笑わせてもらったわぁ。ねえフリーレン、あんた、こんな情けない魔法使いのどこに、なんの価値を見出したのかしらぁ!?」
アウラは笑いすぎて涙目になっていた。
それほどまでに、おかしかったのだろう。
実際問題、こんな土壇場で、しかも命惜しさに頭を下げる魔法使いなど、北側諸国でも見たことがない。
これでは、『こんなの』を連れ歩くフリーレンの格すら下がるではないか。
そもそも、あんな魔力も毛量も寂しいハゲが、この場にいること自体が間違いに等しい。
しかし、フリーレンは依然として、何を考えているのか悟らせぬ無表情のまま。
大剣を振り上げるヨルムンガンド――その光り輝く鎧の端に映り込んだコルベールの顔を、一瞬だけ見る。
彼は頷いた。フリーレンもまた、頷いた。
『それ』だけで、十分だった。
一方、メンヌヴィルは額にいくつもの青筋を浮かべながら、震える声でコルベールに言った。
「オレは……オレは貴様のような腑抜けを二十年以上も追っていたのか……絶対に許せぬ。じわじわと炙り焼きにしてやる。生まれてきたことを後悔するぐらいの時間をかけて、指先からローストしてやる」
「……これだけ言っても、許してくれないかね」
「しつこい奴だ。先にその五月蠅い舌から焼いてやる――――!」
そう言ってメンヌヴィルが、コルベールへ向けてとどめの炎を放とうとした、その時。
「じゃあお前の負けだ。副長」
突如として放たれた殺気に、メンヌヴィルは呑まれかけた。
さっきまで情けない顔をしていたというのに、まるで二十年前に戻ったかのような。
『炎蛇』。その二つ名にふさわしい、冷たい殺気。懐かしいとさえ思える感覚に、メンヌヴィルの心は一瞬、歓喜と驚愕で浮ついた。
だから気づかない。気づくはずもない。
「――――“
その言葉と共に迸る閃光。
それがメンヌヴィルの背中に命中。モロに食らったメンヌヴィルは、あっさりと倒れる。
「ごがっ……!!」
なんだ! 何をされた!
背後から撃たれた! まさか……!
そう、メンヌヴィルを撃ち抜いたのは、フリーレンだった。
彼女は、巨大甲冑人形の『
鎧に当てて反射させ、無防備だったメンヌヴィルの背中にぶち当てたのだ。
「ぐっ、くそ……!」
メンヌヴィルはそのまま、うつ伏せに倒れた。
胴体に直撃はしたが、風穴は開いていない。一応、殺しは自重していたのだ。
それに、奴はコルベールと旧知の仲らしい。ならば、決着をつけるのもコルベールに任せた方が良い。
「あはっ、隙だらけよフリーレン!」
一方、アウラはフリーレンの助太刀を、明確な『悪手』と見た。
ヨルムンガンドが大剣を台風のように振り回すただ中で、そんな援護をすれば、致命的な隙を晒すだけ。
事実、ヨルムンガンドはゴーレムとは思えぬ俊敏さで、魔法を放った直後のフリーレンを捉えた。
その隙を咎めるように、巨大な剣が高々と振り上げられる。
そしてフリーレンへ致命の一撃を叩き込もうと、大剣を一気に振り下ろす。
しかし、そのヨルムンガンドの腕が、フリーレンの頭上数サントで急に止まった。
「……えっ」
今度は、アウラが呆気に取られる番だった。
なんだ? 急に動かなくなった。どうしてとどめを刺さない?
せっかく隙だらけだったというのに……!
(まさか、
「気づくのが遅かったな、アウラ」
フリーレンのその言葉で、ようやくアウラもヨルムンガンドに何が起きたのかを悟った。
気づけば、この辺り一帯が急激に熱を帯び始めている。その熱の発生源は――ヨルムンガンドの内部。
アウラはキッとコルベールの方を睨む。
(あいつ……! わざと首を垂れて命乞いする振りをしながら、入念に準備していたな!!)
「いかに魔法を反射する巨兵といえど、その能力が適用されるのは『鎧部分』だけのようだな。……中身がただの土人形だというのなら、中から熱して崩してやればいい」
そう。
コルベールはわざと無様な演技をして、ヨルムンガンドへの反撃の機会を窺っていたのだ。
昔の自分なら、百パーセント勝てなかっただろう。
だが、今の自分には――これがある。
「〝
コルベールは、フリーレンから教わったかの魔法を、ヨルムンガンドを内側から溶解させるために使っていたのだ。
地獄の業火に内側から焼かれたヨルムンガンドは、ぐずぐずとその身体を崩し、ついに動きを停止させる。
フリーレンへの攻撃を寸前で止めたのも、単純に身体が崩壊し、動けなくなったからだ。
(馬鹿な……私の〝魔力探知〟を欺いて、そんな真似……!)
そう、アウラも戦いながら、きちんと『魔力探知』で周囲を探っていた。
これほど大規模な炎魔法だ。発動するとなれば、コルベールの魔力も探知できたはず……。
なのに、どれだけ探っても周囲から感じ取れるのは、
(まさか……!!)
アウラがその仕掛けを悟った瞬間、彼女の真横を〝
「――ッ!」
寸前のところで首を傾けて回避した。
だが、すでにアウラの顔から余裕の笑みは消えていた。
「どうした、アウラ? コルベールを馬鹿にしてた時は、あんなに楽しそうだったのに。もっと笑いなよ」
「くっ……!」
「それとも、これだけでもう笑えなくなったのか?」
アウラは、ぎりっと歯を食いしばる。
コルベールの魔法の発動に気づけなかった理由。それは『コルベールの魔力を、フリーレンの膨大な魔力が覆い隠していたから』。
ここで再会した時、フリーレンは間違いなく魔力を制限していた。
だが、ヨルムンガンドとの戦闘が始まってから、徐々に――アウラにすら悟らせないほどゆっくりと、それでいて確実に魔力制限を解除していったのだ。
そして、周囲を自らの魔力で満たし、コルベールの魔力反応をその中へ紛れ込ませていた。
そのせいで、アウラはコルベールの魔法の発動に、ぎりぎりまで気づくことができなかった。
(どういうことよ……! なんで、言葉も交わさずにこんな即興のチームワークを、こいつらは……!)
不可解。理不尽。
そんな言葉をそのまま表したような、苦悶の表情をアウラは浮かべる。
だが、手勢のヨルムンガンドは封じられた。メンヌヴィルも、もう使えない。
〝
ならば、残された手は一つ。ロイヤル・ソヴリン号の斉射速度を、さらに高めるしかない。
アウラはシェフィールドを通じ、上空の巨艦を動かす魔法人形たちへ密かに命令を下した。
『弾が尽きても構わない。とにかく弾幕を張れ』と。
「ぐっ……まさか、最初からこれを狙っていたのか……?」
ゆっくりと立ち上がるコルベールに向けて、息をするのも辛そうな様子でメンヌヴィルは問う。
「目で見ている正面を狙うより、目を向けていない背後を狙った方が手早く仕留められる。……口を酸っぱくして教えたはずだがな、副長」
「最初から……あんたが巨兵を、あのエルフが……オレを撃つ腹積もりだったと?」
「そうだ。その方が、より油断を誘えるからな」
事実、コルベールの命乞いは覿面だった。
アウラでさえ、〝
「さっき、賢しらに私が教えた言葉を諳んじていたが……本当に諳んじていただけだったな。私が正面から堂々と戦うと、お前は思い込んでいた。それが敗因だ」
「……」
「どうやらお前は、本当の意味で『蛇にはなり切れなかった』。そういうことだ」
コルベールは立ち上がり、倒れているメンヌヴィルを今度は見下ろす。
相変わらず、背筋が凍るような『炎蛇』の眼。
(なんだ……まだそんな眼ができるんじゃないか)
おまけに、先ほど見せた――あの巨兵すら内側から焼き崩した、本物の獄炎。
「なあ、隊長殿……さっきの魔法は何だ? オレにも教えてくれよ。あの、すべてを燃やし尽くす炎は何だ?」
「貴様に教えることなど、もう何一つとしてない。おとなしく降参しろ。さもなくば――――!」
そこまで言った時だった。
突如、上空から降り注ぐ砲撃の密度が跳ね上がった。
「コルベール!」
「っ……!!」
フリーレンの咄嗟の声に、コルベールは素早く反応する。身を翻し、その場から大きく後方へ跳躍。
直後、メンヌヴィルのすぐ近くに、砲弾が着弾した。
「……しまった!」
だが、それは言い換えれば――メンヌヴィルがまともに砲撃へ巻き込まれたということ。
見れば、メンヌヴィルは左腕を吹き飛ばされ、砲弾の破片を全身に受けながら、十メイル以上も宙を舞っていた。
「が、がはは……! さすがだ、隊長殿! だが、オレはまだ終わってはいない!」
そんな悲惨な有様にもかかわらず、それでもメンヌヴィルは笑っていた。
笑いながら、コルベールへ向けて叫び続ける。
「必ずや……オレも、その……獄炎の、魔法を……!!」
そう叫びながら、メンヌヴィルの身体は港の端を越え――そのままアルビオン大陸の彼方へと落下していった。
やがて、その姿は完全に見えなくなる。
「メンヌヴィル……!! くっ……!」
コルベールが悔恨の表情を浮かべる。
その一瞬の隙を、アウラは見逃さない。コルベールへ向けて天秤を掲げようとする。
だが、それを咎めるようにフリーレンの閃光魔法が飛来した。
「くっ……!」
アウラはそれを回避する。
それでもなお、コルベールを洗脳し、服従させようと再び天秤を掲げた――その時。
「えっ……?」
突如、アウラの足元に『光の蛇』が絡みついた。
「なに、これ……!」
光の蛇は彼女の足首へ絡みつき、そのまま太腿へと這い上がっていく。
その身をくねらせながら、一気にアウラの首筋へと牙を剥いた。
「くっ!」
アウラは咄嗟に〝防御魔法〟を展開する。
だが――光の蛇は、それをすり抜けた。
「――ッ!?」
そして、そのままアウラの首筋へがっちりと噛みつく。
「ま、さか……! この魔法は……」
アウラは、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
あの人間、ここまでできるとは。正直、侮っていた。
「どうだアウラ。人間もやるだろう?」
「くっ……ありえな―――――!!」
フリーレンはどこか誇らしげに、そう呟く。
また負けか……。今度は少し屈辱そうな顔を浮かべるアウラ。
「〝
コルベールが小さくそう呟く。
次の瞬間、アウラの首を噛んでいた光の蛇は、連鎖するように小爆発を起こす。
研究と研鑽の果て、コルベールは〝一般攻撃魔法〟の形状を蛇の形に昇華させたのだった。
しかも、破片程度の〝防御魔法〟ならすり抜ける技量を追加させて。
二体目のスキルニル・アウラは、こうして頭以外の全身を爆ぜさせながら粉みじんに消滅した。
「お前! 顔覚えたからね! 次会ったら今度こそその首落として――――!」
最後に宙に浮かぶ、首だけとなったアウラを、追撃の蛇が丸呑み。
そして最後に爆散。アウラのスキルニルは完全に消え去った。
アウラちゃんって、間違いなく強いはずなのに、どうしてこうもBU☆ZA☆MAが似合うのか。
だれかおしえて。
Q.エンシェント・ドラゴンの魔障壁は貫通していたのに『反射』は貫通できないの?
A.あの時のエンシェント・ドラゴンは全盛よりかなり力が落ちているため、ゾルトラークの貫通特性を無効化できませんでした。ヒンメル時代なら弾いていたかもです。