論外。
あまりにも無慈悲な評価に、コルベールの体は氷のように硬直した。
ゼーリエは、マチルダを見ていた時以上に不機嫌そうな、むすっとした表情を崩そうともしない。
本当に、評価する気すらない。そんな意思が、その顔にはありありと表れていた。
これにはコルベールも、頭頂部から滝のような汗を流すばかり。
「ゼーリエ、コルベールは……」
フリーレンも、まさかここまで辛辣な評価を下されるとは予想していなかったらしい。
少し意外そうな顔で、ゼーリエを見る。
「言わなくても分かっている。
ゼーリエはフリーレンの言葉を先読みするように、ぴしゃりと答えた。
「発明家として最上の才があったとしても、そこに『魔法』が関わらなければ、魔法使いとして認定などしないだろう? 私は魔法以外の才能など評価しない」
コルベールが持つ稀代の才能を、きちんと見抜いた上での評価だった。
確かにコルベールは、普段から魔法に頼らない『技術』に傾倒している。
彼にとって魔法とは、それ自体を極めるものというより、何かを成し遂げるための手段の一つ。
そういう見方をしているのだから、ゼーリエがこのような評価を下すのも致し方ないのだろうが……。
そんなことを考えていたコルベールに追撃するように、ゼーリエは続けた。
「そして、魔法だけに絞って見た場合、こいつほど己の才能を愚弄している者もいない」
ゼーリエは険しい表情のまま、コルベールに問いかける。
「お前、何歳だ?」
「え、えっと……今、四十二……です」
「トライアングルクラスになったのはいつだ?」
「はい……十二……です」
それを聞いたベアトリスは、「え?」と口を開けた。
基本的に、十歳までに己の魔法の系統が、朧気でも分かれば順当。
トライアングルクラスともなれば、飽くなき研鑽を重ね、三十代後半で到達できれば上々と言われるほどの高位である。
それに十二で到達したとなれば、話はまるで違ってくる。
十代でトライアングルクラスに至るなど、それこそ始祖に最も近いと言われる王族に連なる者か、そうでないなら一握りの天才にしか成し得ないことなのだ。
ちなみにベアトリスは、つい最近になって、ようやく己の系統が『火』であることに気づいたくらいである。
そんな規格外の経歴を聞いて、ゼーリエが口にしたのは、称賛でも感嘆でもなかった。
「お前、その三十年間『スクウェア』にも上がらずなにをしていたんだ?」
それはもはや、評価というより説教だった。
コルベールは完全に萎縮し、見る見るうちに体を縮こませていく。
「お前ほどの才がある者なら、その三十年、腐らず研鑽を続けていれば、『スクウェア』より更に高みへと昇り詰められただろう。その歳で『トライアングル』などという中途半端な位置に、今なお収まっているはずがない」
評価こそ辛辣だったが、それはコルベールに才能がないからではない。むしろ逆だった。
ゼーリエは、コルベールが持つ魔法使いとしての才を、確かに認めていた。
認めているからこそ、その才を三十年もの間、ろくに磨こうともせず眠らせてきたことが気に食わないのだ。
才ある者が、その才を活かそうとしない。
ゼーリエにとって、それは何よりも理解し難い。『己の才能に対する愚弄』そのものだった。
「己の才を磨くことを忘れ、魔法の研鑽から目を背け、『三十年』という人間にとって決して短くない時間を、魔法使いとして無為に過ごした。そんな奴ほど、魔法使いの高みから遠い者はいない」
「ゼーリエ、コルベールは……」
「言わんでもいい。大方、
だが、ゼーリエは「それが下らんというのだ」と、やはり評価を変えようとはしなかった。
「そうやって過去の傷から目を背け続け、研鑽を怠る馬鹿を、どうして〝一級魔法使い〟に認定してやれる? 研鑽を続けてきた弟子たちと同列に並べることすら、失礼に過ぎる」
ゼーリエもまた、数多の弟子たちを抱えてきた。
過去に傷を抱えながらも、魔法の研鑽にだけは真摯に向き合い続けた者。
臆病でありながら、老齢に達してなお牙を研ぎ続ける者。
ゼーリエが一級魔法使いとして認めてきた者たちは、誰もが一筋縄ではいかない性格をしていた。
それでも、魔法の高みを目指すことだけは決してやめなかった者たちだ。
そんな弟子たちと、今のコルベールを同列に並べることなど、ゼーリエには到底できなかった。
その言葉には、珍しく強い感情が込められていた。
「それほどの才を持ちながら、人生の折り返しに差しかかってなおトライアングル。何もかもが中途半端だ。そして今も、魔法とは関係のない『技術』とやらに人生を費やしている。そんな奴を評価してやるほど、私は優しくはないぞ」
ゼーリエは、そこで言葉を切った。
才がありながら、過去の傷に躓き、立ち上がることもできず。今なお、魔法使いとしての研鑽から目を背け続けている。
それが、ゼーリエの目に映る今のコルベールだった。
「はい……もう、返す言葉もございません……」
コルベールは完全にしょげてしまった。
ここまでボロクソに言われるとは思っていなかった。
だが、それだけゼーリエが『魔法』というものに対して、どこまでも真摯なのだということも分かってしまった。
反論の言葉など、出てくるはずもない。
二十年前、ダングルテールで負った心の傷は、今なお完全には癒えていない。
そのせいで、己の火の魔法をこれ以上強めることを恐れるようになった。
そして今では、魔法に頼らない『技術』によって、自分なりの成果を残せないかと考えるようになっている。
その信念自体は、今も間違っているとは思わない。
だが――『魔法使い』という一点だけに絞って見れば、ゼーリエの評価がこうなるのも無理はなかった。
マチルダ以上に辛辣な評価を下され、場の空気は一気に氷点下まで冷え込んだ。
ティファニアもベアトリスも、この空気をどうすればいいのか分からず、戸惑うことしかできない。
「あと、これは評価ではなく、私個人の感情だが……」
まだあるのか。
そんな空気を一切気にすることなく、ゼーリエは胡坐をかいていた足を組み直し、片膝を立てる。
「単純に、お前個人が気に入らん」
「はぃ……??」
「昔、『誰もが魔法を使えるようにしたい』などという夢物語を語って、私の元を去った馬鹿がいた。お前はそいつと、同じ種類の輝きを目に宿している」
その言葉に、フリーレンの眉が僅かにぴくりと動いた。
至極つまらなさそうにそう言い放つゼーリエ。
だが、その脳裏にはおそらく――フリーレンの師であり、ゼーリエにとっての一番弟子でもある、『あの人物』の姿が過っているのだろう。
ゼーリエはそれ以上何も言わず、コルベールからぷいと顔を背けた。
そして、その場に重苦しい沈黙が流れ始めた。
(……ね、姉さま。この空気、どうすればいいの?)
(ど、どうしよう……)
ベアトリスとティファニアはひそひそ声で相談しながら、何とかこの重苦しい空気を変えられないかと、必死に頭を巡らせた。自分で振った話題からこうなったのだから、なおのことだ。
マチルダはいまだに泣きながらぶっ倒れている。彼女の助けは期待できそうもない。
フリーレンは何も言わないし、ザインはマチルダの介抱に回っている。
そしてコルベールは、もう目が虚ろになっていた。
う~ん、と悩んだ末、ティファニアはとりあえず『話題を変える』ことにした。
「あ、あの、ゼーリエさん! ゼーリエさんって、今はその……思念? で、わたしたちと会話している状態なんですよね?」
とにかくこの空気を変えなければ。
そんな一心で、ティファニアは考えるより先に喋り始める。
そのため、特に何を聞きたいのか自分でも決めていなかったのだが、とりあえずゼーリエはティファニアの方を向いた。
「ああ、そうだが」
「で、でしたら、その……ゼーリエさん自身がこちらのハルケギニアに来る……ことって、できないのですか?」
その言葉に、周囲の視線が再びゼーリエへと集まる。
確かに、彼女がハルケギニアに来てくれれば――少なくとも、アルビオンで起こっているこの状況、アウラによる支配をより確実に退けることは可能だろう。
「そもそも、来るつもりあるの?」
フリーレンがゼーリエにそう尋ねた。
ティファニアには悪いが、フリーレンからすれば、ゼーリエはハルケギニアに来ること自体には消極的なように見えていたのだ。
「ないわけではないぞ。さっきも言ったように『面白い卵』も見つけたし、そいつらを鍛えるためなら、ハルケギニアに出向くこともやぶさかではない」
だが、ゼーリエは「今すぐ来ることは不可能だ」と、つまらなさそうに言った。
「こうして思念を送り、朧気ながらでも会話できる程度には『導線』を確保できた。だが、この思念も結局一時的なものだし、私自身が安全にハルケギニアへ身を移すとなると、まだ準備に時間がかかる」
「でも、ザインやヒンメルもこの世界へ来られたみたいだし、師匠の残した鏡を使えば、もっと簡単に来られるんじゃない?」
「それに関しては、すでに弟子たちに連絡を取っているから問題はない。だが……私は『鏡』を経由して、この世界に来るつもりはないぞ」
ゼーリエはそう言うと、ティファニアを指さして続けた。
「今、私は『召喚』の因果律を捻じ曲げて、こいつの『使い魔』としてこの世界に召喚されるよう働きかけている。もし私がハルケギニアに来るのであれば、ティファニアから呼び出される形になるだろうな」
しれっと放たれたその言葉に、ようやく復帰したマチルダとコルベールは、再び唖然とした表情を浮かべた。
「え、『
「呼び出される形で、こちらに来るとおっしゃるのですか……?」
フリーレンが語っていたこと、そのままの技法でハルケギニアに来ると聞き、驚きを隠せない。
『
系統ごとに、呼び出される使い魔の傾向自体はある。
風系統ならグリフォンなどの空を飛ぶ生物。火系統ならサラマンダーなど、火山に生息する生物といった具合に。
だが、それさえもあくまで『傾向』に過ぎない。
実際に何が呼び出されるのかは、召喚者自身にも分からないものなのだ。ましてや、誰が呼ばれるのかを自分の意思で決めることなど、まず不可能。
だが、ゼーリエはその不可能を、さも当然のように『できる』と言い切った。
しかも、『運命』によって決まるはずの因果すら捻じ曲げた上で。
先ほどの『平民にも魔法の才はある』という発言といい、今まで生きてきた中で築き上げてきた常識が、ここ数分で次々と粉々に打ち砕かれていく。
マチルダとコルベールは、もはや眩暈すら覚えていた。
「じゃ、じゃあ、わたしが『召喚魔法』を唱えれば、ゼーリエさんをお呼びすることができるということですか?」
「その準備段階に入っているだけだ。今、お前が『召喚』を唱えても、私が応じることはない。それだけ繊細な作業だからな」
ただ、いかなゼーリエといえど、その作業を片手間でこなせるほど簡単なものではないらしい。
仮にも、伝説と謳われる『虚無』の『召喚扉』。
異なる世界同士を安全に繋ぐとなれば、微細な魔力の糸を幾重にも撚り合わせるようにして、慎重に『導線』を築いていく必要があるという。
そして一歩間違えれば、ゼーリエですら取り返しのつかない事故に繋がる恐れがある。
「下手をすれば、『扉』を通って世界を渡る途中で接続が切れ、私の上半身だけがハルケギニアに、下半身は元の世界に残されたまま分断される恐れもある。そうなれば、さすがの私でも復活は無理だな」
「へー、面白そう。やってみせてよティファニア」
「私は面白くないからやらなくていいぞティファニア」
まあ、やったところでゼーリエが応じないだけなのだろうが。
フリーレンとの軽口を適当にいなしつつ、ゼーリエはいまだにぽかんとしているティファニアを見る。
「でも、いつかはゼーリエさんも来ていただける……ってことでいいのですね?」
「ああ。『その時』が来たら、お前に教えてやる。準備だけは怠るな」
「そもそも、どうしてわざわざ『召喚扉』を経由してハルケギニアに来るの?」
フリーレンが疑問を口にする。
ゼーリエほどの魔法使いなら、そんな面倒な手順を踏まずとも、フランメの残した鏡を使うなり何なりして、もっと簡単にこちらへ来られそうなものだ。
それとも、
そんなフリーレンの疑問に対し、ゼーリエは「簡単なことだ」と、さも当然のように答えた。
「フォルサテのバカが作った刻印、『リーヴスラシル』を完全に制御できるのは、現時点で私だけだ」
至極面倒くさそうにそう言いながら、ゼーリエは足を組み替える。
「リーヴ、スラシル……?」
「なんですか、それは……」
コルベールは疑問符を浮かべながら、そういえば虚無の担い手には『四の使い魔』がいたことを、フリーレンのルーンを調べた際に知ったのを思い出す。
そのうちの一つ、左手に刻印を宿す『ガンダールヴ』。
『神の盾』として、あらゆる武器を操り、主人を脅威から守る者。
対する右手に刻印を宿す『ヴィンダールヴ』。
あらゆる動物を手足のように操り、主人を運ぶ者。
額に刻印を宿す『ミョズニトニルン』。
魔道具に関するあらゆる知識を修め、主人に助言を与える者。
そして、残るもう一つの刻印は――なぜか、その名前すら記されていなかった。
まるで、『記すことさえ憚られる』かのように……。
だが今、ティファニアという『虚無の担い手』を前にして、これまで知られていなかった刻印の名が出てきた。
ならば、ゼーリエが口にした『リーヴスラシル』とは、その記されていなかった四つ目の『使い魔の刻印』の名なのだろうか……。
「他の使い魔にその刻印を刻めば、間違いなくそいつは死ぬ。だから、私がお前の使い魔になってやろうと言っているんだ」
だから、お前は軽々しく『召喚術』や『契約術』を使うんじゃないぞ。
ゼーリエは真剣な面持ちで、ティファニアにそう釘を刺した。
「し、死ぬって……」
そんなにも物騒なルーンなのだろうか?
マチルダは激しく疑問に思った。
やはり彼女は、ブリミルについてかなりのことを知っている。
一体、彼女は始祖とどんな関係だったのだろうか? 皆がそのことに強い疑問を抱く中、当のゼーリエはフリーレンの方を向いた。
「それよりフリーレン。お前、いいのか?」
「なにが?」
「お前の主人、大変なことになっているんじゃないか?」
フリーレンは、そこで眉を顰めた。
そして何かを思い出したように目を閉じ、長い耳をそばだてる。
(……何も見えない?)
フリーレンは訝しむ。
『使い魔と主人の耳目共有機能』。
これを使えば、今のルイズの状態や、彼女が何を見聞きしているのか、すぐに分かる。
だが、視界は真っ暗。何も見えない。
その一方で、音だけは聞こえてくる。冷たい水滴が、ぴちょん、ぴちょん、と落ちる音。もぞもぞと、何かが身じろぎする音。
共有機能そのものが不全になったわけではない。ということは、物理的に視界を塞がれている。
目隠しでもされているのか?
「ルイズ、ルイズ? 聞こえる? 聞こえるなら返事して」
フリーレンは声を通して、ルイズとの意思疎通を試みた。
しかし、返ってきたのは「ぅう……」という、くぐもった声だけだった。
フリーレンは目を細める。どうやら目を離している間に、想像以上に厄介なことになっているらしい。
「ルイズ、もしかして捕まった? 正解だったら、何でもいいから声を出して」
数秒後、ルイズのうめき声が返ってくる。
この様子では、拘束された上で監禁されているのだろうか。少なくとも、目と口を塞がれているのは確かなようだ。
「ルイズ、どこに連れ去られたか分かる? 分かるなら返事して。分からないなら何もしなくていい」
数秒待ったが、反応はない。フリーレンは質問を続ける。
「あの夢のあと、戦った連中に捕まったの?」
夢の中でルイズに『先住魔法』をかけた連中にやられたのだろうか?
数秒後「ふぅむ……」と、肯定するようなくぐもった声が返ってきた。
「ルイズ、今、自分はアウラの〝
その質問の後、首を横に振っているかのような衣擦れの音が、フリーレンの耳に届く。
「シエスタたちも捕まってる感じ?」
今度は、肯定するような声が返ってきた。
「分かった。すぐ助けに行くから、待ってて」
フリーレンはそう言うと、無表情ながらも、どこかげんなりした様子で周囲を見渡した。
「一大事だ。ルイズ達が捕まった」
「えええっ!?」
「本当に一大事ではないですか!?」
これにはマチルダもコルベールも、大いに慌て始める。
フリーレンも、今のルイズ達なら大抵の敵、それこそアウラ本人が直接出てこない限り、問題はないだろうと踏んでいたのだが。
様子を見る限り、アウラと直接戦って負けた、という感じでもなさそうだ。
「お前もまだまだ未熟だな、フリーレン」
ゼーリエの軽口を適当にいなしながら、フリーレンは立ち上がる。
本当はもっとゼーリエから色々と情報を聞き出したかったが、ルイズ達が囚われた以上、そうも言っていられなくなった。
今はまだ大丈夫そうだが、いつアウラと接触し、〝
シエスタやアニエスはもとより、『今の』ルイズの魔力操作では、まだアウラの魔法を覆せるとは言い切れないからだ。
アウラと接触する前に、何としてもルイズ達を救出しなければならない。
居場所が分からない以上、心当たりのある場所を中心に、しらみつぶしに探すことになるが致し方ない。
(ルイズと最後に交信した時は、ハヴィランド方面へ向かう途中だった。そこに点在する街や村を、一つずつ洗っていくしかないな)
普段のルイズは魔力をほぼゼロに近い状態まで抑えているため、魔力探知で直接探り当てる方法も、効率的とは言い難い。
「ど、ど、どうしましょうか? ミス・フリーレン?」
「とりあえず、すぐにジープを動かせるようにして。首都ハヴィランド方面へ向かいながら、ルイズの痕跡を辿って見つけ出すしかない」
何とかルイズ達と敵対者が交戦した場所まで辿り着ければ、そこに残された魔力の痕跡を探知して、彼女達が連れ去られた先を追えるかもしれない。
というより、現状ではそれくらいしかルイズ達を見つけ出す方法がなかった。
「わ、分かりました。すぐに準備します!」
コルベールはすぐさま立ち上がり、『サイレント』の外へ出ようとするが――。
「ああ、最後に。ちょっと待て、コルベール」
「は、はい……?」
そんな彼を呼び止めたのは、意外にもゼーリエだった。
なんだろう。また説教されるのだろうか?
思わず身を固くしながらゼーリエを見るコルベールだったが――。
「立ち止まってばかりいるお前に、一言だけ言っておく。――『過去からの声を聞け』。以上だ」
「……え?」
「私なりの『直感』を伝えただけだ。耳障りだというなら、忘れて構わん」
ゼーリエはそれだけ言うと、慌ただしくなっていく周囲を、泰然と座したまま眺めるのみとなった。
何が何やら。
コルベールはしばし呆然としていたが、すぐに事態が逼迫していることを思い出す。今は、その言葉の意味を考えている場合ではない。
ゼーリエの不可解な言葉を胸の片隅に残したまま、コルベールはジープの準備へと取りかかった。
「
「あとは乗る人間か」
フリーレンは周囲を見渡す。
フリーレン、コルベールは乗り込むことが確定。
逆にベアトリスはゼーリエのこともあり、ここに残ることが決まっている。
「ごめん、フリーレン。私はここに残ってもいいかい?」
そんな中、申し訳なさそうにマチルダが手を挙げた。
「ルイズ達のこと、心配じゃないわけじゃないんだ。ただ……」
「分かっているよ。子供たちのことも心配なんでしょ?」
フリーレンの言葉に、マチルダは頷いた。
まだダータルネスの復旧も覚束ない中、マチルダがいなくなれば、その作業も滞ってしまう。
それに、ここにはアウラに捕らえられていた者たちも大勢いる。その中には、マチルダと同期であるドライグもいるようだ。
彼女や孤児たちの面倒を見る時間が欲しい。
そんなマチルダの気持ちは、フリーレンにも理解できた。
「本当にごめん。肝心な時に助けになれないで……」
「いいよ。これは『ルイズ達なら大丈夫』って放置した私の判断ミスでもあるし。マチルダはマチルダで、できることをやってあげて」
頭を下げて謝るマチルダに、フリーレンは優しくそう返した。
代わりにフリーレンは、ザインの方へ向き直る。
「ということなんだけど、ザイン。代わりに来てくれない?」
「まあ、聞く限り相当厄介なことになってるみたいだしな。いいぜ」
やれやれ、といった顔をしながらも、ザインは二つ返事で了承した。
フリーレンとしても、回復のエキスパートである〝僧侶〟が同行してくれるのは非常に心強い。
「しかし、お前は相変わらず行く先々で面倒事に巻き込まれてるみたいだな。アウラって、確かお前が倒したんじゃなかったか?」
「その筈なんだけどね。復活している以上、もう一回倒すしかないよ」
「ああ、そのことなんだがフリーレン。一つ忠告しておくぞ」
ここで口を挟んできたのが、ゼーリエだった。
彼女は、いつになく真剣な顔つきでフリーレンを見る。
「お前、このままいくとアウラに負けるぞ」
その言葉に、再び周囲が固まった。
一方、そう告げられたフリーレンは、静かな口調でゼーリエに問う。
「それはゼーリエの直感?」
「ああ」
それっきり、二人はこの話を続けなかった。
フリーレンは相変わらずの仏頂面。ゼーリエもまた、何も言わず口を真一文字に結んでいる。
「なにぼんやりしてるのさ、コルベール。ジープの準備、早くお願い」
「え、あ、はい!」
あまりの言葉に動きを止めていた一同を、フリーレン自らが動かし始める。
再び周囲が慌ただしくなっていく中、ティファニアだけは、その場に呆然と立ち尽くしていた。
(わ、わたし……どうしよう……)
「こんな鉄の塊が、魔法も使わずに動くってのか?」
「そうだよ。ザインでも想像つかないでしょ」
「つかねーなぁ……馬より速いのか?」
「馬より速いし、自由に動ける代物だよ。揺れが激しいから、最初は酔うかもしれないけど。慣れると面白いよ」
興味深そうにジープを眺めながら話す、ザインとフリーレン。ティファニアは、そんな二人の方へちらちらと視線を泳がせていた。
別に自分は、ゼーリエに才能を見出されたわけではない。
孤児たちの安全も確保できた以上、ダータルネスに残らなければならない理由もなくなった。
かといって、このまま一歩を踏み出す勇気もない。
フリーレン達と一緒に行って、ルイズという少女を助けなければならない理由だって、自分にはない。
それでも、本音を言えば、助けたい。
困っている人がいるのなら、自分にも何かできることがあるのではないかと思ってしまう。
そして何より。外の世界へ出てみたい。
その思いだけは、ずっと昔から誰よりも強く抱いていた。
そんなティファニアに声をかけたのは、マチルダだった。
「ティファニア、あんたも疲れただろう? 少し休んだらどうだい?」
そう言って、マチルダは手を差し伸べる。彼女は当然、ティファニアもここダータルネスに残るものと思っているのだろう。
だが、ティファニアは、その手を取らなかった。
伸ばしかけた自分の手を、そっと胸元へと引き戻す。
「テファ?」
きょとんとするマチルダ。
しかしティファニアの視線は、フリーレン達の方へと向いていた。
「あ、あの……」
「ん?」
ティファニアの声に最初に反応したのは、ザインだった。
「わ、わたし……どうすれば……」
「……あぁ」
迷うような声を聞いて、ザインは頭を掻いた。
彼には、ティファニアが何に迷っているのか、なんとなく分かっていた。
外の世界に憧れている。
それでも、最初の一歩を踏み出すのが怖い。
何しろ自分も、つい最近までそうだったのだから。
「え、ティファニアお姉さま?」
ベアトリスも、ティファニアは残るものと思っていたのだろう。
少しぽかんとした様子で彼女を見る。
その視線に申し訳なさそうな顔をしながらも、それでもティファニアは口を開いた。
「あの……役に立てるか、分かりませんけど……でも、わたし、このままじゃいけないっていうか……。わたしに伝説の力があるのなら、それをちゃんと制御できるようになって、困っている人を助けたいっていうか……」
「…………」
ザインは黙って、ティファニアの思いを聞いていた。
彼女は先ほどから、ザインに向かって話している。
そんなザインの脇腹を、フリーレンが肘で小突いた。
「何ぼーっとしてるのさ、ザイン」
「ぼーっとって、お前な……」
「私はヒンメルから、ザインは私から、旅立つきっかけをもらった」
ザインが、僅かに目を見開く。
「今度はザインが、それを誰かに渡す番だよ」
ヒンメルからフリーレンへ。フリーレンからザインへ。
誰かが差し伸べた手を取ることで、始まった旅がある。
そして今、その手を取った者が、今度は別の誰かへ手を差し伸べる番が来たのだ。
「ティファニア、あんた……」
「お姉さま……」
マチルダもベアトリスも、何か言いたそうな表情を浮かべる。
けれど同時に、二人ともどこかで分かっていた。もう、止めても無駄なのだろう、と。
本人はまだ迷っているつもりなのかもしれない。それでも他人から見れば、今のティファニアは十分に『覚悟を決めた顔』をしていた。
ゼーリエも、そんな彼女を見て、ふっと小さく笑う。
「……分かったよ」
ザインもまた、少しだけ複雑そうな表情を浮かべた。
今までは、差し伸べられた手を取る側だった。それが今度は、自分が誰かに手を差し伸べる側になる。
少しばかり気恥ずかしくはあったが、それでも今のティファニアの思いを無下にする気にはなれなかった。
ザインは、彼女へ手を差し伸べる。
「一緒に来るか? ティファニア」
「……はい! 未熟者ですが精一杯頑張ります! よろしくお願いします、フリーレンさん、ザインさん!」
ザインが差し伸べた手を、ティファニアは今度こそ迷うことなく取った。
マチルダはそんな二人を見つめながら、様々な思いを胸に抱え。
最後には、優しく微笑んでみせるのだった。
こうして、ルイズ救出組にティファニアも加わった。
ジープに乗り込むメンバーも、フリーレン、コルベール、ザイン、ティファニアの四人と、大きく様変わりした。
残る者たちは、そのままダータルネスに滞在することとなった。どのみちジープの定員的にも、これ以上の人数を乗せることはできなかったので、ちょうど良かったのだろう。
「ごめんなさい、マチルダお姉さん、ベアトリスさん。でもわたし……」
「いいよ、皆まで言わなくて」
善意から引き留めようとしてくれた二人に謝るティファニアだったが、マチルダは仕方ないか……と首を振った。
元々、ティファニアが外の世界に憧れていたことは知っていたからだ。
いずれはウエストウッド村から旅立つ時が来ると思っていたし、そうするべきだとも考えていた。
こんな非常事態の最中にそうなるとまでは、当然ながら予想していなかったが。彼女自身が強く望んでいるのであれば、もう何も言うことはできない。
「でもあんた、杖は大丈夫なのかい?」
「あ、大丈夫だと思うわ。杖はないけど、聖典はあるし」
ティファニアはそう言って、ザインからもらった女神の聖典を胸の前に掲げてみせる。
「それって……フリーレンの世界で信仰しているっていう、〝女神様とやらの魔法〟かい?」
「うん。わたし、そっちの才能もあるって言われたから、ザインさんに色々教えてもらおうと思ってるの!」
女神の魔法には、魔族の魔法に対抗する術もそれなりに記されているらしい。
これから覚えていけば、回復・解呪魔法を得意とする〝僧侶〟として、ハルケギニアでも極めて貴重な存在になれるのだとか。
(別世界で信仰されてる神様の魔法か……うちの妹分は、一体どこへ向かってるんだろうね……)
元が『虚無の担い手』である以上、色々と規格外なのは分かっていた。
だが、まさかこんな形で別世界の魔法まで会得しかけているとは、さすがのマチルダも思っていなかった。
……まあ、それを言ってしまえば、自分だって相当に数奇な運命を辿っているのだが。
半年前、まだ盗賊をやっていた頃の自分に『お前、半年後には異世界の魔法を教える教師になってるよ』などと伝えたところで、「はぁ?」と返す自信は間違いなくある。
「き、気を付けてね、お姉さま! わたしも頑張るから!」
「うん、ベアトリスさんも頑張ってね!」
「ベアトリスでいいわよ! お姉さまはわたしの命の恩人なんだから!」
そうして別れの言葉を交わしたところで、ティファニアを大切に思う二人の女性は、今度は揃ってザインの方へと向き直った。
「ちょっとあんた、ザインって言ったっけ?」
「あ、はい……なんでしょうか?」
「ティファニアのこと、本当にお願いするわね。あの子、本当に世間知らずに育っちゃったから」
今度は威嚇することなく、マチルダは真摯な態度でザインに頭を下げた。
理由はどうあれ、彼はティファニアが一番困っていた時に、見返りを求めることなく手を差し伸べ、さらには別世界の魔法まで教えてくれたのだ。
助けてやれなかった自分に、ザインをなじる資格などない。むしろ、礼を尽くしても足りないくらいだ。
それは分かってはいるのだが……、やはり相手が異性ということもあって、どうしても少し硬い態度になってしまうのだが。
「わたしもザインのことは信頼してるけど、ティファニアお姉さまに変な虫がつかないように、しっかり見張ること! いいわね!」
ベアトリスもそう言って、ビシッ、とザインに指を突きつけた。
これには「はは……」と、ザインも困ったように笑うしかなかった。
(これは手ぇ出したら、面倒くさいどころの話じゃねえな……)
元々その気はほとんどなかったとはいえ、ティファニアに下手なちょっかいをかけるのは絶対にやめておこうと、内心固く誓うザインだった。
「まあ、ティファニアに〝僧侶〟としての才能があるのは間違いないからな。俺が教えられる範囲のことは教えるよ」
「ハルケギニアじゃ、〝僧侶〟は貴重どころの話じゃないからね。特にザインは、その僧侶の中でもかなりの実力者だし」
コルベールのジープの準備を手伝いながら、フリーレンもそう付け加える。
そうこうしているうちに、出発の準備も整ったようだ。
コルベールがジープのエンジンをふかし、いつでも出発できる状態にする。
ティファニアは最後に、長い間一緒に暮らしてきた孤児たちへ事情を伝え、別れの準備を済ませるのだった。
「ええっ、旅に出ちゃうの! いやだよ、ティファニアお姉ちゃん!」
「行かないで、ぼくたちと一緒にいてよ!」
子供たちの何人かはそう言って駄々をこねたが、ティファニアは優しく諭すように言った。
「ごめんね。でもわたしも、このままじゃ皆を守れないから。強くなるためにも、行かなくちゃいけないの」
「でも、でもぉ……」
「大丈夫よ。マチルダお姉さんもいるし、ベアトリスさんも……あと、わたしの代わりに、とっても頼りがいのあるエルフさんも一緒にいてくれるから」
ティファニアはそう言って、ゼーリエを紹介する。
元々、孤児たちにも思念体であるゼーリエの姿は普通に見えていた。それほどの魔法の素質が、彼らには眠っているが故に。
そうして孤児たちはしばらく、ティファニアとゼーリエを見比べていたが……。
「えぇ、いやだ。あのエルフさん怖そう!」
「目つきがやだ!」
「ティファニアお姉ちゃんじゃないとヤダ! お姉ちゃんほどむねおっきくないし!」
これまた容赦のない言葉に、ティファニアもマチルダもわたわたし始める。
一方のゼーリエは、不敵な笑みを浮かべて言った。
「程よく生意気だな。しごき甲斐がありそうだ」
「た、頼むから、あんまり痛いことはさせないでおくれよ……」
幼いが故の生意気ぶりも、それはそれで一興とばかりに受け流しながら、ゼーリエは孤児たちへと向き直った。
「よく聞け。お前達は、私が認めるほどの魔法の才をその身に眠らせている。その力を私が開花させてやろうというんだ。ありがたく思え」
「え、魔法?」
「わたし達、平民だよ? 魔法が使えるの?」
当然、子供たちは不思議そうに尋ねる。
「ああ。鍛えれば、隣にいる奴より遥かに強くなれる」
「隣って……マチルダお姉ちゃんより?」
そう尋ねたのは、最年少の少女、エマだった。
その隣では、年長のジムも「ぼくたちって、そんなに強くなれるの?」と、目を丸くしている。
「勿論、血反吐を吐くような修行が必須だがな」
ゼーリエがにたりと笑って答えると、孤児たちの顔に僅かな怯えが浮かぶ。
「だが、その修行を見事乗り越えた奴には、望む魔法を一つ、それぞれ渡してやる」
「え、好きな魔法を?」
「そんなことできるの?」
「ああ、できるぞ」
ゼーリエはそう言うと、片手を差し出し、その掌に魔力を練り上げていく。
やがて、その手の上に三冊の魔導書が現れた。
(魔法の本が出てきた……? あれが彼女の魔法なのか……?)
「〝
これこそが、ゼーリエの『特権』の正体。
こうして自らが修めた魔法を魔導書へと移し、将来有望だと見込んだ弟子たちへ授けてきたのだ。
一方で、一度譲渡した魔法は、ゼーリエ自身も再び学び直す必要がある。
だが、今回譲渡した三つはいずれも、魔法使いにとって基礎中の基礎。
ゼーリエほどの魔法使いならば、学び直すことなど苦にもならず、すぐに会得し直せるものだった。
ゼーリエはその魔導書を、ベアトリスを含む孤児たちへ差し出す。
本当に、この子供たちへ魔法を教えるつもりなのだ。
その光景を、マチルダはごくりと唾を飲み込みながら見つめていた。
「まずは魔法の輪郭を掴んでもらう必要があるからな。今回限りの特別サービスだ。無論、ここで渡す魔法は『特権』とは別物と考えてもらって構わん」
「……別世界の、魔法か……」
改めて、自分がこれから別世界の魔法を学ぶのだと実感し、ベアトリスは緊張した面持ちでゼーリエから魔導書を受け取った。
「あの……本当にわたし、ティファニアお姉さま以上の才能なんてあるの? わたし、つい最近『火系統のドット』だって分かったくらいの腕なんだけど」
「そんなことは関係ない。むしろ『まっさら』である方が教えやすい。余計な先入観がないからな」
これは、ある意味ではルイズがフリーレンの魔法を、比較的容易に会得できたのと同じ理屈だった。
ハルケギニアの魔法に慣れれば慣れるほど、身体に染みついた手癖で魔法を使えるが故に、異なる世界の魔法を『異物』として感じ取りやすくなる。
逆に言えば、本格的に魔法を学ぶ前段階にいる者の方が、ゼーリエにとっては教えやすいのだ。
「ただ魔法学院に通うだけなら、眠らせたままで終わるであろう才能を、私が開花させてやる。魔法の極みとはどういうものか、直々に叩き込んでやろう」
「思ったんだけど、ティファニアもまた『虚無』なのよね? それでもあの子は、教えるに値しないのかい?」
「そもそも、私は『虚無の系統』を才能に数えていない。
結局のところ、そうした力を与えられたとしても、それに溺れず、自らの意思で制御できるだけの当人の資質こそが重要なのだ。
ゼーリエが見ているのは、あくまで『当人の中にある才能』なのである。
「ティファニアより、お前たちを鍛えた方が何倍も楽しい。つまりはそういうことだ」
ゼーリエは不敵に笑い、ベアトリスと子供たちを見渡した。
最初はそんな彼女を「怖い」と評していた子供たちだったが……こうして自分たちに新たな『道』を示してくれるゼーリエに、少しずつ興味を抱き始めたのか。
「強くなったら、ティファニアお姉ちゃんも守れる?」
「ああ。少なくとも、この世界の連中にはまず負けないくらいには強くしてやる」
「……エルフより?」
「私以外のエルフになら、勝てるようにもなるかもな」
「わかった、やってみる!」
そう言って、ゼーリエから魔導書を受け取るジム。
他の子供たちも、程度に差はあれど、魔法を学ぶことに意欲を見せ始めていた。
(お姉さまを守れるか……よし、わたしも!)
ベアトリスも覚悟を決めたのか、力強く頷くと、ゼーリエの後を追って歩き始めた。
一行はそのまま、ゼーリエが展開する結界の内部――いわゆる修行場へと移動する。
そこは普通の人間どころか、魔族ですら侵入はまず不可能と言えるほどの特別な場所だ。
内部はウエストウッド村を思わせる長閑な景色が広がっているものの、空を見上げれば、不可思議な障壁が天を覆っている。
これだけ大規模な力を持ちながらも、それでも今のゼーリエの思念体は『精々百年分程度の力』しかないのだという。
さて、その結界内を歩いていた時のこと。
「ねー、ゼーリエお姉ちゃんもエルフなんだよね?」
「いろんな魔法を使えるの?」
「エルフって、どうしてそんなに耳が長いの?」
子供たちはすっかりゼーリエに慣れたようで、今では思い思いの疑問をぶつけている。
ゼーリエも、こうした子供への対応にはどことなく慣れているようで、適当にいなしたり、時には質問に答えたりしていた。
(意外と、子供慣れしているのね……)
「昔、ちょっとな」
マチルダの小声を拾い、ゼーリエは何でもないことのように答える。
詳しく語ることはなかったが、幼いフランメを育てていた頃の経験が、今も生きているのだろう。
しかしマチルダは、今のゼーリエの言葉に別の意味で引っかかった。
(昔、か……)
そこで、ふと思う。ゼーリエの過去。
ブリミルと、一体何があったのか。
少なくとも、彼女の物言いからは当時を直接知っているようにしか思えない。
『リーヴスラシル』のことといい、ゼーリエは始祖について、一体どこまで知っているのだろうか。
無意識に拳を握り締めながら、マチルダはとうとう尋ねた。
「一つ聞いていいかい? ゼーリエ様は、その……始祖ブリミルと、どういう関係なんだい?」
その言葉に、ベアトリスが固まった。
孤児たちも不思議そうな顔でゼーリエを見上げる。
「お姉ちゃん、始祖ブリミル様を知っているの?」
「六千年前の偉い人でしょ? そんなに長生きしているの?」
口々に疑問を投げかける子供たち。
「どういう関係か……」
一方、ゼーリエは立ち止まり、静かに目を閉じた。
脳裏に蘇るのは――確かに、彼らと共に過ごした頃の記憶。
『なあ、ゼーリエ! これ見てくれ! 力の細分化について記した理論書! これなら最近大きくなり過ぎたぼくの魔法も、小分けにする形で調整できるんじゃないかな?』
『力を分けるのか? お前なら問題なく制御できるだろう、ブリミル』
『でもさ、最近ガンダールヴとか、ミョズニトニルンとか、使い魔のルーンにも色々な機能を加えてきただろ? もう細かいところは、ぼく自身でも把握しきれてないくらいなんだ。だったらいっそのこと、力そのものを四つくらいに分けるのも手かなって』
『ちょっと、馬鹿ブリミル! わたしの左手! また何か変な実験したでしょ! さっきからずっとルーンが光りっぱなしなんだけど!』
『うわっ、ち、違うんだサーシャ! 話を聞いてくれ!』
『って、ゼーリエ! あんたも一緒にいるの!? ちょっとブリミル、ゼーリエと二人っきりで何してたわけ!?』
『ご、誤解だサーシャ! ぼくは効率的な魔法の分割方法をゼーリエに聞きたくて……!』
『うっさい! このバカ! もう許さないんだから! この左手もどうにかしなさいよ!』
『だからそれはぼくじゃないって、うわあああああ!! おたすけぇえええ!』
『……お前の仕業だろ、フランメ』
『サーシャお姉ちゃんが昼寝してる隙に、フォルサテと一緒に色々弄っちゃった。後で直すつもりだって』
やがてゼーリエは目を開く。
そして、ほんの僅かに郷愁を滲ませた声で答えた。
「友だ」
「……え?」
「神話の時代から知識を蓄えてきた私に、唯一対等に意見し、物申すことのできた稀代の大天才。そして――『虚無』の魔法は……」
ゼーリエはそこで言葉を区切る。
そして、すでに大量の冷や汗を流し始めているマチルダとベアトリスへ向けて、何でもないことのように告げた。
「ブリミルを中心に、私、フランメ、サーシャ、フォルサテ。そいつらの理論に加え、更には女神の魔法すらをも独自に体系化して取り込み、そして作り上げた。唯一無二とも言える魔法系統――その結晶体だ」
『虚無』の正体。
そして、ゼーリエと始祖ブリミルとの関係。
それはつまり、ブリミルはエルフと懇意にしていたことの証明であること。
六千年という、それだけの長い年月をかけて、人々が信じ、語り継ぎ、疑うことさえなかった『常識』。
その根幹が、目の前のエルフのたった数言で、音を立てて崩れ落ちていく。
今のブリミル教徒が聞けば、卒倒するだけでは済まないだろう。
下手をすれば、ハルケギニアという世界そのものを支えてきた歴史と信仰が、根底からひっくり返りかねない話だ。
(……私、とんでもないこと聞いちまったんじゃないか?)
もはや『知らなかった頃』には戻れない。
マチルダは今さらながら、自分が六千年続いた常識の裏側を覗いてしまったことに気づき――背筋に冷たいものが流れていくのを感じるのだった。
さて、視点はジープに乗り込んだ面々へと移る。
ルイズ達を助けるため、急ぎジープに乗り込んだ新生フリーレン一行は、マチルダやベアトリスらが残るダータルネスを離れ、アルビオンの平原を駆けているところであった。
「どこで捕まったとか、分かるのか?」
後部座席に乗るザインが、助手席で地図を見ているフリーレンに問いかける。
彼の隣にはティファニアがいる。
二人とも、最初はこんな鉄の塊が本当に自走するとは思っておらず、驚いた様子で乗っていたが、今ではすっかり落ち着いているようだ。
「分からない。とりあえず、もうちょっと今のルイズの状況について詳しく知るつもりだ」
「何とか間に合えばいいですね……」
フリーレンに代わり、ジープを運転するのはコルベールだ。
最初は覚束ない様子でハンドルを握っていた彼も、ここまで来ると慣れてきたのか、今では特に問題を起こすことなく運転していた。
「……」
ただ、そんな彼の表情はどことなく暗い。それに気づいたのだろう。おもむろにフリーレンが口を開いた。
「コルベール」
「は、はい!」
「ゼーリエから色々言われたと思うけど、気にしなくていいよ。コルベールはコルベールで、自分の信じる道を進んでいけばいいだけのことだから」
ゼーリエから受けた辛辣な評価が、まだ頭から離れていないと思ったのだろう。
フリーレンはフォローするように、そう告げる。
「いえ……あの方が仰っていたことは正しいと思っています。『あの日』以来、自分の魔法を研鑽することを恐れるようになったのは事実ですから……」
コルベールは自嘲気味に、言葉を吐き出す。
そんな彼の心中を知ってか知らずか、フリーレンは言葉を続けた。
「あの人は私より長く生きているくせに、子供っぽいところがあるからね。説明不足なところがあるんだ」
「説明不足?」
「多分ゼーリエはね、コルベールをフランメと比べていたと思うんだ」
散々辛辣な言葉を浴びせた後に、ゼーリエが口にした言葉。
『お前個人が気に入らない』。
その意味を、フリーレンは理解していた。
「ああは言ってたけど、ゼーリエはコルベールの才能を本当に惜しいと思っていたんだ。でなかったら、私の師匠と比べるようなことを、あの人がするはずないから」
ゼーリエにとってフランメが特別な存在であることは、フリーレンもよく理解している。
そんな彼女が、コルベールをフランメと比較してまで、あれほど辛辣な言葉を浴びせた。
それは期待していたからこその失望、その裏返しなのだろうと、フリーレンは見ていた。
「そんな偉人と比べられちゃあ、たまったものじゃないなあ」
後部座席で、ザインがぽつりと呟いた。
コルベールも、フランメについては以前フリーレンから聞かされている。
まさかそんな偉人と自分が比べられていたとは思わず、緊張からハンドルを握る手が僅かに汗ばんでくる。
「まあでも、最後に言っていた『直感』の件は、覚えておいた方がいいかもね」
「直感?」
そういえば――と、コルベールも思い出す。
最後の最後に、ゼーリエはわざわざ自分の名を呼んで引き留め、こう言っていた。
『過去からの声を聞け』と。
「ゼーリエの直感はいつも正しい。あの場面でコルベールにそう言ったことだけは、ゼーリエなりの気遣いだと思うから」
『過去からの声』。
その言葉を改めて思い返したコルベールは、僅かにハンドルを握る手を震わせた。
運転に支障はなさそうだが、その顔は少し青ざめているようにも見える。
「大丈夫? 運転代わる?」
「いえ、大丈夫です……」
それから、しばらくして。
「……少し、私の懺悔を聞いてもらえませぬか?」
コルベールが訥々と切り出した。フリーレンは無言でそれを肯定する。
ティファニアも神妙な面持ちで座り直した。
ザインは煙草から立ち昇る煙を目で追いながら、耳だけはコルベールの言葉へと集中させていた。
「私は教職に就く前、
決して、今のフリーレンが行っているような明るい研究とは違う。
王国の暗部とも呼ぶべき、数々の実験。
火魔法が人体に与える火傷の程度。『錬金』による人体組成の変換。風の刃は、どこまで生物の肉を切り裂けるのか――。
被験者にされたのは、捕らえられた賊や、身分を剥奪された奴隷など。
当時は何とも思っていなかった。だが、今になって振り返れば、なんと酷いことをしていたのだろう。
コルベールは深い後悔を滲ませた表情で、淡々と過去を語っていく。
「ただ、当時の私は使命感に燃えておりました。そうした実験や研究が、王国を裏から支える土台になると。我らの存在こそが王国の腐敗を阻む抑止力になるのだと、そう信じて杖を振るっておりました」
当時のコルベールは、いわば『影なる使命感』に酔っていた。
魔法衛士隊のような華々しさはなくとも、自分達は王国を陰から支えているのだと。
滅私奉公。
それこそが当時の己の務めであり、上からの命令のためならば私情を捨て、任務を遂行することこそが己の存在証明なのだと、信じて疑っていなかったという。
「そんな私に、『お前は間違っている』と明確に突きつけてきたのが、二十年前に起こったダングルテール事件なのです」
ダングルテール。
その名を聞いたフリーレンは、以前のアニエスとの会話を思い出す。
『二十年前、杖を持った悪魔たちが炎を伴って、村をこぞって焼き払おうとした』
――そう、彼女は語っていた。
「当時の私は、その村を徹底的に焼き払うよう命令を受けました。疫病が蔓延しているから、老若男女を問わず焼き払えと。それと同時に、『疫病の病原』とされたある女性だけは、生かして連れ帰れと。そんな任務を請け負ったのです」
「でも、しなかった。そうでしょ?」
コルベールの言葉の続きを、フリーレンが引き取った。
コルベールは一瞬、「なぜ知っている?」とでも言いたげな驚きの目をフリーレンへ向ける。
「ダングルテールの顛末は、アニエスから聞いているよ。そっか、コルベールが実行部隊だったんだ。話がつながったね」
「アニエスって……まさか、あの女性は……!!」
ここに来て、コルベールもようやく腑に落ちたような表情を浮かべた。
あの金髪の女性剣士と初めて顔を合わせた時から、どこかで会ったことがあるような気がしていた。
その違和感の正体に、ようやく気づいたのだ。
「そうか……道理で初対面のような気がしなかったわけだ……。あの子だったのか……!!」
コルベールはアクセルペダルから足を離し、ゆっくりとジープを停車させた。
感極まって、とても運転を続けられる状態ではなかったのだろう。
数分後、「……失礼しました」と。
そう一言断ってから、コルベールは再びジープを走らせた。
「途中でやめたって、どういうことだ?」
まだ事情をよく理解できていなかったザインが、改めてコルベールに尋ねる。
「ええ。当時、使命に酔っていた私の目を覚まさせてくれた方がいたのです」
「ヴィットーリア、だっけ? アニエスも、その人に助けられたって言ってたし」
ついでに、そのヴィットーリアの行方を捜すことがアニエスの旅の目的であることも、フリーレンは伝えた。
「ええ。その方は不可思議な魔法を使って、私に『幻影』を見せてくれたのです。村を焼き払うとはどういうことなのか――その先に待つ惨劇を。当時の私は、無辜の村を焼くという意味を、重く受け止めてはおりませんでしたから」
「不可思議な魔法……」
何とも気になる話ではあったが、今はコルベールの話を聞くことに集中するフリーレン。
「その方の魔法と、『この村に疫病など蔓延してはいない。あなたたちは新教徒狩りに利用されているに過ぎない』という言葉で、私の目は覚めました。事実、ヴィットーリア殿の言う通りでしたし……本当に、思いとどまれてよかったと思います」
勿論、部下達とは相当揉めましたがね――と、コルベールは続ける。
「特にメンヌヴィルとは、魔法の撃ち合いにまでなりましたから」
「ヴィットーリアはどうしたの?」
「彼女の身柄を確保することが第一任務でしたので、そこだけは覆しませんでした。彼女も、そうすることで村を見逃してもらえるのなら、と承諾してくれましたし」
「じゃあ彼女は……」
「いえ、逃がしました」
もう死んでいる――そう言いかけたフリーレンを遮るように、コルベールははっきりと告げた。
「事実、私は上層部の嘘に騙され、何の罪もない村を焼こうとしたわけですからね。
そこで、コルベールは大きく深呼吸した。
自らの過去を、こうして誰かに語るのは初めてだった。
口に出して振り返ってみれば、改めて思う。あの頃の自分は本当に、どうかしていたのだと。
「ですが……未だに、あの時見せられた『幻影』を夢に見るのです。もしヴィットーリア殿が止めてくれなかったら、現実になっていたであろう光景を……。罪なき人々が炎に焼かれ、悲鳴を上げ、嫌な臭いを漂わせながら黒焦げになっていく光景が……」
「それが今のコルベールにとって、『トラウマ』になっているみたいだね」
「ええ……。結果的に村を焼かなかったとはいえ、このトラウマは一生抱えていくべきものなのでしょう」
「ヴィットーリアは、その後どうなったの?」
フリーレンの問いに、コルベールはゆっくりと首を振った。
その様子を見る限り、逃がした彼女と今も連絡を取っている、というわけではなさそうだ。
なんとも謎に満ちた女性である。
彼女自身のこともそうだが、コルベールに未だに傷を残す『不可思議な魔法』のことも気になる。
「ただ、彼女を逃がした際、慌てていたのか落としていった物を、今も私が預かっています。もし再び会えた時、すぐに返せるようにと」
それが、コルベールの知るヴィットーリアという女性のすべてのようだ。
しばらくして、コルベールは感慨深そうに呟いた。
「そうか……。彼女はダングルテールの村人だったのだな……」
「とりあえず、コルベールがすべきことは分かったんじゃないかな」
『過去からの声を聞け』。
ゼーリエの直感をそのまま受け取るのなら――彼女、アニエスに自らの過去を打ち明けろ、ということなのかもしれない。
「そうですな。再会したら、腹を割って話すこととします」
そうして話が一段落したところで、コルベールがふと思い出したように尋ねた。
「あの……ゼーリエ殿は、このことを予見していたのでしょうか?」
「さあね。あの人の直感や予見がどういう原理で作られているものなのか、私も分からないから何とも言えない」
「ですが……そうなると……ミスは……」
このままでは、アウラに負ける。
フリーレンに対して告げられた、ゼーリエのもう一つの直感。
コルベールは、その言葉もしっかりと覚えていたのだ。
「まあ、ゼーリエがそう言うのなら、多分その直感は正しいと思うよ」
今のところ、アウラの人形を相手に連戦連勝している。
だが、このまま最後まで楽に勝たせてくれるような相手だとも思っていない。
そう言うと、フリーレンは助手席の背もたれに頭を預けた。
「ちょっと寝るね。夢の世界でルイズと交信してみる」
今の状態では、ルイズからまともに情報を得ることができない。
ならば夢の世界を介して接触し、直接情報を共有しようと考えたのだ。
「せめて、どこで捕まったのかさえ分かれば、そこから痕跡を辿れると思うから。コルベールはそのまま、運転お願い」
「わ、分かりました。お気をつけて、ミス・フリーレン」
フリーレンは小さく頷くと、ゆっくりと目を閉じる。
そして、その意識を夢の世界へと沈めていった。