ドゴン! と、凄まじい衝撃音が地下牢内に響き渡る。
もう結界に隠れている意味はない。
ジャネットは魔法を解くと、すぐさまその場から飛び退いた。
(あの鉄球投げ……ジャック兄さまの技だわ……!)
振りかぶる所作まで、兄の動きそのものだったことが、逆に幸いした。
何度も傍で見てきた技である。投げるタイミングも読むことができた。だからこそ、こうして回避することもできたのだ。
先ほどまでジャネットが隠れていた石造りの壁には、鋼鉄の球が深々とめり込んでいる。
華奢な体躯から放たれたとは到底思えない。
筋骨隆々とした次兄の一撃を、その姿に投影してしまうほど。
内心で身震いしながらも、ジャネットはリーニエ達の前へと姿を現した。
(これほどの実力者でさえ、上澄みじゃないだなんて……どんな大陸から来たのよ、この子は……!?)
「あれ、あの子……前にわたしたちを殺そうとしてきた……!」
エルザは一瞬、数か月前の記憶を呼び起こし、声を震わせた。
かつて、自分たちを殺そうとしてきた刺客の一人。わざわざ自分の汗を舐めてまできた変態女だ。当然、よく覚えていた。
「ああ……思い出した。確かにいたな、そんな奴」
リーニエもここで、ようやく目の前の少女の正体を思い出す。
とはいえ、名前まではなかなか出てこないらしい。そんな表情を浮かべている。
ぶっちゃけ、どうでもよかったというのもあるのだろう。
「あの時の三人組の刺客の一人か。あの二人を助けに来たの?」
「……ッ!」
「だとしたら、もう意味ないよ。あの二人は既にアウラ様の忠実な手駒だ。首を切ってないとはいえ、元に戻ることは絶対にない」
リーニエの言葉に、ジャネットはぐっと言葉を堪える。
今ここで感情を乱すことは、死に直結する。それが分かっているからこそだ。
「バカね。無様に洗脳された間抜けな奴等のことなんて、どうでもいいわ。私の目的はあなた達の首よ。覚悟することね」
「や、やっぱり、わたしたちの命を狙って追ってきたのね! しつこいやつ……!!」
エルザはギリッと歯を食いしばった。
それを見て、ジャネットは内心で舌を出す。
(よしよし……)
本命であるルイズとシエスタの救出を悟られないようにする。
ここで最悪なのは、エルザにルイズ達を人質に取られ、こちらの行動を制限されることなのだから。
それを封じるために、あえてあのような言い回しをしたのである。
事実、エルザの動揺ぶりを見る限り、ここでルイズ達を人質に取るという発想には至っていないようだ。
「リーニエお姉ちゃん! ここはわたしにやらせて! あの時『舐められた』雪辱を、ここで果たしてやるわ!」
エルザが一歩前に出る。ぺろりと舐められた、あの屈辱。今度こそ晴らしてやるとばかりに。
『あの時』とは違い、今回は閉所での二対一。しかも、こちらには以前よりさらに強くなったリーニエもいる。
だからこそ、エルザも気が大きくなっていたのだ。
「石の精霊よ、礫の意思よ。我と対峙するものを穿て!」
エルザの詠唱と共に、床に転がっていた無数の石粒が宙へと浮かび上がる。次の瞬間、銃弾の如き速度で、一斉にジャネットへと襲い掛かった。
『先住魔法』。
この世界の『精霊』と交信し、その力を借りる魔法だ。
「――――っ!!」
ジャネットは腰に差していたフリル付きの黒傘を引き抜き、一気に広げる。飛来した石礫が、凄まじい勢いで黒傘へと叩きつけられた。
外見上はただの傘。だが、魔力を込めることで、並の盾を上回る強度を発揮する魔法道具だ。
何発もの石礫が傘へと着弾する。
その衝撃に押され、ジャネットの体勢が崩れかけるも、すぐさま踏みとどまった。
直後、石礫の着弾と共に、巻き上がった粉塵が辺りを覆う。
ジャネットはその煙幕に紛れ、一瞬にして姿を隠した。
「エルザ。
「―――っ!」
「この世界に棲む精霊の存在は、魔族にとって『毒』以外の何物でもない。精霊と交信する力を持った種族は本来、私達魔族に族滅されたって仕方がないんだよ」
それを聞いた瞬間、エルザの脳裏に過った。
傘下に入る前、アウラから言われた言葉を。
『ああ、そうそう。一つ条件があるわ。先住魔法? 精霊魔法……だったかしら? それは二度と使うんじゃないわよ。私達魔族の魔力をじわじわと浄化していく精霊共と交信するその技術。不愉快極まりないわ』
「ご、ごめん! 約束破っちゃったけど、でも……!」
「まあいいけどさ、使うのはもうやめてね。私でもやっぱりイラッてくるから」
大慌てで謝るエルザには一切目を向けず、リーニエは煙に紛れたジャネットの方へと視線だけを向ける。
「いいよ。あいつは私がやる。エルザは下がってて」
手のひらに魔力球を浮かべながら、リーニエは言った。さて、あの子は何をしてくるのか。
前の戦闘では、結局あの子がどんな戦い方をするのか、よく分からないまま終わってしまった。
だからいつも通り、まずは『様子見』。
自分がやられるなどとは、微塵も思っていない。
その慢心を突くかのように、煙を隠れ蓑にしたジャネットが、『水瓶』を投げつけてきた。
(なんのつもりだ?)
リーニエは内心で疑問を抱きながら、とりあえず隣にいたエルザの後ろ襟を掴み、そのまま盾にした。
「ぎゃぶっ!?」
(ただの水だな)
水瓶がエルザのおでこに直撃する。
パリン、と瓶が砕け、中身が盛大に飛び散った。
あっという間にエルザはずぶ濡れになり、周囲の床や壁にも大量の水が撒き散らされる。
「ひどいよぉ、リーニエお姉ちゃん……」
「ただの水だよ。それに、さっき先住魔法を使った分の仕置きだ」
毒薬か硝酸かとも思ったが、本当にただの水らしい。
こんなものを撒いて、一体どうするつもりなのか?
「今よ! ダミアン兄さま!!」
ジャネットが叫ぶと同時に、閉じた黒傘を天井へと向けた。その先端から水弾が撃ち出され、天井を穿つ。
崩れ落ちた石片の向こうから、一筋の光が地下牢へと差し込んだ。
その直後。リーニエとエルザは、鼻を突く独特の臭いに反応する。
(これは……?)
「あぶ、ら……?」
そう。先ほどジャネットが投げつけ、周囲に撒き散らした水が『錬金』によって、油へと変えられていたのだ。
その魔法を使ったのは、ジャネットが開けた天井の穴、その先、地上からこちらの様子を窺っていた、もう一つの魔力の持ち主。
「ウル・カーノ!」
今度はジャネットが、『錬金』によって生み出された油へ向けて『着火』を唱える。
ジャネットの体内を巡る魔力が、杖へと流れ込んでいく。その流れを見開いた目で捉えたリーニエは、即座にエルザの襟首を掴んだ。
「えっ――」
問答無用で階段の方へと放り投げる。同時に、自身も全力で後方へ跳躍した。
次の瞬間、地下牢が、轟然たる業火に呑み込まれた。
「んーっ! んーっ!!」
「ちょ、ちょっとジャネットさん!?」
いきなり地下牢内で大規模な発火。
当然、こんなことをされては、囚われたままのシエスタたちはたまったものではない。
壁の向こうからは、アンリエッタ姫とアニエスの呻き声が聞こえる。二人とも、この熱気で異常事態を察したようだ。
だが、拘束されている以上、逃げることもできない。
「燃えちゃう! 死んじゃうよぉ! ジャネットさん!」
『しーっ、心配しないで』
叫ぶシエスタの目の前に、ジャネットを模した小さなフェルト人形が、ひょっこりと姿を現した。
「ふぇっ、ジャネットさん……?」
『水の力を込めた魔法人形よ。今から水の結界を張って、この火をやり過ごせるようにしてあげるから』
もちろん、この人形はアンリエッタ姫たちの所にも配置しているらしい。
囚われている者たちが炎に巻き込まれないよう、きちんと手を打ってくれていたようだ。
やがて、人形が小さな腕を掲げる。すると、床の隙間から大量の水が湧き出し、シエスタとルイズを取り囲むように広がっていく。
その水は二人をすっぽりと覆う半球状の壁となり、迫り来る炎を完全に遮断した。
直後、炎が水の壁へと激突する。
だが、燃え盛る炎はその向こう側で食い止められ、二人のいる内側には熱も火の粉も届かなかった。
「た、助かったぁ……」
『雑な対応でごめんなさいね。でも、あいつらから逃げるとなると、私でも結構骨が折れて……!』
その時、不意に人形の動きが鈍った。
「……?」
シエスタは「どうしたの?」と人形に尋ねる。
だが、しばらく人形は首をかくかくと動かすだけ。それに伴い、水の壁も僅かに揺らぎ始めたような気がした。
『ぐっ……がぁ……』
「え、ジャネットさん?」
『っ……あぐぅ!!』
「え、え? どういうこと!?」
一方、地上では。
「ぐっ……がぁ……」
「つまらない戦い方。何も模倣できなさそう」
「っ……あぐぅ!!」
「逃がすつもりはないよ。お前にも、アウラ様の手駒になってもらうつもりだし」
地下牢の真上。
かつて建物があったであろう廃墟の中で、ジャネットは崩れた瓦礫の壁を背に、リーニエに首を掴まれていた。
ここは『レキシントン都市』。
アルビオンの中でも一際大きな城塞都市として知られる、軍事上の要衝。そして今は、生者と死者が、互いの生存を懸けて激突する戦場と化していた。
かかれぇ!
決してここを突破されるな!
今こそ、アルビオン貴族の意地を見せる時だぁ!
そんな怒号が、街のそこかしこから響き渡っている。
今この街は、アウラの送り込んだ尖兵たちによる襲撃を受けていたのだ。
首無しの騎士たちが、亡霊のような動きで刃の切っ先をかつての同胞へと向ける。
この異常事態になんとか対処しようと、『反抗軍』の拠点の一つでもあるこの街の警備部隊は、一丸となって抗戦を続けていた。
だが、陥落も時間の問題だった。
なぜなら、生者たちに援軍は来ない。事実、都市の地下牢は既に敵の手に落ちている。
アウラの尖兵たちは、この一帯をいち早く制圧して拠点とし、アウラの洗脳対象となる者たちを捕らえては、この地下牢へと放り込んでいたのだ。
「もう一匹、仲間がいるみたいだね」
「ふふっ……なんの……ことや……がぁ!?」
リーニエに首を絞められたジャネットは、さらに苦しそうに呻いた。
震える杖先を向け、なんとかリーニエに向かってぶつぶつと呪文を唱えているが……当のリーニエには、まるで堪えていない様子。
ちなみにエルザはというと、「あちち、あちちち!」と、そこらに落ちていた汚れた布などを使って、必死になって服についた火を消していた。
『先住魔法』を使えば簡単に消せる程度の火ではあるが、リーニエが近くにいる以上、使うわけにもいかない。
「さっきから私に向かって『洗脳魔法』を繰り出しているようだけど、無駄だよ」
「ぐっ……その、ようね……!」
ジャネットは脂汗を浮かべながらも、不敵な笑みを崩さずに答える。
ジャネットほど『水系統』を極めた使い手なら、相手の体を治療することはもちろん、その精神を操ることさえ簡単に行える。
そうやって気に入った女の子の心を操り、『物言わぬ人形』にすることもあった。もちろん、堅気の人間を無闇に操るような真似はしていないが。
ジャネットは一縷の望みを懸けて、リーニエの心を操り、『人形化』しようとしたのだ。
だが……結果はご覧の通り。
リーニエには、まるで通用していなかった。
「私達魔族の心を、人間が理解することは永遠にない」
魔族は、姿形こそ人間に近い。
だが、その精神構造から起源に至るまで、まったく別の知的生命体なのである。
悪意も、罪悪感も、憐憫の情も、人間と同じ尺度で理解しようとしても、決して理解することはできない。
生まれた時から家族というものを持たず、死ねば塵一つ残さず消え去り、生き物を害することにも何ら抵抗を覚えない。
そんな異形の化け物の心を、どうやって理解し、意のままに操れようか。
「わたしも……半分、吸血鬼だけど……あなたは、もっと違う……」
「……」
「……人間の姿をした……存在しちゃいけないケダモノなのね……がぁ!」
洗脳魔法を通じて、その精神に触れようとしたからこそ分かる。
この少女――リーニエは、人間とも亜人とも違う。
まるで人の姿をした未知の生命体を覗き込んだような感覚に、ジャネットは一瞬、湧き上がる恐怖で身をすくませた。
(なんで……こんな奴が……ハルケギニアに……)
リーニエの指に、さらに力が籠もる。ジャネットの意識が遠のきかけた。
まずい。このままじゃ締め落とされる……。力でも、この子には敵わない……。
死ぬ……。シエスタたちも死んじゃう……。
意識が落ちたら……魔法人形も、維持できな――。
その時だった。
建物の死角から、一条の
リーニエはそちらを見ることすらなく、ジャネットを掴んだまま、空いている方の腕を一閃。
飛来した魔法の矢を、ことごとく振り払う。
だが、弾かれたうちの一本が、エルザの方へと飛んでいった。
「……え」
「はぁ」
リーニエは体を捻り、足元に転がっていた小石を蹴り上げ、エルザへと向かった魔法の矢も相殺した。
だが、その一瞬、ジャネットを拘束する力が緩んだ。
長兄が作ってくれた隙を無駄にはしまいと、ジャネットはすかさずリーニエの腕に爪を食い込ませ、力いっぱい握り込む。
「っ……!」
さすがにこれには、リーニエも顔をしかめてジャネットを放した。
「はあっ……はぁっ……!」
解放されたジャネットは、むさぼるように空気を吸い込む。
(……っ、とにかく今は逃げ……!)
「逃がさないよ」
足に力を込め、一気にこの場を離脱しようとする。だが、身体能力にも隔絶した差があるリーニエから、逃げ切れるはずもない。
強烈な足払いがジャネットのふくらはぎに叩き込まれた。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げながら、ジャネットは地面へと倒れ込む。
嫌な音とともに膝が折れ、激痛が全身を駆け巡る。
「いい加減、諦めなよ。ここからどうやって逃げるつもりなのさ」
うつ伏せに倒れたところを、そのまま背中から踏みつけられる。
ジャネットもまた、この状況が本気で危機的なものだと悟っていた。
(ダミアン兄さんの援護も来ないってことは……それだけ隙を見つけるのが至難の業ってことか……)
この状況を自力で脱する手段が、どうしても思いつかない。ジャネットは目を瞑った。
リーニエはそんな彼女を気絶させようと、踏みつける足に力を込める。
その時、リーニエが弾かれたようにジャネットから離れ、地下牢へと続く階段口へ視線を向ける。
「ぶ、無事ですか! ジャネットさん!」
なんとそこには、足だけ自由になったシエスタがいた。
ルイズと背中合わせに縛られたまま、二人揃って地上まで上がってきたのだった。
話を、こうなる前に戻す。
「だ、大丈夫ですか? ジャネットさん!」
まだ牢獄内にいた時。
シエスタは、急に苦しみ始めたジャネットの人形に、ただ呼びかけることしかできなかった。
背中のルイズはまだ眠っているらしく、この事態に気づいていない。
『ま、まずい……かも……』
「えっ、じゃ、ジャネットさん!!」
『あいつ……つよすぎる……しぬ……』
あいつって、あのリーニエって子?
確かに戦ってみて、ただ者じゃないとは思っていたけど、ジャネットさんでも苦戦するほどなの……!?
「ジャネットさん! 刃物! 刃物を出せませんか!?」
『え……?』
「助けに行きますから! なんとか縄さえ解ければ……!!」
じたばたともがきながら、シエスタは必死になって提案する。
実際、ジャネットも援護が欲しいと思っていた。このままでは、牢獄内で発生した火を防ぐ水の壁すら、満足に維持できなくなる。
そうなる前に……!
『わがった……いま、水の刃を……!』
人形は苦しそうな声を上げながら、ナイフほどの大きさの
ジャネットの精神力が限界に近いのか、これ以上大きく、鋭いものは作れないようだ。
『ごめんね……これ以上……でかいの、つくれな……がぁ!!』
「ジャネットさん!!」
人形が大きくよろめき、固形化した水の刃が床へと突き刺さる。
シエスタはもう無我夢中だった。ここでジャネットが倒れれば、水の壁も消え、自分たちまで炎に包まれて死ぬ。
足首の縄だけでも切れれば、少なくとも足だけは自由になる。
「ぐっ……!」
シエスタは縄を刃の部分に押し当て、何度もこすりつけるようにして、足首の縄を切ろうともがいた。
その間にも、自分たちを炎から守っている水の壁が弱まり始めている。必死だった。
(こんなところで……死にたくない!!)
顔からも身体からも汗を噴き出させながら、それでも必死に刃を動かし続け。ついに、足首を縛っていた縄が切れた。
「やった!」
『うぐ……っ!』
「ジャネットさん! 今、助けに行くから! アニエスさんたちの方の『水壁』だけ、維持をお願い!」
シエスタはルイズを背負うようにして立ち上がる。
まだ自由になったのは足だけで、上半身は拘束されたまま。
おまけに、眠っているルイズとは背中合わせに繋がれているという、圧倒的に不自由極まりない状態だ。
だが、もう他の縄まで切っている余裕はない。これで行くしかない。
「はああああっ!!」
それは、極限状態が生み出した火事場の馬鹿力か。
それとも、先祖から脈々と受け継がれてきた『人類最強』の血によるものか。
シエスタはさも当然のように、鉄格子の扉を蹴り一発で吹き飛ばした。ひしゃげた鉄格子の扉が、轟音とともに炎の中へと消えていく。
さらにシエスタは、その場で回し蹴りを放つ。
巻き起こった豪風が燃え盛る炎を押し退け、その勢いが弱まった一瞬を逃さず跳躍。
壁を蹴り、駆け上がり、そのまま階段へ。
一気に地上へと飛び出したのだ。
「ジャネットさん!!」
地上へ出たシエスタの目に飛び込んできたのは、地面に倒れたジャネットと、こちらを見つめるリーニエだった。
「ふぅん。あそこから出てくるんだ」
リーニエは無感情な瞳をシエスタへと向ける。
シエスタはなんとかしてジャネットを助けられないかと思案を巡らせていたが……。
「まあ、『人類最強』は置いといても、やっぱりあなたはそれなりに強そうだ」
先にリーニエが仕掛けてきた。
人間離れした瞬発力で、五メイル以上あった距離を一気に詰める。そして、その勢いのまま飛び膝蹴りを放った。
もちろん、膝には魔力を集中させ、一気に『硬質化』させている。まともに食らえば、顔が陥没する程度では済まない。
「――――っ!!」
だがシエスタも、この攻撃を〝未来視〟で捉えていた。
身体を大きく逸らし、間一髪でリーニエの飛び膝蹴りをかわす。
(……まただ)
この黒髪の人間。
常人ならまず反応できない攻撃を、必ず避けてくる。
それだけでも、彼女が他の連中とは違う何かを持っていると思わせるには十分だった。
(でも、回避ばかりじゃ〝模倣〟にはならないんだよね)
向こうにも攻撃してもらわないと困る。リーニエが見たいのは、シエスタがどんな攻撃を繰り出すかなのだから。
だが……だからといって、戒めを外す気はない。さすがにそこまでしたら、アウラからどんな怒りを買うか分かったものではない。
(適度に痛めつけてからなら、縄を解いてあげてもいいか)
逃げたり反抗したりする意志を適当に折ってから自由にすれば、問題ないだろう。
そう結論づけたリーニエは、とりあえず『あの時』の続きを始めることにした。
(まずは、こいつの回避術から見極める)
リーニエは、まだ魔力球を出さない。
一方のシエスタは、上半身を縛られたまま。それどころか、眠っているルイズと背中合わせに繋がれている。
そんなこれ以上ないほど不利な条件下で、リーニエの猛攻をやり過ごすことになった。
「ぅ……ぐぁ……!」
ジャネットは呻きながら、なんとか起き上がろうとする。
「無事か、ジャネット」
「ダミアン兄さま……!」
そんな彼女の隣にやってきたのは、死角から様子をうかがっていた長兄、ダミアン。
凄腕の使い手『元素の兄弟』のリーダーにして、『火』をはじめとした数々の魔法道具を使いこなす者である。
見かけこそ十代の金髪の少年といった風体だが……その表情からは、子供とは思えないほどの場慣れした雰囲気が漂っている。
「膝が折れて……いや、砕けているのか?」
「えぇ……わたしでも、完全に治るには時間がかかりそう……!」
「それは、『地下室に囚われている女子二人』を守っているから、自己回復に力を割けないって意味かい?」
その言葉に、ジャネットはひやりとした。
シエスタとの約束通り、残った精神力を自分の治癒には回さず、アンリエッタ姫たちを守る『水壁』の維持に割いているのだ。
そんな末っ子の考えなどお見通しとばかりに、ダミアンは指摘してきた。
「合理的ではないのは分かってますわ……。でも、あの子たちは兄さま方を『いともたやすく操り人形にした』奴についての情報を握っている……! 不利益を被ってでも、助けるべきだと思っただけです」
「『助けようとしたけど、助けられませんでした』っていう言い訳で逃げられないかい?」
「……そんなことをしたら、このつながりは、か細い糸のようにプツンと切れるでしょうね」
ジャネットはまず、リーニエに蹴られた膝へ『治癒』を施す。
まずは立って歩けるようにならなければならない。その間、ダミアンは改めて周囲を見渡した。
向こうには、リーニエと激戦を繰り広げる黒髪の平民メイド。その奥には、火傷から立ち直りかけている吸血鬼の少女。
そして周囲は、戦の音と怒号、首無し兵に斬りかかる兵たちの群れで溢れ返っている。
無慈悲に襲いかかる首無し騎士たちと、レキシントン街を守り抜こうとする人々。二つの勢力による、凄惨な攻防。
しかも、襲撃してきた死者の軍勢には、自分たちの弟まで巻き込まれている。
何から何まで異常な事態だった。
そして、その中でも特に恐ろしく強い『二つ角の少女』。リーニエ、といったか。
そいつと、あの平民メイドが何故か互角にやり合っている。しかもメイドの方は、上半身を縛られたままという圧倒的に不利な状況で。
なぜそんなことができるのか、本当に訳が分からない。
だが、とりあえず目の前で起きていることを『現実』として受け入れ、動くしかない。
(少なくとも、あのメイドが
しばし考えた末、ダミアンはため息を吐いた。
「……分かった。とりあえず、きみはそのまま『治癒』に集中していてくれ。無理に戦闘に出なくてもいい」
「ええ、助かりますわ。でも、ダミアン兄さまは……!」
その時だった。
凄まじい衝撃音とともに、巨大なブレイドがダミアンたちの頭上を覆った。
「まったく、荒っぽいな!!」
ダミアンはジャネットを背負ったまま、その巨大なブレイドをやり過ごす。
そして、自らの両足を炎の靴で包み、足先に『炎球』を形成した。
「もう少し寝てなよ、ドゥドゥー!!」
そう叫ぶや、ダミアンは少年とは思えない身体能力で跳躍。
先ほどの攻撃の主――ドゥドゥーの腹めがけて、炎の球を蹴り飛ばした。
「がぁっ!!」
炎球をまともに食らったドゥドゥーは、そのまま勢いよく吹き飛ばされる。
荒っぽいやり方ではあるが、これくらいで死ぬような弟ではないことは、ダミアンもよく分かっている。
だが、その直後。上空から太陽を背に、今度は筋骨隆々の丸坊主の男が迫ってきた。
「ジャック兄さま!」
ジャネットの叫びが響く中、ジャックがダミアンの頭上めがけて急降下する。
ドゴン!! と、凄まじい衝撃音とともに土煙が巻き上がる。ダミアンは間一髪で飛び退いていた。
だが、それを追いかけるように、ジャックが両腕を広げて迫ってくる。
「ふんっ! はぁあっ!!」
ジャックは『硬化』で固めた拳を次々と振るい、ダミアンはジャネットを背負ったまま、その猛攻をかわしていく。
着地の隙を狙って放たれた正拳突きも、紙一重の動きで回避。
そのままダミアンは、再び足元にサッカーボールほどの火球を作り上げると、ジャックの腹めがけて蹴り込んだ。
「ぐっ……!!」
ジャックは歯を食いしばり、その一撃に耐える。
地面を削りながら、数サントほど後ずさった。
「まったく……可愛い弟たちに暴力を振るわなきゃならない、ぼくの気持ちも考えてよ」
ダミアンは形だけの笑みを浮かべながら、先ほどの攻撃に耐えたジャックへ呟く。
ジャックは顔を上げ、苦痛に歯を食いしばりながらも、不敵な笑みを浮かべた。
「苦労をかける……兄さん」
「本当だよ、ジャック。お願いだから、これ以上兄さんを困らせないでくれないか?」
「そうしたいが……身体が言うことを聞かん。まるで、オレの身体じゃないみたいに……!!」
次の瞬間。吹き飛ばされていたドゥドゥーの『ブレイド』が、今度は横薙ぎにダミアンを襲った。
ダミアンはジャネットを背負ったまま宙へ跳び、それを回避する。
一瞬だけ右腕をジャネットから離し、今度は掌に野球ボールほどの火球を作り出した。そのまま剛速球さながらの勢いで投げつける。
だが、ドゥドゥーは身を翻して火球をかわし、そのままダミアンへと迫ってきた。
「まったく……兄としては、二人がここまで強くなったことを、素直に喜びたいんだけどな……」
ダミアンはやれやれといった様子で肩をすくめる。
そして、残った唯一の妹を守りながら、迫り来る二人の弟を相手取ることになった。
「――――ぐっ!」
「しぶといね。良い感じに楽しめそうだ」
リーニエの回し蹴りを、シエスタは身を屈めて避ける。
次いで放たれたのは掌底。これはシエスタを縛る縄の部分に直撃した。
だが、決定打にはならない。シエスタは攻撃を食らう寸前、半歩後ろへ下がることで衝撃の大部分を逃がしていた。
それでも吹き飛ばされるが、ルイズと背中合わせに繋がれた状態で身体を捻り、なんとか着地する。
一連の攻撃をどうにかやり過ごしたものの、シエスタに一息つく暇はない。
すぐさま距離を詰めてきたリーニエの手刀が、今度は刺突となって迫る。
シエスタは再び、小さく錐揉み回転しながら横へ逃れた。リーニエの手刀はそのまま、崩れかけた建物の壁へ直撃。
次の瞬間、壁の一部が粉々に砕け散った。
「さっきから、その後ろの子を庇うように動いているね」
大きな亀裂が走った壁から腕を引き抜きながら、リーニエはシエスタに問いかける。
「と、当然じゃないですか」
シエスタは起き上がり、リーニエと正面から向き合う。
ある程度、蹴りで牽制はしている。
だが、深く踏み込みすぎれば、自分はともかく背中のルイズが大怪我をしかねない。故に、積極的に攻め込むことはできずにいた。
「ぎゃ、逆にあなたは、なんでさっきからわたしじゃなくて、眠っているミス・ヴァリエールに攻撃を仕掛けるのですか?」
今度はシエスタが、リーニエに問いかける。
そう、これまでリーニエが放った攻撃は、そのほとんどが眠っているルイズを狙ったものだった。
それに対し、リーニエはあっけらかんと答える。
「なんでって、邪魔でしょ」
「じゃ、じゃま……?」
「実際、私はその後ろの『荷物』なんてどうでもいいんだよね。あなただって、その『重し』がない方が動きやすくなるでしょ?」
リーニエにとって、ルイズの生死などどうでもよかった。むしろ、この場にいる者たちの中で一番どうでもいい。
なぜなら彼女は〝魔法使い〟であるにもかかわらず、『魔力量がほとんどゼロに近い落ちこぼれ』だからだ。
〝魔力探知〟の精度をどれだけ上げても、ルイズから感じ取れる魔力は本当に小さい。
こんなにも魔力の少ない人間がいるのかと、逆に不思議に思うほどだった。
魔族にとって、〝魔法〟は地位であり、〝魔力〟は財産。
強さこそが全ての魔族社会において、〝魔法の強さ〟は相手の価値を測る絶対的な指針となる。
そして、その価値観は当然のように人間にも当てはめられる。
つまり、この時点で
むしろシエスタの足を引っ張ってばかりなのだから、いない方がいいとすら思っている。どうせアウラ様だって、こんなゴミをわざわざ操ろうとは思わないだろうし。
故にリーニエにとって、ルイズという人間は心底どうでもよかったのだ。
だがシエスタは、一緒に旅してきた仲間を『荷物』だの『重し』だの呼ぶリーニエを、信じられないような目で見ていた。
「み、ミス・ヴァリエールはお荷物なんかじゃありません! わたしにとって大切な仲間なんです! 荷物なんて言わないでください!」
「仲間……か。人間がよく使う言葉だよね。うん」
リーニエは『仲間』という言葉自体は知っている。
だが、それを本当の意味で理解しているかと言われれば、決してそんなことはない。
ただ、どれだけ強い人間でも、『仲間意識』があるせいで、本来なら落とさずに済んだ命を落とすことがある。
人間にはそういう『習性』がある。そのことだけは理解していた。
「じゃあ、その『仲間』が襲いかかってきたら、あなたはどうする?」
その言葉を聞いて、シエスタは目を見張った。リーニエの背後から、一人の人影が歩いてくる。
節くれだった長杖を手に、短い青髪を揺らす少女。
「この子も仲間なんだよね? 確か村で戦った時、そんな感じだったけど」
その姿を見たシエスタのこめかみから、一筋の汗が流れ落ちる。両腕を縛られているため、その汗を拭うこともできない。
汗はそのまま頬を伝い、顎先から地面へと零れ落ちた。
「このままだと、後ろの『荷物』とこの子――二人の『仲間』のせいで、あなたは殺されることになるけど。それでもいいの? 『人類最強の勇者の子孫』なのに?」
リーニエの言葉に引っ張られるように、隣の少女がゆっくりと杖をシエスタへ向ける。
「ミス・タバサ……」
シエスタはなんとも言えない苦しげな表情を浮かべ、操られているタバサを見つめることしかできなかった。
しかし、タバサの返事は魔法だった。
節くれだった杖がゆっくりと掲げられる。すると、その頭上にいくつもの氷の矢が形成されていく。
「――――〝
次の瞬間、牽制するかのように氷の矢が次々と周囲へ突き刺さった。
直接シエスタを狙わないのは、下手に縄を切らせないためだろう。
そうして周囲に散らばらせた氷の矢を、今度は『錬金』で砕き、細かな氷の霧へと変えていく。
ルイズとの模擬戦でも使っていた、濃密な氷霧で相手の視界を奪う戦法だ。
「――――ぐっ!」
深い白霧に包まれた中、シエスタは〝未来視〟によって横から攻撃が来ることを察知した。
次の瞬間、霧を突き破ってリーニエの回し蹴りが飛んでくる。
シエスタは咄嗟に膝を上げ、それを受け止めた。
「ま、待って……!」
シエスタの言葉など意に介さず、今度はタバサの『
攻撃が来ること自体は読めていた。だが、この状況では避けきれなかった。
「うぐっ……!」
圧縮した風を叩きつけるその魔法は、大人でもまともに食らえば昏倒しかねないほどの威力を誇る。
それをまともに受けたにもかかわらず、シエスタは大して堪えた様子を見せない。
それよりも優先したのは、背中で眠るルイズだった。彼女に衝撃が伝わらないよう身体を捻り、なんとか着地しようとする。
だが――。
「ここ」
「……っ!」
着地の隙を狙ったリーニエの手刀が、ルイズの首筋へと迫る。
シエスタはさらに身体を捻り、その攻撃の行き先を自らの喉元へと変えた。
「ぐっ……!」
今度は急所にまともに入った。一瞬、シエスタの視界に白い閃光が弾ける。
そのままリーニエが手刀を振り抜いた。シエスタはルイズもろとも、十メイルほど吹き飛ばされていく。
「あぐっ!?」
二人はごろごろと地面を転がり、そのままレキシントンの大通りまで放り出された。
「大丈夫ですか、ミス・ヴァリエール……!」
痛みに耐えながら起き上がり、背中のルイズへ呼びかける。しかし、彼女から返事はない。
まだ寝ているの? 今の衝撃なら、目を覚ましてもおかしくなかったはずなのに……。
(もしかして、夢の世界でフリーレンさんたちと、何か話しているのかな……)
そんなことを考えながら、シエスタは周囲の状況を確認する。
大通りでは、首無しの兵士たちと、建物や瓦礫を盾に魔法を放つ貴族たちとの激しい攻防が繰り広げられていた。
「くそっ! なんだ、奴らの持っている銃器は!!」
「分かりません! いつの間に、あんな連射できる火器を!?」
次の瞬間、物陰から魔法を放とうと顔を出したメイジの一人が、銃弾を浴びて倒れた。
『メイジの魔法の前には、剣も銃も無力』。
そんなハルケギニアの常識を覆している最大の要因は、侵入者側が手にしている武器にあった。
彼らが持っているのは、この世界で普及している火縄銃やマスケット銃などではない。
毎分数百発もの連射が可能な自動小銃――いわゆるアサルトライフルだった。
もちろん、これを所持している敵兵はごく一部。加えて、銃弾を補充できる環境もない以上、撃ち尽くしてしまえばそれまでだ。
だが、せいぜいマスケット銃程度の火器しか知らないメイジたちにとって、その連射性能は完全に未知の領域だった。
敵兵一人でも討ち取ろうと遮蔽物から飛び出したメイジたちは、まるで隠し札のように持ち出された自動小銃によって、次々と撃ち倒されていった。
(あれって……『未踏破の洞窟』で、あのゴーレムが装備していた重火器みたいなの?)
この光景を間近で見られる場所まで来ていたシエスタは、首無し兵たちが持つ火器を見て、そんなことを考える。
確か、フリーレンさんの世界とはまた『別の世界』。
魔法もなく、おっかない兵器をひたすら発達させた、恐ろしい『世界』があるって聞いていたけど……。
あの首無しの人たちが、なんであんなものを……?
だが、思考もそこまで。シエスタはすぐさま、その場から跳躍した。
直後、リーニエの飛び蹴りが地面を叩く。
衝撃で石畳が割れ、大きく砕け散った。
シエスタはなんとかその一撃をやり過ごしたが、そのせいで首無し兵の攻撃範囲へと踏み込んでしまう。
次の瞬間、シエスタの脳裏を一つの光景がよぎった。
このまま棒立ちでいれば――背中のルイズが銃弾の雨を浴び、あっけなく命を落とす。
「ぅうっ!」
シエスタは走った。けたたましい連射音とともに、彼女が駆け抜けた石畳を火花と鉛の嵐が叩いていく。
すぐさま建物の陰へと飛び込む。耳をつんざく発砲音。石壁を叩く銃弾の音。
そして鼻を突く硝煙の臭いが、シエスタの五感を容赦なく刺激する。
(なに、あの銃……こわすぎだよぉ……!)
シエスタが銃を見る機会など、せいぜい狩猟の時くらい。
それも火縄銃やマスケット銃程度の代物だ。
あんな風に何十発もの弾丸を立て続けに撃ち出す銃など、まさしく未知の兵器そのものだった。
「この世界の人間って、筒の中で火薬を炸裂させて、金属の弾を飛ばすみたいだね」
やがて発砲音が止んだ。どうやら弾が切れたらしい。
シエスタが恐る恐る建物の陰から顔を覗かせる。
そこではリーニエが、激しく損傷して事切れていた首無し兵の一体から、一丁の拳銃を拾い上げていた。
「こんな武器があるんだ。かなり複雑に作られている。ここを引けば、弾が出るのかな?」
そういえば、アウラ様も言ってたっけ。
『この大陸のどこか一部に、未知なる武器が流れ込む場所がある』。
それを首無し兵たちに持たせ、戦力の増強を図るとも。
「まだアウラ様がここに来ないのって、こういう武器を漁っているからなのかな?」
その時だった。リーニエの背後で、倒れていたメイジが起き上がった。
満身創痍の身体で杖を振り上げる。貴族としてのプライドも、己の命も、何もかもかなぐり捨てて、この悪魔だけは討ち取ろうとしたのだろう。
だが、その執念を込めた一矢が放たれることはなかった。
リーニエが試すように銃口を向け、引き金を引く。ドォン!! と、拳銃とは思えないほど重厚な轟音が響き渡る。
撃ち出された弾丸をまともに受け、メイジは呆気なく地面へと倒れ伏した。
「なるほど。後で解析してみよう。
倒れたメイジの亡骸を見下ろしながら。まるで新しい『
リーニエは何気なく拾った『S&W M500』を、興味深そうに弄り回していた。
(なにあれ? あれも、銃なの……??)
物陰から様子をうかがっていたシエスタは、冷や汗を流しながら再び身を隠す。
さっきの連射銃もおっかなかったが、あれは一発の威力が凄まじい。
銃が出す音じゃない。しかも、あんなに小さいのに……。
『魔法がない世界』、怖すぎない? あんなのがいっぱい普及しているの?
(――――はっ!)
〝未来視〟で先を読んだシエスタは、慌ててその場から飛び退いた。
直後、銃声。先ほどまでシエスタがいた場所の瓦礫が、弾け飛ぶ。
もしあのまま留まっていたら、背中のルイズの顔が、先ほどのメイジと同じことになっていた。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう! いつまで逃げ続ければいいの!)
あまりにも絶望的な状況に、シエスタの心はもう折れかかっていた。
だが、そんな彼女をあざ笑うかのように、真上。
建物の屋上から、先回りしたリーニエが落ちてくる。
その両手には、それぞれ別の銃が握られていた。
先ほどの『S&W M500』とはまた違う、そこらで適当に拾った拳銃のようだ。
「あなたも、これで撃たれたら死ぬのかな?」
そんなことを宣いながら、リーニエはもはや慣れた手つきで銃を構える。
とりあえず、『構えて引き金を引けば、人を殺せる弾丸が出る』ということだけは理解したらしい。
発砲。
シエスタは咄嗟に首を横へ逸らし、射線から逃れる。弾丸が彼女の頬すれすれを掠めていった。
直後、飛び降りてきたリーニエが着地。
トリガーガードに人差し指を引っかけ、拳銃をくるりと回転させる。
もう一発撃つ。……そう思わせておいて、今度は身体を捻って回し蹴り。
シエスタは頭を下げて回避する。
するとリーニエは、素早く深くしゃがみ込んで足払い。
「っとと……!」
今度は完全には避けきれず、シエスタは足をもつれさせながら後退した。
「そこ」
よろめいたシエスタの顔へ、リーニエが銃口を向ける。そして発砲。
こちらは『S&W M500』ではなく、『二十六年式拳銃』という拳銃だ。
威力は先ほどの怪物じみた拳銃には及ばないが、人間にとって十分すぎるほどの殺傷力を持つ。
とはいえ、頭部に銃弾を受ければ致命傷は免れない。はずだった。
「ぐっ……!」
シエスタは銃弾を、歯で受け止めていた。
「……」
さすがのリーニエも、一瞬だけ目を丸くする。
だが、すぐにいつもの無表情へと戻った。
(びっくりしたぁ……日頃からちゃんと歯を磨いててよかったぁ……!)
ぺっ、とシエスタは口に受け止めた弾丸を吐き出す。
〝未来視〟で『できる』と分かっていたからやってみたのだが、本当にできてしまった。
(毎日ちゃんと歯を磨いてたから、歯が丈夫だったのかも……!)
こんな状況でも、少しズレたことを考えているシエスタ。
だが、その背後に新たな人影が現れる。
「ミス・タバサ……」
危機的状況は、何一つ変わっていない。依然として二対一という圧倒的不利。
ジャネットの援護も期待したいところだが、ここまで離れてしまっては望むのも難しいだろう。
袋小路の中。正面にはリーニエ。後方にはタバサ。
まさに、前門の虎、後門の狼。
シエスタはこの状況をどう切り抜けるか、必死に頭を巡らせる。
その間にも、二人はじりじりと距離を詰めてくる。
もはや万事休す――。
そう思われた、その時だった。
「……うっ」
「え?」
「??」
なぜか、急にタバサが膝をついた。
そして、苦しそうに頭を押さえ始める。
「はぁ、はぁ……」
呼吸も次第に荒くなっていく。
「な、なにが……?」
シエスタとリーニエは、しばらく訳が分からないといった様子で、苦しみ始めたタバサの方を見つめていた。
「……やっと『交信』できたわ」
ここは夢の中。
結婚式場で、ルイズは一人、椅子に座りながら深呼吸をする。既に周りには、フリーレンもデルフもいない。
フリーレンから『解析の方法』と〝
タバサの精神と接触し、その意識を夢の中へ引き込める機会を。
もちろん、正常な状態の人間を相手に、『他人の精神を自分の夢の中へ引き込む』などという無法は、普通なら不可能だ。
だが、今のタバサは〝
魔法によって乱された精神に、〝服従させる魔法を解除する魔法〟の旧式フォーマットを利用して干渉し、この夢の中へと引き寄せたのだ。
タバサを操っている〝新式の
その術式を解析し、解除するために。
(お願いだから、もうちょっとだけ頑張りなさいよ! タバサ!)
幸いにも、現実世界でも自分とタバサはかなり近くにいるようだ。
そのおかげで、こうして彼女の精神を引き寄せることができた。
さらに、一度『夢の世界でフェルンたちと会った時、タバサも同行していた』ことも功を奏した。
以前にも一度、夢の世界で精神を繋いだことがあったのだ。
その時にできた糸を手繰り寄せるようにして、ルイズはタバサの精神をここまで呼び込んだのだった。
「タバサ! わたしよ! ルイズ! 分かる!?」
やがて、夢の世界にいるルイズの前に、タバサの姿が現れる。
だが、徐々にタバサの頭上へ、巨大な黒煙のようなものが立ち昇り始めた。それはやがて、二本の角を持つ女性――アウラの上半身を形作っていく。
さらに、その両手から無数の糸が伸び、タバサの全身へと繋がっていた。
まるで、人形遣いが『マリオネット』を操っているかのように。
(これが今、アウラが人を服従させ、意のままに操っているイメージなのね……!)
この具現化されたイメージを完全に解体できれば、理論上、タバサは自由になる。
ルイズは夢の中で作り出した杖を構え、〝
爆発。アウラを象った黒煙は衝撃で弾け飛ぶ。だが、すぐさま元通りに形成されていった。
(あの上半身を吹き飛ばせば全部解決する……ってわけないか。そんな簡単なことじゃないものね)
だとするなら、やはり肝は、あの『糸』。
タバサとアウラを繋いでいる、無数の糸。
あれを吹き飛ばせば……いや、そんな大雑把なやり方で解決できるわけがない。
約五百本にも及ぶ糸を一本ずつ解析し、正しい順番で切り離していく。まるで、複雑な錠前を一つずつ解錠していくように。
それほど精密な作業をこなしてこそ、初めて現在の〝服従させる魔法〟に対応した、新たな解除魔法を組み上げることができる。
ルイズはそれを、魔法使いとしての本能で理解した。
(やってやるわ! 絶対にタバサを死なせたりしないんだから!)
だから、それまで耐えてほしい。
ルイズは、今も現実世界で必死に戦っているであろうシエスタに、そう願った。
「ミス・タバサ……?」
「うあぁ……っ!!」
突然苦しみ、悶え始めたタバサを見て、シエスタは心配そうな声をかけた。彼女は今、頭を必死に押さえながら、蹲ったりのけぞったりを繰り返している。
今度はいったい何が……?
しかしシエスタには、状況を把握する余裕などなかった。
「――わっ!」
すぐさまシエスタは、リーニエが構えた二丁拳銃への対応を迫られる。
片方は『コルト・ウォーカー』。もう片方は『二十六年式拳銃』。
時代も性能もまるで違う二丁の拳銃を、リーニエは感覚だけで使いこなし、次々と撃ちまくっていた。
その時、シエスタの脳裏を一つの未来がよぎる。
数秒後、流れ弾の一発が、タバサのこめかみを撃ち抜く光景。
「ごめんなさい!」
シエスタは叫びながらタバサへ体当たりし、その身体を路地の向こう側まで突き飛ばした。
その勢いを駆って、シエスタも路地の外へと逃れる。
「だ、大丈夫ですか?」
倒れて呻くタバサに駆け寄ろうとする。
しかしタバサは、やぶれかぶれといった形相で杖を振るってきた。突如巻き起こった突風に、シエスタの身体が宙へと煽られる。
その隙を逃すリーニエではない。
弾切れになった二丁の拳銃を、トリガーガードに指を引っかけて激しく回転させる。
そして――まるで手裏剣のように、二丁まとめて投げつけてきた。
空中では身動きが取れない。
それでもシエスタは、最初に飛んできた拳銃を蹴り飛ばし、その勢いでもう一丁の拳銃まで弾き飛ばす。
しかし、それすら予定調和とばかりに。
リーニエはコルセットに挟んでいた『S&W M500』を抜き放ち、銃口をシエスタへ向けた。
「改めて、
リーニエはそう嘯きながら、引き金を引く。
大口径の弾丸を撃ち出す強力な自動拳銃が火を噴いた。
銃口から迸ったマズルフラッシュが、シエスタの視界を一瞬、白く染め上げる。
「――――タバサ!」
夢の世界。同時刻。
ルイズは、攻撃を仕掛けてくる精神体のタバサとやり合いながら、彼女を縛る糸を一本でも解除しようと奮闘していた。
(このイメージの理屈でいえば、上空からタバサを操っている糸を正しい順番で破壊さえできれば、わたしは〝
ルイズは、フリーレンから〝
だが当然、切る順番を示すヒントなどない。本当に虱潰しに探していくしかないのだ。
そのうえ、タバサを操る糸は数千本以上にも及ぶ。さらに、向こうもただ大人しくしているわけではない。
精神世界の中でも、タバサは容赦なく襲ってくるのだ。
正確には、頭上に浮かぶアウラの影に操られているのだが。
かくして今、夢の中に象られた教会の中。
ルイズとタバサは、再び死闘を繰り広げていた。
「づっ!」
タバサの放つ『氷の矢』に反応しきれず、ルイズの頬に一筋の赤い線が走る。
タバサはそのまま、さらに連発するように氷の鏃を放ち続ける。
だが、さすがに今度は反応できた。ルイズは〝防御魔法〟を展開し、それらを弾き飛ばす。
そうして弾かれた氷の矢は、再びタバサの『錬金』によって砕かれ、細かな氷の霧へと変わる。
それが周囲へ拡散し、即席の霧幕を作り出した。
「――っ、またこれ!?」
以前にも、この手は食らったことがある。
魔力を帯びた霧ゆえに、容易にはタバサの位置を察知できない。
だが、一度経験した技でもある。それに、これまでの旅やカトレア救出戦で得た経験が、ルイズを冷静にさせた。
目を閉じ、魔力探知の感覚を研ぎ澄ませる。
次の瞬間、死角から、タバサが飛び込んできた。
長杖の先端を氷で鋭く尖らせ、さらに突風を背に受け、弾丸のような速度で突進してくる。
鋭く研ぎ澄まされた一撃は、質量攻撃に弱いルイズの〝防御魔法〟を呆気なく突き破った。
だが、極限まで感覚を研ぎ澄ませていたルイズは、寸前で身体を逸らす。
切っ先は首の皮一枚を切り裂くに留まった。
タバサはそのまま杖先を器用に回転させ、丸みを帯びた先端をルイズへと向ける。
そして〝一般攻撃魔法〟を撃ち放った。
ルイズは頭を僅かに下げ、その閃光を紙一重でやり過ごす。そして今度は、ルイズの攻撃が完成した。
杖先から『爆発』が迸る。
「――――っ!」
タバサの身体が爆風によって吹き飛ばされる。
爆発の発生源を見切り、咄嗟に後退したことで直撃こそ免れたものの、その身体は激しい爆風に煽られた。
そのまま吹き飛ばされたタバサは、魔法と体術を駆使して空中で身体を回転させ、受け身を取る。
そして着地と同時に、タバサの頭上ではらり、と一本の糸が切れた。
(やっぱり、『爆発』による全体攻撃は有効みたいね!)
あの糸は、『正しい順番で切らなければ』タバサを解放できない。
ならば広範囲を巻き込む『爆発』を何度も放ち、常にすべての糸へ攻撃が届くようにすればいい。
正しい順番の糸だけが切れるというのなら、少なくとも一度の攻撃につき、一本は確実に破壊できる。
どの糸を選べばいいのか、一つ一つ悩む必要などない。
とりあえず全部まとめて吹き飛ばせばいい。
広範囲を丸ごと巻き込む『爆発』を操るルイズだからこそ可能な、強引極まりない『近道』だった。
今回は、『爆発』の特性が完全にメリットへと傾いた格好だ。
(いける! このまま連続で攻撃を加えていけば、タバサを解放でき――――!)
そう思った次の瞬間。
「ごぼっ……??」
ルイズは、突然吐血した。
夢の世界だというのに、腹部から鈍い痛みが走る。
「な……に……?」
ルイズは思わず口元を押さえる。
そして、手のひらに吐き出された赤い液体――自分自身の血を、呆然と見下ろした。
ルイズは、自分の身に何が起こったのか、本気で理解できない表情を浮かべていた。
現実世界。
リーニエが『S&W M500』の引き金を引く。
シリンダーが回転し、轟音とともに撃ち出された弾丸が、シエスタ目掛けて飛んでいく。
「……ぐっ!」
空中にいたシエスタは身体を捻り、背中合わせに繋がっているルイズだけは撃たせまいと、錐揉みするように身を翻す。
だが、〝未来視〟で既に分かっている。もうこれは
シエスタの左肩に、弾丸が直撃した。
「うぐっ……!!」
左肩を貫く激痛に耐えながらも、シエスタはなんとか受け身を取ろうとする。
だが、想像を遥かに超える痛みに身体がついてこない。上手く重心を制御できず、そのまま地面を何度も転がり、勢いよく壁へと叩きつけられた。
「み、ミス・ヴァリエール……!」
そしてこの時。ルイズの腹部には、崩れた瓦礫の突起が深くめり込んでいた。
幸い、先端が鋭利ではなかったため、腹部を貫かれてはいない。だが、今の衝撃は、痛いなどという程度では済まないはずだ。
シエスタはすぐさま身体を動かし、ルイズの腹部を瓦礫の突起から離す。
しかし、自分自身も左肩を撃ち抜かれている。
「く……っ」
シエスタはルイズを庇うようにしながら、その場へ崩れ落ちるように横倒しになった。
夢の世界。
そういうわけで、ルイズは現実世界から送られてくる痛みに、反応するよりもまず困惑していた。
そして、それが隙となった。
(しまっ……!)
タバサは、血を吐いて蹲ったルイズに向かって、「機を見た」とばかりに攻め寄ってくる。
〝防御魔法〟を展開しようにも、腹の底から湧き上がる痛みのせいで反応が遅れる。
(この痛み……もしかして、現実世界のわたしに……なにかあった……??)
現実で受けたダメージが、夢の中の精神体である自分にまで伝わってきたのだろうか?だが、そんなことを考えている余裕すら、今のルイズにはない。
タバサの周囲から迸る魔力と冷気を感知する。
「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ……!」
呪文とともに放たれたのは、系統魔法の中でもタバサが最も使い慣れた魔法、『
無数の氷の矢が、一斉にルイズへと襲いかかる。ルイズは身体を捻り、そのまま横へ駆け出して逃れる。
鋭く尖った青い鏃が、次々と床へ突き刺さっていく。
矢に貫かれることこそなかったが、腹部の痛みはますます酷くなる一方だった。
そして、その隙を狙うかのように、タバサが一気に懐へ踏み込み、杖先をルイズの腹部へ添えるように突きつけた。
「〝
ルイズの腹部から背中へ、凄まじい閃光が突き抜けた。
「――――ぎゃっ!?」
衝撃に身体を大きく吹き飛ばされ、そのまま教会の壇上まで叩き飛ばされる。
「ぐっ……うぅ……!」
「る、ルイズ……!」
タバサが悲壮な顔つきでこちらを見ていた。
だが、肉体と精神、その両方に大打撃を受けた今のルイズには、そんな彼女の表情を窺う余裕などない。
(い、いだ……ぃ……!)
一瞬、お腹の感覚が消えたかと思った。
フリーレンからは事前に、『ハルケギニア用の〝一般攻撃魔法〟は、人に当たっても絶対に死なないように作ってある』と聞いていた。だから、大丈夫だと思っていたのだが――。
普通に、痛い。
ていうか、意識を手放しそう……!
思えば、〝
フリーレンの世界で、この魔法が重宝されている理由を、嫌というほど思い知らされた瞬間だった。
それでもルイズは床に手をつき、震える腕に力を込める。
必死になって起き上がろうとする彼女へ、タバサが、ゆっくりと迫ってくる。
現実世界。
シエスタは肩で息をしながら、激痛に必死に耐えていた。
縛られているせいで、傷口から発せられる激痛という名の信号に対処することもできない。
ただ、ゆっくりと近づいてくるリーニエを見上げることしかできなかった。
リーニエは、徐々に血だまりを作っていくシエスタを見下ろしながら、無情な声で告げる。
「うーん。強いは強いけど、やっぱり『人類最強』って感じはしないな」
拳銃……人間が作り出した『人殺しの武器』を向けながら、藪から棒にそんなことを言ってきた。
「はっ……はぁ……!」
「〝七崩賢〟を半壊まで追い詰めたかの勇者が、こんな無様に血を流して倒れるなんて、普通にあり得ない。たとえ子孫だとしても」
「はぁ……ぐっ……!」
「やっぱりドラートの馬鹿が言うことは当てにならないな。このまま、とどめすら刺せそうだ」
「ど、どうして……!」
シエスタは歯を食いしばりながら、リーニエの周囲を改めて見渡す。遥か後方には、苦しみながら倒れているタバサの姿が見える。
逆に言えば、まだ動いているのは彼女と自分たちだけ。
それ以外は死体と死臭で、この場所は満ちていた。
瓦礫の奥には、自分と同じように銃弾を撃ち込まれ、無惨に倒れた人の姿が見える。その遺体は、女性と子供に覆いかぶさるようにして倒れていた。
おそらく、二人を庇おうとしたのだろう。だが、その女性も子供も、既に息絶えている。
他にも、無念を滲ませるように壁を背にして事切れている騎士。
いくつもの銃創を負い、仰向けに倒れている兵士。
気づけば、悲鳴も随分と減っていた。それだけ、ここにいた人々が死んだか、あるいは捕らえられてしまったのかもしれない。
シエスタは今、初めて『戦場』という悲惨な舞台の上に立っていた。
こんな地獄のような光景を生み出しておいて。
目の前の少女は、どうしてこんなにも……!!
「なんで、この人たちが……あなたに一体何をしたの!!」
あまりにも無情に殺戮を繰り返す少女に、とうとうシエスタは叫んだ。
だが、返ってきたのは、あまりにも無情な答え。
「特になにも。人間を殺す理由なんて、考えたこともない。当たり前のことだ」
あえて理由を問うなら、それが〝魔族〟だから。
人間がいるから殺す。人間がいるから滅ぼす。そこに理由などない。
考えたこともなければ、これから考える気もない。
それを聞いたシエスタは、おそらく生まれて初めてだった。
腹の底から湧き上がる熱――『激情』を覚えたのは。
「ああそう……分かったわ」
震える声とともに、シエスタから敬語が消えた。
そして歯を食いしばり、なんとか身体を起こしていく。
「フリーレンさんの言ってたこと、少しだけ……理解できた」
船の中であらかじめ、〝魔族〟という種族についてもフリーレンから聞いていた。
『人類種の天敵』とまで言い切る彼女の話を、当時のシエスタは『少し大げさなんじゃ……』とすら思っていた。
でも、こうして実際に言葉を交わして、少しだけ分かった。
「お前が、〝魔族〟という種族なのね……!!」
決して理解し合えない、異形の化け物。
人に近しい姿をしていながら、その心は人から最も遠い。
それが、目の前の少女なのだと。
「まだ動くのか」
リーニエは一歩下がり、銃を構える。
彼女はシエスタの動きを色々と見てきたが、一番の収穫は、たまたまこの戦場で拾った『拳銃』だった。
大抵の人間なら、遠距離から一撃で殺せる。
こうして『人類最強を騙る偽物』が相手でも、一応ダメージは入る。
……ちなみに、『S&W M500』は極めて強力な大型拳銃であり、人間どころか大型の猛獣を想定した用途でも知られている。
本来なら、生身の人間がまともに食らって無事で済むような代物ではない。
にもかかわらず、シエスタは左肩に弾丸を受けながらも、未だに立ち上がろうとしている。
この銃の威力を知る人間が見れば、この時点で既に『異常事態』。
あり得ないほどの肉体強度だった。
だが、銃という武器を初めて手にしたリーニエには、当然ながら知る由もない。
故に、次の行動が、一瞬遅れた。
立ち上がったシエスタが、よろめくような足取りから一転、一気に距離を詰めてきたのだ。
「――――え?」
突然の反撃。銃を手にする前のリーニエなら、もしかすると対応できていたかもしれない。
だが、この時のリーニエは、銃という未知の武器で遊んでいた。
どこまで使えるのか、どれほど人間に通用するのか。様々な人間を相手に試していたせいで、咄嗟に『銃を手放し、近接戦闘の態勢を取る』という余計な動作が生まれてしまった。
そして、反撃態勢へ移る頃にはもう、シエスタはリーニエの目の前まで迫っていた。
これまでシエスタが回避に徹していたせいで、リーニエは彼女本来の踏み込みの速さを見誤っていたのだ。
「しまっ――――!」
「これは、ミス・タバサとミス・ヴァリエールと、この傷の分!!」
シエスタはそう叫び、思い切り、リーニエへ頭突きを叩き込んだ。
シエスタの額と、リーニエの額が激突する。
凄まじい衝撃とともに、二人の足元から地面へ強烈なひびが迸った。
「ごがっ……!」
落ち着け。ただの、やぶれかぶれな頭突きだ。
リーニエは攻撃をまともに食らいながらも、思考だけは冷静に保ち、反撃の準備を整える。
見れば、シエスタは頭突きを叩き込んだ勢いのまま、再び逃走を図っていた。
(まだ逃げるつもりなのか。いい加減、諦めればいいのに)
魔力球を展開しながら、再びシエスタを追おうとして――。
「……?」
ぐらり、と。視界が歪んだ。
次いでリーニエの視界の中で、壁が急速にせり上がってくる。
いや違う。これは、壁じゃない。地面だ。
つまり今、自分は――。
(え……なに……これ……!)
気づけば、リーニエは頭から大量の血を流していた。
さっきの、あの子の頭突き。
あんな、やぶれかぶれな攻撃を一発食らっただけで……!
(た、立てな……い……!)
手も足も、まったく力が入らなくなった。
おそらく、この世界へやって来てから初めてかもしれない。これほどまで『死にかけるほどの大怪我』を負ったのは。
あんな、模倣する価値すらない、ただの頭突きで……!!
一瞬、リーニエの記憶に過る、あの苦い光景。
三年前のグラナド伯爵領。自分を死に追いやった、あの赤髪の戦士との記憶。
自分の攻撃はまるで通じず、たった一度の反撃で、自分は死んだ。
あの忌まわしい理不尽。まるで、それをもう一度再現されたかのようだった。
もう二度と、こんな屈辱を味わうことはないと思っていたのに……!!
(あれだ……。あの理不尽だけは……〝模倣〟できない……)
自分と、あの戦士と……彼女……。いったい、なにが違うの?
同じ動きができるなら、そこに絶対的な『差』なんて生まれないはずなのに。
どうして、こんなにも『威力』が違っているの?
「なにを……どう〝模倣〟すれば……あの理不尽を……再現、できる……の……」
模倣の技術を極めようとする限り、絶対に避けては通れない壁。
『理不尽』の再現。
どうすれば、自分にもそれが可能になるのか。答えを見つけられないまま。
この世界に来て初めて噛み締める悔しさを抱えながら、リーニエの意識はそこで途切れた。
「はぁ……はぁ……」
シエスタは走る。
彼女が走った跡には、点々と血の雫が零れていく。
本音を言えば、このまま街の外まで逃げ出したい。
でも、まだこの街にはアンリエッタ姫やアニエス、そして自分を助けてくれたジャネットもいる。
彼女たちを見捨てて逃げることなど、当然ながらできない。
特にアニエスたちは未だ、燃え盛る牢獄の中に閉じ込められたままなのだから。
(なんとか、この縄さえ切れれば……!)
切れ味の鋭い刃物を探しながら走る。だが、そんな都合のいいものが、そう簡単に見つかるはずもない。
おそらく、探している時間もない。
走っている間にも、傷口からどんどん血が流れ出しているからだ。
(先にジャネットと合流した方が早いかも……!)
『水』のエキスパートだと言っていた彼女なら、この傷も治してくれるかもしれない。
そんなことを考えていた、その時だった。
「きゃっ!? こ、今度は何――――!」
突如として、街全体を揺るがすような轟音が響き渡った。
直後、〝未来視〟でこの先に起こることを悟ったシエスタは、思わず上空を見上げる。
「な……!」
そこには、アルビオンに生息しているであろう飛竜たちが、こちらへ向かって突撃してくる姿があった。
しかも飛竜たちの背には、見慣れない大型爆弾が括りつけられていた。それは地面や建物への衝突と同時に炸裂する、着発式の爆弾だった。
そして、その数秒後までを〝未来視〟で見通したシエスタは――。
(いけないっ!)
近くの建物の扉を蹴破り、その中へ飛び込んだ。
そのすぐ後、爆薬を括りつけられた飛竜が、レキシントンの街中へと突入した。
凄まじい爆発音とともに炎が巻き上がり、周囲の建物が大きく揺れる。
「さあて――そろそろ総仕上げとしましょうかね」
レキシントンの街を一望できる、小高い丘の上。
〝
三体目の
魔族に現代兵器を持たせてはいけない(確信)
でもガンカタリーニエはちょっと書きたかった(小声)