その日、レキシントン都市は超巨大爆弾を投下され、壊滅的な打撃を受けることとなった。
荒廃した瓦礫の街。
レキシントン都市の象徴だった白い時計塔は崩れ落ち、粉塵、死臭、硝煙、血の臭いが街全体に立ち込めている。
焼け焦げた煉瓦や崩れた建物が、そこかしこに散乱する悲惨な光景。
もはや、生きている人間など一人もいないのではないかと思わせるほどの荒廃ぶりだった。
そんな中、崩れ落ちた橙色の屋根の下で、何かがもぞもぞと動いた。
「……っしょ、と……いたた……」
下から屋根を持ち上げたのは、ダミアンだった。
普段は身ぎれいにしている彼にしては、尋常ではないほど顔も服も煤けている。
彼はそのまま、少年とは思えない怪力で、八メイルはあろうかという大きな屋根を持ち上げると、それを脇へとどかした。
「……ジャネット、ドゥドゥー、ジャック、生きてる?」
ダミアンはまず、近くにいるはずの弟妹たちに呼びかけた。
爆弾が落ちてくると分かった時点で、操られていた弟二人をわざと挑発し、自分たちの後を追わせたはずだ。
だから、近くにいることは間違いないと思うのだが……。
「ぅぅ……」
「ご……っ」
幸い、弟たちはすぐに見つかった。二人とも瓦礫に埋もれている。
この二人なら、瓦礫の大きさからして、精神力さえ回復すればすぐに起き上がれるだろう。
問題は……ジャネットだ。
「ジャネット? どこだい?」
「こ、ここで……す」
声のする方を見下ろすと、ジャネットはダミアンのすぐ右隣にいた。
より重く、大きな瓦礫の下に埋まっている。
「出られそうかい?」
「ちょっと……難しそうかも……」
どうやら、複雑な具合に瓦礫に挟まっているらしい。
単純に瓦礫を持ち上げようとすると、挟まった腕が不自然な方向に折れ曲がってしまうようだ。
ジャネットはひどく痛そうな表情を浮かべた。
「自力で……抜けられるとは思いますけど、ちょっと時間がかかるかも……」
「手伝うよ。どうすればいい?」
「いえ、かなり面倒な挟まり方をしたみたい……。手伝ってもらうより、自分でやった方が多分、安全かもしれないわ……!」
そう言って、ジャネットはぶつぶつと精霊との契約を始めた。おそらく、そちらの方が早いのだろうが……。
その時、ダミアンは何やら嫌な気配を感じ取った。
「ジャネット、もう少し早く……」
「分かってます、けど……!」
ダミアンは瓦礫の陰に身を隠したまま、『遠見』を使い、その先の光景を覗き見た。今や無残に崩れ落ちたレキシントン城塞を。
そこでは、二本の角を生やした女が……。
片手に天秤を携え、生き残った騎士たちを次々と操っていた。
「いったた……」
さて、これまた別方面。
先ほどのダミアンと同じく、瓦礫の中から大きな影がせり上がった。
「まったく……これほどまでの攻撃を仕掛けるなら、一言くらい欲しかったぞ……」
それは、人語を話すミノタウロス……ラルカスだった。
彼もまた、首無し兵たちと共に最前線で
自慢の分厚い皮膚は並大抵の魔法を弾き返し、その威力を無に帰していたため、戦闘自体はほぼ無傷で済んでいた。
今、この瞬間までは……。
「あ、ありがとう……ラルカスおじちゃん……」
遅れて、エルザも瓦礫の下から這い出し、外の空気を大きく吸い込んだ。
牢屋ではジャネットの反撃によって、危うく全身火傷だらけになりかけていたが、途中でラルカスが助けに来てくれたおかげで、何とか一命を取り留めていた。
火傷も爆撃前にラルカスの『
「……一体全体、何をしたらこうなるの? 何の魔法?」
瓦礫の山から脱出し、道を歩きながらエルザは呟いた。
辺り一面には人間の死体が転がり、凄まじい死臭が立ち込めている。
あちこちの建物から炎が噴き上がり、立ち昇る黒煙が、熱気に満ちた空を覆っていた。
自分の両親の仇でもあるメイジ……そんな連中が大勢いるはずの城塞都市なのに。思わずエルザですら引いてしまうほどの地獄絵図が、そこには広がっていた。
「分からん。本気で分からん。これはそもそも魔法なのか?」
ラルカスもまた、この状況に混乱しきっていた。
レキシントン城塞都市は、アルビオンの中でもひときわ堅牢なことで知られている。
それほど強固な城塞都市が、あっさりと、こうも無残に……。
見る者が見れば、エルフの軍団が攻め込んできたのかと思うほどの惨状だった。
「正直に言うと、俺は怖いよ、エルザ。こんなもの、魔法だと思いたくない。もっと酷い何か……別の手段を使ったのだと思いたいくらいだ」
「まあ、その気持ちは分からなくもないけど……って、あれ……ちょっと待って」
その時、エルザは通りの曲がり角に、見慣れた足が横たわっているのを見つけた。
慌ててそちらへ駆け寄ってみると、そこには血を流して倒れているリーニエの姿があった。
「り、リーニエお姉ちゃん!?」
「なっ、だ、大丈夫か!」
二人の人食い亜人は、すぐさま倒れているリーニエの介抱に取りかかった。
彼女は頭部から大量に出血しており、意識もない。
エルザは戸惑った。三年間、行動を共にしてきたリーニエが、これほど無様な姿を晒しているのは、初めて見た。
「ら、ラルカスおじちゃん、お願いしてもいい? 『精霊魔法』の治癒、リーニエお姉ちゃんは嫌がるから……」
「わ、分かった。何とかしてみよう」
幸いにも、怪物の身体に鞍替えしたラルカスは、魔法の実力がスクウェアクラスにまで高まっていた。
彼がすぐさま治癒魔法を施すと、リーニエの傷口は塞がり、出血も止まった。額に跡は残ってしまったが……。
「リーニエお姉ちゃん! 返事して!」
「……っ、ぅうん」
やがて、リーニエはゆっくりと目を覚ました。
寝ぼけたような声を漏らしながら周囲を見渡し、やがてラルカスたちに目を向ける。
「エルザ、ラルカス? あれ、ここは……」
「大丈夫? わたしたちが分かる?」
「そうだ、私……」
そう呟くと、リーニエは起き上がり、改めて周囲を見渡した。
当然ながら、「助けてくれた礼を言う」などという高尚なことを、魔族であるリーニエがするはずもなく。
自分を打ちのめした少女……シエスタの姿を探すものの、当然ながら見つけることはできなかった。
「……エルザ、あの子たちは?」
「え、あの子?」
「地下牢に繋いでいた連中。結局どうなったの?」
「え、え? いや、知らないよ! だって、こんな爆撃が来るなんて思ってなかったし……!」
もしかして、あの黒髪のメイドのことを言っているのだろうか。人類最強の血筋を受け継いでいるとかいう、あの少女のことを。
当然ながら、どこへ行ったかなど分かるはずもない。
何しろ、自分はつい先ほどまで、火を消すのに躍起になっていたのだから。気がつけば、この凄まじい爆撃が始まっていたわけで。
「こんなに荒れ果てているんだったら、今頃死んでいるんじゃない?」
エルザが首を振ってそう告げると、リーニエはどこか納得のいかない表情で周囲を見渡した。
だが、見つかったのは、瓦礫の中から這い出してきた青髪の少女……タバサくらいのものだった。
彼女も相当にボロボロだったが、まだ生きているらしい。
(逃がしたか……)
今度こそ、あの『理不尽』を模倣したいと思っていたのに。
あまりにも無様な姿を晒すものだから、つい油断していた。
だが、あの頭突きを食らって確信した。認識を改めたのだ。
間違いなく、あいつは『人類最強の勇者の末孫』なのだと。
(次は油断しない。絶対にしない。必ずあの理不尽、見極めてみせる)
リーニエは無意識のうちに拳を握り締め、心の中で固く誓った。
もう、あのメイドを侮ったりはしないと。
「……それはそれとして、アウラ様、ようやく来たんだ」
「え、アウラ様って……」
エルザの呆けたような問いに、リーニエは指をさすことで答えた。
その先では、かろうじて生き残った人間の騎士たちが、天秤を片手に悠然と歩く二本角の魔族の女に、必死の抵抗を試みていた。
「くそぉ! よくもこの街を! 家族を! 友を! 王子を!」
「貴様だけは絶対に許さないぞ、この悪魔め!!」
彼らの戦闘能力は、すでに無きに等しかった。
先ほどまで首無し兵たちが操る未知の銃火器に苦しめられ、さらには強烈かつ無慈悲な爆撃まで受けて、ほとんど満身創痍の状態だったのだ。
魔法でさえ、一発か二発撃てればいい方だろう。
それでも、この地を蹂躙する魔女に一矢報いんと、必死に杖を向ける。
だが、天秤が傾く。
それだけで、彼らは誇り高き猟犬ではなく、物言わぬ飼い犬へと成り下がる。
「適当に刃物を拾って、適当に首を切りなさい」
無慈悲な命令を下す。
それだけで、つい先ほどまで憤怒の形相で杖を向けていた誇り高き騎士たちが、今や悲壮な表情を浮かべながら、自らの首をかき斬っていく。
アウラが歩いた後には、首筋から鮮血を噴き上げる、哀れな犠牲者たちの血の河ができあがっていた。
「……うわぁ」
「やはり、アウラ殿だけは敵に回したくないな」
あれを見た後では、まだ「エルフの軍隊とやり合え」と言われた方がマシだと思えるほどの地獄だった。
あそこまで人間の尊厳を踏みにじる魔法が存在していたとは。噂に聞く『アンドバリの指輪』よりも恐ろしいのではないか。
エルザもこの光景には、仇であるメイジたちにさえ「ご愁傷様」とでも言いたげな表情を浮かべるばかりだった。
五百年もの歳月をかけて作り上げた、魔法の高み。アウラにとっては平常運転なのだろう。
だが、その所業は吸血鬼もミノタウロスも恐れおののくほどのものだった。
「アウラ様」
「あら、リーニエ。さっきまであそこで伸びていたみたいだけど、何かあった?」
「うん、ちょっと『南の勇者の末孫』とやり合っていた」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ」
この街の一角に閉じ込めた下僕候補の中に、かの『南の勇者の血を引く者』がいる。そんな報告は、アウラも一応受けていた。
もっとも、やられる前のリーニエと同じく、絶対嘘だろうと思っていたのだが。
「仮にあいつの末孫だとしたら、あなた程度が互角にやり合えるなんて、まずありえないわ。人間もつまらない法螺を吹くものね」
「………………」
リーニエは何か思うところがあるような表情を浮かべたものの、特に何も言わなかった。
実際にやり合った自分は、もう『違う』と思っている。
だが、アウラはかつて、本物の南の勇者と戦っているのだ。その言葉を強く否定することもできなかった。
「まあでも、今のあなたを追い込んだってことは、それなりに強いのは確かよね。で、その子はどこに?」
「……ごめんなさい。どうやら、いなくなったみたい」
「ふぅん……死んではなさそうなの?」
「多分」
「まあ、いいわ」
アウラは特にリーニエを咎めようとはしなかった。
アウラ自身、多少はやり過ぎたという自覚がある。実のところ、ここまで街を廃墟にするつもりはなかったのだ。
それだけ、あの爆弾の威力が凄まじかったということなのだろう。
まあ、あの爆撃の嵐に乗じて逃げ延びたのなら、大したものだ。次に会った時に操ってやればいい。死んでいたのなら、その程度の奴だった。ただ、それだけのこと。
ちなみに当初の目的である『お姫さまを操って王子を釣り出す云々』のことなど、機嫌が良くてもうすっかり忘れていた。
「あとは……あっちか」
この辺り一帯の連中は、あらかた操った。あとは、微かに魔力を感じる方向……。
アウラは、ダミアンたち『元素の兄弟』がいる場所へと目を向けた。
「……マズそう?」
「ああ、かなりヤバいかも」
『遠見』でその様子を見ていたダミアンが、冷や汗交じりに呟いた。
アウラが、こちらを向いてきた。このままでは……。
「ダミアン兄さま、先に行って」
「ジャネット! 何を言って……」
「どうしても、ここから抜け出すのに時間がかかるんです。このままじゃ、ダミアン兄さままであのアウラに捕まってしまいますわ」
「けど……」
この長兄にしては珍しく、葛藤の表情を浮かべている。
だが、それを見たからこそ、ジャネットはこう告げた。
「大丈夫、ちょっと『考え』がありますの。あいつの服従魔法について、少し思うところがありまして……」
「それは『水系統を極めた者』の直感かい?」
「ええ、そう言い換えても構いませんわ」
だから、安心して逃げてほしい。
そんなジャネットの気持ちに気づかないダミアンではない。
だが、それでもなお葛藤する彼に向かって、とうとうジャネットは叫んだ。
「行って! ここで兄さままで捕まってしまう方が最悪ですわ! それに、兄さまにはお願いしたいことがございますの!」
「……例の、少女たちのことかい?」
「ええ、彼女たちは絶対に逃げている。これもわたしの勘ですわ。だから――!」
その言葉を聞くや否や、ダミアンは駆け出した。
葛藤がないわけではない。それはジャネットも理解している。
だが、これ以上ここに留まれば、間違いなくアウラに捕まってしまう。
「頼みましたわよ。ダミアン兄さま……」
ジャネットは瓦礫の下で、心底ほっとしたような笑みを浮かべた。
そして、先ほどこっそり頂いた『ルイズの血が入った注射器』から血を舌の上に垂らし、ごくりと飲み込んだ。
数分後。
「ふぅん、まあ、そこそこ強そうね」
ようやく瓦礫の下から這い出てきたジャネットの前に、アウラが立っていた。
「…………」
ジャネットは無言で、この二本角の女を見つめた。
強烈な死臭。一体、何人殺して食ってきたのだろう。
自分たちも、どちらかといえば闇の世界を歩く住人だ。だが、こいつはさらにその底の底。
自分たちでさえ足を踏み入れないような、どす黒い闇の中を好んで歩いている。
そんな底知れない冷たさを漂わせていた。
リーニエ以上に危険な殺意。
人を殺すことなど、何とも思っていない表情。
(もうこれは、『賭け』ですわね)
ジャネットは奥歯に仕込んでいた『薬』を飲み込んだ。
それと同時に、彼女の胸元から白い火の玉がぽわりと抜け出した。
やがて、その火の玉はアウラの持つ天秤へと向かい、片方の皿の上に収まった。
「何か、言い残すことはある? まあ、あなたはそこらの連中と違って使えるみたいだし、大人しくしているのなら、しばらくは首を残してあげるけど」
まるでギロチン台に寝かせた死刑囚を見るかのような目で、アウラはジャネットにそう告げた。
ジャネットは疲れた笑みを浮かべ、静かに首を横に振った。
何も言うことなどない、とでもいうように。
「そう」
アウラの一言。
そして、
〝
天秤は、容赦なく黒々と燃え盛る火の玉の方へと傾いた。
雨が降る。
厚い雲から、容赦なく透明な水滴が降り注いでいる。
激しく降りしきる雨に打たれながら、シエスタは歩いていた。
「はぁ……はぁ……」
「し、シエスタ。本当に大丈夫なの?」
背中合わせに縛られたままのルイズが、彼女に声をかけた。
しかし、シエスタはもう返事をしない。そんな気力すら、彼女には残されていなかった。
「はぁ……ぁ……」
「きゃっ! シエスタ? シエスタ!!」
やがて、シエスタは力尽きたように倒れた。当然、背中合わせに縛られているルイズも一緒に倒れる。
仰向けに転がったルイズの顔や全身を、曇天から容赦なく降り注ぐ雨が打ちつける。
そして、うつ伏せに倒れたシエスタの肩からは、じわじわと血が流れ出し、地面に血だまりを作り始めていた。
「う、嘘でしょ……ねえ、シエスタ、返事して。ねえ……ねえったら!!」
ルイズは涙声で叫んだが、返事は返ってこない。
ルイズは何度も身をよじり、拘束から抜け出そうとした。
だが、魔法も使えず、か細い腕の力だけでは、この拘束を解くことなどできなかった。
「いや……ねえ、しっかりして! シエスタ、シエスタ!!」
声が枯れるまで叫んでも、シエスタはもう動かない。
ただ、雨の降りしきる音だけが、強くなっていく。
(わたしの好物は『胡桃パン』なんです! 誕生日は――)
また、あの言葉がルイズの脳裏をよぎる。そして、これまでの旅路で共に過ごした日々。
嫌な顔一つせず料理を用意してくれたこと。
一緒にヒンメルの凄さを語り合ったこと。
時折、あり得ない過去の話を聞かされ、そのたびにドン引きしたこと。
『未踏破の洞窟』で、互いに背中を預け合ったこと。
泣き喚くフリーレンを諫めようとして、とうとう取っ組み合いにまで発展したこと。
そして、誕生日を笑顔で一緒に祝ってくれたことまで。
そのすべてが、一気に脳裏をよぎった。
旅に出て、たった一、二ヶ月。本当に短い時間だった。
それだけなのに、気づけば彼女と、こんなにもたくさんの思い出を作っていた。
だからこそ、ルイズは恐怖した。
死の淵に立たされているシエスタを目の前にして、これまで当たり前だった日々が、今まさに失われようとしていることに。
「いやあ、いやあ! 目を覚まして! 誰か! 誰か、たすけ、助けて!」
ルイズは泣き喚きながら、必死に助けを求めた。
アンリエッタも、タバサも、アニエスも、ジャネットも、どうなったか分からない。それなのに、この上シエスタまで失ったら……!!
そんな彼女の叫びを聞きつけたのは……。
「……ここにいたんだ」
「え……っ、あんた……」
ルイズの声を聞き届けた者。それは、残念ながらフリーレンではなかった。
ジャネットに頼まれ、彼女たちを探し続けていた兄、ダミアンだった。
「だ、誰なの?」
「ジャネットの兄、と言えば伝わるかい?」
ダミアンはそう言うと、指をパチンと鳴らした。
それだけで、二人を縛っていた縄はあっさりと解けた。
ようやく自由になれたルイズは、必死になってシエスタを抱き起こした。
「シエスタ、シエスタ! しっかりして!」
「無理に動かさない方がいいよ。この先に誰もいない小屋があるから、そこで診るといい」
そうして場所は変わり、小高い丘の上に建てられた木組みの家の中。
この地に住んでいた住民は、すでにいないようだ。
ルイズはシエスタをベッドの上に寝かせ、肩の傷を診た。そこには痛々しい銃創が刻まれており、今もなお血が滲み出ている。
「ま、まずは出血を止めなきゃ……っ」
ルイズはふらふらの状態ながら、机へと向かった。
治療に使う花を咲かせようと魔法を使うものの、彼女自身も決して軽傷ではない。
「血を止めるのなら、火で焼こうかい?」
もちろん、シエスタの肩にはひどい火傷が残るだろうが、ひとまず出血は止められるはずだ。
足元もおぼつかないルイズを見かねての、ダミアンなりの助言だったが、彼女は首を横に振った。
「そんなこと、しなくても……魔法花で、治療薬くらい作れるわ……!」
ルイズは歯を食いしばり、気力を奮い立たせた。
そして、エレオノールから貰った医療ポーチから、種の入った複数の瓶と包帯を取り出し、準備に取りかかる。
ダミアンは、そんな様子を興味深そうに眺めていた。
「あんた、名前は?」
「ダミアン」
「そう、ダミアン。ちょっと手伝ってもらえる?」
「何をすればいいんだい?」
「魔法でお湯を作って。あと、明かりが欲しい」
この小屋には、明かりと呼べるようなものはない。
すでに日は傾きかけており、空を覆う厚い雲のせいで、辺りはますます暗くなっていた。
このままでは、治療も困難を極めるだろう。
「分かったよ」
ダミアンもまた、ここは素直にルイズの指示に従った。
「……できたわ」
それから数分後。
ルイズは銃創に効く治療薬を作り出していた。
複数の花を咲かせ、その根や花びら、茎や葉など、使えるものは何でも利用して。
ルイズはまず、シエスタの呼吸と脈拍を確認する。呼吸があることを確かめ、傷口を布で圧迫して出血を抑える。
今度は魔法で、その銃弾を取り除かなければならない。
「っ……く」
「いいよ、ぼくも手伝う」
ダミアンはそう言うと、シエスタの体内に残っているであろう銃弾に向けて『レビテーション』を唱えた。
杖を振り、銃弾を抜き取る。
あっさりとやってのけたが、実際には凄まじい精度の制御と魔法技術を要する芸当だった。
「あ、ありがとう……」
「いいよ、ジャネットの頼みだ」
「ジャネット……」
まさか、あの子がここまでして自分を助けようとしてくれるなんて。
あとは、用意した清潔な湯を冷まして傷口を洗浄する。その後、改めてルイズが魔法花から作った薬で出血を抑え、傷の回復を促す。
そして、ダミアンの方へと目を向ける。
「あの子は昔っからそうなんだ。気に入ったものには何でもしてあげたくなる。そんな気質に振り回されたことも、一度や二度じゃ済まない。なかなか世話の焼ける末っ子だよ」
「そ、そうなの……」
それで、彼女自身は……。
問いただすつもりはなかったが、どうやら顔に出ていたらしい。
ダミアンは疲れた表情で口を開いた。
「幸い、爆撃は生き延びたけど、あの二本角の化け物女に……」
「……ッ!」
「これで、正真正銘ぼく一人。可愛い弟妹はみんな、あいつの手駒ってわけさ」
ダミアンはそう言うと、懐から小さな袋を取り出した。
どうやら魔法製の袋らしく、見た目以上に大きなものも収納できるようだ。そこからダミアンは、ルイズの杖とシエスタの日本刀を取り出し、机の上に置いた。
「あ、あんた、それ……!」
「ああ、ぼくが逃げる前に、ジャネットの人形がね。ちゃんと気を利かせていたみたいだ」
残念ながら、デルフリンガーはなかった。
ルイズは困惑しながらも、奪われていた自分の杖を確かに受け取った。
「地下牢に一緒に閉じ込められていた二人の仲間も、妹がちゃんと逃がしたと言っていたよ。『喋る剣』と一緒に……ってね」
「そ、そう……」
ここでルイズは、ようやく一つ、大きく息をついた。
とりあえず、姫さまとアニエスが無事である可能性は高くなった。
そして……。
「……っ、うう……ん」
「し、シエスタ!!」
その時、シエスタもようやく目を覚ました。
「あ、あれ……ここは……?」
寝ぼけたような声を漏らし、起き上がろうとするシエスタ。
だが、その身体にルイズが覆いかぶさった。もちろん肩を避けて。
「ふぇ?」
「よかった……もう、目を覚まさないんじゃないかと……よかったよぉ……!」
ルイズはとうとう泣き出した。
シエスタも、普段はプライドが高く、気高くあろうとするルイズが、こんなにも泣きじゃくる姿を見て、少し呆気に取られてしまった。
「……そちらこそ、ご無事で何よりです」
「ほんとう……心配したんだから……!」
「ええ、ご心配をおかけしました」
泣きじゃくるルイズの頭を、シエスタは優しく撫でた。
その時、とうとう気力が尽きたのだろう。
ルイズはずるずると力を失い、シエスタにもたれかかるようにして意識を失った。
疲労と怪我が、ついに限界に達したのだった。
さて、時は少し遡る。ルイズたちがレキシントンから逃げ出した頃――。
アルビオンのとある草原では――。
「はぁ……」
「もう、ため息ばっかりつかないでよ、モンモランシー」
「つきたくもなるわよ……本当、これ、どういうことよ……」
「まあ、そう気を落とさないでくれたまえ、ぼくのモンモランシー! きみのその薔薇のような笑顔が曇っていては、このアルビオンの晴天に似つかわしくない!」
「晴天って……空、曇りに曇ってるわよ」
そんな寸劇を繰り広げながら、アルビオンの曇天の下、草原を歩く三人の貴族がいた。
それはもちろん、キュルケ、ギーシュ、モンモランシーの三人組だった。
「ほんと、ここどこなのよぉおおおぉおおおおおおおおおおっ!」
モンモランシーの虚しい叫びが、草原に響き渡る。
乗ってきた船が嵐の直撃を受け、バラバラに大破。
散々もみくちゃにされながらも、地表へ落下する頃には嵐が収まっていたため、『飛翔』でなんとか着地できたものの……。
「あれから何日ぐらい経つのかしら?」
「三日、四日かな?」
「もう! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
能天気に笑い合う馬鹿二人に、思わずツッコミを入れるモンモランシー。
こうして今は、どことも知れない草原と森林のど真ん中で、どうにか食いつなぎながら数日が経過していた。
勢いと使命感に任せて、この白の大陸までやって来たわけだが……よりによって、この三人は全員、アルビオンの地に足を踏み入れるのが初めてだった。
ここがどこなのか。
どちらへ行けば村があるのか。
そもそも、フリーレンたちと合流できるのか……?
そんな疑問や不安ばかりが、際限なく湧き上がってくる始末だった。
「とりあえず、今日の夕飯は何にする?」
「そろそろビスケットのワイン漬けを所望したいところだが……」
「そんなものあるわけないでしょうが!」
幸い、近くに小さな湖があったため、魚を捕って空腹をしのぐことはできていた。
だが、ルイズのように大量の花を生み出せるわけでもない以上、調味料など望むべくもない。
どこまでいっても、素材そのものの味を楽しむしかないのだ。
一応、近くには打ち捨てられた街道宿があり、雨風をしのげる場所を確保できたのは幸いだった。
とはいえ、本気でこんな生活を何日も続けるわけにはいかない。
これでは、いったい何をしに来たのかと、周囲から言われかねなかった。
「てか、真面目に考えてよ。はっきり言って、今のわたしたちは迷子そのものよ。こうしてずっと、誰かの助けを待つ気でいるの?」
「まさか。そこまで悠長に構える気はないわ」
焚き木を組み、『着火』で火をつけながら、キュルケは答えた。
「だから、こうして〝魔力探知〟とかいろんな民間魔法を使って、何かないか探り続けているんじゃないの」
「……あ」
そういえば、古い宿があるだとか、湖があるだとか、魚の棲む川があるだとか、これまでキュルケが自らの足で二人を導いてきたことを、モンモランシーとギーシュは思い出した。
「まったく、あたしがいてよかったわね。あんたら二人だけだったら、間違いなく餓死していたでしょうし」
「は、はは! まあ、いいじゃないか! いやあ、さすがだな、キュルケくん!」
調子のいいギーシュは、笑って誤魔化した。
キュルケはそんな彼をよそに、モンモランシーをじろりと見た。
「だいたい、魔力探知だけならあたしよりあんたの方が上なんだから、ちょっとは手伝いなさいよ」
「うぅ……」
ギーシュの魔力探知は、まだまだポンコツだ。
美女を見つける時だけは異常な精度を発揮するものの、ここでは役に立ちそうもない。
一方、繊細な感情を持つモンモランシーは、魔力探知の精度だけならキュルケよりも上なのである。
「てなわけで、ここいらに何かないか、あんたも探ってちょうだい」
「わかったわよ……もう」
モンモランシーは仕方なさそうに腰を下ろし、目を瞑った。
モンモランシー曰く、「探知のイメージは広がる波紋」なのだという。
心の中に思い描いた水面に、一滴の水を落とす。その瞬間、同心円状に広がっていく波紋。それを何度も繰り返し、周囲の気配を探るのだとか。
水系統ならではのイメージなので、キュルケやギーシュには真似できない。
だが、彼女の中で確固としたイメージが組み立てられているおかげで、その探知精度は二人よりもはるかに上なのである。
「……あれ、何かある」
やがて、モンモランシーはそう呟き、目を見開いた。
「何かって、何がだい? ぼくのモンモランシー」
「『ぼくの』はやめてちょうだい」
ギーシュの手をパシッと払いのけながら、モンモランシーはキュルケとギーシュに目を向けた。
「うっすらとだけど……微弱な魔力反応があったのよ」
「へえ、生き物っぽい感じ?」
「大きさからして、多分、人間だと思う」
「そこまでわかるのかい? すごいなあ、民間魔法とは!」
「「あんたが勉強不足なだけよ」」
そこだけ見事にハモった二人の言葉に、ギーシュは「あはは……」と苦笑しながら頭をかいた。
「面白そうじゃない。その反応があった場所を教えなさいよ。食べ終わったら行きましょう」
「えー……行くの?」
「大丈夫さ、『ぼくの』モンモランシー! 命に代えても、ぼくが君を守るよ!」
「だから、『ぼくの』はやめてちょうだいって言ってるじゃない! 決闘の時のあれ、まだ許したわけじゃないんだからね!」
以前の決闘で、危うくギーシュのゴーレムに大怪我を負わされかけたことを持ち出して責め立てると、ギーシュはしょんぼりとうなだれた。
キュルケはやれやれと首を横に振る。
「あんたたち、恋人同士じゃないの?」
「誰が! しつこく謝ってくるから、仕方なく許してやっただけよ!」
「ギーシュの領地に遊びに行ってたって、フリーレンから聞いたけど」
「そ、それとこれとは話が別よ!」
「はいはい、そーいうことにしといてあげるわ」
顔を真っ赤にして反論するモンモランシーをよそに、キュルケは串に刺した焼き魚を頬張った。
さて、そんなわけで、モンモランシーの魔力探知に引っかかった反応の正体を確かめるべく、探索を開始する三人組。
「何もこんな暗い中、行かなくても……!」
モンモランシーは震えながらそう訴えたが、
「そろそろ何か進展が欲しいでしょ?」
というキュルケの言葉に、頷かざるを得なかった。
ずっとあのまま、不味い魚ばかり食べて、気づけば何もできずに終わっていました、なんてのも、それはそれで嫌だ。
そろそろ誰か、人に会いたい。
「だいたい、この辺りだと……思うわ」
モンモランシーに案内されてたどり着いた場所は、人気のない村落だった。
本当に誰もいない。人のいない村ほど、怖いものはない。
「だ、だだだ大丈夫……よね? 何か出たり……しないわよね?」
「だ、だだだ大丈夫さささ、モ、モモモンランシー! そ、そそそんな……」
恐怖で震える二人を置いて、キュルケは杖先に光を灯し、さっさと先へ進んでいく。
「ちょ、ちょっと! 置いていかないでよ!」
モンモランシーはそう叫ぶが……キュルケもここまで来れば、自身の魔力探知に引っかかるものを感じ取っていた。
その反応を頼りに、さらに奥へと進んでいく。
反応は……あの家か。不用心にも開け放たれたままの民家。
玄関口から杖先の光を差し入れ、中を覗いてみれば……。
「ちょっと、見てよ、あれ!」
「ひ、ひぃいいいい!」
「し、死んでる!? 死体……なの?」
そう、玄関口で男が一人、うつ伏せになってばったりと倒れていた。
魔力反応は、どうやらこの男から感じられるようだが……。
「モンモランシー、あんた、ちょっと調べてみなさいよ」
「はぁ!? わたしがやれっていうの!?」
「何か情報が手に入るかもしれないでしょ? 『治癒』や『検知』は水魔法の領分じゃない」
そう言われては仕方がない。
渋々、本当に渋々といった様子で、モンモランシーは男に近づいた。
本音を言えば、無茶苦茶怖い。いきなり起き上がってきたり……しないわよね?
「頑張って、モンモランシー!」
こういう時に限って役に立たない
(……何か握っている?)
身なりからして、貴族らしい。少なくとも、この村の住人ではなさそうだ。
そんな男は、右手に何かを握り締めていた。
気になったモンモランシーは、そちらに杖先の光を向けてみた。
(……ナイフ?)
そう、彼はナイフを握っていたのだ。
それなりに美しい装飾が施されており、造りもしっかりしている。この遺体となった貴族の持ち物だろうか?
しかし、杖ではなくナイフを握ったまま死んでいるというのも妙だ。それとも、これ自体が何かしらの魔道具なのだろうか。
モンモランシーは、そのナイフをもっとよく見ようと近づいた。
「…………」
「モンモランシー?」
ギーシュは首を傾げ、尋ねた。
なぜか、モンモランシーが急に固まったように見えたのだ。
「……ああ、ごめんなさい。何でもないわ」
しばらくして、モンモランシーは何事もなかったかのように動き出した。
少し眉間を押さえ、気の毒そうに呟く。
「残念だけど、やっぱり死んでいるわ」
「じゃあ、あんたが感じたっていう『魔力の反応』って何?」
「多分、このナイフじゃないかしら?」
モンモランシーはそう言って、キュルケにナイフを見せた。
……確かに、このナイフから魔力を感じる。
だが、何だろう? 今までに感じたことのない魔力の波長なので、よく分からない。
もう少し詳しく見せてもらおうと思ったが、その前にモンモランシーがナイフを持つ手を引っ込めた。
「もう少し、このナイフを調べてみるわ。何か分かるかもしれないし」
「え? え、ええ……」
「結局、その死体は何なんだい?」
「多分、盗人じゃないかしら? ほら、このナイフ、結構綺麗な装飾が施されているでしょ? 貴族の家に忍び込んで、追われた末に、この人気のない村へ逃げ込んだとか」
肩をすくめながら、そんな推測を述べるモンモランシー。
ギーシュは「すごいじゃないか!」と、恋人補正も相まって、素直に彼女を褒めた。
「……本当、大した名探偵ぶりね」
キュルケは目を細め、そんなモンモランシーを睨んだ。
一方、モンモランシーはというと、特に動じた様子もなく。
「とりあえず、早くこの村を出ましょ? ここ、気味が悪いし」
「まあ、そうだね……。あまり長居するのもどうかと思うしね」
とりあえず、遺体を丁重に葬った後、キュルケたちはその村を後にした。
だが、「証拠品」として接収したナイフは、いまだモンモランシーの懐に収められたままだった。