◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それは、在りし日のレキシントンの街。
未来において無惨に吹き飛ばされる運命にあるこの城塞都市も、普段は『白の象徴』と呼ばれるアルビオンにふさわしい、美しい街並みを誇っていた。
大理石のように白く美しい石が敷き詰められた大通り。
街の中心には、住民たちの憩いの場となっている噴水広場があり、さらに街を見下ろす高台には城がそびえ立っている。
レキシントンはアルビオンでも屈指の主要都市であり、その街並みは首都ハヴィランドや、街道の終着点であるシティオブサウスゴータにも劣らないと言われていた。
そんな美しい街並みで知られる都市だが、ヒンメルの時代におけるこの場所は……。
「だぁああああああああああッ!! 退避ぃいいいいいい!」
レコン・キスタとの戦闘によって混乱が生じ、街は戦場と化していた。
「着地!」
爆発の余波から逃れたオスマンは、無駄に華麗な回転を披露しながら着地を試みた。
しかし、魔法の発動が間に合わず、崩れかけた建物の一室へ、そのまま突っ込んでいった。
「ごぶっ!?」
「何やってんだい、あんた!」
無様な着地を披露したオスマンに呆れながらも、杖を振って助けたのは、相方兼監視役のロングビルだった。
『
「いやぁ……ヒンメルのアホの癖が移っちまったい。無駄に動きをつけちまうっていうか……」
「バカやってる場合じゃないだろう! 早く逃げるよ!」
この都市の城主と、今後の展開について協議する。
そんな軽い気持ちでやって来たオスマンからすれば、この展開は青天の霹靂だった。
何しろ、自分たちがこの都市に到着した時には、すでにレコン・キスタの襲撃が始まっていたのだから。
しかも、彼らが今相手にしているのは、生気を感じさせない兵士たち。そう、死人だった。
間違いなく、あの時……エルフの少女を攫おうとした連中の一派であることは、想像に難くない。
だが、なぜ連中が今になって!?
「どういうこったよ! もうすでに戦闘が始まってるとか、洒落にもなってねえぞ!」
「本当に、こいつらどっから湧いたんだ?」
少なくとも斥候の報告では、自分たちがアジトを出る前には、戦闘の「せ」の字もなかったはずだ。その斥候が嘘をついたのか?
いや……城壁を見る限り、破壊された形跡も、突破された形跡も見当たらない。
本当に、何の前触れもなく、それこそ街の中から突然、レコン・キスタの兵士たちが湧いて出たということになる。
(どっから来た? 空から……じゃないよな。竜騎士たちも、あの様子じゃ見落としたってわけでもなさそうだし)
当時の空戦は、後に最強の戦艦と呼ばれる『ロイヤル・ソヴリン』がまだ建造されていないこともあり、レコン・キスタと王党派が五分五分の戦いを繰り広げていた。
制空権を完全に奪われたわけではなく、戦線自体は膠着しているはずだ。
となれば、連中が空から攻め込んできたとは、この状況では考えにくい。
(じゃあ、地面から? 秘密の抜け道でもあるのか?)
まるで見当がつかない。
だが、上からでないのなら下から、ということになる。
とにかく、今は原因を探るよりも、目の前の事態に対処する方が先だ。
「オスマン! あんた、ランクは?」
「ああ!? 当然、スクウェアだが何か?」
「じゃあ、戦力に数えていいね! 街中で暴れているあの連中、止めるよ!」
「おいおい、おれは比較的穏やかに話が進むって、女王様から聞いていたんだが?」
そうは言いつつも、オスマンは杖を引き抜き、まずは自分の頭に治療を施した。
突き刺さっていた木の枝もあらかた抜き終えると、さらに杖を一振り。
上空に巨大な雷雲を生み出し、そこから複数発の『稲妻』を放った。
「ほぉ、言うだけのことはあるじゃないか。それだけの数の電撃を生み出せる『ライトニング・クラウド』を生成するとは」
「とぉ、っぜん、よ! 言ったろ! これが『賢者』を目指す男の力だ!」
惚れたっていいんだぜ!
オスマンはドヤ顔で決めポーズをかまし、歯をキランと光らせながらロングビルを見た。
ヒンメルに触発されて覚えた、精一杯のイケメンポーズである。傍から見れば、思わず笑ってしまうような格好だろう。
ロングビルはそんなオスマンを見て、くすっと微笑んだ。
「んだよ、おかしいか?」
「ああ、いや、すまない。馬鹿にするつもりはないんだ。……本当、いつ以来だろうな。笑ったのなんて」
思いのほか重い言葉を聞かされ、オスマンは少し怯んでしまった。
それだけ、彼女の身には笑えないような出来事ばかりが起こってきたということなのだろう。
「本当、お前に面白いな。気に入ったよ」
肩をバンバンと叩かれ、オスマンは物理的に怯んだ。
「だが、今はそんなことを言ってる暇はなさそうだ。見ろ」
ロングビルはすぐに真剣な表情に戻り、オスマンが放った雷撃の先を指さした。
案の定、連中は雷撃を浴びた程度では怯みもしない。すぐさま損傷を回復させ、こちらに殺意を向けてくる。
「一応、連中には『火』が効く。いざという時は火魔法で対処できるが……同時に、なるべく使用は控えてほしい」
「なんでよ?」
「連中の中には『死体を操られている者』と『生きたまま操られている者』がいるんだ。そこが一番厄介なところだ。むやみやたらに炎を振りまけば、ただ操られているだけの仲間まで燃やす羽目になる」
「……ちっ、マジで下衆のやり方じゃねえか。なぁにが革命派だ、反吐が出らあ」
生者と死者を入り交じらせ、こちらの対処を鈍らせるとは、本当に外道極まりない戦法だ。
オスマンは、ぺっと痰を吐き捨てた。
最初からあまり心証はよくなかったが、こうして実際に相対してみると、革命派のやり方には生理的に相容れないものがある。
「とにかく、今は連中を突破して、城主のメンヌヴィル殿に話を聞こう」
「メンヌヴィル? そいつがここの領地を治めているのか」
「ああ。アルビオンの御三家こと『炎のメンヌヴィル』、『土のサウスゴータ』、『雷のドライグ』は、ここ空の民でもとくに有名な大貴族だ」
「生憎、アルビオンの世情には疎いもんで」
オスマンは鼻を鳴らした。
ロングビルは苦笑しながらも「道理だな」と、話を合わせた。
「現城主、ルメイ・ヨーク・メンヌヴィル侯爵は公正明大で、民からの信頼も厚い。もちろん我々王党派の一員だし、こんなふざけた手段を講じる連中に下ることのない、高潔な方だ」
彼の手腕のおかげで、この都市が持ちこたえていると言っても過言ではない。ロングビルは力強い眼差しでそう語った。
彼女がここまで言うのだから、相当に信頼の厚いメイジなのだろう。
「そのお偉方はどこにいんのよ?」
「あの高台の城だ。本来なら、あそこで今後の対策を講じる予定だった」
「んじゃ、とっとと行こうぜ!」
二人は『
だが、城に近づくにつれ、二人は異変に気づいた。
微かな震動とともに響く爆発音。そして、城の方角から立ち昇り始めた煙。
「おい、向こうさんもやべえんじゃねえのか?」
「……っ!」
ロングビルは、もう何も言わなかった。言葉を返す余裕すら、彼女にはなくなってしまったらしい。
オスマンも、必死な様子の彼女の横顔を見て、無意識のうちに魔法の出力を上げていた。
さて、そんな街の様子を、城塞の上から見下ろす者たちがいた。
ヒンメルと、エルフの少女シャジャルだった。
「なんてことだ。こんなひどい有様になっているだなんて……」
ヒンメルは絶句し、眼下の街を見渡した。
かつてシャジャルを攫おうとした連中が、今度は街の人々に見境なく襲いかかっている。
こんな暴挙、見逃すわけにはいかない。
もし一人だったなら、ヒンメルはすぐにでも飛び出していただろう。
だが、今は連れ添っている少女、シャジャルがいる。
理由は分からないが、敵はこの少女の身柄を狙っているのだ。
そんな中、彼女を連れて戦場に飛び込んでも大丈夫だろうか……。
ヒンメルは一瞬、逡巡した。
すると、シャジャルが力強い眼差しでヒンメルを見上げた。
そして、彼のマントの端をぎゅっと握り、荒れ果てていく街へと目を向ける。
「……ありがとう、シャジャル。絶対に君には手出しさせない」
ヒンメルは力強くそう告げると、シャジャルを抱え、一気に城塞から飛び降りた。
小脇に少女を抱えたまま、敵兵たちが街の人々を襲っている場所へと向かう。
「ひぃいい! 誰かぁ!」
「お助けぇ!」
当然ながら、街の中に突然敵兵が湧いて出たような状況なのだから、住民たちの混乱は凄まじいものだった。
街を守る騎士たちも、逃げ惑う民への対応に追われている。
そのうえ、敵には生きたまま操られている者と、傷を負っても再び動き出す死人が入り交じっていた。
まさに混乱の極み。
下手に攻撃魔法を放てば、民や操られているだけの人間まで巻き込んでしまいかねない。
「くそっ、どうすればいいんだ……ッ!!」
「怯むな! こうなったらもう、民を巻き込む覚悟で……!」
騎士の一人が、悲壮な決断を下そうとした、その時だった。
まるで彼らの苦悩を断ち切るかのように、一人の男が現れた。
「はっ!!」
その男は、民を襲おうとする敵兵だけを狙い、次々となぎ倒していく。
しかも、剣は使わない。徒手空拳のみで、だ。
小脇に抱えていたシャジャルを、敵兵の手が届かない噴水の陰に下ろすと、まずは近くにいた平民の女性へ得物を振り下ろそうとしていた敵兵に向かって踏み込んだ。
そして、身体をひねるようにして背中から衝撃を叩き込んだ。
ササキ流武術の一つ、『
若き日の佐々木氏が、武術に対する貪欲な探究心から身につけた技の一つである。
その技術は、敵味方が入り乱れる乱戦において、特に真価を発揮した。
ヒンメルは相手の命を奪わない、ギリギリの加減を見極めながら攻撃を繰り出し、混乱の元凶となっている敵兵たちを次々と制圧していった。
「な、何だあいつは!?」
「杖がない……ってことは、平民か?」
「だが、速いぞ! それに、何だあの武術は……!!」
当然ながら、襲われて涙目になっていた民も、対応に苦慮していた騎士たちも、恐らくは操られている敵兵たちでさえ、この光景に目を丸くしたことだろう。
だが、人々が呆気に取られている間にも、ヒンメルは色づいた風のような速さで戦場を駆け抜け、死者も生者も分け隔てなく、敵兵たちを叩きのめしていく。
剣すら使っていない。完全なる無手で、武装した敵兵たちをなぎ倒していく。
その圧倒的な技量は、戦場にいる者たちの注目を一瞬にして奪うほどだった。
「ふっ、どうだい、シャジャル! 僕のこの美しい動き!」
何なら、少し調子に乗り始めたのか、攻撃の合間に一瞬だけ決めポーズまで披露する始末。
それを見たシャジャルが、思わず笑ってしまったほどだ。
凄惨な戦場の空気を、そんなコミカルなものに変えてしまうほどの余裕が、ヒンメルにはあった。
そして、ついには彼一人で、敵兵たちをほとんど制圧してしまったのである。
「シャジャル! そろそろいいかい!」
ヒンメルの呼びかけに、シャジャルは頷いた。やがて彼女は、指輪に秘められた力を解き放つ。
レキシントンの中心にある噴水。その水の中へ手を差し入れると、シャジャルの指にはめられた、水の力を宿す指輪が輝き始めた。
その光は瞬く間に広がり、周囲を包み込んでいく。
すると、死人たちは糸が切れたように動かなくなり、生きたまま操られていた者たちは、我に返ったかのように頭を振っていた。
「あ、あれ……」
「ここは……?」
何がどうなったのかも分からず、首を傾げる彼らのもとへ、ヒンメルが駆け寄った。
「もう大丈夫ですよ。あなたたちは操られていただけです」
「ふぇ、操られて……って」
「そうだ、俺、サウスゴータにいたはずなのに……なんで……」
そうして彼らは、やがて気づいた。
自分たちを助けてくれた相手が、エルフを連れていたということに。
「ひっ、エルフ!」
「な、なんでこんなところに……!!」
当然ながら、エルフがいると分かった途端、民衆の間に恐怖が広がりかけた。
シャジャルは耳を押さえて身をすくめるが、それに待ったをかけたのは、当然ながらヒンメルだった。
「待った、待ってくれ。あなたたちを混乱から救ったのは、他でもない、このエルフの少女だ! さっきの光を見ただろう? 彼女の力がなければ、この事態は解決できなかったんだ!」
ヒンメルはむしろ、この事態を解決した立役者として、シャジャルの功績を強く称えた。
周囲はしばし疑念を抱いてざわついたが……少なくとも『助けてくれた』ということは、この場にいる誰の目にも明らかな事実だった。
「そ、そうなのか……」
「だが、エルフって、まだアルビオンにいたんだな……」
「どういうことだ? 絶滅したって聞いたけど……?」
今度は、そんな会話が交わされ始めた。
敵対的な空気は薄れたものの、依然として疑いの目は向けられている。
白でも黒でもない、限りなく黒に近い灰色とでもいうべき空気。
(……これは、まだ彼女をここに置いていくのは危険すぎるか)
「とにかく、ここの事態は片付いた。僕たちは先に進もう」
ヒンメルの言葉に、シャジャルは頷いた。
「後は頼みます!」
近くの衛兵にそう声をかけると、ヒンメルは再びシャジャルを抱え、駆け出そうとする。
「ま、待ちたまえ! お前たちの目的は一体何なんだ!?」
「通りすがりの冒険者だ! 理由? こんなにも多くの人たちが困っているのを放っておくなど、僕にはできない!」
立ち止まることなくそう答えると、ヒンメルは再び疾風のごとく駆け出した。
「……何だ、あの蛮人は」
その一部始終を、遠くの物陰から見つめている集団があった。
エルフの少年たちによって構成された『鉄血団結党』である。
諸事情により『大精霊との契約』を施されていない彼らは、『先住魔法』ではなく、自作の魔道具によって『隠蔽の結界』を展開し、事態を見守っていた。
機を見てシャジャルを誘拐、ないしは抹殺するつもりだったのだが、まさかあんな蛮人が側にいるとは……。
「どうしますか? エスマーイル殿」
まるで上官ごっこでもしているかのような、仰々しい立ち居振る舞いでエスマーイルの側近を務めるサルカンが尋ねた。
「……ふむ、そうだな」
エスマーイルもまた、『尊大な大人』を演じるかのように腕を組み、沈思黙考のポーズを取る。
とはいっても、いくらエルフとはいえ、所詮は子供。
大層な作戦など、そう簡単に思いつくはずもなく。
「臨機応変かつ高度な状況判断をもって奴を葬り、指輪を奪取する。それが我々の最終目標だ。我は諸君の働きに期待する」
と、難しい言葉を並べ立てるばかりで、具体案は何一つ示さない。
文字どおり部下たちを煙に巻くような発言をしただけで、本人はすっかり悦に入ったような顔をしていた。
当然ながら、周囲のエルフたちは「結局、どうすればいいの?」とでも言いたげな困惑の表情を浮かべ、互いに顔を見合わせる。
だが、エスマーイルが口元を引きつらせただけで、彼らはたちまち青ざめた。
……これだけでも、『鉄血団結党』がどういった集まりなのか、よくお分かりいただけたかと思う。
要するに、彼らは大人の真似事をしているだけなのである。
言葉遣いや親の地位だけを借りて、偉そうに振る舞っているにすぎない。
肝心の具体案は何一つ提示できず、そのあたりは年相応の子供のまま。
大人の真似事で作り上げた組織が、どれほど歪んだものになっているかさえ、気づけない有り様なのだ。
「え、えっと、同志。結局のところ、どう動けば……」
「ふん、それを考えるのが貴様らの仕事であろう」
当然、そんな無責任な放言を浴びせられた、部下役に徹する子供たちにしてみれば、たまったものではない。
良い考えなど、そう簡単に浮かぶはずもなく。
そうして一同が立ち尽くしている間に、あの蛮人とシャジャルは先へと行ってしまった。
「貴様らが立ちすくんでいるから、せっかくの機を失ったではないか!」
「そ、そんな殺生な……!」
エスマーイルが顔を真っ赤にして、部下役の少年たちを怒鳴りつけようとした、その時だった。
「同志! あれを!」
斥候役の一人が、切迫した声を上げた。
「ん、あれは……」
エスマーイルもそちらへ顔を向けた。
そして、視線の先にあるものを認めた瞬間……。
「あ、あいつは……!!」
目を見開き、顔を青ざめさせる。
恐怖のあまり、その呼吸は乱れていた。
それは、黒き影だった。
ローブを目深に被り、顔をうかがい知ることはできない。そのローブの裾から覗くのは、見慣れぬ異国の戦装束。
その者は、固く閉ざされていたはずの城門を通り、堂々と街中へと足を踏み入れていた。
「ん、何だ貴様は!」
「止まれ! 怪しい奴……!!」
当然ながら、衛兵たちはその者を誰何した。そして、衛兵の一人が気づく。
その者の背後には、切り崩された城門があった。
比喩表現ではない。本当に、城門そのものが斜めに切り裂かれていたのだ。
そして、その破られた門から、レコン・キスタの援軍が次々と入り込んでくる。
衛兵は顔を真っ青にした。もしや、こいつは……!!
「噂の『千人斬り』……本当に実在して――――ッ!!」
その言葉を最後まで発するよりも早く、衛兵の首が飛んだ。黒いローブの手に握られた、一本の剣によって。
周囲はたちまち、恐慌状態に陥った。
他の騎士たちも杖を抜き、応戦の構えを取る。だが、次々と宙を舞うのは、切断された杖の先端と、兵士たちの首だった。
突然の殺戮に、街は再び阿鼻叫喚の巷と化した。
その混乱の最中にも、意思なき兵士たちが民衆へと殺到していく……。
「あ、あいつ……!」
エスマーイルは、広場でメイジたちを相手に無双する人影を見て、込み上げてくる吐き気を抑えきれなかった。
恐怖、怒り、屈辱。
どうしようもない負の感情が、胸の内を埋め尽くしていく。
何せ、あいつは……。我々エルフの隠れ家を探し当て、親を、大人たちを、皆殺しにした元凶なのだから……!!
「なぜ奴が、こんなところに……」
「ふ、フン。だが、これは好都合ではある」
恐怖に気圧されながらも、どうにか調子を取り戻したエスマーイルは、無理やり薄ら笑いを浮かべた。
「いかなあの蛮人とて、奴と正面からやり合えば無事では済むまい。その隙に乗じて、シャジャルを狙うぞ」
レキシントン城。
ここもアルビオンの例に漏れず、白を基調とした石造りの、「古き良き時代」を体現したかのような建築様式をしていた。
街を睥睨するほどの高さを誇る岩山の上に築かれ、幾重もの堅牢な城壁に守られた
天然の要害、幾重にも巡らされた人工の城壁、そして上空を哨戒する竜騎士たちによる警戒と迎撃。この三重の防御機構によって、レキシントン城は長きにわたり、アルビオン王家の支配を支えてきた。
それほどまでに堅牢であり、民にとっては長きにわたる安寧を約束された土地だったのだ。それゆえ、この地の守護は古くから王家の厚い信頼を受けた、貴族の家系に任されてきたのである。
だが、そんな歴史ある伝統も、長きにわたって築き上げられた信頼も、この日を境に一瞬にして崩れ落ちることとなる。
「こっちだ、オスマン!」
『
「にしても、あっさりと城へ入れたもんだな。いくらなんでも不用心すぎやしねえか? 無料入場券でも配ってんのかい、お宅の城は?」
「んなわけあるかい」
オスマンの軽口に、ロングビルは即座に言い返した。
そう。上空を哨戒しているはずの竜騎士も、城を守る騎士団も、ここへ入ってからというもの、誰一人として姿を見せないのだ。
(くそっ、ますます嫌な予感がしてきた……!)
まさか、ここまでレコン・キスタの魔の手が迫っているとは思ってもみなかった。
城主を守る兵たちが、あまりにも少ない。……というか、誰もいない。
いや、目的地へと進むにつれ、倒れている兵士たちだけは数多く発見するようになった。
だが、彼らは皆、すでに息絶えていた。
「メンヌヴィル侯爵! 侯爵はおられるか!!」
ロングビルは先頭に立って廊下を駆け抜けると、金と赤で彩られた豪華な大扉を勢いよく開け放った。
だが、その先に広がっていた光景に、彼女は呆気に取られた。
そこには、羽根飾りのついた帽子を被った精悍な顔つきの騎士が、立派な戦装束をまとった貴族を『
「ろ、ロングビル……! にげ、ろ……!」
顔を黒焦げにされた貴族……メンヌヴィル侯爵は、その言葉を最後に身体をぐらつかせ、崩れ落ちた。
この地を守る最後の「
その瞬間を間近で目撃することとなり、さすがのロングビルも動揺を隠せない。
一方、オスマンは城主を殺した下手人の顔を見て、大きく目を見開いた。
なぜなら、その男は……アルビオンに来る前、酒場で意気投合した顔馴染みだったからだ。
「お、お前……ワルドか……? なぜ、こんなこと……」
「……オスマン? お前こそ、なぜこんなところに……」
メンヌヴィル侯爵を殺したのは、ワルドだったのだ。
「ふむ、知り合いかね、ワルド君」
ここで、ワルドの陰に隠れていた男の一人が顔を出した。
茶髪を後ろに撫でつけた、鷲鼻の男だ。鷹のように鋭く切れ上がった目は、見る者に『慇懃無礼』という言葉を連想させるほどの威圧感を放っていた。
口調こそ丁寧だが、その声音には高圧的な響きがあり、態度の端々から隠しようのない傲慢さがにじみ出ている。
「……酒場の席で飲み交わした仲です」
「では、大した関係ではないと。それは良かった。私の罪悪感も減るというものだ」
まるでワルドを小間使いのように扱い、その肩を叩きながら、鷲鼻の男は新たに現れた二人へと告げた。
「まずは自己紹介をば。私はグールヴィル。『レコン・キスタ』の下で死霊魔術を研究している者だ」
わざとらしいほど丁寧に一礼しながら、グールヴィルは名乗った。
彼の指には、淡く輝く指輪がはめられている。内部には水の塊が揺蕩っており、手を動かすたびにゆらゆらと揺れ動いていた。
だが、オスマンにとっては、このグールヴィルとかいう男などどうでもよかった。
それよりも、ワルドだ。
「お前……アルビオンの貴族派だったのか?」
「……ああ、そうだ」
想像以上にかすれた声しか出せず、相手に届いたかどうか不安だったが……どうやら、ワルドの耳にはきちんと届いていたらしい。
当のワルドも、後ろめたそうな表情を浮かべながら答えた。
「ふふっ、その通り。我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて結束した貴族連盟。『レコン・キスタ』だ。我々の思想に国境は存在しない」
そう言って嬉々として補足したのは、グールヴィルだった。
彼はワルドの肩を叩くと、まるで舞踏会で歌い上げるかのような声色で、さらに言葉を続けた。
「ハルケギニアは我々の手で一つとなり、エルフを駆逐し、始祖ブリミルが降臨せし『聖地』を取り戻すのだ」
「……そのために、アルビオンの貴族派と手を組んだってワケかい?」
ロングビルが拳を握り締めながら尋ねた。
その問いに対し、グールヴィルは当然とばかりに頷いた。
「すべては『聖地』を押さえ、そこを礎として、より良き世界を創設するために。その大いなる目的の前では、すべてが小事だ」
心の底から陶酔しきった言葉を吐き出し、グールヴィルは両手を大きく掲げた。
まるで始祖の祝福を受けるべき者は自分なのだと、周囲に喧伝しているかのように。
だが、当然ながら、その言葉はロングビルにとって到底納得できるものではなかった。
「アルビオンの平和を食い潰すことが小事だと……! ふざけるのも大概にしろ!!」
ロングビルは杖を振り、周囲に散らばる小さな瓦礫を浮かび上がらせた。
瓦礫は杖を中心に旋回し始め、次の瞬間、絶え間ない質量弾となって次々と射出された。
「おいおいおい! いきなりかよ、畜生!」
オスマンは驚いて杖を構えた。まだ聞きたいことが山ほどあったというのに。
だが、すでに戦端は開かれた。オスマンは油断のない目で、瓦礫の連続射出によって立ち込めた煙の向こうを見据える。
「さすがは『岩弾』の二つ名で知られるロングビル殿だ。その容赦のなさには惚れ惚れするよ」
煙の中からグールヴィルの声が響く。次の瞬間、青い炎の壁が出現した。
それを見たロングビルは、再び動揺に目を見開く。
この青い炎……メンヌヴィル侯爵が操る炎だ。
「私は血生臭い戦闘は嫌いなのでね。大事な『おともだち』に、この場は任せるとしよう」
やがて煙が晴れ、その向こうで何が起こったのか、ロングビルたちは理解した。
先ほどロングビルが放った弾丸の嵐は、壁のようにそびえ立つ炎によって、すべて防がれていたのだ。
そして、その炎を操っているのは、先ほどワルドの手によって葬られたはずのメンヌヴィル侯爵だった。
「……死人を操る魔法か」
「これが始祖の魔法、『虚無』の一端。そう言ったら、君らは信じるかね?」
『指輪』を見せつけながら、グールヴィルはこれ以上ないほどのにやけ顔で嘯いた。
その瞬間、彼に向かって巨大な風の刃が飛来する。
だが、メンヌヴィル侯爵が前に出て、自ら肉の盾となった。
肩から腰にかけて大きな裂傷が走ったものの、その傷口は見る見るうちに塞がっていく。
「だったらおれらが崇める始祖は、目的のためなら死人すらも弄ぶ、どうしようもないクソ野郎だってことになるぞ」
風の魔法を放ったのは、オスマンだった。
これまで目にしてきた、死人を操る魔法。その元凶が目の前にいる。
少なくとも、相手は理解の及ばぬ怪物などではない。ただの、救いようのない卑劣漢だ。
そう分かったことに、オスマンはかえって安堵すら覚えていた。
「――――ぢっ!」
ロングビルがグールヴィルに向かって『岩弾』を放とうとした、その時だった。
ほとばしる雷撃が彼女の杖を直撃し、その手から弾き飛ばした。
発生源は……煙の向こう側。つまり、敵は煙に身を隠したまま『雷撃』を放ったことになるのだが……。
(今のは『
風魔法の高位呪文『
その威力ゆえに、風使いにとって切り札ともいえる魔法だが、非常に扱いが難しいことでも知られている。
ひとたび制御を誤れば、術者自身に襲いかかるほどの危険性をはらんでいるため、通常は『雲』を発生させ、雷撃の精度を高めるのが基本とされていた。
逆に言えば、安全かつ正確に扱うためには、どうしても一手間かかるということだ。
ところが、今の雷撃はどうだ。『雲』すら作らず、煙の陰からロングビルの杖だけを正確に撃ち落とした。
その技量だけでも、相手がただ者ではないことは十分にうかがえた。
(侯爵が奴に負けた理由、何となく分かったような気がする……)
杖を失い、無防備となったロングビルに、さらなる雷撃の波状攻撃が襲いかかる。
生身の彼女がこれをまともに受ければ、即死は必至。
「きみも侯爵とともに、我々の『ともだち』となろうぞ」
やられる。ロングビルは思わず目を瞑った。
オスマンの援護も間に合わない。
そんな彼女を死の淵から救ったのは、上階の窓から舞い降りた一陣の影だった。
「はっ!」
その影は錆びた大剣を振るい、迫り来る雷の槍を弾いていく。
剣を振るった際に生じた真空波が、雷撃と剣が接触するよりも先に衝突し、その威力を大幅に削いだのだ。残った雷撃も、大剣そのものが弾き飛ばした。
「大丈夫かい?」
「ったく、おめえはほんっと、いつも遅ぇんだよ、バカヒンメル!」
「これでも全速力で駆け抜けてきたんだけどね」
ロングビルを助けたのは、オスマンの旅の相棒、ヒンメルだった。
突然の闖入者に、敵も味方も一瞬、呆気に取られる。
「状況は?」
ヒンメルはシャジャルに「危ないから離れているように」と告げると、オスマンに向かって尋ねた。
「その鷲鼻の茶髪男が、死人を操ってた元凶だ。あと……ワルドは『レコン・キスタ』側だ」
「なんだって……?」
酒の席で一緒に笑い合った友が……?
そんなヒンメルの逡巡を狙うかのように、二発の雷撃が襲いかかる。
だが、ヒンメルは再び大剣デルフリンガーを振るい、的確に弾き飛ばした。
「……通電しないんだな。ただの錆びた剣じゃないのか。魔法耐性が強いのか……」
「ワルド、君は本当に……」
「ああ、まさかお前とは、こんな形で再会するとは思わなかったよ、ヒンメル」
できれば、違う形で再会したかった。
そう続けるワルドの瞳には、どことない哀愁が漂っていた。
「ふん、たかが平民の剣士とも交友を結んでいたのか? 君は交友関係が広いな」
まるで、この妙にあっけらかんとした空気が気に入らないとでもいうように、鷲鼻の男ことグールヴィルが前に出た。
「しかも、今君が連れていたのはエルフではないか。これは一体全体、どういうことかね? 洗いざらい吐きたまえ」
相手が杖ではなく剣を持っていることから、グールヴィルはヒンメルを平民だと判断した。
だからこそ、彼を甘く見たのだ。
先ほどワルドの雷撃を防いだのも、どうせ運が良かったか、ワルドが手加減しただけだろうと考えていた。
もちろん、ワルドは手加減などしていない。
この場で誰よりもヒンメルの実力を警戒しているのが、ほかならぬワルド自身だというのは、何とも皮肉な話だった。
「成り行きで一緒にいるだけさ。それよりも、なぜこんな卑劣な真似をする? 彼らが君たちに何をしたというのだ?」
「平民ごときが、立場をわきまえろ。貴様に質問する権利があるとでも思っているのか? 私は、貴様とエルフがどういう関係なのかを問いただしているのだ」
グールヴィルは苦々しげに言い放った。
だが、どうせなら徹底的に思い知らせてやろうと考えたのだろう。今度は相手の恐怖を煽るかのような口調で、さらに言葉を続けようとする。
たかが一介の平民が、一体誰に喧嘩を売っているのか。
その身をもって分からせてやるために。
「まあいいだろう。強いて言うなら、『無能』だからだろうな。『聖地奪還』という始祖から課せられし目的を忘れ、領地運営などに精を出し、あまつさえエルフと友好関係を結ぼうとする。そんな愚かな王族に対する、これは鉄槌なのだ」
「仮にその『鉄槌』に正当性があったとして、なぜ死者の尊厳を踏みにじるような真似をする?」
「『尊厳』? 尊厳だと! こやつらは所詮、ただの敗者だ。そんなもの、弱者に与えられるわけがないだろう。尊厳とは、今を生きる強者にのみ与えられる特権なのだ。こやつらは皆――」
グールヴィルは尊大な態度で両手を広げ、こう締めくくった。
「敗者だから、いいようにこき使われている。たったそれだけのことだ」
「……そうか」
ヒンメルはそこで、会話を打ち切った。
グールヴィルは、自らの力と、その背後に控える圧倒的な武力を見せつけたことで、全能感に酔いしれていた。
だが、それゆえに気づかない。気づくはずもなかった。
ヒンメルの変化に気づいたのは、彼とそれなりに長い付き合いとなったオスマンとデルフリンガーだけだった。
「昔、お前のように〝死者を操る魔法〟を使う魔族と遭遇したことがある。あの時は、種族間の価値観の違いだからと、理解し合うことを諦めたけど……」
ヒンメルの脳裏をよぎる、かつての激戦の記憶。
大魔族の一人。とりわけ魔法を極めし七人の一角が操った魔法もまた、死者の尊厳を踏みにじるものだった。
あの時は、相手が魔族である以上、人間の尊厳を理解させることなどできないと、一種の諦観すら覚えていた。
だが……。
「今は、とてつもなく、言いようのない嫌悪感を覚えているよ。心の底から気持ちが悪い」
それを、あろうことか同じ人間がやっているのだ。
端的に言えば、ヒンメルはキレていた。
「ふん。今さら、どこの馬の骨とも知れぬ木っ端傭兵に何を言われようと、何の痛痒も感じぬわ」
グールヴィルは歌うように顎を上げると、早速、配下に加えたメンヌヴィル侯爵を動かした。
メンヌヴィル侯爵は、二つ名『蒼炎』に恥じぬ青い炎を放ち、ヒンメルを焼き尽くそうとする。
だが、すでにヒンメルはそこにはいなかった。
五メイル以上はあった距離を、たった一足で詰め、侯爵の懐へと飛び込んでいたのだ。
(え?)
傍観していたロングビルは、呆気に取られた。
彼女はヒンメルについて、何も聞かされていなかった。
そのため、つい先ほどまで「いきなり馳せ参じた酔狂な平民剣士」程度にしか認識していなかったのだ。
だが、その認識は一瞬にして覆される。ロングビルも、そしてグールヴィルも。
次の瞬間、青い炎が一瞬にして消え去った。メンヌヴィル侯爵の杖が、真っ二つに断ち切られたからだ。
ササキ流、対メイジ特化技法『杖斬り』。
その名のとおり、メイジの生命線である杖を一瞬で切り飛ばし、魔法を行使する手段を奪う技法。
ヒンメルは刹那の速さで、侯爵の杖をデルフリンガーによって真っ二つにしたのだ。
さらにヒンメルは、侯爵の腕をひっつかむと、そのまま背負い投げの要領で投げ飛ばした。
その身体は宙を舞い、いまだ呆気に取られているグールヴィルへと一直線に飛んでいく。
「ちょ……ぐぁああああああああっ!!」
平民がメイジに勝つ。それだけでも絵空事だと思っていたのに、まさかの秒殺。
いくらでも復活する死体とはいえ、魔法を行使する手段を奪われたメイジほど無力な存在もない。
グールヴィルは杖で防御する暇もなく、飛んできたメンヌヴィル侯爵の身体に押し倒され、床へと叩きつけられた。
「その平民にぶちのめされてやんの。ざまーみろ」
まさに痛快といった様子で、オスマンは笑った。
無論、当のヒンメルはまったく笑ってなどいなかったのだが。
「オスマン……何者なんだい、あいつは……」
「平民の剣士さ。おれらみたいなメイジじゃねえ。だが……最強だ」
オスマンは「かっかっか」と笑いながら、いまだ呆然としているロングビルの肩を叩いた。
最近では、ヒンメルの強さを目の当たりにして呆気に取られる貴族連中の顔を見るのが、密かな楽しみになっていたのだ。
「さて、残るは……」
オスマンはそう呟くと、ワルドへと視線を向けた。
ワルドは依然として、鷹のように鋭い眼差しをヒンメルに向けるのみ。
ヒンメルもまた、先ほどのように一瞬で間合いを詰めようとはせず、まずはワルドを見据えて口を開いた。
「ワルド、君ほどの者が、なぜこんな勢力に加担しているんだい?」
「……お前こそ、どうしてアルビオンなんかにいる? なぜエルフと……」
ワルドは一瞬、物陰に隠れているシャジャルへと目を向けた。
彼女はその視線に気づくと、さらに物陰の奥へと身を隠した。ワルドは内心で考える。
(もしかして、彼女が例の……懸賞金をかけられているというエルフか?)
「僕にはどうしても分からない」
そんなワルドの思考を断ち切るかのように、ヒンメルが言葉を重ねた。
「酒場でみんなと話していた時の君は、確かにあのひとときを心から楽しんでいるように見えた。今だって、ためらいを抱えながら戦いに臨んでいるように見える。何が君をそこまで追い詰めているんだい?」
「……月日と、数奇な運命の巡り合わせ。今はそう言っておこう。話す気には到底なれない。それに、そんな時間もない」
「そうかい? 僕は何時間でも付き合うつもりだが……」
ヒンメルはデルフリンガーをいったん収めると、軽く腰を落とした。
臨戦態勢は取っているものの、自ら積極的に攻めるつもりはない。
そんな、攻防どちらにも転じられる構えだった。
オスマンは内心で「早く攻めろよ」と思っていたが、この場の主導権を握っているのは、この二人だ。
仕方なく、彼らの成り行きを見守ることにした。
「剣を交えながらでも、そうでなくても。君が抱える懊悩に、僕は付き合うつもりだよ」
「……話す気はないと、言っているだろう!」
ついにワルドが杖を抜いた。
抜杖、詠唱、構え、そして魔法の発動。それら一連の動作が、わずかコンマ数秒の間に行われる。
杖先から雷の閃光がほとばしった瞬間、ヒンメルも動いた。
雷撃をかわし、その一瞬の隙にワルドの杖をへし折ろうと、腰の日本刀を抜き放つ。
だが次の瞬間、二人だけの刹那の攻防に、第三者が割って入った。
その者は黒いマントを頭からすっぽりと被り、顔を隠していた。片手に握られた直剣が、ヒンメルの日本刀を受け止める。
同時に、もう片方の手がワルドの手首をつかみ、その杖先を強引に逸らしていた。
「!?」
「なっ―――?」
突然の乱入に呆気に取られたヒンメルの腹へ、マントの男が蹴りを放つ。
すぐさま日本刀を引き戻し、どうにか防御は間に合ったものの、その衝撃で数メイルほど後方へ押しやられた。
「な、なんだぁ、あいつ……?」
オスマンもまた、突如現れた闖入者を怪訝な目で見つめた。
マントの下から覗くのは、程よく伸びた黒髪。顎鬚を生やした、頬のこけた男だった。
その手に握られた剣は、ハルケギニアの騎士たちが佩く剣とは、明らかに異なる造りをしていた。
つぅことは、少なくともメイジじゃねえってことだが……。
「あ、あいつ……!!」
一方、その男を見たロングビルは、恐怖と動揺で身をすくませた。
シャジャルも同様だった。男の姿を目にした瞬間、全身を震わせ始めたのだ。
無理もない。この男こそ、彼女の両親を殺し、その衝撃で彼女を失語症にまで追い込んだ張本人なのだから……!
「お、おい、なんだあいつは? 知ってるのか?」
「……『千人斬り』だ」
「はぁ?」
「そんな二つ名がつくほどの、恐るべき『メイジ殺し』さ。空戦力では互角の
千人斬り。
そういえば、ここへ来る途中、途方もない数の遺体が並べられていた。
あの時も、その異名を持つ者に斬られたのだと聞かされたが……。
(けっ、なぁにが千人斬りだ。御大層な名前をつけられやがって、このぽっと出が)
オスマンはそう思っていた。
だが、実際に相まみえたヒンメルの反応は違っていた。
「オスマン、すまない。シャジャルを頼む。そして、ここから早く逃げてくれ」
「は? 何言ってんだ、お前……ってか、シャジャル?」
「早く!」
ヒンメルは日本刀を鞘に収めると、続けてデルフリンガーを抜いた。
大剣であるデルフリンガーの方が、使い慣れているからだ。
そのデルフリンガーも、いつになく神妙な口調でヒンメルに告げる。
「なあ、ヒンメル。俺は正直、お前さんが負ける姿なんて想像できねえ。今この瞬間までは、そう思ってたんだ……」
何かを感じ取っているのだろう。
デルフリンガーは、さらに言葉を続けた。
「……頼むから言わせてくれ。あいつは駄目だ。いくらお前さんでも……!」
「分かってるさ。彼は……強い」
正直、下手な大魔族よりも厄介かもしれない。
そう思わせるだけの凄みを、ヒンメルは男の佇まいから感じ取っていた。
さて、場の空気を一変させつつあるその男は、ワルドに向かって短く告げた。
「行け」
「な、何がだ?」
「あのエルフの少女を捕らえろ。こいつは俺がやる」
「わ、分かった……!」
ワルドはそう答えると、シャジャルへと目を向けた。
「ちぃ!」
オスマンは舌打ちし、エルフの少女を守るように前へ立ちはだかった。
ヒンメルとマントの男は、三メイルほどの間合いを保ちながら、互いに剣を構えていた。
ヒンメルは緊張から、わずかに呼吸が乱れるのを感じた。こんな感覚は、ハルケギニアに来てから初めてだ。
それほどまでに、この名も知らぬ黒髪の男は強い。
戦士アイゼンに並ぶ……かもしれない。少なくとも、そう思わせるほどの気迫を放っていた。
メイジを千人斬ったという話も、決して嘘とは思えないほどに。
「相棒、あいつは……『使い手』だ」
「『使い手』?」
「ああ、まだ詳しいことは思い出せねえんだが……あいつと相棒が至近距離まで詰めた時、分かったんだ。あいつは『始祖』に選ばれた者だってことが……」
いつになく弱気なデルフリンガーの言葉。
それを聞いたヒンメルは、やがて悠然と対峙するマントの男に語りかけた。
「僕はヒンメル。君の名は? 一体、何者なんだ?」
「……名はない。この力を授かった時、己の人生とともに名前も捨てた」
男はそう言うと、
それを見たデルフリンガーは、かつてないほど狼狽した。
「最悪だ……」「なんであいつにその力が……」と、そんな言葉を、ぶつぶつと呟いている。
「この地より『東方』に潜みし『始祖の影』。今はただ、この地へ我を呼び寄せし『主』の命を全うするのみ」
ヒンメルは切っ先を水平に向け、防御の構えを取った。
男の左手に刻まれた紋様が、次第に光を強めていく。
それと同時に、これまでの旅で培ってきた危機察知の感覚が、ヒンメルに無意識のうちに防御態勢を取らせていた。
「だが、お前は名乗った。その礼儀に応えぬのもまた、戦いに赴く者への侮辱。ゆえに、こう名乗らせてもらう」
男もまた、華美な装飾と武骨さを兼ね備えた直剣を構え、ヒンメルと正面から向かい合った。
そして告げる。まるで、この力の根源を己の真名とするかのように。
「主を守りし『神の盾』。
次の瞬間、男……『ガンダールヴ』の刻印が浮いている左手が、眩いばかりの光を放った。
その身体は、色を帯びた風のごとく、ヒンメルへと突進する。
剣と剣が激しくぶつかり合った。
その凄まじい衝撃は、亀裂となって謁見の間の天井、床、そして壁へと伝播していった。
現在の時間軸で味方側の力が、過去で敵だった展開は好きですか?
《おまけ》
この『ガンダールヴ』の末孫がシェフィールドとなります。原作ではほぼ不明だったシェフィールドの経歴『東方出身の神官』についても、ある程度膨らませていく形です。
※ちなみにグールヴィルはオリキャラじゃなく、外伝ですが原作で出ていたキャラだったりします。