「まったく、しぶとい……」
ヒンメルと相対する『ガンダールヴ』は、彼の並外れた体力と身体能力に、若干呆れた様子を見せていた。
初めは、隠れたメイジなのではと思った。自分と同じように、魔法で何らかの身体能力の強化を施しているのではないかと。
だが、幾度となく剣を交えたことで分かった。
奴は、素の身体能力だけで、一騎当千の力を誇る始祖の盾、『ガンダールヴ』と渡り合っているのだ。
ならば、何らかの魔法道具を使っているのではないかと観察もしたが、奴が使うのは、腰に差した何の変哲もない細身の剣と、ぼろぼろの喋る大剣のみ。
特によく使っているあの大剣は、インテリジェンス・ソードのようだが、『地下水』のような特別な力は、どうやら持ち合わせていないらしい。
ただただ、喋るだけの鈍らのようだ。
むしろ、そんな鈍らで自分と張り合えること自体が不可解だった。
ただの平民剣士が、『千人斬り』とまで謳われた自分と、どうしてここまで渡り合える……!
しかも、戦闘の合間に子供を庇う余裕すら、向こうにはあるらしい。
(時間が許すならば、心ゆくまで奴と決着をつけたいものだが……)
今は時間がない。
この作戦に残された時間もそうだが、何より『主人』に残された時間がない。
我が主の命は、もはや風前の灯火となっている。ゆえに、主の悲願は必ず成就させる。
その強い決意こそが、今の『ガンダールヴ』に力を与えていた。
「つったた……」
「地下水か?」
「ああ」
ここで、『ガンダールヴ』の近くに積み重なった瓦礫の中から、『地下水』が起き上がってきた。
地下水を利用したレキシントン侵略作戦。
このインテリジェンス・ナイフを秘密裏に潜入させ、機密情報を入手。そして地下ルートを通じて城塞都市の中心部へ兵を送り込み、街の内部から混乱に陥れる。
その隙に『ガンダールヴ』が正面突破を図り、城門を突き破って『侯爵』の遺体を入手する。
そして、侯爵を意のままに操れる人形とし、他の貴族たちへの反乱を煽るのだ。侯爵ともなれば、その発言力は決して無視できないからだ。
他の地域でも、彼らはこうした手法によって、決して脆弱ではないアルビオンの王党派勢力を内部から切り崩してきた。
身内を殺し、蘇らせて操り、反乱を扇動するよう仕向ける。その効果は抜群だった。
わずか数か月で、アルビオンの王権は一気に傾き、崩壊寸前にまで追い込まれたのだ。
あとは、『強力な水魔法を宿した指輪を持つエルフの少女』を捕らえれば、この作戦は終了する。
それが済めば、一気呵成にアルビオン王家を滅ぼし、その旗を『レコン・キスタ』の旗に置き換える。
さらに他国への扇動を開始し、最終的には聖地へと至る。
彼らは、そんな計画を立てていた。
とりあえず、今回の作戦は八割方終えたようなものだ。
王党派の連中に、この勢いを覆せるだけの力などあるまい。
あの平民剣士だけは何かと気になるが……いかな奴とて、さすがに『レコン・キスタ』という巨竜に立ち向かおうなどとは考えまい。
「よく聞け。ここへ至る前に立ち寄った武器庫で、『対竜用の閃光爆弾』が見つかった。それをうまく使い、奴を弱らせる」
「了解しやした。そこから先は分かるので、言わんで結構です」
地下水もまた、裏の世界を渡り歩いてきたプロである。それだけで、『ガンダールヴ』が何を言いたいのか察したらしい。
地下水は音もなく姿を消した。そして、『ガンダールヴ』は再びヒンメルへと向き直った。
「大丈夫だ。必ず、きみも、彼も助けるから」
その頃、ヒンメルはそう言って、シャジャルを安心させていた。
そして、倒れているビダーシャルを治療するよう、彼女に伝えた。
シャジャルは頷くと、『指輪』の力を使い、ビダーシャルの治療を始めた。
「……貴様はなぜ、そこまでエルフをかばう?」
「困っている子供は見捨てない。エルフだろうと、人間だろうとだ」
ヒンメルは立ち上がり、再び
『ガンダールヴ』もまた、剣を携え、正面に構える。
「そのエルフの少女を渡せば、お前の命は見逃すと言ってもか?」
「そんな選択肢は絶対にあり得ないから、問うだけ無駄だよ」
「何がそこまで貴様を駆り立てる? エルフがこの地でどういう扱いを受けているか、知らんわけではあるまいに」
「知っているからこそだ。あの子の敵が君たちであるなら、僕は立ち向かわねばならない」
「だから、その『何故』を聞いている」
ヒンメルはそこでいったん言葉を切り、治療を施しているシャジャルの横顔を見た。
そして、なおも力強く言った。
「僕はかつて、エルフと共に十年以上旅をした。辛いことも楽しいことも、クソみたいなことも一緒に分かち合った。僕にとってエルフは、恐れる対象じゃない。互いに背中を預け合える仲間だ」
「……そのエルフが酔狂な例外とは、思わないのか?」
「思わないね。そのエルフもまた、いずれはこの地に来るのかもしれない。だったら……」
ヒンメルはそう言って、音もなく接近してきた『ガンダールヴ』を迎え撃つ。
再び剣と剣が交わり、激しい火花を散らした。
「少しくらい、歩きやすくしてあげるのも僕の役目だ」
そう、これもまたフリーレンのために。
『未踏破の洞窟』で見つけた、フランメからフリーレンに宛てたメッセージ。それを読んで以来、ヒンメルはずっと考えていた。
少しでも、エルフへの蔑視を減らせるように。
エルフが人間を敵視せずに済むように。
ヒンメルにとって、シャジャルの救出には、また別の意味も込められていたのだった。
剣を交えながらその言葉を聞いていた『ガンダールヴ』は、ふっと笑みを浮かべ、こう続けた。
「その意志はあっぱれと言いたいところだが……時間だ」
火花が飛び散る剣戟の末、『ガンダールヴ』はおもむろにヒンメルの背後を指さした。
ヒンメルも、隙を見せないよう注意しながら、そちらへ視線を向ける。
そこには、ワルドが……杖をこちらに向けて構えていた。
(ワルド! ということは、オスマンは……!)
ヒンメルがそう考えた瞬間、ワルドの杖先から閃光のごとき雷撃が放たれた。ヒンメルは素早く身を伏せ、紙一重で回避する。
だが、その稲妻は、最初からヒンメルを狙ったものではなかった。
雷撃の向かう先……。そこには、地下水が用意した『対竜用の閃光爆弾』の樽があった。
まずい! この距離では、ビダーシャルやシャジャルまで巻き込まれる!
「悪く思うな。強者の剣士よ」
『地下水』は瓦礫に埋もれていたグールヴィルを連れ出し、『ガンダールヴ』もまた、一瞬でその場を離脱した。
ヒンメルは二人の子供を抱え、跳躍してその場から逃れようとする。
だが、その行動は一手遅かった。
ハイター、アイゼン、フリーレン……。
今になって、君たちの背中が恋しく感じるよ……。
彼らの誰か一人でもいれば、ここまで追い詰められることはなかったのかもしれない。
かつて共に旅をした仲間たち。その頼もしい背中を思い出し、ヒンメルは今になって、どこか寂しさを覚えていた。
次の瞬間、凄まじい衝撃とともに閃光がほとばしり、巨大な爆音が鳴り響いた。
視覚と聴覚の鋭い竜を撃ち落とすために作られた爆弾。
それは強烈な光を放ち、耳をつんざくような爆音を発生させた。
地下水は『サイレント』をガンダールヴら周囲に展開し、巨岩の陰に身を隠して閃光をやり過ごすことで、爆発の影響を完全に防いだ。
気絶したグールヴィルの襟首を引っつかみながら、『ガンダールヴ』は割れたガラスが散乱する廊下の奥を見やった。
「おい! おい、相棒! 大丈夫か!!」
デルフの声が廊下に響き渡る。
廊下の突き当たり近くで、ヒンメルが倒れていた。その手に握られたデルフリンガーが、先ほどから騒ぎ立てているのだ。
倒れたヒンメルのさらに奥には、子供二人を覆い隠せるほどの大きな瓦礫があり、その陰にシャジャルとビダーシャルが身を潜めていた。
ヒンメルは二人を守るため、飛び散る瓦礫を斬り分けて盾代わりにしたものの、自分自身は退避が間に合わず、爆風に吹き飛ばされてしまったのだ。
シャジャルもまた、倒れているヒンメルを見て顔を青ざめさせた。
自分のせいで、ついに彼まで巻き込んでしまった。
「……ぐっ」
ヒンメルは仰向けに倒れたまま、ゆっくりと目元に手を当てた。
今の衝撃で、一時的に目と耳をやられたのかもしれない。
シャジャルも爆発の寸前、自分とビダーシャルは、『指輪』の力で水の幕を作ったことで守ることができた。
だが、ヒンメルまでその幕で覆うには、時間が足りなかったのだ。
すぐに、シャジャルは彼に駆け寄り、『治療』を施そうとした。
しかし、その前に風の縄が這い寄り、彼女だけを縛り上げた。
そして、シャジャルはそのまま、地下水が操るメンヌヴィル侯爵の腕の中へと収まってしまった。
先ほどの風魔法は、地下水が放ったものだった。
「エルフの少女も確保。これですべての任務は完了しましたぜ」
死人の手に握られたインテリジェンス・ナイフが、そう告げた。
シャジャルは恐怖に身をよじったが、地下水がすかさず『
眠りを誘う霧に包まれ、シャジャルは苦しそうに目を閉じていく。
その視界の先にあったのは、倒れているヒンメルの姿だった。
自分のことが大好きで、寄り道も大好きで、そして何より、人助けが大好きな人。
彼と出会ってから、ずっと忘れていた笑顔さえ、取り戻すことができた。
なのに、結局、巻き込んでしまった。
自分のせいで……!
涙に滲む視界の向こうで、彼の笑顔を無意識に思い描きながら……。
シャジャルは睡魔に抗えず、意識を失った。
「さて、あとはこの地を落とすだけですかな」
「ワルド、そっちの方はどうだ? あの二人のメイジは……」
「殺した。だが……あまりにも抵抗が激しくてな。一朝一夕にはいかなかった。死体はぐずぐずの黒焦げになっているよ」
つまり、『アンドバリの指輪』で蘇らせられないほど遺体が損壊しているため、操ろうとしても無駄だということだ。
ワルドは、そう暗に告げていた。
つばの広い羽根帽子を目深にかぶっているため、その視線を地下水や『ガンダールヴ』が読み取ることはできなかった。
それでも、もしグールヴィルが意識を取り戻していたならば、「早速、死体を操ろう」と意気揚々と言い出したことだろうが……。
「まあよい。では、これで我らを阻む障害は、この都市には存在しないということか」
「あとは……ヴィクトリア陛下とドライグですかね? 『アンドバリの指輪』による蘇生候補になるのは」
そう提案する地下水の声には、どこかげんなりとした響きがあった。
彼は「生きた人間」を操る能力を持っている。「死体」であっても問題はないが、気分的にはあまり乗り気ではないらしい。
何かしらのこだわりがあるのか、それとも魔法的な相性の問題なのかは分からないが。
「で、あいつらはどうする? あのエルフと平民剣士は……」
続いて地下水が、向こうで倒れているはずのヒンメルと、いまだ重傷を負っているビダーシャルに目を向け、そう言いかけた時だった。
「……待て」
地下水も、ワルドも、『ガンダールヴ』も、一瞬目を見開いた。
そこには、立ち上がってデルフリンガーを構えるヒンメルの姿があった。
「……は?」
三人は揃って、ぽかんと口を開けた。
「ひ、ヒンメル……?」
ワルドが驚きを隠せない様子で、その名を呼ぶ。
「あ、相棒……本当に大丈夫なのか……?」
デルフも震える声でヒンメルに呼びかけた。
しかし、ヒンメルから反応はない。どうやら声も聞こえず、目も見えていないようだ。その瞳は、どこか霞んでいるように見えた。視覚と聴覚を封じられた状態なのだ。
にもかかわらず……ヒンメルは一瞬にして、三人との間合いを詰めた。
「……!」
「は?」
「ッ!!」
真っ先に反応した『ガンダールヴ』は、地下水を後方へ突き飛ばすと、納めていた剣を抜こうとした。
だが、それよりも早く、ヒンメルが剣を横一文字に振り抜いた。
『ガンダールヴ』は木の葉のように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
抜刀する前の隙を突かれたのだ。武器を手にしていなければ、『ガンダールヴ』としての力は発揮できない。
遅れて、壁が横一文字に切り裂かれた。地響きとともに、窓の並ぶ壁面に強烈な斬撃の跡が刻まれていく。
「ぐあっ!!」
「なにっ、おい!?」
最強のメイジ殺しが吹き飛ばされ、地下水も大いに慌てた。
だが、ここまで間合いを詰められては、メイジが対処するための呪文を唱える暇などない。
一方、懐に飛び込んだヒンメルは、デルフリンガーの刃を返し、その峰でメンヌヴィル侯爵の腹部を強かに打ち据えた。
再生する死人といえど、衝撃まで防げるわけではない。
苦痛に身をよじり、よろめいたメンヌヴィル侯爵。
その手に握られていたナイフを、ヒンメルはまるで見えているかのように蹴り飛ばした。
「な、なんだぁ!?」
ナイフは、からん、と音を立てて床に落ち、回転しながら滑っていった。
地下水の本領は、誰かを操ってこそ発揮される。単独では、ほとんど何もできなくなるのだ。
だが、相手はそんな事情など知らないはず。
それなのに、なぜこれほど的確な一手を、無意識に打てるのか……!
「ぐぅ、ヒンメル!」
ここで我に返ったワルドが杖を構え、『稲妻』を放とうとした。
魔法が発動し、稲妻がほとばしる。だが、
その時にはすでに、ヒンメルが背後からワルドの懐へ飛び込んでいたのだ。
「な……にぃ!?」
ヒンメルはそのまま、杖を突き出していたワルドの腕をつかみ、大外刈りを仕掛けた。
ワルドの身体が宙を舞い、庭園にまで投げ飛ばされる。
素早く受け身を取ったものの、杖は手元になかった。見れば、ヒンメルはワルドの杖を放り投げていた。
(あの一瞬で……地下水と俺を無力化しやがった!!)
ヒンメルの身体能力、立ち振る舞い、剣技、そして武術。
そのすべてが常軌を逸していることに、ワルドは改めて戦慄した。
メイジでもない、ただの剣士と聞いていたのに。
おまけに、目も見えず、何も聞こえていない状態だというのに。
なんだ、この強さは! この速さは!?
その頃、ヒンメルは『アンドバリの指輪』によって操られているメンヌヴィル侯爵の手から、シャジャルを取り戻そうとしていた。
しかしその時、砕けた壁の向こうから『ガンダールヴ』が舞い戻り、戦線に復帰した。
ヒンメルは再び、『ガンダールヴ』と刃を交える。
(くっ、くそ……!?)
『ガンダールヴ』もまた、この剣士を過小評価していたのだと、認識を改めざるを得なかった。
目も見えていない。耳も聞こえていないはずなのに。
まるで、それ以外の感覚でこちらの動きを捉えているかのように、殺意を察知して反応してくる。
しかも、
(なんだ、こいつは……?)
『ガンダールヴ』は心の中で呻いた。
(なんだ、こいつは?)
ワルドもまた、心の中で呻いた。
(なんだ、こいつは!?)
地下水も呆然とした。
「なんだ、こいつは!?」
なんなら、デルフは声に出していた。
魔法も何も使っていないというのに、なぜメイジどころか『
「……ワルドッ!」
『ガンダールヴ』の切羽詰まった呼びかけに、ワルドもまた苦虫を噛み潰したような顔で応じた。
その一言の意味を察せないほど、彼は愚鈍ではない。
このままでは、ヒンメルにエルフの少女を奪還されてしまう。
その前に離脱しなければ……!
(だが、杖もなしにどうすれば……!)
「ワルドの旦那! 俺を拾え!」
その声を聞いたワルドは、反射的に駆け出した。
床に転がる地下水を拾い上げ、呪文を詠唱しようとした、その時だった。
突如、城を……いや、街を……否、大陸全体を揺るがすかのような大地震が発生した。
「なっ!?」
「なんだぁ!?」
ワルドや『地下水』、『ガンダールヴ』、そしてヒンメルまでもが、この突然の大地震に驚きを隠せなかった。
(この地震、まさか……もう精霊石が持たないのか……!!)
ただ一人、ビダーシャルだけは、この異常事態の原因に心当たりがあった。この大陸を浮遊させている主要因、風石の大精霊石。
その力が弱まったのか、それとも暴走したのか……。
いずれにせよ、この振動は尋常ではない。精霊石が相当に切迫した状態に陥っているからこそ、起きているに違いなかった。
そんな思案に暮れるビダーシャルの頭上で、異変が起きた。
廊下の天井から吊り下げられた、煌びやかなシャンデリア。
それを支える鎖が、激しい振動によってプツンと切れたのだ。
鋭利な先端を持つ装飾を備えたシャンデリアが、そのままビダーシャルの頭上へと落下していく……。
「危ない!」
次の瞬間、ビダーシャルは身体を横方向へ強く引っ張られるという、奇妙な感覚を味わった。
目を開けると、つい先ほどまで自分がいた場所に、巨大なシャンデリアが落下していた。
あと一歩遅ければ、間違いなく直撃していただろう。
「大丈夫か?」
ビダーシャルは、自分を助けてくれた恩人……ヒンメルへと目を向けた。
目も見えず、耳も聞こえず、頭から血を流しているにもかかわらず、その顔には慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。
だが、その間にも激しい振動は続いていた。
ワルドや『ガンダールヴ』たちは、これを好機と捉えた。
ワルドが口笛を鳴らし、使い魔のグリフォンを呼び寄せる。
主人の危機に馳せ参じたグリフォンの背に、ワルドと地下水、そしてシャジャルを抱えたメンヌヴィル侯爵が乗り込んだ。
「先に離脱しろ。俺は自力で脱出する」
左手のルーンを光らせた『ガンダールヴ』はそう告げると、崩れゆく城塞の上へと跳び乗り、器用に高所から高所へと飛び移っていった。
眼下には、城から脱出し、そのまま森の奥へと逃げていくエルフの子供たちの集団が見えた。
その中には、エスマーイルの姿もあった。
彼らもまた、この異常事態から逃れようと、必死に足を動かしていた。
「来い、赤兎天馬!」
跳躍した『ガンダールヴ』が口笛を吹くと、空から翼を生やした赤い天馬が舞い降り、彼を背に乗せた。
東方より流れ着いた赤い天馬。その飛行速度は、空を駆ける幻獣すら上回る。
『ガンダールヴ』は赤い天馬に跨り、その場を離脱した。
(それにしても、本当にあいつは……何なんだ?)
『ガンダールヴ』は疑問を抱きながら、先ほどまで剣を交えていた青髪の剣士を思い返した。
上空からレキシントン城の全景を見渡すことで、戦闘の爪痕がはっきりと見て取れた。
あの剣士は、できる限り城を壊さぬように立ち回っていた。
だが、自分はそんなことなどお構いなしに、大技を繰り出していたのだ。
その斬撃の跡は、粉砕された壁や真っ二つに裂けた城壁、横にずれたまま残る尖塔といった形で、今なお生々しく残されていた。
あの青髪の剣士は、そんな広範囲に及ぶ斬撃を、ずっとやり過ごしてきたのだ。
魔法も使わず、それどころか特殊な道具や能力に頼ることもなく。
ただ、速くて強い。
そんな剣士が、本当に存在するのだろうか……。
おまけに、目と耳を封じられてなお、あそこまで動けるほどの戦闘センス。
(もし、あのまま戦い続けていたら……果たして俺は勝てたのか……)
いや、もうよそう。
奴から目標のエルフの少女を奪うことはできた。
今は、それ以上は考えないことにする。
今回は地震にも助けられた。おかげで、あの場から離脱する時間も確保できたのだ。
そうして『ガンダールヴ』は、グリフォンを駆るワルドや地下水たちとともに、レキシントン城から遠ざかっていった。
激しい振動は、五分以上にわたって続いた。
城は崩れ、街も崩壊していく。
民衆は逃げ惑い、辺りは惨憺たる有様となっていた。
「もうここは無理だ! とにかく民衆を避難させたまえ!」
街で戦線を維持していたアルマンもまた、そう判断せざるを得ないほど、現場は混乱を極めていた。
だが、アルビオン王党派にとって、この戦いは最悪の敗戦ともいえる結果となった。
地震というアクシデントがありながらも、有利は依然『レコン・キスタ』側。レキシントンの都市は結局、亡者と革命派の貴族たちによって制圧されてしまったのだから。
都市を脱出した王党派の兵士たちは、民衆とともに、大陸の端に築かれた古城『ニューカッスル』への撤退を余儀なくされた。
今頃は、拠点に身を置くヴィクトリア陛下たちも、同じくニューカッスル城への撤退を進めていることだろう。
こうして戦争は、王党派が大陸の端へと追い詰められる展開となった。
もはや彼らに、勝機など残されていなかった。
「な、なんとか収まったか……」
振動が収まり、ヒンメルもようやくビダーシャルと共に城を出た。
この頃には、ヒンメルの視覚と聴覚も回復していた。ビダーシャルが持っていた、なけなしの『水石』で治療してくれたからだ。
ヒンメルは、オスマンとロングビルの二人を抱えていた。二人とも、謁見の間で気絶させられていただけだった。おそらく、ワルドが情けをかけて見逃したのだろう。
「なぜだ……?」
「ん?」
「なぜ、我を……あの状況で助けた?」
ビダーシャルは、困惑を隠せない面持ちでヒンメルに尋ねた。自分を助けなければ、まだシャジャルを救出できる余地はあっただろうに。
そもそも、自分はヒンメルとは何の関係もないはずだ。
それなのに、なぜ……?
「理由なんてない。ただ、あそこで死ぬことはない。そう思っただけさ」
もちろん、シャジャルを連れ去られたことを軽く受け止めているわけではない。
彼女は必ず助ける。
それはそれとして、目の前で死にかけているエルフの少年を見捨てられるほど、ヒンメルは薄情にはなれなかった。
「それに、聞きたいこともある。あの子のことについてね」
「……まあ、そうだろうな」
ビダーシャルにもまた、時間がなかった。
今なお火傷に苦しんでいる妹を助けるため、どうしても『指輪』が欲しい。
あれでなければ、もはや妹を治すことはできないのだから。
だからこそ、鉄血団結党に戻るよりも、彼……ヒンメルと行動を共にした方が、まだ妹を救える可能性があるのではないか。
ビダーシャルは、そう考え始めていた。
「とりあえず、どこか治療できる場所が見つかればいいんだが……」
「あ、お~い! ヒンメル!!」
「アルマン!? きみもアルビオンに来たのか!」
そんなヒンメルの願いを聞き届けるかのように。
回復したばかりの視界の先に、こちらへ手を振るアルマンの姿を、ヒンメルは見つけたのだった。
さて、視点は『レコン・キスタ』の牙城となったシティ・オブ・サウスゴータの古城へと移る。
中央広場では、捕らえられた王党派の処刑が進められ、抵抗する市民にも厳しい処罰が科せられていた。
そんな中、城に一頭のグリフォンと一頭の天馬が舞い降りた。
二頭の幻獣は、城の高所にそびえる尖塔の裏口から、城内へと入っていく。
「フフフ、ハハハハハ! とうとうあのエルフを捕らえたぞ!」
王党派を排除した玉座の間に、真っ先に入ってきたグールヴィルは、得意の絶頂にあった。
すべてが自分の思いどおりに運んでいる。これが笑わずにいられるか、と言わんばかりだ。
「で、あの子をこれからどうするんですかい?」
そう問いかけたのは、ワルドと共に部屋へ入ってきた『メンヌヴィル侯爵』……の手に握られたナイフ、地下水だった。
特別な忠誠心はない。あくまでビジネスライクな関係で付き合っているにすぎないが、自分ほどの実力を持つメイジはそう多くない。
そのため、今やすっかり革命派連盟の幹部級にまでのし上がっていた。
隣にいるワルドも、似たような立場だった。
(こんなに強いのに、トリステインじゃ衛士隊の隊員程度って、どういう基準なのかね……)
地下水は内心そんなことを考えたが、今はどうでもいいことだった。
先ほどの問いに、グールヴィルが答え始めたからだ。
「もちろん、至急『例の洞窟』に向かい、指輪にその力を取り込ませる」
「あの『大精霊石』ですかい?」
アルビオン大陸の各地で発生している災害について、『レコン・キスタ』もその原因を把握していた。
すべては、アルビオン大陸の中心部に埋没している『大精霊石』の暴走が原因だった。
過剰なエネルギーが、地震や台風、大雨といった形で顕現しているのだ。
早急に対処しなければ、近いうちにアルビオン大陸は滅亡の一途をたどるかもしれない。
もっとも、グールヴィル自身は、この大陸がどうなろうと、そこに暮らす人々がどうなろうと、知ったことではないのだが。
「それよりも、だ」
グールヴィルはそう言うと、顎をしゃくってワルドに合図した。
ワルドはやや煮え切らない表情を浮かべながらも、閉じていた扉を開き、一人の子供を部屋へ招き入れた。
その子供はもちろん、連れ去られたシャジャルだった。
風の縄で縛られた彼女は、恐怖に顔を引きつらせていた。
「さて、『話し合い』をしようじゃないか、エルフくん」
グールヴィルは、いかにも作り物めいた笑みを浮かべ、シャジャルにそう語りかけた。
「君はこれから、何も言わずに我々の言うことに従うんだ。そうすれば、君には何もしないと約束しよう」
地下水は、グールヴィルに聞こえないほど小さく鼻を鳴らした。
こんな……いかにも「嘘をつけ」と言いたくなるような言葉と笑顔もないものだ。どうせ用済みになれば消すつもりだろうに。もしくは、人体実験の生贄にするか。
そんなことなどお構いなしに、グールヴィルは続けた。
「まずは君の持つ『指輪』だ。本当ならすぐにでも渡してくれると助かるのだが……その前に一つ、君に仕事をしてもらいたい」
ついてきたまえ。
そう言うと、いつの間にか戻ってきた『ガンダールヴ』が、玉座の間にある本棚の裏に隠された秘密の入り口を開いた。
シャジャルは恐怖に震えながらも、階段を下りていく。入り口は地下深くへと続いているようだ。
土や鉱石が露出しているものの、人が安全に歩けるだけの広さは確保された洞穴を、一行はどんどん進んでいった。
やがて、一行はこの浮遊大陸の『心臓』へと到達した。
アルビオンを浮遊させる『核』。青白く輝く『大精霊石』を間近に望む、広大な地下空間だった。
「君も知ってのとおり、その『指輪』は、私が今持っているこの『アンドバリの指輪』よりも、強力な水魔法の力を秘めている」
グールヴィルは左手の薬指にはめた、一見するとシャジャルの持つものとよく似た形状の指輪を見せた。
台座の上で水球が揺蕩う、水魔法の指輪。
ラグドリアン湖に棲む『水の精霊』から奪い取り、今や『レコン・キスタ』の作戦の中核を担っている魔道具だ。
一度使用すれば、死者を蘇らせ、意のままに操ることができる。
この場にいるメンヌヴィル侯爵や、ヒンメルたちを幾度となく襲った死人の群れ。そして、王党派の主要人物を革命派へと鞍替えさせた元凶でもあった。
これだけでも十分に人知を超えた魔道具といえるが、シャジャルの持つ指輪は、その『アンドバリの指輪』すら凌駕するといわれている。完全な上位互換ともいえる力を秘めているのだ。
使えば、死の淵に瀕した生物すらも救い、再び生命力を取り戻させることができる。
しかも、その命は『アンドバリの指輪』が生み出すような、偽りの命ではないのだから。
「私は長年、君の持つ指輪を追い求めていたのだよ。分かるかね? その指輪の力をさらに極限まで高めれば、いずれは『不死』はおろか、『一から生命を創造する』ことすら可能になるだろう」
そうなれば、いずれ実現できることだろう。
誰も争うことのない世界の創造すらも。『愛』が満ち、『争い』のない、素晴らしき世界を。
その世界を作り出すためならば、すべては些末事にすぎない。
「貴様の欲など後にしろ。一番の優先事項は……我ら『レコン・キスタ』の『総大将』にして、我が主の延命だろう?」
ここで『ガンダールヴ』が、厳しい視線を向けて、『レコン・キスタ』の表向きの司令塔であるグールヴィルを咎めた。
こいつの理想郷など、正直どうでもよい。
大事なのは、『主』に残された時間を延ばすことだ。
「無論、分かっておるとも。そのためにも、この儀式は必要なのだ。そう急かすでない」
グールヴィルは適当に手を振って答えた。『ガンダールヴ』は嘆息する。だが、こいつ以外に『水魔法の真髄』を理解している者がいないのも事実だった。
偏狭な奴だが、ここは堪えるしかない。
「さて、では本題に入ろう」
グールヴィルはそう言って、シャジャルに向き直った。
「その指輪の力を最大限に発揮させるための『素材』として、あの『大精霊石』は役に立つ。先住のエネルギーを限界まで吸い上げろ。エルフたる君なら、造作もないことだろう?」
もちろん、大陸の浮遊を維持できなくなるほどに、だ。
根こそぎ力を奪えという、そのあまりにも身勝手な要求に、シャジャルは嫌悪感を覚え、首を横に振ろうとするも……。
「いいのかね? 君が大事にしていたあの剣士……彼らが酷い目に遭っても」
それを聞いた瞬間、シャジャルは心臓が止まったかのような表情を浮かべた。
グールヴィルは悪辣な笑みを崩そうともせず、さらにこう続ける。
「我々『レコン・キスタ』の力を見たことだろう? あのような一介の剣士など、我らがかかればひとたまりもあるまい。生かすも殺すも、君次第なのだよ」
それを聞いたシャジャルは、ふるふると身体を震わせ始めた。
グールヴィルは、にやりと笑みを浮かべる。やはり、『当たり』だ。
あの剣士は、この少女にとってそれほどまでに大切な存在らしい。
ちなみに、グールヴィルの背後に控えていた地下水は、ワルドと共に無言で(誰があの馬鹿強い剣士を殺すんだ?)と、目で語り合っていた。
(グールヴィル殿は、あの戦いを最後まで見てなかったからなあ……)
(俺たちがどれだけ必死になって、あの地獄から離脱したかも知らないくせに)
そう、グールヴィルがこれほどまでに楽観的な態度でヒンメルの命を盾にできるのは、『あの激戦を知らない』からなのだった。
いまだグールヴィルにとって、ヒンメルとは『少し強いだけで調子に乗っている平民剣士』でしかないのである。
知らぬが仏とは、よく言ったものだ。これには『ガンダールヴ』ですら、腕を組んでため息をついていた。
「なんなら、『死人』として再会させてあげようかな?」
だが、同じく眠っていて、その戦闘を知らなかったシャジャルは、すでに顔を蒼白にしていた。
彼女の向かい側、グールヴィルの背後で、(お前がやれよ)(いや、お前が……)と、互いに手で押し付け合っているワルドと『地下水』の寸劇にすら、気づかないほどに。
それほどまでに、シャジャルはヒンメルのことを大切に思っていた。
何度も彼に助けてもらって……その笑顔を、人助けをしている姿を、もっと見ていたくて……。
あの人は、絶対に死なせてはいけない人。
これから先も、きっと多くの困っている人を救っていく。
そう確信できる人だから。
だから……。
シャジャルは悲壮な面持ちで、小さく頷いた。
「では、早速始めたまえ」
グールヴィルはそう言うと、顎をしゃくってワルドに合図した。
ワルドは渋い顔をしながらも、杖を振り、シャジャルを縛る風の縄を解いてやった。
そのまま彼女の周囲に小さな竜巻を起こし、宙へと浮かせる。
そして、高さ五十メイルはありそうな、水色に輝く巨大な結晶石。
その表面に開いた、子供一人が入れそうな大きさの穴へと、シャジャルを運んでいった。
「内側に入って、精霊の力を余すことなく吸い上げろ」
グールヴィルはそう命じると、鼻を鳴らして憮然と言い放った。
「言っておくが、中途半端な仕事はするなよ。すぐに分かるのだからな?」
シャジャルはグールヴィルの顔を見つめ、苦しそうな表情で小さく頷いた。
そのまま身をかがめ、穴の中へ……精霊石の内部へと入っていく。
精霊石の内部は空洞になっており、シャジャルが足を踏み入れるや否や、渦巻く暴風に絡め取られていった。
グールヴィルたちも、シャジャルが精霊石の内部へ入ったことを、はっきりと視認する。
それほどまでに、結晶の透明度が高いのだろう。
シャジャルはそのまま『指輪』を掲げた。
すると、そこから放たれた光が、荒れ狂う風の糸を導くように、その流れを指輪へと向けていった。
「ふむ、きちんと始めたようだな」
それを確認すると、もう見届ける必要もないとばかりに、グールヴィルは背を向けた。
「適当に死人を見張りに立てるとするか。今さら、奴が逃げ出すこともないだろうがな」
あれだけ脅してやったのだ。
我ら『レコン・キスタ』の力は、嫌というほど分かったに違いない。
何せ、自分には始祖の力『
強大なエルフと唯一渡り合えたと伝承に残る、『虚無』の一角が後ろ盾となっているのだから。
仕事を終えれば、あのエルフの娘も用済みだ。両親の後を追わせてやるとしよう。
アルビオンの王党派も、もはや風前の灯火。聞けば、連中の戦力はたった三百しかないという。
一方、こちらは四万……いや、そろそろ五万になるか。相手になるはずもない。
(アルビオンも掌握できた。『指輪』も確保した。くくく……ここまで自分の思いどおりに事が進むとは!!)
グールヴィルはとうとう、高笑いを始めた。己の計画がすべて順調に進んでいるのだ。笑わずにはいられなかった。
「このまま勢いに乗って『聖地』を奪還してみせようぞ! がーーっはっはっは!!」
グールヴィルは知らない。
そう遠くない未来、『レコン・キスタ』は壊滅的な打撃を受け、王党派に膝を屈する羽目になることを。
最後まで取るに足らぬと侮った、その平民剣士たちによって……。
『大精霊石』の監視をグールヴィルに任せ、『ガンダールヴ』は一人、先にサウスゴータ城内へと戻っていた。
彼は今、古城と呼ぶにふさわしい荘厳な城の一角、その高台から、空に浮かぶ二つの月を見上げていた。
「もう少しです。お待ちください」
そして、憂いを帯びた言葉を、夜空へと投げかけた。
自分をこの『西方』ハルケギニアへと導いてくれた恩人を思う。
「必ずや、あなたの悲願を叶えてみせます。この『ガンダールヴ』の名に懸けて」
余命いくばくもない主の命を延ばし、その悲願を叶えるため。
それこそが、『ガンダールヴ』が今を生きる意味だった。
拳を握り締め、月をその手に収めるかのように、男は誓いを立てる。
「今しばらく、耐えてください。
Q.こんな状況からヒンメルたち逆転できたんですか?
A.はい、できました! そこに至るまでももう書き切っていますので、お楽しみいただければ幸いです。