◇ ◆ ◇ ◆ ◇
さて、話をここで、『ルイズたちが命からがら脱出した直後』にまでさかのぼる。
アルビオン大陸、荒廃したレキシントン城跡地にて。
「そろそろ、本格的にフリーレン討伐を始めようかしらね」
瓦礫の山と化した城の上で、適当に拵えた椅子に腰掛けながら。七崩賢の一人、〝断頭台のアウラ〟は呟いた。
「どうするの?」
彼女の野望に疑問を抱いたのは、首切り役人の一人、リーニエだった。
「だって、得意の〝
「り、リーニエお姉ちゃん、ちょ、ちょっと自重しよ? ね?」
リーニエのあけすけな物言いに、慌てて口を挟んだのは、同じく首切り役人の一人である吸血鬼のエルザだった。
何がアウラの逆鱗に触れるかも分からないというのに、この子はもう……!
しかし、当のアウラは街を一つ陥落させて上機嫌なのか、リーニエの無遠慮な発言にも眉一つ動かさず、悠然と言葉を続けた。
「ねえ、何も知らないあなたたちに問うてあげるわ。この大陸はどうして浮いていると思う?」
リーニエは無表情のまま首を傾げた。
エルザは知っているらしく、それが顔に出たのか、アウラに目を付けられる。
「あなた、知ってそうね。特別に答えることを許可してあげるわ。ええと……」
「あ、エルザ……です」
「そう、エルザ。で、どうなの?」
「あ、はい。確か……大陸の下に埋まっている『風の精霊石』が暴走したから……と聞いています」
この話自体は、船でこの地に来る際、ラルカスとの暇潰しの会話で得た知識だった。
そのラルカスは現在、この地で洗脳した者たちの先導を行っている。幸運にも強かったがために、首を落とされずに済んだ者たちだ。
もちろん、その中にはタバサやジャネットたちも含まれていた。
「昔ね、その精霊石を使って悪さを企んだ連中がいたらしいのよ」
アウラはエルザの答えが「正解」だと示すように、満足げに頷いてから話を続けた。
「『レコン・キスタ』……とかいう、人間どもが作った革命派の組織よ。そいつらは『聖地』を取り戻すために、この大陸の地下深くに眠る浮遊の核、『大精霊石』の力を利用しようとしたらしいの」
「へー」
リーニエは、いかにも興味がなさそうに相槌を打った。
人間が何を企もうと、知ったことではない。ただ、『聖地』という言葉だけは、この地に来てから幾度となく耳にしていた。
なんでも、この地の人間たちにとって、そこへ至ることは至上の命題なのだという。
その地を守るエルフとは、長年にわたって争いを続けているらしい。
「アウラ様、『聖地』って何?」
「さあね。正直、興味ないわ。ソリテールあたりが色々調べているみたいだし、気になるなら彼女に聞いてみればいいんじゃないかしら?」
そう答えたアウラは、話が横道に逸れたことに気づいたのか、軽く肩をすくめた。
「……って、何の話だったかしら。ああ、そうそう。その『レコン・キスタ』とかいう連中の話よ。まあ、とっくの昔に滅びたらしいけど」
所詮は人間の組織。滅びたところで、アウラにとってはどうでもいいことだった。
「それでね、そいつらが利用していたという『大精霊石』への入り口が、幾つかこの地で残っているらしいのよ。ここレキシントン都市の地下坑道から、直接向かえると踏んでいるの」
「その『大精霊石』への入り口を見つけて……で、どうするの?」
続けてリーニエが尋ねると、ここが肝心とばかりに、アウラは身を乗り出した。
「決まってるじゃない。この大陸を浮かせるほどの魔力の結晶体なのよ。その魔力を丸ごと取り込むことで、瞬間的にフリーレンの『本来の魔力量』を超える。そうすれば、あいつにも〝
大陸を浮かせるほどの力を持つ『精霊の魔力』を根こそぎ奪い、無理やり奴の持つ本来の力……千年以上にわたって蓄積された魔力量を凌駕する。
それが、この地に来てからアウラが考えていた作戦なのだった。
これにはリーニエも「なるほど……」と頷きかけたが、再び湧き上がった疑問を口にした。
「あれ、でもさ。私たち魔族にとって、精霊は『毒』なんだよね? この地で循環している精霊の力が、私たち魔族を弱らせていくって。お腹が空くのも、それが原因だって」
そう、この地に来てからたびたび感じていた飢餓感は、どうやらこの地に住む精霊の性質が、魔族と致命的に相性が悪いことに起因するらしい。
これはアルビオンに来てから、アウラに直接聞いた話だ。
「その理屈だと、精霊の力を取り込むのって危なくない?」
「ええ。だから永続的には使えないし、こちらとしても決して小さくないリスクは負うことになる。使いどころは考えなくちゃいけないわ」
だが、それでも『一瞬』、チャンスが生まれるのだ。
たとえ瞬きするほどの間でも、魔力量で上回れば自分の魔法は通る。
それは、この魔法を作った自分が一番よく分かっている。素早く奴を服従させ、首を切れば、あとは『精霊の力』をすぐに吐き出せばいい。
「私がこの地に三年も潜伏していたのは、突き詰めれば『大精霊石』の力を解析するためよ。精霊の魔力も、一瞬取り込む程度なら『毒』にはならないように、中和する方法を密かに探っていたの。……でも、まさかこんな形で研究が実を結ぶなんてね。人間の言う『運命の女神』っていうのも、案外いるものなのかしら」
アウラは笑いながら、懐からとある魔道具を取り出した。
それは注射器のような形状をしていた。
先端には針があり、中央には何も入っていない透明な管。さらに、ピストンを引いて吸引する仕組みを備えた、ありふれた形状の器具だった。
「それは?」
「下僕にした奴の中に、『
本来、この魔道具を作るには十年以上かかると見込んでいたのだが……シェフィールドが配下に加わったことで、完成を大幅に早めることができた。
「そして今、『精霊石』への道も確保した。あとはもう、分かるわよね?」
「直接乗り込んで、精霊石の魔力を吸い上げようというわけだね」
リーニエもまた、その言葉を引き取った。
ようやくフリーレン討伐への道筋が明確になったことで、リーニエも少し身を乗り出していた。
「これから行くの?」
「ええ、準備は整った。今から向かうつもりよ」
本来、この精霊石攻略戦には『ヨルムンガンド』を投入するつもりだったが……その代わりに、例の『銃火器』なるものを揃えている。数自体は多くはないが、先の都市戦でその威力は十分に分かったつもりだ。
それを装備させた首なしの死人を百体近く。そして、洗脳したままの『生かしてやっている』者たちを投入するつもりだ。
「私はどうすればいい?」
「う~~ん、そうねえ……」
アウラにしては珍しく長考し、しばらくの間、リーニエをじっと見つめた。
「……どうしたの?」
「……いや、なんでもないわ。そうね、こうしましょう」
ぬるりと、アウラの背後から、もう一人のアウラが現れた。
こちらは『本物』だ。先ほどまで喋っていた『人形』のアウラは、背後から現れた本物のアウラに頭をつかまれ、ポン、と元の人形へと戻った。
ただのフェルト人形と化したスキルニルを懐にしまうと、『本物』のアウラが代わりにリーニエの質問に答えた。
「リーニエ、あのミノタウロスと吸血鬼の子を連れてきなさい」
アウラの命令に、リーニエは頷いて応じた。
すぐさまエルザと、向こうで首なし騎士たちの先導をしていたラルカスを呼び寄せた。
新たな『首切り役人』の三人は、それぞれ片膝をついてアウラに傅いた。
「リーニエ、エルザ、ラルカス。あなたたちはこのまま、上空で待機している空船に乗って、フリーレンたちの牽制を任せるわ」
「空から?」
リーニエは首を傾げた。
てっきり、自分たちもアウラと共に向かうものだと思っていたからだ。
エルザが見上げると、空を覆い隠すほどの艦隊が上空にひしめいていた。
おそらく、アルビオン軍から鹵獲した空軍の船だろう。
「万が一にも、フリーレンに邪魔されたくないのよ。今回の作戦さえ成功すれば、あいつを殺す算段がつく。あなたたちは適当に大暴れして、奴の気を引いてちょうだい」
「はぁ……」
エルザが、なんとも気のない返事をした。
アウラ曰く、この国の『空軍』はすべて押さえているという。
主力艦の『ロイヤル・ソヴリン』は撃沈したものの、まだ数十隻にも上る戦艦や巡洋艦は健在なのだ。
要は、数の暴力によって、上空から砲弾の雨をお見舞いするつもりなのだ。
(アルビオンは、人間が作った国の中でもトップクラスの空軍力を持つと聞いていたけど……)
それを、たった一人の亜人……いや、魔族が、すべて思いどおりにしてしまう。それはそれで、恐ろしいことだと思わざるを得なかった。
でも、少し気にもなる。
何せ、今まで威張っていた人間たちに向かって、一方的に空から砲弾を降り注がせるのだ。それは、どんな気分なのだろう。
両親をメイジに殺されていることもあり、やはりどこかで、人間に対して「スカッとしたい」という気持ちはある。
それに、あのエルフにしても、さすがに数十隻もの空軍を相手にできるとは思えないし。
「分かりました。その命、謹んでお受けいたします」
「同じく」
エルザとラルカスは、すぐに頷いた。
ラルカスとしても、逆らう理由はない。
リーニエは少し間を置いたものの、すぐに頷き、踵を返した。
「洗脳させた部隊はどうします?」
「置いていっていいわ。私が使うから」
そういうわけで、人食い三人組はそのまま空へと飛び立ち、真上に待機している、アルビオン軍から奪った艦隊へと乗り込んでいった。
(……ないとは思うけど、用心するに越したことはないわ)
リーニエたちが去った後、アウラは内心そうひとりごちた。
ここでいう『用心』とは、フリーレンに対してではない。ほかならぬリーニエに対してのものだった。
(あの子、魔力量も魔力の扱いも……このハルケギニアに来てから、随分と成長しているわね)
たった三年会わなかっただけで、こうも変わるものかと思わざるを得ない。
あれほどの練度なら、かつてのリュグナー程度であれば、片手間に殺せることだろう。それなりに名のある『将軍』とも渡り合えるかもしれない。
この地に住む『マギ族』は、
アウラ自身もそれなりに食らい、魔力量を少しずつ増やしてきたが、リーニエの成長ぶりは、自分のそれをはるかに凌駕していた。それだけ魔法の研鑽に貪欲なのだろう。
魔族のヒエラルキーを決めるのは、〝魔力〟と〝強さ〟。
大雑把に言えば、それがすべてだ。
どれほど高い地位を得ようと、強者に膝をつこうと、その本質は決して変わらない。
力で従わせられない相手の命令など、聞く理由はない。そもそも、魔族に『忠誠心』などというものは存在しないのだから。
今回の作戦からリーニエを外したのも、要はその成長が気にかかったからだ。
万が一、あの子が心変わりを起こし、抽出した魔力の結晶を奪って自分の魔力量を上回り、あまつさえ自分を食らおうとするかもしれない。
そんな可能性も、決してゼロではないと考えたのだ。
自分たち魔族がそういう種族であることを、アウラは誰よりもよく知っていた。
(ま、問題ないとは思うけどね)
そう胸中で呟くと、アウラはくいくいと指を動かし、自らが洗脳したタバサ、ジャック、ドゥドゥー、ジャネットたちを呼び寄せた。
その背後には、数百体もの首なし騎士、亜人たちが従っている。
「さあ、行くわよ」
アウラはそう告げると、とある建物の地下施設から延びる洞穴へと進み、配下を引き連れて『この大陸の心臓部』へと足を踏み入れた。
同時刻。
魔力探知によって発見したナイフだけを拾い、その夜を元の拠点で過ごした三人は、改めて今後の方針を話し合うことになった。
「早くワルド隊長か、ミスタ・コルベールあたりと合流するべきだと思うんだが……」
「そうねえ……いつまでもこのままっていうのも、あれだし」
このまま周辺を探索し続けても、時間を浪費するだけだ。
普段は何かと能天気なギーシュでさえ、そう感じているらしい。当然、キュルケも同じ考えだった。
「いっそのこと拠点を捨てて、もっと先まで進んでみるのも手かしらね。そこで新しい街や村が見つかれば、めっけものだし」
「村人はいるのかね? この近くはあらかた探索し尽くしたと思うんだけど……」
かろうじて見つけた村は、どこも壊滅していた。人っ子一人いやしないのだ。
結局、発見できた人間も昨夜あのナイフを握っていた、あの遺体だけだった。
(フリーレンが言うには、魔族って奴らは人を食う種族らしいのよね。ミノタウロスみたいなものかしら?)
まさか、人がいないのはそういうことなのだろうか……。まだ実物を見ていない以上、何とも言えない。
まあ、憶測だけでギーシュたちを怖がらせることもない。
それよりも……。
「どうなのよ、モンモランシー。少しはそのナイフについて、何か分かった?」
キュルケは、先ほどから杖でナイフを洗ったり拭いたりして、ひたすら磨き続けているモンモランシーに目を向けた。
朝食に川魚を食べ終えてからというもの、ずっとそんなことばかり繰り返しているのである。まるで、ナイフそのものに魅入られてしまったかのように。
「ああ、薔薇のような君が無骨なナイフを磨く。そんな姿もまた、絵になる光景だねえ」
などと嘯く
キュルケは目を細めた。
「で、どうなのよ」
「え? え、ええ。どうやらこのナイフ、強力な魔力を宿しているように思えるわ」
「そんなこと、あたしだって分かるわよ。どうしてそんな魔力を宿しているのか、その理由を調べるって言ったきり、あんた全然進んでないじゃないの」
「ま、まあまあ。そんなにモンモランシーに当たらないでくれたまえよ。ここはぼくの顔に免じてさ……」
ギーシュはそう取りなして、モンモランシーを庇った。
するとモンモランシーも、すぅ……とギーシュの方へすり寄っていく。
「ごめんなさい。このナイフの研究に没頭して、周りのことが全然見えてなかったの。こんな事態なのに……」
「え! いや、はは! そんな、全然気にすることはないさ! 好きなだけ磨けばいいじゃないか! なあ、キュルケもそう思うよね!」
普段は滅多に見せないモンモランシーのしおらしい態度に、ギーシュはすっかり赤面し、有頂天になっていた。
だが、キュルケの疑念はますます深まっていく。
やっぱり怪しい。
昨夜、あのナイフを拾ってからというもの、モンモランシーの様子が明らかにおかしい。
ルイズに負けず劣らずプライドが高く、ギーシュに対しても、内心では悶々としながら素直になれず、つい邪険な態度を取ってしまうあいつが。
別人……とまでは言わないけれど、何か妙な影響を受けているのではないだろうか?
ギーシュは……この様子だと、気づいてないっぽいわね。
かといって、「操られている」と断定するには、まだ確証がない。
……試してみるか。
「ねえ、モンモランシー。また〝魔力探知〟を使ってよ。それで行く先をある程度決めましょう?」
「……へ? 魔力探知で?」
「ええ、そうよ。昨日みたいに。お願い」
モンモランシーは目を丸くしてキュルケを見た。
ギーシュも「名案だ!」と、ここぞとばかりに身を乗り出す。
「昨日も思ったけど、やはりモンモランシーの探知精度は素晴らしかったからね!」
「え? え、ええ……」
「ほら、ギーシュも褒めてくれているんだし、早くやってよ。今日こそは人のいる場所に行きたいわ」
明らかに挙動不審になり始めたモンモランシー。まるで、キュルケとギーシュの言っていることが理解できていないかのようだ。
だが、キュルケはにっこりと笑みを浮かべたまま、彼女を促す。
「わ、分かったわ」
そう言って立ち上がると、モンモランシーは杖を振り、『ディテクトマジック』を唱えた。
煌めく微粒子が宙を舞う。それは魔力を宿すもの……キュルケ、ギーシュ、モンモランシー、そして例のナイフに反応した。
「や、やったけど……?」
モンモランシーは困惑した様子で答えた。
まるで、探知魔法といえばこれしか知らない、とでも言わんばかりの反応だった。
そう、ハルケギニアのメイジであれば、これがごく当たり前の反応なのである。
『ディテクトマジック』は魔法の痕跡を探ったり、魔法による偽装を見破ったりするには便利だが、遠距離にある魔力源を探し出す用途には適していない。
だが、その反応が欲しかったとばかりにキュルケは口を笑みで歪めた。
「はぁ? 何やってるのよ、モンモランシー。あたしが頼んだのは〝魔力探知〟よ。誰が『ディテクトマジック』を使えって言ったの?」
「……はぇ?」
モンモランシーは、きょとんと首を傾げた。
今度はギーシュの方へ目を向ける。
彼なら味方してくれるかも……という目算だったが、そのギーシュも困惑した表情を浮かべていた。
「え、探知魔法って、『ディテクトマジック』以外にないわよね?」
「い、いやいや。君は昨日やっていたじゃないか! 忘れちゃったのかい? ほら、トリステイン魔法学院で――――」
そこまで言いかけたギーシュの口を、キュルケは強引に手で塞いだ。
「あるいは、〝魔力探知〟のやり方すら忘れてしまった……そういうことかしら?」
キュルケは、すでに杖を構え始めていた。
まずい。何かのブラフか? 嵌められたのか?
『モンモランシーを操る者』は、緊張で心が冷えるのを感じた。
「ま、分かるわけないわよね。〝魔力探知〟だなんて言われたら、普通は『ディテクトマジック』の方を思い浮かべるもの。でもね、あたしたちは、そういう常識とは別の魔法も習ってきたのよ。あんたも忘れたわけじゃないでしょ、モンモランシー?」
そう言いながら、キュルケはゆっくりとモンモランシーに杖を向けた。
「え? え?」
おろおろし始めたギーシュを脇に置いて、キュルケはさらに続けた。
「まあ、『そのナイフを拾ったせいで忘れてしまった』というのなら、仕方ないけどね。……さあ、大人しくそのナイフを渡しなさい」
モンモランシーがおかしくなった原因は、あのナイフにある。
探知魔法を取り違えたことで、キュルケは確信を得た。
何者かに操られているのか、それとも精神を錯乱させる魔法がかかっているのか。それはまだ分からない。
だが、とにかく彼女からあのナイフを取り上げ、破壊しなければ。
一触即発の空気が流れる。
モンモランシーは、すっくと立ち上がる。
そして次の瞬間、脇目も振らずに逃げ出した。
「こら! 待ちなさい!!」
もちろん、キュルケも急いでその後を追った。
遅れてギーシュも駆け出した。
(なになになんなんだ? 探知魔法って、『ディテクトマジック』のことじゃないのか?)
キュルケから逃げながら、モンモランシー……の手に握られているナイフは、内心そう呟いた。
そう、モンモランシーを操っているナイフの正体は、インテリジェンスナイフこと『地下水』なのだった。
(ガリアからの任務で『元素の兄弟』やメンヌヴィルの野郎と組んで……シェフィールドを奪還するはずだったってのに……)
このナイフもまた、ガリアからの命令を受け、秘密裏にアルビオンへと渡っていたのだ。
同じく『北花壇騎士』として任務に加わったメンヌヴィルと共に。そして、道中で『元素の兄弟』とも合流して。
元来、『北花壇騎士』は互いの素顔すら知らず、個別に任務を遂行する組織である。そのため、こうして一堂に会して任務にあたるのは、地下水にとっても初めての経験だった。それほどまでに、今回の任務は緊急を要し、なおかつ極秘裏に遂行すべきものだったのだろう。
ところが、その最中にあの二本角の女と遭遇してしまった。
こと戦闘能力においては自分以上と評される『元素の兄弟』の二人があっさり洗脳され、一行は散り散りに。
さらに、あのメンヌヴィルが裏切り、自分に向けて火魔法をぶっ放してきやがった。
そのせいで、途中でダミアンたちともはぐれてしまった。
(何が『悪いな地下水』だあの野郎! 前々から信用ならねえ奴だと思ってたけど、最悪な形で裏切りやがってぇ!!)
保身に走ったのか。それとも、あちらについた方が好き勝手できると思ったのだろうか。どちらにしろ、高潔で知られたあの『メンヌヴィル侯爵』の末裔とは思いたくもないほどのクソ野郎だ。
そんな災難に見舞われながらも、どうにか逃げ切ってみせた。
だが、操っていた肉体の方が限界を迎えてしまい、あの村で誰かが通りかかるのを待つしかなくなったのだ。
そこへ奇跡的に現れたのが、この少女だった。
彼女を操り、せめて周囲の状況だけでも確かめようと考えていたのだが……。
(こんなに肝を冷やしたのは、『レコン・キスタ』に所属していた頃以来だな……!)
そういや、この白の大陸に来るのも『あの時』以来か……。
どうも自分がアルビオンに来ると、それまでの常識を根底から覆すような出来事ばかり起こる。
そんな妙なジンクスができつつあるような気がした。
そういや、ヒンメルの旦那は今頃どうしてるかね――――。
「って、うわっ!!」
やばいやばい、そんなことを考えている場合じゃない。
地下水は過去への思いを振り払い、意識を現実へと引き戻した。
直後、『炎球』が地面に着弾し、爆発する。
爆風で吹き飛ばされそうになったが、モンモランシーを操る地下水は、身軽な動きで受け身を取り、再び逃げ出した。
「きゅ、キュルケ! もう少し穏便に頼むよ!」
「文句なら、あのナイフに言いなさい!」
そう言いながら、キュルケは再び杖を振り、火の玉を作り上げた。
『トライアングル』相応の、強烈な炎の塊である。ギーシュの手前、手加減はしてやりたい。だが、逃がしてしまっては元も子もない。
キュルケはそのまま、再び『炎球』を放った。
だが、今度はモンモランシーの方も反応したのか、ナイフを振り上げ、ルーンを詠唱。
すると、巨大な水の壁が出現し、キュルケの炎を受け止めた。
(トライアングルクラスのあたしの炎が防がれた? ドットクラスのモンモランシーに?)
キュルケは、炎と水がぶつかり合って生じた白煙の向こうに、モンモランシーの人影を捉えながら考えた。
少なくとも、今のモンモランシーは自分のクラスに匹敵する力を得ているということになる。
あのナイフには、持ち主の魔力を増強させる効果まであるというのか?
(それだったら……)
キュルケは再び杖を掲げ、魔力を練り上げ始めた。
〝魔力探知〟で、相手の居場所を正確に捉えながら。
(よし、これで視界を奪った。今のうちに……)
逆に、白煙で視界を遮ったことで、これ以上魔法が飛んでくることはないだろうと、
(……?)
だが、その直後、何か嫌な予感を覚えた。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた経験が、危険を告げていたのだ。
次の瞬間。こちらの姿など見えていないはずなのに。
まるで居場所を正確に把握しているかのように、煙の向こうの
「――――〝
刹那、これまで地下水が見たこともない、青白い魔力の球が飛来した。
(なんだ!? あの魔法は!!)
形状こそ『炎球』に似ているが、その実、まったく異なる性質の魔法だった。
かといって、『
未知の魔法が、一直線に迫ってくる。
地下水は咄嗟にもう一度『
(いやっ、何かヤバい!!)
直感的に危険を察知した地下水は、慌ててその場から横へ飛び退いた。
直後、先ほどの魔力の塊が水の壁をあっさりと貫き、そのまま飛んできた。
(なっ、馬鹿な! こんなにあっさり水の壁が貫かれるだと!?)
しかも、魔力を相殺されることすらなく。
魔力球は水の壁を突き抜け、さらにその奥の岩肌に着弾すると、そこに大きな穴を穿った。
もし咄嗟に回避行動を取っていなければ、どうなっていたことか……。
(てか、危なすぎないか、あの魔法! なんだ!? 一体、何の魔法なんだ、あれは!?)
このままあの褐色肌の少女とやり合うには、あまりにも危険すぎる。いっそ、あちらの方を操るべきだったか。
いや、今さらそんなことを考えても仕方がない。
どうすれば……。と、ここで地下水は背後に開いた穴へと意識を向けた。キュルケが先ほどの魔法で穿った穴だ。
どうやら、ここから地下へと通じているらしい。
穴の奥から吹き上がってくる風が、それを物語っていた。
(ええい、ままよ!)
地下水に操られたモンモランシーは、そのまま穴へと飛び込み、逃げていった。
「あっ、こら!」
「待ちたまえ、モンモランシー! どこへ行こうというのだね!」
二人もすぐさまモンモランシーの後を追い、穴の奥へと進んでいった。
キュルケとギーシュが、モンモランシーを操る『地下水』を追っていったのと同じ頃。
ルイズたちを助けるため、『レキシントン都市』へと向かっていたフリーレンたちの方では……。
「どぉわあああああああああああああっ!!」
現在、空から降り注ぐ砲弾の嵐を、フリーレンのドライビングテクニック一本でどうにかやり過ごしている真っ最中だった。
「み、みみミス・フリーレン! ななななんとかなりませぬか!?」
「喋らない方がいいよ。舌噛むよ」
運転席でハンドルを握るフリーレンは、助手席で悲鳴を上げるコルベールに、淡々とそう返した。その左手は、『ガンダールヴ』の刻印が光っている。
『ガンダールヴ』の武器、兵器解析能力を十全に発揮し、超人的な運転能力を披露していたのだ。
フリーレンは片手でハンドルを切りながら、素早くクラッチを踏み込み、ギアレバーを操作した。続けざまにアクセルを踏み込むと、エンジンが猛々しく唸りを上げ、ジープは一気に加速させる。
その間も、フリーレンの表情には微塵の焦りもない。
後部座席のザインとティファニアは、ただただ振り落とされないよう、必死にしがみついていることしかできなかった。
「ったく、なんなんだよチクショウ! 上からバカスカ撃ちやがって!」
「ひぃ、ひいぃいいいいいいっ!」
上空を見上げながら、ザインが怒鳴る。
隣のティファニアに至っては、言葉にならない悲鳴を上げることしかできない。
初めて意気込んで外の世界へ飛び出したというのに、数日も経たないうちにこの有様である。
冒険心を胸に旅立ったことを、早くも少し後悔し始めていた。
(外の世界って、こんな怖いことばっかりなのぉ!?)
おまけに車体が激しく揺さぶられるものだから、車酔いしそうになるのを必死に堪える始末。
突然、ジープの左脇で砲弾が炸裂した。
フリーレンが咄嗟にハンドルを切っていなければ、直撃していたかもしれない。
「一旦、森の中に隠れるよ」
そう告げると、フリーレンはハンドルを切り、ジープを森の中へと走らせた。
木々に遮られて標的を見失ったのか、砲撃はひとまず止んだ。
だが、フリーレンはそのまま森の奥へと突き進んでいく。
ガタガタと車体を大きく揺らしながら走り抜け、やがて急ブレーキをかけてジープを停止させた。
その衝撃で、ティファニアは前の座席におでこを思い切りぶつけてしまった。
「いたた……」
「大丈夫か、ティファニア?」
赤くなった額に治癒魔法をかけながら、ザインが声をかけた。
「はい、なんとか……。あの、ザインさん、フリーレンさん、コルベールさん」
「ん?」
「外の世界って……こんなに怖いものなのですか? 道を進んでいたら、いきなり砲弾の嵐が降ってくるなんて、普通にあることなんですか?」
「まさか。私だって、さっきみたいなのは初めてだよ。空を飛ぶ艦隊って、なかなかに脅威だね。アルビオンの空軍力が他国より優れているって言われる理由も分かるよ」
先ほどの無茶な運転でジープのどこかが故障していないか、点検しながらフリーレンは答えた。
それを聞いたティファニアは、「えぇ……」と困惑した声を漏らす。
同じ初体験だというのに、自分はおろおろしてばかり。
それなのに、フリーレンは顔色一つ変えず、あの窮地を切り抜けてみせたのだ。
本当に、同じエルフとは思えないくらい。
やっぱりこの人は、すごいエルフさんなんだなぁ……。ティファニアは、改めて尊敬の念を抱いていた。
「あの、フリーレンさんみたいになるには、どうすればいいんですか?」
「どうすればって言われてもね……あ、コルベール。スパナ」
「はい、これですね」
同じエルフということもあり、親近感や憧れがひときわ強いのだろう。
ティファニアは身を乗り出し、どうすればフリーレンのようになれるのか、しきりに尋ねてくるのだった。
「さっきの運転で、内部の部品が少し歪んだかもしれない。代わりの部品に取り換える」
とのことで、フリーレンはしばらくコルベールと共に、ジープの修理にあたっていた。
ザインはティファニアの治療を終えると、特にやることもなくなったため、二人の作業を黙って見守っていた。
そんな中、ティファニアはフリーレンに、色々話しかけていた。
「ザインさんから聞きました。フリーレンさんは千年以上も生きている、すごいエルフさんなんですって」
「……まあ、だらだら生きていただけだけどね」
「その、千年も生きていれば……わたしも、フリーレンさんみたいになれますか?」
「別に私みたいにならなくてもいいんじゃないかな? ティファニアはティファニアでしょ?」
修理の手を動かしながら、フリーレンは何気なくそう答えた。
わたしはわたし……。そう言われても、ティファニアはかえって困ってしまった。
自分が目指しているのは、まさに「フリーレンのような立派な冒険者のエルフ」なのだ。
期待していた答えが返ってこず、戸惑うティファニア。そんな彼女の肩を軽く叩きながら、ザインが口を開いた。
「人は誰しも長所と短所がある。無理してフリーレンの真似をする必要はねえ。それに、フリーレン自身も、お前にそんなことは望んじゃいないだろうぜ?」
「どういうことですか?」
「お前には『僧侶としての才能』があるだろう? あと、『虚無』ってやつもな。それらはフリーレンにも真似できねえ、お前だけの長所だ。そっちを伸ばしていった方が、いざという時、フリーレンだってお前を頼るようになるってことさ」
無理にフリーレンという理想像を追いかける必要はない。
知識や経験など、冒険を重ねていけば自然と身についていくものだ。
それよりも、互いにできないことを補い合うことこそ、チームとして重要なのだとザインは語る。
特に僧侶は、仲間を支える役割が大きい。
周囲の状況をよく見て、誰かが危険に陥りそうなら、率先して助けに動く。そうした気配りや判断力も大切なのだと、ザインは続けて説明した。
「……っていうことを、フリーレンは言いたいのさ」
「そういうこと。説明の補足ありがとう、ザイン」
「お前はもう少し、人に噛み砕いて教えるってことを覚えろ。相変わらず言葉が足りねえんだよ」
「それ、ハイターにもよく言われたけど、もう直らなさそうなんだよね。だから、こういうことは『僧侶』に任せることにしたんだ」
千年以上生きてきて、このコミュニケーション能力なのだ。今さら改善は見込めそうもない。
フリーレンは諦めたように微笑んだ。
「な? フリーレンだって完璧超人じゃねえ。できねえことだってある。そういう欠点を互いに補い合うのが、『対等』なチームってもんさ。そうやって経験を積んでいくことが、いずれ『一人前の冒険者』になることにもつながるんだぜ」
「なるほど……参考になります! ありがとうございます!」
ティファニアも、ようやく少し腑に落ちたような表情を浮かべた。
(チーム、ですか……)
そんなやり取りを、少し離れたところから微笑ましそうに見守っていたコルベール。
だが、ふと考えてしまった。……果たして、自分にそんな資格があるのだろうか、と。
かつて幾人もの人間を焼き殺し、その手を血で汚してきた自分が、この三人と肩を並べていてもよいものなのだろうか……。
「コルベール、手が止まってるよ」
「あ、す、すみません!」
フリーレンに声をかけられ、コルベールは慌てて作業を再開した。
しかし、その表情には、なおもどこか憂いの色が浮かんでいた。
ティファニアは気づかなかったが、ザインには、彼が何を考えているのか、なんとなく察しがついていた。
(……何か言ってやるべきかね)
そう考えていた時、ティファニアがちょいちょいとザインの肩を叩いた。
「ザインさん、ここ、気になっていたんですけど……」
「ん? ……あ」
ティファニアに促され、ザインは周囲に目を向けた。
すると、二人は何かに気づいたように、小さく声を上げた。
「ここって……もしや」
「ですよね?」
「どうしたの?」
フリーレンはジープの車体から顔を上げ、二人を見た。
「いや、どうやらこの森、俺たちが最初に出会った場所みてえなんだ」
「ザインとティファニアが?」
「ええ。ほら、ここ。焚き火の跡がありますよね?」
ジープの修理をひとまず中断し、二人に案内されるまま進んでみると、確かに焚き火の跡が残っていた。
「どうやら俺たち、来た道を逆戻りしてきたみてえだな」
だが、それも仕方がない。
ダータルネス港でルイズからのSOSを受け、ジープで救援に向かうことになったのだ。
ルイズと一通り話を終えた頃には、フリーレンの意識も戻っていたらしく、コルベールと運転を交代。それから数時間後、上空から突然の襲撃を受けたのである。
砲撃から逃げ回るうちに、いつの間にかこちらの方角へ戻ってきてしまったらしい。
それよりも、だ。
「ということは……」
「ああ。俺がハルケギニアへと迷い込むきっかけになった鏡が、ここにある」
フリーレンたちはザインの案内で、さらに森の奥にある洞窟へとやってきた。
幸い、上空に飛行船の気配はない。再び発見される前にと、一行は洞窟の中へ入っていった。
「これが……」
「ザインさんの言っていた……」
コルベールとティファニアが、感嘆の声を漏らす。
二人の目の前には、人一人をすっぽりと映せそうな、大きな鏡が鎮座していた。
「うん。これも異界へとつながる鏡みたいだね。しかも、こっちにはまだ魔力が残っている」
「じゃあ……」
「そうだね。この魔力を解析できれば、私たちが元いた世界に帰ることも可能だと思う」
とりあえず、元の世界へ帰るための手がかりは見つかった。
そのことに、ザインはほっと胸をなで下ろす。
「逆に、この鏡をフェルンたちが見つけられれば、みんなもこっちに来られるんじゃないかな?」
「そんなことまでできるのか?」
「まあ、解析してみないことには分からないけど」
そう前置きすると、フリーレンはおもむろに、近くの机に置かれていた本を手に取った。
そして、その角を鏡に叩きつけた。
パリンッ! と鏡が割れる音が、洞窟の中に響き渡る。
突然の暴挙に、一同は揃って唖然とした。
「ちょっ、何してんだお前ぇええええ!!」
「どどどどうしたのですか、ミス!? 一体何を……!」
「二人とも、何をそんなに慌ててるのさ。大きすぎて持っていけないから、割って破片にしてるだけじゃん」
さすがに、フリーレンの持っている鞄でも、この大きさの鏡は入らない。
なので、破片にして持ち運ぼうと考えたのだった。額縁はそこまで重要ではないし。
だが、事前の説明もなしにいきなりそんなことをされた周囲は、心臓が飛び出るほど驚いていた。
「破片にしちゃって、後で元に戻せるんですか?」
「〝鏡を復元する魔法〟があるから、問題ないよ」
「へえ……魔法って、そんなことまでできるんですね……」
「頼むから、そういうことは先に言ってくれ……」
つい数分前、コミュニケーション能力の不足を指摘されたばかりだというのに、この有様である。
仕方がないとはいえ、本当にどうにかしてほしいと思うザインだった。
「……それで、結局ここは何なのでしょうか?」
フリーレンが割った鏡の破片を回収している間、コルベールはふと周囲を見渡した。
ここにあるのは、鏡の台座と本棚、そして一人用の机だけ。
至極簡素な造りだったが、何気なく本棚から一冊の本を手に取り、ページを開いたコルベールは驚いた。
そこに記されていたのは、見たこともない難解な文字。
だが、添えられた図を見るだけでも、その内容の一端は理解できた。
火の扱い方。電気と波長の関係。そして、見たこともない形状の器具。
(これは……銃か?)
その構造についても、詳細な図解が記されていたのだ。
「多分、私の師匠の書斎だ」
フリーレンがぽつりと呟いた言葉に、コルベールは素早く振り向いた。
「し、師匠といいますと、ミス・ゼーリエではなく……」
「その弟子のフランメの方だよ。私の師匠といったら、基本的にはそっちだから」
フランメについては、ジープでの移動中に話を聞いていたため、コルベールもある程度は知っていた。
千年以上前にいたという、人間の魔法使い。
フリーレンのいた世界で、魔法を平民にまで広めたという賢人だという。
コルベールは改めて、手元の書物に目を落とした。
文字は読めない。だが、そこに描かれた図の数々は、どれも彼の知的好奇心を強く刺激するものばかりだった。
自分の知らない知識が、この書斎には眠っている。
そう思うだけで、コルベールは胸の奥から探究心がむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。
「ちょっと見せて」
フリーレンにそう言われ、コルベールは素直に本を手渡した。
代わりに、鏡の破片の回収はザインとティファニアの仕事となった。
「……すごいね。大半の文章が暗号化されてる。これ、私じゃないと解けないやつだな」
まだ師匠が健在だった頃、さまざまな魔法理論を暗号化する場面に立ち会ったことがあった。
その時に使われていた暗号の法則と、非常によく似ている。
『この暗号の解き方を教えたのは、お前だけだぞ、フリーレン』と、そんなことを得意げに言っていた師匠の顔まで思い出した。
「何が書かれているのです?」
「コルベールが研究していたものと同じような内容かな。雷を利用した高度な反応実験、火薬の爆発による衝撃で弾丸を飛ばす原理……あ、『未踏破の洞窟』を守っていたガーゴイルやゴーレムの製作法まである」
「そ、そんなことまで調べていたのですか!? あなたの師匠は!?」
自分が長年研究してきた科学の原理まで、フランメはすでに解き明かしていたというのか。
驚愕するコルベールだったが、フリーレンはその問いに首を横に振った。
「……いや、師匠は魔法使いだからね。魔法を一切使わない技術を、一から考案したことはなかったと思う」
「では、この本は……?」
「多分、ズルをして解析したんだと思う。順序が逆なんだ」
「……どういうことですか?」
コルベールは目を細め、問いかけた。
その眼差しには、先ほどまでとは違う強い好奇心が宿っていた。
よほど知的探究心を刺激されたのだろう。無理もないことだが。
「私たちがアルビオンに来る前、『未踏破の洞窟』を踏破したことがあるんだけど、そこには『サイトの世界で作られた武器』が置かれていたんだ。師匠はそれらを魔法で解析し、仕組みを逆算して、この本にまとめたんだと思う」
フリーレンはぱらぱらとページをめくった。
暗号化された文章を軽く読み解いてみると、見出しと思われる箇所には、「別大陸のオーバーテクノロジーの解析法」と記されていた。
「分解した部品の一つ一つに、それぞれ『色別』の魔力を込める。そして、復元した際に各部品がどう動くのかを魔法で記録し、どんな原理で『それが動くのか』を検証していたみたいなんだ」
理解の及ばない仕組みで動いているからこそ、『どうやって動いているのか』を魔法によって解き明かす。
それこそネジ一本に至るまで、各部品に異なる性質の魔力を付与し、組み立て直しては動作を確認する。
さらに、魔力の付与方法を変えながら何度も検証を繰り返すことで、個々の部品がどのような役割を果たし、どう連動しているのかを突き止めていくのだ。
魔法の及ばない技術だからこそ、魔法を使って解析し、『科学を理解』する。
端的に言えば、フランメはそうした手法で未知の技術を解き明かしていたのである。
「そ、そんなことが……」
「できると思うよ。あの人は本当に、いろんなものを作ってきたからね」
この手法を応用すれば、コルベールにもできるかもしれない。
『ガンダールヴ』の解析能力に頼らずとも、『サイトの世界の武器』の仕組みを解き明かすことが。
「他に! 他にはどんなことが書かれていますか!」
コルベールはもう、新しいおもちゃを見つけた子供のような顔で身を乗り出してきた。
あまりの食いつきように、ザインもティファニアも少し驚いた目でコルベールを見ていた。
「まあ……これ以上はちょっと、解読してみないと分からないね。あとは……」
一方、コルベールの性格をよく理解していたフリーレンは、その反応にも特に動じることなく、本のページをぱらぱらとめくっていく。
すると、途中から急に白紙のページが続き始めた。
どうやら、そこから先は何も書かれていないらしい。
「あれ……白紙ですか?」
文字の読めないコルベールにも、そのことだけはすぐに理解できた。
フリーレンは、どこまで文章が記されているのかを確かめるべく、ページを遡っていく。
……あった。
最後に文字が記されていたページには、暗号化されていない文章が、大きな文字でこう綴られていた。
『やめよう。私は魔法使いだ』
『確かに、この理論を突き詰めていけば、いずれは〝魔法を使わない技術〟の確立に至るかもしれない。それは人々の生活水準を飛躍的に向上させることだろう』
『だが、それは私の理想とは異なるものだ』
フリーレンはコルベールたちにも分かるよう、声に出して読み上げ始めた。
『今、最も懸念すべきは、〝魔族〟がこの技術を盗み、悪用する可能性だ。特に魔王軍がこのオーバーテクノロジーの存在を知れば、積極的に取り入れようとする姿が容易に目に浮かぶ。罪悪感を持たぬ連中の手に、これらの兵器が渡るほど恐ろしいこともあるまい』
「何よりも……」
フリーレンは続けて読み上げる。
『私の夢は、〝いろんな人に魔法の楽しさを知ってもらう〟ことだ。魔族から卑怯者と罵られようとも、私は魔法使いだ。その在り方から外れるつもりはない』
「だから、この研究はここまでにする。これ以上は、魔法とは関係のない研究分野へと踏み込んでいくことになるからだ。そこに貴重な時間を費やすわけにはいかない」
フリーレンは、師匠が遺したであろう文章を淡々と読み上げていく。
『だが、ここまで興味深い研究成果を処分してしまうのも惜しい。故に、この書は破棄せず、ここに隠しておくことにする。いつの日か、再びこの本を開く者が現れることを願って』
そして最後に、締めくくりとして記された一文を読み上げた。
『願わくば、この兵器の恐ろしさを理解した上で、この書に記した知識を正しく扱える者が現れることを祈るばかりである。――――フランメ』
フリーレンはそこまで読み終えると、静かに本を閉じた。
「……だってさ、コルベール」
こうして、『未踏破の洞窟』でフリーレンたちも目にした『未知なる兵器』についての研究は、途中で打ち切られていたことが明らかとなった。
その時、フリーレンは本の最後のページの片隅に、ある文字が刻まれていることに気づいた。
こちらは現代のハルケギニア文字。それも、比較的新しい筆跡だった。
(……誰か、ここに来たのかな)
そこには、こう記されていた。
この世界を希望で繋いでくださったこと、感謝いたします。フランメ様。
リヨン・マーテル・ド・ワルド。
(ワルド?)
名前からして、彼の血縁者がここを訪れていたのだろうか。
筆跡も比較的新しい。彼の家族だとすれば、母親か叔母あたりだろうか。
まあ、後で本人に聞けば分かることか。フリーレンは、その名前だけを記憶の片隅に留めておくことにした。
「この本に書かれているのは、多分、コルベールが知りたがっている『技術』の分野だね。もっとも、そのさわりだけみたいだけど」
「そ、そうなのですか……」
コルベールは、ごくりと唾を飲み込んだ。
フリーレンは本をコルベールに手渡すと、周囲の本棚へと目を向けた。
「どうやら、ここの本棚にある書物の内容をまとめたのが、その本みたいだね。それ一冊持っていけば、事足りるかな」
「み、ミス・フリーレン……この本は……どうするのです?」
「ああ、それ?」
フリーレンはしばし、いつもの無表情でコルベールの手にある本を見つめた。
そして、何とも言えない表情を浮かべる彼の顔へと視線を移す。
その瞳の奥に、かすかに燃える情熱の灯を見抜いたかのように。
「いいよ。コルベールにあげる」
「……え?」
期待と動揺が入り交じった面持ちで、コルベールはフリーレンを見た。
「い、いいのですか? ミスの師匠が遺された書物なのでしょう?」
「コルベール。師匠が最後に書いていたように、私もフランメも『魔法使い』だ」
だからこそ、魔法とは関係のない分野に、今のところ積極的に携わるつもりはない。
「もちろん、協力してほしいことがあれば手伝うけど、自分からこの本に書かれている研究を進めるつもりは、今のところないよ」
「で、では……ミス・ゼーリエなどは? あの方はフランメ殿の師匠なのですよね?」
「断言してもいいよ。ゼーリエも絶対に受け取らない」
魔法とはまったく関係のない分野というだけでも、へそを曲げそうなのに。
おまけに、その知識を『他者に教え広めようとしている本』なのだ。
あらゆる面で、ゼーリエの地雷を踏み抜いている書物と言っていい。
下手をすれば、渡した途端に破り捨てられるかもしれない。
コルベールの額には、再び汗が滲み始めていた。
手が震える。この本を解読するだけで、ハルケギニアの技術はどれほど進歩するのだろうか……。
「そこまで期待しない方がいいよ。ページ数からして、本当にさわり程度だろうから」
「それでも、私には確信があるのです。ここに記されている知識は、私の構想を大きく飛躍させるものになるだろうと」
だからこそ、今のコルベールの心は、好奇心と恐怖の間で揺れ動いていた。
この書物を解き明かしたい。だが、罪にまみれた自分などが、その知識を手にしてもよいのだろうか……。
相反する二つの感情が、胸の内でせめぎ合っている。
そんな時、ふとゼーリエの言葉が脳裏をよぎった。
『過去からの声を聞け』
(これもまた、
ゼーリエがこの書物の存在まで意識して、あの言葉を口にしたのかは定かではない。
ただ、少なくともコルベールには、そう思わずにはいられない何かがあった。
「で、どうするの? 急いでるし、そろそろ外に出ようと思うんだけど……」
鏡の破片は、すでにすべて回収し終えたらしい。
フリーレンは何気なく、固まったままのコルベールが抱える本に手を伸ばした。
しかし、いくら軽く引っ張っても、コルベールは本を放そうとしなかった。
そんな彼の様子に、フリーレンは思わず苦笑した。
「いいよ。だから、それはコルベールにあげるって」
「……本当に、いいのですか?」
「むしろ、師匠を超えるくらいのことを期待してるよ。私も驚くような発明をして、ゼーリエを悔しがらせてやって」
今さらスカウトしようとしても、もう遅いってね。
フリーレンがにやりと笑うと、コルベールもまた、小さく頷くのだった。