「では、この書は頂きます。ありがとうございます、ミス・フリーレン」
「お礼は私じゃなくて師匠に言った方が良いと思うよ」
「そろそろ外に出ねえか、フリーレン。急ぐんだろ?」
ここで、空気を読んで黙っていたザインが、鏡の破片を詰めた袋を持ち上げながら言った。
「……まあ、急いでも仕方ないとは思うけど」
「どういうこった?」
「もうレキシントン都市での戦闘は終わったらしい。アウラが勝利したみたいだ」
その言葉に、三人は驚きの表情を浮かべた。
フリーレンがそれを知ったのは、ここへ来る前のこと。使い魔との耳目共有を通じて、戦況を把握していたのだ。
もっとも、ルイズはそれどころではなかったため、フリーレンが様子を見ていたことには気づかなかったようだが。
「じゃ、じゃあミス・ヴァリエールたちは……」
「死んではいない。少なくともルイズとシエスタはね」
その言葉に、コルベールは息を呑んだ。ティファニアも不安げに身体を震わせる。
「だけど、速く向かうにこしたことはないか」
フリーレンは最後に、先ほどから気になっていた魔力の痕跡を調べることにした。
どうやら、机の中に何かあるらしい。引き出しを開けると、そこには小さな石片が収められていた。
「おい、フリーレン。それって……」
「女神の石碑の破片だね。『未踏破の洞窟』にもあった」
道理で、この周辺に厳重な『対魔族用の結界』が張られているわけだ。
恐らく、魔族に悪用されないよう、この場所だけは特に厳重に守られていたのだろう。
(多分、ここが師匠の記していた場所なんだろうね)
ザインに『未踏破の洞窟』で起こった出来事を説明しながら、フリーレンはそう思った。どうやら、思いがけない形で、師匠が地図で記録に残していた場所へたどり着いたらしい。
「とりあえず、外に出よう。ルイズたちと合流しないと」
こうして、一行は洞窟を後にした。
異界をつなぐ鏡の破片、フランメの書物、そして女神の石碑の破片を手にして。
「どうやら、敵さんも向こうへ行っちまったみてえだな」
再び走り出したジープの後部座席で、ザインが呟いた。
現在、一行が走っているのは、なだらかな山肌を通る道だ。
ゴトゴトと車体を揺らしながらも、ジープは力強く前へと進んでいく。
「しかし、もう戦いが終わっているとは……」
「途中からルイズと耳目共有していたけど、みんな無事でいる可能性は高いと思うよ。今はそれに懸けるしかないね」
ルイズの視点からではあるものの、フリーレンは耳目共有によって、ある程度の状況を把握していた。
ルイズたちがダミアンという人物に助けられたこと。
そして、彼の話によれば、アニエスやアンリエッタもジャネットによって逃がされたらしいこと。
そうした情報は、すでに全員に共有していた。
今はとにかく、ルイズたちが身を休めている場所へ向かっている最中だ。
まずは彼女たちと合流しなければならない。
「しっかし、話を聞いてると、そのシエスタって子は何者なんだ? お前が〝前衛〟として連れているってことは、只者じゃないんだろう?」
一通り説明を聞いたところで、ザインがふと尋ねた。
聞けばその、シエスタというメイド。ルイズと背中合わせに縛られたまま、あの戦場を生き延びたというのだ。
並の戦士でも、そう簡単にできることではないだろう。
「ええ。トリステイン魔法学院で働いていたメイドの少女……という印象で、特に変わったところは感じませんでしたが……」
黒髪が目立つこと以外は、至って普通の少女だったはずだ。
学院で知るシエスタの人となりを見てきたコルベールが、運転しながらそう答える一方、助手席でフランメの書物を解読していたフリーレンは、さらりと言った。
「南の勇者の末裔だよ」
それを聞いたザインは、思い切り噴き出した。
「あっ、あの人、子供がいたのか!?」
「直系ではなく、傍系の血筋らしいけどね。それでも、その片鱗は徐々に現れ始めていると思うよ」
「南の……勇者?」
当然ながら初耳だったコルベールとティファニアは、なぜザインがこれほど狼狽しているのか分からず、揃って首を傾げた。
「何者なのですか? その南の勇者というのは」
「……まあ、一言で言やあ、『人類最強の勇者』ってところだ」
「へぇー、すっごく強い方なんですか?」
ティファニアが、子供のように純粋な疑問を口にする。
コルベールもまた、困惑した表情を浮かべていた。
いきなり『人類最強』などという言葉が飛び出したのだから、無理もない。
「まあ、端的に言えば、『アウラクラスか、それ以上の魔族八人を相手に、たった一人で戦い、その半数を討ち取った人』かな」
「えっ、あのアウラ……と、ですか?」
少なくとも、アウラの恐ろしさは、この時点で十分すぎるほど理解していたコルベールである。
フリーレンの言葉を聞き、思わず身を震わせた。
『あれ』と同等か、それ以上の魔族が八人。その全員を相手にして、半数を討ち取ったというのか……!?
「ちなみに、その中には今の私でさえ勝てないと思うような魔族もいる。何より、アウラ本人もその戦いに参加していたっぽいんだよね」
まあ、十中八九逃げたんだろうけど。
フリーレンの言葉に、コルベールとティファニアは、ただただ驚嘆するばかりだった。
確かに、それならば『人類最強』という称号にも納得がいく。
「あ、あの子が……その末裔だと?」
「現時点ではまだまだだけど、将来性は十分だからね。ここに来る前にも、クンデンホルフの『
『
それを白兵戦とはいえ、アニエスと共に退けたと聞き、コルベールはさらに唖然とした。
あんなにおっとりとしていて、礼儀正しい少女が、まさかそんな……。
「……なんだかもう、この戦いが終わる頃には、何が起きても驚かない自信がつきそうですよ、ミス・フリーレン」
「それだけ世の中は未知で溢れているってことだよ。まだまだ楽しめそうでよかったじゃん、コルベール」
さて、そんな会話を交わしながらも、一行は先へと進んでいた。
高所にある狭い山道を慎重に進み、ようやく目的地が近づいてきた頃。
山の向こう側に、衝撃的な光景が広がっていた。
「……あれは」
一度ジープを停車させたコルベールが、『遠見』の魔法で遠方を見据えた。
現在地から見下ろせる、見晴らしのよい草原。
そこに築かれた村落が、黒煙を上げていた。上空に展開する、数十隻もの艦隊によって。
「うわ……」
「酷い……」
ザインとティファニアも、その光景に顔をしかめることしかできなかった。
まるで、一行の進路を阻むかのように展開する艦隊。
その進路上にあるものは、すべて容赦なく蹂躙するつもりなのだろう。そこに慈悲など、微塵も感じられなかった。
「……どうしますか、ミス・フリーレン」
「このまま突っ込むのは得策じゃないね」
村の様子を確かめるにしろ、生存者を探すにしろ、ルイズたちのもとへ向かうにしろ。
あの艦隊をどうにかしない限り、先へは進めそうもない。
「魔法で飛んで撃墜するには、ちょっと遠いね。ロイヤル・ソヴリンの時は、砲撃するために向こうから近づいてきてくれたから、何とかなったけど」
「かといって……この見晴らしのよさでは、どう動いても相手に気づかれてしまいますな。さて、どうしたものか……」
いっそのこと、このジープが空を飛べれば……。
コルベールが小さくそう呟いた。
その言葉が耳に入ったのかどうかは分からないが、フリーレンはふと思い出したように、懐から女神の石碑の破片を取り出した。
そこに刻まれたフランメの文字を見つめる。
「コルベール、一つ考えがあるんだけど」
「あの艦隊を突破する方法があるのですか?」
艦隊から見つからないよう、ジープを岩陰に隠しながら、コルベールが尋ねた。
「コルベールが目指している技術の極致が。もしかしたらこれから見られるかもしれないよ」
フリーレンは、にやりと笑みを浮かべて答えた。
さて、一行は一度その場を離れ、山の奥に広がる、見晴らしのよい草原へとやってきた。
今日は雲一つない、澄み渡った青空が広がっている。
遠方には、まるで小バエのように小さく見える艦隊の姿があるばかりだった。
「こんなところで、一体何をしようってんだ?」
停車したジープから降りたザインが、先を歩くフリーレンに尋ねた。
少し遅れて、ティファニアも車から降りてくる。
これから何が始まるのだろう。そんな好奇心に満ちた眼差しで、先輩エルフの背中を追っていた。
「サイトの世界の力を、ちょっと借りようかと思ってね」
フリーレンはそう言うと、懐から三つの石片を取り出した。
『未踏破の洞窟』で手にした二個、そしてさっきの書斎でも持ち出した『女神の石碑の破片』だ。
「そいつぁ……『女神の石碑』のやつか?」
「さすがザイン。飲んだくれでも僧侶なだけあって、すぐに気づいたね」
「飲んだくれは余計だ。まあ、事実だけどよ」
ザインはフリーレンから石片を一つ受け取ると、まじまじと見つめた。
「女神の石碑?」
「俺たちの世界で信仰されている『女神様』が遺した石碑だ。強力な魔法が込められているとされているんだが……まさか、この世界にもあったとはな」
ティファニアの疑問に答えながら、ザインは石碑から感じられる膨大な魔力を探った。
「だが、確か女神の石碑は、有史以来ずっと未解読のままだぜ。これ、お前は使えるのか? フリーレン」
「ザインの協力と、『ガンダールヴ』があれば、いけると思うよ」
フリーレンは左手の甲に刻まれたルーンを、ザインに見せながら言った。
「まぁた変な魔法実験でもしたのか?」
ザインは半ば呆れた顔で、その契約印を見つめた。
「まあ、そんなところだね。でも、このルーンに込められた魔法は強力だよ。女神様の魔法にも匹敵するかもしれない」
「そりゃあ大きく出たな。……んで、俺は何をすればいい?」
「幸い、ここには『担い手』のティファニアがいる。ザインは彼女のサポートをしてあげて。この場で聖典を正確に解読できるのは、ザインしかいないから」
「ふぇ? わ、わたしですか?」
「むしろ、今回の主役は『担い手』でもあるティファニアだよ」
フリーレンはそう言うと、三つある『石碑の欠片』のうち、一つをザインに、もう一つをティファニアに手渡し、最後の一つを自分の手元に残した。
それと同時に、鞄から取り出した『始祖の祈祷書』をティファニアに手渡す。
「それを持って、十メイルくらい離れて。ザインも一緒に」
そう言われた二人は、不思議そうに首を傾げながらも、フリーレンの指示に従った。
「ミス・フリーレン、私は何かお手伝いすることはありますか?」
コルベールが問いかけると、「今はないよ。まあ、見てて」と返されたため、フリーレンの隣で成り行きを見守ることにした。
一体、何をするつもりなのだろうか。この行為が、あの艦隊を退ける一手となり得るのだろうか。
コルベールはわずかな不安と、それをはるかに上回る好奇心を胸に、フリーレンの動向を見守っていた。
「準備はいい?」
「はい! なんとかやってみます!」
何をするのかはよく分からないが、とりあえず、いつでも動けることをティファニアは伝えた。
「じゃあ、まずはその石を地面に置いて。私も置くから」
言われたとおり、ティファニアとザインはそれぞれ石碑の欠片を地面に置いた。
フリーレンも同様に、自分の持つ欠片を地面に置く。そして、杖を呼び出した。
「これから『ある魔法』を使う。それは、ブリミルが生み出した系統魔法『虚無』に、おそらく関係するものだ」
「きょ、『虚無』ですと!?」
コルベールは思わず唸った。
まさか、彼女はもうそこまで至ったというのだろうか。
六千年前から失われた、幻の系統魔法。『虚無』の完全解析に。
「まだ完全には解析できていないよ。でも……一部を模倣して、再現できるかもしれない。今はそこまで来ていると思う。それをここで試してみようってだけだ」
何の因果か、今この場には『担い手』『使い魔』『秘宝』という、始祖に関する重要な欠片がそれなりに揃っている。
もし何の手がかりもなければ、フリーレンといえども『虚無』の解析には、なお数百年を要しただろう。
だが、こうして始祖の遺した品々を数多く手に入れたことで、その解析速度は飛躍的に向上していた。
その成果の一端を、ここで披露しようというのだ。
「再現……何を再現するのですか?」
「〝別世界より兵器を呼び出す魔法〟だ」
フリーレンはそう言うと、紅玉をはめ込んだ長い杖を頭上に掲げた。
やがて、天をかき混ぜるかのように、杖をくるくると回し始める。それに伴い、草木を揺らしていた微風に、どこか怪しげな生暖かさが混じり始めた。
次の瞬間。フリーレン、ティファニア、ザイン。
三人の足元に置かれた石碑の欠片が、一斉に光り輝き始めた。三つの光は互いに結びつき、弧を描きながら、地面に大きな円を形成していく。
さらに、その円の内側に、五芒星を模した紋様が浮かび上がった。ハルケギニアでは広く知られる、五つの系統を象徴する魔法陣。
その形が、光によって徐々に描き出されていった。
「『未踏破の洞窟』で、フランメはサイトの世界から呼び出した兵器を組み込んだゴーレムを作っていた。多分、師匠もこうやって兵器を呼び寄せていたんだろうね」
その力の核となるのが、女神の石碑だ。
膨大な魔力を秘めた石碑の力を、独自に解析し、利用できるようにしたのだろう。
恐らくだが、『水のルビー』を象る宝石も、この『石碑の欠片』を切り出して作られたものではないか。
そう推測するほどに、『虚無』の魔力には、女神の魔法とどこか通じる流れが感じられた。
「あなたのお師匠は、その石碑に秘められた力を解読し、利用していたということですか?」
「いや、直感だけど、解読したのは
あくまで憶測にすぎない。
だが、有史以来、誰にも解読できなかったこの石碑の一部を読み解き、その力を取り込んで活用していた人物がいるとすれば――――。
「多分、ブリミルだ」
次の瞬間、光り輝く石碑の欠片から、文字が宙へと浮かび上がり始めた。
現れたのは、ルーン文字。ルイズたちハルケギニアのメイジにとっては、馴染み深い呪文の文字だ。
ただし、その中には不可解な文言も混ざっていた。
恐らく、容易に解読されないよう、ところどころに意味不明な文字列を織り交ぜ、第三者が魔法を使えないようにしているのだろう。
そして、その不可解な文字列を目にしたザインが、驚きの声を上げた。
「おい、フリーレン! この文字……!」
「やっぱり、僧侶なら分かるよね。そう、これは『虚無』のルーン文字と、女神の魔法が隠された暗号文を組み合わせたものだ」
「マジか……! 女神様の魔法を独自に解読していたってのか? その……ブリミルとかいう魔法使いは!?」
「仮にそうだとしたら、私以上の大魔法使いになるよね。僧侶でもないのに、女神の魔法の高みにそこまで近づいた魔法使いなんて、それこそゼーリエくらいしか思い浮かばないから」
ザインは改めて、この世界で『始祖』として崇められるブリミルの技術の高さに、感嘆の念を抱いた。
女神の魔法は、現代でも未解明のものが多い。
聖都の記録によれば、解明されているのは全体の三パーセントに満たないとも言われている。
それを大昔の一人の魔法使いが、独自に解読し、取り入れて活用していたというのなら。それは、フランメにも並ぶほどの偉業と言ってよいだろう。
「それよりもザイン、この文字、解読できる?」
「えっ、あ、ああ。これくらいなら、なんとかな」
解読には高度な知識を要するものの、暗号そのものは、ザインなら一目で読み解ける程度のものだったらしい。
……もっとも、そのザイン自身が、僧侶の中でもかなりの実力者なのである。彼を基準にしてよいのかと言われれば、まったく参考にならないのだが。
「じゃあ、ティファニア。ザインが読み解いた呪文を、今度は魔法を使う時みたいに唱えてみて。そうすれば、魔法が発動するはずだから」
「は、はい!」
すぐさま、ザインとティファニアによる共同作業が始まった。
ザインが宙に浮かんで回転する文字列を読み解き、その内容を口頭でティファニアに伝えていく。ティファニアは、それを一つずつ復唱していった。
すると、彼女の身体の内側に、不思議な高揚感が芽生え始めた。まるで温かな律動が、全身をゆっくりと巡っていくような感覚。
それと呼応するかのように、手にした『始祖の祈祷書』もまた、淡い光を放ち始めた。
「こ、これは……!」
思わずティファニアがページをめくると、そこには光り輝く文字で、何事かが記された文章が浮かび上がっていた。
残念ながら、光が強すぎて何が書かれているのかまでは読み取れない。
これは『虚無』に目覚めていながらも、魔法の習得に必要な『指輪』を持っていないためだろう。
「ティファニア、感覚でいいからルーンを唱えるんだ。細かいところは私がサポートするから」
「わ、分かりました!」
言われたとおり、ティファニアは目を閉じ、神経を研ぎ澄ませた。
すると不思議なことに、断片的ながらも、ルーン文字が頭の中に浮かんでくるようになった。
ティファニアは、とりあえず浮かんできた言葉を口にしてみる。
彼女がぽつりぽつりと呟くたびに、フリーレンは杖を振り、宙に浮かぶ文字列を弾いたり、杖の紅玉へと取り込んだりし始めた。
ザインは引き続き、ティファニアのサポートに徹している。
コルベールだけが、何が起こるのかを冷静に見極めようと、少し離れた場所から一連の作業を見守っていた。
「よし、いける」
やがて、フリーレンはそう呟くと、杖を一振りした。
それまで宙を回っていた文字列が、すべて消え去る。
そして、杖先を地面へと向けた。すると、三つの石碑の欠片を結んでいた光の輪、その内側がまばゆく輝き始めた。
そこから『何か』が、ぬるりと地面をすり抜けるように浮かび上がってきたのだ。
「……なっ!」
「なんだ……こりゃあ……?」
「ふぇ……え?」
コルベール、ザイン、ティファニアの三人は、それぞれ目を見張り、驚きのあまり言葉を失った。
ただ、フリーレンだけはいつもどおり、淡々とした様子だった。
地面に向けていた杖を、まるで釣り竿を引き上げるかのように、大きく頭上へと振り上げる。
それに伴い、『それ』はついに全貌を現した。
現れたのは、一見すると『灰銀の魔鳥』だった。嘴のように鋭く突き出した頭部。風を切り裂くためだけに研ぎ澄まされたその形状は、槍の穂先にも似ている。
全身を覆うのは、鈍い灰色。だが、単なる鉄の色ではない。まるで霧の中へ溶け込むかのような、不気味な薄い光沢を帯びていた。
その機体には一切の無駄がなく、鱗も、飾り羽も、余計な隆起すら見当たらなかった。
これは、一体何なのだろうか。
ぽかんと口を開け、答えの見つからない疑問に囚われている三人をよそに、フリーレンだけがてくてくと歩き出した。
その頃には、石碑の光もすっかり消え失せ、周囲にはいつもの穏やかな空気が戻っていた。
フリーレンは『左手』を光らせ、この鋼鉄の鳥の正体を探る。
やがて、三人に向かってこう告げた。
「『F-22 Raptor』。アメリカという国で作られた、魔法を使わない『空飛ぶ兵器』。……戦闘機っていうんだってさ」
「せんとうき?」
「魔法を使わずに……飛ぶ? これが?」
ティファニアとザインは、不思議そうな目で、地面から現れた『F-22』を見つめていた。
ただ、コルベールだけは何かを思い出したような顔をしていた。
そうだ。どこかで見たことがあると思ったら……。
「タルブ村で……銅像として残されていた、あの『ゼロ戦』の仲間……ということですかな?」
「そうみたいだね。しかも、それを何段階も進化させたものらしい」
フリーレンはそう言うと、機体の側面に収納されていた細い梯子を引き出した。
そして、操縦席を覆うキャノピーを開く。
初めて触れるとは到底思えない。まるで、機体の構造をすべて理解しているかのような、迷いのない動きだった。
「なあ、フリーレン。それ、お前は見たことあるのか? 初めて触るとは思えねえんだが」
「いや、私も初めて見るよ。この兵器の構造を理解できるのは、『ガンダールヴ』のおかげだ」
フリーレンは左手に刻まれた紋様を、ザインに見せた。
「『ガンダールヴ』?」
「ブリミルが作った『契約刻印』の一つ。ありとあらゆる兵器の構造を理解し、一瞬で操れる能力を備えているんだ」
「マジか……。女神の魔法も、こんなよく分かんねえモノの仕組みも解析できるってのか? ブリミルってのは?」
「伊達に『すべてのメイジたちの始祖』って呼ばれているわけじゃないんだろうね」
「ややっ! 見てください、ミス・フリーレン! この座席の上に、何やら箱のようなものがありますぞ!」
興奮冷めやらぬ声で、宙に浮いていたコルベールが操縦席の中を指差した。
フリーレンもそちらへと目を向ける。確かに、木箱のようなものが置かれていた。
その表面には、『ハルケギニアの言葉』でこう記されている。
『この戦闘機を飛ばす前に、まずはこの箱を開けてほしい』
「……どうして、ハルケギニアの言葉が?」
コルベールは冷や汗を浮かべながら、箱に記された文字を凝視した。無理もない。フリーレンも同じ疑問を抱いていた。
「……この兵器の持ち主は、ハルケギニアのことを知っている人間ってことになるけど」
「は、早く! 早く開けてください、ミス!」
欲しかったおもちゃを目の前にした子供のような顔で、フリーレンをせっつくコルベール。
ザインも内心では(子供か)と突っ込んでいたが、さすがに口に出すのは控えた。
フリーレンは杖を振り、木箱だけを浮かせて地面に下ろすと、その蓋を開いた。
中には、緩衝材として敷き詰められた藁の上に、見慣れない服と、兜のようなものが収められていた。
そして、その上には一通の手紙が置かれていた。
フリーレンは手紙を手に取り、封を開ける前に裏面を確かめた。そこには、ある名前が記されていた。
「『未来より、〝助けてくれた礼〟を込めて。ジョン・カーター』」
「誰ですかな?」
聞き覚えのない名前に、コルベールは首を傾げた。だが、フリーレンには、その名前に心当たりがあった。
かつてデルフから聞いた、他愛もない話の一つ。フリーレンは、その時の会話を思い出していた。
(ヒンメルとの旅の途中、負傷していた兄ちゃんを拾ったんだ)
(魔法は使えねえが、不思議な武器をたくさん持っていた。『破壊の杖』とやらも、元はそいつから貰ったものだ)
(怪我から回復した後は、しばらくヒンメルたちと旅をしてな。その途中でタルブ村に立ち寄って、ササキの爺さんたちと出会ったんだ。それから、『竜の羽衣』と呼ばれていた飛行機? ってやつに乗って、自分の国へ帰っていったんだ)
(名前は……)
「ジョン。ヒンメルたちと旅をしていた『別世界の軍人』だ」
「っ! では!!」
コルベールは目を見開いた。
タルブ村にまつわる話自体は、コルベールも聞いていたのだ。『ジープ』を引き取った際に。
ハルケギニアとも、ヒンメルやフリーレンたちのいた世界とも異なる『世界』から来た人物がいたこと。
そして、その人物は『竜の羽衣』を使い、自分の世界へ帰っていったことを。
フリーレンは手紙の封を切った。そこに記されていたのは、ハルケギニアの文字だった。佐々木氏か、その妻に教わったのだろうか。
いずれにせよ、
『この手紙を読む人へ』
『これは、我が軍でも最新鋭に数えられる戦闘機だ。一昔前の木造船なんて、木っ端微塵にできるほどの戦闘力を秘めている。どこの国にも輸出していない機密兵器でもある』
『故に、扱いには十分注意してほしい。強烈なGに耐えきれず、搭乗者がお陀仏になるなんて、考えたくもないからね。別紙に、ハルケギニアの文字で注意事項やフライトスーツ一式の取扱説明書も用意しておいた。そちらにも目を通してほしい』
フリーレンは箱の中を覗き込んだ。
どうやら、この奇妙な服は、戦闘機を操縦する上で重要なスーツらしい。
その隣にある兜のようなものも、ヘルメットという装備なのだろう。
『ぼくは一度、この世界、ハルケギニアにやってきた』
『ササキの奥さんから、元の世界へ帰れることは聞いていたけど、その後、ちょっとしたお願いをされたんだ。〝いつか起こる大きな災い〟に立ち向かうため、僕の力を貸してほしい、と』
佐々木氏の妻。
彼女は『南の勇者』の縁戚にあたり、勇者本人から『未来を読む力』の一部を直接授けられ、このハルケギニアへとやってきた人物だ。そして、シエスタの曾祖母でもある。
どうやら彼女は、その未来視によって何かを読み取っていたのだろう。
元の世界へ帰るジョンに協力を求め、こうして未来への布石を打ってくれていたらしい。
『右も左も分からず、死の淵を彷徨っていた僕に、手を差し伸べてくれたヒンメル、オスマン、そしてササキ夫妻。あの日受けた恩を、僕は一度たりとも忘れたことはない。時も世界も隔ててしまったけれど、ようやくその恩に報いることができる。――この翼は、僕から君たちへの感謝の証だ』
どうやら、あの後ジョンは『ゼロ戦』を日本へ返還し、さらには戦闘機の製造に携わる会社で働き始めたようなのだ。
こうして機密扱いの最新鋭戦闘機を送ってくれたあたり、相当に高い地位に就いたのではなかろうか。
それすらも見通した上で『協力をお願いしていた』のだとすれば、やはり佐々木氏の妻の未来視は、相当な精度を誇っていたと言わざるを得ない。
『この翼が、これからどんな時代を越え、誰の手に渡るのか、僕には分からない。それでも、いつかヒンメルの友人のもとへ届くというのなら、これ以上の喜びはない。かつて彼が僕に明日を与えてくれたように、今度はこの翼が、君たちの明日を切り拓く力となることを願っている』
John Carter.
最後の部分だけは、
手紙を読み終えたフリーレンは、夕日を浴びて鈍色に輝く『F-22』を見つめた。
「では……これは、大昔の友人が、わざわざ送ってくれた『プレゼント』……ということですかな?」
「みたいだね」
コルベールの問いに、フリーレンは頷いた。
「それにしても、すごいですなあ……。この空飛ぶ乗り物を送ってくれたジョン殿も、それをまるで予見していたかのようなササキ殿の奥方も」
「そうだね。でも……そんなすごい人たちを繋いでくれたのは、他でもない、ヒンメルだ」
彼の「人助け」が、こうして時を超え、未来の自分たちをも救ってくれている。
巡り巡って返ってきた善意の連鎖。その温かな因果を実感すると、自然と頬が緩んでしまうのも無理はなかった。
「……そうですな。本当に、すごい方だったのですね」
コルベールは、どこか寂しげな微笑みを浮かべた。
今になって、彼がなぜオスマンやフリーレン、ジョン、そしてササキ夫妻の心を惹きつけたのか、分かったような気がしたからだ。
「んで、結局どうするんだ? フリーレン」
感傷に浸っているところ悪いが……とでも言いたげに、ザインが口を開いた。というのも、遠方の艦隊が再び慌ただしく動き始めていたのだ。
どうやら眼下の村を殲滅し、次の標的へ向かおうとしているらしい。
早く止めなければ、また罪なきこの国の民が砲火にさらされてしまう。
「早いとこ連中を止めねえと、奴ら、また別の村や町を襲うかもしれねえぞ」
「……だね」
フリーレンも感傷を振り払い、木箱に収められていたスーツを取り出した。
服の上から身につけてみると、意外にも身体にぴったりと合った。
「……すっげえブカブカに見えるんだが」
「こういう服みたいだからね。仕方ないよ」
別紙の説明書に目を通しながら、フリーレンは装備を整えていく。
腹部や脚を覆う加圧装置は、強烈な重力加速度がかかっても、血液が下半身に偏るのを防ぐためのものらしい。
これを着用しなければ、急激な加速や旋回によって頭部への血流が不足し、意識を失う危険があるという。
「そ、そんなに速く飛べるってことなのですか?」
「さっき解析して調べたら、この戦闘機一機だけで、ハルケギニア中の艦隊をかき集めても、全部吹き飛ばせるくらいの性能があるらしいよ」
「……え?」
コルベールは目を点にした。
この鋼鉄の飛行機が、ハルケギニアの巨船をも上回るというのか。
「りゅ、竜騎士などは……」
「そもそも近づけない。音より速く飛べるから、追いつくことすら難しい。下手に接近すれば、衝撃波に巻き込まれる危険だってある」
音を追い越すほどの速度?
一体、どれほど速いというのだ……?
「……そんな乗り物に乗って、大丈夫なの? フリーレンさん」
「正直に言うと、ちょっと分からない。私も訓練を受けているわけじゃないからさ」
当然、これほどの速度で飛ぶ戦闘機ともなれば、急加速や急旋回の際には、操縦者の身体に凄まじい負荷がかかる。
だからこそ、こうした専用の装備が必要なのだ。
ただ高速で飛ぶだけならともかく、激しい機動を行えば、強烈なGによって脳への血流が不足し、意識を失う危険すらあるという。
十分な訓練も受けず、専用の装備も身につけずに乗り込むなど、もってのほかだった。
「だから、コルベールを乗せて飛んであげることはできないよ」
再び機体のあちこちをぺたぺたと触り始めていたコルベールは、その言葉にびくりと肩を震わせた。
い、いや、別に? そ、そんなことを考えていたわけではありませんぞ? ……いや、まあ、少しくらいは興味がありますが。
そんな心の声が、口に出さずとも態度から丸分かりのコルベールはさておき。
「ちょっと不安だけど、やるしかない。その代わり、地上の方は任せたよ」
フリーレンはそう言うと、最後にヘルメットを被った。
口元には酸素マスクが取り付けられ、そこから一本のチューブが伸びている。
これまで見たこともない、独特な形状の兜だった。
「なんか、異星人みたいな格好だな」
そんなことをぼやくザインを背に、フリーレンはふわりと宙に浮かび、コックピットへと乗り込んだ。
正面には、透明な板が一枚。だが、それはただの硝子ではない。
そこには淡い翠光が浮かび、速度、高度、方位、標的――無数の文字や記号が、宙に投影されていた。
周囲には黒曜石めいた平面の硝子が並び、必要な時だけ光を灯す。
解析して分かったことだが、どうやらこれは、無線通信のない世界でも運用できるように改造された、特注仕様の機体らしい。
外部からの電波に依存する装備を極力排し、その分、運動性能と武装を重視した構成になっているようだ。
そこまでジョンは気を利かせて、設計を依頼したのだろうか。
やがて、透明な天蓋がゆっくりと閉じ始めた。外界の空気が遠ざかっていく。その瞬間だった。静まり返っていた操縦席が、目を覚ました。
黒い盤面に、次々と光が走る。低い駆動音が足元から響き、機体全体が、まるで生き物のように脈動し始めた。
前方に浮かぶ翠光が、ひときわ鮮明になる。
酸素マスクの内側では、自分の呼吸音だけがやけに大きく響いていた。
(まったく、正直舐めていたよ。『魔法のない世界』。これほど恐ろしい技術を築き上げているのが、サイトの世界なのか)
何より信じ難いのは、その発展の速さだった。
人類が『初飛行』を成し遂げてから、この戦闘機を生み出すまで。
たったそれだけの歳月で、ここまで技術を進歩させたというのだ。
〝
『ガンダールヴ』による解析をさらに深めたことで、フリーレンはその事実を知った。
もしかすると、人間は魔法を持たない方が、かえって高度な技術革新を成し遂げられるのではないだろうか。
それとも、魔族という脅威が存在しない分、技術の発展に専念できたということなのか……。
(ゼーリエ。案外、人間の時代がやってくるまでに、千年もいらないのかもしれないね)
さて、では試してみよう。発進だ。
右手で操縦桿を握り、ルーンの輝く左手で推力制御レバーをゆっくりと押し込んだ。
背後で、二基のエンジンが咆哮を上げた。まるで、空気そのものが破裂したかのような轟音。
ここは滑走路ではない。草原の真っただ中だ。
本来ならば危険極まりない離陸だが、そこは『ガンダールヴ』によって必要な知識が与えられている。
機体の制御だけでは対処できない部分は、持ち前の魔法で補っていく。
離陸に伴う不測の事態も、あらかじめ可能な限り排除していた。
機体が加速する。草原を駆け抜ける灰銀の巨体。
そして――地面が離れた。
轟音を響かせながら、灰銀の魔鳥は、その鋭い機首を天へと突き上げた。
「すっげ……」
「ほ、本当に……本当に飛びましたぞ……!!」
「はぇ……ぇ」
かくして、『F-22』は大空へと舞い上がった。
少し離れた場所から見守っていた三人は、それぞれ驚きと興奮を隠せぬ様子で、その光景に見入っていた。
「み、みみみ見ましたか! あ、あああの鉄の塊が! 空に浮かびましたぞ! なんという幻想! なんという不可解! どうすればあのようなことが可能になるのでしょうか! ああ、早く調べ尽くしたい!」
コルベールは、先ほどから大はしゃぎである。まあ、その気持ちも分からないではない。
何しろ、轟音と熱風を撒き散らしながら『F-22』が離陸したかと思えば、機首を大きく持ち上げ、ほとんど垂直に近い角度で上昇していったのだ。
ハルケギニアの空を行く艦船でさえ、まず不可能な、常識外れの機動である。しかも、異世界より飛来した『猛禽』は、それだけでは終わらなかった。
翼の周囲に白い雲をまといながら、鋭く旋回し、再び空を駆け上がる。
急上昇、急旋回、そして反転。まるで、自らの翼の感覚を確かめているかのように、縦横無尽に空を舞っていた。
そして、次の瞬間。大気を震わせる轟音が、遅れて地上へと届いた。
灰銀の猛禽は、音の壁を突き破り、凄まじい速度でアルビオン艦隊へと向かっていった。
さて、ところ変わって、ここはアルビオン艦隊の船上。
大型戦艦の一隻、その甲板に腰を下ろしながら、エルザは「ふぁ……」と可愛らしくあくびをした。
「『フリーレンの相手をしろ』って言われたけど、こんなんでいいのかな?」
エルザは、甲板の上でせわしなく動き回っているリーニエへと視線を移した。
どうやら、模倣した武術や剣術を身体に馴染ませるための鍛錬らしい。それについては、エルザも特に口を挟まなかった。
さて、そんなエルザの疑問に答えたのはラルカスだった。
「さあな。私にもよく分からんが……どうやらそのエルフ、『人間が死ぬのを放っておけない性格』らしい」
「ふぅーん……珍しいエルフもいるものね。人間を含む、あらゆる種族を見下すあいつらが、そんな感傷を抱くこと自体、驚きなのに」
そのエルフは相当な物好きなのだろう。エルザはそう思った。
悲しいかな、この世界におけるエルフの評価とは、人間、亜人を問わず、概ねそのようなものなのだ。
人間を庇って戦うフリーレンの方が、ここでは変わり者として映るほどに。
だからこそ、ラルカスたちは現在、眼下の人間たちに攻撃を仕掛け、彼女をおびき出そうとしているのだった。
「でもねえ、来るかしら? こんな艦隊の真っただ中に」
「エルフの技術力は、人間のそれをも凌駕すると聞く。それを駆使して攻めてくる可能性も、ゼロではあるまい」
ラルカスも、元は人間だ。貴族だった頃に蓄えた知識をもとに、エルザへそう説明した。もっとも、どのような戦術で攻めてくるのかまでは、見当もつかなかったが……。
「まあでも、こっちの艦隊は全部で二十隻もあるからね。生半可な攻撃じゃ通じないと思うよ」
「それについては、まあ同感ではあるな」
今、自分たちが率いているのは、ハルケギニアでも屈指の空軍力を誇る国家の艦隊なのだ。
乗組員はすべてガーゴイルで統一されているが、それゆえに統率には一切の乱れがない。さらに、周囲では首なし騎士の竜騎士たちが旋回している。
小国を相手に戦争を仕掛けられるほどの戦力を有していることもあって、エルザもラルカスも、少々気が大きくなっていた。
「ところで、リーニエお姉ちゃん。さっきから何やってるの?」
ここでエルザは、リーニエの鍛錬の様子が少し変わったことに気づき、そう問いかけた。
先ほどまでは武術の鍛錬をしているように見えたのだが、今は懐から『あるもの』を取り出している。
それは、あの戦場で結局拾ってきた『S&W M500』だった。
「ん、再現」
「再現?」
「この武器がなくても『自力で再現できるように』、魔法で解析している」
シエスタとの戦いで、致命傷を負う原因となったこの武器。
だが、リーニエはその性能を知ったことで、ただ使うだけではもったいないと考え始めたらしい。
どうやら、『銃器の動作や機構までも模倣し、再現する』ことを目指しているようなのだ。
「この武器、『火薬』を炸裂させて弾を飛ばすらしいね。その仕組みを、魔力同士の衝突で再現できないか試している」
「お姉ちゃんの世界には、銃ってないの?」
「滅多に見かけない。私も、これほどの性能を持つ飛び道具は初めて見た」
だからこそ、なのかもしれない。さらなる強さを得るための足掛かりとして。
銃器の動作を完全に再現できるようになれば、模倣の練度も、さらに一段階上昇するかもしれない。
引き金を引く。弾を込める。そして、発射する。その一連の動作、銃器内部の機構、発射時の衝撃、弾丸の威力。
それらを何度も何度も、その身に刻み込み、魔力によって再現しようとしていた。
ダァン! ダァン!
火薬が炸裂する音が、甲板に何度も響き渡る。弾がなくなれば、あらかじめ調達しておいた弾丸を装填し、再び発砲する。
その弾丸は、時に作業中のガーゴイルの頭部を、時に船体の一部を破壊していった。
やがて弾が尽きても、リーニエはカチカチと、何度か引き金を引き続けていた。
「もう弾ないよ、お姉ちゃん」
エルザが思わず突っ込んだが、リーニエは気にも留めない。
シリンダーを開いて内部の構造を確かめたり、各部の動きを観察したりと、せわしなく手を動かしていた。
やがて、もう用は済んだとばかりに、リーニエは『M500』を甲板から放り投げた。
そして目を閉じ、瞑想を始める。
魔力を限界まで引き出し、先ほど観察した銃の動作を、模倣の魔法に重ね合わせていく。
その光景を、エルザとラルカスは固唾を呑んで見守っていた。
「――――〝
やがて、両手を広げたリーニエの前に、黒い魔力の球体が生み出された。
その球体はぐにょりと形を変え、次第に細長い輪郭を帯びていく。
そして、先ほどの『S&W M500』と寸分違わぬ形状の銃器へと姿を変えた。
「……すっご」
思わず、エルザですら感嘆の声を漏らすほどだった。
わずか数分で、人類の銃器を完全に再現する。
リーニエの模倣魔法の練度は、すでに遥かな高みへと昇り始めていたのだ。
アウラですら警戒するほどの、貪欲な向上心。それが、彼女の急激な成長を支えていた。
三年前は、幸か不幸か、『人類最強の戦士』の動きを模倣できたがゆえに、鍛錬を重ねずとも敵を圧倒できていた。
だが、今はもう、それが通用しない。だからこそ芽生えた、さらなる強さへの渇望。
加えて、シュタルクとシエスタ。二人によって味わわされた挫折と、そこから生まれた反骨心が、リーニエをより強くしていたのだ。
「うん、いける」
リーニエはそのまま、魔法で生み出した銃を構え、引き金を引いた。
実物の銃器と遜色ない威力と轟音。放たれた弾丸が、作業中のガーゴイルの胴体を吹き飛ばした。
「武器までコピーできるの? お姉ちゃんの魔法、もはや何でもありだね……」
「なあ、エルザ。本当にあれは『先住魔法』ではないのだな?」
「違うよ。っていうか、リーニエお姉ちゃんたち魔族は『精霊魔法』を嫌ってるから、逆に使うなって言われるくらいだし」
いまだ信じられない様子でリーニエを見つめていたラルカスは、思わずそう問いかけた。だが、エルザは静かに首を振って答えた。
「ま、今のリーニエお姉ちゃんもいることだし、そのエルフが来たとしても問題ないと思うけどね」
何にせよ、これほどまでに模倣の練度を高めた相棒がいるのだ。エルフがどのような手段で攻めてこようと、問題はない。
エルザはそう言って、気楽に笑った。だが、リーニエだけは無表情のまま、静かに口を開いた。
「それは分からないよ、エルザ。少なくとも『葬送』のフリーレンは、そんな程度で収まる魔法使いじゃない。甘く見ていたら、足元をすくわれる」
「……知っているのか? リーニエ」
「会ったのは、ほんの一瞬だけ。でも、その名が魔族の間でも恐れられているのは確かだ」
『葬送』。
魔族にとって、その二つ名は恐怖の象徴だった。
千年もの歳月をかけて数多の魔族を屠り、血も涙もない卑劣な戦い方で、ついには魔王すら討ち果たした者。
その存在に与えられた、忌まわしき称号だった。
「油断しない方がいいよ、エルザ。あいつは……『葬送』のフリーレンは、どんな手段で私たちを殺しに来るのか、私にも想像できないんだから――――」
そこまで言った時だった。
突如、遠方から轟音が響き渡った。
「え?」
「は?」
「――――!」
ぽかんと、リーニエですら呆気に取られるほどの光景だった。灰色の鉄の塊が、空を切り裂きながらこちらへと迫ってくる。
そして、次の瞬間。彼女たちが乗っていた戦艦が、凄まじい爆発とともに崩壊し始めた。
「お、お姉ちゃーーーーん!」
「エルザ! リーニエ!」
「……!!」
いても立ってもいられず、三人はそのまま甲板から飛び降りた。
その背後では、船体の至るところで爆発が連鎖し、炎が噴き上がっていた。
三人の身体は、あっという間に重力に引かれ、遥か下方の大地へと放り出されていく。
「なになになになに!? なにが起こったのぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「お、おい……ふ、船が……!」
「…………」
あまりの衝撃に、空を飛べることすら忘れてしまったのだろう。
落下しながら、ラルカスはまずエルザを自分のもとへ引き寄せ、空いた方の腕で上空の艦隊を指さした。
つい先ほどまで威容を誇っていた二十隻の艦隊が、次々と煙と炎を噴き上げ、爆発していく。無傷の戦艦など、もはや一隻も見当たらない。
ハルケギニア屈指の空軍力を誇るアルビオン艦隊を、瞬く間に炎の海へと変えたのは、一羽の灰色の隼だった。
まるで、『本当の空の王者は自分だ』とでも言わんばかりに。
灰色の猛禽は、精密な旋回と凄まじい速度を武器に、陣形を乱した艦隊へ次々と襲いかかっていく。
「……あれは、もう駄目だね」
同じく落下するに任せていたリーニエが、上空を見つめながらぽつりと呟いた。下手に飛行魔法を使えば、あの正体不明の飛行物体に狙われかねない。今はあえて重力に身を任せ、落下を続けていた。
「とりあえず、森の中に逃げよう。あれは私でも相手にできない」
「いや、本当に何が起こったの!? なんで!? あの鳥みたいなのは何なの……!?」
「分からん! 俺にも、俺にも説明をしてくれ!! さっきから一体、何が起こっているんだ……!!」
ラルカスとエルザは、もはや発狂寸前だった。それもそうだろう。
アルビオン屈指の艦隊を意のままに操り、すっかり増長していたところへ、この異常事態である。
何が起こったのかも分からぬまま、ただ一方的に突きつけられる、説明のつかない理不尽。
そんなものを立て続けに味わわされれば、取り乱さずにいる方が難しい。
もっとも、彼らの想像力では、一生かかっても真相には辿り着けないだろう。
『異世界から魔法で呼び出された超音速戦闘機を操るエルフに、艦隊を一瞬で撃破された』などという事実には。
人食い三人組は、そのまま上空で蹂躙されていくアルビオン艦隊を、ただ指をくわえて見ていることしかできなかった。
(……本当にすごいな。これがサイトの世界の兵器か……)
恐ろしい重力の負荷を受け、それに耐えながら、フリーレンは『F-22』を操縦していた。
生半可な魔族の『飛行魔法』では、到底追いつけない速度と機動性能。一撃で木造の軍艦を粉々に吹き飛ばす武装。
竜騎士など、まともに接近することさえ許されないほどの圧倒的な性能。
参考までに、この世界の竜騎士が跨る火竜の飛行速度は、才人の世界の単位に換算すると、およそ時速百五十キロ。ゼロ戦でも、時速四百キロを超える。
対して、『F-22』の最大速度は、実に時速二千四百キロ前後。
勝負になるはずがない。そもそも、同じ土俵に立つことすらできていないのだ。
それは、もはや戦闘ではなかった。ただの『処理』だった。
空を飛ぶ木造船を、ボタン一つで吹き飛ばす。やることだけを見れば、実に単純なお仕事である。
もっとも、一歩間違えれば自分の命が失われる、危険極まりないお仕事でもあったが。
(きっつ……)
高速旋回を繰り返すたび、身体に凄まじいGがのしかかる。
初めて乗ることもあり、その負荷には思うように耐えられなかった。
普段使っている『飛行魔法』とは勝手が違い、魔法による負荷の軽減もうまくいかない。
そもそも、この『飛行魔法』自体、魔族が使っていたものを模倣して利用しているだけだ。
フリーレンといえども、術式を好き勝手に改変できるわけではないのである。
(でも、とりあえず、この辺りの艦隊は叩き潰したか……)
この国の艦隊を勝手に撃沈することについては、思うところもある。だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
このままアウラも叩いてしまおうか……。
それも考えたが、残念ながら、この時のアウラはすでに大陸の地下深くへと進軍しており、フリーレンの探知範囲から外れていた。
ならば、今は自分にできることをするべきだ。
(まだ、向こうにも編隊を組んで進んでいる艦隊がいる)
どうやら、そちらも民間人を襲っているらしい。
仕方ない。武装や燃料が尽きるまで、アルビオンの空を駆け回ってやろう。この一機だけで、アルビオンの制空権を奪還できるのだ。
上空から奇襲を受けるのも厄介だし、今のうちに徹底的に叩いておくに限る。
フリーレンは操縦桿を傾け、機体の向きを変えた。
そして、推力を上げる。轟音とともに、灰色の魔鳥は再び加速し、彼方の空へと飛び去っていった。
「すっごぉぉい……」
「マジか……俺ぁ、とんでもねえもんを見せられてるんじゃねえのか?」
ほんの数分前まで、我が物顔で空を行き交っていた戦艦の群れ。
そこへ、あの戦闘機が突っ込んでいったかと思えば、次々と爆炎を上げながら沈んでいったのだ。
その光景を少し離れた場所から、ティファニアは呆然と立ち尽くし、ザインはあぐらをかいて煙草をくゆらせながら眺めていた。
「ねえ、ザインさん……」
「なんだ?」
「外に出たら、こんな不思議な光景を、いっぱい目にするのかな?」
「まあなぁ……。とはいえ、今回のは相当な例外だと思うけどな」
この世界に来なければ、一生目にすることのなかった光景。
いや、そもそも旅に出なければ、出会うことすらなかった景色なのだろう。
空を駆け、アルビオン艦隊を圧倒していくフリーレンの戦闘機を、ティファニアはきらきらと目を輝かせながら見つめていた。
箱入り娘として育ってきた彼女にとっては、衝撃という言葉すら生温い光景だったに違いない。だが、その瞳には恐怖よりも、まだ見ぬ世界への好奇心が強く宿っていた。
まるで、新しい世界を初めて知った子供のような、純粋な煌めき。
そして、それと同じくらい、エルフの先輩であるフリーレンへの憧れも、いっそう強くなっていた。
(やっぱり、フリーレンさんは格好いいなあ……。わたしもあんな風になれたら、きっと、どこへだって自由に旅ができるんだよね……!)
そんな思いが、無意識のうちに笑顔となって表れていた。ザインは、そんな彼女の気持ちを察したのだろう。ぽんぽんと、優しく頭を叩いた。
「それよりも、だ。今ので、この辺りの空飛ぶ艦隊は全部沈んだんだ。日が暮れる前に先へ進もうぜ、コルベールの旦那」
「え!? あ、ああ、そうだな! うむ、行こうか。ザイン君、ミス・ティファニア!」
先ほどまで子供のようにはしゃいでいたコルベールは、そこでようやく意識をザインたちへと戻した。
フリーレンがいなくなった今、ジープを運転できるのは彼しかいない。
三人は再びジープに乗り込み、先ほどまで艦隊の砲火にさらされていた村へと向かった。
村では、何が起こったのかも分からぬまま軍艦からの砲撃を受けた人々が、悲痛な面持ちで救助活動や負傷者の手当てに当たっていた。
ジープで到着したザインたちは、まず負傷者の治療を手伝うことにした。
当初、村人たちは『ひとりでに走る鉄の塊』や『その中に乗っていたエルフの少女』に驚き、怯えを見せていた。
だが、ザインが負傷者たちに治癒魔法を施していくにつれ、そうした警戒心も次第に薄れていった。
「すごい魔法ですな……。これが〝女神の魔法〟なのですか?」
「ああ。この世界じゃ、やっぱり女神様への信仰はないみたいだな」
「ええ。ハルケギニアで信仰といえば、何よりも始祖ブリミルへの信仰ですからな」
コルベールは興味深そうに、負傷者の治療に当たるザインやティファニアの様子を目で追っていた。もちろん、彼自身もただ眺めているだけではない。二人の傍らで、懸命に火傷を負った村人たちの治療に当たっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん……」
「大丈夫だからね。もう少し、頑張ってね」
ティファニアもまた、聖典を手に、もう片方の手に生み出した癒しの光を、怪我をした子供たちにかざしていた。それだけで、傷や火傷が、まるで絵の具を拭い去るかのように消えていく。
その高度な治癒の力は、ハルケギニアの系統魔法を遥かに凌駕するものだった。
「そうそう、そんな調子だ。とりあえず、基礎的な回復魔法は問題なく使えるようになったな」
「はい。でも、まだまだザインさんみたいにはいかなくて……」
ティファニアがようやく一人の子供を完治させた頃には、ザインはすでに五人以上の負傷者を治療し終え、六人目に取りかかっていた。
「なあに、それだけできれば将来有望だ。俺が僧侶を始めた頃なんて、そんなにうまくいかなかったぜ」
僧侶としての才能に気づいてから、まだ三日も経っていない。にもかかわらず、ティファニアはすでに並の僧侶を凌ぐ治癒魔法を使いこなしていた。
もっとも、当の本人は、まだそのことに気づいていないのだった。
ともあれ、三人の懸命な救護活動のおかげで、村人たちは新たな死者を出すことなく、この危機を乗り越えることができた。村人たちは彼らに心から感謝した。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
「エルフのお姉ちゃんも、ありがとー!」
最初はブリミル教の教えに反する存在として恐れていた村人たちも、ティファニアが示した善意に触れ、素直に感謝の言葉を口にしていた。
一緒に暮らしていた孤児たち以外から、初めてかけられたお礼の言葉。それを聞いたティファニアは、嬉しそうに微笑み、こくりと頷いた。
「うん。みんな、大事なく治ってよかった」
(どれもこれも、『治癒のポーション』がなければ、トライアングルクラスの水魔法でも治療が難しいほどの怪我だったというのに……あの聖典と魔法だけで、ここまで治せるのか……)
コルベールは、改めて感嘆していた。
これまではフリーレンの魔法や、異世界の未知なる技術にばかり目を向けていたが、〝女神の魔法〟もまた、極めて高度な体系を持っていると言わざるを得ない。
(そういえば、ミス・フリーレンは先ほど、『虚無の魔法』には女神の技術が関わっていると仰っていましたが……)
「あの、おじちゃん! 実は、もう一つお願いがあるの……!」
思案に耽るコルベールをよそに、一人の少年とその母親が、ザインへと声をかけてきた。
「実は、さっきまで私たち、あそこの茂みに隠れていたのですが……!」
砲火から逃れるため、赤子を背負って身を潜めていたという母親が、森の茂みを指さした。
詳しく話を聞いてみると、母親には、背負っている赤子とは別に二人の息子がいるらしい。
ところが、そのうちの一人が逃げる途中で足を滑らせ、岩場の亀裂へと転落してしまったのだという。
「……この亀裂の中に?」
「お願いします! どうか、もう一人の息子を助けてはいただけませんか!?」
「ぼくからもお願い! 弟を助けて、お姉ちゃんたち!」
母親と少年の必死の懇願に、三人は思わず顔を見合わせた。
正直に言えば、今すぐにでもフリーレンやルイズたちと合流したいところではある。
だが……。
「放っておけねえよな……」
ザインは頭を掻きながら、すでに助けに行く決意を固めている様子のティファニアへと目を向けた。
「そうですな。手早く救助を済ませて、ミス・フリーレンたちと合流しましょう」
「……ありがとうございます!」
母親と少年は、何度も何度も頭を下げて礼を述べた。ここまで必死に頼まれては、見捨てるわけにもいかない。
何より、彼女たちもまた、平穏な日常を送っていたところを、突然この惨事に巻き込まれてしまった被害者なのだ。
「では、早速行くとしましょう」
コルベールはそう言うと、杖を亀裂へと向け、『炎球』を放った。
着弾の瞬間に炸裂するよう調整することで、瞬間的な破壊力を高めた特別な魔法である。
爆発によって周囲の岩が砕け、子供一人がようやく通れるほどだった亀裂が、さらに大きく広がった。
その先に見えるのは、滑りやすそうな岩肌と、どこまでも続く暗闇だけだった。
「かなり深そうな洞窟ですな……」
「だが、助けると決めた以上、行かなきゃならねえな。ティファニア、大丈夫か?」
「はい! わたしも精一杯頑張ります! ザインさん、コルベールさん!」
かくして、三人は行方不明の子供を救うため、洞窟の奥へと足を踏み入れた。
その先に待ち受けているものが、この大陸の命運を左右する存在であることなど、知る由もなく。
白の国、アルビオン。
『風石の精霊石』の暴走によって、数千年前より空に浮かび続ける『浮遊大陸』。
かつて、この大陸を浮かせる力に目をつけた者たちがいた。その名は『レコン・キスタ』。
聖地奪還をお題目に掲げたその貴族連盟は、大陸を浮遊させるほどの力を秘めた『精霊石』に注目し、その力を奪おうと画策した。
しかし、その野望は『流れ者』たちの活躍によって、露と消えた。
そうして時は流れ、現代に至るわけだが……ここに来て、新たな問題が発生していた。
それは、『大陸を浮遊させる力そのものが弱まり、いずれ大陸そのものが墜落する可能性がある』ということだった。
ヒンメルたちが活躍していた時代には、精霊石の過剰な暴走によって、大陸が崩壊する危険性があった。
だが、長い年月を経るにつれ、今度は精霊石の力そのものが衰え始めていたのだ。このままでは、近い将来、アルビオンは『浮遊大陸』ではなくなってしまう。
だが、その運命に抗い、大陸の浮遊を維持しようと必死に力を尽くしている者が、実は存在していた。
その者は今も、『アルビオン大陸の浮遊の核』と呼ばれる場所に身を置き、ひっそりと大陸を支え続けている。
しかし……再び、その力を利用しようと目論む者が現れた。
「ようやく辿り着いたわ」
その者の名は、〝断頭台のアウラ〟。
スキルニルによる偽物などではない。紛れもなく、彼女の『本体』だった。
本物のアウラは、レキシントンの都市から続く隠し通路を抜け、浮遊大陸の核が存在する、この広大な空間へと辿り着いていた。
彼女の眼前には、アルビオン大陸を浮遊大陸たらしめている心臓部――『大精霊石』の巨大な結晶がそびえ立っていた。
高さ五十メイルにも及ぶ、巨大な結晶核。
その内部には、一人の女性が浮かんでいた。
「やっぱり、このアルビオン大陸の浮遊を調整していたのは、
結晶の中にいるのは、長い耳と、流麗な金髪を持つ女性。
そう、彼女はエルフだった。
結晶の内部は空洞となっており、その周囲には、そよ風のように穏やかな風の魔力が揺蕩っている。
結晶の中央で静かに目を閉じていた女性は、アウラの声に応じるように、ゆっくりと瞼を開いた。
「何をしに、ここへ来たのですか? 悪しき者よ」
その女性エルフは、女神を思わせる美しさと慈愛に満ちた雰囲気を備えていた。
しかし、その口から発せられたのは、聞く者を思わず震え上がらせるほど、厳かな声だった。
侵入者を前にしても、微塵も動じる様子はない。
「聞く必要があるかしら?」
一方のアウラも、まったく物怖じすることなく、大精霊石の中で『大陸の浮遊』を維持しているエルフへと、不遜に言い放った。
「あなたが管理している、その『精霊石の力』に用があるの。黙ってその力を渡しなさい。そうすれば、首を落とさずに済ませてあげてもよくってよ」
「……あなた『も』、ですか」
エルフは一瞬、静かに目を閉じた。かつて、自分がまだ幼かった頃。
同じように欲望をむき出しにし、この力を奪おうとした人間たちの顔が、脳裏をよぎったのだろう。
あの時、自分は無力だった。だが……今は違う。
「去りなさい。あなたに渡すものなど、何一つとしてありませぬ」
「そう。じゃあ、もう言葉は不要ね」
アウラは特に気に留める様子もなく、ぱちんと指を鳴らした。刹那、彼女の周囲に、手駒である首なし騎士たちが次々と姿を現した。
彼らが手にしているのは、杖でも剣でもない。機関銃や携帯火砲といった、異世界の銃火器だった。
「この力は、大陸の浮遊を支える根幹です。これを失えば、アルビオンは空に留まることすら叶わなくなるでしょう。あなた方とて、ただでは済みませぬよ」
「どうでもいいわ。大陸がなくなるなら、別の場所へ行けばいいだけだし」
つべこべ言わず、さっさと寄越せ。
最後に、その目でそう告げたアウラは、大陸の浮遊を守り続けてきたエルフへと、配下の大軍を差し向けた。
実績解除『地球なめんなファンタジー by エルフ』