アウラが指を鳴らした。
すると、側近の兵士たちが一斉に『異世界の武器』を構える。
そのうちの一人が『パンツァーシュレック』を肩に担ぎ、挨拶代わりとばかりに砲口から対戦車ロケット弾を撃ち放った。
放たれた砲弾は、最初こそ真っすぐに精霊石の側面へと飛んでいった。
しかし次の瞬間。その軌道が、突如として真逆に変わった。
まるで見えない壁に弾き返されたかのように、砲弾は発射した首なし騎士たちのもとへと飛来した。
――ドゴォンッ!!
凄まじい爆発音とともに、攻め入ろうとしていた騎士たちの一団が吹き飛んだ。
だが、アウラは眉一つ動かさない。砲弾が跳ね返された現象を、冷静に分析していた。
「なるほど。これがソリテールの言っていた『エルフの先住魔法』か」
強大な魔力が、結晶の中にいるエルフを中心に巡っているのを、アウラは肌で感じ取っていた。
いかに力が衰えているとはいえ、腐っても大陸を浮遊させる心臓部である。
そこに宿る精霊の力もまた、計り知れないほど強大だった。あのエルフは、大陸の浮遊を司る精霊と契約を交わし、その力を借り受けているらしい。
なるほど、大したものだ。
この大陸の浮遊を管理しているだけのことはある。
(まるで『反射』するかのように、あらゆる攻撃を跳ね返す障壁を周囲に展開している。生半可な攻撃は、かえってこちらの首を絞めることになるわね)
そこまで推察すると、アウラは魔力を操り、片手に一つの天秤を生み出した。
服従の天秤。アウラの魔法、その根幹を成す力の具現だった。アウラは冷ややかな眼差しで、エルフに向けて天秤を掲げた。
しばらくの間、片方の皿が異様なほど傾いた天秤を見つめていたが……。
(……ちっ。今奴に〝
当初はエルフを服従させ、無理やり結晶の中から引きずり出すつもりだった。
だが、このままだと彼女と契約している精霊の魔力まで、天秤に乗せることになってしまう。
普段ならば、さほど気にする必要はない。
たとえ精霊と契約している相手でも、その精霊が数十年、長くとも百年程度しか魔力を蓄えていないのなら、問題にはならない。
何しろ、アウラは五百年以上も魔力を蓄え続けてきた魔族なのだ。その程度の魔力量では、到底勝負にならない。
しかし、今回ばかりは相手が悪かった。何しろ、相手はアルビオン大陸そのものを空に浮かべている大精霊の核なのだ。
その魔力量は、五百年以上生きてきたアウラでさえ、上回れるかどうか分からないほど。
もし〝
わざわざ、そんな危険を冒す必要はない。
(まあ、フリーレンみたいに〝魔力制限〟はしていないようだし、そこは安心してよさそうね)
何度も注意深く観察し、それはすでに確認済みだった。
少なくとも、このエルフはフリーレンとは違う。何千年もの歳月をかけて魔力を偽装するような、酔狂な魔法使いではないらしい。
それなら別に〝
今回の目的は、あのエルフを操ることではない。彼女が契約によって引き出している『大精霊石の力』を、根こそぎ奪い取ることなのだから。
「まあいいわ。私にはいくらでも手駒があるけど、あなたは果たして、どこまでこの攻撃に耐えられるかしらね」
アウラが選んだ策。それは消耗戦だった。
確かに、相手の防壁は強固。だが、こちらには圧倒的な数の兵がいる。そのうえ、向こうに援軍など望めまい。
ならば、ただひたすらに攻め続ければいい。攻めて、攻めて、攻め抜いて。相手がわずかでも隙を見せた瞬間に、『注射器』を打ち込む。それだけのことだった。
「風よ。この大陸の『浮遊』を司る大精霊よ。我に力を貸し、迫り来る敵を討ち払いたまえ」
すると、エルフは先住魔法の詠唱を始めた。大地が揺れる。壁が軋み、天井から細かな岩片が降り注ぐ。
どうやら、周囲の岩盤そのものを操り、侵入者たちを迎え撃つつもりらしい。
「まったく、これだからエルフは面倒なのよね。魔王様が皆殺しを命じた気持ち、ようやく分かったような気がしたわ」
そう吐き捨てながらも、アウラの顔には魔族らしい獰猛な笑みが浮かんでいた。
そして、大陸の浮遊を守り続けてきたエルフへ向けて、配下の精鋭たちを一斉に差し向けた。
さて、アルビオン大陸の奥底で、この国の存亡を懸けた戦いがひっそりと始まっていた頃。
その『心臓』へと続く地下洞窟を、それぞれの目的を胸に進む者たちがいた。
一組目は、迷子になった子供を助けるため、洞窟へと足を踏み入れたザイン、ティファニア、コルベールの三人。
二組目は、逃げ出したモンモランシーを助けるため、その後を追うキュルケとギーシュの二人。
そして、もう一組は……。
「本当に、どうすれば地上へ出られるのだ……?」
あのレキシントンの都市から辛くも逃げ延びた、アニエス、アンリエッタ姫、そしてデルフリンガーの二人と一本だった。
「おなかがすきました……」
「もう少しお待ちください。今、地上へ出られる道を探しておりますので」
暗い通路を慎重に進むアニエスの背後を、ボロボロになった制服姿のアンリエッタ姫が歩いていた。
彼女はすっかり疲れ果てているらしく、先ほどからしきりに弱音をこぼしている。もっとも、アニエスもそれは無理もないことだと思っていた。
何しろ、彼女たちはつい先ほどまで、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのだから。
「それにしてもまあ、俺ら、よく生きてるよな。アニエスの姉ちゃん」
「……ああ。一生分の運を使い果たしたんじゃないかとすら思うよ」
肩に担いだデルフリンガーの言葉に、アニエスは心の底から同意した。
あのレキシントンでの戦闘。
アニエスとアンリエッタ姫は、ルイズたちと同じように、別の地下室で縄に縛られ、閉じ込められていた。
一時は火災まで発生し、もはやこれまでかと本気で覚悟したものだ。だが、そんな二人を救ったのは、青髪の少女の姿をした人形だった。
その人形が『水の壁』を展開して炎から守ってくれたうえ、別室からデルフリンガーを持ってきてくれたのである。
おかげでアニエスはデルフリンガーを使って縄を切り、どうにか自由を取り戻すことができた。
しかし、その直後だった。凄まじい振動とともに土砂崩れが発生し、地上へと続く道が塞がれてしまったのだ。
加えて、火災の勢いも衰える気配がない。このままでは、いずれ炎に呑まれてしまう。
そう悟ったアニエスは、極限状態の中、幸運にも牢屋の壁に大きな亀裂が走っていることに気づいた。
試しに、師匠直伝の剣技で亀裂に向けて一撃を叩き込んでみる。
すると、脆くなっていた壁が崩れ、その奥に風の吹き抜ける穴が現れたのだ。奇跡的に、別の通路へとつながる道を発見できたのである。
アニエスはアンリエッタ姫の手を引き、ここに留まるよりはマシだと、その穴へと飛び込んだ。
そして、二人が通路の奥へと進んだ直後。地の底を揺るがすような大爆発が発生した。
もし、あのまま牢屋に留まっていたら、まず間違いなく助からなかっただろう。それどころか、逃げ込んだ通路まで崩落し、生き埋めになることすら覚悟していた。
それでも、二人は生き延びた。しかも、こうして先へ進める通路まで見つけることができたのだ。
もはや奇跡としか言いようのない生還劇だった。
「後は、地上へ出られる出口さえ見つけられれば万々歳なんだが……!」
奇跡的に命を拾ったとはいえ、心身ともに疲労は限界に達していた。だが、弱音を吐いている場合ではない。
自分一人なら、まだ気も楽だっただろう。しかし、今はアンリエッタ姫を守らなければならないのだから。
ところが、始祖ブリミルは彼女たちに、ただ恩寵を与えるだけではなかった。
どうやら、試練まで一緒に用意していたらしい。
「おい、姉ちゃん!」
「ああ……!」
「ひっ……!?」
デルフリンガーの警告に、アニエスは即座に反応した。怯えるアンリエッタ姫を背後へ下がらせ、デルフリンガーを鞘から引き抜く。
暗闇の向こうから、異形の怪物たちが次々と姿を現し始めたのだ。オーク鬼、コボルト、ゴブリン、ワーム、サラマンダー……。
様々な亜人や怪物たちが、通路を埋め尽くさんばかりに押し寄せてくる。
しかも、その中には首のない怪物まで混じっていた。それを見たアニエスは、思わず顔を歪める。十中八九、アウラが操る死兵たちだろう。
「な、何なのですか!? どうして、首がないのに動いているのです……!?」
「説明は後です! 今は下がっていてください!」
アニエスはアンリエッタ姫を庇うように前へ出ると、迫り来る首なしの怪物たちを迎え撃った。
そして、暗い地下通路で、激しい剣戟が幕を開けた。
さて、こちらはザイン、コルベール、ティファニアの三人。
幸いにも、迷子になっていた子供はすぐに見つかった。
どうやら足を怪我して動けなくなっていたらしく、ザインは早速、治癒魔法でその傷を治してやった。
「あ、ありがとう、おじちゃん……」
「あのなあ、俺はまだ『おじちゃん』って歳じゃねえ。つい最近まで二十代だったんだぜ」
そう言いながら、ザインは子供を背負う。
「う、うん。ごめんね、おじちゃん」
「……ああ、いいさ!」
謝りながらも、結局は『おじちゃん』と呼び続ける子供に、ザインは何とも言えない笑顔を浮かべ、諦めたように頷いた。
そんな二人のやり取りを、ティファニアはくすりと笑いながら見つめていた。
「ザインさんって、いつもこんな感じで旅をしているんですか?」
「ああ。僧侶……まあ、女神の魔法を使える奴は、パーティーでも貴重だからな。ティファニアくらいの腕がある僧侶なら、どこへ行っても歓迎されると思うぜ」
そもそも、優秀な回復魔法の使い手というのは、フリーレンの世界ではそう多くない。
特に北部高原のような危険な地域を旅する者たちにとって、ティファニアほどの才能を持つ僧侶は、非常に貴重な存在なのだ。
まず、邪険にされることはない。それに持ち前の美貌もある。引く手あまたに違いない。
「そ、そんな……わたしみたいな『まじりもの』でも、向こうでは貴重なんですか?」
驚きと、いっそ清々しいほどの自虐が入り交じったティファニアの問いに、ザインは軽くため息をついた。
「なあ……コルベールの旦那。この世界じゃ、エルフはそんなに嫌われてるのかい?」
「え、あ、ああ……そうなのだよ」
コルベールもまた、ザインの質問に顔を伏せるしかなかった。フリーレンと接するうちに、エルフという存在にも慣れてきたつもりだった。
だが、ハルケギニアでは、ティファニアのような反応こそが当たり前なのだ。
今更ながら、その現実を思い知らされた格好だ。
「フリーレンも大変だな……。よくやってるよ、本当に」
「彼女は、ミス・ヴァリエールの使い魔としてこの地に召喚されましたからね。ミス・ヴァリエールは責任感が強く、真っすぐな子です。エルフだからといって、使い魔を追放するような子ではないことは保証します」
「……使い魔ねえ。ジープとやらの中でも聞いちゃいたが、相当面倒なことになってるみたいだな」
フリーレンがこの世界へ来てからの紆余曲折については、すでに聞かされていた。だが、どうやら想像以上に厄介な事情があるらしい。フェルンもシュタルクも大変だな……。
そんなことをぼやいた、その時だった。
「……旦那」
「ああ……」
「?」
ザインの神妙な声に、コルベールも静かに頷いた。
この洞窟の奥で、何かが蠢いている。ザインは〝魔力探知〟によって、その存在を察知する。
「どうしたの?」
まだ魔力探知の精度が十分ではないのか、ティファニアだけがきょとんとした顔で尋ねてきた。
「ん? いや、何でもねえよ」
ザインはそう答えながら、背負っていた子供をさりげなくティファニアに預けた。
(この反応……おそらく、私の学院の生徒かと思います)
(で、その広範囲で怪物どもがうじゃうじゃ取り囲んでいる、と。結構面倒なことになってるな)
コルベールと小声で言葉を交わしたザインは、「放っておけねえか……」と呟いた。
「すまねえ、ティファニア。俺と旦那は、もう少しこの辺りを探索してくる。お前は先に地上へ戻っててくれ」
「え!? い、いきなりそんなことを言われても!」
当然、ティファニアは戸惑った。
だが、怪我を治したばかりの子供を預けられては、それ以上強く反論することもできない。
「すまない、ミス・ティファニア。私からもお願いする。その子を頼みますぞ」
「……わたしじゃ、足手まといですか?」
ティファニアも、何かが起こっているのだと察したのだろう。少し寂しそうな、それでいて自分を卑下するような表情で、二人に問いかけた。
ザインは、そんな彼女を真っすぐに見つめながら口を開いた。
「ティファニア。これもチームワークだ。『役割分担』を『足手まとい』と勘違いする癖は、今すぐやめろ。俺はお前を信頼してるからこそ、『子供を家族のもとへ送り届ける』っていう、大事な仕事を任せてるんだぜ」
それを聞いたティファニアは、はっとした表情になった。
その血筋ゆえに、どうしても自分を卑下してしまう。
何かあるたび、自分が悪いのではないか、自分が邪魔なのではないかと考えてしまうのだ。
だが、ザインは自分を信頼して、大切な役目を任せてくれている。
それなのに、いつまでも自虐的なことを言って、二人を困らせている場合ではないと思い直した。
「わ、分かりました! でも、絶対、絶対に帰ってきてくださいね!」
ティファニアはそう言うと、子供を背負い、先に地上を目指して歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、ザインは「はぁ……」と小さくため息をつく。
仕方のないこととはいえ、先ほどの言葉には、ティファニアを危険に巻き込みたくないという本音も含まれていた。
魔力探知で確認した限り、洞窟の奥にはかなりの数の敵が蠢いている。
まだ実戦経験の浅い彼女では、いざという時、逃げるべきか戦うべきかの判断を誤ってしまうかもしれない。
そうした危険も考えたうえで、先ほどはああ言ったのだ。
(さて、ここからどうするかだな)
ザインは聖典を開き、臨戦態勢を取った。
コルベールもまた、杖を構える。
「ザイン君、といったか。色々と話は聞いたが……結局のところ、『水系統』のメイジのように、
「『水系統』って言葉自体が、俺の世界じゃ馴染みがねえから何とも言えねえが……まあ、回復、探索、解呪、解毒、拘束、防御が基本だな」
「自衛は?」
「攻撃用の魔法もあるにはあるが……あんまり当てにしないでほしいかな」
「了解した」
コルベールは目つきを変え、ザインの言葉に静かに頷いた。
さすがは、かつて『魔法研究所の隊長』を務めていただけのことはある。平時と戦闘時の切り替えが、実にはっきりしていた。
今の彼からは、子供のような研究熱心さも、普段の昼行灯めいた野暮ったさも、微塵も感じられない。
「お互い、まだ出会ったばかりだ。何ができて、何ができないのか。それすら十分に分かっていない状況だが……」
「そこは戦いながらすり合わせましょう。ある程度はアドリブも利かせられると思いますんで」
「そうかね」
ザインはそう言うと、懐から煙草を取り出した。景気づけに一服……と、火をつけようとしたところで。ふっと、煙草の先に火が灯った。
どうやら、コルベールが魔法で火をつけてくれたらしい。
その粋な計らいに、ザインもニヒルな笑みを返した。
「頼りにしてるぜ、旦那」
「ええ、こちらこそ。女神様の魔法というものを、もっと間近で見せていただきますぞ」
ザインは聖典を、コルベールは杖を構え、互いに笑みを交わした。
そして、そんな二人に向かって、アニエスたちを襲ったものと同じ、首なしの怪物たちが群れを成して襲いかかってきた――――。
大精霊石の近くでは、アウラとエルフが互いの持てる手札を最大限に駆使し、激しい攻防を繰り広げていた。
アウラは持ち込んだ『魔法を使わない銃火器』を用い、広範囲から攻撃を仕掛けることで消耗戦を仕掛ける。
当然、その攻撃のほとんどは、精霊魔法の極致ともいえる『
「大地の精よ。我らを脅かす者たちに、礫の鉄槌を」
エルフは大精霊石の中で優雅に揺蕩いながら、精霊の言葉を紡いだ。すると、アウラの周囲で激しい地鳴りが発生。
地面から、天井から、そして壁から。鋭く尖った岩の突起が、四方八方からアウラに襲いかかる。
だが、当のアウラは特に気にした様子もなく、軽やかな動きで次々とかわしていった。
そして、攻撃を避けながらも、配下の兵士たちに命令を下し続ける。
『とにかく撃て』
『銃がないなら、剣でも石でもいい。殴りかかれ』
『首が飛ぼうが、身体が弾け飛ぼうが、あの障壁を打ち破れ』
それ以外の行動は、一切認めない。
逃亡? 躊躇? 別の手段?
そんなものは、すべて認めない。
できない? ならば、そのまま散ればいい。
アウラにとって、集めた死兵など、いくらでも替えの利く駒にすぎなかった。それ以上でも、それ以下でもない。
首のある、まだ生きている人間たちも同様だ。
彼らを生かしたまま操っているのも、単に『その方が少しは強いから』という理由でしかない。
アウラが配下の者たちに、それ以上の感情を抱くことなどなかった。
アウラが悠然と歩みを進める傍らで、兵士たちは『
もちろん、撃ち込まれた弾丸は障壁に跳ね返され、そのたびに兵士たちを襲う。
だが、それが何だというのか。たとえ身体が朽ち果てようとも、動けるだけの四肢が残っていれば、彼らは延々と戦い続ける。
武器を失おうが、腕や足が吹き飛ぼうが、何の感慨も抱かない。そうして、無謀とも思える攻勢を仕掛け続ける。
傍から見れば、まるで意味のない猛攻に映ることだろう。何しろ、こちらの攻撃はことごとく跳ね返されているのだから。
だが、そこは伊達に七崩賢の一角を担っていたわけではない。
アウラが見ていたのは、攻撃の成否などではなかった。その奥にある、『魔力の流れ』だった。
(弱点は……あそこか)
アウラがあえて全方向から攻撃を仕掛けていたのには、理由があった。『反射』の障壁のどこが最も脆いのか。攻撃を繰り返しながら魔力の流れを探知し、その強度を見極めていたのだ。
そして、観察を続けた末に、案の定、
そこへ目を凝らすと、うっすらと断面のようなものが見えた。
(あんなにでかい精霊石を斬る奴なんて、過去にハルケギニアでいたのかしら?)
そんなことを考えていた、その時だった。アウラの頭上から、巨大な影が迫ってきた。この地に棲むヌシだろうか。
サラマンダーを思わせる、土色の鱗に覆われた巨大なトカゲが、アウラを食らおうと襲いかかってきた。
大口を開けたオオトカゲが、アウラのいた場所で勢いよく顎を閉じた。どうやら、エルフに呼び寄せられたらしい。
オオトカゲは一瞬、大精霊石の中にいるエルフへと顔を向け、何事かを伝えようとしていたようだが……。その頭上には、いつの間にかアウラが立っていた。
手には、一つの天秤。片方の皿が大きく傾いた、およそ公平とは言い難い魔力の具現。
次の瞬間。オオトカゲは口内に炎を溜め込むと、あろうことかエルフに向けて巨大な火炎弾を放った。当然、その攻撃も『反射』の障壁によって跳ね返される。
逆流するように襲いかかった巨大な炎は、大口を開けたままのオオトカゲの頭部を、一瞬にして焼き尽くす。
アウラは何食わぬ顔でその場を離れると、続けて指を鳴らした。
すると、周囲の壁という壁から、白い灯が一斉に集まり始めた。
それらは黒々とした魔力が乗る皿とは反対側へと吸い寄せられ、天秤の上に乗せられていく。
〝
白い灯の集まりが乗った皿は、黒々と燃え盛る魔力の重みに抗えず、一気に持ち上がった。
その直後、白い灯が飛び出してきた壁面一帯から、大きな丸い口を開けたワームの群れが姿を現した。
複数の魂を一度に天秤へ乗せ、まとめて服従させる。魔法を新式へと改良したからこそ可能となった荒業だ。
「私はこうして、いくらでも手駒を増やせるけど……あなたは果たして、いつまで耐えられるかしらね?」
アウラは意地の悪い笑みを浮かべ、服従させたヌシやワームたちを一斉に襲いかからせた。
もちろん、狙うのは『反射』の勢いが比較的弱い、『
頭部が黒焦げになったオオトカゲのヌシは、ボロボロになった歯を剥き出しにして噛みつこうとする。ワームたちもまた、口内に備えた鋭利な牙を突き立てようと襲いかかった。
しかし、その攻撃も再び精霊の纏う障壁に阻まれ、ことごとく吹き飛ばされていく。
それでも、アウラは見逃さなかった。大精霊石の中で大陸の精霊と契約を交わすエルフの顔に、一瞬だけ苦悶の色が浮かんだことを。
「ふふっ。もって、あと二十分ってところかしら?」
その言葉が決して虚勢ではないことを、エルフ自身も理解しているのだろう。ほんの一瞬、その表情に焦りが滲んだ。
だが、今度はアウラの方が、わずかに訝しげな表情を浮かべる。
(……何人か、ここへ向かってきている人間がいるわね)
少なくとも、自分の配下ではない。リーニエたちでもなさそうだ。
さて、いったい誰がやって来たのやら。アウラはそう考えながら、懐に忍ばせていた『スキルニル』を、そっと握り締めた。
「来ますぞ!」
コルベールは呪文を唱えながら、襲い来る首なしの亜人たちを牽制した。ひとまず、この亜人の群れを退けなければ先には進めない。ここでの戦闘は避けられなかった。
首なしのオーク鬼が、錆びだらけの斧を振り上げる。しかし、それが振り下ろされるよりも早く、その腕は一瞬にして焼き斬られた。
コルベールが素早く懐に潜り込み、呪文を唱えながら攻撃を仕掛ける。
そうして無力化したオーク鬼を肉の盾にしながら、敵の攻撃が届かないよう巧みに立ち回る。
どうやら、この亜人たちは銃火器で武装していないらしい。
原始的な斧や槍、あとは持ち前の腕力が頼りといったところか。
だが、コルベールはそんな亜人たちの猛攻をかわしながら、盾代わりにしていたオーク鬼に『
吹き飛ばされた巨体が、背後にいた亜人たちを次々と巻き込んでいく。
(やっぱり、戦い慣れてるな)
そんなコルベールの戦いぶりを、ザインはいつもどおり一歩引いた位置から眺めていた。
これまで見てきた魔法使いたちとは、また違った戦闘スタイルだ。
だが、その動きが並大抵のものではないことだけは、すぐに分かった。
フリーレンがあれほど入れ込むのだから、相当な人物なのだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。
(俺がいなくても大丈夫そうに見えるが……)
そう思えるほど、コルベールは圧倒的な強さを見せていた。しかし、今回の戦闘には『互いの呼吸を知る』という目的もある。
こちらの手札もある程度見せておかなければ、今後の連携に支障が出るだろう。
コルベールもまた、自分の魔法や立ち回りを知りたいと思っているはずだ。そう判断したザインは聖典を開き、魔力を込めて彼の支援に入った。
(この程度の数なら、私一人でも対処できそうですな)
一方、コルベールもまた、この程度の敵ならザインの手を借りるまでもないと考え、淡々と攻撃魔法を放っていた。
敵の攻撃を軽やかにかわしながら、得意の『炎蛇魔法』で次々と腕や足を焼き斬っていく。
いくら首がなくとも、四肢を潰してしまえば対処は容易になる。そうして順調に敵を退けていたのだが……。
不意に、コルベールが目を見開いた。
(っ、奥に槍兵! しまった、接近しすぎたか!)
巨躯の亜人たちの陰に隠れていたため、槍を構えた別の亜人に気づくのが一瞬遅れたのだ。
避けきれない。こうなれば、一撃を受ける覚悟で踏み込むしかない。
そう判断した時だ、突然、槍兵の動きが止まった。見れば、魔法陣から伸びた光の帯が、首なしの槍兵をがっちりと拘束している。
「旦那! ちょっと前に出すぎだぜ!」
ザインが、すかさず援護してくれたのだ。
コルベールは心の中で礼を述べると、身動きの取れなくなった槍兵に『炎球』を叩き込んだ。
たちまち、その身体が炭へと変わっていく。
さすがに身体の半分以上が炭化してしまえば、首なしの兵士といえど動くことは物理的にできない。
「すまない! 助かった!」
「俺に気を遣って、無理に前へ出る必要はねえぜ! 旦那は旦那で、思うように動いてくれ! こっちもそれに合わせて動く!」
ザインにそう言われ、コルベールは無意識のうちに力んでいた肩の力を抜いた。そして、ふっと小さく微笑んだ。
「いやはや、懐かしい……。こうして誰かと共に戦うのは、メンヌヴィルと組んでいた頃以来ですかな……」
あの頃の戦いは、戦闘というよりも殲滅、あるいは処理と呼ぶべきものだった。互いに相手を思いやることなどなく、ただ敵を焼き払い、排除するだけ。
だが、本当に背中を預け合える戦いというものは、こんなにも心が熱くなるものなのか。
そんなことを考えながら、コルベールはザインに背中を向けたまま口を開いた。
「分かりました。では、私は私の判断で動きますので、ザイン君は援護を頼みます」
「おう、任せとけ」
それから先は、一切危なげのない戦いだった。
二人の行く手を阻んでいた怪物たちは、一分も経たないうちに全滅した。
「ふぅ……」
「すまねえな、旦那。結局、戦闘の大半を任せちまった」
「なに、まだこの程度なら問題ありませんぞ」
戦闘は終わったものの、コルベールも無傷というわけではなかった。腕には、かすり傷程度の切り傷がいくつかできている。
ザインはその傷に手をかざし、癒しの魔法ですぐに治療した。
「おお、これは本当にすごい……。しかも、『精神力』まで回復していくのを感じますぞ」
「旦那たちの世界じゃ、魔力よりも『精神力』って言葉の方が馴染みが深いらしいな」
どうやら、この世界のメイジにとって、女神の魔法による治癒は、消耗した精神力の回復にも多少なりとも効果があるらしい。
これなら、精神力の消耗を過度に気にしながら戦う必要もなさそうだ。コルベールも、その効果を素直にありがたく思った。もちろん、傷も完全に塞がっている。
「助かりましたぞ」
礼を述べながら、コルベールは立ち上がった。
「まあ、何にせよ、効いてよかった。この世界でも女神様の加護は健在ってこったな」
「しかし……私も、すっかり腕が鈍ったものですな。あの程度の数を相手に手傷を負うとは」
これでは、メンヌヴィルに説教できる立場ではありませんな……。そんなふうに苦笑していたコルベールだったが、次の瞬間、その表情が一変した。
穏やかな教師の顔から、歴戦の戦士の顔へと。
「ザイン君……」
「ああ。誰か、こっちに来るな」
さて、援軍だろうか?
いや、〝魔力探知〟でさらに詳しく調べてみると、どうやら違うらしい。
人間の魔力だ。二人……いや、もう一つ、妙な魔力も感じるが……。
「まったく、あとどれくらい斬り進めば地上に出られるのだ……!」
「ぼやくなって。間違いなく一歩ずつ進んでるんだ。ポジティブにいこうぜ、ポジティブに」
「ウェールズさま……あなたは今、どこに……って、あれ?」
ここで、こちらへ向かってくる二人と一本の正体が判明した。
現れたのは、金髪の勇ましい雰囲気をまとった女性剣士。
(戦士か……?)
ザインは訝しげに目を細めた。その背後には、学生服のような格好をした女性がいる。
いかにも育ちのよさそうな雰囲気をまとっており、この薄暗い洞窟には少々似つかわしくない。
魔力は比較的大きいようなので、おそらく魔法使いなのだろうが……。
「……あ、ああ……」
「……どうした、旦那?」
「いえ、彼女は……!」
コルベールの様子が、明らかにおかしい。ザインはそれを見て、ただ事ではない何かを察した。
彼が見つめているのは……あの金髪の女性剣士か。いったい、何があったというのだろう。
一方、向こうもこちらの存在に気づいたらしい。女性剣士が、即座に臨戦態勢を取った。
「待て、そこにいる者! 何者だ!!」
「お、落ち着いてくれ! 俺たちはあんたらと争う気はねえ!」
少なくとも、向こうの女性たちはアウラの魔法による洗脳を受けていないようだった。
正気の人間だと判断したザインは、両手を上げて敵意がないことを示した。
一方、金髪の女性……アニエスは、顎髭を生やしたザインを一瞬怪しげに見つめたものの、その隣に立つ禿げ頭の男性には見覚えがあった。以前、何度か顔を合わせたことがある。
「お前……あの時の。ミス・ロングビルと同じ、魔法学院の教師だったか?」
「え、あ、ああ……そうだ。そうか、君たちだったんだね」
これも、何かの試練なのだろうか。
二十年前、自分たちが灰に変えようとした村落。そこで暮らしていた、一人の少女。
涙目になりながらヴィットーリアの背後に隠れていた、あの幼い少女の面影が、目の前にいるアニエスの顔と重なった。
コルベールは、今一度、緊張に息を呑んだ。
「答えろ。お前たちは一体、どうしてここにいる?」
洞窟の中、アニエスはザインとコルベールの二人に、油断なく剣を突きつけていた。
普段なら、たとえ初対面の相手であっても、ここまで攻撃的な態度を取ることはまずないだろう。
だが、今の彼女は命からがら逃げ延びたばかり。そのうえ、怪物たちに襲われ、ルイズたちの行方も分からない。そんな心情の中不審な男二人と出会えば、警戒心は自然と強くなるもの。
さすがに敵だと決めつけているほど浅慮ではない……が。一人はまったく見知らぬ男。
もう一人は顔見知りではあるものの、どうしても胸の内に湧き上がる違和感を抑えられない、不思議な感情を抱かせる男だった。
……いや、正直に白状してしまおう。この禿げ頭の男のせいだ。こんなにも心がざわつくのは。
自分が嫌っている火系統のメイジだからか? いや、そうではない。
何というか……記憶の奥底に、何かが引っかかるような感覚がある。
「あ~、俺たちは村の怪我した子供が、この洞窟に迷い込んだって聞いてな。そいつを助けるついでに、辺りを調べていたところだ」
ここで、ザインが先に事情を説明した。
アニエスは剣を構えたまま、顎髭を生やした胡散臭そうな男の言葉に耳を傾ける。
「子供だと?」
「ああ。そいつはさっき見つけて、俺が怪我を治してやったんだ。そしたら、いきなり化け物どもが襲いかかってきてな。子供は仲間の一人に預けて、俺たちはここで応戦していたってわけだ」
そう言いながら、ザインは黒焦げになった首なしの死体の山を指さした。
……色々と怪しい気がしなくもない。だが、少なくとも『怪物に襲われた』という話が嘘ではないことは分かった。
アニエスも、ようやく剣を下ろす。
「そうか……疑ってすまなかった」
「で、あんたらこそ、こんなところで何をやってるんだ?」
「……悪いが、すべてを話す気はない。色々と複雑な事情が絡んでいるのでな」
とはいえ、同行している男の一人とは顔見知りだ。
そう思い、アニエスはコルベールへと視線を向けた。
しかし、当のコルベールはその場に固まったまま、ずっと顔を青ざめさせていた。
「そうかい。俺はザイン。コルベールの旦那を知ってるってことは、あんたもフリーレンを知ってるのか?」
「フリーレン……! お前も彼女を知っているのか?」
「ああ。俺はあいつと一緒に旅をしてたことがあってな。そっか、あんたとも知り合ってたのか、フリーレンは」
エルフ嫌いが蔓延するこの地で、フリーレンの名前を出すのは、ある種の賭けだった。だが、その名前を耳にした途端、アニエスの表情がぱっと和らぐ。
すっかり警戒を解いたアニエスを見て、ザインは内心で安堵した。
「そうか。私はアニエス。同じくフリーレンと旅をしている者だ。こいつはインテリジェンスソードのデルフリンガー」
「よう、よろしくな、おっさん」
「お、おっさんって、お前なあ……。てか、喋る剣か。初めて見たぜ」
「それで、こちらのお方が……」
アニエスが背後にいる女学生のような格好をした女性を紹介しようとした、その時だった。
ザインが片手を上げ、彼女の言葉を制した。
「待った。向こうから敵の魔力を感じる。かなり近いぞ。話の続きは、連中を片付けてからだ」
「いや、だが、この方は……」
その言葉が終わるよりも早く、一本の槍がアニエスとザインの間の地面に突き刺さった。
それを見た一同は、一斉に臨戦態勢を取る。
「自己紹介はまた今度だ! 悪いな、嬢ちゃん。戦えねえなら危ないから下がってろ!」
「は、はい……!」
ザインの言葉に、アンリエッタはただただ困惑しながら頷いた。
彼は知らない。自分が今、トリステイン王国のお姫様に対して、遠慮のないタメ口を利いていることなど。
「旦那!」
「ああ!」
さすがのコルベールも、この状況では放心しているわけにはいかなかった。先ほどと変わらぬ動きで『炎蛇魔法』を操り、迫り来る敵を的確に焼き払っていく。
一方、ザインは聖典を手に、コルベールと前衛を務めるアニエスの支援に回った。
「ほぉー、変わった魔法を使うんだな、あんた。ビダーシャルみてえだ」
戦闘の最中、デルフリンガーはザインの魔法を物珍しそうに眺めていた。アンリエッタも同様だった。
「杖ではなく、本を使って魔法を扱うのですか? 何かの魔道具なのかしら……?」
ザインが展開する魔法の盾は、敵の投げつけてくる槍や斧を的確に弾いていく。時には拘束魔法を使い、敵の動きを封じたり、攻撃を妨害したりもした。
そのおかげで、前線に立つアニエスやコルベールは、ほとんど危険を感じることなく敵を退けていくことができた。
(確かに、今まで見たことのない魔法だ。これもフリーレンの世界の魔法なのだろうか?)
アニエスも疑問を抱きながら、その支援をありがたく感じていた。少なくとも、この男は戦いにおいて信用できる。
だが、その一方で、禿げ頭の壮年男性に対する不信感だけは、徐々に募っていた。
(あいつの操る蛇の炎……。どこかで、どこかで見たことが……!)
「――――っ、しまっ!」
そんなことを考えながら戦っていたせいだろう。頭上の死角から襲いかかろうとしていた一体の敵に、気づくのが遅れてしまった。
「〝目覚めの解呪〟!」
その瞬間、ザインが聖典を輝かせ、強烈な光を放った。
「五秒間だけ、〝
ザインの言葉どおり、光が消えた後には、まるで糸が切れたように崩れ落ちていく遺体の数々があった。
コルベールはすかさず呪文を唱え、『錬金』で地面に大きな落とし穴を作り出す。
動きを止めた首なしの怪物たちが、次々と穴の中へ落ちていく。
「〝女神の三槍〟!」
続けてザインは、落盤を起こさない程度に天井へ魔法の槍を撃ち込み、崩れ落ちた瓦礫で落とし穴に蓋をした。
「すまない、助かった」
「いや、いいってことよ」
アニエスからの礼を素直に受け取りながらも、ザインは顔をしかめて呟いた。
「ふぅ……とりあえず片付いたな。しかし、マジでうじゃうじゃ湧いてきやがるな。これじゃ、全然先に進めねえ」
「…………」
「旦那?」
戦闘が終わった途端、コルベールは再び怯えたような表情に戻っていた。
ザインが呼びかけても、まるで心ここにあらずといった様子で、何の反応も返さなかった。
「旦那」
「え、あ、ああ……」
ザインが少し強めに呼びかけると、一応は反応を示した。だが、コルベールは依然として、どこか辛そうな面持ちだった。
その苦しさに耐えきれなくなったのか。それとも、早く胸の内を吐き出して楽になりたいという気持ちが勝ったのか。
コルベールは、いまだ自分を不審そうに見つめているアニエスに向かって、静かに口を開いた。
「気になるかね。先ほどの私の火魔法が」
「え? あ、ああ……」
突然そう尋ねられ、アニエスは戸惑いながらも頷いた。
「それもそうだろうね。あの炎は、かつて君の大切なものをすべて奪いかけた炎だ。決して忘れられるものではないだろう……」
「お前……!」
その言葉を聞いた瞬間、アニエスの表情が変わった。何かに思い当たったかのように目を見開き、無意識のうちにコルベールを睨みつける。
まさか、こいつ……。こいつは……!
「そうだ。私が二十年前、ダングルテール……君の村を灰燼に帰そうとした『
二十年前……ダングルテール村で……。あの時、炎を背に現れた、悪魔のような集団。
その部隊を率いていた張本人。それが、今まさに目の前にいるこの男なのだと、アニエスはついに理解した。理解してしまった。
「貴様が……あの時の……!!」
村を焼き滅ぼそうとし、恩人を連れ去った悪魔の一人が、何の因果か、今ここにいる。
アニエスは言葉を失い、デルフリンガーの柄をギリギリと握り締めた。
突然の告白によって、その場の空気は一瞬にして凍りつく。そんな光景を目の当たりにしたザインは、思わずこう思った。
(いや、それ……今この場で言う??)
もっとタイミングってものがあるでしょうが。
それとも、早く懺悔したくてたまらなかったのだろうか。
出会ってまだ数日も経っていないとはいえ、普段の冷静な旦那らしくねえなあ……。
ザインは、そんなことを考えていた。
「そうか……貴様がヴィットーリア殿を……!」
アニエスもまた、この怒りをどうぶつければよいのか分からず、激しく葛藤しているようだった。
言葉を紡ごうとしても、なかなか声にならない。
もし、二十年前の悲劇で村が焼き尽くされ、家族も友人も失っていたのなら、迷うことなくデルフリンガーをこの男の胸に突き立てていただろう。
だが、実際には村は残り、両親も友人たちも生きている。だからこそ、殺意に身を任せるまでには至らなかった。
とはいえ、許せるかと問われれば、それもまた別の話である。
(おい、マジでどうするんだよ、この空気……)
一番困っていたのはザインだった。
そもそも、こんなところで立ち止まっている場合ではないだろうに……!
(……って、そうこうしてるうちに、ほら! また来やがった!)
再び、首なしの怪物たちが現れた。洞窟の奥から、次々と湧き出してくる。しかも、今度は明らかに数が多い。
「旦那! 姉ちゃん! 今はこんなところで立ち止まってる場合じゃ……!」
だが、その声を無視するかのように、アニエスがゆっくりとコルベールへ歩み寄っていく。
「……今さら、何の言い訳もしない。任務とはいえ……私は本当に、君の村を焼き払うつもりだったのだ。それは覆しようもない事実だ」
そう告げると、コルベールは静かに目を閉じた。
何をされても受け入れる。そんな覚悟を決めたかのように。
そして、そんなコルベールに向かって、アニエスは……。
「ふんっ!」
「ぐはっ!!」
固く握り締めた拳で、思い切りコルベールの頬を殴りつけた。
女性とはいえ、鍛え抜かれた肉体から繰り出された一撃である。
コルベールの身体は勢いよく吹き飛び、そのまま洞窟の壁に叩きつけられた。
(こっわ……)
「とりあえず、色々と言いたいことはあるが……まず最初に、貴様に言っておきたいことがある」
アニエスは心底呆れ果てたような目で、壁際に倒れたコルベールを見下ろした。そして、こう言い放った。
「今言うな」
(ごもっとも……)
その一言に、ザインも心の底から同意した。
「そうだね……。だが、今言わなければ、告白する機会を逸してしまうのではないかと……」
「それは貴様の都合だろう。……まあ、いい」
アニエスはデルフリンガーを構え直した。ただし、その切っ先が向けられたのは、コルベールではない。迫り来る怪物たちだった。
「無事にここから脱出できたら、洗いざらい吐いてもらうからな。ヴィットーリア殿がどうなったのかについても。……逃げるなよ」
「あ、ああ……分かった!」
コルベールも、殴られた頬をさすりながら立ち上がった。
ザインはそんな彼の肩に、そっと手を置いた。ただし、殴られた痕の治療は施さなかった。コルベール自身も、それを望まないだろうと思ったからだ。
「まずは、連中を片付けて地上を目指す。お前たちが来た道を辿れば、少なくとも村には着くのだろう?」
「ああ、それは間違いな――――!」
その時、ザインは言葉を切った。いや、切らざるを得なかった。
突然、身の毛もよだつような膨大な魔力が、洞窟の奥から立ち上り始めたのだ。
コルベールもまた、その異様な気配に驚きを隠せず、怪物の群れの向こうへ目を向けた。
「あら、あらあらあら」
そんな声とともに、こちらへゆっくりと歩いてくる、一人の女性。
頭には二本の角。片手には天秤を携え、その身からは、これ以上ないほど濃厚な死の気配を漂わせていた。
「私の軍勢が、いったい誰にやられているのかと思って来てみれば……」
(最悪だ……)
ザインは、ごくりと唾を飲み込んだ。額に頬に、大量の汗を浮かべる。
一方、事情をまったく理解していないアンリエッタ姫だけが、怪物の群れの奥から現れた女性を、ぽかんと見つめていた。
「あ、あの……あの人は何者なのです?」
「……断頭台のアウラという魔族です。この地を巡る騒動、その諸悪の根源ですよ」
アニエスはアンリエッタ姫を背後に庇いながら、簡潔に答えた。
「な、何ですって……! では、あの人がウェールズ様を……!」
ラ・ロシェールからこちら、ずっと様子がおかしかった恋人。
そのウェールズを狂わせた原因が、目の前の女性にあると知り、アンリエッタは怒りを露わにした。
だが、そんな小娘の怒りなど、アウラにとっては取るに足らないものだった。
彼女の視線は、ただ一点に注がれていた。
「いつぞやの禿げ頭じゃないの。まさか、こんなところで再会できるなんてねえ。う・れ・し・い・わ・あ」
妖艶な笑顔の裏に、隠しきれない怒りを滲ませながら。
アウラは、かつて自分の人形を打ち負かしたコルベールを、冷ややかに見下ろしていた。
(くそっ、魔力を隠して近づいてきやがったな! やべえぞ、この距離は……!!)
ザインは、これ以上ないほどの冷や汗をかいた。
〝断頭台のアウラ〟。魔王直属の幹部、七崩賢に名を連ねた大魔族の一人。
彼女の操る魔法によって、幾つもの村や国が滅ぼされてきた。
実際に相対したことこそないものの、その脅威と異名は、同じ世界の出身であるザインだからこそ、よく理解していた。
魔力量の大小によって、すべてを決する服従の天秤。
彼女の魔法で勝負することになれば、今ここにいる面々では絶対に勝てない。
それが分かっているからこそ、ザインはすぐさま、全員に逃げるよう伝えようとしたのだが……。
「ちょっと! そこの者!」
なんと、それよりも早く、アンリエッタ姫が前へ進み出て、アウラに向かって声を張り上げたのだ。
「わたくしはトリステイン王国の王女、アンリエッタ・ド・トリステインです。あなたがアルビオンに混乱をもたらした張本人だと聞きました。このような狼藉、決して看過できませんわ! トリステインとアルビオン、両国を敵に回したくなければ、直ちに投降なさい。そして、ウェールズ様を解放するのです!」
ザインは、思わず大口を開けた。何も知らないからこその行動なのだろうが……。いくら何でも、命知らずにもほどがあるぞ!
アニエスもコルベールも、これには同じく顔を真っ青にした。
「ちょ、ちょっとお待ちを! この者にそのような脅しは……!」
「何故ですか!? ハルケギニアに、トリステインとアルビオンの名を知らぬ者などいないでしょう! この者は不届きにも、ウェールズさまとの結婚式を台無しにしたのですわよ! 相応の罰を受けさせねば――――!」
しかし、アンリエッタがどれほど言葉を投げかけようとも、アウラは一切反応を示さなかった。
仮にも王族である自分に対して、この態度。アンリエッタにとっては、今まで経験したことのない反応だった。
「邪魔」
アウラはそれだけ告げると、人差し指をアンリエッタに向けた。次の瞬間、天井から、壁から、そして床から。
化け物たちが大口を開け、四方八方から迫ってきた。
「―――ぐっ、姫様! お下がりを!」
アニエスに半ば強引に押され、アンリエッタも後方へ下がった。
「ですが、あの者には聞きたいことが――――!」
「そんなことを言っている場合ではありませぬ! いいから下がれ!」
とうとう敬語すら崩れたアニエスの怒声に、アンリエッタは思わず身体を硬直させた。
花よ蝶よと育てられてきた彼女である。これほど頭ごなしに怒鳴りつけられた経験など、片手で数えられるほどしかないだろう。
だが、アニエスとて、今は礼儀を気にしている余裕などなかったのだから仕方がない。
結局、アンリエッタは戸惑いと狼狽を隠せないまま、それでもアニエスの言葉に従って後方へ下がっていった。
そんな彼女に襲いかかる化け物たちを、アニエスは身を挺して迎え撃つ。
「姉ちゃん!」
「アニエス君!」
ザインとコルベールの二人が叫ぶ。
だが、その瞬間だった。
「あなたたちこそ、他人の心配をしている余裕なんてあるの? この私を前にして」
あ、しまった……!
いつの間にか、コルベールの胸元から、ぽうっと白い灯火が浮かび上がっていた。
それは一気にアウラの天秤へと吸い寄せられていく。
一方、ザインも同じ魔法の対象となっていたが、こちらは何かに弾かれるような感覚とともに、軽く後方へ吹き飛ばされた。
どうやら〝女神の加護〟が、魔族の呪いから彼を守ったらしい。
「へぇ、私の魔法を弾くほどの僧侶は久々に見たわね。やるじゃない」
アウラにとって、ハルケギニアで女神の魔法を使う者と遭遇するのは、これが初めてだった。
そのため、魔法の性能を底上げする一方で、女神の魔法に対する耐性を十分に付与できていなかったことが、ここに来て響いた格好だ。
とはいえ、アウラはさほど気にしていなかった。コルベールさえ服従させてしまえば、どうとでもなる。そのまま自害させてやってもいいし、見せしめにしてやってもいい。
いずれにせよ、結果は変わらないのだから。
(――――ッ!)
コルベールも、今のこの状況は非常に危ないと察したのか、素早く杖を振った。
「〝
フリーレンの協力があってこそだったが、かつて人形のアウラをも仕留めた魔法。
魔力の光は蛇の形となり、蛇行しながらアウラの防御をすり抜け、その身を貫こうと迫った。
だが――――。今度のアウラは、その魔力の蛇の首根っこを、いともたやすく片手で掴み取った。それを見たコルベールは、驚愕のあまり目を見開いた。
確かに一度は、人形とはいえ、アウラを滅ぼしたはずなのに。何故――――!
「バカじゃないの? この私に一度見せた魔法が通じるだなんて、本気で思っているのかしら」
アウラはそう言い放つと、魔力の蛇を一気に握り潰した。
コルベールの放った魔法が、跡形もなく霧散していく。
「物分かりの悪いあなたたちに教えてあげる。魔族というのはね、人間の魔法を
つまり、今さら同じ魔法を放ったところで、アウラには通用しないということだ。
コルベールは愕然とした。まさか、これほどあっさりと自分の魔法を封じられるとは。
決して、驕っていたわけではない。だが、それでも彼女の力は、自分たちメイジの常識を遥かに超えていた。
ブリミル教のメイジたちが恐れるエルフでさえ、決して油断できない相手だと警告するほどの存在。
それが、フリーレンの世界に潜むという『魔族』なのだと。
「というわけで、さようなら。あなたは首を切り落として使ってあげるから、その醜い禿げ頭ともお別れね」
そう告げると、アウラはコルベールの魂を天秤の片方の皿に乗せる……間際にまで迫った。
このまま天秤に乗っかると魔法が発動する。瀬戸際の場面。
反撃できる手段もないザインとコルベールは、悔しげに目を閉じる。
「〝
だが、次の瞬間。アウラの顔からすっと笑みが消えた。そして何故か自ら天秤を消し去ったのだ。
天秤に乗っける間際だったコルベールの魂は解放され、は再び身体の中へと戻っていった。
「「……?」」
一瞬、何が何だかわからず、二人は呆気に取られた。
なんだ? 魔法を発動させなかった?
慈悲を見せたのか? いや違うだろう。飛びのいて退いたアウラの顔を見て、ザインは思った。
(
「ふぅん、鬱陶しく足掻くわね」
さて、これと同時刻。
アウラはなぜ、〝
その理由は、大精霊石の前で戦う本物のアウラと、エルフの女性との攻防にあった。
端的に言えば、エルフが『精霊の力の適用範囲を、洞窟内全体にまで広げた』からである。
これにより、アウラが洞窟内で『服従の天秤』を使おうとすれば、対象者の魔力に加え、大陸を動かす精霊の魔力までもが一緒に、必ず天秤へ乗せられることになる。
つまり、この洞窟内に限っては、アウラの〝
コルベールたちのもとへ差し向けたアウラは、『スキルニル』によって生み出された人形である。
この人形は、魔法も性格も仕草さえも完璧に模倣できる強力な魔道具なのだが、唯一、魔力だけは『百年分しか模倣できない』という制約があった。単純に、人形そのものの性能の限界なのだろう。
おまけに、消耗した魔力を回復する手段もない。回復させるには、一度人形を元の状態に戻すしか方法がないのだ。
ゆえに、スキルニルで〝
失敗すれば、当然、その効果は本体にも適用されてしまうからだ。魔力量を測り間違えることは、即、死につながる。
人形のアウラが、魔法の発動直前に、コルベールの魂から天秤を解除した理由は、まさにこれだった。
そして、こんな荒業を可能にするほどの魔力と行使能力を、大精霊石の番人たるエルフの女性は見せつけてきた。
それほどまでに高位の実力者だったのだ。
だが……。
「逆に言えば、それは大規模な魔力を無造作に放出しているのと同じこと。この私を前にして、そんな真似をする余裕なんてあるのかしら?」
当然、あるわけがない。
エルフの女性は無表情を貫いているものの、その裏で静かに疲弊していることを、アウラは見逃さなかった。
ただでさえ、あと十分持つかどうかという状況である。
そこへこんな芸当を加えれば、当然、限界を迎えるまでの時間はさらに短くなる。
にもかかわらず、あえてこんな真似をするということは……。
(この洞窟に侵入した者の中に、このエルフが大切にしている誰かがいる……そんなところかしら)
そうでなければ、わざわざ魔力を放出してまで、自分の魔法を封じようとはしないだろう。
まあ、いい。とりあえずは、好きなようにやらせておこう。
どうせ、じきに何もできなくなるのだから。
「ほら、さっさと行きなさい」
ここでアウラは、特別に生かしておいた切り札を差し向けた。
元素の兄弟の三人と、青髪の女学生ことタバサである。
この四人は、有象無象のメイジたちの中でも、ひときわ強いと認めた者たちだった。ゆえに、特別に首を切り落とさず、生きたまま操っている。
ドゥドゥーは『剣化』、ジャックは『硬質化した岩弾』、ジャネットは『水の鞭』を用いて攻撃を仕掛ける。
そんな中、タバサだけは、この世界とは異なる魔法を使った。
フリーレンから教わった〝
放たれた魔法はエルフの『反射』と拮抗したものの、結局は跳ね返され、タバサ自身に直撃した。
『先住魔法』が未解析であるがゆえに、反射の性質を無効化できなかったのだ。
だが、攻撃を跳ね返されたタバサは、すぐさま起き上がった。
彼女の〝一般攻撃魔法〟は、生きた者の身体を決して貫通しないように作り変えられていたからだ。
フリーレンの、人の命を奪わないという考え方が、偶然にもタバサの命を救っていた。
しかし、そんな彼女の様子を、アウラは目ざとく見つけた。
「へえ、珍しい。あなた、その魔法を扱えるのね」
「……」
「けど、当たっても死なない。そんな生温い〝
アウラはそう言うと、いったんタバサを下がらせ、自分のもとへ呼び寄せた。
そして、無造作に彼女の頭を鷲掴みにすると、タバサの扱う〝一般攻撃魔法〟の性質を勝手に書き換えた。
不殺を前提とした〝ゾルトラーク〟だなんて、生温いにもほどがある。
この魔法を生み出したクヴァール老への冒涜だ。
「〝
そうして、タバサが扱う魔法陣を書き換え終えると、アウラは彼女を解放した。
タバサはしばらくふらふらと身体を揺らしていたが、やがて操られるがまま、再び杖を大精霊石へと向けた。
そこから放たれたのは、六枚の花弁を模した魔法陣を伴わない、黒々とした閃光だった。
エルフの女性は、その光景に一瞬、目を見開いた。
初めて見る魔法だったが、先ほどの閃光とは比べ物にならないほど危険なものだと分かった。
これを跳ね返してしまえば、まだ生きたまま操られているあの子も、無事では済まない――――。
刹那、エルフの女性の脳裏に、一人の青年の姿がよぎった。
優しい青髪の青年。その身を賭してこの大陸を、そして自分を救ってくれた恩人の笑顔が。
「……ぅっ!」
エルフの女性は苦悶の表情を浮かべながら、『反射』の効果をわずかに、本当にわずかに弱めた。
結果、〝人を殺す魔法〟は大精霊石の壁を貫通。
その内部で揺蕩うエルフの女性の腹部、そのすれすれで停止した。
衣服が焼け、肌がわずかに焦げる。
「
当然、アウラがこの反応を見逃すはずもなかった。相手を攻略する糸口になり得る、重要な反応だったからだ。
そして再び、タバサから〝人を殺す魔法〟が放たれる。
だが、今度はエルフの女性も対応を変えた。魔法を別方向へ『反射』させることで、タバサの攻撃をすべて防ぎ切ったのだ。
一見すれば、危なげなく対応し切ったように見えただろう。
しかし、五百年もの間、人間を魔族の視点から観察してきたアウラは、別のことに気づいていた。
(声や態度で威厳を保とうとしているようだけど、もうバレバレよ。あなたも所詮、弱った人間を見捨てられない性分みたいね)
精いっぱい威厳を保ちながら自分と対峙しているものの、その裏にある、他者を見捨てられない優しさ。
アウラは、先ほどの攻防でそれを見抜いていた。
この『習性』は使える。アウラの笑みは、ますます深まるばかりだった。
一方、エルフの女性も、やられっぱなしで終わるつもりはなかった。
この地の精霊たちに指示を飛ばし、地盤を、ひいてはこの空間そのものを作り変えようと動き始める。
その余波によるものか、地下の洞窟全体が再び大きく揺れ動いた。
さて、視点はティファニアの方へと戻る。
「ここまで来れば、もう安全ね」
怪我をした子供を背負いながら、ティファニアは一足先に地上を目指していた。
幸いにも、道中で怪物に遭遇することはなく、無事に地上へ、さらには村まで戻ってくることができた。
「おお、息子を連れ戻してくださって、ありがとうございます!」
「おねえちゃん、ありがとう!」
「ううん、どういたしまして」
親子から素直に感謝され、ティファニアも微笑んで応えた。
エルフであることを隠していないため、怖がられるかと思っていたが、そんなこともなかった。
助けた親子からの心のこもったお礼に、ティファニアは胸の奥が温かくなるのを感じた。
(ザインさんたち、大丈夫かな……)
さて、ひと段落して落ち着いたところで、ティファニアは背後にある洞窟の入り口へと目を向けた。
すぐに戻るから、村で待っていてくれと言われていたけれど……。
時間が経つにつれ、少しずつ不安が募ってくる。
かといって、勝手に引き返して入れ違いになったり、ザインたちに迷惑をかけたりするのも嫌だった。
色々な思いが頭の中をぐるぐると巡る。とりあえず、辛抱強く待っていよう。
そう思っていたのだが……。その時、突然、激しい地響きが巻き起こった。
「きゃっ!?」
思わず尻もちをつきそうになるほどの揺れ。
しかも、その震源は、先ほどまで自分たちがいた洞窟の中にあるように感じられた。
村人たちも、突然の揺れで怪我こそしなかったものの、不安げな表情を浮かべている。
(だ、大丈夫なのかな……!)
一度不安になってしまうと、どうしても気持ちを抑えきれなくなる。
今の揺れで道が塞がって、ザインたちが帰れなくなってしまったのだとしたら……。
そんなことを考えると、いても立ってもいられなかった。
ティファニアは決意を固めるように強く頷くと、もう一度、洞窟の中へと足を踏み入れた。
だが――――。
「きゃっ、きゃああああああああああああっ!!」
次の瞬間、暗闇のせいで足元を十分に確認できなかったティファニアは、足を滑らせてしまった。
そのまま尻もちをつくような格好で斜面を滑り落ち、洞窟の深部へと落下していくのだった。
「……っと、なんだ!?」
ザインたちもまた、洞窟全体を揺るがすような激しい振動に見舞われていた。
特に、コルベールの立っていた場所は、先ほど落とし穴を作った影響で地盤が脆くなっていたのだろう。
彼の足元だけが、突如として崩れ落ちた。
「っ、旦那!」
「いい! 私はいいから、ザイン君! 彼女たちを頼む!!」
助けに向かおうとするザインを、コルベールが制した。
見れば、アウラの視線は完全にコルベールへと向けられている。
それだけでザインは、コルベールが『アウラの注意を引くため、自ら囮を買って出た』のだと悟った。
事実、『
そして、その後を追うように、アウラも躊躇なく飛び込んでいった。
ザインも追いかけようとしたが、その直前、天井から岩盤が崩れ落ちてきた。
巻き込まれるのを避けるため、素早く身を引く。
(っ……確かに、あの状況じゃどう足掻いても戦況をひっくり返すことはできなかった……! だがよ……!)
だからといって、ここでコルベールを見捨てるわけにはいかない。
ザインは一瞬、アニエスの方へと目を向けた。
彼女はすでに周囲の敵を片付けていたらしく、ザインと目が合うと、小さく頷いた。
「分かっている。行ってくれ。あのバカを連れ戻してくるんだ」
アニエスの力強い言葉に、ザインも頷き返した。
そして、コルベールを捜すため、別の通路から洞窟の奥へと向かっていった。