業火の奔流が、アウラへと迫る。
それを見たアウラは、顔色一つ変えず、タバサを盾にするように動かした。
彼女が怒りを露わにした原因は、この二人にある。ならば、この二人が『人質』として機能するのは明白だった。
「いいのかしら? 大切な人たちが、みんな燃えちゃうわよ――――」
そこまで言いかけた時、アウラは気づいた。
獄炎が、容赦なくタバサへと襲いかかってくることに。
あれでは、もうタバサは助からないだろう。何だ? 怒りで周りが見えなくなったのか?
(――――いや、違う!)
アウラは目を見開いた。
タバサに覆いかぶさった炎は、そのまま輪を形作り、彼女の身体を縛り上げた。
タバサは、その場に倒れ込む。だが、身体が燃えることはなかった。
極めて精密な魔力の保護膜を作り上げることで、炎の熱から身体を守りながら、獄炎そのものを拘束に利用しているのだ。
一方、倒れたコルベールの周囲は、ドーム状に広がった炎に覆われていた。害意から身を守るための措置か。
人間が、ここまで精密に火魔法を操るところなど見たことがない。
しかも、並の魔法使いでは制御することすらおぼつかない獄炎で、それをやってのけるとは。
(もともと才能のある魔法使いだったんでしょうけど、怒りをきっかけに、一気に化けたみたいね)
『マギ族』には、もともとそうした特性が備わっていると、ソリテールから聞いてはいた。だが、ここまで顕著に才能を開花させた魔法使いは、キュルケが初めてだった。
少なくとも、この地に来て三年。こんな魔法使いは、一度も見たことがない。
こうなると、認識を改めざるを得ない。アウラはキュルケへの評価を修正しながら、後方へと跳躍した。
しかし、逃がさないとばかりに獄炎が猛る。アウラは、焼けただれた右腕を差し出した。炎はその腕に食らいつき、さらに激しく爆ぜる。アウラはすかさず右腕を切り離し、追撃を免れた。
右腕を失ったアウラは、宙に浮かびながら、控えさせていた首なしの亜人たちを差し向ける。
しかし、その手下たちは、ことごとく獄炎の薪となり果てた。
(あ~、ちょっと面倒くさいわね。〝
戦闘技術や経験では、コルベールと比べても圧倒的に劣る。
だが、それを補って余りある『若さ』と『勢い』が、彼女にはあった。おまけに、〝地獄の業火を出す魔法〟の異常なまでの制御精度。
この一点に限れば、今のキュルケはコルベールすら凌駕していると言っても過言ではない。
獄炎を身にまとい、杖先をこちらへと向ける赤毛の少女。
その姿は、さながら炎を従えて舞う踊り子のようでもあった。
「仕方がないわね。作戦を練り直すしかないわ」
アウラはそう呟くと、いったん洞窟の奥へと退いていった。
「待ちなさい!!」
当然、キュルケは追いかけようとする。
だが、その行く手を阻むように、首無しの亜人たちが次々と押し寄せてきた。
「ああもう! うっとうしい!!」
キュルケは杖を一振りし、獄炎を巧みに操って、首なしの亜人たちを次々と焼き尽くしていく。
本来なら、全力で放つだけでも制御が難しい獄炎魔法。だが、今のキュルケには不思議と、その炎を自在に操ることができた。
極限まで高まった怒りと、それを支える冷徹な理性が、彼女から業火への恐れを奪い去ったのだ。
しかし、当然ながらティファニアたちは、そんなキュルケに近づくことすらできなかった。
「き、キュルケ! 少し落ち着きたまえ!」
「ギーシュ! ティファニア! ジャンとタバサをお願い!!」
ギーシュの制止には耳も貸さず、キュルケは逆に二人へそう叫んだ。
そして、そのまま逃げるアウラを追いかけていく。
「ま、待ちたまえ!」
引き止めようとするギーシュやティファニアたちを、その場に残して。
だが、この行動は、キュルケが怒りのあまり冷静さを失っているから……というわけではなかった。
もっと切実な理由があったのだ。
(あいつへの怒りで精神を満たしていないと、この地獄の業火を優しく扱えないのよ!!)
自分が『スクウェアクラス』に到達したことを肌で実感してなお、〝地獄の業火を出す魔法〟の制御は、依然として手に余るものだった。
今はアウラに対する未曽有の怒りのおかげで、完全な制御が可能となっている。それどころか、拘束や防護幕として利用できるほど、精緻な操作すら実現していた。
だが、この怒りが霧散した瞬間、その操作技術も失われてしまう。
誰よりもそのことを実感しているのは、ほかならぬキュルケ自身だった。
今もなお、彼女の獄炎は、大切な親友と恋人を守っている。だからこそ、この制御を失うわけにはいかなかった。
かといって、撤退していくアウラを放っておくこともできない。
ゆえに、今のキュルケにできること。それは、『アウラという脅威を葬り去るまで、この怒りを持続させること』だった。
(タバサたちのことは、もうティファニアたちに任せるしかない。あたしはこの業火で、あいつを完全に燃やし尽くす!!)
生まれてこの方、これほどまでに激怒したことはない。
そう思えるほど、今のキュルケの精神は激情に満たされていた。
その怒りを、ひたすら薪として獄炎にくべ続ける。その怒りで、アウラを討つ。
さて、そうしてタバサとコルベールを仲間たちに託し、一人、アウラを討つべく洞窟の奥へと進んでいったキュルケ。
当然、置いていかれたギーシュたちは、しばし呆然と口を開けていた。
「ええっ……と、これは一体どういう状況なのだね……?」
ギーシュに至っては、いまだにそんなことを呟いている始末だった。
なぜタバサがこんなところにいるのか。なぜコルベールが倒れているのか。そして、あの二つ角の女性は何者なのか? あ、あれがもしかしてフリーレンの言っていた魔族なのだろうか……。
そんなことを考えている間にも、ティファニアの方が先に動いていた。
「あ、あの! 大丈夫ですか、コルベールさん!!」
ティファニアも、ザインと一緒にいたはずのコルベールがなぜ一人でいるのか、よく分からなかった。
だが、このまま放置していては間違いなく危険だ。すぐに駆け寄り、聖典を取り出すと、彼に治癒魔法をかけ始める。
「な、何だね、その魔法は? 噂に聞く先住魔法かい?」
女神の魔法を初めて目にしたギーシュは、使い手がエルフであることもあって、すぐに『先住魔法』なのかと尋ねた。
「いや、こいつは確か、聖典に記された魔法……ってやつか」
それに答えたのはティファニアではなく、彼女の手に握られたナイフだった。
「地下水さん……でしたっけ。この魔法をご存じなのですか?」
「ああ……昔、その魔法を扱う奴を一人知っていてな。……ってか、確かそいつもエルフだったな」
意外にも、このインテリジェンスナイフは女神の魔法を知っているらしい。
「聖典……とやらに記された魔法なんだろ? そんじょそこらの水魔法の『
「あの……」
「私と同じエルフ……が、この魔法を使っていたんですか?」
「ぼくぅ……」
「ああ、確か名前は……ああ、そうだ。ビダーシャルだ」
ビダーシャル……聞いたことのない名前だ。
あれ、でも、確か『母が生きていた頃』……。何か、そんな他愛もない話を聞いたような記憶が、あったような、なかったような……。
「……ぅう」
「あ、コルベールさん! 大丈夫ですか!?」
ここでコルベールが、呻き声を上げながら身じろぎした。どうやら、まだ彼の命は消えていないらしい。
そこで、会話から置いていかれ、またもやいじけそうになっていたギーシュが、意識をコルベールへと向ける。
「ミスタ・コルベール! 大丈夫なのですか!?」
「あ、ああ……ミスタ・グラモン、ミス・モンモランシーは……?」
「大丈夫です。気絶しているだけですので」
「そうかい、よかった……」
ひとまず、目的の生徒たちと合流できたからか、コルベールは一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。
そのまま起き上がろうとするが、激痛のため、身体が思うように動かない。
「まだ寝ていないと駄目ですよ!」
ティファニアも、慌てて彼を制止した。
「すまない……助かったよ、ミス・ティファニア。〝女神の魔法〟とは、かくも素晴らしいものなのだな。腹を貫かれた時は、死を覚悟したというのに……」
「何とかなってくれてよかったです。あの……ザインさんは?」
「彼とは途中ではぐれてしまってね……。どちらかというと、私が迷子になった側だから、問題ないとは思うが……っつつ」
その後もコルベールは起き上がろうと四苦八苦していたが、思うようにいかない。
ティファニアは「安静にしてください」と彼を再び横たわらせると、今度は獄炎の縄で縛られているタバサのもとへと向かった。
「……これ、どうすればいいんだろう」
ひとまず、消耗しているタバサに治癒魔法を施しながら、ティファニアは考える。
彼女の魔力は、何か恐ろしいものに乗っ取られている。それは、魔力探知によってティファニア自身にも分かっていた。
ただ、今は、この炎の縄によって動きを封じられているようだ。
禍々しい魔力を感じさせる炎の輪であるにもかかわらず、触れてみても、ほんのりとした『微熱』を感じるだけ。
何とも不可思議な炎だった。
この炎の縄は、今はまだ解かない方がいいのだろうか……。
ティファニアがそう考えていた、その時だった。
「ああっ! み、ミスタ・コルベール!!」
ギーシュが驚愕の声を上げ、ある方向を指差した。なんと、再び首無しの亜人たちが現れたのだ。
オーク、コボルト、トロールなど、様々な種族が入り交じっている。
コルベールからすれば、もはや見慣れた相手だったが、初めて遭遇したギーシュとティファニアは激しく狼狽した。
(これはまずい! 何とか子供たちだけでも、逃げる時間を稼がねば……!)
そう考え、コルベールは再び立ち上がろうとする。
だが、いまだ身体には力が入らなかった。無理もない。腹部を貫かれたのだから。
本来なら、女神の魔法による治療を受けたとしても、数日は安静にしていなければならないほどの重傷だったのだ。
ティファニアには戦闘経験が皆無。
モンモランシーは気絶したまま。
地下水は……どう動くか読めない以上、論外だ。
となれば、ここはギーシュが動くしかなかった。
「ぼくだって、姫様をお助けするためにアルビオンまで馳せ参じたんだ! この程度の脅威、何するものぞ!」
学生とはいえ、貴族の子である。
腹をくくれば、勇ましく杖を敵へと向けた。
「ゆけっ! 『ワルキューレ』!」
薔薇の杖を振って花弁を散らし、そこから得意の女神騎士のゴーレムを七体召喚する。青銅の女騎士たちは、それぞれ槍や剣、斧を手に亜人たちへと立ち向かった。
だが……。
「駄目だ、ミスタ・グラモン! 迎撃ではなく、逃走のためにワルキューレを活用するんだ――――!」
コルベールが指示を飛ばした時には、もう遅かった。
まともにぶつかり合えば、平民の一個小隊にも匹敵するとされるワルキューレ。
だが、今回はあらゆる意味で敵の性能が上回っていた。
首がなくとも、亜人たちは自慢の怪力を振るい、青銅の騎士たちを次々とバラバラに破壊していく。十秒と持たなかった。
「あらっ……」
これには、ギーシュも苦い顔を浮かべる。
動けないタバサやモンモランシー、コルベールたちを運ぶための逃走要員として使えば、活躍が見込めただろうに。
前のめりになっていたせいで、そんな発想すら浮かばなかったのである。
(まずい! これはまずいぞ!)
さすがのギーシュも、焦りを隠せない。そんな時だった。
アルビオンへ来る前、フリーレンから『あるもの』を貰っていたことを思い出したのは。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それは何だい?」
アルビオンに来る前、船に乗っていた時のこと。
おもむろにフリーレンが、『護身用』としてギーシュとモンモランシーに『それ』を渡してきたことがあった。
『それ』は、小さなゴーレムらしき人形が、体育座りの姿勢で収められた小瓶だった。
「『脱出用ゴーレム』。一級魔法使い試験を受けた時に貰った魔道具だよ」
フリーレンはそう前置きして、説明を始めた。
一級魔法使い試験の第二次試験で、『零落の王墓』に挑むことになった際、試験官だったゼンゼが受験者たちに配った小瓶である。
フリーレンもフェルンも使うことなく試験を突破できたため、そのまま持ち帰っていたのだった。
その二つの小瓶を、今回ギーシュたちに渡したのである。
「
フリーレンはそう言って、ギーシュに小瓶を手渡した。
隣で見ていたモンモランシーは、瓶の中に収められた人形を怪訝そうに眺めていたが、受け取った瞬間、ギーシュの顔色が変わった。
「み、ミス・フリーレン。これって……」
「そうだね。『土系統』のギーシュとロングビルだったら、気づくか」
名前を呼ばれたロングビルことマチルダも、改めてその小瓶を覗き込んだ。
……確かに、ギーシュが震えるのも分かる気がする。
小瓶の中に眠る人形の『性能』を理解した瞬間、マチルダの額にも、静かに汗が滲んでいた。
「……ねえ、フリーレン。この小瓶、あんたが作ったのかい?」
「いや、大陸魔法協会に所属する一級魔法使いが作ったものだよ」
「えっ? こんな異次元の代物としか思えないゴーレムを!? あんたじゃなく、別の人が!?」
土系統のメイジであるマチルダとギーシュだからこそ、このゴーレムの性能の高さが分かる。自分たちが呼び出すゴーレムよりも、はるかに高機能で、恐ろしい機動力も備えている。
そう確信できるほどの力が、この小さな人形には込められていたのだ。
マチルダが声を上げたものだから、ルイズもシエスタも、キュルケもワルドもコルベールも、気になった様子で集まってきた。
「おまけに、これ単体で『回復魔法』も使えるみたいだからね。いざという時には必ず役に立つと思うし、この中だと一番危ないギーシュたちに渡しておこうかなって」
「いやあ……これはすごいものだよ」
ギーシュは先ほどから、しきりに感心した様子で頷いていた。
「間違いなく、スクウェアクラスの土メイジが作ったものに違いない。願わくば、一度お会いして、どうすればこんなゴーレムが作れるのか、ご教授願いたいものだ」
「やめた方がいいよ。いきなり私の肩を撃ち抜くような野蛮人だし」
フリーレンのその言葉に、周囲があらゆる意味で驚愕し、凍りついたのは当然のことだろう。
この大魔法使いのエルフに喧嘩を売るどころか、あまつさえ肩を撃ち抜いたというのだ。それはもう、野蛮人というレベルではない気がするのだが……!
「そういうわけだから、私はあいつが嫌いだけど、実力があるのも確かだよ。性能は保証する」
「そ、そうなの……! じゃ、じゃあ、わたしもありがたく受け取っておこうかしら」
フリーレンに喧嘩を売れるほどのメイジが作った魔道具だというのなら、頼もしいことこの上ない。
モンモランシーも素直に頷きながら、その小瓶を受け取ったのだった。
「……それにしても、あんたの世界のメイジ、ヤバすぎない? エルフに喧嘩を売るとか……」
「そうかな? まあ、私の世界でいう〝一級魔法使い〟がどのくらいの実力なのか、一つの物差しにはなるかもね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(『あの時』受け取った携帯用ゴーレム、早速使ってみるか!)
ギーシュは懐から、三角フラスコ型の小瓶を取り出した。
本来は瓶を割って使用するものらしいが、ギーシュは蓋を外し、杖を向けて『錬金』を唱えた。
どうやらフリーレンが、『錬金』のルーンを発動のきっかけにできるよう、調整してくれていたらしい。再使用も視野に入れてくれたようなのだ。
ギーシュが『錬金』を唱えると、瓶の中から、小人のようなゴーレムがぬるりと姿を現した。
ふんどし一丁の男性型ゴーレムは、外に出た瞬間、二メイル弱の大きさにまで巨大化した。
「な、何だそれは!?」
地下水が驚きの声を上げる。
「み、ミスタ・グラモン。それはまさか……」
「ええ! フリーレンから貰ったこのゴーレムを、今こそ活用すべき時かと!」
頼もしげに背後へ控えるゴーレムを見て、ギーシュが真っ先に思いついたのは『名付け』だった。
「
満足のいく名前を付けられたことで上機嫌になったギーシュは、早速命令を下した。
「よし、では『アインヘリヤル』よ! あの不格好な首無し兵たちを薙ぎ払ってくるのだ――――って、あれ?」
しかし、『アインヘリヤル』こと、一級魔法使いレルネン作のゴーレムは、そんなギーシュの命令など完全に無視。
「お、おおおおい! 待ってくれ! 話が違うぞ! 言うことを聞いてくれ!」
だが、ギーシュの言葉には一切耳を貸さず、ゴーレムは走り去っていく。
ここにきて、ギーシュも思い出した。このゴーレムを使う際、フリーレンから言われた注意点を。
(このゴーレムはあくまで『安全圏までの離脱』が主な目的だから、そこから大きく外れるような命令は受け付けないんだ。気をつけてね)
(もし思いどおりに操りたいのなら、ギーシュ自身が成長して、このゴーレムを操れるように作り替えないと駄目だよ)
そう、あくまでこのゴーレムの用途は『危機からの緊急離脱』なのである。
用途を変えたいのであれば、ギーシュ自身が解析し、作り替えなければならない。
『アインヘリヤル』と名付けられたゴーレムは、そのまま重傷者であるコルベールだけを担ぎ、逃げていく。
彼だけを運んでいるのは、この場にいる面々の中で、最も危険な状態にあると
つまり、『誰を運搬するかすら、主人の指示を聞かずに自己判断で決めている』ということだ。
もっと簡単に言えば、ギーシュはゴーレムに舐められているのだった。
作り手との実力差を考えれば、当然ともいえる話ではあるのだが。
(相当なメイジが作ったものだとは思っていたけど、こんなにも扱いが難しいだなんて……!)
だが、それはゴーレムの創造を得意とする『土系統』の使い手として、屈辱以外の何物でもなかった。
ギーシュは拳を握り締める。
まるで「お前がヘボだから、従うに値しない」と、ゴーレム自身から告げられているようなものなのだから。
しかも、そのゴーレムはコルベールを担ぎながら、片手で『治癒魔法』を使い、足で亜人の群れを撃退しながら進んでいく。
ワルキューレが徒党を組んでも歯が立たなかった亜人の群れを、いとも容易く……。
その圧倒的な実力をまざまざと見せつけられるからこそ、顔も知らないゴーレムの作り手との実力差を、嫌というほど思い知らされるのだった。
(ゴーレムにシカトされる土系統の使い手かあ。これはクるだろうな……)
ティファニアの手に握られている地下水ですら、そう思うのだった。
だが、ギーシュの葛藤はさておき、状況はほとんど変わっていなかった。負傷したコルベールが、この場からいなくなっただけである。
ギーシュがもっとゴーレムの性能を引き出せていれば、話は違ったかもしれないが。
亜人の群れは、再び地の底から湧き上がってくる。
依然として、危機的状況は変わらない。
「おい、坊主! 姉ちゃん! 俺をその子に握らせろ!」
そこで、ティファニアの手の中から地下水の声が響いた。
「約束する! 操ったとしても、その子を連れて逃げ出したりはしねえ! 気絶したその子を抱えたまま、あんな軍勢を相手にできねえだろ、坊主じゃ!」
悔しいが、事実である。ゴーレムに三行半を突きつけられたことが、思いのほかショックだったのだろう。
ギーシュの目には、すっかり力がなくなっていた。
「で、でも……モンモランシーを、お前みたいな奴に預けるだなんて……!」
「じゃあ、その子と一緒にここで死ぬか?」
ギーシュは、きゅっと唇を結んだ。
自分一人だったなら、トリステイン貴族特有の敢闘精神に突き動かされ、勝ち目のない特攻を仕掛けたことだろう。
だが、恋人のモンモランシーまで道連れにして、そんな無謀な真似をするほど理性を失ってはいなかった。
一応、モンモランシーの懐にも同じ小瓶が眠っている。
だが、先ほどの光景を見た以上、自分がもう一体のゴーレムをまともに扱えるという自信は、ギーシュにはなかった。
「……本当に、逃げないと約束するか?」
「ああ。少なくとも、おたくのゴーレムみたいな真似は絶対にしねえ。俺だって命が惜しいしな」
このままティファニアの手に握られていては、地下水も何もできない。この場で死ぬことだって、十分にあり得るのだ。
だからこそ地下水自身も、この約束を破るつもりはなかった。
「……!!」
それでも、恋人を操らせるだなんて。強い葛藤が、どうしてもギーシュに言葉を紡がせない。
自分がもっと強かったら。あのゴーレムが、ちゃんと言うことを聞いてくれていたら。
そんな思いが、ギーシュの頭の中をぐるぐると巡っていた。
だが、そんな彼の葛藤をあざ笑うかのように、モンモランシーのすぐ近くで、激しい衝撃が巻き起こった。
こちらには、ろくな対抗手段もない。
かろうじてティファニアが防御魔法を展開しているものの、所詮は時間稼ぎにしかなっていなかった。
とうとう、モンモランシーのすぐ近くまで、亜人たちの脅威が迫ってきた。
護衛のワルキューレでは、もはや歯が立たない。
そして、ついにギーシュは決断した。
「た、頼む……モンモランシーだけでも……!」
我ながら、すっごく情けない。
こんな惨めな気持ちになるのは、生まれて初めてのことだろう。
大切な恋人を、よりにもよって攫おうとした奴に託すだなんて。
だが……モンモランシーを助けたいという純粋な思いが、とうとうギーシュにその言葉を口にさせたのだ。
「あいよ。嬢ちゃん、そういうわけだ。頼む!」
地下水もまた、そんなギーシュの頼みを無下にはできないとばかりに応じた。
……あの厄災を退けた、お人よしの勇者ならば、きっと応えただろうから。
ティファニアも頷くと、いまだ気絶しているモンモランシーのもとへ駆け寄り、そっと彼女の手に地下水を握らせた。
「っと、ようやく自由に動けるぜ!」
モンモランシーは起き上がるなりそう言うと、器用な手つきでナイフを回転させ、呪文を詠唱した。
そして、襲い来る亜人たちを、水の壁や氷の矢の嵐で退け始めた。
「よし! 突破できる隙を作った! 今のうちに逃げるぜ、お二人さん!」
そう言うと、地下水はモンモランシーの身体で、縛られているタバサを担ぎ、先へと進んでいく。
ギーシュとティファニアも、その後に続いた。
ギーシュは、ひどく悔しそうな顔をしたまま。
さて、場面はアウラとキュルケの戦闘へと戻る。
キュルケは〝
その道中、地面から、天井から、そして左右の壁から、アウラが操っているのであろうワームやモグラ、サラマンダーなどが次々と襲いかかってくる。
キュルケはそいつらを焼き払いながら、先へと進んだ。
すると、途中からサラマンダーの数が増え始めた。
トリステインに置いてきた使い魔を思い出し、一瞬だけ躊躇したのを見抜かれたのだろうか。
(やっぱり、フレイムは連れてこなくて正解だったのかもしれないわね)
アルビオンへ渡る際、使い魔を連れてこようかと考えていたキュルケだったが、アウラの魔法の詳細を聞き、『危ない』と判断したのは間違いではなかったと再確認する。これはギーシュも同様だった。
一瞬の攻防でサラマンダーに対する憐憫の情を見抜き、それを利用しようとする輩なのだ。連れてきていたら間違いなく、同士討ちを狙ってきただろう。
そうして、迫りくる操られたサラマンダーの群れを退け、キュルケが歩を進めた先。
坑道のような細い道を抜けると、急激に視界が広がり、巨大な空間へと出た。
そこには、巨大な『風の精霊石』が中央に鎮座し、それに向けて猛攻を仕掛ける首無しの軍勢がいた。
キュルケが出た場所は、未知の兵器や魔法で精霊石を破壊せんと攻撃を繰り返す軍勢を、ちょうど見下ろせる高台だった。
(あいつら、あんなところで何をやっているのかしら……?)
キュルケは一瞬、視線を大精霊石へと向けた。
よく目を凝らしてみると、精霊石の中に、金髪の耳の長い女性……エルフがいた。
ティファニアとどこか似た色合いの髪をなびかせたその女性は、遠目にも美しいと思わせる容姿をしていた。
そんな彼女が、軍勢からの猛攻に必死になって耐えている。
(何だかよく分からないけど、どうせろくでもないことを企んでいるんでしょうね)
そう考えた、その時だった。キュルケのいる場所に向けて、巨大な剣による斬撃が飛んできた。
不意を突いた一撃なのだろうが、今の研ぎ澄まされたキュルケには通用しない。
素早く跳躍して回避すると、周囲に獄炎をまとわせながら、現れた影へと目を向けた。
影は三人。
筋骨隆々とした禿げ頭の男、坊ちゃん風の金髪の少年。そして、黒と白のフリルをなびかせた少女。
先ほどの不意打ちは、金髪の少年が使う『
恐るべき『剣化』の使い手だと、少し前なら思ったことだろう。
だが、今のキュルケは、この三人を前にしても一切怯まなかった。
「アウラに操られた『元素の兄弟』……って連中かしら」
コルベールたちと合流する前、地下水が語っていた『仲間』の特徴と、彼らの容姿が一致する。
「ご明察。あなた、なかなか鋭いのね」
そんな三人を従者のようにはべらせながら、『
キュルケは鼻を鳴らす。さっきまで逃げていたくせに、少し強い手駒を連れてきただけで、もう勝ち誇ったような表情を浮かべている。
そんな彼女が、滑稽に見えて仕方なかった。
「噂に聞く魔族とやらも、大したことないようね。偉そうにしている割には、手駒の陰に隠れていなきゃ何もできない臆病者じゃないの」
キュルケはアウラを挑発した。本心半分、誘い出す意図が半分だ。
フリーレンから聞いた話では、奴は五百年を生きた相当な大魔族だという。
魔法に対するプライドも相当に高いと聞いていたからこそ、言葉で煽り、隙を作ろうとしたのだ。
「そんな操った連中の陰でコソコソしていないで、あんた自身が戦いなさいよ! 五百年生きた大魔族なんでしょ? プライドってものがないのかしらぁ!?」
「挑発しても無駄よ。私はここから動かない」
しかし、アウラはクスクスと笑いながら、従者たちに命じた。
操られた『元素の兄弟』の三人が、一斉にキュルケへと襲いかかる。
それだけだったら、キュルケも問題なく捌き、『人形』アウラのもとへすぐに向かえたかもしれない。
だが、ここで銃声が轟く。遠距離で忍ばせた狙撃兵による銃撃だった。
キュルケはそれを『熱源』で探知して反射的に〝防御魔法〟で防ぐ。普段の魔法発動速度からは考えられないほどの反射神経で魔法を発動してみせた。
極限まで滾らせた怒りは、キュルケに『火器に対する機敏な反応』という新たな力が備わり始めたようだ。
その極まった第六感により、銃撃にも対応するも、数が多い上に『元素の兄弟』による追撃も加わる。
そんな彼女をあざ笑うかのようにアウラはこう続ける。
「そんな戯言や負け惜しみ、この五百年という年月の中で、数え切れないほど聞いてきたわ。『軍勢を盾にしないで、自分で出てきて戦え』なんてね。そのたびに、こう答えてきたのよ。『操る魔法こそが私の本分なのに、どうしてその優位を捨てる必要があるのかしら』って。私は、自分の魔法を捨てて挑発に乗るような愚か者じゃないの」
むしろ、キュルケの挑発など子供の癇癪にすぎないとばかりに、アウラは嗤った。
「だから、動くのは私の素敵な素敵な従僕たちだけ。……ああ、そうそう。あなたの『お友達』、すっごく便利だったわよ。さっきの禿げ頭を討ち取った時の話、してあげようかしら」
「……!!」
刹那、業火がさらに激しく猛った。
飛んでくる銃弾を、持ち前の炎で全て溶かし尽くす。
キュルケは歯を食いしばり、アウラを睨み据えた。
「あんたは、絶対に骨の髄まで燃やし尽くしてやる。髪の毛一本、この世に残してやるものですか」
「本当に、こっちで合っているのかね?」
コルベールを抱えたゴーレムを見ながら、ギーシュは怪訝な顔で言った。
いや、そもそも道が一本しかない以上、強力なゴーレムを先頭に置くのは間違っていないのだが。
現在、一行はゴーレムを先頭に、タバサを抱えるモンモランシー(中身は地下水)、ティファニア、最後尾にギーシュという順番で進んでいた。
幸いにも、敵はゴーレムの進行方向から現れるため、大半はゴーレムが、討ち漏らした敵は地下水が容易に対処できていた。
そうして進んだ先で、一行はキュルケと同じく、開けた場所へとたどり着いた。
「……まさか、
タバサを肩に担いだまま、地下水はその光景を見て、憂いを帯びた声を漏らした。
ふと、昔のこと……レコン・キスタに所属していた頃の記憶が蘇る。すると、コルベールを抱えたゴーレムが、上方に開いた穴を目がけて跳躍した。出口を見つけたのだろうか。
「あそこから出られそうですぜ、お二人さん!」
地下水もそれに気づき、ギーシュたちに呼びかけようとした。
だが、その直後。ゴーレムが飛び込んだ穴を目がけて、爆発物が飛来した。
『反射』によって跳ね返された爆弾が、偶然にも直撃したのだろう。
「ちっ、これじゃあ、あそこからの脱出は不可能か」
地下水は舌打ちした。先にコルベールだけでも逃がせたのは、幸運だったと思いたい。
……いや、それすらも、あのゴーレムが即座に判断した結果なのだろうか?だとすれば、相当に高度な判断能力と、独自のマッピング機能を備えていることになる。
こんなゴーレム、スクウェアクラスのメイジにだって作れるかどうか。少なくとも、自分には作れない。
(ギーシュの坊やが持て余すのも納得だなあ)
これに関しては、扱いきれないのも無理はないだろう。
少なくとも、重傷者であるコルベールの脱出は、あのゴーレムに任せるしかない。
こちらはこちらで、別の出口を探す必要がある。そうして地下水は、モンモランシーの視界を通じて、新たな光景を目にした。
アルビオンの浮遊の核である大精霊石。
その巨大な結晶の中に、誰かがいる。
ティファニアも気づいたのだろう。思わず身を乗り出し、首なしの兵たちの猛攻に必死で抗うエルフの女性を見つめた。
そして、その顔を認識した瞬間。ティファニアは、大きく目を見開いた。
「――――母さま?」
どうして、死んだはずの母がここに?
いや、
あれ?
そもそも母とは、どのようにして別れ、自分はあのウエストウッド村にいたのだろうか。
ティファニアは今さらながら、そのことに気づいたのだった。
「ありゃ、シャジャルの嬢ちゃんか?」
隣にいた地下水もまた、あのエルフが、大昔に自分も深く関わっていた少女の成長した姿だと、すぐに気づいた。
(あの時の泣き虫っ子が、随分と立派になったじゃねえか)
かつては無力な少女だった彼女が、今やあの化け物じみた軍勢を相手に、必死に渡り合っている。何とも勇ましくなったものだと、感慨深い気持ちにさせられた。
……って、今はそんな昔の記憶に浸っている場合じゃない。ここより上方では、業火が津波のように猛っている。
あの褐色の少女……キュルケの火魔法だろう。
彼女は今もなお、『スキルニル』で生み出されたアウラの分身や、洗脳された元素の兄弟たちと戦っているようだ。
「母さま! 母さま!」
ティファニアは狂ったように叫んだ。
ずっと死んでいたと
だが、今のエルフ……シャジャルには、当然そんな余裕などなかった。
「危ないから下がりなさい! ティファニア!」
シャジャルも娘の存在に気づいていたのか、近寄ってくるティファニアに対し、そんな厳しい言葉を投げかけることしかできなかった。
その言葉に、ティファニアはびくりと身体を震わせ、怯んでしまう。
そして、その隙をアウラは見逃さなかった。
「やっぱり、あの子はあなたの『
『本物』のアウラは嫌らしい笑みを浮かべながら、人差し指の先に魔力を集中させた。呆然と立ちすくんでいる方が悪いとばかりに、殺意を込めた魔法を撃ち放つ。
「〝
閃光が、ティファニアの顔目がけて迸った。
地下水が慌てて『水の壁』を展開するも、閃光は無情にもそれを貫通。シャジャルも精霊に呼びかけ、土の壁を展開したが、それすらも貫いてしまった。
どうあがいても止まらない。止まるはずもない。
あらゆる防具の耐性も、魔法の防壁も貫くからこそ、この魔法は『脅威』なのだから。ハルケギニアの魔法では、この一撃を防ぐことなどできないのだ。
そして、唯一この魔法を防ぐ手段を持つティファニアは、反応できずに立ち尽くしているだけ。
ただ迫りくる閃光を、どこか呆けたような表情で見つめることしかできなかった。
「風の精霊よ! かの者を吹き飛ばせ!」
閃光がティファニアに命中する、その寸前。シャジャルが叫んだ。
『反射』にその大部分を費やしていた風の精霊の力を、娘を助けるために振り向けたのだ。
彼女にとっても、苦渋の決断だったことだろう。だが、それでも娘の命には代えられなかった。
「きゃっ!?」
風の魔法は即座に突風を巻き起こし、ティファニアの身体を吹き飛ばした。一瞬遅れて、閃光が彼女の眼前すれすれを通り過ぎていく。かろうじて命を拾った格好だ。
だが、軍勢からの攻撃を防ぎ、跳ね返していた『反射』の力。
その源である風の精霊の力を、たとえ一時でも別のことに使ってしまった。その代償は、あまりにも高くついた。
「隙あり」
目に見えて『
懐からシェフィールド作の『魔力吸収器』を取り出すと、『反射』の力が完全に弱まった
鋭利な針を備えた吸収器具は、跳ね返されることなく、風石の断面に突き刺さる。
その瞬間、精霊石の中にいたシャジャルの周囲で、電撃と乱気流が激しく巻き起こった。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!!」
魔力を吸収されているからだろうか。とてつもない激痛が、まるで電撃となってシャジャルの全身を駆け巡っているかのよう。
それでも、精霊との契約を手放さず、意識を保ち続けているのは、さすがの精神力というべきか。
だが、魔法で吸収器を取り外すことはできないらしい。
注射器のような形状をした特注の魔道具は、がっちりと食い込み、精霊の魔力を吸収し続けていた。
「母さま! 母さまぁ!」
その光景を見て、ティファニア涙声で必死に叫ぶ。
「ふふっ、あとは魔力を限界まで吸い上げるだけね」
アウラは満足げに呟いた。エルフも人間も、くだらない情や絆とやらに縛られ、こうも呆気なく醜態を晒す。
子供を見捨てておけば、少なくとも自分だけは助かったというのに。魔族だったら……いや、自分だったら、絶対にこんな真似はしない。
ここまで来れば、もうあの娘たちも用済みだ。
魔力を吸い上げている間、アウラは手の空いている軍勢に命令を下した。
『今度は、あのエルフの少女たちに襲いかかれ』と……。
首なしの軍勢は、アウラの指示に従い、一斉に身体をそちらへと向けた。
「ひぃっ!?」
ギーシュは思わず悲鳴を上げた。
敬愛する姫様をお救いするために、アルビオンまでやってきたのだ。こんなわけの分からない場所で、さすがに死にたくはない。
だが、今の自分の魔法では、時間稼ぎにすらなりはしない。
ティファニアもまた、混乱の極みにあった。
死んだと思っていた母が、実は生きていたという衝撃。その母が、自分を庇ったせいで苦痛の悲鳴を上げているという現実。
どうすればいいのか分からず、ただ思考を停止させていた。
キュルケは依然として、偽物のアウラと三人の元素の兄弟を相手に、死闘を繰り広げている最中だ。援護は望めないだろう。
ゆえに、まともに動けるのは『地下水』だけだった。
(くそ……さすがに、この嬢ちゃんの身体じゃ、あんな連中を相手にしてられないぞ!)
その地下水でさえ、あの軍勢とまともにやり合うのは『無謀の極み』だと判断していた。
火器による遠距離攻撃こそ、弾が尽きたのか、あるいはキュルケの方へ向かわせたのか。飛んでこないものの、連中はボロボロになった槍や剣を手に構え、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
その様子を、まるでゲームでも楽しんでいるかのように、崖の上から見下ろす本物のアウラ。
(てめえ自ら手を下すまでもないってか……ふざけやがって……!)
彼女からすれば、今の状況など、すべてが『余暇』であり、『思いつきで始めたゲーム』程度の感覚。
そう振る舞えるだけの実力が、今の彼女にはあるのだから。非常に癪に障るが、それだけ彼女の力は、ハルケギニアの常識をはるかに超えている。
地下水は悔しさを噛み締めながらも、どうすべきか思考を巡らせるしかなかった。
(くっそ……ヒンメルの旦那が、本当に恋しく思える……!)
彼さえいてくれれば……。
数十年以上経った今もなお、消えることのない思い。
あの厄災竜すら葬った勇者がいてくれたなら、あの角女の好きには絶対にさせなかっただろうに。
そう考えている間にも、首なしの騎士たちはゆっくりと迫ってくる。そして、ついに第一陣が地下水たちのもとへ殺到した。
「ええい! ままよ!!」
この状況を覆せる可能性は、限りなくゼロに近い。
それは分かっているが、まだここで死ぬわけにはいかない。
地下水もギーシュもティファニアも、それだけは何とか理解し、それぞれが得物を構えようとした。その時だった。
「ちょっと待った!」
そう叫びながら、コルベールを運んだゴーレムが飛び込んでいった穴から、二つの人影が姿を現した。
ザインと、コルベールの二人だった。
――この出来事が起こる、数分前のこと。
コルベールを抱えて脱出したゴーレムは、道中、脱出口へ向かっていた進路を急に変更した。
『僧侶の気配』を感じ取ったからだ。
そちらへ向かった方が、コルベールの命を救えると判断したのだろう。
「だ、旦那! 無事なのか!?」
その僧侶とは、当然ながらザインである。
コルベールを探すため、一人で地下を突き進んでいた彼は、向こうからコルベールが運ばれてきたことに驚いた。
しかも、瀕死の重傷を負っている。だが、驚きながらもすぐさま対応に移った。
「ひでえ怪我じゃねえか……!」
腹に突き刺さっていた氷の槍はすでに引き抜かれ、ゴーレムの治癒魔法によって止血も施されていた。
それでもなお、腹部の傷を見たザインは、思わずそう呟いた。
ゴーレムがコルベールを横たえると、今度はザインが本格的な『治癒魔法』を発動させた。
「ざ、ザイン君か……」
「まったく、無茶しすぎるぜ、旦那……。操られてはいないんだな?」
「ええ……何とか、助かりました……」
ひとまず、〝服従させる魔法〟にもかかっていないと分かり、ザインは安堵のため息をついた。
「とはいえ、このゴーレムが手遅れになる前に処置してくれたおかげでもあるけどな」
ザインはそう言って、魔力を使い切り、元の大きさに戻ったゴーレムを手に取った。
『治癒魔法』まで扱えるとは、かなり強力なゴーレムだ。
ただ、操り手の魔力が弱かったのだろう。活動時間には、深刻な影響が出ていたようだ。そういう意味では、出口へ向かうよりも、ザインの方へ進路を切り替えたのは正解だったといえる。
ともあれ、ザイン、ティファニア、ゴーレムの三名から治癒を受けたコルベールは、歩ける程度には回復していた。彼はゆっくりと立ち上がる。
「と、とにかく……! 早く戦線に戻らねば……!」
しかし、いくら回復したとはいえ、決して万全の状態になったわけではない。さすがに、女神の魔法もそこまで万能ではないのだ。
立ち上がろうとしてよろけたコルベールを、ザインが慌てて支えた。
「無茶するな。本当なら、寝てなきゃおかしいほどの怪我を負わされたんだぞ」
「だが、生徒を置いて……みすみす逃げるようなことはできない……!」
ここでコルベールは、先ほどの戦闘で起こったことをザインに説明した。
その結果、再会を果たした生徒の一人が激怒し、無謀にもアウラに挑みかかっていったことも。
それを聞いたザインも、それなら無茶をするのも仕方がないか……といった様子で、コルベールに肩を貸した。
だが、どこか捨て鉢になっているようにも見えるコルベールに、思うところがあったのだろう。
「旦那。俺はあんたの昔がどうだったのか、詮索する気は一切ない。けどよ……」
「……?」
「アニエスって姉ちゃんと会った時から、ずっと自棄になっているように見えるぜ」
ザインの言葉を、コルベールは反芻した。
確かに。もしかしたら自分は、ずっと断罪されたかったのかもしれない。未遂だったとはいえ、村を焼き滅ぼそうとした。
その行為の意味すら理解しようとしなかった、かつての愚かな自分を。
「旦那にも夢があるんだろ? 『世界中の人に、自分の開発したものを見てもらいたい』っていう夢が。だったら、安易に命を投げ出すような真似は、しない方がいいんじゃないのか?」
「ですが……私は過去に、あの子に酷いことを……!」
「だから、それは全部終わってから、じっくり当人たちと話し合えばいいじゃねえか。今の旦那を見てると、命をかなぐり捨てようとしているみたいで、心臓に悪いんだよ。ここまで来て見捨てるのも、寝覚めが悪いしな」
ザインは、『今の』コルベールを見てそう続けた。
フランメの著書をフリーレンから受け取った時の、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のような顔。
新しい世界や技術に興味津々だった彼の姿を、ザインは見てきた。
だからこそ、彼にも救いがあってしかるべきだと、腐っても『僧侶』であるザインは思っていた。
「だから、いったん落ち着こうぜ。慌てて挑んでも、相手はアウラだ。正面からじゃ絶対に勝てないってことは、旦那も分かってんだろう?」
「……何か、手段があるのですか?」
「そこは旦那の魔法次第だな。俺も通じるかどうか、自信がねえ」
だからこそ、「話し合い」は重要だろう?
ザインはそう言わんばかりに、コルベールへ視線を向けた。
「俺と旦那で、何とかあいつに一矢報いて、この場を離れる。それが最善だと俺は思うぜ」
「……分かりました。どう出るつもりなのか、聞かせていただきたい」
コルベールもまた頷き、ザインの言葉に耳を傾けた。
(さて、この作戦が通じるかどうかだな……!)
そうして再び、『大精霊石』のある戦場へと舞い戻ってきたザインとコルベール。
とはいえ、コルベールには動き回れるほどの体力はない。今でさえ、ザインの肩を借りている状態なのだ。
「旦那、やれそうか!?」
「やってみなければ分からないだろう……! だが、やるしかあるまい!」
あまりにも荒々しい手段であることは、承知の上。
だが、必死に戦っているキュルケたちのためにも、自分だけが退くという選択肢はなかった。
「行きますぞ! ザイン君!」
そう言うと、コルベールはルーンを唱え始めた。
火、土、土。三つの系統を組み合わせて発動させる、コルベール必殺の魔法。
空気中の酸素を操作・調整し、さらには『錬金』によって水蒸気を燃料油へと変え、空気中に攪拌させる。
「捕縛の聖呪!」
その間、ザインは高台の上で戦っていたキュルケを、魔法の帯でこちらへと引き寄せた。
彼女もそろそろ、消耗が激しくなっていたのだ。
「あ、あなたは……?」
「説明は後だ! とりあえず今は『コルベールの旦那のダチ』ってことで納得してくれよな!」
突然、見知らぬメイジのおっさんに助けられ、目をぱちくりさせるキュルケ。
業火を一時的にとはいえ操れるようになったものの、それでも『元素の兄弟』三人と『人形』のアウラを相手に負った傷は、決して軽いものではなかった。
(こんなひでえ怪我で、よくもまあアウラとやり合えたもんだよ……)
それほどまでにキュルケが激怒していた証拠でもあるのだろう。
だが、アウラを知る者としては、ここまで奴と渡り合えていたという事実に、驚きを隠せなかった。
そう思いながら、ザインはキュルケに『治療』を施す。
「何、この魔法……? 『
「その説明も、とりあえず後にしてくれ。ティファニア! そこの坊主と巻き毛の嬢ちゃんも、こっちに来い!」
ここでザインは、苦しむ母を見上げ、呆然と立ち尽くしていたティファニアに声をかけた。
しかし、その声に真っ先に反応したのはティファニアではなく、歴戦の使い手である『
「お二人さん、まずはこっちだ!」
地下水はギーシュとティファニアにそう呼びかけ、
「あ、ザインさん! コルベールさんも……!」
「ぼーっとしている暇はないぞ! 今から旦那が攻勢に出る!」
「攻勢って……! っていうか、君は誰だい?」
ギーシュは訳が分からないとばかりに、首を振った。
そんな彼らをよそに、ザインはキュルケの治療を続けながら、周囲に〝光のバリア〟を展開した。
「ふぅん、何をするつもりなのかしら?」
一方、高台からこの様子を見ていたアウラは、あの人間がどんな反撃に出るのかと、ひとまず様子を見ることにした。
何だかんだ言っても、コルベールは決して侮ってはいけない魔法使いだ。何だったら、洗脳候補の筆頭に挙げるほど、その評価は高まっている。
下手に突っ込むのは愚策も愚策。どんな手段を用いてくるのか、興味も半分あった。
ゆえに、攻撃は『スキルニル』のアウラと『元素の兄弟』、そして『不死の軍勢』に任せることにし、自分は遠くで様子を見る。
(あと十分もすれば、この結晶の魔力もすべて吸い尽くせるわけだしね)
アウラは結晶に突き刺さった『吸引機』と、その奥で苦しんでいるシャジャルに目を向けた。
それどころか、あと五分もあれば、自分の魔力量がこのエルフと精霊の魔力の総量を上回る。
そうなれば、もう何の問題もなく〝
その暁には、この場にいる全員を自分の魔法で操ってやる……。
そう考えていた時だった。
「……ん?」
アウラは目を細めた。
心なしか、酸素が薄くなったような……。
次いで、コルベールの詠唱が完了したのか、彼が杖を上空に向けて『火種』を放った。
杖先からまろび出た小さな炎は、「パッ!」と弾け、周囲の空気へと混ざっていく。
(なるほど、そういうことね)
今度は油断せず、魔力によって周囲を精査していたからこそ、アウラもすぐさま反応できた。
高台にいた本物のアウラは、その場からさらに飛び退いた。
『元素の兄弟』も身の危険を察し、一度距離を取る。
その直後、空気の攪拌が始まった。
『錬金』によって、空気中の水蒸気を気化した燃料油へと変え、空気と攪拌する。そこに、点火された火球が加わる。すると、どうなるか。
火球はどんどん巨大化し、辺り一面の酸素を燃やし尽くしていく。
そして、範囲内の生き物を窒息死させる、死の空間が出来上がるのだ。
『爆炎』と呼ばれる、残虐無比の攻撃魔法。
実験隊長時代に編み出した、コルベール必殺の魔法である。
「私を窒息死させようとしたわけね。なによ、まだ対抗手段があるんじゃないの」
まともに決まれば、アウラとて無事では済まなかっただろう。それほどの威力は確かにあった。
やはり、タバサをけしかけておいて正解だったか。あれはまともに戦ってはいけない部類の魔法使いだ。
だが……。
「この状況でその魔法は、少し当てが外れているわね」
確かに、空気中の酸素濃度を操作することで、この巨大な空間でも、効果範囲に長居すれば窒息は免れない。
だが、本物のアウラはすぐに異変を察知し、自身の周囲を保護魔力で覆っていた。こうすることで、数分程度なら無酸素状態でも活動できるようにしたのだ。
そして、『スキルニル』のアウラには、その必要すらない。なぜなら、これは『人形』だからだ。人形に酸素など必要ない。魔力さえあれば動くのだから。
首なし騎士たちも同様だ。連中には、『呼吸するための頭がそもそもないのだから』。
『窒息』という状態に追い込めるのは、せいぜい自分を除けば、先んじて逃げ出した『元素の兄弟』くらいのもの。
というか、その連中ですら精霊の力や手持ちの魔道具を駆使して、窒息の危機を防いでいるし。
(せっかくのとっておきだったんでしょうけど、逆にこの状況じゃ、無意味に終わるだけ……?)
そう心の中で断じようとした時だった。アウラは見た。
この魔法を放った当人たち……コルベールとザインの顔を。
さて、この状況の中で、ザインたちはというと。
「い、いったい何が起こっているんだね……?」
ギーシュは状況についていけず、何が起こっているのかも分からないまま、ただただ困惑していた。
(酸素を奪って窒息死を狙う魔法か。恐ろしいことを考えるな……)
モンモランシーを操る『地下水』は、今何が起こっているのか、すぐに推察していた。闇の世界の住人である彼でさえ、思わず存在しない背筋を凍らせてしまうほどだ。
発想からしてえげつない。それを、昼行灯のような壮年男性がやってのけるとは。
だが、それ以上に大きな疑問があった。
(でも、なんで俺たちは平気なんだ?)
そう。この位置にいる以上、自分たちもただでは済まないはずなのだ。まあ、自分の本体はナイフなので、窒息とは無縁なのだが。
それなのに、どうしてここにいる人間たちは平気なのだろう?
操っているモンモランシーにも、影響は出ていないようだし。
「あの、ザインさん……」
一方、ティファニアは困惑しながらも、ザインの方を向いていた。
ザインもまた、一度帰したはずのティファニアがどうしてここにいるのか、目を細めて疑問を投げかけていた。
「あの、ごめんなさい……でも……」
「別に怒ってねえよ。無事でよかった」
「はい。でも、これは……?」
「今、コルベールの旦那の魔法で、ここら一帯の空気を奪っている状況だ」
「なんだって!?」
これに驚いたギーシュは、一転して「ぼくたちは!? ぼくたちは大丈夫なのかね!?」と大いに慌てたが……。
「心配するな、坊主。俺が魔法でその問題を解決してある」
「ど、どんな魔法なのです?」
ティファニアの疑問に、ザインは聖典を光らせながら答えた。
「〝無補給無酸素状態でも生存できる魔法〟だ。今の俺の魔力じゃあ、せいぜい三分が限界だが……」
かつて魔王討伐を成し遂げた英雄の一人、僧侶ハイターも使っていた魔法。
彼ならば、この状態を二か月以上維持できるらしいが、今のザインの魔力では三分が限界だった。
「いや、何だその魔法……? 聞いたことないんだが!?」
「っていうか、君はいったい誰なんだい? 貴族っぽくないけど、メイジなのか?」
あまりにも常識外れな魔法の性質に驚く地下水と、そもそもコルベールの隣にいるザインが何者なのか、改めて問いただすギーシュ。
だが、ザインは面倒に思ったのか、今はその質問に答えず、ただティファニアにこう続けた。
「ティファニア、よく覚えておけ」
ザインは、口にくわえた煙草に手を添えた。
酸素がなくなったせいで、火はとっくに消えている煙草だ。
「俺は旦那のことは何にも知らねえし、必要以上に聞くつもりもない。そもそも、チームに『意思疎通』や『信頼関係』なんざ、別に重要じゃねえと思っている」
そして、必死に魔法を使っているコルベールへと視線を向けた。
「だが、旦那は『やれる』と言い、俺はそれに対して『できる』と伝えた。それだけだ。それだけで十分なんだ」
ザインは笑いながら、ティファニアにそう語りかけた。
『彼らはここから、さらに強力な一手を打とうとしている』。
事情をよく理解できていない彼女にも、それが伝わってくる眼差しだった。
「俺と旦那は、簡単に言やあ、互いのその言葉を信じたんだよ。――――それが、この作戦だ」
ザインはそう言うと、さらに聖典を光らせ、十字の光を生成した。
そして、それをアウラ……ではなく、その背後に向けて撃ち放つ。
「なによ、どこを撃って……?」
避けるまでもない、見当違いの方向へ放たれた魔法の槍。
本物のアウラも、人形のアウラも、ただその軌道を眺めていた。
この魔法の行方を見届けてから、不死の軍勢と人形のアウラを連中に差し向けようとした、その時だった。
……魔法で、また空気中の濃度を変えている?
これは……何?
酸素を奪った空間に、コルベールが『錬金』によって、さらに高濃度の『ガス』を生み出していたことに、アウラは気づいた。
だが、それが何につながるのか、さっぱり分からない。
酸素が極端に減った空間の中、濃密なガスが漂っている。
この状況が何を引き起こすのか。
魔法に詳しくとも、『現象』に詳しくないアウラは、『一手』遅れた。
遅れはしたが……危機感は覚えた。
勇者ヒンメルや南の勇者と対峙した時に覚えた、あの危機感を。
本能のままに、アウラは『まだ吸引途中だった吸引機』を引き抜き、さらにその場から跳躍した。
一瞬遅れて、ザインの放った魔法の槍が、人形のアウラの横にある壁へと着弾した。壁に亀裂が走り、そこから大量の『酸素』が流れ込む。
それが、先ほどまでキュルケが振りまいていた地獄の業火、その残り火に引火した。
ザインはここで、口にくわえていた煙草を指で弾き、放り投げた。
ティファニアには、その光景がやけにゆっくりと、時間が引き延ばされていくように見えた。
煙草の先端が、徐々に赤熱していく。
そして、炎が燃え広がり、巨大な閃光を生み出していく光景が。
やけに綺麗で、ゆっくりとしたものに、ティファニアには見えた。
コルベールが『錬金』によって大量の可燃性ガスを生み出し、酸素の乏しい地下空間に滞留させていた。
そこへ、ザインが壁を破壊したことで、新鮮な空気が一気に流れ込む。
酸素を得た残り火が、滞留していた可燃性ガスに引火。
次の瞬間、爆発的な燃焼が周囲を飲み込んだ。
それは、俗に『バックドラフト』と呼ばれる現象に酷似していた。
魔法による防御も間に合わず、人形のアウラもろとも、首なし亜人の軍勢は一気に焼き滅ぼされていく。
(酸素を奪う作戦自体が囮! 本命はこっちだったわけね!)
危うく騙されるところだった。
事前に〝防御魔法〟を展開し、自身の周囲をバリア状に覆っていたおかげで助かった。
本物のアウラは、この現象を引き起こした連中へと目を向ける。
当然ながら、連中はこの爆発すら、きちんと魔法で防御していた。
あの禿げ頭と僧侶の二人組。今回は、この二人にかなりしてやられた。
フリーレンさえいなければ、連中など取るに足らない。そう思っていたのだが……。
(さすがに〝
ここまで自分の計画を狂わせられたのは計算外だったが……まあいい。
一応の目的は果たせた。すでに吸引機には、かなり大量の『風の精霊から吸い出した魔力』が満ちている。
欲を言えばもっと吸い上げたかったが、無理に続行するには、あまりにも戦場が混乱しすぎている。
手勢はもちろんのこと、貴重な『スキルニル』も今や真っ赤に燃えている。
『元素の兄弟』は生き残っているものの、正直、心もとない。
さらには、こちらへ急接近してくる魔力の塊。
(フリーレンの奴も、こちらに向かっているみたいだし……ここは素直に撤退するか)
一度そう決めたら、即座に実行。アウラは踵を返し、その場から撤退を始めた。
遅れて『元素の兄弟』もそれに倣い、脱出を図る。
「に、が、す、かぁ!!」
アウラは眼下へと視線を向けた。
そこではキュルケが、杖先に殺意の魔法と炎を掛け合わせた、二種類の力が混ざり合う光球を作り上げていた。
そう。キュルケもまた、ずっと牙を研ぎ澄まし、その時を待っていたのだ。
コルベールたちがどう動くのかは分からない。だが、きっと何かをやってくれる。
そんな『信頼』を、コルベールと、彼の友人を名乗る男に、無意識のうちに寄せていたのだから。
キュルケは、ありったけの獄炎魔法をどうすればアウラに命中させられるか、ずっと思案し、機会をうかがっていた。
そして今、その一撃をアウラ目がけて撃ち放った。
「――――ッ!」
アウラは一瞬、反応が遅れた。
得意の『炎球』七割、〝
スクウェアクラスへと昇格したことで、キュルケの火炎魔法の威力はコルベールをも上回るほどに高まっていた。
その力量の変化を見誤ったことが、アウラの反応を遅らせたのだ。
放たれた青と赤が入り混じる特別な『炎球』は、アウラに届く直前、小爆発を起こした。
混ぜ合わせた二つの魔法を反発させるように分離させることで、飛距離と速度をさらに引き上げる。
ただ真っすぐ飛んでくるだけなら、アウラも対処できただろう。
だが、『途中で爆発し、加速する魔弾』という、初めて目にする特性を使いこなすキュルケに、アウラは戸惑った。
それが、一瞬の隙を生んだ。
次の瞬間、『炎球』から分離した〝魔族を殺す魔法〟の魔弾が、本物のアウラの右腕を吹き飛ばした。
「あ――――ッ!! ああああああッ!!」
「はあっ、はあっ……。タバサとジャンの痛み、少しは分かったかしら! アウラぁ!!」
高台にいったん着地したアウラは、消し飛んだ右腕の傷口を左手で押さえた。
とんだ痛手を負わされた。あんな、取るに足らない魔法使いごときに……!
(あんたらなんか本来、〝
激しい怒りがアウラの中を駆け巡る。だが、さすがにそれで引き際まで見誤ることはなかった。
フリーレンさえいなくなれば、もうこんな目に遭うことはあるまい。
あと一歩のところまで来ているのだ。
屈辱に歯を食いしばりながらも、アウラは背を向けて逃げ去った。
「逃げるんじゃないわよ、卑怯者! 逃げるなぁ!!」
キュルケに好き放題言われ、アウラはぎりっと歯を食いしばった。
何をたわけたことを言っているんだ。脳みそが詰まっていないのか。
(私はあんたから逃げてるんじゃない! フリーレンから逃げているのよ!!)
よっぽどそう怒鳴り返してやろうかと思ったが、そのためにわざわざ労力を割くのも惜しい。
今に目にもの見せてやる。アウラは屈辱を瞳に宿しながら、その場を去っていった。
その間にも、周囲の熱はどんどん上がっていく。
(やべえ、少し……火が強すぎるか?)
ザインは今、生存魔法に加え、女神の防御魔法をドーム状に展開することで、熱と酸素不足から仲間たちを守っていた。
だが、その状態を維持するのも、さすがに厳しくなってきた。このままでは、全員焼死を免れ――――。
「ザインさん! 代わります!!」
ここで動いたのは、ティファニアだった。
ずっと足手まといでいるのは、もう嫌だ。ここで、自分もみんなの役に立ちたい。
その願いが、彼女を自発的に動かした。ザインの負担を、自ら肩代わりしようとしたのだ。
「ティファニア――――」
「ザインさん! 今度はわたしを信じてください!!」
ティファニアはザインから聖典を受け取ると、意識を集中させ、彼が発動していた魔法を引き継いだ。
ドームはさらに巨大に、強固になり、炎と窒息から味方全員を守っていく。
そんな娘の頑張りに呼応したかのように、大精霊石の中のエルフもまた、ゆっくりと動き出した。
なけなしの魔力を振り絞り、風と土の精霊の力で炎を消し、安全地帯を作り出していく。
そうして数分後。
炎は消え、空気は循環し、魔法がなくとも息を吸える環境へと、ようやく戻っていった。
(逃げたか……一息つけるか?)
踵を返して去っていく『本物』のアウラを見て、ザインはその場に尻もちをついた。
疑似『バックドラフト』を利用した広範囲攻撃。これにより、アウラの人形と首なしの軍勢は、ことごとく焼け焦げた残骸へと変わっていた。
自分たちが無事なのは、コルベールが途中で『防炎用の魔法壁』を展開してくれたからだ。
それに加え、自分の生存魔法と組み合わせることで、この過酷な環境でも無傷で済んでいた。
とはいえ、もう魔力が残っていないため、これ以上はどうすることもできなくなってしまったのだが。
代わってくれたティファニアには、感謝してもしきれない。
「すまねえ、ティファニア。だが、おかげで助かった」
「いえ、わたしこそ、本当にごめんなさい。みんなの足を引っ張っちゃって……。『外で待機』って、言われてたのに……」
「なあに、お前が来てくれたおかげで、俺たちも無茶できたんだ。結果オーライさ」
ザインはそう言って、ティファニアの頭を撫でた。
「えへへ」
ティファニアはくすぐったそうに、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「だ、大丈夫かね、ミス・ツェルプストー……」
「ええ……でも、あいつ、逃がしちゃった……」
「仕方がない。深追いは禁物だ。みんなが無事で何よりだ。……とにかく今は、ここからの脱出を考えよう」
「ええ……」
キュルケはふらふらだった。
持てる限りの精神力を使い果たしたために、一種の酩酊状態に陥っている。
コルベールは、倒れかかる彼女を抱き寄せた。すると、彼女の全身が高熱を帯びていることに気づいた。
一方、ザインは、巨大な風石の結晶の中にいるエルフの女性を見た。
彼女も疲弊しているようだが、どうやら無事ではあるらしい。結晶内の精霊たちが、彼女を保護しているようだった。
(あれが……ティファニアの母ちゃん? でも確か、死んだってティファニアから聞いてたんだが……)
だが、その疑問を解消する間もなく、苦難はまだまだ続く。
突如として激しい振動が発生し、地盤が崩れ始めたのだ。
「なに……っ!?」
「きゃあああっ!?」
「うわああっ! なんだなんだなんだ!!」
突然の異常事態に、ギーシュとティファニアは驚きの声を上げた。
この一帯の地盤が、下へ下へと沈み始めたのだ。
シャジャルは疲労のせいか、この振動に対応できない。
(これ、まずいんじゃないのか!? 確かアルビオンって、高度三千メートル以上の上空に浮いている浮遊大陸って話だよな!)
ザインは冷や汗を流しながら、思考を巡らせた。それほどまでに、この振動の激しさは尋常ではなかった。
何せ、自分たちが立っている地面が、激しく隆起と陥没を繰り返し始めたのだから。
やがて、ザインたちのいる場所でも本格的な崩落が始まった。
タバサも、キュルケも、コルベールも、ザインも、ギーシュも、モンモランシーも。その場にいた者たちは、次々と足場を失っていく。
唯一、この地を司る『大精霊石』だけは不動だった。
ティファニアの母、シャジャルがまだ制御しているからだろうか。
そうこうする間にも、地盤はとうとう完全に崩れ落ちた。ザインたちは一気に、アルビオンの大地の底を突き抜け、下方へと放り出されていく。
「地下水さん! 娘をお願いいたします!」
霧に包まれた視界の中、シャジャルの声だけが響いていた。
そのままザインたちは、重力に従って落ちていく……。
「タバサ!!」
キュルケは落下する間際、一緒に落ちていく親友へと腕を伸ばした。
先ほどまで火魔法で拘束していたため、おとなしくなっていたタバサ。だが、キュルケの力が弱まったことで、炎の縄も消えてしまっていた。
「きゅ、るけ……!」
タバサもまた、親友の手を掴もうと腕を伸ばす。
しかし、その手は、あと一サントのところで届かなかった。
「――――あっ!」
次の瞬間、タバサの身体に鞭がぐるぐると巻きついた。
見上げれば、そこには操られたドゥドゥーの姿があった。彼が伸ばした鞭が、タバサの身体を捉えていたのだ。
まだアウラには『利用価値がある』と思われていたのか。彼女を逃さないよう、ドゥドゥーたちに命じていたのだろうか。
「待って! タバサ! タバサぁあああああ!」
キュルケの悲鳴もむなしく、タバサは上方へと引き寄せられ、ドゥドゥーのもとへ連れ去られてしまった。
そして、二人はそのまま姿を消した。
キュルケたちは消耗しきっており、飛行魔法すらろくに使えない。追いかけることなど、できなかった。
ただ、ただ落ちていく。
そんな真っ白な霧の底で、ザインたちを救い上げたのは――――。
未来の最新鋭戦闘機、『F-22』だった。
「ふ、フリーレン!」
「大丈夫? 今、ここから救い上げるから」
そうしてフリーレンは、下方から徐々に高度を上げ、ザインたちを戦闘機の上へと乗せていった。
重力や気圧などの影響は、魔法で補正しているようだ。
「アルビオン軍の方は大体片付いた。いったんここから脱出するよ」
そう言って、フリーレンは操縦桿を握った。
そのまま『F-22』は、崩落する岩々を器用に避けながら、上空へと飛び去っていった。
窒息死を狙う『爆炎』に〝無酸素無補給でも生存できる魔法〟で相手だけ窒息死させられる鬼畜コンボ。