使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

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第14話『ゼロからの脱却』

 

「あ、フリーレンさん!!」

「こっちです!」

 馬車を動かして数十分。

 何とか詰め所に着いたフリーレン一行は、そこで待っていたシエスタやローラたち使用人と再会する。

「ここならいち早くみんなに会えると思って来たんですけど……、良かった! 無事だったんですね!」

「あの、料理長は……」

 フリーレンが先に荷台から降りると、杖を呼び出し荷台の奥から担架を浮かばせる。

 その担架には、痛みでうめくマルトーが乗っていた。

「マルトーさん!?」

「大丈夫ですか!?」

「おぅ、シエスタにローラ……、わりぃ、ドジっちまったよ……、はは……」

 マルトーは面目なさそうな笑顔を浮かべて、少女たちを不安にさせまいと笑顔を作った。

「な、なあに大丈夫さ。こんな怪我、すぐに治して今日の夕食作らにゃ……ぐっ!?」

 しかし次の瞬間、激痛で顔をゆがめる。先の笑顔を保てないほどの痛みが襲ったのだ。

「あ、あの……フリーレンさん、マルトーさんは……」

「最悪だよ。このまま放っておいたら、確実に命に関わる」

 表情を変えずに、フリーレンは淡々と事実を述べた。

「そ、そんなっ!?」

 二人の少女は、悲しみで目に涙を溜めた。

「とにかく、早く横にしないと」

 

 

 フリーレンはそのまま、詰所のベッドにマルトーを横にした。

 ランプで照らされた仄かな明かりの中、マルトーの右腕を診る。

 暗闇で若干見づらくなっているが、傷口の色がより暗い紫色に変わり始めていた。

「毒の成分は分かった。解毒用の素材も、大体は学院のもので調達できるんだけど……」

「けど?」キュルケは尋ねた。

「一つだけ、(かなめ)となる素材が必要なんだ。これが無いと薬が作れない」

「それは?」今度はルイズが聞く。

「アルビオンで最も咲くといわれる、解毒・平癒の要、『風雲花(ふううんか)』」

 ルイズはハッとした表情を浮かべた。

 その名の通り、雲のような色と肌触りを残すとされる、白い釣鐘型の魔法花。

 その花の中に溜めた蜜は、様々な病状、毒を分解する効能を持つとされている。

 

「シュヴルーズに聞いたことあるんだけど、どうやら今のアルビオンは色々と問題が起こっているみたいで、その『風雲花』の流通自体が滞っているらしんだよね。学院でも今、種の持ち合わせすら無いって言ってたから、割と困ったことになってるんだよね」

「ま、魔法で咲かせることはできないの? ほら、あなたの〝花畑を出す魔法〟で……」

「私その花は本で知っただけで実物を知らないんだよね。だから咲かせることもできない」

 きっぱりとフリーレンは答えを返す。いかなエルフで大魔法使いといえど、実際にその手で取ったことのない花は咲かせられないのだ。

 聞いていたルイズは、ぐっと拳を震わせる。

「あ、あの……ではマルトーさんはどうなるのですか?」

 シエスタは恐る恐る尋ねた。

 

「解毒が間に合わないとなると、もう腕を切り落とすしか方法が無い」

 

 文字通りばっさりと、フリーレンは無情に告げる。

 当然、周囲は悲鳴を上げた。

「早くしないと、毒が全身に巡ったらもう助からないよ」

「そんな! どうにかならないのですかフリーレンさん!!」

 シエスタはフリーレンの肩をがくがくと揺さぶった。ローラに至ってはもう泣き崩れている。

 キュルケも御者たちも周囲の衛兵たちも、悲壮感溢れる表情を浮かべた。それだけマルトーが慕われていることの証左なのだろう。

 凄腕の料理人が腕をなくす。それはもう、職人としての誇りを失うことに等しい。いや、仕事も無くすだろう。少なくとも学院にはいられなくなるかもしれない。

 フリーレンも、こんな形で彼の料理を食べられなくなることは避けたい。治せるのなら、治してあげたいのだが……。

 

 

「風雲花があれば、腕を治せるのよね? フリーレン」

 

 

「ルイズ?」

 ルイズの声にフリーレンのみならず、皆は一斉に振り向く。

「わたし、風雲花を知っているわ。アルビオンで家族と旅行に行った時に、たくさん触ったし、効能も知っているわ」

 最愛の次女の病状が治るかもしれないと、その花が咲く高原に、実際に花畑に向かったことがあるのだから……。

「わたしが〝花畑を出す魔法〟で風雲花を咲かせれば、問題は解決するってことでいいのよね!」

「ミス・ヴァリエール……!」

「ちょっと待ってなさい! 今そこの草っぱらを風雲花でいっぱいにしてあげるんだから!」

 いつもの強気な表情で、ビシッ! と指を突きつけてそう宣言して。

 ルイズは雨天の中、一人部屋を飛び出した。

 

 

「……ルイズ」

 次いで、フリーレンが外に出る。

 彼女の視線の先にいるルイズは、背を向けて拳を震わせていた。

 なんて言おう。フリーレンは迷う。

 今のルイズの成長速度を鑑みると、魔法が使えるのは最低あと五年かかる。

 ましてや今、花を咲かせるなんて到底無理だ。

 だが、ルイズは……、

「ねえ、フリーレン……」

「なに?」

「さっき言ってたわよね。『逃げ出すことは悪い事なの?』 って……」

「うん、言ったね」

「確かにあの時、わたしは嘘をついたわ。本当は皆に馬鹿にされたくないから……またゼロって呼ばれるのがイヤだったから、だから気ばかりが焦って、逃げることを拒んだ」

 訥々と、ルイズは語り始める。フリーレンは何も言わず、聞き役に回っていた。

「逃げること自体は悪いことじゃない。そうね、そうだわ。フリーレンが正しい。でもね……」

 ここでルイズは、がばっと顔を上げ、フリーレンの方を向いた。

 

 

「ここでも退いちゃったら。今度こそわたしは、貴族として生まれた意味を失ってしまうと思っているの。この問題を解決できるのは、今この場においてはわたししかいないんだから」

 

 

 誰かの助けになれるんだと。自分は決して役立たずなんかじゃないんだと、自分に言い聞かせるためにも。

 そこに平民や貴族なんて関係ない。

 誰かを救うという形で、証明したい。明かしたい。自分が生きてていいんだと、心の底から思えるように……。

 ルイズは決意を新たに叫んだ。

 

 

「彼の腕の傷を治せる花を出せるのは、わたししかいないんだから……! あんたの勇者だって、誰かの命が関わっている時まで、我が身可愛さに逃げ出したりはしなかったんでしょう!?」

 

 

「…………」

 ルイズの言に、フリーレンは一瞬、過去の記憶を思い出す。

 それは北側諸国、とある村を、魔物の群れが襲った時の事。

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「先に行けフリーレン! ハイター! 村のみんなを逃がすんだ!」

「ヒンメルはどうするの? まだ魔物はいっぱい来ているよ」

「みんなが無事逃げられるまで時間を稼ぐ! 大丈夫さ、アイゼンもいる」

「本音を言えば、逃げ出したいがな……」

「でもあいつら、ダンジョンで逃げ回っていたあのドラゴンより、よっぽどヤバい魔力を持っているよ」

「だからといって、村の危機を見捨てることなんてできない。たとえ勇者の剣が抜けなかったとしても……」

 丁度この前、ヒンメル達は〝剣の里〟を訪れた。そこには歴史の中で伝説と謳われている、『本物の勇者の剣』が眠っているのである。

 だが、ヒンメルは抜けなかった。剣に選ばれることはなかった。

 それでも彼は決意を新たに、旅を続けていたのである。その最中に起こったこの戦い。

 

 

「ここで退いたら、今度こそ僕は偽物の勇者となり果てる。ここが正念場なんだ。魔王を討ち倒せるか否か。この戦いを乗り切って、僕達は先に進むんだ!」

 

 

 偽物(レプリカ)の勇者の剣を掲げたヒンメルは、震えを抑えるアイゼンと共に、果敢に立ち向かった。その間フリーレンとハイターは、村のみんなの救護活動や避難誘導を行っていた。

 全ての人民の避難を終え、助太刀に行こうかと思っていた時にはもう、勇者と戦士の二人は、敵を全て片付けていたっけ。

 二人とも、死に物狂いで戦って、最後まで村に魔物を寄せ付けなかったどころかすべて討滅していたのである。

 剣から偽物だと判断されても、やってきた事、やり遂げた事、それによって受けたお礼は、本物なのであった。

 

「ひえっ……、そんな毒塗れでなんで生きてんの?」

「戦士だからだ。理由なんぞそれで充分」

 

 治療中、体中切られ齧られ毒塗れなのに笑うアイゼンに、ハイターがドン引きしていたことまで、フリーレンは思い出した。

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

「……そうだね。そういう時はヒンメルどころかアイゼンも逃げなかった」

 

 

 ふっと微笑みながら、フリーレンは言った。

「でしょう! 今回なんて、命を懸けるわけじゃない。わたしが頑張って魔法を成功させれば、それで済む話じゃないの!」

 ルイズは杖を抜いた。雨天の中、雲の上まで願いよ通れとばかりに。

「でも、ルイズ……」

 どうあがいても、今この瞬間はどうしたって不可能。

 そう言おうとして……、シエスタの声が、自分の声をかき消した。

 

「お願いします。ミス・ヴァリエール! どうか、どうかマルトーさんを……、料理長をお救いください!」

 

 シエスタが泣きながら懇願する。

「ええ、任せなさい!」

 ルイズは杖を振り下ろす。しかし無情にも次の瞬間、大爆発が起こった。

「ぐはっ……!」

「だ、大丈夫ですか……! ミス・ヴァリエール!」

 フリーレンの〝防御魔法〟に守られていたシエスタは、呆気に取られて煙の向こうにいるルイズへ呼びかける。

「へ、へーきよ……! これぐらい!」

 ルイズはボロボロになりながらも立ち上がる。服は煤塗れ、スカートは端が破れ、膝上まで覆っていたソックスは所々に穴が空いている。

 でも、ルイズは立ち上がった。決して不可能じゃないという事は、自分が良く分かっているのだから。

 

(腕から杖にかけて魔力を集中しすぎた! 次は全身、頭っから足先に至るまで、魔力を巡らせてから杖に向ける!)

 

 反省をしながら、ルイズは杖を再び掲げる。そして爆発。ルイズは泥まみれの地面に倒れこむ。

 今度は綺麗な桃髪が泥まみれとなった。それでも立ち上がる。

 

(今のは魔力を動かすイメージが不十分! スライムのように滑らかに、身体全体で隅々まで行き渡らせるように思い描く!)

 ルイズは杖を振り上げる。再び爆発。ルイズは倒れた。

 

「あ、あの……、フリーレンさん、何故ミス・ヴァリエールを助けないのですか?」

「助けてあげられる要素がもうないんだよ。これ以上私が下手に介入すると、本物の風雲花とは名ばかりの、別の花ができてしまう可能性が高い。基礎は教えたからあとはもう、ひたすら反復練習を繰り返すしかないんだ」

 効能を再現するには、初めから終わりまでルイズが完成させねばならない。ということなのだろう。

「一応、成功するかもしれないからシエスタ、キュルケと一緒に残りの素材を学院から持ってきてくれる? 途中までの調合だったら、私でもできる」

「は、はい!」

 勿論、ルイズの成功確率はかなり低い。天地がひっくり返ってもありえないと言ってもいいほどに。

 でも、ルイズのどこまでも真っすぐに睨む目は、何か予兆のようなものを感じさせた。

 ヒンメルとはまた違う、何かやってくれるんじゃないかと思わせるくらいに、瑞々しい煌めきを宿した瞳。

 

 

「ルイズ、日没までだ。それ以上時間をかけるとマルトーが死ぬから、その時は諦めてね」

 

 

 返事は爆発音だった。

 黒煙を発生させ仰向けに倒れるルイズをよそに、フリーレンは一度部屋へと戻った。

 

 

 

 それから、フリーレンはマルトーを治す薬を調合し始める。

 風雲花は、調合の最後に花の中に溜めた雫、それの一滴を垂らすだけで構わない。だから先にできる範囲まで薬作りを始めたのである。

 フリーレンはおどろおどろしい、それこそ一昔前の魔女が使っているかのような大釜を用意し、そこに火をかけ煮え湯を作り出す。

 ほどなくして、シエスタとキュルケの二人が学院から材料を持ってきた。

 

「ミス・フリーレン! これは一体どういうことなのだね!?」

 

 その中には、コルベールもいた。どうやら事情を聞いて駆けつけてくれたらしい。

「ミスタ・コルベールに事情を伝えたおかげで、材料集めがスムーズに進みました」とは、シエスタの弁だ。

「マルトー! きみ、大丈夫なのかね?」

「あ、ああ……コルベールの旦那、ちとドジ踏んじまってよ。情けねえ……」

「事情は彼女たちから聞いたよ。腕を切り落とすなんて、コックの君からしたら死活問題じゃないか!?」

 コルベールはマルトーに必死になって呼びかけた。会話から察するに、二人は仲がそれなりに良いらしい。

 貴族ではあるけど、平民でも分け隔てなく接する性格故か、貴族嫌いのマルトーでも彼は特別扱いのようだ。

 

「そうだなぁ……なに、そんときゃあ片腕でも料理できるように精進するさ……うっ」

「もう喋んない方がいいよ。安静にしてないと、その分毒が回るのが早くなる」

 

 キュルケ、シエスタの二人から受け取った材料を調合しながら、フリーレンは言った。

「ミス、きみでもどうにもならないのかね……?」

「どうにかしている途中だよ」淡々とフリーレンは答える。

「日没までが勝負だね。解毒薬は完成一歩手前までは、あと五分足らずで何とか出来る。後は……」

 そこまで言った時、部屋の外から爆発音が轟いた。ルイズの失敗魔法だろう。

「ルイズの魔法次第だね」フリーレンは言った。

 

 大釜の中に刻んだマンゴラドラや毒々しい外見の毛虫、ヤモリらしき生物の尻尾や極楽鳥の尾羽、刻んだキノコやすり潰した葉っぱなど一斉に放って、数分かけてかき混ぜる。

 火を消した後は魔法で冷却し、中身を冷やす。部屋の中を悪臭が支配する。

「途中までできたよ」

 魔法で釜を浮かせて、湯を外に投げ捨て、底に溜まった……汚泥とも形容すべき素材を薬瓶に移し替える。

「えっ、それを飲ませるつもりなの?」あまりの臭いに鼻をつまみながら、キュルケが尋ねる。

 さしものマルトーも、「冗談はよしてくれ」とばかりに顔をヒクつかせていた。

「まさか、これだけじゃただの毒薬だ」

 フラスコ瓶を手で揺らしながら、あっけらかんと答えるフリーレン。

「これに『風雲花』の雫を垂らせば、悪臭も取れてちゃんとした薬に様変わりする。それだけの力がその花の成分には込められているんだってさ。ただ――――」

 

 この瞬間、また爆発音が部屋中を犯した。そのたび、周囲の沈黙はより強くなる。

 本当に、後はもうルイズの魔法に懸けるしかないのである。

 

「日が落ちるまでルイズが花を咲かせられなかったら、覚悟を決めてね」

「いや、そんな必要はねえ。もうおれは腹をくくった」

 マルトーは神妙な語り口調で、フリーレンを見据えて言った。

「やってくれ。もうばっさりと」

「そ、そんな! 料理長!」

「そうだよ! もう少し待ってからでも!」

 マルトーの決断に、シエスタやローラはおろか、コルベールまで待ったをかける。

 しかし、マルトーは脂汗を額に浮かべながら言った。

 

「なあ旦那。おりゃあ元々貴族は大嫌いだ。魔法が使えるってだけで威張り散らして、平民たちを蔑み奴隷のように搾取する。そんな奴等しかいねえと思ってた。……でもよ」

 

 再び、振動と爆発音が鳴り響く。収まった後、マルトーは続ける。

 

「いたいけな女の子が、おれの腕を治すためだけにあんなに身体を張ってくれる。それだけでおりゃあ嬉しいのさ。貴族にだって、あんな気高い子がいるって分かったんだから。これ以上あの子の負担になっちゃいけねえよ」

「マルトーさん……」

「シエスタ。あの子に言ってきてくれねえか? 『もう大丈夫、ありがとう』ってよ。大雨の中あんなにボンボン破裂させてちゃあ、間違いなく体に障らぁな」

 シエスタは項垂れ、涙を零した。マルトーは無事な方の左腕でシエスタの頭を撫でた後、フリーレンに言った。

 

「さあ、エルフの嬢ちゃん。遠慮なくやってくれ」

 

 しばし、沈黙が流れる。フリーレンは氷のような無表情で、マルトーをじっと見つめていた。

 やがて、再び爆発音。それを背景にしながら、フリーレンは立ち上がる。

「ま、待ってください! まだ、まだ……!」

 シエスタは必死になってフリーレンの身体にすがった。

 しかし、フリーレンはシエスタを優しく脇に退けると、マルトー……、ではなく出口の方へと向かった。

「マルトー、もう少しだけ耐えられる?」

「え?」

「確かに、ルイズが私の世界の魔法を完全に会得するには、まだあと五年くらいかかるとみている。今この瞬間だなんて、まず無理だ。それは私が良く分かっている」

 そこまで言いながら、フリーレンは「けど……」と、こう続けた。

 

 

「私の世界じゃ、こういう言葉がある。『魔法の世界は時に、天地をひっくり返すようなことが平然と起きる』と」

 

 

「フリーレン……」

 キュルケは目を見張って、思わず呟いた。

「信じたいんだ。私をこの地に呼び寄せたルイズ。あの子の底の見えない力を」

 フリーレンはそう言って、扉を開けて外へ出た。

 

 

「ルイズ」

 外へ出たフリーレンは、主人の名を呼ぶ。

 空はすでに斜陽。薄くなった雲から差す朱色の光が、それを教えていた。雨も少し、まだら模様となっている。じきに止むかもしれない。

 

 草は微風を受けて靡き、土を打つ音も徐々に弱まり。

 緩やかな天からの水滴を受けながら、ルイズは倒れていた。

 

 身体中既に泥まみれ。ブロンドがかった桃色は今、土色に塗れて見る影もない。

 もぞもぞと動かなければ、大きな泥の塊としか認識できないような姿へとなり果てていた。

 

「ルイズ、大丈夫?」

 フリーレンの問いかけに、ルイズは答えない。いや、もう答える気力すらなかった。

 ただ、手に力を込めて起き上がり、膝に力を込めて立ち上がる。

『わたしは元気』と、それだけをフリーレンに伝えるかのような所作であった。

「ルイズ、そろそろ日没だ」

 そんな彼女に向かって、フリーレンはきっぱりと告げる。

「言ったよね。『日没までに出来なかったら諦めて』って。マルトーももう、腹をくくったらしいからもうそのあたりで終わりにして……」

 そこから先は遮るように、ルイズは杖をゆっくりと振り上げる。まだまだ諦めないとばかりに。

 そんなルイズを見たフリーレンは、彼女にしてはかなり珍しく、無意識にふっと微笑んだ。

 

 

「ルイズ。これが本当に最後だ」

 

 

 聞いたルイズは、小さく頷いた。

 フリーレンも、こうは言いながらも『彼女なら何かしらやってくれるかもしれない』という確信をこの時、少しだけ持っていたのかもしれない。

 ルイズは無意識に、杖を振り上げる――――、

 

 

 あれ、なんでわたし、こんなことをやっているんだっけ……。

 

 

 疲弊した頭にまともに動かすと激痛が走る身体。どうして自分がこんな目に遭ってまで魔法を唱えているのかすら、今のルイズには朧気だった。

 

 そうだ、わたし……。

 霞む視線の先に浮かぶのは、最愛の次女の笑顔。

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「ルイズお嬢様は難儀だねえ」

「まったくだ。上の二人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 

 幼少の頃、何を唱えても爆発しかせず、そのたびに周囲から陰口を叩かれる日々。

 父は近隣の貴族との付き合いと狩猟にしか興味がないと思っていたし、母は自分ら娘の教育と嫁ぎ先以外、興味が無いと思っていた。

 爆発音が響くたび、周囲の使用人の目すら、侮りの目が見えてくるのが、悔しくて、そして悲しかった。

「ううっ……ぐずっ……」

 そんなときはいつも、誰もいない池のほとりの小舟の中で、蹲って泣いていた。

 小舟の中にある布で蹲る。子供の時、唯一安息を得られる『秘密の場所』であった。

 ここの場所を知るのは、幼き頃に結婚の約束を結んだ、格好いい子爵様を除けば、ただ一人だけ。

 

「大丈夫? ルイズ。今日もお母さまに怒られてしまったのね」

「……ちいねえさま」

 

 いつも自分を慰めてくれた、辛いときはいつも寄り添ってくれた最愛の姉、カトレアだった。

「ちいねえさま、わたし……どうして魔法ができないの?」

「よしよし、大丈夫よ可愛いルイズ。あなたはきっと大成するわ。だから泣かないで、頑張りなさい」

 そう言って、いつも姉は慰めてくれた。

 幼少期の頃は、彼女と子爵以外に味方がいないと思っていた。だからこそ、彼女が分けてくれるやさしさに、心から安堵できた。

 彼女の抱擁が、誇張抜きで心の支えだったのだ。

 

 ちいねえさま。こんなにやさしいのに、どうして病気なんだろう。

 

 姉の病気は、誰が診ても治せないほど重いものだった。

 世界中の名医が、魔法を使っても癒すことは叶わず。そのせいで普段は外を出ることすらできなかった。

 一縷の望みをかけたアルビオンの旅行も、そこに咲くという『風雲花』なら、なんとかなるのではという希望も込めたものだった。

 だが、返ってきたのは――――、

 

 

「残念ですが、〝風雲花〟だけあっても、彼女を全快するまでには至りません。他にも様々な地方に咲く特殊な魔法花を集める必要がありますが、環境によってはすぐ枯れてしまう花も多い。それをすべて集めるのは、今の魔法技術ではとてもとても――――」

 

 最後に診てくれた水メイジの名医が、心底残念そうな声でそう言うのを、幼き日のわたしは、部屋の外から聞いていた。

 その時掴んでいた、風雲花の雫がぽたりと、地面へ吸い込まれる情景を、今でも覚えている。

 

 

「大変心苦しいですが、このままではもってあと五年が。限界かと――――」

 

 

 その言葉を聞いた時、自分の足場ががらがらと崩れ落ちるような感覚が襲ってきたのを覚えている。

「ちいねえさま、死んじゃうの?」

「ルイズ……」

「嫌だよお! ちいねえさまが死んじゃうなんて! わたし、わたし……!」

 

 思わず泣きじゃくるわたしを、それでもちいねえさまは笑顔で頭を撫でてくれた。

 一番つらいのは余命を宣告されたであろう、ちいねえさまの筈なのに……。

 

「大丈夫よルイズ。ねえさん、ルイズと長く居られるように頑張るから。そんな悲しい顔しないで、ね?」

 そんなちいねえさまを何とか助けたいと、わたしも医学の本を読み漁り始めた。

 行きたくない学院へ通うことを決めたのも。そこでなら何とか姉を救う手段を得られるんじゃないかという、淡い希望も抱いていた。

 でも、『魔法研究所(アカデミー)』に勤める長女にすら分からなかった難病を、学生の身分であるわたしに分かるわけもなく。

 手がかりすらつかめず、そもそも自分の魔法すらおぼつかず。心も淀み切っていた時に、今の使い魔……、フリーレンに会って。

 

 

『わたしが、魔法でたくさんの治療できる花を咲かせれば、料理長だけでなくちいねえさまも助けられるかもしれない』

 

 

 そうだ。ここでがんばることに、意味があるんだ。

 あんなやさしい人が、理不尽に命を奪われるなんてこと、あってはならない。

 必ず、必ず助けてみせる……と。意気を、気炎を心の中で吐き続ける。

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ルイズは再び、杖を掲げる。目を瞑る。

 身体中ボロボロで、節々が痛みの声を上げている。

 でもそのおかげか、程よく力みが取れて、自分の魔力の流れが程よく分かるようになった……気がする。 

 ルイズは集中した。

 ここで魔法を成功させること。それがいつの日か最愛の姉を救うこと、誰かを助けることにつながるんだと、自らに言い聞かせて――――。

 

 

「――――」

 フリーレンは、ルイズの魔力の流れを見て、少し驚いていた。

 ちょっと目を離した隙に、どうしてこんなにも魔力の流れが洗練されているのだろうか。

 昨日練習を見ていた時は、魔力の流れにどうしても大きな淀みがあった。これを解消するのは、最低五年はかけるだろうと見ていたのに……。

 

 

(そっか、ルイズ達の魔力は〝精神力〟で培われているんだっけ)

 

 

 その疑問を、自ら解消させるフリーレン。

 自分とルイズ達ブリミルの民、その魔力の質に大きな差異はない。でも確かな違いの一つ。

 彼女たちは『感情』で、魔力を増減させることができる。気力を文字通り力に換える。

 それはどうやら、『集中力』にも適用されるのだろう。

 今のルイズは、フリーレンがあと数年だと見越した時間を、この時間で一気に短縮させていたのだ。

 それは『虚無』とか関係ない。彼女本来の才能によるもの――――。

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「ねえハイター。一つ聞きたいんだけど」

「なんですか? フリーレン」

「どうしてフェルンを〝魔法使い〟にしたの? 〝僧侶〟でもよかったんじゃないの?」

 

 それは長年の戦友が亡くなる前。

 フェルンに修行をつけている合間に、起こった会話の一幕。

 

「〝僧侶〟でも多分、フェルンは才能を開花させられたと思うよ。女神への信仰は忘れてないみたいだし。それに同じ職の方がハイターだって教えやすかっただろうに」

「確かに。それもちょっと考えました。あの子が生きていく上で、一体何が一番大切なのかは、あの子を拾うと決めた時から考えておりました」

 

 じゃあどうして?

 

「最初はただ、魔法使いとしての素質を見る意味合い以上はありませんでしたよ。でも彼女が私の渡した杖で魔法を使った時――――心が跳ねたんです」

 

 跳ねた?

 

「ええ、その瞬間悟りました。彼女は魔法使いとして類まれなる資質を備えていると。才ある者がその片鱗を見せる瞬間。それを間近で見ると、感情が揺れ動くんですよ。あなたもあの子に最初に会った時、ちょっと思いましたでしょう?」

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「ねえアイゼン」

「なんだ?」

「そのシュタルクって、アイゼンが怯えるほどすごい力を持っているの?」

「ああ、あいつにはすまないことをしたと思っている」

 

 これもまた、旅を続ける中であった、今は一線を退いた戦友との会話の一幕。

 シュタルクと出会う前の、会話の一節。

 

「さっきも言ったように、奴は〝戦士〟として類まれなる力を秘めている。あいつに足りないのは勇気と経験、そして覚悟だけだ。それを教えてやれば、絶対に化ける」

 

 随分入れ込むね。

 

「そう思うだけの素質を、あいつは見せてくれたからな。才ある者が力の片鱗を見せた瞬間、心が跳ねる」

 

 ハイターも同じこと言ってたよ。

 

「そうか、だが事実だ。奴の太刀筋を見れば、間違いなく分かることだろう」

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 フリーレンは、今、戦友二人が何を言わんとしているのかが、この瞬間になって、ようやく分かったような気がした。

 

 ルイズが魔力を必死に操作して、自分から学んだことを一気に吸収し始めて。

 あと数年はかかるとみていた……。自らの魔法の才を、文字通り開花させていくこの瞬間になって。

 

 

「フリーレン、いずれあなたにも分かりますよ」

「フリーレン、人と関わり続ければいずれ分かる」

 

 

 最後に思い出す、二人の言葉を。

 

 

「才能という種が文字通り芽吹くその瞬間」

「この時ほど、心が、感情が揺れ動くことはないと。特に、自分と同じ分野にいるものであるのなら、なおさらな――」

 

 

 刹那、ルイズは目を閉じたまま、杖を振り下ろす。

 爆発はせず、一瞬光が周囲を覆う。

 その瞬間、フリーレンの心は確かに一瞬だけ、跳ねたような気がした。

 

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