勇者ヒンメルの死から31年後。
北部高原、キーノ峠近くの、とある村にて。
〝黄金郷〟との死闘を終え、〝女神の石碑〟による過去の干渉を経て。
フリーレン一行は死者と会話できるというかの地〝
「
「はい、是非とも対処をお願いできませんでしょうか? 冒険者様」
旅する最中、身体を休めていたとある酒場の中。
次なる地〝帝国領〟への入国審査で暇だったフリーレン達は、周囲を散策していたところでとある村を見つけ、そこで依頼を受けたり体を休めたり、魔法を探したりしていた。
そんな中、バーカウンター越しで、これ見よがしに困っていた店主に話しかけてみると、そんな話が降ってきたというわけである。
「ここ最近になって、急激に洞窟の奥から湧き出してきたのです。奴らのせいで怪我をする人が続出する始末。一体どうしてこんなことになっているのか……」
魔族の魔力により、蘇って生者を襲う死者。それがアンデッドなのである。
しかもその亡者の何人かは、杖を振って魔法を使ってくることもあるらしい。そのため半端な戦士や魔法使いでは、手も足も出ないとか。
「分かった。その洞窟の場所を教えてくれない? 原因を探ってみるから」
大して思考を割かず、二つ返事で当時のフリーレンは了承した。勿論お礼として、倉庫の奥で埃を被っていた魔導書を貰うことを条件に、だが。
旅先での困りごとは、なるべく関わるようにしている。そうやって今まで、旅をしてきたのだから。
それに魔物や魔族がらみで苦しんでいるのであれば、尚のこと放ってはおけないし。
「魔法を扱う亡者というのは、初めて聞きました。アンデッド自体が確か、魔法で操られた死体の総称でしたよね?」
フリーレンの横にある椅子に座りながら、そう言ってくるのは愛弟子のフェルンだ。
幼少期から一緒に旅を続け、今や一級魔法使いとして認められるほどの才を持った。亡き戦友の忘れ形見。
「そんなことってあるんですか? フリーレン様」
彼女の言葉に対し、フリーレンはマグカップに口を付けた後、口を開く。
「そうだね、私も初めて聞く事例だ。そもそもとして『北部高原で死体が湧くってこと自体』、不思議なものだし」
今の北部高原は、一級魔法使いがいなければ碌に旅することもできないほどの魔境なのである。
それほどまでに、強力な魔物による襲撃が後を絶えない。
その上、下手に墓を作ると腐臭に釣られて魔物が集まってくるため、基本的に共同墓地に移送してから埋葬するのである。この村も例外ではないようだ。
それなのに『人間の亡者が洞窟から湧いてくる』。変なきな臭さは、当然フリーレンも感じていた。
「とりあえず今は、これ以上どうこう言えることじゃない。全部推測にしかならないからね。行って確かめてみないと」
「お、なんだ、じゃあもう行くのか?」
「……シュタルク、もう動けそうなのか?」
「ああ、なんか穏やかじゃなさそうな会話していたから、準備運動をと思って」
扉を開け、やってくるのはもう一人の戦友が鍛えた弟子、シュタルクだ。
この村に来る前に受けた、ドラゴン討伐依頼で竜に齧られていたため、療養していたのだが無事復帰してきたらしい。
先ほどまで別室で腕立て伏せをしていたようであり、軽く汗をかいていた。
「やっぱりシュタルク様、どんどん身体がおかしくなっていますよね。あんなに齧られていたのにもう復帰って……」
「でも戦士ってそういうものじゃないの? アイゼンもそんな感じだったよ」
「それは絶対アイゼン様がおかしいですって。ハイター様もドン引きされてたんでしょう?」
「丸聞こえだから! お願いだから、内緒話するなら聞こえないようにやって!」
フェルンと至近距離でひそひそ話していると、涙声でシュタルクは叫ぶ。
そんなこんながありつつも時間は流れ、夜になる。
準備を整えた、三人も動き始めた。
「頃合いだな。今が丁度、亡者が最も活発に動く時間帯だ」
「そうですね」
「っし、行くか」
一行は、亡者が巣食うという噂の洞窟へと、足へ踏み入った。
「シュタルク様!」
「大丈夫だ! っと!」
件の洞窟前に赴けば早速、十数人はいる亡者の群れと戦闘を繰り広げることとなった。
どうやら相手はこの周囲をぶらぶらうろつき、近づく者に対して攻撃を仕掛けるみたいだ。まるでこの周辺一帯を守っているように。
魔法を使うとはいえ、それ以上思考能力もあるわけでもない。激戦を経て、大きく成長していたフリーレン一行の敵ではなかった。
いつも通り、戦士のシュタルクが前衛。そのサポートに回り、時に大火力で遠距離を撃ち仕留めるフェルン。
シュタルクは斧を振り回しながら、時に飛んでくる敵の魔法に、悠然と対処した。
「これぐらいならまだ、何とかなりそうだ!」
持ち前の馬鹿力で、時に魔法を切り裂き、飛んでくる氷の矢を素手で受け止め、亡者を大きく吹き飛ばすシュタルク。
起き上がろうと蠢く者には、フェルンの容赦ない追撃が飛んでくる。
たった二人で、数十の亡者相手に大立ち回りを仕掛けていた。
「二人とも、立派になったもんだね」
それを後方理解者面で、うんうんと頷いてみるフリーレン。
「……フリーレン様?」
「ごめんって、フェルン。あれだよ、様子を見てただけだから。決してサボってたわけじゃないから」
そう言ってフリーレンも杖を構えてみるも……大体もう、敵は片付いていたので出番はほぼなかったのだが。
結果的には十分もかからずに、亡者の殲滅に成功した。
しかし……、
「不思議な魔法だね」
「ええ……、初めて見る体系でした」
飛行から着地してきたフェルンもまた、フリーレンの疑問に同意する。
「そう、なんか違うの?」
魔法に対する知識が無いシュタルクは、疑問符を浮かべてあっけらかんと尋ねる。
「起きる現象は同じようでもまったく違うよシュタルク。詠唱も初めて聞くものだし、なにより魔法形成のプロセスが私たちのそれと全く異なっていた」
「これってやっぱり、魔族の魔法なのでしょうか? それとも女神様由来の魔法?」
「どうだろ、これといった確信は無いな……ゼーリエなら分かるのかな?」
珍しく知識面で白旗を上げるフリーレンを見て、意外そうな表情を浮かべるフェルン。
千年以上の知識と経験を蓄えた魔法使いなんて、それこそ目の前にいる白髪エルフと、かの協会を立ち上げた大魔法使いしかいないことだろう。
「フリーレン様でも、お手上げなのですか?」
「まあ、これから解析して知るから、今はそれでいいさ」
一方のフリーレンはそれ以上気にすることもなく、上半身が吹き飛んだ亡者の一体に近づいてみる。
その者が持っている杖に注目する。どうやら軍杖のようだが、フリーレンでもあまりに見たことのない装飾で彩られていた。
(鎧に画かれたエンブレムも、今まで見たことのない国のものだ。一体本当に、この亡者たちは生前、どこの国で生まれ育ったんだろう?)
身元不明の亡者が湧く洞窟。千年以上生きてきた中でもかなり不可思議な現象だ。
早速調査しようと身を乗り出すも、入り口自体は巨岩で埋まっていては入れないようになっていた。
さてどうしようかと思案するフリーレンだが、その時に気付く。横の岩肌。そこから微弱ながら魔力の流れを感じたのだ。
この崖、中は空洞なのだろうか?
「シュタルク、この壁、壊してもらってもいい?」
「ん、おう。わかった」
肩に斧を担いだシュタルクはここで、両手で持ったその得物を振り上げる。
ズガン! と振り下ろした先の壁は音を立てて崩れ落ち、地下へと続く空洞の入り口が、姿を現した。
「ここから亡者は這い出てきたってことなのでしょうか?」
「可能性は高いね」
地下洞窟を、明かりで灯しながら三人は進んでいく。
鍾乳洞を抜け、途中何体か湧き出た魔物を退け、途中あった鉱石を採取して、転がってきた大岩から逃げて。
足を踏み外して落っこちて、その下の地底湖を泳ぎ切って、明るい鍾乳洞でちょっと休憩して、岩肌を飛んで上がって。
そんなこんなを繰り返すうち、明らかに人工物で作られたかのような、レンガ調でできた暗闇の廊下へとたどり着く。
その先を進んだ三人に待っていたのは、儀式をするかのような荘厳な部屋。その中央には鏡の台座が置かれていた。
「……なんでしょうか、これ」
「さあね。けど亡者のやつとの関連性は高そうだ」
部屋の周囲には腐った死体が数体、散らばっている惨状だ。儀式による生贄か、それとも湧き出た亡者によるものなのか。
どちらにしろ、部屋中を犯す腐臭に耐えきれず、フェルンは手で鼻を押さえる。シュタルクも、目に見えてげんなりした様子で呻いた。
「なあフリーレン……、こんな汚いとこ早く出ようよぉ」
「待ってシュタルク。台座の鏡。あれが多分亡者が湧く原因だろうから、ちょっと調べさせて」
そう言ってフリーレンは、階段を上って鏡に歩み寄る。先端に赤い宝石をつけた長杖を、その手に持ちながら。
そんな彼女の視線の端に、ふとあるものが過った。改めて見ればそこには宝箱がある。
鏡のある台座の横に、これ見よがしにと古惚けた木製の箱が、そこにはあったのだ。
「……フリーレン様、それはミミックです」
今のフリーレンの心境を見透かすように、先に釘を刺すフェルン。
「……もう〝
「いいえ。ですが箱自体から得体の知れない、不気味な魔力が微量ながら漂っています。私でさえ分かるのですから、フリーレン様だって既にお気づきでしょう?」
無表情の圧で、フェルンは己の師を見つめていた。フリーレンも一瞬、考えに考える。
だが、だがもしもだ。
よしんばこれがミミックだとしよう。確かに魔力は出ているし、明らかに怪しい雰囲気を醸し出しているのは百も承知だ。
それでも、でもだ。
百パーセントミミックとまだ、決まったわけじゃない。件の判別魔法だって、九十九パーセントまでしか確定していないし、残りの一パーセントで本物の魔法道具が取得できる可能性だってある。
フリーレンは常に、無難な九十九パーセントよりも一パーセントの奇跡を信じるエルフなのである。残りの一パーセントを見破った魔法使いたちがいたからこそ、歴史的な発見があったわけで。
なにより、引いてダメでしたより引かずに後悔する方がずっと心の中でも靄が溜まるというものだ。
そう、そうであるからして。
「可能性がある限りは、実際に開けてみないことには、結果は誰にも分からない。そうじゃないか? フェルン」
このまま鏡の解析に移ろうとしても、隣の宝箱がちらついて身が入らない。結果、時間だって無駄に消費する。
それだったら最初に開けておいて、身も心もスッとした状態で調べた方が、よほど健康にだっていい。うん、そうに決まっている。私の千年に及ぶ勘もそう言っている。
これ以上ない綺麗な表情を浮かべながら、フリーレンは呆れ果てた様子のフェルン、シュタルクを置いて、躊躇なく宝の箱を開ける。
その二秒後。
「暗いよー! 怖いよー!」
情けない師の絶叫を聞きながら、フェルンは宝箱に食われたフリーレンの下半身を見つめていた。
「本当にもう、だから言ったじゃないですか」
「毎回助ける俺たちの身になってくれよ頼むから!」
焦ったシュタルクは、仕方なさそうな表情でフリーレンの両足を引っ張って、何とかミミックから引きはがそうとしていた。
「ああ、シュタルク様、それじゃだめです。引っ張るのではなく押し込むのです。ミミックがむせて吐き出すので」
「え、そうなの?」
「はい、ここは私が」
シュタルクの代わりに、慣れているかのような所作でフェルンはフリーレンの尻を、思い切り押した。
するとここで、台座に置いてあった円状の鏡が、光り輝き始めた。
「な、なんだ……いったい?」
一瞬、眉を顰めるシュタルクだったが……、次いでフェルンの絶叫で、我に返る。
「シュタルク様! フリーレン様が!」
「へ? ……ああっ!?」
ちょっと目を離した瞬間だった。
なんとフリーレンはどんどん、ミミックに食われていく。押し込んだのがまるで仇になったかのように。まるで箱の底へ引きずり込まんとする勢いだった。
体勢が崩れ、フェルンはそのままミミックの箱を突き飛ばす格好となってしまった。
その時にはもう、フリーレンの姿は足首ほどしか外に出ていなかった。
「ちょ、ちょっと待て――――!」
シュタルクは慌てて彼女の足を掴もうとするが、その時にはもう、完全にミミックの中へ、フリーレンの全身が入り込んでしまっていた。
「そんな、フリーレン様!!」
フェルンは思わず、声を上げてしまう。
一方のフリーレンはというと……、
(なんだこれは? ミミックの中が、急に輝きだして……)
今までにない体験。幾百幾千と騙されミミックに食われてきたが、こんなことは初めてだった。
暗闇の中、急に視界の先が輝きだしたのである。そして気づけば、その光に自分は抗えずに吸い込まれてしまっていた。
次いでフリーレンを包むのは、どこかへと落ちていくような、急激な重力感。
そして――――、
「あだっっ!?」
「うおぁだっ!?」
その途中、誰かとぶつかった。
それにより、弾かれたような衝撃が、フリーレンの落ち行く先の軌道を変えたような気がした。
そして気づけば――――、
「ここにきた……、ってわけなのね」
使い魔がどうやってここに来たのか、その仔細を聞いたルイズはため息交じりに答えた。
とりあえずこの会話で分かったことは、このエルフは罠だと分かっている筈なのにあえて宝箱を開けてここへ来たという、とんだポンコツエルフという事だけだった。
「宝箱を開けたことについては後悔してないよ。事実、こうしてあり得ないようなことが現実として起こったわけだし」
一方のフリーレンは、けろっとした表情でそう締めた。
既に外は夜である。今はトリステイン魔法学院の女子寮。ルイズの部屋へと場所を移していた。
「それにしても、ハルケギニアとはまったく別の世界から来たエルフねぇ……、相変わらず、面白いことばっかりしてくれるじゃないの、『ゼロ』のルイズ」
「……ってか、なんであんたたちもわたしの部屋に来てんのよ。関係ないじゃないの」
むすっとした様子で、ルイズは勝手に上がり込んでいるキュルケとタバサの二人を睨んだ。
「まあいいじゃない。あたしだってこんな面白い話、みすみす逃すつもりなんてないわ。ねえタバサ?」
キュルケは隣のタバサに視線を移す。タバサも本を読みつつも、こくこくと頷いた。
「大体ねえ、『別の世界』だなんてそう簡単に信じられるわけないじゃないの。何か証拠みたいなのはないの?」
「証拠か……」
ここでフリーレンは、何か思いついたかのように、片手を軽く上げた。
次いで手から、魔力を発動させて杖を呼び寄せる。
「……っ!? なにそれ! どこから杖を出したの!?」
「なにって、逆にルイズ達は杖を自由に呼び出しできないんだ。それは不便だね」
「へえ面白いわね、それがエルフの扱う『先住魔法』ってやつなの?」
「多分違うだろうね。その先住魔法とやらについても興味があるけど、その前に――」
フリーレンは杖を一振りする。するとソファの上に置いてあった、愛用の鞄が勝手に開かれる。
そこから一枚の地図をふわりと浮き、フリーレンの手に収まった。旅の途中で買っていた、大陸の地図だ。
「この世界の地図って、持ってる?」
「ちょっと待ってて」
ここでようやく、タバサが口を開く。彼女は口笛を吹く。
その十分後ぐらいだろうか。ルイズの部屋の窓の外から、青鱗の竜が口に何か咥えたまま、頭だけ姿を現した。
タバサは杖を振って窓を開ける。竜は頭だけ器用に乗り出すと、口に咥えた数々の本をぺっと部屋に放った。
その後、かなりキレ気味の顔を残したまま、渋々と飛び去っていった。
「さっそく使い魔を有効活用しているわね、タバサ」
キュルケはタバサの頭を撫でまわす。
「でもめっちゃキレてたよあのドラゴン。凄い顔でタバサを睨んでたし」
「まあ、あの風竜も呼び出して間もないしね。色々言いたいことがあるんでしょ」
キュルケのコメントとは裏腹に、タバサは渋い顔で先の使い魔が置いていった、涎塗れになった数々の本を、杖で起こす風で探る。
その中に一枚の地図が見つかった。タバサは少しほっとした表情を一瞬だけ見せた。
「でもすごいよね、あの口笛だけで地図を持ってこれるんだ」
「使い魔になると特典として『主人が望むものを見つけられる』能力が付加されるのよ。多分それで見つけてこれたんでしょうね」
一方のタバサはフリーレンに劣らぬ長杖を軽く振ると、紙の周囲に小さな竜巻を起こす。
「これが現在普及している、ハルケギニアの地図」
タバサはそう言って、体育座りしているフリーレンの前に地図を置く。そして指で現在地の国、トリステインを指した。
「あなたがいるのはここ、トリステイン」
「こうして見るとほんっとちっさいわね。ゲルマニアの方がよっぽど領土が大きいじゃないの」
「うっさいわね! 地図の上まで厚顔無恥を発揮しなくてもいいのよ! この野蛮人!」
「なぁんですってえぇ!? もういっぺん言ってみなさいよゼロのルイズ!」
一瞬にして、ルイズとキュルケは額をどつき合わせて唸り始めた。
「……仲悪いの?」
「犬猿の仲。国的にも家柄的にも」
フリーレンがこっそりタバサに尋ねると、青髪の少女は簡潔に返す。
聞けば、ルイズの家はトリステインでも屈指の大貴族らしいのだが、キュルケの家柄とは国境を経て何度も争ったというのだとか。
「それだけじゃないわよ! ツェルプストーはとにかく節操がなくてね! わたしのひい爺さんを寝取ったり奪ったりしてとにかくもう、憎ったらしい相手なの!」
「あぁら、ツンと澄ませて殿方を引き留める努力をなさらぬ方が悪いのではなくって? あなた達トリステインの女ってばホント、褒めの言葉一つ頑なに言わないんだもの」
「なんですってぇええ!!」
もはや使い魔を放っておいて、睨み合いを始める二人、それだけに留まらず、遂には互いに杖まで引き抜く始末。
しかし、次の瞬間二人の杖は、ベッドの方へと仲良く飛んでいった。
「趣旨違う。今は彼女とちゃんと対話するべき」
杖を奪ったのはタバサだ。相変わらずの無表情だったが、友達のキュルケはすぐに分かった。相当怒っていると。
エルフを放っておいて喧嘩するなと、その目が語っていた。
「ご、ごめんタバサ。つい熱くなっちゃったわ」
キュルケは素直に謝ると、タバサも小さく頷いた。
そして今度は、長い杖を突きつけルイズにもこう言った。
「あなたも、エルフを使い魔とした直後なのに、家柄なんかで争っている暇はない」
「ぐっ……!」
ルイズはこんな少女に言いくるめられたことで悔しそうな表情を浮かべていたが、百パーセントの正論でもある。
「わかったわよ……」と、渋々ながらルイズも矛を収めた。
ここでタバサが、手で指しながらハルケギニアの国々を、順々に紹介していく。
魔法大国ガリア、浮遊大陸アルビオン、火竜山脈を隔てた先の南部には『宗教庁』があるロマリア。
そして……、
「遥か東の果て、そこにエルフが住まう『
「砂漠か、やっぱり聞いたことないな。この世界のエルフはそんな暑いところに住んでいるのか」
一通り話を聞き終わったフリーレンは、ここで自分の番とばかりに地図を隣に置く。
ハルケギニアのそれとは違う、まったく別の形の大陸に見慣れぬ文字。これにタバサ達は興味深そうな表情をした。
「これが中央諸国。私が昔から旅している国だ。今は大陸の最北端〝エンデ〟を目指して旅をしている途中だよ」
先ほどのタバサと同じように、指を指しながら順々に紹介していく。
「そしてここが、魔法都市オイサースト、キュール地方では最大の魔法都市だ。大陸魔法協会の施設もある。聞いたことは……」
ここでフリーレンは三人の少女を見るが、やはり総じて、首を横に振っていた。
「まあ、一つ言えることは、この地図一つとってみても、別次元の世界から私がやってきたという事だけだね。証拠にはなると思うけど」
しかし、まだルイズは「うーん……」と素直に頷けなさそうな顔を浮かべている。
「やっぱりねえ、突飛すぎるわよ。別の世界って言われても……」
「まあ、今無理して理解してもらわなくてもいいよ。私も
――――へ、今何と言いました?
ちょっと楽しそうな表情を浮かべるフリーレンとは裏腹に、三人の少女は再び固まる。
「せんって!? エルフって長寿とは聞いていたけど、そんな長生きするの!?」
キュルケも驚き、叫んでしまう。タバサもまた、エルフの意外な一面に、少し目を見開いていた。
「ってかなに、わたしは見た目少女の中身おばあちゃんエルフを召喚したってこと? どういうことよそれもう!」
「一回目だよルイズ。二度は許すけど三度目はないよ」
『おばあちゃん』に素早く反応したフリーレンは、ジト目で睨みながら平坦な声で告げる。これには、さしものルイズも怯んでしまう。
「まったく、同じレディにその物言いはどうなのよ? 使い魔の地雷を踏むなんて本当に主人とは思えない対応ね」
「うぅ、まあ……今のはわたしが悪かったわね……」
キュルケは呆れ声で肩をすくめる。ルイズも流石に過ぎた言葉だと思ったのか、しおらしい態度をとった。
「……三回」
「え?」
「三回言ったらどうなるの?」
何気に気になっていたのか、タバサが静かに問い掛ける。
聞かれたフリーレンは自信満面な笑顔で、
「そりゃあもう泣きわめく。三日三晩泣きわめく。癇癪を起した私は怖いよ。勇者ヒンメルでさえ恐れ戦いたんだから」
「怖いのかすごいのか、イマイチわかんないわね……」
子供か、と突っ込みたかったけど、また変な地雷を踏むかもしれないと、ルイズは言葉を飲み込んだ。
一方のタバサは〝勇者〟と聞いて、不思議そうに首をかしげる。
「ヒンメルって誰? ……勇者?」
「文字通りの勇者だよ。人間だけど、魔王を討ち取って私のいた世界に平和をもたらした、真の勇者」
フリーレンは無表情な顔の影に、どこか嬉しそうな微笑みをにじませながら、そう答えた。
ルイズ達はまた驚く。フリーレンの世界には魔王がいたことにも驚いたけど、そんないかにもな御伽噺にしか出てこないような人間が実在したと、エルフが言い切ったことに。
「……イーヴァルディのような、仮想の人物とかじゃなくって?」
「実在した人間だよ。私は彼とその仲間と共に、色んな国や村を見て回ってきた。たった十年の旅路だったけど――――」
今でも綺羅星のごとく光る、淡い記憶の流星群。
千年以上という時の中では、それこそ閃光のような瞬きだったけど……、今もなお、強烈な煌めきと彩りを放っている。
自分が、人間を知ろうと思った原点だ。
「――――今振り返れば『楽しかった』。そう思わせてくれる人だった」
フリーレンの語りに、三人の幼き少女は只感嘆としていた。
それほどまでに、無表情な顔の裏で静かに迸っている彼女の情念が一瞬、垣間見えたからかもしれない。
「……あんたの世界って、しれっと魔族とか魔王とか、やばいのがいるのね」
「なんなら今でもいるよ。魔王は滅びたけど、生き延びていた幹部級の〝
「オーク鬼とかゴブリンとかトロールとか、そういうのはいるけど『魔王』は流石に聞いたことないわね」
「そっか。……いいことだね」
気づけばわいわいと、夜通し話し合っていた。二時間、三時間、それ以上だろうか。
彼女の冒険譚や世界観は、それだけで少女たちの短い記憶に、確かな衝撃と彩りを齎すこととなった。
もはや六千年に及ぶ大敵という立場も忘れ、ルイズ達はフリーレンの話に聞き入ってしまった。
「――って、やだ! もうこんな時間じゃない!」
「あらほんと、もうこのまま夜通し語り合えそうな感じだったわね」
「なに言ってんのよあんたたち! 明日もあるんだからとっとと自分の部屋に戻りなさい!」
ルイズは出口の扉をビシッと指さす。キュルケもまた、あくびを一発かまして立ち上がった。
「ほんじゃま、帰りますか。いろんな話聞けてお腹いっぱいだし。ねえタバサ?」
キュルケは親友に問いかける。タバサもまた、立ち上がった。
二人して部屋を出るかと思ったが、最後にタバサはフリーレンへ近寄り、手に持っていた本を差し出してきた。
「……ん」
「どうしたの、タバサ?」
「あげる」
これを聞いて仰天したのはキュルケだ。まさか、常に無表情を貫くこの親友が、初めて会ったエルフに贈り物をするなんて。
「『イーヴァルディの勇者』。寓話だけど、面白い」
「もらっていいの?」
「いい。多分、あなたも気に入ると思う」
そう言うタバサの口元は、薄っすらとだが、微笑んでいるようにも見えた。
フリーレンもまた、素直に彼女の好意を受け取る。
「挿絵付きで子供でも読める。文字も覚えやすい」
「ありがとう。本は好きだからうれしいよ」
「いい。こっちこそ、面白い話を聞かせてくれたお礼」
それだけ告げると、タバサは背を向けていち早く、ルイズの部屋を去っていった。
キュルケは引き続き驚いていた。何をおいても無関心を貫く『雪風』が、こんなにも入れ込んだ行動を示したことを。
逆に言えばそれだけ、フリーレンというエルフに興味を持っているという事であろう。
「そうね。エルフって聞いた時はびっくりしたけど、今日話してみても面白い子だってことが良く分かったし。これからもよろしくね、フリーレン」
「こっちこそよろしくキュルケ。じゃあまた明日、授業で」
「そうか、あなたも出るって話だっけ。今度はあなたの魔法について、色々知りたいわ」
キュルケもまた、フリーレンに握手で友好を示す。そして、さっきからずっとつまらなさそうな表情をするルイズに向けて、
「じゃあねルイズ。エルフとはいえ、折角あんたの使い魔になってくれたんだから、せいぜい逃げられないように気をつけなさいよ!」
そう言って、タバサと同じく部屋を去っていった。
「まったく、とんだお邪魔虫が入ってきたわよね」
ぼやくような口調で、ルイズはフリーレンの目の前で着替え始める。フリーレンに構わず。同性だから当然といえば当然だ。まあ異性であっても使い魔なら構わずやるつもりだったが。
それ畳んでしまっておいて……と、言おうとして、ルイズは慌てて口をつぐんだ。
使い魔にしたとはいえ、エルフにそんなこと言えるはずもない。結局渋々、ルイズは今日の制服をいつものように自分で畳んで、しまいに行く。
その間、フリーレンはルイズの机を借りて『イーヴァルディの勇者』を読んでいた。
「エルフのあんたでも、そんな寓話に興味なんてあるの?」
「そうだね。この国の文字を覚える意味でも、役立ちそうだ」
フリーレンは最初、無造作にぺらぺらめくっていた。とりあえず、どんな感じの本かを見るために。
聞けば『イーヴァルディの勇者』は、このハルケギニアでは最もポピュラーな英雄譚らしい。
ただ、タバサが持ち寄っている辺り、彼女もこの話は好きなようだ。だからこの本をわざわざ勧めてきたのだろう。
「あ、そうそう」と、ここでそろそろ寝ようかと思っていたルイズは、言っておかなければならないことを思い出す。
「あんた、こうしてわたしの使い魔となったわけだけど……、なにか、身体に変化とかないの?」
「変化?」
フリーレンはここで、視線を本からルイズの方へ戻す。彼女は今、ベッドの上で座ってこちらを見ていた。
変化か……。
フリーレンは己の左手に刻まれたルーンを見る。
変化ならある。先ほどから主に対する情愛、刷り込みによる精神操作魔法とか。
まあこれ自体は、予め自身に備えている〝精神防御〟で問題なく抑えられているけど。
このため、フリーレンには使い魔の刷り込みなどなく、ある意味フラットな視点でルイズと接していた。
後はまあ、色んな情報が込められているのは分かってはいるけど、逆に膨大過ぎてまだ、何があるのか全てを把握しきれてない。
今のところ、〝解析〟で分かったことはこれだけだった。
「一応ね、使い魔となると特典として、『主人の目と耳が共有できる能力』が手に入るそうなのよ」
黙っていると、ルイズが先に補足を始めた。
「じゃあ私の目線が、ルイズにも分かるってことなの?」
「理屈で言えばそうなんだけど……、何にも見えてこないわ。ほんと、どういうことよ……。はぁ……」
「憂鬱そうだね、大丈夫?」
フリーレンの問いかけに、ルイズは多少考えながら答える。
「エルフのあんたじゃわからないかもしれないけど、わたし達メイジには『メイジの実力をはかるには使い魔をみよ』って、格言があるのよ。その理屈でいえば、わたしはエルフを召喚したんだから、やっぱりすごいんじゃないかなって思うけど、なんかこう……上手くいかないもどかしさがあるのよね……」
「それを聞くに、主人によって使い魔召喚に傾向があるみたいだね。属性とかで、ある程度整理されているの?」
「ええ、そうよ。このハルケギニアでは四大系統。火、水、土、風。……あとは大昔に存在したという『虚無』ね。大本は五だけど、基本はこの四種類の属性に大別されるの」
ルイズは得意げに、人差しを上にあげながらフリーレン相手に講釈を垂れる。
それを聞いたフリーレンはというと、
「じゃあ、ルイズの系統は『虚無』なの?」
「――――へ?」
いきなりそう言われ、ルイズは唖然とした表情へ一転した。
「私でもキュルケとタバサの系統はなんとなく分かるよ。使い魔を見るにキュルケは『火』、タバサは『風』でしょ。でもルイズは今言った四系統のどれにも当てはまらない。だったら、消去法で『虚無』ってことになると思うけど」
「なに言ってるのよ! あんたは分からないでしょうけど、虚無って魔法は六千年前に存在したと言われる伝説の魔法。それを扱えたのはただ一人、わたし達メイジの祖先、始祖ブリミルだけよ!」
「じゃあその力が今、改めてルイズの中に宿り始めているとかは?」
「いい加減にして、そんなわけないわ。……大体あんた、得意とする系統とかないの?」
「まあ、大体のことならできるよ。火を出したり水を操ったり空を飛んだり。花畑も出せるし、なんなら〝かき氷を出す魔法〟なんてのも、最近覚えたからね」
正確には八十年ほど前のことなのだが、そこはエルフ特有の時差ボケである。
実践してあげようか? とフリーレンは立てかけてあった杖に指をかけるも、ルイズは首を横に振った。
「いいわよべつに……。そう、
「……ルイズ?」
一瞬、人心に疎いフリーレンでさえ分かるような、露骨に沈んだ声色に暗い表情を浮かべるルイズ。
「もういいわ、ねる」
そしてそのまま、ふて寝するかのようにベッドに横になった。
その様子がふと気になったフリーレンは、最後にルイズに、言葉を投げかける。
幼少時代の弟子に聞いたように。亡き師に聞かれた時のように。
「ねえルイズ、魔法は好き?」
「――――っ!!」
結局その問いに、ルイズは答えなかった。
代わりに答えるのを拒絶するかのように、布団を頭からかぶってそのまま黙ってしまった。
(――どうしたんだ?)
一目で分かる『答えたくない対応』をされ、頭の片隅で考えるフリーレン。
そして今一度、彼女の魔力の流れを凝視する。この世界の魔法は『魔力量』の多寡を『精神力』で表すとは先ほどタバサから聞いたし、技術体系諸々も全然自分の世界のそれとは違うようではあるものの、フリーレンの目にはちゃんと魔力の流れが見えている。
(キュルケやタバサと比べても、ルイズの魔力は本当に小さい。というか、ほぼ『ゼロ』に等しいんだよな……)
フリーレンでも、キュルケやタバサの魔力はそこそこ大きいものがあるとすぐに見抜いていた。特にタバサは強い。彼女は間違いなく『実戦』を知っている。
まあ、単純な強さだけで見れば、召喚の儀で会ったコルベールという教師も、かなりのものだと見ているのだが。
それと比すると、本当にルイズの魔力は希薄と言っていいくらい、か細いものなのだ。
もし意図して〝魔力制限〟を行っているのであれば、魔族に対する究極の初見殺しが成立しそうなほど。自分だって、この域まで至るのに数百年は余裕で費やした。
そして何よりも思うことは、『彼女の実際の魔力量はどれほどのものなのだろうか』。それはフリーレンでさえ、容易には推し量れないものだった。
ちなみに『ただルイズの魔力がしょぼいだけ』とは、フリーレンは考えなかった。そうだった場合、自分という存在を異世界から隔てて召喚したという事実と説明がつかない。
この辺りの事情と、もしかしたら関係があるかもしれない。後でルイズに聞いてみよう。『ゼロ』という二つ名も、気になるし。
それともう一つ、ふと思ったこと。
(……そう言えば、結構タメ口利いてるけど特に問題なさそうなのかな)
中央諸国では貴族に対する非礼は処刑である。勇者ヒンメルだってそこは例外じゃなかった。
ルイズ達が貴族の子女と知ったのは先ほどで、召喚前から結構フランクに話していたのだが、キュルケたちの反応を見るに、そこまで彼女たちは気にしていないようだった(もしかしたらルイズは内心気にしているかもしれないけど、口に出したことはないし)。
少なくとも処刑処刑と喚かれないだけ、良かったのかもしれない。なんか言ってくるようだったら後でまた対応するとしよう。
フリーレンは再び、視線を本に戻す。この本を読み終わってから寝ようと思っていた。
最初は異国の文字ゆえに読むのに難儀していたが、文字を書き写したり文字列の意味を当てはめていくうちに、みるみる文章の意味が分かるようになっていく。
(これもルーンの特典か? ……いや、契約前からお互い会話はできていた。多分この世界に来た時に、無意識に刻まれた術式の一つなのかもしれないな)
なんにせよ、文字が早く読めるのはありがたい。
フリーレンは熟読し始める。その頃にはもう、ハルケギニアの文字は手に取るようにわかるようになっていった。
イーヴァルディはシオメントをはじめとする村のみんなに止められました。
村のみんなを苦しめていた領主の娘を助けに、竜の洞窟へ向かうとイーヴァルディが言ったからです。
その文字を見た瞬間。ふと十年の旅路の中で会ったことを思い出す。
大変だ! この街の令嬢が魔物に攫われた! 早速助けに向かうぞ! ハイター! アイゼン! フリーレン!
今の装備だと辛いと思うぞ、ヒンメル。
アイゼンの言う通りですよ。こういう時は体調も装備も万端に整えてから向かうものです。
お前は二日酔いで辛いだけだろ、生臭坊主。
たとえ辛くってもだ! 僕たちがこれからやるのは『魔王退治』だ。こんな脇道で無理だ無茶だ無謀だなんて言ってたら、その目的すら果たせないじゃないか!
でもさ、あの領主の娘。散々私たちをいびり倒してきたのに、それでも助けに行くの?
それでも僕は行くよ。今を困っている人、苦しんでいる人を放って先に進むなど、僕にはできない。
「……あったな、そんなことも」
本を読みながら、フリーレンはふふっと微笑んだ。
本に書かれた文章を読むたび思い出す、確かな在りし日の記憶。
机の上にだけ光る僅かな灯を背景に、室内はしばし、静かに頁をめくる音だけが響いた。